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1月 28 2015

本当の神の教えと偽の教えの違い

今度のイスラム国の要求は二十四時間以内に人質交換ですか。そうしないと人質を殺すというのでしょうか。

どうしたらイスラムの教えをそうまで拡大解釈できるのでしょう。これではどう考えても宗教ではなく、ただの犯罪としか思えません。

このような間違った信仰は変えないといけないでしょう。

日本でも(名古屋で起きたようですが)十九歳の女子大生が、自室で七十七歳の女性を斧で殴って殺したそうですが、それも宗教活動の最中の出来事であったようです。

十九歳の女子大生が、斧で人を殴って殺すなど、とてもまともとは思えませんが、この女子大生は完全に悪魔に憑かれています。それが宗教活動をしている殺された女性には分からなかったようです。

悪魔が憑いているとまったく理解せず、宗教の話など何度もすれば当然悪魔は怒ります。(悪魔の考えとは正反対だからです)

そうなると、このような最悪の結果になるということも十分考えられたはずなのに、悪魔が憑いているとは、この宗教をやっていた女性は考えもしなかった。それがこのような最悪の結果を招いた原因でもあるのです。

やはり改革者は必要でしょう。このままでは、このような悲劇がまだまだこれから数多く起きるからです。

宗教とは名ばかりの、まったく正しい教えを知らない人たちが、間違った宗教を拡げれば拡げるほど、また悲劇も拡がっていくのです。

そうして、そのような間違った宗教をしている人たちも不幸ですが、神の心から遠い人たちもまた本当に不幸であるのです。

また、前の会社に何か起きたようです。(ここ何日かガタガタやっていたのが、今日はずいぶん静かだからです…たまに切れるのいますけど)

ここに書いていることは嘘でもはったりでもありません。確実に起きるのです。(ただし今の心と行いのままではということです。心と行いを〔よい方に〕変えるなら起こりません)

この教えこそ本当の神の教えであるからです。

しかし、神の心から遠い人たちは、それがどうしても理解できないようです。何度恐ろしい目に遭っても同じことをし続けているからです。

本当の神の教えに逆らい続けるのであれば、間違った教え同様、結局最後は同じ結果となりますが(最終的には死んで〔あの世に引き上げられて〕しまうということです)しかし、過程が全然違うのです。

なぜなら本当の神の教えは、決して力ずくで無理やり人を従わせるわけではないからです。全部、自分自身の判断にゆだねられているからです。

イスラム国など見ていれば分かりますが、間違った教えはすべて力ずくなのです。

力ずくで人を動かしたり、金で人を動かしたりして、そうして最終的に従わなければ殺してしまうのです。

しかし、本当の神の教えは違います。すべて自分自身で判断させるのです。

この教えを勉強することも自由、逆らうことも自由、無視することも自由です。ただし、自発的に勉強する人には奇跡が、逆らったり無視したりしている人には災いが、その人の心に応じて起きるよう神が導きます。

神の力がそこに現れるか否か、それが正しい教えと間違った教えの違いであり、本当の神の教えを伝える者は、人の手は一切使わないのです。すべて神の手にゆだねるのです。

これが、本当の神の教えを伝える者と、間違った教えを伝える者の差です。

本当の神の教えは、すべて自分自身の判断に任せますが、偽の教えは、すべて力に任せるのです。(人の力、金の力、神とは名ばかりの悪魔の力などです)

本当の神の教えは、この世のどのような力にも頼らないのです。本当の神の教えが頼るものは『神』それのみなのです。

神の教えと偽の教えには、そのような違いがあるのですが、本当の神の教えがなかなか拡がらない理由は実はここにあるのです。

すべて、自発的であるからです。強制はしないからです。(もちろん口ではいいますよ。しかし、力ずくは絶対にしません)

強制はせず自発的ということは、そのような心になるまで(神の心が自分で理解できるような心に成長するまで)待たなければいけないというです。

人の心は体と違って、時間がたてば成長するというものではありません。それこそ自分で、そのような勉強をして、自分でいろいろな体験をしないと、自分の心は成長して行かないのです。

つまり、どれだけ時間が過ぎても、同じ考えを持ち続け、同じことをやり続けていては、自分の心は成長しないのです。

だから、何百年たっても何千年たっても(何度輪廻転生をしてもという意味です)まったく心が成長しない人もいるわけであり、だから、どれだけたっても本当の神の教えが分からない人もいるのです。同じことをやり続けている人には心の成長がないからです。

