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2月 15 2015

迷信、俗信

一昨日熱田神宮に行ったんですが、その時のことです。

熱田神宮の中にある文化殿の前を通ると、ちょうどその文化殿の中から宮司さんが出てきました。(真っ白な羽織と水色の袴でしたかね。ずいぶん派手な羽織袴でした)

「派手なの着てるな」と思いながら歩いてると、その宮司は私の方を怖い顔で見ながら、私の横を「ザッザッ」とでかい音を立てながら歩いて行きました。

明らかに嫌がらせのパターンです。

それで私もムッとなって「(宮司の)おっちゃん、名古屋を救ってくれよ。ずいぶん病人が出ているみたいだから助けてくれよ」といいながら、その宮司の後を追いました。

そうしたらその宮司は足を速め、私から逃げるように歩いて行きます。

これだけ由緒のある神社の宮司さんでも、この名古屋の現象は止められないようです。

熱田神宮はお札やお守りも売っています。しかし、そんなお札やお守りを持っている人でも、名古屋では救急車で運ばれているようなのです。(それはそうでしょう。お守りは持っているのかいないのか分かりませんが、お札を貼っていない家はまずありません。〔うちの家にも貼ってあります〕そのような家からも救急車で運ばれる人は出ているのです)

ということは、そのようなものはすべて、なんの効果も恩恵もないということになります。

これまでは、お札を家に張れば厄除けになるだの、お守りを持っていれば守られるだのいわれてきましたが、そのような厄除けやお守りは、実は何の効果も効用もなかったということが、名古屋で起きている現象により証明されたのです。

大変な事実が、名古屋で次々に明らかになっていますが(というか、そういうものは、すべて神社や寺が生き残るために始めた商売にすぎないと、私は何度もここに書いていますが)名古屋の人たちはどうするのでしょう。

それでもまだ、そのような迷信、俗信を信じ、本当の神の教えを無視するのですか?

今日も朝からよくサイレンが聞こえてきます。昨日など、私は目の前で救急車に乗せられ運ばれていく人を見ました。(その人は胸を抑え苦しそうでした)

迷信、俗信を信じている人が(そういう人たちは、それが迷信や俗信とは思っていないのでしょうが)次々に病を発症し病院に運ばれているのです。

このような現象が、名古屋で現されている意味を早く知らなければいけないのです。(それは名古屋だけではなく全国の人がですけどね)

もう、これまでの間違った信仰をいつまでも続けていてはいけないのです。本当の神の教えが出現したのです。では、即座にその教えに帰依しなければいけないのです。(それが神の子としての本当の道であるからです)

それをいつまでもしようとしないばかりに、名古屋ではこれほどの恐ろしい現象が現されているのです。

本当の神の教えを勉強している者には、数々の奇跡が現れ、その教えを拒む者には次々に災いが現れています。

私の祈りは天まで動かします。

その私に「神よ、どうぞこの方をお守りください」と祈られたら、その人は本当に神から、天から守られるのではないですか?

お札やお守り、あるいはどのような祈祷よりも、私に祈られた方がよほど効き目があるのではないでしょうか。そのようなお札やお守り、祈祷などでは天は動かないからです。

私の祈りしか、天は動かないからです。

しかし、私のような祈りは何も私一人の専売特許ではありません。このような天を動かす祈りなど誰にでもできるのです。(本来祈りとはそのようなものだからです。天上界の光の天使との会話であるからです。だから光の天使が動くことが、即ち天を動かすことになるのです)

それは、これまでのように間違った信仰を信じ行ずるのか、それとも、この本当の神の教えを信じ行ずるのかの違いなだけなのです。

本当の神の教えを信じ行ずるのであれば、誰でも、私に起きているよう奇跡は起こるのです。

それでもまだ、間違った教えを信じ、正し教えを無視するのですか?

