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9月 06 2014

心の狭さとくだらないプライド

昨日は久しぶりに、女子プロゴルフのトーナメントを観てきました。

思ったほどではなかったですね。私の評判の悪さはです。(女子プロ間ではですが)

私は女子プロ選手の半分くらいは、私のことを悪く見ているんじゃないかと思っていたんですが、意外や意外(私が見た選手の中では)二人くらいでした。(それ以外のボランティアや関係者は、私のことを悪く見ている人はいくらでもいましたよ。嫌がらせしてくるのもいたし「何でお前が来たんだ」とにらんでるのもいましたから。〔笑〕)

男子プロでも二~三人いたのです。(露骨に嫌がらせしてきた選手もいましたからね)女子プロはもっと多いとばかり思っていましたが、本当に意外でした。(スポーツ界の人たちずいぶん心が広い人が多いようです〔笑〕)

しかし、私の評判はあの辺り(岐阜県)まで聞こえているようです。いきの電車の中は地元岐阜の高校生でいっぱいでしたが(それもほとんどが女子高生です)私のことをチラチラ見ている子がたくさんいました。

私のことを知っている子は多かったようですが、私の評判は、こちら(愛知県)ほど悪くはないかもしれません。それほどきつい嫌がらせは受けませんでしたから。(多少はありましたけどね)今日は土曜日で、その女子高生たちも学校が休みでしょう。だから今日はトーナメントを観に行かなかったのです。(もちろん冗談です。〔笑〕)

しかし、岐阜県はサイレンもしていないというのに(昨日は、岐阜県にいる間は一度も救急車のサイレンは聞きませんでした。名古屋に帰ってきたらまたしてましたけどね)私のことだけは伝わっているんですね。

多くの皆さんのご協力には本当に頭が下がる思いです。(さぞ無茶苦茶いわれているんでしょう〔苦笑〕)

どこまで法が伝わっているのか分かりませんが、少しでも法が伝わるか伝わらないかでは雲泥の差です。岐阜の人々が少しでも法を知ってくださるなら、とりあえずそれで結構です。(私がどれだけ罵られようとです〔笑〕)

それにしても昨日のゴルフトーナメントでも行けば行ったで、いろいろありました。

いきのバス(トーナメント会場までの無料運行バス)の中からそうです。もうバスの中のほとんどの人は私のことを知っています。ウウンだのゴホゴホだのやる人がたくさんいました。(露骨に嫌な顔する人もいましたので)

そうするとバスの中で辻説法が始まります。(笑)

辻説法をすると、さすがにバスの中はシーンとなるんですが、しかし、それでも自分たちが悪いとは認めたくない人がいくらでもいます。しばらくは静かになってもすぐに何か(何気に嫌がらせのようなこと)始める人がいます。

ちょうどそんな時バスが信号で止まったのです。

それで私が何気なく窓の外を見ていると、すずめが一羽、私が見ている目の前に降りてきました。

「ンッ?こいつ俺のこと分かっているのかな」と思って見ていると、その一羽降りてきた辺りに数羽のすずめが降りてきて、飛び跳ねたりして遊び始めたのです。

偶然とは思えませんでした。明らかに私のことが分かっているようでしたので「凄いなバスに乗っているのに、もうすずめが気づいて騒いでるよ」と私がいうと、なんと「ウウン」と咳払いをしたり「うるさいな」とブツブツいって怒っている人はいても、外のすずめを見ようとする人は一人もいなかったのです。(私は一番後ろの席にいたので、前にいる人をすべて見ることが出来ました)

私にすずめが寄ってくる、そのような事実を認めたくないがごとく、揃いも揃ってそのバスの人たちは、誰も、そのすずめが騒いでいた外の光景を見ようとしなかったのです。

これには驚きました。普通なら私がいっていることが嘘か本当かを確認しようとして、外を見る人が何人かいてもよさそうなものですが、このバスに乗っていた人たちは誰一人外を見なかったのです。

自分たちには寄ってこないすずめが、私には寄ってくる、そのような事実を認めたくないのか、それとも「あいつにばかりすずめが寄って行って自分たちには来ない」と、そのようなすずめたちの行動をねたんでいるのか知りませんが、このような光景は私はとても奇異に感じました。

