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3月 16 2015

心の維新

南知多ビーチランドのことを書こうと思ったのですが、昨日の大河ドラマの「花燃ゆ」が、今の日本の状況と似たような内容でしたので、ちょっとそちらを先に書いておきたいと思います。

昨日の花燃ゆは、幕府がアメリカとの修好条約の意見書を各藩に求めた場面をやっていましたが、そこが現在の日本と似たところがあるなと思ったからです。

といっても、別にTPPのことを書こうと思ったわけではありません。七十年談話の方です。この談話の内容を巡って、これまでの村山談話や小泉談話を受け継げだのなんだのいわれていることが、昨日の長州内の幕府に意見したところで仕方がないと、差しさわりがない意見書を出そうとした上役と重なって面白かったのです。(番組では、長州は結局、しっかりとした意見書を出すことに決まったのですが)

物質的な日本の維新は幕末に始まったのですが、現在の日本は心の維新が始まろうとしているのです。(唯物無神論から唯心有神論に、考えが変わり始めた人が増えてきたのがその証拠です)

そのような時に、これまで通りの(日本にとって間違った)歴史観を、そのまま引きずるような総理の談話を発表して、それが何になるのでしょう。

中国は、村山談話を引き継ぐことが日中関係の新たな発展につながるといいますが、ではなぜ、その村山談話を出した時に、中国と日本は新たな発展をしなかったのですか?

あのような(日本が属国のように他国におもねるような)談話を発表したにも関わらず、中国、韓国は、その後も何度もその歴史観を問題とし、決して日本を許そうとはしなかったではないですか。

それなのに何でそれと同じような談話を出して、それで中国と日本に新たな発展があるというのでしょう。

それはまったく逆なのではないですか。違う内容の談話を発表した方が、よほど日中間の発展があるのではないでしょうか。(だって、これまでの談話では日中間は発展しなかったのですから、それはそうです)

いってはいけませんが、中国、韓国は何度日本を騙せば気が済むのですか?

また、日本は何度騙されれば気がつくのでしょう。これまでのような談話を出していてはいけないとです。

戦争はいけないといいますが、他国におもねることが調和ではありません。戦争をしたくないのであれば、日本は日本で他国に対し毅然とした態度を取って、もしそちらが何か仕掛けてくれば、こちらも黙ってはいないという抑止力も持って、そうして日本は日本の立場で(もう過去については数えきれないくらいの反省をしてきたのですから)日本はこの先、このような平和を築いて行くという、しっかりした総理の談話を発表されればいいのです。

そうして戦後の談話は、これが最後というくらいの先を見据えた平和談話を発表すべきなのです。

そうしなければ、世界は(特にアジアは)いつまでも日本を中国、韓国には頭が上がらない、属国のような態度を取り続けているだらしのない国としか見ないのであり、また中韓も世界から(特にアジアでは)何を同じことをいつまでも同じようにいっているのか、自分たちのことを棚に上げてなどと、さげすんでみられるだけなのです。

それでは日本だけでなく中韓にとっても不幸なことであり、だからこそ、このようなことは(すぐ過去の歴史を問題にするようなことは)もう終わりにしないといけないのであり、だから前向きな談話が必要なのです。

そのような後ろ向きな歴史観から離れなければ、日本は前に進めないのであり、また前に進めなければ、日本が世界のリーダーシップをとることは不可能なのであり、日本が世界のリーダーシップをとれなければ、戦後七十年の間、これだけ平和であった国の、その平和が世界に伝わらないということになります。

この日本の平和を世界に伝えるためにも、やはり平和を基本とした、しっかりとした談話は出すべきであり(もう反省はしっかりしたのですから)これ以上過去にこだわるのは、単に中国、韓国におもねっているだけとしかとられないのです。(そうして、そのおもねりは決して中国、韓国のためにはならないということです)

結局、日本が変わらなければ、中国、韓国は変わらないでしょう。中国、韓国のためにも日本は変わるべきなのです。

それには、これまで通りの談話でいいはずがなく、これから世界が(日本のようなです)心の維新を迎えるためにも、日本は戦後七十年、一貫して平和の道を歩み続けた実績は世界にアピールすべきなのです。