しかし、間違った教えを信じ続ける限り、不幸もまた続くのです。

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2月 14 2015

キリストの心

昨日の北日本では発達した低気圧の影響で、台風並みの強風が吹いて暴風雪になったところがあるようで、神奈川県の厚木市では突風(竜巻)まで発生したようです。

名古屋も小雪がちらついてずいぶん寒かったんですが、何か各地、大荒れの天気になっているようです。

そんな寒い中、私は昨日久しぶりに熱田神宮に行ってきました。

熱田神宮の中には池があったんですね。昨日初めてそのことを知りました。(近くではありますが、あまり熱田神宮には行かないし、行ってもこれまでは本殿を見るか、お参りするかくらいでしたからね)

その池に行くと岸の辺りにすでに鯉が何匹かいました。池に向かい呼びかけていると二~三十匹の鯉が寄ってきたのですが、ずいぶん大きな鯉がたくさんいましたね。

熱田神宮の池にいる鯉は、白鳥庭園にいる鯉より大きいですね。六~七十センチはあるくらいの鯉がゴロゴロいました。

さすがに歴史が違います。熱田神宮の鯉は何か鯉の主のようでした。(笑)

この熱田神宮は、三種の神器の草薙の剣(くさなぎのつるぎ)が祀られた、由緒正しき神社であり、伊勢神宮に次ぐ権威ある神社で、ここに参拝する人はたくさんいます。

しかし、ここで参拝した人も名古屋では救急車で運ばれているのです。

このような状況を考えますと、この熱田神宮はいろいろな祭典や神事、祈祷なども行われていますが、そのご利益はいかほどあるのかと疑問でいっぱいです。

熱田神宮の中には、食べ物屋まであるのですが(少し前までは、あの「ひつまぶし」で有名なあつた蓬莱軒などいくつかの店も熱田神宮の中にありました)このような、あまりご利益がなさそうな神事や祈祷、そうして熱田神宮の中での商売など見ますと、キリストが怒られた意味がよく分かります。

聖書に次のような場面が出てきます。

マルコによる福音書から抜粋します。

<それから一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や鳩を売る者の腰掛をひっくり返された。また境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。そして、人々に教えていわれた。

「こう書いてあるではないか。

『わたしの家は、すべての国の人の

祈りの家と呼ばれるべきである。

ところが、あなたたちは

おれを強盗の巣にしてしまった。』」

祭司長たちはこれを聞いて、イエスをどのように殺そうかと謀った。群集が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。>

ご利益のない神事や祈祷、また商売などを、由緒ある熱田神宮の境内でしていてよいものでしょうか?

やはりあのような場所は、神聖な祈りの場とすべきであり、あまり観光などに重点を置くべきではないのです。(観光の場は観光の場でまたつくればいいのだし)

キリストがなぜ、そのようなことをしていた人たちを怒られたのか?

そのキリストの心を、現代の人たちはもっとよく知らないといけないのです。

(キリストの心を知らないと、各地で起きている異常気象も、名古屋で起きている異常現象も収まらないからです)

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2月 13 2015

なぜ、神を一としないといけないのか

最近の私は外に出て行くと、動画を撮るよりも辻説法に力を入れているんですが、その甲斐があってか(?)だいぶ雰囲気が変わってきましたね。(動画をあんまり撮ってもお金がないから公開できないし…最近芸能人のブログなんか見ると、よく動画を貼り付けてありますが、あれ自分でやってるんでしょうか?前に、ユーチューブのやり方を教えてもらいましたが、全然分かりませんでした。〔やる気がないだけかもしれませんが〕自分でやれれば楽ですけどね)

前よりは嫌がらせも減りましたよね。でかい音たてるところも減ったし、車のブシュブシュもかなり減りました。(怒っている人は怒っていますが)

ソロソロ理解していただけましたかね。悪いのは自分であるということをです。

もう理解した方がいいでしょう。名古屋はこれだけ多くの病人が出ているのです。これだけ神の業が集中して現れるなど、一体いつ以来なのか分からないほどです。(歴史的大事件ですね。これは)

これほどの神の業が現れているのに、それでも神を理解しようとないなど、それではあまりに傲慢でしょう。

もう謙虚になって神に頭を下げられてはどうでしょう。その方がよほど救われるからです。

恐ろしい現象が次々に現れているところもあるようです。そういうところが、そのままのやり方をしていて、それでその現象が収まると思いますか?

