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2月 20 2015

この現象の原因

やっぱり、あのブシュブシュですね。このサイレンの原因はです。

昨日はやる人が少なかったんですが、そうしたらサイレンも少なかったですもんね。

名古屋で起きている、この現象は天が起こしているものです。天が起こしているのなら、ここに間違ったことを書けば、その逆の現象が現れるはずです。(それが間違いであると知らせるためにです)

しかし、このサイレンのことを書くたびに、ここに書いた通りの現象が現れます。

もう何度も同じようなことが起きているのです。(ということは、天が原因はそれであると教えてくれているんですから)ソロソロ結論づけてもいいでしょう。

あの運転手連中がやっている(責任転嫁丸出しの)エヤーか何かをブシュブシュやるあれがなくなれば、この名古屋のサイレンは止まりますね。

完全に止まらなくても、かなり減ると思います。現に、あれが少ない日はサイレンもあまり聞きません。こういうことがもう何度も起きているのです。(少なくとも嫌がらせが少なかった日に、サイレンをたくさん聞いたということはありません)

やはり、この名古屋で起きている恐ろしい現象の原因は、あの運転手連中が私にした嫌がらせであったということです。(よく考えてみれば、そこから始まったんですから、それが当たり前といえば当たり前なのですが)

どうします。それでもやめようとしませんか?

しかし、これからは、あのような嫌がらせを私にすればするだけ、そのやった人が名古屋の人を病気にしているということになります。

そのような人は、大変な罪をつくることになりますが、それでも無視して、私に嫌がらせを続けるのでしょうか。

それもまた執念ですが、私がその人に一体どれだけ悪いことをしたというのでしょう。悪いことをしてきたのはあなた方の方ではありませんか。

私は、そのような嫌がらせをしてくる人をまったく知らないのです。会ったこともない人もたくさんいるのですが、そういう会ったこともない知らない人が、私に一方的に嫌がらせをしてくるのです。

それは罪にはならないんですか?

人の噂を鵜呑みにし、それで私に嫌がらせをしてくる人も多いと思いますが、それは正しいことなのでしょうか?(その噂が正しいかどうかも分からないのにです。なぜ、そんな悪い者に鳥や魚が寄ってくるのですか?)

自分のことを棚に上げて、よく人をそれだけ悪く思えると思うんですが、そのような私に対する怒りとか(それも大分誤解されている部分があると思いますが…)ねたみとか、ひがみとかで、もうそんなことをしている場合ではないでしょう。

この名古屋で大変なことが起きているのです。この起きている現象を考えるのなら、その恐ろしい現象が止まるかもしれない方法があるなら、即座にそれを行うべきなのではないですか。少しでも人のことを考えるのであればです。(もちろん自分も危ないんですから)

「お前のいっていることが正しいかどうか分からないだろう」といわれる人は、ではそのようにいう根拠を教えてください。

これまで起きたことがないようなことが名古屋で起きているのです。そのように思う人は何を根拠に私のいうことが違うというのでしょう。このような体験をしたことがないのだから、それが正しいかどうか分からないでしょう。

私は自分なりに何度も実験して、そうして、これがなくなれば、このような恐ろしい現象は名古屋に現れなくなるといっているのです。

私に逆らう人は、何か自分で試したことでもあるのですか?それとも、このような体験をしたことが前にもあるとでもいうのでしょうか?(そういう体験でもあれば、どのようにこの現象を抑えればいいか分かると思いますが)

しかし、このような体験をした人は多分いないと思います。では、この現象はどうしたら止まるのか分からないでしょう。

そうであるなら、私が試したことを試されたらどうですか。他にこの名古屋のサイレンを止める方法などないのですから。

この名古屋の現象が止まるなら、とりあえず名古屋の人たちは救われることになります。

やってみる価値はあるし、逆にやらないとだめでしょう。このまま同じようなことを続けていても同じようなことしか起きないからです。

毎日、多くの人たちが病を発症しているのです。もう自分の感情だけで動いている場合ではないでしょう。一刻も早く、このサイレンが収まりそうなことがあるなら、それを試すべきではないでしょうか。

