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2月 03 2015

知識と体験の差

昨日のことですが、最近よくコメントをくれる飯田さんからメールをもらいました。

飯田さんが、飯田さんのお母様にもこのブログを読むよう勧められたそうなのですが、そのお母様がブログを読んでの意見として、難しくてよく分からない、一般の人にほど遠くて誰も理解できない、人によってはなげきか悪口にしか聞こえない、ということをいわれたそうです。

これ面白いなと思ったんですが、実は、元正法会の方からも、私のブログを読んだ感想をメールでもらい、同じようなことをいわれたことがあるのです。(ブログが暗いとか、悪口を書いているのではないかとかです)

どうも途中から読まれた方たちは、私のブログを読むと同じようなことを思うのだな、と改めて思いました。

結局その理由としましては、そのブログを書いた時の状況が分からない、現象が理解できない、自分でそのような体験をしていないので名古屋の状況がよく分からない、ということが考えられますが、この方たちは法を知っている方たちなのです。

しかし、法を知っているにもかかわらず、このブログが理解できないというのですから、いかにそのような体験が大事であるのか分かると思います。

いっていることがお分かりですか?つまり、そのような現象が次々に現れるという体験を知らないと、いくら法を知っていても、このブログをよく理解できないということです。

この名古屋の人たちはもちろんですが、このブログを何年も前からずっと読んでいる人たちは、その時に起きたこと、そうして私が、このままではこういうことが起こります、と書いて、それが本当に起きたことなどみな知っているのです。

ということは、法と現象をじかに体験したということであり、これはただ知識として法を知るだけの人たちより、何倍も何十倍も法の理解が深まるのです。(知識と体験を同時に得られたのですから、当然そうなります)

分かりやすくいうなら、運転免許を取って、実際の運転を全くせずに運転技術が高まる本ばかり読んでいる人と、そういう勉強はあまりしないが、車の運転はよくする人との違いでしょう。

ではどちらが車の運転技術が上がるのかといえば、それは運転技術の勉強はあまりしていなくても、実際の運転をよくしている人の方が運転技術は上がります。

その差が出ているということです。

つまり、このブログを途中から読んだ人たちは(例え法を知っている人たちでもです)ここに書いたことを理解しようとしても、そう簡単に理解出来ることではないのです。

それだけこのブログには、普通では体験できない貴重なことが書かれてあるのであり、このブログを読んでいるのと同時に、ここに書いたことを体験している人たちは、これまでにないほどの心の勉強をしているということです。

法を知っている人たちでも、このブログが難しいといわれるのです。

しかし、このブログはこの辺りでは小学生でも読んでいます。そんな小学生でも読めるブログが大人に難しいはずがなく、このブログの内容が一般の人にはほど遠くて誰も理解できないといわれますが、その小学生たちはみな一般の人たちなのです。

しかし、このブログを理解しています。(自分たちに都合が悪いことを書かれると怒っていますけどね。〔苦笑〕)

法を知っている人たちが理解出来ないことを理解している、これ、どれだけ心が進んだかお分かりでしょうか?

法を知っている人たちなら、たいていの現象は分かりますし(何せ高橋先生や園頭先生が起こされた奇跡をよく知っていますから)その現象に付随して書かれてあることもよく理解出来るはずです。

しかし、ここに書かれたことは理解できない、理解出来ないはずです。その高橋先生や園頭先生が起こされなかった奇跡がここには書かれてあり(地震や台風、大雨や大雪など)高橋先生や園頭先生が起こされなかった奇跡など、いくら法を勉強している人たちでも理解出来るわけがないからです。

そういうことは自分が体験しないと、信じられないからです。(おまけにタイの大洪水を引いたのは私とも書いています。いくら法を知っている人たちでもこんなこと書いたら引きます〔笑〕)

