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1月 23 2015

深い考え

私、何か無茶なことや間違ったことをいってますかね?

何で、ここまで無視されるのか意味が分かりませんが、マァ、いいです。法の価値が理解できないのであれば、何でそんなものにお金を出さないといけないのか、という話にもなります。(このブログを見ている人は、どれだけ心を救われても、それを恩とは思わないようです)

しかし、法の価値が理解できなければ、理解出来るまで災いは起こり続けます。今日も北海道など大荒れの天気(暴風雪)になる予報が出ています。気の毒なことです。

気の毒といえば、この辺りも今日は朝からずいぶんサイレンがしています。心と行いを変える気がないなら、おかしな病気にならないようお気をつけください。サイレンを私のせいにいくらしたところで、このサイレンは止まらないからです。

おかしな病気といえば、インフルエンザの予防ワクチンが、実は全然効かないということが分かったそうですね。(ワクチンを打っても、インフルエンザの感染を防ぐ効果はほとんどないそうです。ワクチンが有効だと思っているのは妄想にすぎないそうです)

今年はインフルエンザの患者数が(すでに)過去最高を記録しています。

よく考えてみれば、多くの人が、インフルエンザの予防ワクチンを打っているのに、インフルエンザの患者数は増えているのです。

それを思うなら、インフルエンザワクチンは効かないのではないか、と分かりそうなものですが、それがなかなか分からないところが恐ろしいところです。(私は、インフルエンザのワクチンなど打ったことないですけどね)

このインフルエンザのワクチンの副作用で、毎年死者まで出ているそうです。子宮頸癌のワクチンの副反応同様、気をつけた方がいいのではないでしょうか。

どうも予防ワクチンというものはどれも胡散(うさん)臭いですね。(病院が儲けるだけという話もありますし)

しかし、世の中、効く薬もあれば(今回の予防ワクチンのように)効かない薬もあります。これだけ名古屋など病人が増えているのです。(けが人かもしれませんが)現代の医学ばかりに頼るのではなく、神の力にも頼られてはどうでしょう。その方がよほど安心だからです。(いろいろよい方に天が導てくれますから)

天変地変はもちろんですが、インフルエンザの患者数が、今年最高を記録したということもそうでしょう。

天変地変の多発や、疫病の蔓延(まんえん)など、神に逆らっているから起きて来ることであり、多くの人が心と行いを変えるなら、このようなことは収まってくるのです。

その心と行いを、いつまでたっても変えようとしないから、いつまでたっても恐ろしい現象が収まらないのです。

そのような恐ろしい現象が、繰り返し起きているところがあるようですが、そこも同じなのです。少し何も起きないと、またでかい音を立ててこのブログの邪魔をします。それからしばらくするとまた静かになります。「あっ、また何か起きたな」と分かるわけです。

そこは私に詫びを入れ、この法の流布を邪魔したことを心から反省しないと、その恐ろしい現象は止まらないのですが、何か起きたら静かになり(たまに切れてよけいうるさい時もありますが)少し起きないとまた邪魔を始める、その繰り返しなのです。

それでは災いは止まらないでしょう。何度でも起きます。自分たちが(大きな)間違いをし続けているからです。

特別、この会社だけではないでしょう。私が何度呼びかけても、このブログを見ている人は少しの寄付も行おうとしません。では、それが間違いであると分かるまで恐ろしい現象は続くでしょう。(人の心を救うほどの善行はありません。私は多くの人の心を救っているのですから、その心を救ってもらった私に、感謝も報恩の行為も一切しないというのは、これもまた大きな間違いなのです)

いつになったらその間違いに気づくのですか?

先ほどのインフルエンザのワクチン同様、少し深く考えれば、それが効果があるのかないのかは分かるはずです。

もう少し深く考え、この法の効果を実感していただけないでしょうか。そうすれば、少しくらいの寄付などなんとも思わなくなるからです。

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1月 22 2015

法への恩と自分たちの罪

くどいくらい書きますが、今を救えるだけではなく死んだ後まで救われる教えなのです。その教えを聞くだけ聞き、一切の報恩の行為をせず、自分のことをしているだけで本当によいのですか?