どれだけ怒ろうが、無視しようが、その現象は止まりません。神に頭を下げるしか(謙虚に自分が悪かったと反省するしか)その恐ろしい現象を止める手立てはないのです。

最近、私が辻説法でよくいっていますが、私の祈りは天まで動かしますが、そういう祈りが出来る人が他にいるのでしょうか?正しい信仰をしているから、祈りがきかれるのであって、では、これほどの現象が現れている名古屋で、正しい信仰を知ろうとしなくて本当によいのでしょうか。

私が人を次々に病気にさせているというなら、なぜ、そんな恐ろしい者に鳥や魚が集まってくるのでしょう?

この名古屋で起きている恐ろしい現象の原因は(私のせいではなく)他のところにあるのではないでしょうか。

私がなぜ、神を一としなければいけない、神をもっと思わなければいけない、というのかお分かりでしょうか?

私たち人間を考えてもらうだけでも、神の偉大さ有難さはよく分かるのです。

例えば、私たち人間は心臓を自分で勝手に動かしたり、止めたりすることはできません。心臓は私たちの意志に関わらず動いています。心臓が止まれば死ぬのです。では、この心臓が動いているのは誰のお蔭ですか?

人間の体には多くの血液が流れていますが、その血液が流れる血管のどれか一つでも詰まれば、それで人は死んでしまいます。この体のどれだけ細い血管まで詰まらず、血液がスムーズに流れているのは誰のお蔭でしょう。

そのような体の中のことだけではなく、人間の顔も性格も、もっといえば、その出す声までもすべて違うようにつくられているのは誰のお蔭ですか?

人間は、母親のお腹の中で十月十日すると生まれてきますが、このような仕組みをつくられたのは誰なのですか?

生まれてくることばかりではありません。死ぬということでもそうでしょう。人間に死ぬということがなければ、もし、ある人が不幸な環境に生まれたら、その人は永遠に不幸な環境から抜け出せないかもしれないのです。

では、その人は永遠に不幸ということになってしまいますが、死があるなら時がたてば、その不幸な環境から抜け出すことが出来ます。

その生と死ということをつくってくれたのは誰なのでしょうか?

そのような人間の体のことだけではなく、空気や水、太陽の光さえ、私たちがつくったわけではないのであって、すべて与えられているものなのです。

もっというなら、この地球から大宇宙に至るまで、私たちは何一つ自分でつくった物などないのです。

すべて与えられているものなのです。

そのようなすべてのものを与えてくれたのは一体誰なのでしょうか?

それはすべて神なのです。

人間のことだけではなく、この世のすべて人間に必要なものを、現在においてもです。与え続けてくださっているのが神なのであり、だから私は、神を一としなければいけない、常に神を思わなければいけないといっているのです。

これは少し深く考えるなら分かることでしょう。先ほど書いたことを考えてみてください。

心臓が定期的に動いているのも奇跡なら、人間の体に流れる血液や血管も奇跡です。(人の血管の長さは地球二周半ほどもあり、その地球二周半もの長さがある体中の血管を血液はわずか一分で一巡りし、その間に酸素や栄養、水分などを各細胞に運び、二酸化炭素や老廃物を尿などから排出させるのです。しかも血管の太さは、細い毛細血管など0.0008ミリしかないといわれています。こんな極細の血管まで詰まらずスムーズに血液が流れているのです。よく考えてみれば、人間の体の中は奇跡の連続なのです)

人間の顔や性格、その声までも、この地球上には七十億もの人々が暮らしていますが、このどれ一つとっても同じ人間はいないのです。これは過去をさかのぼっても同じです。(昔の人の写真など見てもらえば分かりますが)一人として同じ顔をした人はいないのです。(性格や声までははっきり分かりませんが)

もうどれだけ多くの人が、この地球上に現れたか分かりませんが、その誰一人として同じ顔の人はいないのです。(双子でもどこか顔は違っています)これも奇跡といわずして何というのでしょうか。

人が十月十日して生まれてくるのも奇跡なら、人が死ぬのも奇跡なのです。(永遠の生命があればいいという人もありますが、先ほども書きましたが、この世で永遠の生命などあれば、不幸な環境に生まれて、そこから抜け出す術がない人は、永遠に不幸な環境に置かれたままということになります。神が人間の死もつくられたから、どれだけひどい環境に置かれても抜け出すことが出来るのです。そうであるなら、生に感謝するだけではなく死にも感謝しないといけないのです)