しかし、それをこのブログを前から読んでいる人たちは理解出来るのです。

それは、このブログの流れと、それと同時に起きる現象を自分たちは体験しているから、ここに書いたことが理解出来るのであり、法をいくら勉強していても、体験も同時に知らないと心の勉強にはならないのです。(高橋先生や園頭先生はそんなことをされなかった、だからそんなことが出来るはずがない、そういう体験をしないと〔目の前でそのような現象を見ないと〕そのような奇跡は信じられないということです。信じなければ心の勉強にはなりませんが、体験しないと信じられないのですから体験が必要なのです。どうしても高橋先生と園頭先生がされなかったということが限界になるからです。しかし高橋先生や園頭先生は、そういう現象を現さなかっただけで出来られたのです。そこが体験しないと分からないところなのです)

だから、たとえ法の勉強をしている人であろうと、このブログを途中から読んで、ここに書かれた現象が理解出来ないのですから、それではこのブログの内容は理解出来ないのであり、このブログの内容が理解出来なければ、当然ではありますが、悪口のような書き方をしているところ、これではダメだというような書き方をしているところばかりが目について、だから悪口やなげいてばかりいる、というような感想を持つのです。

しかし、そのような人たちは(残念ではありますが)法を知識として知っているだけで体験を知らないから、そのような感想を持つのであり、法を大して知らなくても次々に現象を体験するのであれば、そのような人たちは法を勉強している人たち以上に法を知ることになるのです。

現に、この辺りでは小学生でもこのブログを理解しているのであり、そうであるなら、その小学生たちは、法を勉強している人たちでも理解できないほどの体験を、自ら積んでいるということになります。

このブログが、そうして私と縁があったことがどれだけ心の修行になっているのか、お分かりいただけるのではないでしょうか。

法を長年勉強している人たちでも理解できないことを、自分たちは理解している。(名古屋の場合、毎日が命懸けですからね。こういう状況になれば小学生でも私のいうことを理解します)

このようなことを知るのであれば、こういう体験を一概に悪いというのもどうかと思います。

このブログを読んでいる人たちは、法をよく知らない人がほとんどです。しかし、すでに、法を知っている人たち以上に法を理解し、自らその現象の体験までしているということです。(どれだけ自分たちの心が高くなっているかお分かりですか?これまでの輪廻転生した人生の何回分かの〔何十回分かもしれませんが〕心の勉強をすでに、ここ数年でしてしまったということです。心の勉強をしている人たちが、理解できないほどのことを理解しているのですから)

このブログを知っている人、私のことを知っている人は、わずか数年で、すさまじいまでの心の勉強をしているのです。(無理やりの部分がありますが〔笑〕)

これは、このような法を知っている人の意見を知れば分かります。(こういう現象が分からないのですから、すでに前から法を知っている人たちの方が遅れているのです)

このブログを前から読んでいる人たちは、これだけの法の勉強(心の勉強)をされているのです。少しばかりの感謝はされてはいかがでしょうか。

追伸…今回のブログは、決して飯田さんのお母様をけなすつもりで書いたわけではありません。

ただ、法の勉強だけしていても体験がないと、なかなか理解もしていただけないと思い、それで書きました。

法をしっかり勉強されるなら、現象(奇跡)は必ず現れます。飯田さんのお母様にもその奇跡をぜひ体験していただきたいと思います。

名古屋は今もサイレンが聞こえています。それだけ恐ろしい現象を神から現されているのです。こちらも命懸けです。

その命懸けの修行を名古屋の人たちは皆しているのです。だから、そのような気持ちだけは分かっていただきたいと思います。

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2月 02 2015

不思議な町、名古屋

またサイレンが聞こえてきています。(しかもブログを書く直前にです)

明るいことを書こうにも、こうもサイレンが聞こえてきては明るいことなど書きようがないですね。(何か、この問題を書けといわれているようですし)

まったくなんて町だと思いますが、その一方では鳥たちが元気よく鳴いています。(動画など見てもらえれば分かりますが)私が歩いていると、よくすずめやムクドリなどが騒いでいます。(ちょっとうるさいくらいですが。〔笑〕それに魚たちも元気がいいでしょう。どれだけ跳ねるんだというくらい跳ねますから。〔笑〕)

異常なサイレンと異常に元気のいい動物たち、この名古屋はよその町に比べ、善いことと悪いことが極端に別れて起きているように思えます。

ということは、良いことばかりが起きるようになれば、どこよりも良い町になると思いますが(というか、不思議な町とでもいえばいいんでしょうか、鳥や魚たちが大喜びしているんですから)そこら辺は残念ですね。名古屋の人たちの心がなかなか変わらないからです。

このサイレンはともかく、名古屋に行くと鳥や魚たちが元気で人の近くまで喜んで寄ってくる、こういう噂があちこちでされるようになれば、多くの人がこの名古屋に来ないでしょうか?