これからは世界で一番の平和国家である日本が、世界のリーダーシップをとっていかないとけないのであり、それには、それにふさわしい総理談話を出すべきであり、決して他国におもねるような談話を出してはいけないのです。

日本が他国におもねることなく、しっかりとした戦後談話を出すことが、真の世界平和に繋がります。その先の世界平和のためにも、目先の諸外国の言動や(他国は自国を一と考えるのですから、どうしても日本の考えとは異なります)国内の未だ洗脳が抜けきらない者たちの意見に、あまり耳を傾けてはならないということです。

国内の左派勢力や他国の意見に惑わされず、安倍総理には、しっかりとした歴史に残る安倍談話を発表していただきたく、期待しております。

(かの諸葛孔明には名文として有名な「出師の表」〔すいしのひょう〕などありますが、安倍総理にも、後世に遺るような名文の談話を発表していただきたいと願っております)

追伸…昨日の花燃ゆでは「そうせい候」(何でも家来たちの意見を「そうせい」といって聞くことから)で有名な、長州藩主毛利敬親も出てきましたが、私はあの藩主は何でも家来のいうことを聞いているだけの人だとばかり思っていましたが、そうではなく、やはり聡明であったのですね。

そういう藩主の下でなければ、あれだけ有能な幕末の志士がたくさん出てくるわけもなく、それはそうだろうと思いますが、安倍総理はその長州出身です。

では安倍総理は、そのような聡明な藩主や有能な幕末の志士たちの血が流れているのでしょうから、賢明な判断をしていただけると思います。

これからの日本にとって、これ以上ないという談話を出されることを心より期待しております。

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3月 15 2015

法を勉強している人としていない人の差

大変そうですね。(前の会社ですが)

昨日もやたら怒っている人がいましたが、どれだけ怒っても、怒りでその現象が収まることはありません。

それだけの現象が起きているのです。いい加減、その現象がどうしたら収まるのか勉強されてはどうでしょうか。(分からなければ誰かに聞くとかです)

すでに名古屋は、これだけ多くの人が病気になっているのです。これほどの現象が現れて、同じことをしているだけでは(怒って私に嫌がらせしているだけでは)何も進歩がないといわれても仕方ないでしょう。

自分たちの仕事などでは、どのようにしたらもっと仕事の能率が上がるのか(売り上げが上がるのか)あるいは仕事のクレームの時の対処方法や解決方法など、自分で積極的に勉強するはずなのに、このようなことに関しては何一つ勉強しようとしません。

仕事も今現在、名古屋で起きているサイレンも同じなのです。

どのようにしたら、このサイレンがなくなるのかは、自分で勉強しないといけないのです。

仕事や勉強に対しては、有能な人が多いのに、神の業に対してはまるで無能な人ばかりです。

それでは救われませんね。

仕事や勉強より、この神の業への対処方法、これを(神の子である)人間は、一番学ばなければいけないからです。

さて、その一番学ばなければいけないことを、よく学んでいる人には何が起きているのか?それを書いていきましょう。(マァ、私のことなんですが。〔笑〕)

まず、南知多ビーチランドの方から書きましょうか。(東山動物園は動物の種類が多いですからね。書いてて長くなるかもしれませんから)

あの南知多ビーチランドに行った日は風もなく暖かで天気もいい日でした。

昼の少し前についたものですから、私は、近くのコンビニで握り飯を買い、南知多ビーチランドの裏は海でしたので、その海辺に行って買った握り飯を食べていました。(昼飯を食べてから南知多ビーチランドに行こうと思ったからです)

南知多ビーチランドは、名鉄知多奥田の駅から歩いて十五分ほどのところにあるんですが、その知多奥田の駅を出る時から(もっといえば電車を降りた直後から)すでにすずめたちが騒いで、私の頭上や少し前の辺りをビュンビュン飛び回っていたのですが(何でそんなに早くすずめたちが私の存在が分かるのか、これもまた不思議ですが)海岸に行くにつれ、その辺りにいる水鳥やカラスも私を意識しているようでした。

私は、カラスや水鳥などよく見かけるので、それほど意識もしなかったのですが、実はこのカラスを、もう少し相手にしてやればよかったと後で後悔するのですが、その海岸でも面白いことが起きたのです。

