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10月 28 2014

いろいろな場所で起きる奇跡の現象

何かブログの回線の調子がいまいちよくありません。昨日も全然切り替わらなかったので、ブログを書くのをやめました。

この前もそういうことがあり(この前はインターネットから全部でした)それで修理に出そうと思ったのですが、買った店に持って行くとどこも悪くありません。回線が立て込んでいただけではないかということで、そのまま持って帰ってきましたが、また昨日もブログが切り替わりませんでした。

回線の調子が、たまたまよくなかっただけなのかよく分かりませんが、今日はよいようですのでブログを書きます。

昨日は(ブログも書かなかったので)少し早めに家を出て野間に行ってきました。(新規開拓をせよと、天からいわれていますので)あの女子プロゴルフのトーナメントをやった場所です。

前にも書きましたが、ずいぶんあの時、多くのすずめの歓迎(?)を受けたからです。

女子プロのトーナメントの時は(駅にも人がたくさんいて)賑やかでしたが、そういうことがないとこの辺りは静かなものです。(本当に家も会社も少なくて名古屋とはずいぶん違いました)そう考えると、ああいうゴルフのトーナメントなどは、あれも町おこしの一環ですね。

名鉄の野間駅から見回しても(一人、二人歩いている人は遠くにいましたが)人もあまりいなければ鳥もいません。「あれ、今日はやばいかな」と少し思いました。(あんまり静かだったものですから)

しかし、気を取り直して、あちこち歩き回りました。すずめやら何やら動物の不思議を撮るためにです。

野間の海なども行ったんですが(もう何年振りかですね、海など行ったのは)やはり鳥も魚もいません。(海に向かって叫んだんですが、さすがに魚は跳ねませんでした。〔笑〕)

「来た意味なかったかな」と思いながらビデオ片手に歩いていましたが、町中を歩いていると、あちこちで鳥の鳴き声が聞こえ、喜んで寄ってくるすずめも何羽かはいるのですが、しかし、数が少なすぎます。

「何だお前ら、今日は少ないな、もっと仲間連れて来いよ」とか、すずめにいっていたんですが、この前とはえらい違いで、あまりたくさんのすずめが集まってきませんでした。

二時間ほど歩き回っていたんですが、たいしてすずめは寄って来ません。それで今日は日が悪いのでソロソロ帰ろうかと思っていたところ、鳥の集団に出会って(あの鳥の名前また忘れてしまいました)何十羽という鳥が飛び回るところは撮れました。(私が通りかかると、その鳥たちが大騒ぎをはじめたものですから、数十羽の鳥があちこち集団で飛び回るシーンが撮れました)

しかし、肝心のすずめの集団が撮れそうもなかったので(周りを見渡してもすずめがいませんでした)「今日はすずめがいないな」と思い、諦めて帰ろうと駅に向かい帰りかけたのですが、ある道の角を曲がり駅が見え始めた辺りの場所に、なんとすずめが集団でいるではありませんか。

「あれ、何でこんなところにいるの?」とちょっと不思議でしたが、ちょうどいいと思い「お前ら久しぶりだな」とか声をかけながら、ビデオを撮り始めました。

すると(毎度のパターンですが)最初十数羽くらいしかいなかったすずめが、段々増えてきて、最後は数十羽ほどになって大騒ぎしているビデオが撮れたのです。(一体このすずめたちどこにいたんでしょう?周り見渡してもすずめなどいなかったのに)

この前(女子プロゴルフのトーナメントの時)は、この程度の数ではなかったものですから(数百羽は集まっていました。私の周りがすずめだらけでしたから)少々物足りませんでしたが、今日の私は、野間にわずか二時間ほどしかいなかったのです。(この前は半日以上いました。トーナメント会場でも、すでにすずめが騒いでいましたから)

それでは遠くにいるすずめまでは、私がいることに気づきません。仕方がないといえば仕方がないでしょう。もっと迫力のある映像は後にとっておきましょう。数百羽の野間にいるすずめたちが、私の回りに集まってくる映像は、いずれ撮ることが出来ると思うからです。

どちらにしても、わざわざ野間まで行き、それらしい映像が何も撮れなかったんでは話になりませんが、やはり何か奇跡は起こります。

野間でもよい映像が撮れたと神に感謝しています。

このように(もちろん野間に来たと証明するため、名鉄の野間駅の映像はちゃんと撮ってありますし、その動画も公開します)これから私は、あちこちの場所で(鳥や魚などの)奇跡が起きるということを証明していくことになります。

私の動画は、遅かれ早かれ世界の人が観ることになると思いますが、十分、世界の人々に奇跡の国日本を、紹介できるものと思われます。(これからまだどんな奇跡が撮れるか分からないからです)

マァ、動画を観てからで結構ですが、日本の人々は少しはこの法を勉強されてはいかがでしょうか。(私を目の敵になどしていないでです。何度もいいますが、そんな悪者に何度も、こんな小さな生き物が集まってくるという奇跡が起きますか?)