空気や水、太陽の光など、人間に必要なものが全部整えられているということも奇跡でしょう。

この地球も、大宇宙の星々も、それだけ無限の星々があること自体すでに奇跡なのです。

このような奇跡を次々に現されているのが神なのであり、だから私は神を一としないといけない、神をもっと思わなければいけないというのです。

神をどれだけ一にしても、神をどれだけ思っても、それでもまだ私たちは、神に対する感謝が足りないからです。現在においても神が我々人間に対し、どれだけの慈悲と愛を与えてくださっているのか、理解出来ないからです。

だから、私はくどいくらい神のことをいうのです。

神のことは、私がどれだけここに書いても書ききれないのです。それだけ無限の愛を(私たち人間だけでなく)すべてのものに神は与えてくださっているからです。

私たちが神のことを知っているなど、ほんの一部のことなのです。

その神の心を少しも理解しようとしないのです。

この法(神の心)を理解しようとしない人の罪を、少しはお分かりいただけるでしょうか。

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2月 12 2015

菩薩界から出てきた人々

高橋先生の予言を昨日少し書きましたが、高橋先生は次のような予言も遺されています。

「今から約一万年前、海中に没したアトランティス大陸の文明を築いた霊魂たちが、地上に出生してくる。その若者たちが現在の科学文明を引き継いで、より以上に発展させ世の中を指導するようになって行く」

高橋先生がいわれていましたが、アトランティスの文明は大変高度なもので(アトランティス大陸にあった文明が、高度であったということは、特別高橋先生だけがいわれているわけではありませんが)あの一夜にして海中に没する時に、アトランティスにあった飛行機や宇宙船で(とにかく空を飛べる乗り物でです。当時のアトランティスには、そのような乗り物があったそうです)多くのアトランティスの人々が逃げたそうです。

そのアトランティスから逃げた人々の多くが、エジプトに行き、後のエジプト文明を築いたといわれていました。(もしかしたらピラミッドやスフィンクスは、アトランティスの人々が築いたのかもしれません。高橋先生はそこまでいわれていませんが。〔笑〕)

その高度な文明を築いた霊魂たちが、たくさんこの世に生まれてきて、世の中を指導するようになって行くと、より以上に世の中は発展すると高橋先生はいわれるのですが、この予言が、次の高橋先生のご著書に書かれた言葉となっていくのです。

「人間・釈迦」③より抜粋します。

<人の魂についても、年齢や知識、経験はひとまず脇に置いてみても、理性や知性が発達した人とそうでない人が見受けられよう。これは、魂の転生の過程が異なるためである。いうなれば地上経験の浅い人、深い人ということにもなるであろう。

経済問題や社会問題を通して、社会が調和される、あるいは不調和に陥るということは、右に見た関係と切り離しては考えられないのである。

人口が増え、政治的、経済的、あるいは宗教的紛争の種になってくるものも、こうした人の魂の所在に遠因があるのであり、正法と末法が時計の振子のように絶えず揺れ動くという歴史的事実もこうしたところに因果関係がみられるといえよう。

しかし、やがて人口増加が頭打ちとなる時がやってこよう。それはそう遠い将来のことではない。近い将来とは人類の長い歴史から見た場合の時間的距離のことであるが、そうした時代に至ると地球上の魂のレベルが総体的に上がり、いわゆるボサツ界という世界が新生するわけである。このことはすでに実在界で計画され、未来図が描かれ、現象界はそれに従って進められている。

ボサツ界とはボサツ心を得た者が社会のそれぞれのポストに就き、人々を調和に導いていく世界である。

ブッダが生まれた二千五百余年前、イエスが愛を伝えた二千年前、そうして今日、正法が伝えられているが、こうした正法の伝道はやがて到来するであろう地上の仏国土をめざした、いわば杭打ちであり、今の世の人たちは来たるべき地上のボサツ界の先兵として、その役を負わされているといえよう>

