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1月 17 2015

法を知った人の使命の大きさ

今日で阪神大震災が起きて二十年になります。

兵庫県内の各地では、追悼の催しが開かれるとのことですが、そのような大災害を忘れないため、また亡くなられた人の追悼のための催しも確かに大事なことですが、一番大事なことは、このような大災害を二度と起こさないということです。

そのためには、今の心のままではいけないでしょう。

あの阪神大震災で多くの人の心が変わらなかったから、東日本大震災は起こされたのです。

その後、日本で起きている数々の異常現象はどうでしょう。これではいつ南海トラフ大地震が起きるか分かったものではありません。

このブログを見ている人たちはいつ立ち上がられるのですか?

法を知っている人が立ち上がらなければ、多くの人の心を変えることは出来ないのです。

相変わらず、この辺りではおかしな現象が多発しているようですが(前の会社など、今日は明らかにおかしいのがいます。〔一人で興奮しています〕また何か起きたのでしょう)そんな中にあっても奇跡が起き続けている者もいます。

法を知るか知らないかで、起きる現象がまったく違っています。その違いを早く自覚されることです。

国内では、ウナッシーさんが頑張っていられるようですが、イタリアでも法の流布に頑張っていられる人がいるようです。(何度かメールをいただきましたので)

この方、日本の方なのですがイタリアに住んでいられ、高橋先生と園頭先生のお言葉を、イタリア語に翻訳され出版する準備を進めていられるそうです。

私のブログをずっと読んでいられ、いろいろ指導してほしいとのことですので、共々に頑張ってまいりましょうということで、連絡を取りながらまたやって行きたいと思っています。

その方から、園頭先生はどのような禅定をしていられたのですか?という質問をいただきましたので、それをここで答えておきます。

園頭先生の禅定は、宇宙即我の境地に到達している禅定ですので、そんなに簡単に理解できるものではないでしょう。

ただ、園頭先生のご指導でも、やはり反省禅定が中心であったようです。そうして、時には神への感謝を深める禅定もされるとよい、ということもいわれておりました。(禅定をしながら「神よありがとうございます。神よありがとうございます」と神への感謝を深めていくのです)

そのような禅定を心がけられ、どうぞ、そちらはそちらで頑張ってください。

この方は、すでにいろいろ天上界から教えられ現象も現れているとのことですが、あまりに霊現象が出すぎてしまうのは逆に危険です。(悪魔も必ず何かしてきますから)

八正道で教える、正定は(正しく禅定すること)特に大事です。くれぐれも正しい禅定を心がけ行ってください。

このように世界で(他国で)頑張っていられる人もいます。

それなのに、法がある日本で何もしようとしない人が多いということは、本当に残念です。

欧州ではテロの拡散が現実味を帯びてきました。(フランスだけでなく、ベルギーでも大規模なテロ計画が発覚したようですが)イスラム過激派などの間違った教えが世界を毒しつつあり、世界のあちこちでイスラム国などに協力する人が出てきています。

この間違った教えに対抗できるのは正しい教えだけです。

その、唯一の正しい教えが日本に出現しているにもかかわらず、それを知っていながら多くの人が無視しているのです。それでは恐ろしい現象も現れてきます。

法の出現を知っている人たちが立ちあがらなければ、世界を救うことはできません。また、このような間違った教えが世界に蔓延(はびこ)りだしたのも、正しい教えが現れているにもかかわらず、その教えを多くの人が無視しているからです。(悪魔が攻勢をかけてきましたね)

天変地変を抑えるだけではなく、世界の平和さえ実現できる、なぜこれほどの教えを多くの人が無視しているのですか?(特別日本の人たちだけではないんでしょうが)

この法を知った、それぞれの人が自分でその使命の大きさを自覚し、自分で立ち上がらなければ(日本はもとより)世界は平和になりません。

法を知った人の自覚のなさ、それが世界に混乱を招いている一番の原因なのです。

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1月 16 2015

愛の心

少しこの辺りの雰囲気も変わってきましたかね。(相変わらず残念な人はいるんですが)