この法を勉強することが日本に生まれた人の使命だからです。

どれだけ日本の人々が、無視をしようが拡げるのを邪魔しようが(今日はまた前の会社、異様に静かです。〔たまに切れるのがいてでかい音をたてますが、いつもと全然違います〕ここでも次々に奇跡が起きているようです)この法は、日本はもとより世界中に拡がって行くことになるのです。

本当の神の教えが拡がらなければ、この世は滅びてしまうからです。

次々に天から順序をいただき、この日本から、この教えは世界に拡がって行くことになります。

何度もいいますが、日本の人々が、いつまでもそれに気づかないふりをしていてよいのでしょうか。

追伸…今度の内閣は次々に問題が発生していますが、大丈夫でしょうか?(よくこれだけ続くものです)

やはりまずい法案があるとこうなります。やることなすことうまくいかなくなるのです。(天がそのようにするからです。簡単にいえば、私とは逆の順序を与えられているということです)

昨日、中日新聞の夕刊に出ていましたが、東のラスベガスといわれるアメリカのアトランティックシティーでは、カジノが次々に閉鎖しているそうですね。(つくりすぎたきらいはあるにせよです)

専門家からは「カジノは街の将来を託せる産業ではないということが証明された」という意見まで出始めているそうではないですか、やはりカジノは一時は儲けても後が続かない、とても産業と呼べる代物ではないということです。

早々に厄払い(IR法案の廃案)はされた方がいいでしょう。そうしないと、このような悪循環は止まらないからです。

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10月 26 2014

本当の地方創生

昨日は、中川運河と堀川に行ったんですが、魚はほとんど跳ねませんでした。(中川運河は鵜がいて魚を取っていましたからね。あれでは無理でしょう)

最近はこの辺り、何か様子が変だなと思い昨夜祈っていると、あることが浮かんできました。それが『同じところでばかりで撮るな』という思いでした。

それで分かりました。一昨日あれだけ山崎川で跳ねた魚が、昨日の堀川や中川運河では跳ねなかった理由がです。

同じ場所で撮っていたからです。もっといろんな場所に行き、そのような動物たちの奇跡を撮らないといけないからです。

だから、あまり行かない場所である山崎川では魚が跳ねまわり、よく行っている場所である堀川では最近魚が跳ねなくなったのです。

だから、これからは違う場所に行き、そのような動物たちの不思議を撮らないといけないのでしょうが、とはいえ、一昨日行った瑞穂競技場にある山崎川でも行くまで大変だったのです。

何が大変かといえば、行くまでに地下鉄に乗らないといけないからです。私は地下鉄に乗って移動するのも大変なのです。

だって私が地下鉄に乗れば、鼻ばかりすすってくるのはいる「ゴホゴホ、ガハガハ」咳かなんかしだす奴はいる(それも露骨にです)そういうことをされれば私も黙ってはいない。

「鳥も寄ってこんような人たちはさすがにやることが違う。愛がない」などと、またその場で辻説法が始まるからです。

一昨日の瑞穂競技場の辺りにいった時もそうでした。わずか四~五区の間、地下鉄に乗っただけでしたが、その乗ってる間中しゃべりっぱなしでした。(笑)

乗っている乗客の何人かの人が、そういう態度を取ったからです。

しかし、私の話を聞いても「ムッ」としている人がほとんどで(本当に、私が悪いと思っている人ばかりのようです)神妙になる人などいません。まして「ギョ」とする人など一人もいませんね。みな私のことを知っているからです。

電車の中で(それなりに)大きな声で一人で話していたら、普通なら、ギョとしたり、こいつ頭がおかしいんじゃないか(最近は危険ドラッグでもやってるんじゃないか)と思われ、青くなる人もいるはずですが、そういう人一人もいません。