ウナッシーさんもイタリアの方も快く寄付してくれるのです。何で何年も前から、このブログを見ている人が何もしようとしないのですか?(いろいろなことを知り、散々心を救ってもらっているのにです)そう人たちが自分のことばかりやっていては、いつまでたっても災いは止まりません。

そのような行為は人の道に外れているからです。

間違ったことをしている人が多ければ、当然、それではいけないという現象は現れてきます。

法と縁が持てたのです。(この世でこれ以上のよいことはありません)その法を教えてもらった人に、少しくらいの報恩の行為はされたらどうですか。それが人として(神の子として)当たり前のことだからです。

現に、法を教えてもらっているにもかかわらず(感謝するどころか)私に嫌がらせを繰り返している人たちには、みな不幸が起きているのです。いま起きていない人でも、近い将来、必ず不幸が起きるのです。(もちろん死んだ後も、地獄でしっかりそのことを反省させられます)

それだけ法への恩は大きいからです。それを仇で返しているのです。どれだけの罪をつくっているかしれません。

だから不幸になるのです。法の恩の有難さを少しも理解しようとしないからです。

しかし、それは法の恩を理解しようとしない人が悪いのであって、私が悪いわけではありません。ところが、その自分の罪さえも私にかぶせ嫌がらせをしてくるのです。これは、あの世に引き上げられても仕方がないほどの行為であり(それ以上大きな罪を犯さないためにです)そういう危ないことを平気でしてくる人もいるのです。

法の偉大さをまったく理解しないからです。

こういうことが起きる(しかも何度もです)教えがこれまであったでしょうか?

祈れば次々に現象(奇跡)が現れる教えがこれまであったでしょうか?(なんならまたお見せしましょうか?少々大きな現象をです)

いってはいけませんが、このように次々に起きる災いも、多くの人が、いつまでたっても法の偉大さを理解しようとしないため起こされているものであり、その罪は法を理解しようとしない人たちにあるのであって、私にあるわけではありません。

だから私には次々に(鳥や魚が寄ってくるなどの)奇跡が起きてくるのであり、法の実践をしようとしない人たちには次々に災いが起きてくるのです。

やっていることの善い悪いが、このような現象として現されるのであり、この起きている現象の違いがその罪を現しているのです。

それにもかかわらず、自分たちの罪を認めず、どれだけ悪いことが起きても、それを私のせいや温暖化などのせいにしています。

一体いつになったら自覚されるのですか?自分たちの罪をです。

悪いことをしている人には災いが起き、善いことをしている人には奇跡が起きる、これ以上分かりやすい現象はないのではないでしょうか。

そんな分かりやすい現象が(一度や二度ではありません)何度も現れているにもかかわらず、それでもまだ少しも反省しようとしないのです。

これでは天も、もう滅ぼすしかないという結論になるのではないでしょうか。だから私は、南海トラフ大地震はいつ起きてもおかしくはないといっているのです。

あまりに神の業に無頓着な人が多いからです。(無頓着とか、そういうレベルではもはやありませんね。昨日も書きましたが、ここまで神の業を無視するのは〔神の子の〕人間として異常なのです)

このまま頑なに自分たちの行いを通すというのであれば、もう南海トラフは避けられないでしょうし、せっかく法を知っても、結局それでは深い地獄に堕ちていかなければいけません。(それはそうでしょう。法を知った人が何もしようとしなかったため、このような大災害は起こされたのですから、その罪は何もしようとしなかった人にあります)

法を知って地獄に堕ちるなど、これほど愚かな行為もありません。

今の人生など、人の永い輪廻転生の期間を考えるなら、ほんの一瞬の出来事でしかないのです。

そのほんの一瞬の出来事のために、多くの時間を無駄にするのですか?(長い間地獄にいれば多くの時間を無駄にすることになります)