そうこうしているうちにも、また誰かが病を発症しているからです。

とにかく現在の名古屋は大変なことが起きているのです。その自覚を名古屋の人、一人一人がもっと持つべきであり、このような(自分では)どうにもならないことが起きてきた時は、人のせいなどにするのではなく、これまで自分がしてきたことをもう一度よく反省して、神に「どうぞ、お助けください、お救いください」と祈るべきなのです。

それ以外で救われる方法などないからです。(この現象は人の力で起きているものではないのです。神の力で起こされているものだからです)

それなのに、そのような態度を取る人はほとんどいません。(ゼロではないでしょうが)

これほどの現象が現れているのです。もう神に頼るしかないのではないでしょうか。

それなのに、誰も神に頼ろうともせず、同じような生活を続け、この現象の恐ろしさ、神の恐ろしさを知ろうともせず、人のせいにして怒っているだけなど、言語道断なのであり、どれだけ神に対し不遜な行為をとっているのか分からないほどです。(そのような不遜な心を反省しろと神はいわれているのですから)

神に祈る祈らないは別にしてとりあえずです。人の噂に惑わされ、人に一方的な嫌がらせをするのはやめられたらいかがでしょう。

もしかしたそれが(もしかしなくてもそれでしょうが)この名古屋に現れた恐ろしい現象の原因であるかもしれないからです。

追伸…今日は園頭先生が、この世に出生された日であり、亡くなられた日でもあります。

この日は、いつも自分は正しく法を説けているのか反省する日でもあり、園頭先生のことを改めて思いだす日でもあります。

現在の名古屋は恐ろしい現象が現れているただ中にあり、このような現象を見るにつけ、園頭先生が今この世にいられたらとつくづく思います。(名古屋に、ここまで激しい現象が現れることもなかったと思うからです。また、このような現象の、しっかりした対処方法も教えていただけたと思うからです)

しかし、それをいっていても仕方ないでしょう。このような現象一つ一つが私たちの心の勉強であるからです。

これからは法を知らないと、生きることさえ困難な時代となっていきます。この名古屋の現象一つとっても、それはよく分かると思います。

間違った行いをすれば、すさまじいまでの恐ろしい現象が現れるからです。(最近の激しい天変地変もそうですが)

それなのにまだ多くの人は二十世紀の心のままなのです。(これだけ起きて来る現象が違っているのにです)

「早く法を多くの人に伝えねばならない」今日という日を迎えて、また改めてそう思いました。

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2月 19 2015

神を思う

しかし、サイレンが減ったと書くと、必ずまた増えますね。(昨日は何度も聞こえてきました。今日も朝からしていました)

そう書くと、よけい意地になってブシュブシュやる人がいるからでしょう。昨日はずいぶんされました。

それとも、この名古屋で起きている現象が、そのブシュブシュが原因であると分かることが怖いんでしょうか?もし、それでやっている人がいるとしたら、どれだけ恐ろしいことをしているのでしょう。

そのような気でいる人たちは、この恐ろしい災いの原因が分かりかけているのに、それが分かるのが嫌で(自分たちの責任になりますから)それで、その原因を分からないようごまかしているということになります。

それでは、自分たちが原因で名古屋に多くの病人を出したことがばれるのが嫌で(つまり自分たちの保身だけで)名古屋の人たちを次々に病気にさせているということになります。

これ、どれほどの罪かお分かりですか?(ただでさえ恐ろしいことをしているのに〔名古屋の人たちを、次々に病気にさせているんですから恐ろしいことですよね〕それに輪をかける恐ろしい行為です。〔自分の保身だけで、人を次々に病気にさせているんですから、これだけ恐ろしい行為もありません〕本当に大丈夫ですか、そんなことをしていて。〔怖〕どれほどの罪になるか分かりませんよ)

釈尊やキリストがいられない以上、人の心の中までは分かりません。分かりませんが、もし、自分の罪をごまかすために、私にブシュブシュ嫌がらせを続けている運転手がいるとしたら、その人は、後々どれだけ恐ろしい目に遭うか知れません。(とういうか、その罪は倍以上となりますので、特に死んだ後などかなり悲惨なことになるでしょう)

そんなことをしている運転手がもしいるとしたら、その罪は自分ばかりか、周りの人にまで現れることになります。間違ってもそんなごまかしはされないことです。あなたたちの罪はすでに凄いことになっているからです。(名古屋で、これまでにどれだけの人が救急車で運ばれていると思いますか?数千人ではきかないかもしれないのです。もし、自分たちが原因でこのようなことになっているとしたら、その罪はどれほどのものか、ちょっと想像つきません)