その地下鉄に乗り合わせた乗客のほとんどの人が、青くなるどころか怒っているんですからね。まったく笑ってしまいます。(苦笑)

マァ、そのような状況ですので、電車やバスは(バスなどもっとひどいです。何せ、そのバスの運転手にまで嫌がらせを受けますから〔笑〕)あまり乗りたくはないのですが、法の流布のためです。そうもいっていられないでしょう。

そのような動物たちの不思議な生態を記録した動画が、来週くらいには公開できると思いますが(来週には出来ますよね、社長)いろいろな場所で、そのような奇跡が起きるということを証明しないといけません。

嫌でもそれをするしかありませんね。それが私の使命だからです。

しかし、このようなことは町おこしにならないのでしょうか?

例えば、これから公開する私の動画には、庄内川の河原やら、堀川、白鳥公園、あるいは名古屋市内のいろいろな場所が出てきます。そういうところで(動物たちの)不思議なことが起きているからです。

この私の動画は、いずれは世界中の人が観ることになります。私の周りでは、誰もが興味を引くような奇跡が次々に起きているからです。

その事実を知るのであれば、日本人であろうが他の国の人であろうが、興味がわくのは当然のことでしょうから、その事実が知られていくのであれば、いずれは世界中の人が私の動画を観て、そうして名古屋のいろいろな場所で起きている奇跡を知ることになります。

では、そういう奇跡が、名古屋で起きていると世界の人が知るならば、その世界の人は名古屋に来ないのでしょうか?

来る人も多いと思います。このような奇跡はどこにでも起きているということではなく、この名古屋でしか起きていないことだからです。そうであるなら、そのような奇跡が起きている地に来てみたいと思うのは、神の子の人間として当然起きてくる思いだからです。

そうであるなら、これは町おこしになるのではないですか。(これ以上の町おこしはないと思いますが)

なるでしょうね、今の政府は外国の観光客を呼ぶのにやっきになっています。この事実を世界に知らせるなら、外国の観光客は黙っていても来てくれます。だから私は、日本に如来が出世されたことを、世界に知らせないといけないと何度もいっているのです。

如来の教えを勉強すれば、このようなことが起きるからです。このような奇跡が日本各地で起きていると知れば、ほっといても外国の観光客は来てくれます。(観光客といういい方が正しいかどうか分かりませんが。聖地巡礼の旅なのですから)

カジノなどつくるよりずっと健全なのではないですか、神の奇跡で人を呼ぶからです。

外国の人ばかりではありません。日本の人々でも、この法を勉強するなら、そういう周りが木々に囲まれた自然の多い場所に行くだけで、例えば川の前で一服でもしているなら、前の川では魚が次々と跳ね、回りの木々には鳥がたくさん来て「ピーピー」鳴きながら戯れている。

そうして、自然の多い道を歩いてきて汚れた靴の泥を、そこにいるカニが食べてくれる、そういうところに行くだけで、身も心も自然と動物たちに癒されるのです。これほど良いこともないのではないでしょうか。(現に私にはそのようなことが起きているのですから)

この法を多くの人が知って行ずるなら、それだけで、外国の観光客はもちろんのこと、人口が減少している町にも(そういうところは自然が多く、鳥や魚もたくさんいるでしょうから)人々が自然とやって来て、地方も潤うということです。

法を勉強するなら(神の心を自覚したいのなら)逆に静かな場所の方がいいからです。そのような自然に囲まれた中の方が、心の勉強になるからです。

つまり、この法を拡げるだけで、自然に地方創生はなるということです。

逆にいえば、この法を拡げようとしないから地方創生もならないのです。

本当の地方創生は「町・人・仕事」だけではできないからです。そこにある大自然と、そこに住む動物たち、そのすべての力を合わせないと出来ないことだからです。(動物が〔犬や猫が〕町おこしとなった例も現にありますから。可愛い鳥などがたくさん出迎える町や村があるなら、それだけで人が集まってきます)

しかし、そのすべての力を合わせる方法は、法を勉強しないと分からないということです。

ここに書いたことが嘘か本当かは、これから私が証明します。

ですから、これから私のすることは、町おこしや地方再生になり、そうして日本の復活までかかっているのです。

何度もいいますが、こんな私に少しも協力しようとしなくて(法を少しも勉強しようとしなくて)本当によろしいのですか?