それこそ、そのような噂が外国に伝われば、外国の人たちもたくさん名古屋にやってくるでしょう。(そんな町、世界のどこを探してもないですからね)

名古屋が発展するチャンスは、何もリニアばかりではありません。いま私に起きている現象が多くの人に起きれば、人はいくらでもこの名古屋の地にやってくるのです。

ピンチはチャンスとよくいわれます。では、名古屋にとって、今くらいのチャンスはないのではないでしょうか、これくらいのピンチもそうはないからです。(昨日のブログではありませんが、何せ名古屋の人たち、下手したら今日にでも死ぬかもしれないからです。この聞こえてくるサイレンが恐ろしい病ならその可能性は十分あります)

これだけの神の業が現れている町は他にありません。(善いことも悪いことも両方です)そうであるなら名古屋の人たちは、神と真摯に向き合い、これまでのことを反省されてはいかがですか?

そうすれば救われるからです。この恐ろしいサイレンもなくなるからです。

そればかりではありません。反省されるなら、神の協力が得られるようになります。そうすれば当然、奇跡も起きてきます。

そのような人が増えるなら、名古屋は大きく発展することになるのです。

くだらない意地など張っている場合でしょうか。それどころか現在の名古屋は、このまま地獄に行くか、それとも天国に行くことになるのかの岐路に立っているのです。

そのような状況となっているから、よその地域では起きていない、善いことも悪いことも含めた、これほどの現象が起きているのです。

先ほど書きましたが、善いことを発展させれば、これから名古屋は富み栄え歴史に名を遺すことになります。(それはそうです。他の地域では起きていない、善いことが起きるのですから)

しかし、悪いことを発展させるなら、名古屋は滅びるしかないのです。(それもそうです。このサイレンがドンドン増えれば、すべての人が病院行きになるからです。その病院の医師や看護師たちも病気になります)

私を、このサイレンの犯人に仕立て上げていて本当によいのですか?このサイレンが止まらなければ、最後には名古屋のすべての人が病院に運ばれるのです。

私を犯人に仕立て上げたら、では、誰がこのサイレンを止めるのですか?

この名古屋を救える、唯一の人を鳥や魚たちが教えているのではないでしょうか。

どちらにしても、名古屋はこの先、極端によくなるのか、それとも極端に悪くなるのかのどちらかしかないのであって、このままで行くことはもうないのです。

何度もいいますが、そのような時代となったからです。(その名古屋の状況が、これほど大きく変わることになったきっかけは、あのバスやトラックのブシュブシュでしたけどね。あんな嫌がらせを私に始めなければ、これほど一変に極端な現象など現れなかったんでしょうが、すべての始まりはあのブシュブシュからでした)

もう、時代が変わる(それは多くの人々の心が変わる)そのような時が来たのです。

そうであるなら、その時代に合わせた心と行いをしないといけないのであり、それには私のようにするか、もしくは、まったく心と行いを変えようとしない、皆さん方のようにするかで、大きく起きてくることも変わってくるということです。(それは見た通りです。私のようにすれば、鳥や魚たちが喜んで寄って来る天上界で起きているようなことが起き、心を変えようとしない皆さん方には、次々に恐ろしい病となる、地獄界で起きているようなことが起きるということです)

私は口だけではありません。身をもって示しているのです。

どちらを選ぶのかは自由です。しかし、もし間違った道を歩み続けるのであれば、その先は地獄しか待っていないのです。

何度もいいますが、名古屋を救える人、そうして天上界への行き方、それを鳥や魚たちが教えているのではないでしょうか。

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2月 01 2015

神の業の恐ろしさ

イスラム国が日本人の人質を殺害したそうですね。(こういうことが起きたのです。イスラム国と人質にされて亡くなった方々を祈っておきました)