「なんて心が狭い人たちなんだろう」そう感ぜずにはいられませんでした。

これはゴルフ場についても同じでした。ゴルフ場でも同じことが起きたからです。

私がトーナメントを観ながら歩いていたら、ある鳥が私が歩いていくすぐ前の木に何羽も飛んできました。そうして前の木や、私のすぐ近くの木に飛び移ったりして騒いでいました。

すずめかなとも思いましたが、鳴き方も違うし私のすぐ上で騒いでいる、その鳥たちの姿を見るとすずめではありませんでした。まったく違う鳥が私の近くに飛んできて、上で騒いでいるのです。(その鳥たちは、その場所だけでなく、少し離れた場所にも飛んできて、私がいる上の木の枝で騒いでいました。その日そのようなことが二、三度あったのです)

その近くに、私にちょうど嫌がらせをした人たちがいたので「何で悪人の俺にはこんなに鳥が寄ってきて、善人のあなたたちには鳥が寄って行かないんだろうな」といったのですが、やはり皆無視しているのです。

鳥が騒いでいたので、鳥が来たことは皆知っていたでしょう。しかし、そのような現象を誰一人認めようとしないのです。私の言葉など一切無視してこちらを見ようともしません。

天がこのような現象を現しているのに、それでも私の善と自分たちの悪を認めようとせず、災いを起こしても、それを全部私のせいにする。

もちろん私が何をいっても聞こうともしません。

では、このような人たちはどうしたら自分たちが悪いと認めるんでしょうか?

私には、次々に奇跡が起きて動物たちまで喜んで寄ってくる、それに対し、私が悪いといっている人たちには、次々に災いが起きて、動物たちなどまったく寄ってもいかない、これだけ起きる現象が違っていても、それでも自分たちが悪いとは認めず、すべて私が悪いと言い張るのです。

これだけ起きる現象に差があっても(悪い人間に奇跡が起きますか?小動物が寄ってくるのでしょうか?)それでも自分たちの悪を認めず、私が悪いというその根拠を教えてください。(自分たちが正しいという根拠、それに私が悪いという根拠、それは何ですか?)

こう聞いたところで、それをいう人は誰一人いないでしょう。(何度もいいますが、私の辻説法でさえ反論した人は一人もいないのですから)

結局、もう自分たちが悪いということは明白だからです。ほとんどの人は自分たちが悪いということを知っているのです。知っていながら、それを認めたくないばかりに、八つ当たり的に私に嫌がらせを続けているのです。

しかし、それでは恐ろしい現象は止まりません。自分の罪を知りながら、その罪を認めようとしないなど、そんな悪もないからです。

このように考えますと、皆様方は、悪に悪の上塗りをし続けていると思われないでしょうか?

そのような言動が、このような恐ろしい現象が次々に現れる、そんな日本をつくりだしているです。(これでもまだ悪いことは私のせいですか?)

くだらないプライドはもう結構です。

自分が悪いと分かったら、即反省される、そのような心と行為がなければ、もう救われようがないからです。

多くの人の狭い心と、くだらないプライドだけで、日本が潰れかけています。

どこでそのくだらないプライドを脱ぎ捨て、心を広げることが出来るのか?

それができなければ、元々あった素直な神の子の自分に帰ることはできません。(その元々あった神の子の自分、それが生まれた時の心です)

多くの人が、それ(生まれた時の自分)を思い出すことができなければ日本の未来はないのです。

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9月 04 2014

日本の今後

新日鉄住金の名古屋製鉄所で爆発があったようです。

これほどの被害は初めてですが、今年に入りもう四回も、コークス炉から黒煙が上がるという事故が起きました。(今回が五回目です)

これだけ立て続けに事故が起きますと、これは技術的な問題もさることながら、かなり社内的にも問題があるのではないかと思えてなりません。(調和がとれていないのでしょう)

社内が不調和なら、それだけでこのような事故が頻発するからです。

愛や調和がないところには必ず問題が起こります。技術面より先に社内の調和を進められてはどうでしょう。

社内が不調和のままなら、このような事故はまた起きるからです。

これからは、このような危険なものを扱う工場など、その社内に愛や調和があるかいなかで、事故が起きやすいかどうかも分かります。技術より先に社内の調和を優先されてはどうでしょうか。(その方がよほど安全です)

その愛や調和がないばかりに起きている様々な災いを、全部私のせいにしているのが名古屋の人たちです。(もしかして、この新日鉄の件も私のせいにしているんじゃないでしょうね)

しかし、私がもし人を不幸にさせたり、病気にさたりする力があるのなら、すでに前の会社の人たちなど全員病気になっています。

それに私は、そこらじゅうで嫌がらせを受けているのです。そんな力があれば、ひどい嫌がらせをして来た人など即病気にします。(自慢ではありませんが、心が狭いですから〔笑〕)

何でそういうことになっていないんでしょうか?