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10月 25 2014

不思議を起こす者

昨日は、久しぶりに瑞穂競技場の辺りに行ったんですが、やはりそこでも同じようなことが起きました。一年ほど前に行った時とは全然違っていました。そこにいる鳥や魚たちが私のことを知っていたからです。

瑞穂競技場の中には川(山崎川)が流れているんですが、その川岸に下りてみると、その川には大きな鯉から小さな魚までたくさん泳いでいました。

瑞穂競技場には何度か行ったことがありますが、そこの川は橋を渡ったくらいで、川岸まで下りたことは一度もありませんでした。昨日初めて川岸まで下りたのです。

ということは、そこにいる魚たちは私のことを全然知らないはずですが、しかし、その川にいる魚たちはすでに私のことを知っていたのです。(魚たちが、川岸に来る人のことを知っているのかどうかは知りませんが)

そこのところはビデオで撮りましたので分かると思います。私が山崎川の川岸に下りて行くと、最初その川にいる魚たちは逃げていましたが、そのうちに私が「飛べよ」とか「俺のこと知ってるか」とか川に向かい声をかけていると(小魚ばかりですが)あちこちで魚たちが飛び跳ねだしたのです。(山崎川は浅いので、大きな魚たちは危なくて跳ねないでしょうね)

そこの山崎川の魚たちは、岸にいるのが私だと気づいた瞬間から、庄内川や堀川にいる魚同様、飛び跳ねだしたということです。

ということは、私のことをそこにいる魚たちはすでに知っていたということであり、初めて行った川の魚までが私のことを知っていて、よく行く川の魚たちと同じことをやりだすなど、これほど不思議なこともないのではないでしょうか。

そういう奇跡が昨日起きたのです。これは嘘でもなんでもありません。その山崎川の小さな魚たちが次々に跳ねる映像は、ちゃんとビデオに撮れています。

そうして、そこら辺りにいるすずめたちも私の近くに飛んできて、ひとしきり遊んでいました。そのすずめが来た場所は、小魚がたくさん跳ねていた場所から少し離れたところで、そこには小さな魚は全然いなくて、大きな鯉(四~五十センチくらいでしょうか)が数匹泳いでいました。

すずめに声をかけながら、そのすずめたちをビデオで撮っていると、鯉たちも寄って来ます。(目の前の川には鯉たちが、その川の向こう岸にすずめたちが何羽か来て遊んでいました。川幅は四~五メートルくらいだったと思います)

フッと気づくと、最初は五~六匹しか泳いでいなかった鯉が十四、五匹に、数羽しかいなかったすずめが二~三十羽に増えていました。私がすずめと鯉を交互に撮っている間に、飛んで来たり泳いで来たりしたようです。

目の前の川には十数匹の鯉たちが悠然と泳いでいて、その川の向こう岸には、多くのすずめたちが「ピーピー」鳴きながら、楽しそうに飛び跳ねて遊んでいました。

こういうすずめや鯉を見ていると本当に心が安らぎました。まるで現在日本に起きている異常現象とは無縁な、のどかな安らいだ風景がそこにはあったからです。

私がほとんど行かない(瑞穂競技場に行ったのは一年ほど前で、しかも、私は瑞穂競技場になど、その前でも数回くらいしか行ったことがありません)場所のすずめまで私のことを知っていて、それこそよく行く白鳥公園のすずめなどと同じような態度を私に取るのです。

よく行く場所の鳥たちも魚たちも、あまりいかない場所(または初めての場所)の鳥たちも魚たちも、みな同じような態度を私に取ります。

まったく不思議なことですが、現代の常識では考えられないこのような奇跡が、現実に起きているのです。このような事実を、このブログを見ている皆さんはどのように考えるのでしょうか。

鳥や魚が、餌を与えるわけでもない人になつくでしょうか?