私が波打ち際で握り飯を食べ終わって、フッと横を見るといつの間にか数十羽の鳥たちが波打ち際にいました。

この海岸に来た時は、そんなたくさんの鳥たちの姿を見かけませんでしたので、私が昼飯を食べている最中に、どこからか飛んできたんでしょうが、それにしても何十羽もの鳥です。

何でそれに気づかなかったのか、それもまた不思議でした。

「あれ、あの鳥たちいつ来たんだ?」と思いましたが、ちょうどいいとも思って、ビデオを撮り始めました。

その鳥たちをビデオで撮った後、一休みしていると、後ろから「ピィーヒョロロ」という鳴き声が聞こえてきました。

これはトビだと直感し、後ろを振り返ったのですがどこにいるのか分かりません。一瞬「どこだ?」と思っていると、先ほどのカラスが、凄い勢いで私の真後ろにあった電信柱の上に飛んで行きました。

その方向を見ると、その電信柱の上にトビがとまっていたのです。

そこにカラスが向かっていったものですから、トビが逃げだしてしまったのです。私がビデオを出す暇もありませんでした。

「しまった、トビを撮り損ねた」と思いましたが、もうどうにもなりません。私がカラスに「お前邪魔するな」と怒りましたが、カラスも私の後ろにずっといたようなのです。

もう少しカラスも相手にしてやれば、こういうことをしなかったかもしれません。「やはり愛は平等にかけないといけないな」とちょっと反省しました。

そうこうしているうちに今度はカモメが飛んできました。そのカモメもビデオで撮って、ソロソロ南知多ビーチランドに行こうと歩き始めたのですが、南知多ビーチランドの横を歩いていて、そこが入口というその時でした。

また「ピィーヒョロロ」という声が聞こえてきたのです。

「エッ」と思い振り返ると、遠くでトビが飛んでいました。そのトビが段々こちらに近づいて来ます。

「あれ、さっきの奴か?」と思い、今度はビデオを構えて「おーい、こっちに来い」とかいいながら、そのトビを撮っていると、少し離れた電信柱の上にとまりました。

どうもさっきと同じトビのようでした。先ほど逃げていったトビが戻ってきたのです。

それでトビも初めてビデオに撮れたのですが、私が(この駅は初めて降りたのですが)知多奥田の駅を降りた直後から、その辺りにいたすずめたちが騒ぎだし、海岸に行って昼飯を食べただけで、すでにもう多くの鳥たちが寄ってくるのです。

法を勉強していると、こういう不思議で楽しいことが次々に起きてきます。(鳥たちにかまっているだけで癒されますからね。楽しいですよ)

法を勉強している人の楽しさ、そうして(先ほど書きましたが)法を勉強していない人の不安さのこの天と地ほどの差はどうでしょうか。(何度も書きますが、私は天上界で起きているようなことが次々に起きて、法を知ろうとしない人たちには、地獄界で起きるようなことが次々に起きているのです。本当に天と地の差があります)

南知多ビーチランドに行って、その目的地である南知多ビーチランドに行く前に、すでにこれだけのことが起きているのです。

法を勉強している恩恵といったらないでしょう。(こういうことこそご利益というのではないのですか?正しい信仰は必ずこういうご利益があるのです。信仰していてもご利益があるのかないのか分からない、そんなものは正しい信仰ではないのです)

しかし、この程度のことで恩恵などといったら法に失礼ですね。

なんと南知多ビーチランドのなかではもっと面白いことが起きたのです。

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3月 14 2015

昔の人と今の人との違い

一昨日は東山動物園、昨日は南知多ビーチランド(水族館)に行ってきました。

マァ、書くことは山のようにあるんですが(笑)多分あそこにいる動物たちはみな私のことを知っていますね。

多くの動物たちが分かりやすい態度を取ったからです。

面白いことはいろいろ起きましたが、一変に書けませんので、また小出しに書いていきたいと思います。

しかし、比較的水の中にいる動物(水族館)の方が、外にいる動物(動物園)より分かりやすいですね。外にいる動物は動きが遅いのもいるものですから、分かっているのか、いないのか、よく分からないものもいるからです。

象やサイやカバなどほとんど動きませんし、ナマケモノなど全然動きません。(笑)こういう動物は分かりずらいですね。(苦笑)