これまで、これほど多くの人を病気にさせた人などいません。何人の運転手が私にブシュブシュをやったか知りませんが、もし、それが原因でこのようなことが名古屋で起きたとしたら、その罪は計り知れないのです。

私のいうことが違っているというなら、運転手の皆さんは少し静かにしていたらどうでしょう。そうすれば、ここに書いたことが本当か嘘かはすぐに分かるからです。

しかし、多分、静かには出来ないでしょう。すでに、この名古屋で起きている恐ろしい現象の原因は、自分たちではないのか、と思っている人も多いからです。

だから、その自分の罪をごまかすために、ブシュブシュやる人はたくさんいると思うからです。

しかし、もし、運転手が原因でこのようなことが起きたのなら、もう自分一人ではどうにもならないような罪を、そのような運転手たちはつくっているということになります。

どうされますか?

もしそうなら、そのような人たちは私の下に来るしかないでしょう。私も共に祈らなければ、そのような人たちの罪は許されようがないからです。(個人で反省出来る範囲を超えているでしょう。その人一人で、どれだけ多くの人を病気にさせたのか分からないくらいだからです。それとも、この名古屋で病気になったすべての人の補償が出来ますか?それが出来るというなら、その罪は許されるかもしれませんが)

この名古屋で毎日響いているサイレンも、少し先が見えてきたのかもしれません。そのような人たちが反省するのであれば、このサイレンをなくすことも出来るかもしれないからです。

それはこの後、運転手の皆さんがどうされるのか、その一点にかかっているでしょう。今日も私は表に出て行きます。運転手の皆さんがどのような態度をとられるのか楽しみです。(ここに書いたことは〔無線か何かで〕すぐに運転手の皆さんに伝わります。〔そういう点では楽ですね〕もちろん、皆さんがどのような態度をとられたのかは、このブログでちゃんと報告します)

しかし、名古屋のサイレンが消えたとしても、それで日本に起きている異常現象がなくなるわけではありません。

なくなるわけもありませんが、仮に名古屋のサイレンが消えたのなら、それは一つの大きな災いがなくなったということですから、それなら日本に起きている大きな災いも消せるかもしれません。

名古屋の災いがなくなるのなら、名古屋と同じことをすれば、日本全体に起きている災いもなくなるかもしれないからです。

どちらにしても、あれだけ大きな災い(東日本大震災)が起きたのです。

あれだけの災いが起こされて、それで人と人との『絆』を深めようでは話になりません。(その程度の悟りでは神は認めないということです)

千年に一度の複合災害が起きたのなら、最低、その千年前くらいの神に対する思いは持たないといけないのです。(千年前の人たちは〔平安時代の後期〕さすがに唯物無神論ではありませんでしたからね。神を認めていた時代でした)

まず、神を思うことです。日本の人々はあまりに神に対する思いが希薄なのです。だから災いばかりが起こされるのです。

現に、その東日本大震災の後の日本は、どれだけ多くの災いに襲われたでしょう。地震はもちろんのこと、大雨や大雪、強烈な台風に竜巻、ヒョウまで頻繁に降るようになり(しかも真夏に降ったことまでありました)火山の噴火まで起きるようになったのです。

東日本大震災の後の日本は、次々に災いが現れ、東日本大震災の時の悟りが足らなかったことを教えています。

その災い(神の業)は現在においても現れています。(名古屋のサイレンといい、偏西風がブロックして低気圧を日本に停滞させていることといい、とても偶然とは思えない、必然のような災いがいま現在の日本にも起きているからです)

これほどの神の業が現れているのに、未だ誰も神を思おうとせず、それを責任転嫁し続けていては、いつまでたってもこの神の業は終わらないのです。

もういい加減、神を思われたらどうですか?神を神とも思わなかった自分が悪かったと反省されてはどうでしょう。

多くの人がそのような心になり、真摯にこの法を少しでも勉強されるのなら、この神の業は次第に減っていくのです。

名古屋に現れる神の業が、増えたり減ったりするのが(私に対するブシュブシュが増えれば増え、減れば減る)そのよい証拠なのではないでしょうか。

何度でもいいます。この日本に起きている災いを減らしたければ、少しは神の心を知ることです。

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2月 18 2015

災いを減らすには

今度は青森、岩手で震度5ですか。ずいぶん続きますね。大きな地震がです。

同じ日に同じような場所で、同じような大きさの地震が起きる、これ偶然でしょうか?