高橋先生がこの「人間・釈迦」を書かれたのは、昭和五十年頃ですが、先のアトランティスの霊魂たちというのが、いわゆる菩薩界の人たちであり、人口増加が頭打ちになる頃に、菩薩界の人たちがたくさん生まれて来て、それぞれのポストに就いて人々を調和に導いて行くといわれるのです。

これは主に日本に向かっていわれた言葉であり、現在の日本は人口の増加が頭打ちとなっています。(この高橋先生が「人間・釈迦」を書かれた昭和五十年頃は〔一億一千万人くらいの人口で〕日本の人口はまだ増加傾向にありました)

ということは、ソロソロそのような菩薩界から生まれてきた人が、たくさん出て来る頃であり、そのような菩薩界から出てきた人たちは、小さな頃からどこか優秀な部分があり(天才的な部分があり)心も穏やかな人が多いということです。

この高橋先生の言葉を知るなら、最近の日本は、若い人で天才的な部分を持った人がたくさん出てきていますが(特にスポーツ界など見ているとよく分かりますが)その理由もよく分かりますし、最近の若者は草食系が多いなどといわれますが、そのような若者が多くなったというのもうなずける話でしょう。

やはり心の高い人がたくさん生まれて来ているからです。

心の高い人は、あまり極端な行動を取りません。(取る人もいますが、少ないです)昔のように、仕事をバリバリやって遊びも派手にするなどという人が減ったのも、そのような理由からでしょう。(それは中道ではないからです)

あまりやる気がなさそうですが、仕事もほどほどなら遊びもほどほど、家でもゆっくりするというのは別に悪いことではありません。これまでのようになんでもかんでも競争、競争というのはあまりに極端で、これからは、そのような極端な考えより、一人一人の能力をどのように引き出すことが出来るのか、それを考えた方がよいのです。

これからの若者は、わりと特異な能力に優れている人が増えてくるからです。(ただ、甘やかすのはいけません。そうなると、その特異の能力も引き出すことが出来ないからです)

現在の日本を見るなら、高橋先生がいわれました「ボサツ心を得た者」が増えてきたように思います。

そうであるなら、よけいにこの法を早く拡げないといけないと思います。そのような若者が法を知るのであれば、一変でこの法が本物であると見抜くことが出来るからです。(心の高い人はみな法に縁がある人ばかりだからです)

菩薩は法を知らないと悟ることが出来ません。菩薩は法を知り、そうして自分で悟って自ら名乗り出ることになっています。

そのような自覚のある人たちがたくさん出てきた時、世の文化文明は飛躍的に進歩することになります。

その飛躍的な進歩(物心両面でです)こそ、真の世界平和の実現の第一歩となるのです。

いつまで自分のことばかりやりボサーとしている人が多いのでしょう。法を知りながら、いつまでもボサーとしているようでは、菩薩の使命など果たせるわけがないのです。

菩薩の使命は、自分が菩薩であると自覚し、法を行じないと果たすことが出来ません。自ら法を知って実践する、それをすることが出来なければ、菩薩としての使命を果たすことは出来ないのです。

そのような菩薩の使命を持った人たちがたくさんいます。そのような人たちは一体いつ動かれるのでしょうか?

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2月 11 2015

世界政府とこれからの予言

昨日は白鳥公園に行ったのですが、カモメが何十羽もいました。

昨日は(雪が降ってきそうでしたので)ビデオを持って行きませんでした。そうしたら(飛んで来たりして)すぐ近くまでたくさんのカモメが寄って来ました。

やはりビデオなど持っているとカモメも多少警戒するようで、手ぶらで公園にいると、ずいぶん近くまでカモメが寄ってくるんだなと改め思いました。(ということは、他の誰かに動画を撮ってもらえば、もっといい場面が撮れるかもしれません)

ついでに白鳥庭園も行ったんですが、白鳥庭園の中の池にもカモメが十数羽いて、そのカモメがまた面白かったですね。その中の一羽が近くまで来て、私の前にたくさん集まってきた鯉を見てギョッとしていたのです。

「お前らも同じことするだろう」と突っ込みたくなりました。(笑)