これだけ多くのことを知り、これだけ多くの貴重な体験をしているのです。

少しの布施くらいされたどうでしょうか。

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1月 21 2015

唯物無神論の危なさ

誰も反応なしですか。(相変わらずです。何年たっても変わりません〔苦笑〕)

他のところはともかく、これほどのことが起き続けていても、それでもまだ名古屋の人は心を変えようとしないのですか。

大丈夫ですか。そんなに突っ張り続けてです。ずいぶん名古屋は意識が変わった人が多いはずです。(この辺りの人など、もうあの世を信じている人ばかりです。私に嫌がらせしてきた爺さんや婆さんに「そんなことしていると地獄に堕ちるぞ」というと、ほぼすべての人がビクッとしますから。〔笑〕)

それに感謝もせず、多くの人が私の顔を見れば嫌がらせです。そんなことをしていたら災いは止まりません。今日も朝からずいぶんサイレンがしていました。(どこかの会社もコロコロ雰囲気が変わりますし。今日はずいぶん静かです)

このサイレン、一つ一つに神の業が現れているとしたらどうでしょう。ずいぶん恐ろしいことが次々に起きていると思われないでしょうか。それこそ、このサイレンが聞こえてくるたびに「なんまいだぶ、なんまいだぶ」といいながら、手を合わせる爺ちゃん婆ちゃんも出てくるのではないでしょうか。

そのような神の業が次々に人に現れているというのに、ほとんどの人が無関心を装うか、怒っているだけです。(もちろん私のせいにしてです)

それでは明らかにまずいでしょう。

これほどの現象が毎日現れ続けているのです。そうであるなら、そこは謙虚になり「こういう現象が現れているのは、自分たちに何か悪いところがあるからだ」と考え、自分の心を反省するとか、神に手を合わせ「お助けください」と祈るべきなのであって、このような現象を無視していたり、人のせいにして怒っているなど言語道断なのです。

昔の人なら(その昔の人といっても唯物無神論になる前の人たちですから、かなり昔の人たちです)皆そうしたのです。

しかし、現在の名古屋でそのような態度を取る人は(ゼロではないかもしれませんが)ほとんどいません。これでは止まらないですね。このような神の業に、ほとんどの人が傲慢であるからです。

これほどのことが起きているのに、自分は何も悪くないと思っているんですから、傲慢以外の何ものでもありませんが、そういうことに誰も気づかないのです。

各地で起きている異常現象を知るならば、これは名古屋だけの問題ではなく、日本全体の問題であると思いますが、多くの人が、知らず知らずのうちに神から心が離れ傲慢になっている、これが唯物無神論という思想であり(現在の日本を見てもらえれば分かりますが)非常に危険な思想であったということです。(これほどの異常現象を起こしているのですから、それはそうです)

ただ、これまではそれに気づかなかったのです。そのような時代(末法の世)でもありましたし、私のような者もいなかったからです。(高橋先生と園頭先生がいられましたが、末法の世でもあり、他の霊能者との区別が多くの人にはつかなかった。これも唯物無神論の弊害です)

しかし、正法の世となり、本物の神の使いの業だけが現れ始めると、それが一発で分かることになり、それと同時にこれまでの人々の業(ごう)が一度に現れ始めたのです。

それが名古屋をはじめとした数々の異常現象です。

このような時代(正法の世)になったから、唯物無神論の危なさ、間違いが分かるようになったのであり、このような時代になったから、誰が本物かも分かるようになったのです。

これまでの唯物無神論のままでいれば、ほとんどの人が死後、地獄に堕ちたか、またはそれに近い世界にしか往けなかったのです。(幽界、霊界などの天上界でも低い世界です)唯物無神論の思想では救われないからです。

しかし、この唯心有神論の思想になるなら、人はどれだけ心が進歩するか分からないのです。(ということは死後、神界、菩薩界に往くことも出来るということです)