気象庁は、これは東日本大震災の余震で、同じ場所で繰り返し大きな地震が起きる時もあるといっていましたが、起きたそのままのことをいわれても、それはそうだとしか思いません。

本当に昨日の地震は東日本大震災の余震なんでしょうか?

そういえば、二、三日前には地震雲がどうのと話題になっていました。

地震が起きる前には何か予兆があるのかもしれません。下(地面)ばかり見ていても地震の予知は出来ません。空から鳥などの動物たちから、そこに住む人の意識まで、一度いろいろなものをしっかり調べられたらいかがでしょう。

そうすれば地震の予知が可能になるかもしれないからです。もっというなら、大きな天変地変が起きる理由も分かるかもしれないからです。

何度書いても、そこに住む人たちの意識を調べようとしません。素人の意見も少しは参考にすべきでしょう。地震の予知が出来ない以上、どこに正解があるか分からないからです。(釈尊がそのようにいわれているのです。人の意識を調べられてはどうでしょうか)

そのような人の意識が悪いばかりに、名古屋では大変なことが起きています。

昨日ああいうブログを書くと、意地になってブシュブシュやる運転手が必ずいるんですが、それでもそういう人ずいぶん減りました。昨日でも十人に一人くらいではなかったですか、そのようなことをやる人がです。

そのせいかどうか知りませんが、ここ一日、二日、サイレンもあまり聞こえてきません。(昨日でも二、三回聞いただけのような気がしますし)

そのブシュブシュをやめれば、サイレンがなくなるかもしれません、試してみたらどうでしょうか。(試す価値十分あると思いますが)

昨日でも、私を見てブシュブシュやっていった運転手がいたんですが、その運転手に向かい「どれだけ名古屋に病人増やすんだ。後でどれだけ恐ろしい目に遭うか分からんぞ」と声をかけたんですが、その運転手は無言でひたすら前を向き、顔を引きつらせながら、それでもブシュブシュやりながら走って行きました。

本当に顔が引きつっているのがよく分かりましたが、それほど内心ヒヤヒヤしていても、それでもまだ嫌がらせをやめようとしないのです。本当に哀れな人たちです。

それだけ自分の罪を認めたくないのか、それとも、それだけ私が気に食わないのか知りませんが、これほど恐ろしい現象が名古屋に現れているのです。

そのような気持ち以前に、そのような態度は神を畏れようとしない、神に対し、大変不遜な行為であるということを知るべきでしょう。

これほどの現象が現れていて、それでもまだ神を畏れようとしない、そのような人として神を思う、初歩の初歩の心さえなっていません。一体どれだけ恐ろしい態度を神に向かって取り続けているのでしょうか。

本当に恐ろしい人たちです。

このようなところも、現代の人は、神に対し無知で傲慢不遜であると私がいう根拠でもあるのです。(どこやらの会社も一日、二日、何も起きないと、また、このブログの邪魔をしてきます。そういうことをしているから恐ろしい現象が起きているのです。一体、何度恐ろしい目に遭えば分かるのですか?それではまた何か起きるでしょう。その起きる現象の恐ろしさは増すばかりですね)

何から何まで(神に対し無知なばかりに)恐ろしいことを平気でしているようですが、それで大丈夫なんですか?

このような正法の世となって、それだけ神の心を知らずにいて、それで無事に済むと思いますか?

何でもそうですが、自分が勉強している分野は、そのようなことがなぜ起きるのか、その理由もよく分かります。しかし、自分が勉強していない分野は、それがさっぱり分からないのです。

神のことを、正しく勉強している人など日本にはほとんどいないのです。(正しくない勉強をしている人はたくさんいるようですが)