このイスラム国のような神の名を語る悪魔の軍団の行う(テロなどの)悪魔の所業が、これからはより一層活発化するでしょう。(悪魔たちは正法の世となり、これからは神の業が次々に世に現れだすことを知っているからです。その神の業に逆らうため、悪魔たちも悪の業を世に次々に現すのです)

法の流布を急がねばなりませんね。そうしないと(心に法灯がない人には)次々に悪の業が現れることになるからです。(テロの犠牲者などが増えるということです)

その悪の業を食い止めることが出来るのは神の業しかないからです。つまりこの法を拡げるしかないということです。

昨日、私は堀川に行ったんですが、するとカモメたちが戻ってきていました。(数十羽はいたでしょうか)

「お前らどこに行ってたんだ」とかいいながら、ビデオを撮っていたんですが、しばらくカモメたちを撮ってから「またな」といって、今度は別の鳥を撮りに行きました。

そうして歩いていたら、頭上にカモメがたくさん現れたのです。どうもさっきのカモメたちが私の後を追ってきたようでした。

それで回りがカモメだらけになったのですが、そのような光景を見ていた人で「ゴホ、ゴホ、ゴホ」と大きな咳をして、明らかに怒っている人がいるんですから呆れました。

そのカモメがうっとおしいのか、それとも、カモメがたくさんついてきた私をひがんでいるのか知りませんが、どちらにしても愛がない証拠でしょう。

カモメがたくさん飛んできたのなら、そんな光景をすぐ近くでそうは見られないのですから「かわいらしいな」と愛を持って見物すればいいのだし「なんであいつばかり」とひがむ暇があるなら、自分もカモメが寄って来るような心になればいいのです。

現に、そういうことが起きている者がいるんですから、自分にも起こるだろうと、では、どうしたらこういうことが起きるのだろうと、自分で考え、そのようなことが起きるようになるまで努力すればいいのです。

自分では分からないということであれば、私に聞きに来ればいいのです。「どうしたら鳥が寄ってくるようになるのですか」とです。

そういうことを一切しようとせず、ただひがんで怒っているだけなど愚の骨頂なのではないでしょうか。

そういう人が多いから、名古屋はこのような恐ろしい現象を現されるのです。

昨日もサイレンがよくしていました。撮った動画のいくつかに必ずサイレンが入っているのです。

のどかな鳥たちの動画の中に、救急車のサイレンが入っているなど明らかに異常でしょう。そういう異常な世界が現在の名古屋なのです。

よく考えてみてください。もし、このサイレンで運ばれて行く人たちが、それこそ心筋こうそくとか、くも膜下出血の人ばかりだったらどうなるでしょう。

そんな病気が発症したら死ぬ確率の方が高いのです。おまけにこのような病気は、その病気が発症するまではみな健康に普通に暮らしているのです。それが発症したとたん死の病となるのです。

このような心筋こうそくやくも膜下出血などは、先ほどまでは健康であった人が、五分先には死ぬかも知れないという恐ろしい病気なのです。

このような病気が次々に名古屋に現れているとしたら、名古屋はパニックになります。

つまり名古屋は、もういつパニックになってもおかしくないほどの状況になっているのです。

ただ、多くの人が、そのサイレンをあまり意識していないからパニックになっていないだけで、もし、その救急車で運ばれていく人たちの病気を皆が知っているのなら、すでにパニックになっていたかもしれないのです。

恐ろしい病気になる人が多いかも知れないからです。

私が何をいいたいのか?