同じ名古屋にあっても、私の回りはほのぼのとした時間が流れています。他の人とはずいぶん違っているようです。

昨日キリストのことを書きましたので、もう少しキリストのことを書いておきましょう。

高橋先生は次のような予言を遺されています

「あと百八十年するとキリストがアメリカのシカゴに生まれます。その時初めて世界(地球)政府ができます」

「しかし、世界政府が出来る前に人類はいろいろなことを経験しなければいけません。世界政府が出来たからといって、それで完全に世界が平和になるわけではありません」

「七百八十年後、エジプトのナイル流域は緑ゆたかな沃地(よくち)となり、宇宙基地がつくられ他の天体に行けるようになります」

「百八十年後にキリストによって世界政府がつくられ、七百八十年後に真の世界平和が実現しますが、その時は人種、宗教の差別はなくなり、国境もなくなってどこへでも自由に行けるようになります」

私は、この高橋先生の予言を園頭先生からお聞きしたのですが、園頭先生はご著書や正法誌にこのことを書かれていますが、キリストが出世されるのが「アメリカのシカゴ」と書いてあったり「カナダ」と書いてあったりするのですが、これはキリストが出世される場所がまだはっきり決まっていないからでしょう。(光の大指導霊は出来るだけ霊域のいい場所に出世されますから。あまりに霊域の悪い場所に生まれられますと、自分の大事な使命が、その霊域の悪さに邪魔されて果たせなくなるおそれがあるからです)

しかし、五大湖周辺のどこかに(霊域のよいところに)キリストは確実に出世されるということです。(私は昨日、百五十年後と書きましたが、それは高橋先生が予言されたのが三十年ほど前でしたので、その三十年を引いてそう書いたのですが、今年は2015年です。高橋先生はこの予言を昭和五十年〔1975年〕前後にされましたので、よく考えてみれば、もう予言から四十年がたっています。ということはキリストがアメリカ〔またはカナダ〕に出世されるまであと百四十年ということになります)

昨日キリストの前世のことを少し書きましたが、キリストは、アモンとしてエジプトに生まれ法を説かれたもっと前に(約七千年前と教えられました)同じエジプトにアガシャという名で生まれられ、そのエジプトにあった小さな部落の宗教的指導者であったそうです。

この当時のエジプトは(エジプトと書いていますが、この当時はエジプトとはいわなかったでしょうし、その範囲も、どのくらいの範囲なのかはっきり分かりませんが、ナイル渓谷〔けいこく〕からデルタ地帯の、だいたいエジプトの辺りということです)多くの国に分かれ、政治的ならびに宗教上の相違のため絶えず紛糾状態が続いていて、群小独立国の間には絶え間なく戦争が行われていたそうです。(今のイスラム国問題などある中東と同じような状況であったようです)

そこでアガシャは、この絶えざる闘争の無意味さと愚かさをよく知り、当時の一種のエジプト国際連合を形成する音頭を取って、ついにエジプトに三十七もあった形式的独立国を統合し、唯一の連邦政府を樹立させたそうです。

この時アガシャは、やはり天上の世界より様々な霊言を受け、そうしてたくさんの奇跡を現して(多分この時も、キリスト同様の癒しをたくさん現されたと思うんですが)一切の武力を使わずに、この連邦政府をつくりあげ神権政治を行われたのです。

このような経験が、今度キリストがアメリカに生まれて、初の世界政府をつくる時に生きてくるのであり、七千年前と同じ奇跡が、百四十年後に今度は世界的に起きるということです。

このようなことを知るのであれば、出来るだけ早く、いま世界で起きている戦争をやめさせなければいけないのだし、何もこの世界政府はキリストの出世を待つまでもありません。

そういうことを(高橋先生や園頭先生に知らせていただいたのですから)キリストがされるというなら、その前に世界政府をつくればいいのだし、世界政府さえできれば、あとは真の世界平和を実現し、七百八十年後につくられる宇宙基地を、今度キリストがアメリカに出世された時につくってもらえればいいのだし、この高橋先生がいわれた予言を遅らせることはいけませんが、早くやる分にはいくら早くても問題ないのですから、そのような計画がすでに天上界でなされているのなら、それに向かって進めばいいのです。

このような広大な(七百八十年後までの)計画がすでに出来上がっています。

もたもたしている場合ではないのではないでしょうか。

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