いつまでも同じ態度では起きることも変わりません。この名古屋で起きている現象を甘く見ていては最後には滅ぼされてしまいます。

名古屋で、これだけの神の業が現れているということは、それだけ名古屋の人々は神に愛されているということです。

その神の愛に早く気づかなければいけないのです。

いつまでも私に逆らうのではなく、私の意見に耳を傾けられてはいかがでしょうか?そうすれば奇跡が起きてくるからです。

昨日は雨であったので(人が少ないと思い)白鳥公園に行きました。鳥たちに雨は関係ないからです。

するとやはりカモメやすずめ、水鳥たちが騒いで楽しいものでした。(少し寒かったのが玉に瑕ですが)

圧巻だったのは、鵜の大群が私のいた横の堀川に降りてきて、そこでしばらく騒いでいたことです。(数十羽はいました)

その鵜たちが私の横で騒いでいましたので、私が「お前らあまり魚を取るんじゃない」とか「お前らあまり魚ばかり食べるんじゃない」とかいって歩いて行きましたが、すると、その鵜の大群が私の後をついてくるのです。

歩くとついてくるので、止まってその鵜の大群を見ていると、今度はその場で堀川にもぐったりして私から離れようとしません。そのうちに前から船が来ました。

ところが、その鵜の大群は逃げようとしないのです。普通なら、前から船が来ると分かったら即座に飛び立つはずなのに、私の横にいる鵜たちは飛び立つそぶりも見せません。

船に乗っている人たちはしきりに鵜を気にしています。(あまりに逃げようとしなかったからです)それで私が「お前ら逃げないのか。分かった、ではひかれろ」とか冷かしていたんですが(魚をたくさん食べる鵜には、私はあまりいい感情を持っていませんので。〔苦笑〕)もう船まで数メートルというところまで来て、先頭の鵜たちから飛びたち始め、全部の鵜が飛びたちました。

当然ですが、そこらじゅう鵜だらけになりました。(笑)

その鵜たちを、凄いなと笑って見ている人たちもいましたが、あまりよい印象を持っていない鳥たちまで私の近くに寄ってきて遊んでいるのです。こういう奇跡的なことが私には毎日起きて楽しいものです。

同じ名古屋で、このようなことが起きている者もいるのです。では、このようなことが他の人に起きても何も不思議ではありません。心さえ変わるのなら、このようなことも起きるのです。

同じように名古屋に住んでいて、いつか自分にも病気が発症するのではないかと(この状況では当然そうなります。現在の名古屋は、もう誰がいつ、どのような病気になるのか分からないのです)おびえながら生活するのか、それとも、今日はまたどんな生き物が寄ってくるのだろうと、楽しみを感じて生活をするのかでは天と地ほど違います。

そんな不安を心に秘めたまま生活をしていては、どれだけよい家に住んでいても幸せなはずがないからです。(このように考えますと、物で幸せを買えるものではない、やはり心が健康でなければ人は幸せではないとつくづく思います。物などどれだけあっても、心に不安を抱えていては、そのような人は不幸でしかないのです)

その不安を解消したいのであれば、この教えを学んでみてはどうでしょうか。

現に、この教えを知っている私には、次々に奇跡が起きているのです。

これほどの差が目の前に現れていても、それでもまだ無視しますか?この現象を私のせいにし続けるんでしょうか?

それほど愚かな行為もないでしょう。どれだけこの現象を私のせいにしたところで、この現象が収まることはないからです。

もう気づかなければいけないでしょう。自分たちの間違いをです。

日本の人々は、あまりに神を無視し続けた(唯物無神論)結果、大変な現象が日本に現れ、その神を無視できなくなって来ているということです。

だから、もう神の教えに従うしかないということです。

この神の業を、無視しようと逆らおうと、そのようなことをしている間は、それではいけない(災い)という現象は出続けます。

あとはもう、いつ多くの人が改心するか、それだけなのです。

この名古屋のような災いが起き続けている地であっても、奇跡が起きる者もいます。愛の心があるところに奇跡は起きます。

傲慢な心を捨てられてはどうでしょうか。

追伸…フランスは、イスラム過激派の一連のテロ事件を受けて、テロとの戦争にかじを切るとのことですが、そのような判断が正しいのでしょうか?