だからして、今生もし本当の神の教えに巡り合うことが出来たら(それは永い輪廻転生の期間にあっても奇跡的なことなのですから)それこそ寝る間も惜しんで勉強し、奇跡の体験を重ねないといけないのです。

これだけ自分の心が成長できるチャンスもないからです。

現に名古屋の人たちなど(法の勉強などほとんどしていないのに)こんな体験は出来ないと思われるほどの体験を、何度もしているのではないですか?

本当の神の教えを説く人がそこにいたからです。

はっきりいいまして、出来そうもない体験をすればするほど心の成長になるのです。そのような出来ない体験こそ心の成長を促す一番の勉強であるからです。

それなのに、それに対し感謝もせず怒っているだけとは、一体どこまで愚かなのでしょう。私に、信じられないくらいの心の勉強をさせてもらっているというのにです。(本当に罰当たりです。だから罰が当たるのです。そういう〔感謝の〕自覚を持たれてはどうでしょう。そうすれば罰が当たらなくなるからです)

それはともかく、とにかく、このような理由でなかなか本当の神の教えは拡がりませんが、しかし、いつまでも本当の神の教えが拡がらなければ、その逆の偽の教えはドンドン拡がり、偽の教えがドンドン拡がるなら、不幸もまたドンドン拡がるということです。

本当の神の教えを拡げるには、それぞれの人が自分でこの本当の神の教えの偉大さを理解し、自分でやる気になって自分でやってもらうしかありません。

そのような行動を取れる人が、たくさん出てくるか、それとも少ししか出て来ないのかで、この先の幸、不幸も決まるということになります。

この世の幸せを本当に願うのであれば、口だけではなく、正しい行いが必要なのです。

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1月 27 2015

安倍総理の新談話

昨日、白鳥公園に行ったんですが、四~五羽のカモメはいましたね。もうカモメが消えた理由をここに書いたのです。また戻ってくるかもしれませんね。

どこかの会社が、また反省もなく同じ態度を続けるのであれば、今度はこの前書いたようなことが起きてくるかもしれません。(というか、起きてくるでしょう。ここに書いたことは必ず起きますからね)

どうしたら起きないのか、もう自分たちで考えてください。

さぁ、こういう危ない話題はさらりと流して、安倍総理が河野談話、村山談話を否定して新しい談話を発表されるらしいですね。(否定するまではいわれていませんが。〔笑〕)

それは出さないといけないでしょう。河野、村山談話など、正しいものではないからです。(河野談話の化けの皮はすでにはがれていますが)

こういう話が出だすと、必ず噛みついてくるマスコミがありますが、いつまでそんなことをしているのでしょう。そういうことが、本当の平和への道を閉ざしているとまだ分からないのでしょうか。

安倍総理が、せっかく日本の平和の実績と、積極的平和主義に重点を置いて談話を出そうとしているのに、何で過去の歴史ばかり問題にするのでしょう。(まったくピントがずれています)

そのような問題は、すでに片付いていることばかりではないですか。なのに、なんでまたそういう(侵略という言葉を入れるだの入れないだの)小さなことばかりにこだわってケチをつけるのでしょう。

それに乗じて、日本との政策を有利に進めようとする国もあるのです。そのような報道姿勢は、そういうことをする国を利するばかりではなく、そのような(間違った)政策を助長することにもなります。

それでは、そのようなことをしている国のためにもならないのです。いつまで小さなことばかりにこだわり、大局を見誤り続けるのでしょうか。

日本は戦後七十年、一貫して平和への道を歩み続けてきました。他国に軍事攻撃を行ったこともなければ、国内で暴動が起きたこともありません。

このような平和の姿勢こそ、戦後の反省であり、これこそ多くの国々が見習わなければいけない、平和への道なのではないでしょうか。

人の国の過去のことばかりにケチをつけて、未だに侵略行為を堂々と行っている国もあるのです。(七十年前の話と今の話、どちらが重要なのでしょうか?)