そういうことになっていないということでも、私にそんな力などないということが分かります。人に濡れ衣を着せるのもほどほどにされてはいかがでしょうか。(他の地域の人がそんなことを聞いたら笑われます〔笑〕)

それに起きている現象は、私が知らない人にまで及んでいるのです。

なぜ私が知らない人まで病気にさせるのですか?

このようなことを考えれば、私が人を病気にさせているのではなく、天がそれをしているのであり、そのような病気になる人は(福島の人たちではありませんが)そうなる理由があるからそうなっているのであり、それは人のせいではないということです。

何でもかんでも短絡的に考え、責任転嫁をする前に、もう少し自分自身を振り返ってみてはどうでしょう。昨日の話ではありませんが、過去に間違いを犯していない人はまずいません。(過去に間違いを犯していない人がいるなら、その人はすでに悟りを開いています)

すでに時代が変わり、その自分の悪い部分が現象化されているのです。

その自分の責任を私のせいにしている人が多いのですが、しかし、先ほどの新日鉄の話ではありませんが、愛と調和が十分あれば、その人に災いが現れることはありません。

悪いことを人のせいにしている暇があるなら、愛ある人間になれるよう努力されてはいかがでしょうか。

その方がよほど神から守られるからです。(人に嫌がらせをしているようでは、とても愛ある人間にはなれませんが。〔笑〕)

こういう話ばかりでもいけません。昨日は、もう一つ日本の今後を左右する話題がありました。そちらのことを少し書きましょう。(内閣改造です)

昨日の夕方、第二次安倍内閣が発足しましたが、ずいぶん評判がいいですね。(だって、普通ならもっとボロカスいわれますよね。野党はもちろんですが、マスコミや世間からもです)

よくないという声がずいぶん小さかったのは、やはり皆が驚くようなサプライズがあったからでしょう。(総理と数人の関係者以外誰も知らなかったんですよね)

そのサプライズとは、自民党の新幹事長に元総裁であった谷垣さんがついたことです。(自民党の新幹事長に、マスコミの予想外の人がなるなど前代未聞なんじゃないですか?誰かは予想するはずですから。それが誰一人予想できなかったなど、これだけでも話題でした。〔笑〕)

新内閣の顔ぶれも順当のようで、このようなところにも安倍総理のセンスが垣間見えます。

それにしても安倍総理は、あの地球儀外交など見ていても思いますが、ずいぶん視野の広い方なんですね。

それが今回の内閣改造にも現れています。それに深みもあります。今回、元総裁であった谷垣さんを幹事長に据えられるなど、誰も考えなかった妙手でありますし、また、これからの自民党を考えるなら、これ以上ないという一手です。

さすが天才宰相と呼ばれるのも伊達ではありません。(誰もそんなこといってませんかね。しかし、後の世でいわれるんじゃないですか。だって二十年近く続いていたデフレを脱却したのは安倍総理なんですし)

その天才宰相の手腕が問われるのがこれからです。

その安倍総理の手腕をもってしても、これからの日本を立て直すのは至難の業であると思われるからです。(景気の問題、福島原発の問題、外交問題、多発する異常気象の問題など山ほど問題はあります)

これだけ問題があるのです。安倍総理もご自身の智慧だけに頼らず、神に頼られてはいかがでしょうか。

神に頼られるのであれば、天才の前に超がつくほどの政策が浮かんでくるからです。

この日本の復活は、安倍総理お一人の力でできるものではありません。(それは重々承知していられるでしょう)人に頼られるもの結構ですが、天に頼られるのならこれほどの心強いこともないでしょう。(次々に奇跡が起き出すからです)

ぜひ、この法をお忘れなきようお願いいたします。

どちらにしても、この法が日本に拡がらなければ日本の復活はありえません。このブログを知っている皆さん、もう少しやる気を出してもらえないでしょうか。

(また激しい雨が降っているところがあるようですが、このまま皆さんがボーとしているようだと、日本が壊れますよ)