それにひねくれたのもいます。特にトラなど呆れましたね。

トラなど私が檻をのぞいても知らん顔をしています。それで「オイ元気か」と声をかけると、いきなり尻を向けて小便をひっかけるんですから驚きました。(「うるさい」みたいな態度でです。もう少しでかかるところでした)

頭に来て「もう撮ってやらないからな」といって、トラの檻から離れて行って後ろを振り返ると、トラはこちらをジッと見ていました。

私に興味があるやらないやらよく分かりませんでした。

しかし、面白いところでは、オオサンショウウオまで興味のある態度を取りました。(私が見ていると水面から顔を出していたのですが、その顔を水の中に沈めて、その沈める時に口の横から泡をブクブク出しながら沈んでいくのです。そのような動作を二度も三度もやっているのですから。笑えました。そこは動画に撮ってあります)

そのような両生類から(カエルもいましたが、さすがにカエルまでは見ませんでした。カエルが大量に寄ってこられては、夢にまで出てきそうですから。〔笑〕)爬虫類まで(トカゲやカメレオンなどは、まったく動きませんのでよく分かりませんが、目だけこちらを見ていたものもいますから)みな私を知っているようでした。

このような両生類や爬虫類は人になど興味を示さない、と思われがちですが、それは違います。このような両生類や爬虫類に至るまで人に興味を示し、人の言葉も分かるのです。

これは多分間違いないと思います。釈尊にも次のような話が遺っているからです。

釈尊がウルベラ・カシャパーという者を弟子にした時のことです。

そのウルベラ・カシャパーは、すでに大教団の教祖であったのですが、釈尊は、そのカシャパーが過去世で自分の弟子であったことを知っていました。

それで話をしに行ったのですが、カシャパーは今日は忙しいので、明日お話ししましょうということになり、今晩はここに泊まってくださいと、釈尊はある洞穴に案内されました。

そうして、釈尊はその洞穴に泊まることになったのですが、なんと、その洞穴は大蛇の住処であったのです。

釈尊の噂は(釈尊が悟りを得たという噂です)すでにウルベラ・カシャパーの耳にまで届いていました。

このウルベラ・カシャパーという人は、大教団の教祖ではありましたが、自分に議論を挑んでくる手ごわそうな相手とは出来るだけ議論を避けていました。その議論に負けると大教団の教祖という地位を追われてしまうからです。(当時のインドではそれが普通でした。どれだけ地位や名誉があるバラモンでも、議論に負けるとその地位や名誉を一変に失うのです)

それで手ごわそうな相手が来ると、何だかんだと理由を付けては議論を避けていたのですが、どうしても引き下がらない相手には、一日待ってもらい、その洞穴に泊まらせるのでした。

その洞穴に住む大蛇は、人を丸呑みしてしまうほど大きくて凶暴であったからです。

これまで、その洞穴に泊まった者で助かった者は一人もいませんでした。一人残らず大蛇が呑み込んでしまったからです。

それで釈尊も、その洞穴に泊まらせれば、大蛇が呑み込んでしまうだろうと思っていたのですが、翌朝、釈尊はピンピンして、ウルベラ・カシャパーのもとに現れたのです。

釈尊は、その洞穴に案内された時、何かいるとすぐにピンときました。洞穴の中は生臭い匂いが充満していたからです。

洞穴の奥を、ジッと見ていると中で何かがとぐろを巻いていました。よく見るとそれは大きな蛇であったのです。

少し驚きましたが、釈尊がその大蛇に「私はここで寝るから、そなたはそこにそうしていろ」というと、その大蛇はそこから少しも動くことなく、翌朝、釈尊がその洞穴を出て行かれるまでジッとしていたのです。(大蛇は「そこにそうしていろ」という釈尊の言葉に従ったということです)

驚いたのはカシャパーの方でした。あそにいる大蛇は餌を与えず腹ペコであったはずなのです。

人などが、あそこの洞穴に入れば大蛇が一飲みにしてしまうはずなのに、その大蛇が釈尊には何もしなかったのです。

そのことに驚いたカシャパーは「この方は本物だ」と観念し、釈尊の弟子になるのですが、このような話も私に起きていること知るのであれば、本当に起きたことであろうと信じることが出来るわけです。