現に、そのような思想になったばかりに多くの人が神の存在を知り、あの世存在を知り、人の輪廻転生を知りました。それを知っただけでも心が軽くなったはずです。心が軽くなったということは、それだけ心のレベルが上がっているのです。心が軽くならないと心の高い世界にはいけないからです。(心が重いから、心の世界では下層にある地獄界に堕ちるのです。軽ければ上に行き、重ければ下に行く。この世と同じ現象ですが、それが心の世界では人に〔霊に〕如実に現れるのです)

時代が変わるとともに、これまで分からなかったことが次々に分かるようになってきました。それもまたよいことであり(当然、この世に生まれたら、知識はつけなければいけないことですから)分からないことが分かってきたのなら、それに合わせた行いは当然しなければいけないのです。

これまでの唯物無神論の思想のままで、神など存在しないと神に祈ることもなく、何が起きても責任転嫁ばかりしていては、それはいいこと起きません。そのような起きてきたことすべてが、自分に責任があるからです。

だから、起きてきたことに責任を持たなければ、悪い現象は収まりませんし、悪い現象を収めたいのであれば、先ほどいいましたように自分が悪かったと反省し、神に許しを請う以外、救われる道はないのです。

特に、名古屋など悪い現象が毎日次々に起きているのです。それなのに、未だ多くの人は心を変えようとしません。

すでに時代は変わりました。では、時代に合った心(愛、慈悲、感謝、寛容、反省など)にならなければ悪い現象は収まりませんし、悪い現象が収まらなければ不幸な人が続出するということになります。

だから、現在の名古屋に不幸な人が続出しているのです。前時代の心のままの人が多いからです。(怒り、ねたみ、ひがみ、責任転嫁)

私にどれだけ八つ当たりしても名古屋の現象は収まりません。いい加減もう感謝されてはどうですか?(これだけいろいろなことを教えてもらえたのです。しかもそれを大人から子供まで分かりやすくです)

そうしなければ名古屋の現象は収まらないでしょう。「お前みたいな奴に…」と思っているのは、そのような悪いことを全部私のせいにして、勝手に私を悪者に仕立て上げているから、そのように感じるだけで実際の私のことなど誰も知らないはずです。(案外いい奴かもしれないでしょう)

それほど悪い者に、鳥や魚は寄ってきません。私は鳥や魚が寄っていかない人よりよほどいい人なのです。

私に感謝し協力すれば救われますし、しなければ救われない、簡単な話です。

悪い人間がこれだけ多くの人の心を変えることができますか?(もちろんよい方にです)

自分のことを棚に上げ、人をいつまでも悪者に仕立て上げていては救われないのです。

いつまで悪魔の言葉に惑わされているのですか?いい加減、目を覚まされてはどうでしょうか。

追伸…悪魔といえば、イスラム国が、ついに日本人を人質にして日本に身代金を要求してきましたね。(しかもその額が二億ドル〔約二百三十六億円〕という法外な額です)

こうなってしまうと、もう総理が判断されるしかありませんが、こうならないためにも、この教えを一刻も早く世界に伝えないといけないのです。

これほどのことが起きる教えなのです。この教えが拡がるなら本当の世界平和も見えてくるからです。

日本の皆さん、小さな考えを捨て、世界平和のため、いい加減、立ち上がられてはいかがでしょうか。

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1月 20 2015

反省と報恩の行為、奇跡を起こす方法

フランスのテロの抗議デモに続き、今度は、そのテロの原因となった風刺画への抗議デモが世界各国で行われているようです。

その反風刺画の抗議デモが暴徒化して、多くの死傷者まで出しているところがあるそうですが、明らかにやりすぎでしょう。

もう少し冷静になっていただきたいものです。

神、預言者の名の下にテロや暴動が起きるようでは、それは正しい宗教とはいえません。本物の正しい宗教の出現を望まずにはいられません。

このように他国では、預言者を侮辱することでテロや戦争まで起きかねないのですが、日本ではそのようなことは起きない、と第三者的に見ている場合でもないでしょう。

なぜなら現在の日本は、神や預言者の名の下にデモや暴動が起きることはありませんが、しかし、実際の神の業が現れ続けているからです。

他国は、あまりに神への思い入れが強すぎて、そうして日本は、あまりに神への思い入れが少な過ぎて、どちらも災いが起きています。どちらの思想も極端であり中道ではないからです。