追伸…何か朝日新聞もボロカスですね。あちこちでボロカスいわれ(週刊誌敵に回すと無茶苦茶書かれますし)掲載の拒絶までされたとか。(この件は収まったそうですが)

しかし、このようなことになっているのも、これまでの朝日新聞の業(謝罪拒否や広告拒否、会見拒否などの傲慢な態度、慰安婦問題やサンゴ事件、吉田調書誤報、などなど)が現れてきているのだと思います。

悪いことをしっかり反省もせず続けているなら、大新聞社とはいえこのようなことが起こります。

それでも反省しないというのであれば、不買運動も始まり、最後には廃刊というということにもなりかねないでしょう。(そういうこという人もすでにありますし)

もう大新聞社とはいえ、悪いことを居丈高な態度で、ごまかすことなど出来ない時代となったのです。

これからの時代、求められるものは、正しさ、誠実さでしょう。(それが朝日にはあまりにないように思います)

何度もいいますが、謝罪されるところは謝罪されてはいかがでしょうか。

そうしなければ業は増えるばかりだからです。

その業を減らす気がないというのであれば、最後は大新聞社とはいえ滅びることになるのです。

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9月 03 2014

時代の最先端を行く名古屋

ちょっと考えてみてください。

テレビに出ているタレントや歌手など、比較的悪いイメージは皆あまり持っていません。

なぜでしょうか?

そういう悪いイメージを持たれないようふるまうからです。そんな悪いイメージなど持たれてしまっては、そのような人たちは仕事にならないからです。悪いイメージを持たれ、不人気になれば、それこそテレビなどからはお呼びがかからなくなるからです。

では、テレビに出ている人は、私たちよりずっといい人ばかりなんでしょうか?

そうとばかりはいえないでしょう。私たちよりいい人もいれば、悪い人もいるでしょう。テレビに出ているイメージと自分の人柄は別だからです。(ある有名な女性を私は知りましたが、その女性は我が強く人のいうことを少しも聞こうとしませんでした。それで『もうその女性ではいけない』と天にいわれ、仕方なく他の女性をあたっているのです。有名であっても無名であっても、人柄に大差はないとよく分かりました)

しかし、何でもそうですが、一度悪いイメージを持たれてしまうと、その悪いイメージを回復することは容易ではありません。

特に芸能人などは、その悪いイメージが致命傷になり芸能界を引退するということも、なきにしもあらずでしょう。

それほど悪いイメージを持たれることは、人として大きなダメージとなりかねないのですが、そのイメージがこの近辺で著しく悪いのが私です。(苦笑)

大雨が降ったのもあいつ(私)のせい、病気になったのもあいつのせい、けがをしたのもあいつのせい、ではイメージどころか人格まで疑われます。(というか、何でもかんでも私のせいにしている、そのような人の人格をこちらが疑いますが)

しかし、そのような超がつくほどの悪いイメージを、名古屋の多くの人にもたれているのが現在の私なのです。(他の地域の人には、理解していただけないかもしれませんが本当の話なのです)

だから私が名古屋のどこを歩いても、前から歩いてくる人は私の顔を見るとギョとしたり、ムッとしたり、嫌な顔をするのです。

この名古屋のほとんどの人が、そのような悪いことをすべて私のせいにしているからです。

これほど名古屋の町にサイレンが鳴り響くなど、これまでなかったことです。だから、それを誰かのせいにしたいのは分かりますが、全部私のせいにされてもこちらが困ります。(この法が疑われますからね)

いい加減理解していただけないでしょうか、この名古屋に次々に起きるサイレンは「時代が変わったから起きる現象である」ということと「自分の心の悪が現象化しているのである」ということをです。

何度もいいますが、私がそんな次々に何の罪もない人を病気にさせるような男なら、何ですずめや魚がそんなに寄ってくるんですか?

そんな悪党に、気の弱いすずめや魚が寄ってくるわけがないでしょう。人を平気で傷つける人や殺せる人など、すでにおかしな雰囲気が出ています。それはそのような気配を感じるのに超鈍いはずの私たち人間でも分かるのです。

それをすずめや魚が感じないわけないでしょう。そのような動物たちは特に人の雰囲気や気配には敏感なのです。その雰囲気や気配に敏感な、すずめや魚が寄っていく人間に悪い人はいません。(自分でいうのもなんですが)

そういうすずめや魚が寄って行かない人の方が、よほど悪人なのです。悪人と分かっているから、すずめや魚は寄って行かないのです。

それが証拠に、そういう人たちは皆平気で私に嫌がらせをしてくるのです。(嫌がらせってよいことでしょうか?悪いことですよね)そのようなことをしてくる人たちは、私だけではなく、普段から少し気に食わなければ人に対し、嫌がらせの行為をしているのではないでしょうか?