どのような動物でも人の言葉は理解出来、その人に愛があるなら、その動物がどれだけお腹を空かしていようと、その人を襲うことはありません。(だから、私がトラやライオン、クマなどの檻の中に入っても襲われることはないということです。さすがにそれを証明しようとは思いませんが〔苦笑〕)

しかし、昔の人は(どれだけ地位や名誉があっても)このようなことを見せられたら、素直に自分のいたらなさを認め、一発でその人の弟子になるということもよくあったのですが、最近の人は、地位や名誉がある人はもちろんですが、そのようなものが関係ない小さな子供に至るまで、このような不思議なことを何度見せられても、その不思議なことをしている者に頭すら下げないのです。

昔の人と今の人とでは、その素直さ、傲慢さなど、天と地ほど違っているのですね。(苦笑)

とりあえず、このような動物たちの不思議な動画がたくさん撮れています。

また、近いうちに順次公開していこうと思っています。

追伸…このような動物の不思議を撮っている間にも、どこかの会社は現象が起き続けているようですね。

いちいちこちらに、それを教えていただかなくても結構ですよ。そちらの問題であるからです。(私には関係ありませんし、そちらが心を変えない限り、私ではどうにもなりませんし)

バスやトラックの連中もせっかくサイレンが減ったのです。もうブシュブシュはやめればいいのに、まだ怒ってしてくる人がいます。

そんなことしているとまたサイレンが増えだすかもしれません。そんなことになったら、どうやって責任を取るつもりですか?(皆さんも因果応報って知ってますよね。罪もない私に罪をかぶせて、多くの名古屋の人を病気にしたのです。少なくとも、そのお返しは私に嫌がらせをした人全員にかかってきます。その覚悟だけはしておいた方がいいでしょう)

早く反省された方がいいのではないでしょうか?ブログの中にも書きましたが、昔の人なら、もうとっくに反省しているからです。

現代の人は、ずいぶん恐ろしいことを平気でやっています。(やり続けています)

それを考えると、空恐ろしいですね。

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3月 11 2015

本当の愛

全国的にずいぶん荒れた天気になっています。

北海道など暴風雪となり、大雪や農業ハウスが飛ばされる被害などが相次ぎ、あちこちで強い風と雪で被害が続出しているようです。

今日もまだ各地大雪に注意しなければいけないようですが、三月の半ばとは思えない天気です。まだまだ異常気象は続いています。

名古屋も今日は雪が積もっているのですが、今日で東日本大震災が起きて四年となります。

このような天気は、東日本大震災後の日本の多難さを現しているようですね。

この東日本大震災で被災した建物を、残すか、それとも解体するかでよく議論をしているようですが、このような物を残しておいても、あの大震災の悲惨さを思いだすだけでしょう。

東日本大震災は、これから多くの人が語り継ぐであろうことですから忘れることはありません。わざわざ、その時被災した物を残さずとも、東日本大震災のことを日本の人々は忘れることはないのです。

そうであるなら、そのような当時の悲惨さを思いだすような物は早く解体し(当時を思いだして暗い心になるのが一番いけないことですから)被災者の方々は早く心を切り替え、前向きに希望をもって進んでいっていただきたいと思います。(園頭先生は、広島の原爆ドームも解体した方がいいといわれていました。やはりその当時のことを思いだして心が暗くなる人が多いからです)

心を暗くすることが一番いけません。その心の通りの世界が世に現れて来るからです。暗いことより、明るいことを考えましょう。そのような人が増えてくれば、この世も明るくなっていくからです。

少しは心を明るくしてもらうために、ちょっと心が明るくなるような話も書いておきましょう。ちょうどよいことに昨日また水族館に行ってきました。その話を書きましょう。

昨日はこの前行った時に、見物できなかったところをしっかり見ようと思って行ってきたのですが(イワシの群れやペンギン、サメがいるところなど、人が多くてよく見られなかったものですから)そのどの場所も、今回はよく見ることが出来ました。

特によかったのはやはりペンギンですね。(マァ、予想通りですが。〔笑〕)

ペンギンなど、ただでさえコミカルな動きで人気があるのです。そのペンギンがよく知っている人が目の前に現れたら、どういう動きをすると思いますか?