私がいいたいことはただ一つです。

「神の業をあまりなめない方がいい」ということです。

なめていませんか?多くの人が神の業をです。なめていないのなら、この状況をもっと真剣に考えるのではないでしょうか。

とても、この現象をたった一人の者のせいにして、怒っているだけなどという態度はとらないのではないでしょうか。明日自分が死ぬかも知れないからです。(神の業をなめていなければ、心筋こうそくやくも膜下出血が、あの運ばれている人に多いかもしれない、そうであるなら自分がいつ突然死してもおかしくはない、当然そういう予想はできるはずです)

自分が明日死ぬかもしれないと分かったら、人はどうするのでしょう。

それでも普通の生活を続けますか?人を恨み、ねたみして、人の悪口をいい続け、人に嫌がらせを続けるのでしょうか?(そういう人は完全に地獄往きですが)

そういう人もあまりいないでしょう。そういう人より、やはり神に頼る人の方が多いのではないでしょうか。なんとかお助けくださいとです。そうして自分に悪いところがあれば直しますと、だからお救いくださいと祈る人が多いのではないでしょうか。

少なくとも、とても普通の生活は出来ないでしょう。自分の身が気がかりでです。

しかし、そのような神に祈り反省する人など、ゼロではないかもしれませんが少ないでしょうね。怒っている人の方がはるかに多いはずです。

これこそ神の業をなめている証拠なのではないでしょうか。

神の業をなめているから、明日自分が死ぬかもしれないとも思わないのだし、心を入れ替えようともしない、平気で自分たちの生活を続けて、悪いことを全部私のせいにして「あいつがすべて悪い」と怒っているだけ。

これだけの現象を現されているにもかかわらず、このような態度は、明らかに神をなめているとしか思えないのです。(完全に神さえもなめています)

しかし、本当に大丈夫なのですか?そのような態度を続けていてです。

もしかするとあのサイレンは、恐ろしい病気で運ばれている人が多いかもしれないのです。(しかも年齢問わずです)

そんな恐ろしい病気で運ばれている人が多いのであれば、現在の名古屋の人は、もういつ死んでもおかしくはない、そのような人たちばかりであるということになります。

神の業が毎日何度も何度も現れているのに、それを平気で無視できるほど、神の業とは甘いものではありません。もっともっと恐ろしいものであるのです。

その神の業の恐ろしさを多くの人は知らないだけなのです。(あまりに神に無知であるからです。神をなめるなど、どれだけ恐ろしいことをしているのでしょう)

本当にこの教えを無視していてよろしいのですか?

これだけ多くの鳥が集まってくる教えなど、世界のどこを探してもないのです。

はっきりいって名古屋の人たちは、もう明日にでも死ぬかもしれないのです。(神の業とはそれほど恐ろしいものです。その神の業が毎日、しかも何度も現れているのです。それくらいの覚悟はしておいた方がいいでしょう)

明日死ぬかもしれないと分かったら、人は何をするのでしょう。

いま、真っ先にしなければいけないことは、本当の神の教えに帰依することなのです。(それ以外、救われる方法がないからです)

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1月 31 2015

布施することの大事さ

昨日は前の会社が工事をしていて(じゃばらか何かつくったみたいです)その音がうるさかったのでブログを書くのをやめました。(気が散りますので。あんまり気が散ると天からの通信をちゃんと受けられませんから)

それで時間が空いたので高橋先生の本を読んでいたのですが、そうしたら、ちょっと参考になるようなことが書かれてありましたので、その部分を抜粋してみます。

「原説般若心経」より抜粋します。

<___太陽は、惜しみなく暖かい光をウルベェラの森に降りそそいでいる。すべての万象万物に、慈愛の光を平等に与えている。この慈愛の熱、光が万象万物を存在させているのだ。雨は、植物を育て実らせ、大地を洗う。風は花粉や種子を運び、空を清めている。狂いのない、大自然の摂理である___。

シッタルダーは、生きている大自然に感謝することが大切だ、と気がつきます。

___しかし、この大慈悲に感謝するだけで良いのだろうか。植物も、ある者は自らの命を動物達に供養している。万物が相互関係を維持して、大自然が存在しているのだ___。

シッタルダーは、報恩という行為があってこそ、感謝の意味が価値づけられるのだ、ということが解ってきたのでした。

___報いてやることだ。報恩をすること、布施をすること、ということを___。

大自然の中に生きている自分の行為を、人類社会に奉仕すること、その行動力こそ人間一人一人にとって最も必要なことである、と悟ったのでした。>

この場面は、釈尊(シッタルダー)が悟られる少し前のところを書いていられるのですが、このような感謝に対する報恩の行為というものも気づかれ、そうして釈尊は大悟されるのです。