フランスにも問題はありますよね。あのような風刺画はイスラム教を冒涜しているという、イスラム教徒が現にいるのですから、では、あのような風刺画を控えればいいのに、表現の自由をたてにして、また同じような風刺画を描いています。

日本のテレビでいっている人も多いのですが、何でもかんでも自由ではありません。自由とはいえ秩序のない自由は争いを生むだけです。まさに今のフランスがそうなのではないでしょうか。

このままいけば、また多くの犠牲者が出ます。フランスはキリスト教の人がほとんどのはずです。では、キリストの言葉を思い出されてはいかがでしょうか。

キリストは次のようにいわれています。

「目には目、歯には歯といわれることあり、されど汝らにいっておく、汝の敵を愛し、責め憎む者のために祈れ」

表現の自由を守れ、という前に、キリストがいわれた『愛』を忘れてはならないのです。

(私など、キリストがいわれた通りのことをしているのに〔私を責め憎む者のために祈っています〕私が祈るとギョッとする人が多いのです。私の祈りは愛の祈りです。勘違いされては困ります)

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1月 15 2015

法と縁を持てなかった悲劇

しかし、現在この名古屋で起きている現象を、後世の人はどのように呼ばれるのでしょう。(現代版過ぎ越しの祭りでは、少しダサいです)

どう呼ぶようになるのかは分かりませんが、どちらにしてもこの現象は、後世まで語り継がれることになるでしょう。それほどの現象ではあります。(さっきもサイレンがしていましたが)

このサイレンがいつ止まるのか、ということですが、昨日はさすがに青くなる人も多かったようです。(ブログの内容が内容でしたので)

それでも怒って、嫌がらせをして来た人もいるにはいますが、しかし、少なかったですね。そういう人もです。(少し前までは、ああいうことを書けば烈火のごとく怒って、嫌がらせをしてくる人がたくさんいたんですが、大分名古屋の人も変わってきました。これだけ長く、このような現象が続けば変わらざるを得ないんでしょうが)

そうであるなら、もう一歩進めて、この教えを勉強されてはいかがでしょうか。結局そうしなければ本当の救いは来ないからです。

昨夜のニュースで、最近死ぬ人が多くて、火葬がすぐできないところもあるといっていました。亡くなった祖母の火葬を一週間も待った人までいたのですが、去年死亡した人は百二十七万人で、年間で亡くなる人が、この十年間で二十万人も増えているそうで、これからも亡くなる人は増える傾向にあるそうです。

このような統計が物語っていますが、これからは死ぬ人が確実に増えるということです。

そうなると思いますよ。だって、もう法と縁が持てないと天が判断した場合、その人はあの世に引き上げられてしまいます。そういう人が多いのですから、日本は死んでいく人が増えることはあっても減ることはないでしょう。(この日本に生まれてきている人は、法の勉強をするために生まれてきた人ばかりです。〔如来が生まれられたのですから当然です〕そういう人が法の縁を持てなければ、この世に〔この日本に〕肉体を持っている意味がありませんから、当然そうなります)

高橋先生や園頭先生と縁を持たなければいけなかった人で、縁を持てなかった人が多いのです。

もちろんその理由は、弟子たちがしっかり働かなかったからです。今回の如来の弟子たちと、釈尊やキリストの弟子たちを比べてみてください。どれくらい違うのかよく分かります。今回の如来の弟子たちは、法を世に伝えることもしなければ、奇跡を起こすこともしないのです。