少し考えてもらえれば分かると思いますが、よけいコミカルな動きをします。(笑)それが実に面白かったのです。

おぼれかけのような泳ぎ方で、私の前を泳ぎ回るペンギンもいれば嬉しそうに寄って来るペンギンもいます。そうして私の目の前に来て、すごい形相で私を見ていたペンギンもいて本当に面白かったです。

イワシなどの小さな魚さえ、中にはとぼけた動きをするものもいて、本当にあの場所は見ていて飽きません。

イルカやシャチ、ベルーガも相変わらず可愛らしく、ウミガメなど何頭も私の前にたかってきて、後から来た人が「ここで餌でもやっているのか」といいながら通り過ぎていきました。(笑)

そのように勘違いするほど私の前にウミガメが寄ってきたからです。

そういえばこの前の中日新聞に、この水族館のイルカの飼育員が載っていました。その飼育員はイルカは多分、人の言葉が分からないんだろうといっていました。

しかし、残念ではありますが、イルカは人の言葉がよく分かっています。

それは昨日あった出来事でも分かることです。

昨日私は、イルカたちに「もう飛ばなくていいから、ちょっと顔を出せ」と何度も呼びかけました。

すると、この前はあれほど飛び跳ねていたイルカたちが全然飛ばずに、水面にゆっくり浮かんで来たり頭や体を出したりしていました。

イルカたちは浮かんでは来ますが、なかなか顔まで出そうとしません。

それで私が「なんだ恥ずかしいのか?そのハンサムな顔を皆さんに見てもらえよ」とかいっていると、そのうちに顔を出すようになり、最後はしっかり顔を出して「キィーキィー」と鳴き出したイルカまでいたのです。

私がいった通りのことをイルカたちがやっているのですから、そのイルカが人の言葉を分からないわけがありません。(もちろんこの場面は動画に撮ってあります)

イルカたちはみな人間の言葉が理解出来るのです。

では、何で飼育員がイルカは人の言葉が分からない、と感じるのかといういうことです。

昨日、たまたまベルーガが芸をやっているところを見たのですが、何かするたびに毎回餌を与えていました。

イルカやシャチ、ベルーガなどのパフォーマンスは、決して好きでやっているわけではありません。餌をもらってそれで仕方なしにやっているのです。

そこに愛があるわけではありません。(飼育員たちは、愛を持ってやっているというのでしょうが、それは愛ではなく、ただの取引にすぎないのです。餌をやるからこちらのいうことを聞けというです)

だから飼育員たちは、そのような動物たちは人の言葉が分からないと感じるのです。いくらいってもいうだけではいうことを聞かないからです。

しかし、そこに本当の愛があるなら、いうだけで動物たちはこちらのいうことを聞くのです。なぜなら、人間は万物の霊長としてつくられ、元々、動物たちは人間に従うようつくられているからです。(ということは、動物たちは人間の言葉を理解するようつくられているということです)

すべてのことに愛は必要なことであり、その愛があるなら、どのような動物にも人の言葉は通じるのです。

水族館の飼育員がやるような、派手なパフォーマンスはありませんが、私の動画には本当の愛で動く、動物たちの真の姿がそこにあります。

また近々その動画を公開する予定です。そのような動物たちの愛ある姿をよく見ていただき、忘れてしまっている、人としての本当の愛ある姿を思いだしていただきたいと思っています。(本当に私の周りは怒っている人が多いですから)

夕方、水族館を出てくると、水族館の前に十数羽のすずめがいました。今度はすずめたちが、私が出てくるのを待っていてくれたようです。

「何だお前ら待ってたのか」と呼びかけると、嬉しそうに飛び回っているすずめもいました。(そこも動画に撮ってあります)

愛があれば、このような奇跡が次から次に起きてくるのです。(普通、水族館の生き物が異常に騒いだり、すずめが待っていたりしないでしょう)

その本当の愛は、この法を知って実践しないと出てきません。

このような体験も、されてみてはどうでしょうか。

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3月 10 2015

本当の原因

それにしても減りましたね。最近はサイレンがです。(今日は何度か聞こえてきているようですが…この辺りも朝からアホなことする連中がいますから)