そのような国々より、こと平和という部分だけに限れば、日本は百倍も千倍も平和への努力をし続けてきたのです。

百の言葉より、一の行いです。もう日本は過去にこだわる必要はないのではないですか。これだけの実績があるのです。堂々と世界平和を口にしてもよいのではないでしょうか。(何度もいいますが、戦後補償も反省もすでにしているのですから。そういうことをしていなければいけませんが)

日本が世界平和を口に出すことこそ、本当の世界平和につながるのです。先進国の中で、戦後七十年、その平和への実践を一番してきたのが日本であるからです。

なぜ、その一番大事なことを誇ろうとはしないのでしょう。(いつまでも過去にこだわっている)それこそが、一番の世界平和への足かせとなっているのです。

このようなことを考えるなら、戦後七十年という節目に当たり、安倍総理が、これまでの日本の自虐史観(こんなの自虐史観以外の何ものでもありません。過去にいつまでもこだわり、本当の世界平和を目指そうとしないのですから)を一掃して、新しい談話を出されるということは、当然のことであり、絶対にやらなければいけないことなのです。(こと平和に関していうなら、先進国の中で一番実績があるのが日本だからです)

本当の世界平和を望むのであれば、日本が新しい談話を出すのは当たり前のことであり、そうしなければ、日本が先頭に立って世界の平和を説くことは出来ないのです。(これまでのような他国にペコペコ謝るだけの談話を出していて、それで世界平和が説けますか?現に、あの談話を出した後でも、尖閣や竹島は危ないだけではないですか。〔竹島など未だに韓国に侵略されっぱなしだし〕あのような談話を出してもアジアさえ平和になっていません。あんな談話では少しも世界の平和に寄与しないのです)

本当の世界平和を望むのであれば、まず日本がこれまでの殻を破り、日本の平和の実績を世界にアピールして、そうして先頭に立って世界平和を進めて行かなければいけないのです。

それには新しい談話が必要であり(その談話を元にして世界平和を説いていくからです)日本は平和のためにこの談話を発表したのであると、より強調して堂々と世界に宣言すればよいのであって、そうしてその言葉の通り平和を実践して行けばよいのです。

日本は、平和への行いを戦後一貫して続けているのです。日本ほどの平和国家はないのですから、その平和の実績を世界に伝えなければ、逆に世界の平和は来ないでしょう。

どの先進国も、この平和という一点で見るならば日本にかなうところはないのです。では、平和という部分を強調して、世界に、この安倍新談話を理解してもらうしかありませんし、そのための努力を日本はし続けなければいけないということです。

これからの日本は(日本の平和だけでなく)世界平和に向かって進まなければいけません。それは実績のある日本だからこそやれるのです。

いつまでも過去にこだわっている場合でしょうか。

追伸…過去のことと、これからの先の未来のことと、一体どちらが大事なのでしょう。(どう考えても未来のことだと思いますが)

戦後の補償も反省もすでに終わっています。二度とそのような間違いを犯さないという反省は一度すればよいのであって、何度もするものではありません。(反省ばかりしていては先に進めないからです)

その戦後の反省に立って、日本は平和主義を貫いてきたのですから、これからはもうその平和主義を、堂々と世界にアピールして行かなければいけないのです。

その平和主義を進めていくなら、日本(だけ)が侵略国家であったという、東京裁判史観もいずれは修正できる時が来るからです。(現在においても他国を侵略している国があるのに、このような考えはどう考えてもおかしいでしょう)そのためにも新談話は必要なのです。

もう過去にこだわっている時代は過ぎています。戦後一貫した日本の(国内外の)平和への実績を世界に伝える時が来ていると思います。

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1月 26 2015

真の男女の役割

イスラム国が、日本人の人質の内の一人を殺害したという画像が流されたようですね。

その画像が本物かどうかは分かりませんが、もし、日本人に手をかけたのなら、これでイスラム国も神に真っ向から逆らう国家ということになり(法は日本にしかないのですから、その日本の人に手をかけるということは、必然的に神への反逆ということになります。だから、高橋先生は、法がある日本は神から守られるといわれたのです)では、こちらから何か祈れば、あちらで現象が起きるということになります。(より起きやすくなりますね。神に逆らう行いを直接したのですから)

イスラム国の崩壊も早いかもしれません。もちろんこちらが祈ればという話ですが。

しかし、祈りたいのはやまやまですが、こちらがこのような状況です。(みな、神にソッポを向き、次々に神から恐ろしい現象を現される)これでは祈っても、その祈りがそのままきかれることはないでしょう。