これでは、如来の名も法も世に伝わるわけがないのです。

やりたくても出来ないのです。なぜなら、今回の如来の弟子たちは正しい法がまるで説けていないからです。(高橋先生、園頭先生の下で一体何を勉強していたのでしょう)だから、法が広く伝わることもなければ奇跡も起きないのです。天がまったく協力しないからです。

今回の如来の弟子たちと、奇跡を次々に起こした、釈尊やキリストの弟子たちとの差はどうでしょう。これでは法に縁を持てなかった人がたくさん出るのも道理なのです。(法を勉強したのであれば、釈尊やキリストの弟子たち同様、次々に奇跡が起きないといけないのです。正しく法を説いている者には、その証明として必ず現象が現れるからです。しかし、そのような奇跡が起きているのは弟子の中では園頭先生と私だけです。つまり、高橋先生の弟子の中では園頭先生だけが、園頭先生の弟子の中では私だけが、正しく法の勉強をしていたということです。だから、園頭先生と私にだけ奇跡が起きるのです)

だから、日本は死ぬ人が増えているのです。一番大事な約束(法の勉強)を果たせない人が多いからです。

この日本に生まれて法の勉強をしないということは、それほどのことであり、命に関わることでもあるのです。

私の周りで、私に嫌がらせを繰り返し、病気か何かで亡くなった人がいるかもしれませんが、そのような人は、もう私との縁(法との縁)が持てないと天が判断したため引き上げられたのです。

別に、その人が亡くなったのは、私のせいでもなんでもなく、自分が自分で法の縁を断ち切ってしまったからそうなったのです。

それほど、この世で法と縁を持つということは大事なことであり、命をかけてもやらなければいけないことなのです。(このようなことを考えれば、その法の流布を邪魔することが、どれほどの罪になるのかお分かりいただけると思います。そういうことをしているところに、癌が続出するのも決して不思議ではないのです。法を伝えるか伝えないかで多くの人の命にまでかかわることだからです)

最近、一変で多くの人が亡くなるという現象も起きてきましたが(広島の土砂災害や御嶽山の噴火など)これも法の流布と無関係ではないでしょう。(少し前までは、このような現象が起きても、これだけ多くの人が一変に亡くなるということはありませんでした。明らかに天が多くの人をあの世に引き上げていると分かります)

あのような大きな災害が起きた地に、もし法が伝わっていたのなら、このような現象(人が一変に亡くなる)が起きることはなかったのです。

法を勉強することの大事さ、法を拡げることの大事さが少しはお分かりいただけるでしょうか。(本当にこのブログを見ている皆さんは罪をつくっています)

いい加減、この法の大事さを理解していただけないでしょうか。名古屋にこれほどの現象が現れているということは、それはそれだけ大事なものが(それだけ多くの人が知らなければいけないものが)名古屋に現れているということなのです。

この名古屋で起きている現象の本当の意味を、一人でも多くの人が早く理解していただかねばならないでしょう。

そうしなければ、日本で亡くなる人は増える一方となるからです。

この名古屋に現れた法を、理解し行ってもらう人が増えれば増えるだけ、日本で亡くなる人も減ってくるということです。

どちらにしてもこの教えは(日本だけなく)世界を救う教えであります。

その教えを無視しているほどの大罪はないのです。

追伸…昨夜のニュースで(これは別の局でしたが)安楽死のこともやっていました。

同じ死の問題なので書いておきますが、結局、安楽死しても同じなのです。この世で体験しなかった苦しみをあの世で体験することになるからです。(そのような体験を通して心を磨かなければいけない人は、必ず、そのような体験はさせられるのです)

そういう苦しみが嫌なのであれば、法を勉強して実践されることです。法を実践できれば、この世の苦しみもあの世の苦しみもなくなるからです。(天上界が導いてくださるからです)

この法を深く勉強すればするだけ、そのような死の悩みもなくなっていきます。

釈尊やキリストが説かれた、本当の神の教えとは、そのような万能なものであるのです。

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1月 14 2015

先の予測

最近の気象庁の少し先の予報は、まず当たりませんが(今回の冬も暖冬という予報が出ていましたが、結局暖冬ではありませんでした)それはともかく、私も先の予測を少ししてみたいと思います。

ちょっと考えれば分かると思いますが、この名古屋でしているサイレンを、このまま放置(私のせいにして怒っているだけなら放置しているのと同じですよね)しているのなら、最後には、この名古屋の人全員が病院に運ばれるということになると思いますが、そこは皆さんどのように思っているのでしょうか?