それにしても、神の業があまり現れていない他国でも、あれだけ神に(預言者に)対し思い入れが強いのに日本はどうでしょう。

これほどの神の業が現れていても、それでも神に頭を下げるわけでもなければ、祈るわけでもなく、その業を横目で見て、普通に自分の仕事をやっているだけの人が多いのです。

思い入れが少ないとかいうよりも、もはや異常ですね。日本の人々は異常に神のことを思わないのです。(唯物無神論という思想に毒されていたとはいえ、こういう発想は異常なのです。今このような風刺画のことでデモや暴動が起きている他国と比べてみてください)

だから、私のいうことをしっかり考えようとしないし、逆らう人も多いのです。神に対し、思い入れが少ない分、そのような業が現れている者を軽く見てしまうからです。

だから平気で私に嫌がらせができるのです。お前などたいしたことはないと思っているからです。

しかし、私がたいしたことがなければ、私に嫌がらせをした人に災いは起きないでしょうし、今もしていましたが、名古屋でこれだけのサイレンもするようにはならなかったでしょう。

このような災いは、すべて私のことを軽く見て、私のいうことを聞こうとせず嫌がらせを続けた結果、起きてきたことなのではないでしょうか。

現在の日本に起きている、数々の災いは、すべて、神の業を軽く見て(神の業が現れている)私のいうことを、いつまでも聞かずにいるため起こされている神の気づきの現象なのであり、勝手に起きている自然現象でもなければ、人が起こしているわけでもありません。

神のことをあまりに思わない、日本の多くの人々への天罰以外の何ものでもないのです。

このブログを読んでいる人たちで、それを否定出来る人がどれくらいいるのでしょう。もういい加減、ここに書いていることは分かると思います。

ここに書いていることを無視し(都合のよいことだけは聞いて)面白くないと怒っている、そのような皆さんの態度が(非常に)悪いのであって、だからこのような災いが起こされるのであって、そのような心と行いを反省し、心を入れ替えないと災いは止まらないのです。

もう反省されてはどうですか?

反省し報恩の行為を行うのであれば奇跡が起きてくるのです。反省もせず、頑なに自分たちのことだけを続けているから災いばかりが起きるのです。

それほど、この世の栄耀栄華が大事なのでしょうか?そのような人たちもいつかは死ぬのです。そんなこの世の栄耀栄華ばかり求めていた人たちが死ねば、そのような偏った考えを嫌というほど反省させられるのです。

いい加減、この世のことだけ(自分のことだけ)思うのはやめられたらいかがですか?それが一番、自分の為になるからです。

どれだけ認めたくなくとも、多くの人が私のお蔭で、考えを唯物無神論から唯心有神論に変えたのです。この世のことだけではなく、あの世のことも知ったのです。

人の永遠の生命も分かり、そうしてこれまで謎であった(信じている人は少なかったでしょう)聖書の奇跡も実際に起きていたのであるということも知ったのであり、その奇跡を、目の当たりにしたということもそうなのではないでしょうか。

私がいなかったら、このようなことは全然理解出来なかったのです。

このようなことが、わずか数十年の人生の中で一変で理解し体験出来たことが、すでに奇跡なのです。そのような多くの人々の心に奇跡を起こした者に、なぜ感謝が出来ないのですか?