日本に、まだ法が拡がっていないのに、よその国をかまっている場合ではないからです。(どう考えても順序が違います)

カモメが、急にいなくなるという現象まで天から現されているのです。(それにしても本当にいろいろ起こります)これはもしかすると大凶兆かもしれません。(名古屋にこれだけのことが起きているのです。今さら脅しもないでしょう)

恐ろしい現象が現れ出す前に、心を入れ替え、この教えを真剣に学ばれ、少しの寄付ぐらいされてはどうでしょう。この教えのお蔭で多くの人の考えがずいぶん変わり、心が救われたはずだからです。

心を救われたのです。少しくらいの報恩の行為をされても、それほどのことはないと思うのですが、それを頑なにしようとしないのです。それでは天罰も現されます。なぜ、こんな分かりやすいことが、いつまでたっても分からないんでしょうか?

まったく不思議ですね。

その天罰を私のせいにしているんですから、本当に目も当てられませんが、しかし、そんなことをしていれば(昨日も書きましたが)より恐ろしい現象が現されます。その覚悟だけはしておいてください。

こんなことばかりいっていても仕方ありません。話を変えましょう。

昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」も面白かったですね。

はっきりいって私は、今回のNHKの大河ドラマは無名の女性(吉田松陰の妹)が主人公であり、それだとあまり面白くないだろうと期待していなかったんですが、あのような幕末の志士を陰で支えた女性たちは、やはりそれはそれで大きな使命(もちろん女性としてのです)があったはずです。

あの大きく時代を変えた幕末に、男ばかりが脚光を浴びるのもおかしな話です。やはりその幕末の志士たちを支えた女たちは、国を変えた男たちとともに、同じような評価を得るのは当然のことであると思います。(それこそ本当の男女平等、同権です)

それを考えるなら、幕末の志士を陰で支えた女たちの視点でのドラマは、これからの時代に非常にあっているのではないかと思われます。

まだ少し時期が早いので(今はまだ輝く女性とは、男のことなどほっておいて、外でバリバリ仕事をする女性のことをいいますから)あまり視聴率はとれないかもしれませんが、しかし、本当の出来る女性とは、男の陰に回って男を立たせてくれる、支えてくれる、そのような女性なのです。

昨日、史上最多三十三回の幕内優勝を果たした、横綱白鵬が、こういう偉業も賢い女性がいたから出来たと、自分の嫁さんを褒めていましたが、実際そうであったでしょう。いくら強いからとはいえ、横綱一人で出来る記録ではないからです。(こういうことは、公衆の面前ではなかなかいえることではありませんが〔私が日本人だからそう感じるのでしょうか?わりと日本人は心では思っていても、こういうことを堂々というのは苦手な人が多いですから〕さすがは歴史に名を遺す横綱です)

これからは内助の功、良妻賢母という女性が再び脚光を浴びてきます。そういう男の能力を引き出せる女性こそ、真の輝く女性であるからです。

そのような意味で「花燃ゆ」は、時代に先駆けた、善いドラマであるといえるのではないでしょうか。(今はまだ時代に逆行しているとでもいわれるんでしょうが)

女は男の足りないところを足してやる、そのような役割こそ求められているのであり、決して男と対等になって、男と張り合って、男以上に仕事をすることを求められているのではないのです。

男がやれない部分を女がやり、女がやれない部分を男がする。それが当たり前のことであり自然であるのです。(だから、体のつくりも考え方も男と女では違うのであって、そのような役割分担を一切無視して、男女を同等にすれば、両方がその力を発揮できずに終わるのです。まさに、現在の男女平等、同権論は、男女の本当の力を逆に出せないようにしているのです)

こういう古き良き時代の日本の思想(映画「三丁目の夕日」の舞台となった、昭和三十年代くらいまでの思想)こういう思想がなくなってきてから奇跡が起きなくなったのであり、そうして現代の思想(男女平等、同権)が深まれば深まるだけ、災いが起きるようになったのです。(日本だけに限らず世界中で起きている天変地変などもそうです)

このような男女の役割一つとっても、法を知っているか知らないかで、大きく違ってくるのです。(この世に奇跡が起きるか、災いが起きるかですから大変な違いです)