名古屋に住んでいる人は、どこかでこのサイレンは止まると思っているのでしょうか?それとも自分はそういうことにはならないと思っているんでしょうか?

まさか、そこまで考えていないということはありませんよね。

どう思っている人が多いのか知りませんが、みな普通に仕事をして私が通りかかれば私に嫌がらせをするだけです。(何か皆さんの日課のようになっていますが。〔苦笑〕)

私一人を悪者にするのは結構ですが、このままの状態が続けば、いつかは名古屋は滅びます。

今のところサイレンがやむ気配はありませんが、この先どうされるおつもりですか?

そんなことまでは誰も考えないのでしょうか?それとも想像がつかないのでしょうか?(こんなこと起きたことがないのですから)

考えもせず、想像もつかないのなら、私のいうことに少しは耳を傾けられてはいかがですか?最悪このままでは名古屋は滅ぶかもしれないからです。

このままこの状況をほっておくなら、名古屋のすべての人を病気にするまで、神はこの現象を現し続けるでしょう。

それほどの罪を名古屋の人たちはつくり続けているからです。

本当に大丈夫ですか?私を犯人にし続けてです。(単に悪いことを私のせいにしているだけでしょう。名古屋の人たちは)

では、私以外でこのサイレンを止められる人がいるのですか?

そういう努力をされた人は名古屋にいるのかもしれません。(例えば、このサイレンを止めてくださいと、神に祈ったり、お経を上げたりです)というか、多分、そのようなことをされた人たちはたくさんいたでしょう。しかし、このサイレンは止まりません。現在も出続けているのです。(一日も欠かさずです)

名古屋にはノーベル賞を受賞された方までいますが、そのような優秀な大学教授の方々でも、この名古屋で起きている次々に起きるサイレンは止められないようです。

この名古屋で起きている、一連のサイレンは救急車ばかりではないですからね。消防車のサイレンもよくしているのです。(何か火事のニュースも多いですし)

病人やけが人も多ければ火事も多い、現在の名古屋は不幸のどん底みたいな状況が続いていますが、これはもう自然の範疇を超えているでしょう。現在の名古屋は、まさに不自然なことが起こり続けているのです。

その不自然なことこそ神の業なのですが、神の業が次々に現れているといっても、名古屋の人たちは、その神の業(目に見えない力)を信じません。だから、それを人(私)のせいにして平然としているのです。

しかし、一人の者がどうしてこれだけのことが出来るでしょう。(まったくナンセンスです)これほどの現象を一人の者が起こせるわけがありませんが、もう、そのような無茶な考えをしなければいけないほど、名古屋の人たちは追い詰められているのです。

それほどの現象が名古屋で起きているからです。

このサイレンは、私のせいと思っている人が多いのですから、私が関係していることは確かでしょう。

私が関係しているのなら、私がいわないといけないでしょう。

ではいいますが、私に協力してくれている人には、少なくともこの現象は関係がないと思います。つまり、そのような人たちには、この神の業は過ぎ越すということです。(すでに現代版『過ぎ越しの祭り』は始まっていますから。名古屋の人たちがそれを信じないだけです)

ただし、協力しているといっても、それが度を越しているのであれば(前にもいいましたが、あまりに私を見張りすぎているとかです。〔例えば、私のパソコンをのぞきまくっているとかです〕)そのような人たちにも何か起きてきます。(神は過ぎ越さないということです)