少しくらいの報恩の行為が出来ないのでしょう。

現在日本で起きている災いは、そのようなことを少しもしようとしない、多くの人々の心と行いに問題があるのです。(それがなぜみんな私のせいになるのでしょう)

多くの人々の心に革命を起こし、唯物無神論であった日本を唯心有神論に変えつつあるのは誰なのでしょう。日本の多くの人々はあまりに私に感謝が足りないのです。(この辺りの人は)不平不満ばかりいっているのです。

そのような心を反省され、少々の報恩の行為くらいされてはどうでしょう。

そうすれば、これほどの災いばかり起きている日本にも奇跡が起きてくるからです。

いま日本に起きている異常現象は、私のことを知っている人たちが、私に傲慢不遜な態度を取り続けていることに原因があるのです。

では、そのような心と行いを反省され、私に感謝し報恩の行為をされてはどうでしょう。そうすれば、それとは逆の奇跡の現象が起きてくるからです。

日本に起きている災いを減らし奇跡を起こす、それにはこの反省と報恩の行為、これ以外ないのです。

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1月 19 2015

幕末の志士と現代の志士

昨日は、ちょっとした事情でブログを書くのをやめておきました。書かない方がよいと思ったからです。

マァ、それはともかく、民主党の新代表が決まりましたね。

あの方(あまりよけいなことを書くとまた皆にいじめられるんですが。何せあの方は、お隣の三重県の方でイオングループ総帥のご子息です。この辺り息のかかった人がたくさんいるものですから。〔苦笑〕)まじめすぎて固いという評判ですが、あまりに固すぎると民主党が割れてしまわないか心配です。(やはり人は遊びがないといけません。四角四面では息が詰まってしまいます。遊びの部分は必要でしょう)

あの方は、まじめすぎて遊びの部分がなさそうですし、他党との共闘も積極的ではありません。調和するのが少し苦手なのではないでしょうか。(今回の代表選でも、他候補のよけいなことをべらべらしゃべっていましたし)

野党がバラバラになれば、当然ではありますが与党が得をします。この方が代表だと民主は苦しいのではないかと思いますが、どういう政策を出されるのか見ていましょう。(結局よけいなことを書いてしまいました。〔性分です〕また皆にいじめられます。〔涙〕)

どちらにしても、日本のためになる政策を出していただきたいものです。

日本のためといえば、昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」も、そういう場面が出てきましたね。

吉田松陰は、やはりあの時代には収まりきらない型破りな人だったようで、何かあの時代の人たちとは生きるスピードが違っていたようです。

そういう人が起爆剤となり、多くの幕末の志士が誕生したのです。吉田松陰の役割はやはり大きかったといえるでしょう。

しかし、昨夜の松陰ほか志士たちの「誰かがやらなきゃいけない」とか「誰も日本の危機を分かっていない」などの言葉は、何か今の私と相通じるものがあり、こんなところに同士がいたのかと一人で喜んでいました。(笑)

昨日の花燃ゆでいっていた、志士たちの言葉は現在の日本にも当てはまります。

誰も日本の危機を分かっていないのです。(ただし、今回は黒船ではなく、神ですが)誰かがやらなければ、日本の(ひいては世界の)危機を救うことは出来ないのです。

まだそれに多くの人は気づこうとしないのです。

しかし、前回書いた方やウナッシーさんなども含め、今年は少しは法の動きが出てくるように思います。それこそ日本を救おうと思われる方々はぜひご協力ください。(というか、やらないといけないのです。すでに多くの神の業が現れているからです)

幕末の頃と現在は、日本に同じような危機が訪れています。(幕末の頃はあまりに異国に無知であったため、今回はあまりに神に無知であったためです)

現代も同じく時代の変わり目であるからです。

その(時代の変わり目の)危機を早く多くの人が気づかなければいけないし、それに気づかなければ、まだまだ多くの不幸が現れることになります。

幕末の頃の志士たちは、時代の先を読み、真っ先にそれに向かって動いた人たちでした。そのような人たちが、新しい時代を築いたのです。

それはこの時代も同じです。時代の先を読み、真っ先に動いた人たちだけが勝利者となれるのです。前の時代の心のまま、一歩も動こうとしない人たちは、もう時代に取り残され滅びていくしかありません。(そのような現象が、そこかしこにすでに現れています)

出る現象は激しくなっています。多くの、幕末の志士のような志を持った人が現れてくれることを願ってやみません。

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