それでもまだ、この法を無視されるのですか?(この現代の思想のまま進めば、災いだらけになりますよ。神の心に逆らっている部分が多いからです)

それでは真の救いは来ません。

本当に救われたいのであれば、この法を勉強することです。

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1月 25 2015

吉兆か、それとも凶兆か

一昨日ことです。白鳥公園にカモメが一羽もいませんでした。(それは昨日のブログに書きました)

それが何か気になったので、昨日は午後から名古屋城に行ってきました。あの名古屋城のお堀にもたくさんのカモメがいたからです。

「ここのカモメはいるだろう」そう思って名古屋城のお堀に行ったのですが(他の水鳥たちはいましたが)不思議なことに、ここにもカモメは一羽もいませんでした。

おかしいなと思って、その辺りの犬の散歩をしていた人にカモメのことを聞いてみました。すると三日ほど前から急にいなくなったとのことでした。

これまでのカモメたちは、年末くらいまではこの辺りにたくさんいて、そうして年明けくらいから段々少なくなり、三月くらいまでにいなくなるというのがパターンでした。

それが今年は、年が明けて一月の二十日過ぎに急にいなくなったのです。

どう考えても変です。これが一時的にいなくなっただけなのか、それとも今年の十一月くらいにならないと、もうここらには来ないのかは分かりませんが、これまで急にカモメが(一羽もです)いなくなるということなどありませんでした。

これまで起きたことがないことが起きたのです。これはたまたまなのでしょうか?それとも何か意味があることなのでしょうか?

これがたまたま起きただけということはないでしょう。いくら何でも一斉にこの辺りの(この辺りだけなのか、それとも全国的なことなのか知りませんが)カモメが一羽もいなくなるなんて、たまたまで起きるわけがありません。

何度も書いていますが、このような動物たちはみな天から何かを伝えられているからです。カモメたちは、天から何かを伝えられたから、この辺りからいなくなったのです。

では、何を伝えられてカモメたちはこの辺りからいなくなったのでしょう。この現象は吉兆(きっちょう・よいことの前兆)なのでしょうか?それとも凶兆(きょうちょう・悪いことの前兆)なのでしょうか?

私の推測ですが、カモメがたくさん集まってくる、ということであれば吉兆とも思えますが、逆に一羽もいなくなったのです。とても吉兆とは思えません。多分、凶兆でしょう。

では、その凶兆とはなにか、ということです。

もし、その凶兆が大きな天変地変であるなら(例えば、南海トラフとかです)カモメだけがいなくなるということはないでしょう。他の水鳥たちもいなくならなければおかしいですし、すずめや鳩、カラスなどの他の鳥たちも普通ではいられないでしょう。

何か普段とは違った行動を取るはずです。

しかし、今回はカモメ以外の他の鳥たちはいたって普通であり、カモメだけが一斉にいなくなったのです。ということは、仮にこれが凶兆であるならば、大きな天変地変が起きるということではない、ということになります。

では、それ以外の凶兆とはなにか?ということです。

何でしょうね。実は私、そのカモメが急にいなくなった昨日、一昨日あたりから嫌な予感がずっとしているのです。おかしな思いが何度も上がってくるからです。

この「たくさんのカモメが急にいなくなる」というカモメという部分を、人に置き換えたらどうでしょう。

「たくさんの人が急にいなくなる」という風にかわるわけです。

あまり危ないことを、ここにはっきり書きたくはありませんが、最近はそういうこともよく起きています。(御嶽山の噴火、伊豆大島や広島の土石流災害)あまりに神に逆らう人が多いのです。(この法を無視している人が多いとはそういうことです)

だから書いておきますが、他の地域の人は知りませんが、この辺りの人は要注意でしょう。カモメがこれからこの辺りに起きることを暗示しています。

「人がたくさんいなくなる」とは、あの救急車のサイレンがもっと増えるのか(今日も朝から何度しているでしょう。切れてる人もいるくらいです)それとも、あの救急車で運ばれる人の病気が心筋こうそくとか、くも膜下出血とか、命に関わる病気が増えるのか、どちらか分かりませんが、とにかくもう即、命に関わる、そのような現象が現れてくるということです。