昨日も二、三回くらいしか聞かなかったんではないですか?(私はですけど)私にやるブシュブシュが明らかに減っていますからね。本当に顕著にその結果が現れています。

あとは昨日やってきた白いトラック(社名が書いていないトラックが堂々とやって行きましたが〔よくこのブログの情報を知っています〕どれだけ隠していても、そんなことはみな天は知っています。意味ないですね。どちらにしても火炎地獄です)や久留米運送、市バスの中川車庫行きの運転手連中が、もし私にブシュブシュやらなかったら、あるいは昨日サイレンはしていなかったかもしれません。

それを思うと残念です。(マァ、微妙にやってくる連中もいるので何ともいえませんが)

どちらにしても、ここ数日サイレンが少ないのは事実です。私が「ブシュブシュはやめた方がいい」といった結果は出ていると思いますがどうでしょうか。

多分それを、運転手連中が完全にやめたら名古屋のサイレンは止まりますよ。せっかくここまで減らしたのです。全員がやめたらどうですか?そうしたら、とりあえず名古屋に現れている特異な神の業は止まると思うからです。

私に納得できない人がいるなら、堂々とトラックやバスを降りてきて意見をいえばいいのです。(別に私が、何か変なものを持っているわけではないからです。持っているのは、せいぜい動画を撮るためのビデオくらいだからです)

昨日のウナッシーさんのコメントの吉田松陰ではありませんが、私はこの現象に対するどんな意見でも聞きます。好きなだけ議論しましょう。その方がお互いにスカッとするのではないでしょうか。(仕事が忙しいというならメールもあります。ちゃんと名前を書いていただけるなら、いくらでも返事はします。〔無記名の人は無視しますが。どこかのオジちゃんやオバちゃんで懲りています〕いいたいことがあるならはっきりいってください)

それにそのような態度なら罪になりませんが、一方的な嫌がらせは罪になります。そのようなことは、やればやるだけ自分が損をするのです。

そういう意味では、ずいぶん損をした人が多いのではないでしょうか。ずいぶん多くの人が私に嫌がらせをやっているからです。

このサイレンが私のせいではないと分かりかけているのです。もし、このサイレンが私のせいでないなら、私に嫌がらせをした人たちは、無実の者に一方的に嫌がらせをしたことになります。

そうなれば当然大きな罪となりますし、因果応報で自分も同じ目に遭わなければいけなくなります。そうなったら大変ですよ。(大勢の人によってたかって嫌がらせされ、こちらの意見はまるで聞いてもらえず、逆恨みから、いつ暴漢に襲われるかもしれないという状況です。こういう体験かなり厳しいと思いますが)

しかし、その罪を認めて詫びられ、反省されるなら、その罪は許され、そのような体験もしなくてもよくなります。

どちらがよいのでしょうか?

どこかの会社もそうです。また何か起きたようですが(昨夜、急に態度がおかしくなりましたし、今日もずいぶんおとなしいです。明らかに何か起きています)心から反省されるなら、その罪は許され、そのような恐ろしい現象も起きなくなります。

反省されたらどうですか?残念ではありますが、それ以外で救われる道はないのです。

サイレンにしてもそうで、この辺りに起きている病気などの現象にしてもそうなのです。

私が原因ではないからです。だから、私のせいにしている人たちが不幸になるのです。その思いが間違っているからです。

私が、それを行っているのではないのです。それは、このサイレンが減ったことでも理解していただけるのではないでしょうか。

私が反省したわけではないのです。(私はまったく考えを変えていません)

しかし、バスやトラック、電車の運転手が反省したら一変に減ったのです。(現に私に対し、そういうことはやめようとしている運転手はたくさんいるようです。それは少し見ただけでも分かります)

それぞれ一人一人の心に問題があるのであり、その心の問題が現象として現れているのです。何度もいいますが、そのような心が現れる時代となったからです。(だから、よい心であれば、私のように、いろいろな生き物が寄って来るという現象も現れるわけです)

実際にこのようなことが起きているのです。では、私のいっていることが正しいのではないでしょうか。

いつまでも同じことをしていては進歩はありません。(それどころか、正法の世になって、まだそんなことを続けていては滅ぼされてしまいます)

やっとここまで来たのです。では、その考えを進められてはいかがでしょうか。

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