私は一度も、鳥や魚たちに餌を与えたことはありません。仮に餌を与えたとしても、それで川の中にいる魚が、あちこちで跳ね出すということの説明はつかないはずです。(餌をやることで鳥や魚が寄ってくる、という説明はつきますが)

魚や鳥が寄ってくるだけではなく、川の中にいる魚が、あちこちで跳ねるということも不思議なら、道を歩いていても、そこらにいるすずめなどが、私の近くに飛んできて騒ぎ出すのも不思議です。(このような場面も昨日のビデオでは撮りました)

つまり、そこらじゅうにいる鳥や魚たちがみな私のことを知っているのです。これほど不思議なことはないのではないでしょうか。

それだけではありません。その者に嫌がらせを繰り返している者たちに、次々に天罰が下っているということも不思議なことなのではないでしょうか。

これもまた事実でしょう。いずれそのようなことが起きた人、あるいはそれが起きたことを知っている人たちの口から、その事実は語られることになります。そのような事実をいつまでも口を閉ざしているわけにもいかないからです。

いわなければ、その人たちにもいつかは天罰が下るからです。

このような奇跡が起きている者をいつまで無視しているのですか?そうして、いつまでその者に悪いことの罪を全部かぶせ、悪者に仕立てあげて嫌がらせを続けるのでしょう。

そのようなことをしている間にも、その者には次々に奇跡が起きているというのにです。

なぜ、これほどの奇跡が身近に起きているのに、みな自分のことだけをやり続けているのですか?頑なに無視を続けるのでしょう。

これほどの神の業が現れているのです。その神の業に驚き畏れ従うのは、神の子の人間としての取るべき当たり前の態度ではないでしょうか。

そのような態度を全くされようとしない、それは神を冒涜している以外の何ものでもありません。

早く、そのような傲慢不遜な態度は改められることです。そうすれば、今とは全く逆の世界が現れるからです。(私に起きているようなことが、多くの人に起きるということです)

謙虚になって反省する、まずやらなければいけないことはそれなのです。

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10月 24 2014

新しい時代

それにしても、いろいろ出てきますね。

今度はSMバーですか。ニュースで「SMバー」「SMバー」と連呼していましたが、大丈夫でしょうか、あんなことばかりいって(教育上よろしくなさそうですが)品格まで疑われそうです。(笑)

それにしても、前も現も経産相から問題続出ですね。(前経産相の方も、賄賂ばらまいて政治資金を私物化しているなど、まるでドラマにでも出てくるような、悪徳政治家とそっくりではないですか。これまでのイメージと違いすぎてかなりショックです)

これから原発の再稼働の問題もあるというのに最悪です。

どうなってしまったんでしょうか、安倍政権は。やることが裏目裏目に出ています。

これは本当に潮目が変わってきたようです。

やはりカジノ法案(IR法案)が元凶のような気がしてなりません。早々に廃案にしてはどうでしょうか。そうすればまた調子も戻るものと思われます。法案審議の前に総理の独断で廃案にしましょう。厄払いです。(出来ませんか、そんなこと)

それにしても、少し前から議員の不祥事(地方議員も含めた)が続出していますが、どうなっているのでしょうか。

それもこれも、消費税やら何やら国民に負担ばかり求めて、自分たちの痛みを伴う改革は何もしようとしない、そのようなつけが出てきているように思います。もう、そういう心が現れる時代となっているからです。

選挙制度改革ってどうなったんですかね。(まるで進んでいないようですが)こういうことも進めてもらわないと、政治不信は高まるばかりです。

これだけ政治家の不祥事が続いているのです。自らの襟を正すという意味でも、選挙制度改革は進めるべきではないでしょうか。(野党もスキャンダルには一致団結するのに、こういう話になると、いうことバラバラです。ああいうところを見ると、さすがに有権者は引きます)

すべてのことにおいて、そのような様々な問題が現象化する時代となりました。悪いことを放置しておけば、もっと悪い現象が現れ、その悪い部分を直さざるを得なくなります。

二十一世紀とは、そのような時代であり、だからこのような(天変地変を含めた)様々な異常現象が続出するようになったのです。(前の会社も大変そうですが大丈夫ですか?次々に何か起き出したようですが…今週はやばいといっておきましたがいった通りでしょう。早く私は誰なのか気づいてください。ずいぶん罰当たりなことをし続けています)

いつまでも責任転嫁や無視を続けたところで、やがてその問題は、もっと大きくなって自分たちに返ってきます。

人のせいではなく自分の責任、早くそのように思えるようになり、そう思ったのなら即反省されることです。

反省されれば、その罪は許され、そうして正しいやり方をされるなら、今度はそこに奇跡が起きてくるからです。

現に私は奇跡ばかり起きています。(このブログにいろいろ書いていますが)

それなのになぜ多くの人は(私の周りでもそうですが)悪いことが起きているのに、自分の考えも行いも変えようとしないのでしょう。(その度が過ぎている人も多いんですが)