このような現象と神を切り離して考えていては、その本当の原因は永遠に分からないのです。

よいのですか?これまで通りの考えのままでいてです。

これだけ全国で異常現象が多発しているのです。これだけの異常現象が集中して日本に起きたことなどこれまでありませんでした。

ということは、それだけ、これまで通りの考えではいけないということを天が示しているのです。

このような全国で起きる異常現象を、このまま(温暖化のせいや人のせいなど責任転嫁したまま)ほっておけば、どれだけの犠牲者が出るか知れません。

もう、これまでの考えはやめるべきでしょう。発想を変えないといけないのです。そうしなければ、この異常現象は収まらないからです。

他のもののせいではありません。自分に起きる悪いことは、みな自分のせいなのです。

それは大きな天変地変も同じでしょう。大きな地震など起きた場所の人々の心が変わらなければ、その場所にまた同じような地震が起きます。

気象庁がいっていた、同じ場所で繰り返し大きな地震が起きる時があるというのは、たまたまや偶然ではないのです。

その場所に住む人たちの心が変わらなければ、また同じくらいの災いがその場所で起きるのです。そこに住む人たちの心を変えるために、天が、そのような現象を現されているからです。

大きな地震が起きれば、誰でも多少の意識は変わります。東日本大震災が起きた後、多くの人が『絆』ということをいうようになりました。東日本大震災が起きて、それまでになかった人と人との連帯感が強くなったのです。これなど人々の心が変わったよい例ですが、しかし、多少ではいけないのです。

大きく変わらなければ、その場所にまた同じような現象が起きるのです。

今回、東北で起きている地震を気象庁は東日本大震災の余震といっています。しかし、それは違うのです。あれほどの大地震が起きているにもかかわらず、東北の人たちの心があまり変わっていなかった。

それでもっと変わらなければいけないと、あの地震は起こされたのです。東北の人々は、もっと愛深くならないといけないと、それで起こされた地震であったのです。

だから、もっと愛を深めないと、そのような災いはまた起きるのであり、あの東北の異常な大雪もしかりです。そのような人と人との愛を深めるため、そのような現象は起こされているからです。

これは何も東北に限ったことではないでしょう。北海道しかり、この名古屋しかりです。

その場所、場所により理由は違っていますが(例えば名古屋などは、神への思いがあまりに足りないとか、福島は共産思想の人が多いとかです)しかし、災いがその場所に起きるということは、愛にせよ、慈悲にせよ、そのような人として何か足りないものがあるから、その場所にそのような現象が現れるのであり、もし、そこに住む人たちが愛も慈悲も足りているのであれば、そのような場所には奇跡が起きるのです。

しかし、現在の日本には災いしか起きないのです。ということは、日本の人たちがよほど愛に目覚めないと、この災いは収まらないということになります。

よほど、そのような(愛や慈悲の)心が足りないからこういう現象が現されているからです。

しかし、このようなことは神の心を知らないと分からないのです。

現在、日本中で起きている天変地変、あるいは名古屋で起きている異常現象、このようなことすべて、そこに住む人々の意識に合わせて現されているものなのです。

つまり、人の意識を変えないと、同じような災いが何度でも起きるということです。

この法を知らないと、このようなことが全然わからず、すべて責任転嫁して、また同じような災いに遭う、その繰り返しとなります。

何度もいいますが、少しこの法を勉強されてみてはどうでしょうか?

多くの人がこの法を勉強するなら、現在日本で起きている災いも大きく減らすことが出来るからです。

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2月 17 2015

神への態度

青森、秋田、岩手、宮城の東北四県で震度4の地震が起きたそうです。この地震は津波の心配もあるようですが、ずいぶん広範囲で大きな地震が起きたものです。

北海道の大雪も続いていますし、異常現象はまだまだ続いていますね。

こういうことが、朝から起きているのですから書かないといけないでしょう。(まるで天から促されているかのようですからね)

こちら名古屋も異常現象が続いていますが大丈夫ですかね。このまま、この状況を無視して同じような生活を続けていてです。

神の業が次々に現れているのに、一切、心も行いも変えようとしないのです。普通であれば、どれだけ傲慢なのか、ということになるのですが、どうしてもそれが理解出来ないようです。

理解出来ないなら仕方ない、では、もう済みそうもないところもあるようですが(昨夜も私が家に帰ってくるとやたら興奮していたようですが)私のところに来なくてよいのですか?

私が「どうぞこの人をお許しください」と祈らなければ、もう許されないところまで来ているのではないですか?