恐ろしい話ですが、所詮は神に逆らうとはそういうことです。(人として、これ以上の恐ろしい行為はないということです)

そういう態度を続けるというのであれば、このような恐ろしい現象を起こされても仕方ないでしょう。それだけ神に対し不遜な態度を続けるということですから。

これほどの現象が現れているのです。少しくらいは謙虚になられ、神に頭を下げられてはどうでしょう。

そうしなければもう、いつこの世からいなくなるか分からない。今回のカモメが一斉にいなくなった出来事は、それを教えているのです。

(カモメも全身真っ白ですが、死に装束も真っ白です。何かそういうところが共通しているように思えてなりません)

追伸…今日のブログはあまりに怖すぎます。不吉すぎます。が、神の教えを無視していると当然このようなことは起きてきます。

いつまでもやろうとしない人が悪いのです。(鳥や魚たちは、それに気づいているのに人だけが気づかないとは本当に残念です)

今日の中日新聞に、インフルエンザの集団感染のことが書かれてありました。そうしてインフルエンザの予防接種の過信は禁物とも書いてありました。

今回の集団感染で、インフルエンザの予防接種をしている人まで、インフルエンザで亡くなったそうですが、その予防ワクチンは成人で七割程度、年寄りや子供では、その成人の半分程度しか効かないとのことです。

いいもいったりですね。これではワクチンが効いているのか、効いていないのか、さっぱり分かりません。

これでは予防ワクチンをしていてもしていなくても同じでしょう。自分にそのワクチンが効くのか効かないのか分からないからです。

続々と恐ろしい事実が分かり始めていますが、このように二十一世紀は正しいものと正しくないものが、はっきり分かる世紀でもあるのです。

イスラム国の問題もあります。(人質の日本の人たちが、殺害されたかどうかまだはっきりしませんが)

正しい教えが拡がれば、このような恐ろしい問題にも奇跡が起こり解決の道がついてくるのです。

どちらにしても、もうこの教えを無視していられる状況ではなくなってきています。

された人から救われて行きます。何度もいいますが少しは反省され、この教えを勉強されてはいかがですか?

そうしなければ恐ろしい現象は止まらないからです。(今日は本当に朝からサイレンが凄いですね。今もしています。もしかしたら、あのカモメたちの暗示はサイレンが増える方ではないでしょうね。両方だったりして…どれだけ脅すんでしょう。しかし、どれだけ脅してもまだ脅したりない、神に逆らうとはそれだけ恐ろしいことなのです)

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1月 24 2015

あの世の証明

インフルエンザがピークを迎えているようですね。(二百万人超とかいっていましたが)

A型だかB型だか知りませんが、まだ別のインフルのウィルスがこれから流行りだし、流行が長引くかもしれないとのことですが、インフルエンザの患者がドンドン増えているようです。(このような状況を見ると、予防ワクチンが効かないということがよく分かります)

こちらもサイレンが凄いです。(昨日はよく聞こえてきました)こちらは何といえばいいのか分かりませんが、こういうのを一括り(ひとくくり)にして祟りというのです。

祟られていますね。名古屋を始めとした日本全体がです。

そういう祟られそうな心の人が多いからでしょう。その心を直さない限り祟りは収まりません。神に(私にではありません)素直に頭を下げられたらどうでしょう。

そういう素直な心にならないと救われないからです。(素直なんて言葉、すでに忘れてしまった人が多いのではないでしょうか。〔笑〕)

さて、祟られていない私は(笑)昨日もまた面白いことがありました。

昨日は白鳥公園に行くと珍しくカモメが一羽もいませんでした。(こんなこと初めてです)

この時期に、横の堀川にカモメがいないなどこれまでなかったのですが「珍しいな」とも思い、カモメがいないと面白い動画も撮れないと思って(最近のカモメ凄いです)白鳥公園の横にある白鳥庭園に入りました。

実は一昨日にも白鳥庭園に行ったのです。その日は雨だったので人もいないだろうと思ったからです。

すると、その雨の日は、本当に庭園の中は誰もいなくて貸し切り状態でした。ラッキーと思って、池の中をのぞきながら歩いていました。(白鳥庭園の中は大半が池で、その池を中心に芝生がひいてあり、いろいろな木や花が咲いています)