だから私に対しても嫌がらせの行為が普通にできるのです。(ということは、普段から悪いことばかりしている、ということになりませんか?)

そのような人たちはこの世の法律では裁かれませんが、しかし、そのいじめのような嫌がらせをしている人たちは、明らかに悪いことをしているのではないでしょうか。

そのようなことに悩み自殺までしてしまう人がいるのです。自殺者まで出るということは、この世の法律では罪になりませんが、そういうことをしている人は、よほどの罪をつくっているということになります。(自殺まではいかなくてもうつ病になる人だっているんですから)

こう考えるのであれば、この世の法律では裁かれなくても、悪いことをしている人はたくさんいるのです。(犯罪を犯していても、それが見つかっていないだけかもしれませんし。小さい時に万引きなどした人も多いのではないですか?もし一度でもそんなことをしているのであれば、その人は犯罪者です)

では、そのような罪は裁かれなくてもいいと思われますか?

見つからなければOKと思っているのは、この世の人たちだけで、いずれそのような罪はすべて裁かれることになるのです。(もちろんあの世でです。この世界に逃げ得などありません)

そのこれまであの世で裁かれていた罪が、この世で裁かれるようになったのです。時代が変わったからです。(しかし、この世で裁かれた方がよほどいいのです。あの世で裁かれるより何倍も楽だからです。あの世の地獄とはそれほど恐ろしい世界なのです)

これが先ほど私がいった「時代が変わったから起きる現象」です。そうして、その時代が変わったから、人々の心の悪がドンドンこの世に現れ現象化しているのです。

それが名古屋で次々に起きたサイレンです。(こう考えるのであれば、そのような救急車のサイレンで運ばれた人は皆善人だったのでしょうか?)

なぜ名古屋でこういうことが起きたのか?それはたしかに私のせいかもしれません。私がいたせいで、名古屋の多くの人は神の存在を知り、あの世の存在を知り、人の輪廻転生を知ったからです。

つまり、名古屋で起きた数々のサイレンは、名古屋の多くの人がこの世界の真実を知り、心が浄化されたために起きた、時代の最先端の現象であったということです。(ということは多くの人の悪が、この世で裁かれることになったのですから、私は多くの地獄に行かねばならなかった人を救ったということになります)

だから、そのような心を反省すればこの現象は収まります。(自分の過去の罪や現在犯している罪、そうして責任転嫁などの罪です)

しかし最近、サイレンが減ってきたのも、反省する人が増えてきたからではないでしょうか。

あれだけ私が、この近辺で辻説法をしたくっているのです。それを聞かない人ばかりではありません。聞いている人もたくさんいるからです。それにこれだけサイレンが長く続いていれば、中には何か自分にも悪いところがあったのではないか、と思う人も出てくるからです。(名古屋のすべての人が無反省ではないでしょうから)

そのような意味で、態度にはあまり出さなくても反省する人も出てきているように思います。それが証拠に嫌な顔やギョとした顔はよくされても、私に嫌がらせをする人は減ってきているからです。(歩いて来る人もそうだし、トラックの運ちゃんなんかもそうです。〔大分減りました〕あまり変わらないのがバスの運転手です。あれ何ででしょうね。公務員や大きい会社の社員はプライドが高いんでしょうか?「お前ら平民に頭を下げれるか」といったところでしょうか?バスに乗られる皆さん、バスの運転手はそういう傲慢な人が多いようです。それを承知で乗ってくださいね〔笑〕)

このようなことを考えれば、現在名古屋で起きている現象の本当の原因がお分かりいただけると思います。

現に悪いことを私のせいにし続けているところは、世にも恐ろしい現象が次々に現れています。(今日も相変わらずやっていますが、次々に癌になる人が出ているというのに、怒っているだけという人の、その神経が分かりません。この人たち少しも反省する気がないのでしょうか?)