それを協力しているとはいわないからです。それはやりすぎというからです。(何でもそうですが、すべて中道が大事なのです)

そこはお気を付けください。私を見張っているあなたたちもすでに神から見張られているからです。

しかし、そのような人たちは神が過ぎ越しますが、私のいうことを聞かない人たちです。(無視していたり、逆らっている人たちです)

このような人たちは神は過ぎ越さないでしょう。何らかの形で現象が現れると思います。そこはご了承ください、悪いのは神に逆らい続けているあなたたちの方だからです。

そのような人たちが救われたいのであれば、即刻、そのような心を反省され、私に協力されることです。そうすれば、その人たちを神は過ぎ越すでしょう。

それが、現代版過ぎ越しの祭りの神が過ぎ越す唯一の方法だからです。

これほどのことが名古屋で起き始めたのです。少しは考えを変えられてはいかがでしょうか。

現に、名古屋で起きているサイレンは止まりませんし、私の周りでは不思議な現象が数えきれないくらい起きているのです。

いま起きていることは、もう自分たちの頭で考える物事の範囲を超えているのではないでしょうか。

自分の常識を超えることが起きているのです。それなのに、いつまでも自分の常識にとらわれていてよいのでしょうか。

そんな小さな考えを、いつまでも持っているから悪いことばかり起きるのです。

昨日も書きましたが、多くの人がこのままの考えで進むなら、その先には悲劇しかまっていません。(もう時代が変わっているからです)

少し心と行いを変えるなら、起きることも変わってくるのです。(災いから奇跡にです)

いつ自分の殻を破られるのですか?

自分の殻を破り、心を変えられた人にはすでに奇跡が起きているのです。

(この名古屋で起きている異常現象を「現代版過ぎ越しの祭り」といってもおかしくはないでしょう。それほどの現象が名古屋で起きているからです。〔この現象でパニックになる人もいるくらいですから〕では、それほどの現象がなぜ名古屋で起きているのでしょうか?それを名古屋の人たちはよく考えないといけないのです)

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1月 13 2015

神の業と人の業

フランスのデモは、フランス全土で三百七十万人もの人が参加する「フランス史上最大」の規模となったようですが、それほどの反テロデモが行われたにもかかわらず、昨日またナイジェリアで少女の自爆テロが起きたようです。(しかも今回は二人の少女だそうですが)

どれだけ大規模なデモが起きてもテロは収まる様子を見せません。そのような思想信条よりも信仰心の方がはるかに強いからです。

この少女のテロは、イスラム過激派のボコ・ハラムという組織が行っているそうですが、このようなイスラム過激派は、人の業には強いのであり、だから、どれだけ不利な戦いになろうととことんやり返すのです。(神の後ろ盾があるからです。その神と信じているものは本当は悪魔なのですが)

それが神から与えられた、自分たちの使命であると思いこんでいるからです。

しかし、人の業に強い者たちは神の業には弱いのです。人には逆らえても、その神には逆らうことが出来ないからです。

例えば、いま問題になっているイスラム国に、モーゼが起こされた奇跡が起きたらどうなるでしょう。

イスラム国は、シリアからイラクにかけてを領土としていますが、そのイスラム国の川の水が血に変わり、カエルやあぶやイナゴがイスラム国全土を覆い、人や家畜には膿の出るはれ物が広がり、空から大量のヒョウが降り注ぐ、そんなことが起きれば烏合の衆であるイスラム国は、それこそ天罰が下ったと大騒ぎとなり雲散霧消(うんさんむしょう)するでしょう。

つまり、このような信仰心でつながっている組織は神の業には弱いのであり、このような者たちに対しては、人の業より(鉄砲や爆弾より)神の業なのです。

それとは逆に神の業に強く、人の業に弱いのが日本の人々です。

名古屋の人たちを例にとっても分かりますが、これほどの神の業が現れているにもかかわらず(今もしていましたが、昨日もサイレンがよく聞こえていました)少しも神の方に顔を向けようとしないのです。