もちろん、感謝や報恩というのは大悟するための一つの悟りでしかありませんが、そのような一つ一つの小さな悟りが重なって、最後に大悟が出来るのです。

ですから、報恩の行為というものを抜きにして、大悟することは出来ないということです。

高橋先生は「魂の前進向上は、布施という慈悲の菩薩行を通してはっきり約束されよう」ともいわれています。

自分たちのところばかりよくするのではなく、そういう金があるなら、少しばかりこちらに布施してくれてもよいのではないでしょうか。あなたたちは毎日、私からいろいろなことを教えてもらっているのですから。(毎日このブログを読んでいるということは、そういうことになりますよね)

しかし、布施は何も自分の魂の前進向上のためだけにするわけではありません。

これほどの異常現象があちこちで起きているのです。(名古屋は相変わらずサイレンがよく聞こえますし、北日本などまた大荒れの天気になるようですね)あまりに神に感謝が足りないと、このような異常現象が起こります。

そのような異常現象を鎮める意味でも、布施の行為(反省の行為)は非常によいと思います。

とにかく皆さん神に対する感謝があまりに足りません。このような場(大自然)を与えられているだけでも感謝しないといけないのです。

もう少し神を思われ、少しくらいの報恩の行為はされたらどうでしょうか。

追伸…東大の名誉教授で、憲法学者でもある奥平康弘氏が急性心筋こうそくで亡くなられました。

この方、安倍政権の憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に反対し(「内閣の解釈で九条をないがしろにしてはならない」など積極的な発言をされ)「九条の会」などつくられた方ですが、そのような方が急逝されたのです。

私はこれから、くも膜下出血とか、心筋こうそくとか、即、命に関わる病気になる人が増えるのではないか、ということをこのブログに書きましたが、やはりこういう病気が増えてきそうですね。

結局もう正法の世となり、あまりに間違ったことをいう人(やる人)など、即あの世に引き上げる、ということを天が行うようになるからです。

この奥平氏は地位も名誉もあり、そのような方が積極的に間違ったことを発言されれば、多くの人に悪影響を与えます。(この方の、内閣の解釈で九条うんぬんなどの発言は完全に間違っているからです。日本だけが個別的自衛権でいいなど、他国のことを何も考えない自己中以外の何ものでもないからです)

それではいけないということで、この方はもう実在界(あの世)に引き上げられてしまったようです。

これからはこういうことは増えてくると思います。(何度もいいますが、ここに書いたことは必ず起きるからです)特に多くの人に影響を与える方々は(テレビに出ている方々などそうですが)繰り返し間違った発言をされるのは控えられた方がいいでしょう。

それが過ぎるとこのようなことにもなり兼ねないからです。(別に正しい発言をされればそれでよいのですから、どうということはないでしょうが)

しかし、何が一番の間違いかといえば、この法に逆らうことです。

また、どこかの会社は何か起きたようですね。これからの時代、間違ったことをし続ければ恐ろしい現象が次々に現れてきます。

そのような心と行い、早く反省された方がいいのではないでしょうか。

どちらにしても、これからは善と悪が目に見えて分かる時代となります。(善いことをしている人には奇跡が、悪いことをしている人には災いが、すぐに起きるからです)

そういう時代となるのですから、出来るだけ善いことをされた方がいいのではないでしょうか。

(特別そういう時代だからということはありませんね。どんな時代であろうと善いことをされた方がよいでしょう)

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1月 29 2015

自分が救われるには

イスラム国がいう二十四時間の期限が過ぎましたが、人質はどうなったんでしょう。

情報が錯綜(さくそう)していてよく分かりませんが、無事を祈るばかりです。(特別日本の人ばかりではなく、どの国の人質もです)

こういうことで世界を騒がしていては話になりません。宗教が世界を騒がすなら、奇跡で騒がしていただきたいものです。

そのような奇跡が次々に起きているようですね。この辺りではです。

また何か起きようですね。昨夜は態度が全然違っていましたから。(今日は皆さんやたら殺気立っているし)