私の祈りは天を動かします。その私に頼みに来なくて本当によいのでしょうか。

怒っているだけでは何も解決しません。もう「自分たちが悪かった」と心から神に詫びる以外、救われる道はないのです。

そうであるなら、私が神との仲介をしますよ。(それが私の仕事であるからです)

それをしなければ、あなたたちは滅ぼされるかもしれないのです。それでもまだ意地を張り続けるのでしょうか?

もう意地を張っている場合ではないと思います。

そういう危ない人たちが名古屋にはたくさんいます。バスやトラック、電車の運転手はどうなんでしょう。

あなたたちが、ブシュブシュやる嫌がらせを始めたばかりに、天を怒らせ、名古屋の多くの人たちが病院に運ばれているのです。(それは現在も続いています)

それをしなければこのようなことは起きなかったのです。(何度もいいますが、あなたたちが天を怒らせたのです。私ではありません)

どれだけそれを私のせいにしたところで(人は知らなくても)天はすべてを知っています。

では、あなたたちにも、いずれは(これだけ多くの名古屋の人々を病気にした)その責任は取らされることになります。

そのようなことをした人、一人残らず、後で恐ろしい目に遭うことになりますがよいのですか?(一人残らずです。あなたたちは大変なことをしてしまったのです。この名古屋に大変な現象を現せてしまったからです)

これは脅しでも何でもありません。これだけのことが名古屋で起きているのです。嘘ではないということはお分かりいただけると思います。(どっちみち私は嘘など書けませんから。ここに嘘を書けば、それで一変に祈りなどきかれなくなり、鳥や魚が寄ってくるという奇跡も起きなくなりますから。法を説く人は、それだけ間違ったことは書けないということです。これは釈尊やキリストを知っていれば分かることです)

あなたたちも、心から神に詫びなければ許されないところまで来ているのです。

あまりに皆さん神のことを知らなすぎるのです。

いってはいけませんが、日本は優秀な人が多いのですが、そのような優秀な人も含めて、皆が皆、こと神のことだけはあまりに理解していないのです。

逆に、優秀な人であればあるほど神のことを理解していないのです。優秀な人ほど唯物無神論という思想が心に深く入っているからです。

そのような神に無知な人が多いのに、今起きている現象の意味が正確に分かる人がいると思いますか?

いるわけがないのです。知ったかぶりして話しているだけで、実は全然、このような(例えば名古屋のようなです)現象が起きている意味など分かっていないのです。分からないのに、あいつが悪いと責任転嫁しているだけなのです。

自分が悪いとは夢にも思わないからです。神のことを思わないことが、それほど悪いことであるという自覚が日本の人々にはないからです。

しかし、他の国の人々を見ていればそれは分かります。

他の国の人は(もちろん共産圏以外のですが)必ず、まず「神に感謝」をしてから、物事を始めるのです。何かよいことがあった時は、必ず「神に感謝」するのです。

他国の人から見れば、神に感謝する(神を一とする)それが当たり前のことだからです。(人はみな神の子です。このような神への態度が当たり前なのです)

しかし、日本の人々で、それをする人はまずいません。それどころか、日本の人の前で「神に感謝」してから何かを始めれば、この人、少しおかしいのではないか?と思われるのです。

よいことがあって、それを「神に感謝」するとバカにされるのです。

日本の多くの人たちが神を認めていないからです。だから『神』というとバカにするのです。(この世のすべてをつくられた神をバカにしているんですから、ずいぶん恐ろしいことを平気でしていると思われないでしょうか?その恐ろしいことをしているという自覚すら日本の人々にはないのです。神の存在をまったく理解していないからです)

神から観たら、これほど不遜な人たちもいないと思うんですが、だから私は「日本の人たちは神に対し傲慢不遜である」といっているのです。

そうして「それは大きな罪である」といっているのです。(大きな罪になると思いませんか。この世のすべて〔もちろん自分たち人間も含めたです〕をつくられた神を認めようとしないのですから。特別、神から観なくても他国の人から見ただけでも、これだけ神に不遜な人たちはいません)

日本の人々は、優秀であればあるほど、神に対して傲慢で不遜な態度を取り続けているのです。神のことは、日本の場合は優秀な人であるほど、よく分かっていないからです。(だから、両親に聞いても、あるいは学校の先生に聞いても、本当の神のことは分からないのです。そのような人ほど神のことをよく勉強していないからです。これは、坊さんや、どこかの教団の教祖に聞いても同じです。そのような人たちで、私ほどの奇跡が起きている人はいないからです。名古屋の異常現象を止めることが出来る人もいないからです)

これほどの現象が現れていて、なおかつ、神のかの字も日本の人々は思おうとしないのです。それが正しいことだと思われますか?