そうして、神の業を人のせいにして、怒っているだけなのです。

これほどの現象を(毎日数人から数十人の人が病院に運ばれている)本当に人がやっているとしたら、名古屋の人たちはどうしたでしょう。

もし、一人の者が武器を持ち、毎日数人から数十人の者を病院送りにしていると知ったら、名古屋中の人が震え上がりパニックになるでしょう。しかし、私のように何も持っていないと「お前一人が悪い」ととたんに強気になり、たいして恐れもしないのです。

しかし、起きていることは、それこそイスラム国よりもっと恐ろしいとが起きているというのにです。(もうこの状況が二年以上も続いているのです。〔毎日ですよ〕どれだけ多くの人が病院送りになったか分からないくらいです。この状況はイスラム国より恐ろしいのではないでしょうか)

信仰心の篤い者は目に見えない力を恐れ、信仰心が薄い者は目に見える力しか恐れないのです。

それがこのような悲劇を生んでいます。

どちらの悲劇も、もう少し智慧を働かせ自分たちの状況をしっかり見られるなら、その間違いに気づくはずですが、どちらの人たちも、その智慧を働かせるということをあまりしないようです。

ただ表面上だけ見て、自分たちの考えを変えないまま進んでいるようです。

しかし、どちらの人たちもこのまま進めば、その先は大きな悲劇しか待っていないのです。

とりあえず、遠くの人より近くの人でしょう。近くの人を救わないと遠くにいる人を救えるわけもないからです。(順序が違っていますから)

名古屋の人たちにいっておきますが、何で私が知らない人を次々に病気にさせないといけないのでしょう。

私が、このサイレンの犯人であるというなら、このブログを書いている最中でも、私は知らない人を病気にさせているということになります。(今もサイレンがしていましたので)

そんなことが一人の者に出来ると思いますか?そんな、あれもこれもやりながら人を病気に出来る者など存在するのでしょうか?(動画を撮っている時にもサイレンがして来た時がありますが〔サイレンが聞こえている動画がありますので〕そのサイレンも私のせいということでしょうか?)

仮に、私が祈って人を次々に病気にさせることが出来たとしても、何でそんなことを私がしなければいけないのでしょう。その動機は何ですか?

特別私は、世の中に恨みがあるわけでも、人生を捨てているわけでもないのです。(それはこのブログを読んでもらえれば分かると思います)そんな私が、何で知らない人たちを次々に病気にしないといけないのでしょう。まったく意味が分かりません。

それに、そんな次々に人を病気にさせているような恐ろしい者に、何であれだけ気の弱い鳥や魚たちが喜んで寄ってくるのでしょう。(餌もやっていないのにです)どう考えても、このサイレンを私一人のせいにするのは、無理があるように思いますが、そこはどうなんでしょうか。

このサイレンは私のせいではありません。(それは上記の説明で理解していただけると思います)

名古屋の人たちは、理由のわからない現象が起きてきたので、単にそれを一人の者のせいにしているにすぎません。このサイレンの原因など、本当は誰も分からないのです。

このサイレンの原因が誰も分からないのであれば、このサイレンの止め方も誰も分からないということになります。

よいのですか?本当に私一人をこのサイレンの犯人に仕立て上げておいてです。

もしかするとです。このサイレンを止める方法は、その私しか知らないかもしれないからです。

なぜ、鳥たちは私一人に集まるのでしょう。なぜ、魚たちは私に寄ってくるのでしょう。

もしかすると、そのような動物たちが、このサイレンを鎮めることが出来る人を知っているのではないでしょうか。その動物たちが、この名古屋を救える人を知っているのではないでしょうか。

その動物たちが教えていることを、名古屋の多くの人たちは見逃しているのです。

名古屋の多くの人たちが、このサイレンの犯人にしている者が、もしかしたら唯一、この名古屋を救える者かもしれないのです。

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