池の中にはたくさん鯉がいます。鯉に「お前ら元気か」と声をかけながら歩いていたんですが、そのうちに鯉がたくさん寄って来ました。

口をあけながら寄って来る鯉が多いので、最初は餌をもらえると思って寄ってきているのかな(庭園の中には鯉の餌が売っているものですから)とも思いましたが「お前ら俺のことを知ってるか?」とかいいながら鯉たちを見ていたら、そのうちに池の真ん中あたりでバシャバシャ音がしました。

「ンッ」と思い、そちらを見ると、なんと大きな鯉が(跳ねるまではいきませんでしたが)体を二度三度と水面に出してくねらせていました。

まるで、私の問いに答えるかのような態度です。それで「おお、ここの鯉も知っているんだ」と合点が行き、それなら「今度お前らも動画に撮ってやるからな」と約束してその日は帰ったのでした。

それで次の日に(昨日のことです)また(ちょうど撮る対象のカモメもいなかったので)今度はビデオを持って白鳥庭園に行ったのです。

昨日も人がいるにはいましたが、少なかったので動画も撮りやすかったです。

池のほとりに行って鯉たちを呼んで動画を撮りましたが、もう寄ってくること寄ってくること、凄い数の鯉が寄ってきて、異様な数の鯉が撮れたのですが、その鯉たちが実は大変面白いことをしたのです。

その面白いこととは、なんと、あの世の証明でした。

「鯉たちがあの世の証明?なんだそれ」と思われる人も多いでしょう。しかし、本当に鯉たちがあの世があることを証明してくれたのです。

昨日私は、池のいろいろな場所で鯉を撮っていました。すると、どの場所に行っても鯉たちが嬉しそうに寄って来ます。

それで小さな橋の上で鯉たちを撮っていた時のことです。あまりにたくさんの鯉が寄ってくるので、私が何気なく橋の上から「そういえばお前ら、あの世でも会ったよな。久しぶりだな」とフッと漏らしたのです。

何でその時、私はそんなことをいったのか分かりません。分かりませんが、そういう言葉が急に出てきたのです。

そうしたらです。その橋の下で泳いでいた鯉たちが急に嬉しそうに泳ぎ回り始め、遠くにいた鯉までがドンドンその場所に集まってきたのです。(そこは動画に撮りましたが、動画で見ると分かりにくいかもしれませんが、実際見ているとよく分かりました。「あの世」という言葉を出したとたん、鯉たちの動きが変わったのです)

あれ、と思って「あの世」という言葉を連呼すると(「あの世のこと覚えているか」とか「またあの世で会おう」とかです)その辺りを元気よく泳ぎ回って、中には凄い勢いで泳いでいる鯉もいます。

あの世という言葉を使うと見るからにみな嬉しそうです。その鯉たちを見ていてつくづく思いました。「鯉たちはあの世があることを知っている」と。そうして「あの世にいたことを覚えてもいる」とです。

それはそうでしょう。どの魚もどの鳥も私のことを知っているのです。この世はこの世だけではなく、別な世界もあり、その世界から私のことを教えられていなければ、そんなことが起きるわけがありません。

そういう異次元の世界があり、そういう世界のことを知っているから、鳥や魚たちはみな私のことを知っているのです。

よく考えてみれば、鯉たちがあの世のことを知っているのは当然のことであり、その(当然知っている)楽しかったあの世(天上界)のことを私が話し出したから、鯉たちは喜んだのです。

鯉たちのこのような態度は、当たり前といえば当たり前の態度であったのです。

こういうすべての動植物(植物も当然知っているでしょう。態度に現さないだけです)が知っていることを、人間が知らない。(忘れてしまっている)何か寂しい気持ちになりました。

人間は、天上界のことをすっかり忘れてしまっている、だから私のことが分からない。しかし、鳥や魚たちは、天上界のことをしっかり覚えている、だから私のことをみな知っているのです。

また、このような鳥や魚たちの動画が近いうちに公開できると思います。(今回の白鳥庭園の出来事は入っていませんが…その次くらいには公開できると思います)

少しは、そのような動画を見て、あの世の天上界のことを思いだされてはいかがでしょう。そうすれば私が誰であるかも分かるからです。

人間は、このような鳥や魚たちは何も知らないと思っています。

しかし、本当に何も知らないのは、私たち人間の方なのです。

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