自分の周りに奇跡が起きているというのであれば、その思いや行いを変える必要はありませんが(その場合は変えてはいけないのです。今していることが正しいことだからです。だから私は自分の心も行いも頑なに変えないのです。次々に奇跡が起きているからです。その奇跡が自分のしていることが正しいという証拠だからです)奇跡が起きていないというのであれば、今のままのやり方をしていてはいけないのです。

今のやり方は正しくないという証拠だからです。何も起きなければいいだろう、ではないのです。必ず何か、それなりのことが起きてくる時代(正法の世)となっているのですから、何も起きないのも、それはすなわち悪なのです。(心の進歩がないということだからです。進歩しないことを善とはいいません。進歩がないのは悪です)

何も起きないのも悪なら、悪いことが起き続けているのも、もちろん悪です。

よいことが起き続けていることが、唯一の善であり、そのようなことがすぐに分かる時代となったのです。

悪いことが起きるのが人のせいなどナンセンスです。そのような自分の悪い心がすぐに周りに現れる時代となっているからです。

多くの人は、時代が変わったにもかかわらず、それに一向に気づくことなく、時代も同じなら、起きてくることもこれまで通り変わらないと、ただ漠然と思っているだけで、その時代が変わったから起きていることを責任転嫁しているに過ぎないのです。

しかし、これだけ恐ろしい現象が、次々に現れる世となりました。いつまでも、これまで通り、というわけにはいかないでしょう。(それだけ恐ろしい心の持ち主が多いということだからです)

新しい時代は、これまでのような外見だけでなく、その心まで問われる時代となったのです。

そのことに(時代が変わったということに)早く気づき、自分の心を時代に合わせて正しく変えた者だけが、これからは生き残ることができ、そうして人生の勝利者となるのです。

いつまでも時代遅れのままで進歩がなくて、それでよいのでしょうか?

それではいけないということを、現れる現象で、気づかなければいけないのです。

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10月 23 2014

善人のふりをする悪人

昨日は庄内川に行っていたんですが、岸で座っているとカニが私の前にいつの間にか来ていました。

「あれ、お前いつ来たの」とかいってると、そのカニが私の方にゆっくり寄って来て、なんと私の足元まで来ました。(いくら何でも平気で寄って来すぎです〔笑〕)

そうして、私が履いている靴を、片方のはさみでコンコンと二回ほど叩いて、またトコトコ離れていきました。

「何だよあいつは」と思っていると、もう一匹寄って来て、そのカニも同じように私の足元まで来たのです。(先ほどのカニを見ていたのでしょう)

そこまでは同じだったんですが、今度のカニは、はさみで叩くというより、私の靴についている泥を食べているようで、しばらく私の靴の泥を食べていましたが、そのカニも泥を食べるだけ食べるといってしまいました。

カニが離れていく時に、私が「またな、またな」と何度もいって、そのカニに向かい片手を上げたり下げたりしていると、なんとそのカニも片方のはさみを一度上にあげて、そうして離れていきました。

カニも魚も鳥も、みな私たちの言葉や仕草が分かっているようです。

そのような小動物たちは人の言葉が分からない、ではありません。私たちが思っている以上に、小動物たちは人の言葉や仕草を理解しているのです。

そのカニの態度が、あまりにかわいらしかったものですから、その場面をビデオで撮れなかったのを悔やみました。(昨日は雨が降っていたものですから、さすがにビデオは持って行きませんでした)

しかし、こんなチャンスいくらでもあるでしょう。また今度撮って皆さんにも、そのカニのかわいらしい仕草をお見せしたいと思います。(その動画ができてきたようです。ただやはり素人が撮ったものですから、画面が動くこと動くこと。すずめを撮った動画など、あまりに画面が動くので気持ち悪くなったくらいですが〔笑〕マァ、それは我慢して観てください。近々公開します)

それにしても、これだけ多くの小動物がたくさん私には寄ってくるのです。何で、そんな私が悪者なのでしょうか?