もう観念されてはどうでしょう。それだけ恐ろしいことが起きているのです。これ以上突っ張れば突っ張るだけ、起きる現象の激しさも増すでしょう。

私に逆らっているわけではないのです。神に逆らっているのです。

神に逆らっていては勝てるわけがありません。

「本当の神の教えに逆らったばかりに、このような恐ろしい現象が次々に私たちに起こりました」

そうはっきり起きたことを公表して、心から神に詫びられてはいかがでしょう。そうすれば、その罪は許されるからです。

いま自分たちに起きている現象で、どれだけ恐ろしいことを自分たちはしているのか判断してください。

それが出来ないと(その罪を認めないと)その恐ろしい現象は止まらないからです。

その現象は私が起こしているわけではありません。自分たちの間違った心と行いが、そのような現象を現しているのです。

では、その間違った心と行いを自分で直すしか、その恐ろしい現象を止める手立てはありません。

だから、自分で判断するしかないといっているのです。

昨日も書きましたが、すべて自分で判断し自分で行うのです。そうしなければ真の救いは来ないからです。

多くの人は勘違いをしているのです。人が誰かを救うわけではありません。自分を救うのは自分しかいないのです。

だから「釈尊やキリストが多くの人を救った」といういい方は、厳密にいえば間違いなのです。

本来は「釈尊やキリストは人が救われる方法を説かれた。そうして、その釈尊やキリストがいわれた、人が救われる方法を実践した人だけが救われた」といういい方が正しいのであり、釈尊やキリストが、そのまま人を救われたわけではないのです。

実際は、釈尊やキリストが説かれた法を実践した人だけが救われたのであり、だから、釈尊もキリストも「私があなたを救った」などとは一言もいわれなかったのです。

「汝の信仰汝を救えり」(あなたの信仰があなたを救った)といわれたのです。

この本当の神の教えは、実践すれば奇跡が、邪魔をすれば恐ろしい現象が現れてくることになります。(この辺りの人はもうそれをご存知のはずです)

その奇跡も恐ろしい現象も、すればするだけ顕著に現れるようになるのです。(より実践するならより大きな奇跡が、必要以上に邪魔をするなら、より恐ろしい現象が現れてくるということです。それはモーゼの大奇跡を知れば分かるはずです)

法の流布を邪魔したばかりに、次々に恐ろしい現象が現れた、と多くの人が知るならばこの教えはどれだけ拡がるでしょう。

そのような評判は、もうあっという間に世界に拡がり(そういう時代です)世界の人々が知ることになります。

そのような評判が世界に拡がるなら、イスラム国のような間違った信仰をしている人々も、反省せざるを得なくなるのです。

自分たちがしている信仰と、あまりに違う、別次元の信仰が日本に存在することを知るからです。(現在この辺りで信仰している人たちと同じ気持ちになるのです。「自分たちの信仰は間違っていた」という気持ちです。現れることがあまりに違うからです)

何度もいいますが、日本の人たちが心を入れ替え、立ち上がるなら、世界を救うことが出来るのです。

この名古屋で起きていることを、世界に伝えるだけでも世界が変わるからです。

奇跡も恐ろしい現象も、洗いざらい公表されてはどうですか?そうするだけで世の多くの人を救えるのです。

それほどの力が、この『法』にはあるからです。

自分を救いたいのであれば、世界を救うくらいの大きな志は持つべきでしょう。それくらいの心にならないと、結局自分も救われないからです。(その自分も救えないくらい小さな心になっている人が多いからです。だからもっと心を広げないと自分さえも救えないのです)

現在世界は風雲急を告げています。(間違った信仰だけでなく、天変地変などの異常現象も次々に起きて来てです)

その世界の暗雲を祓うことが出来るのは、この『法』しかないのです。

この法を伝えることが世界を救うことになります。

世界を救うことは自分を救うことでもあります。もっと大きな心になってはどうでしょう。

そのような心になって、初めて自分も救われるからです。

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