どこをどうとっても、日本の人々は(神に対し)正しい態度をとっていないのです。

その神に対する態度を正さなければいけない時が、すでに来ています。

それでもまだ神を無視されるのですか?

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2月 16 2015

フッと思ったこと

北海道では大荒れの天気となっているようですが、デンマークの首都コペンハーゲンでまたテロがあったそうですね。

あのイスラム教の預言者ムハンマド(マホメット)の風刺画を描いた画家たちが出席していた「表現の自由」の集会場での銃撃事件だそうですが、この前パリでもこのような事件があったばかりです。

表現の自由もほどほどにされないと、このような事件は終わらないでしょう。

いくら表現の自由とはいえ、例えば、自分の親などがおかしな風刺画で描かれ、みなに笑われたらどうでしょう。

それをシャレで済ませることが出来る人も少ないでしょう。その風刺画を描かれた親の子もそうですし、そのような子を持つ親もそうです。決していい気持ちはしないはずです。中には怒り出す人もいるでしょう。

自分の親であってもそうなのです。ましてそれが預言書と称される人物なら、その信者はなおのこと怒るでしょう。(私だって、高橋先生や園頭先生のおかしな風刺画が出たら怒りますからね。即座にそれを描いた人を祈ります)

表現の自由も中道を守らないと不幸になるのです。

このようなテロばかりでなく、世界ではまだまだ戦争をしているところが多いです。(やっとウクライナは停戦が合意されたとのことですが…その停戦もいつまで続くか分からないし)

これから日本も、集団的自衛権や自衛隊の海外派遣などの問題が出てきますが、いつまでも日本だけが平和というわけにもいかないでしょう。

よくテレビや新聞で、日本の自衛隊員は一人として命を落としていない、ということを誇らしげにいわれる人がいますが、確かにそれはよいことです。

しかし、海外では先ほどもいいましたが、多くの国の軍隊の軍人たちがテロや戦争などで命を落としているのです。

日本の軍隊である自衛隊員が(自衛隊は、日本国内がそれを認めていないだけで外国から見たら軍隊ですよね)一人も命を落としていないというなら、それは他国から見たら(日本の軍隊は)いかに危険なことを避けてきているのか、危険なことを他国にばかりに押し付けているのかの証拠ともなります。

この世界中でテロや戦争が頻発している時に、そのようなことを堂々というのは、あまりに他国の人々や、その国の軍隊に対し心無い発言といわざるをえません。

やはり、そういう発言は控えた方がいいのではないでしょうか。先ほどの表現の自由の風刺画同様、あまりに他国に対し、非常識な発言のように思えてならないからです。(こういうところが、日本人は平和ボケしているといわれる所以ではないでしょうか)

他国の軍隊の軍人は命を落とした人がたくさんいるのです。日本人の命も外国人の命も人の命としては同じなのであり、命を落とした人には、みな悲しむ家族友人がいるのです。

それを考えれば「自衛隊員は一人も命を落としていない」などという発言は、どう考えても「日本人さえ死ななければそれでいい」という発言にしか聞こないし、個別的自衛権さえあれば集団的自衛権はいらないという意見も「日本さえよければそれでいい」という発言にしか聞こえないのです。

平和を望む人は多いでしょう。

しかし、本当に平和を望むなら、自分たちさえよければいい、という考えは間違いでしょう。そんな考えでは、結局周りは平和にならないし、周りが平和でなければ、いずれは自分たちの平和もなくなって行くからです。

日本の人々は少し視野が狭すぎるのではないでしょうか。(この法に対してもそうですが)

本当の平和を望むであれば、一人一人がその平和に向かい努力して行かなければいけないと思います。

そのような努力もせず、口でいっているだけでは世の中は平和になりません。

これだけテロなども多発してきているのです。ソロソロ日本の人々も(自分たちのことばかりいっているだけではなく)本気で世界が平和になるよう努力されてはどうでしょうか。(それにはこの法の流布が一番だと思いますが…)

テロのニュースを見ていて、フッとそう思いました。

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