今日も、朝から嫌がらせをしている会社がありますが、ずいぶんいろいろ起きているようですね。(昨日に引き続き、今日も朝から異様なテンションです。何か起きていることがすぐに分かります)

特別、私が誰かに嫌がらせをしたわけでもなく、災いが起きている人が私に嫌がらせを繰り返しているのです。

その起きている災いを、みな私のせいにしているようですが、そんな災いばかり起こす者に、こうも気の弱い小動物たちが寄ってくるものでしょうか?(動画の中に出てくるだけでも、すずめや魚、カニや亀やコウモリまで、私の近くに寄ってきているのです)

なぜ、嫌がらせを繰り返している善人(?)には、少しもそんな小動物が近づかず、私のような災いばかり起こしている悪人に、気の弱い小動物が嬉しそうに近づいてくるのでしょうか?

起きていることが逆のような気もしますが、そこを聞いてもこの辺りの人、誰も教えてくれないのです。それどころか、そういうことをいうと、ほとんどの人が「ビクッ」として早足で行ってしまうのです。

そういう態度も不思議ですね。それだけ私が悪人なら「こういう理由でお前は悪人でも小動物が寄ってくるんだ」と堂々と、その理由をいえて当たり前だと思いますし、また「こういう理由で私たち善人には小動物が寄ってこない」と、これまた堂々と、自分たちに小動物が寄ってこない理由もいえないといけません。

しかし、そのような理由を私にいった人は一人としていないのです。

これだけこの辺りの多くの人が、私に嫌がらせを繰り返しているのです。では、相当の理由があって私は悪者だと思われているんだし、また自分たちには相当の理由があって、お前より自分たちの方が正しいと思っている人が多いはずです。

そうであるなら、その私が悪者の理由、そうして自分たちが正しいという理由をいえる人などいくらでもいるはずなのに、そのような理由を私に堂々といった人は一人としていないのです。(嫌がらせだけしていく人はたくさんいますが)

まったく不思議で仕方ないのです。私が悪いことばかりしているから、私は皆に嫌われ嫌がらせを受けているのでしょうが、その悪者の理由、そうして皆さんが正しいという理由を、私が(その嫌がらせをしてくる人たちに)どれだけ聞いても教えてくれないのです。

なぜでしょうか?

いわないだけですか?それとも答えられないのでしょうか?

もう何十人、何百人という人にその理由を聞いても、誰も答えないというのであれば、それは答えられないのでしょう。(答えられるのなら、これだけの人に聞いているのです。誰かその答えをいう人がいるはずですから)

では、多くの人が自分のせいと思いたくないから、このように起きている災いをみな人のせいにしている、ととっても間違いではないはずですし、そのようなことをしているから(そのような心の持ち主だから)罰(天罰)が当たっていると思われないでしょうか。

実際はそれが正しいのであり、すでに汚い心に天罰が下る、そういう時代(正法の世)となったのです。

では、昔からいわれている罰が当たる定義(?)を皆さん知らないのでしょうか。

罰はなぜ当たるのか?

「そんな悪いことをしているから罰が当たるのだ」と、昔からいわれていることは、それこそ子供でも知っていることです。(だから、このことは子供でも分かるということです)

その自分たちが悪いから起きている罰(災い)を、皆さんは私のせいにしているだけであり、自分たちが悪いことを認めたくないから私を悪者に仕立て上げ、私に嫌がらせを繰り返しているのです。

そのような理由だから、私を悪者であるというしっかりした理由もなく(ただ漠然と、お前が人を病気にさせていると思っているだけ)また、自分たちは正しいのである、という理由もなく(ただ自分たちは被害者と思っているだけ)だから誰一人、私がそういう質問をしても答えることが出来ないのです。

しかし、どれだけ自分たちが言い逃れしようと、起きている現象に間違いはありません。

私に気の弱い小動物がたくさん寄ってきて、皆さんには寄っていかない、このことがすべてを物語っているのです。

私が皆さん以上の愛ある善人であるから、小動物がたくさん寄ってきて(残念ではありますが)皆さん方が愛のない心の汚い悪人であるから、小動物は怖がって寄ってもいかないのです。

そのような人の心を、小動物たちはすべて知っています。だから、皆さんには寄っていかないのです。

心に愛がないということは、人に平気で嫌がらせができる、そのような行いにも現れています。愛深い人であるならば、そんなたった一人の者によってたかって嫌がらせなど、その人がどれだけ悪人であろうと出来ないからです。

いつまで、愛深い善人を悪人にしておくつもりですか?いつまで自分の心の汚さを隠して、自分たちは善人であると思い続けるのでしょう。

その心の汚さと責任転嫁を改めない限り、この災いは止まらないのです。

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