そのような意味で、現在の名古屋が時代の最先端をいっているのであり(もちろん物質面ではありません。心の面でです)いつまでも責任転嫁しかせずに、自分の罪を人に擦り付けている人たちには、それ相応の現象が現れているのです。

悪いのはお前で、自分たちは何も悪いことはしていない、などとんでもありません。実は悪いことをしている人ばかりだったのです。(キリストがいわれた「罪なき者まず石を投げうて」です)

その悪いことが、そのまま現象化する時代となりました。名古屋で起きていることはいずれ全国で起きてくることになります。

名古屋の人々が反省し、次々に奇跡が起きる町になるのか、それとも、このまま無反省を貫いて責任転嫁を続け滅ぼされることになるのかは、現在ある名古屋の人たちの心次第です。(そのような無反省な態度を取り続けているところは、本当に滅ぼされかけているからです。決して大げさな話でもなんでもなく、この現象が一変に拡がれば名古屋は滅びかねないのです。それはあれだけ毎日響いたサイレンで、名古屋の人はお分かりいただけると思います)

どちらにされますか?

傲慢な人ばかりでは名古屋は滅ぼされるのです。

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9月 02 2014

自分の罪か、人の罪か

昨日は雨が降っていたのですが、こういう日なら、川の水が濁っているかもしれないと庄内川に行ってきました。

庄内川に行くと、川の水は思っているほど濁っていなくて、あまり普段と変わらないようでした。

これはダメかなとも思いましたが、川の近くまで行ってみました。しかし、いつもなら私が川に近づくだけで、何匹か魚が跳ねるのに、昨日は一匹も跳ねませんでした。

「雨の日はかえってダメなのか?」とも思いましたが、せっかく来たので川の近くを歩いていました。(人もいなかったし、カニがずいぶん出てきていましたので)

しばらく歩いていると、川の中で数匹の魚が水面に出てきたようです。さざ波がたっているところがありました。それにちょっと魚も跳ねたみたいでした。(あまり大きな魚でもありませんでしたが)

「おっ、気づいたかな」と思って、しばらく歩いて川の近くに立って川を見ていたら、すぐ目の前で「バシャ」と音がしました。

「ンッ?」とその音がした方を見ると、そこに一匹の鯉がいました。(三十センチくらいのわりと大きな鯉です)

その鯉が逃げるでもなく、私の前をゆっくり泳いでいきます。本当にすぐ近くをです。(川岸ギリギリのところです)まったく逃げようとしないのです。それどころか私にかまってほしそうに、私の前をゆっくり行ったり来たりしています。

その仕草がまた可愛いらしく、顔を上げて口をパクパクしたかと思うと、急に私を無視したように泳いだり、あるいは目の前に来て水の中から私の方をジロリと見たりと、とてもそこらで泳いでいる鯉とは思えません。

まるで私が飼っている鯉のようです。(飼っている鯉でもここまでやるかどうか知りませんが)

その鯉を面白がって見ていたら、いつの間にか小魚たちが水面まで上がってきていて、またこの前のようにあちこちにさざ波が立っていました。

この前ほど多くの小魚はいませんでしたが、それでも十数匹はいそうな集団が、またあちこちにできていましたので、数十匹はいたのではないでしょうか。

その小魚の集団が、こちらに寄ってきたり、どこかに泳いで行ったり、底から上がってきたりといろいろ目の前でやっていました。(笑)

この小魚たちといい、先ほどの鯉といい、可愛いいものです。本当に飼っているかのように私になついているのです。しかし、この魚たちは皆野生の魚たちなのです。

まったく不思議なことですが、この庄内川からの帰り道に夕方になると、異様なほどすずめが集まる場所があります。(数百羽はいるんじゃないですか?とにかく凄い数です)

私がその場所を通ると、いつも大騒ぎになり、数十羽のすずめたちがあちこち集団で飛び回るのですが、それもまた凄い光景です。

その数百羽というすずめが大騒ぎし、飛び回っている光景を見た人はたくさんいるでしょう。(その場所がまた町のど真ん中で、道路は夕方などずいぶん車の量が多いですから)

こういうことが起きる人が他にいるのでしょうか?

野生の魚や鳥たちが喜んで寄ってくるなど、それこそ伝説の預言者などに起きている出来事と、同じことが実際に私には起き、それを多くの人が見ているのです。

それなのに現代の人々は、そのような奇跡にまるで関心がなさそうに、知らぬ顔をしています。(本当に関心がないのかどうかは知りませんが)

昨日も帰ってくるとずいぶん様子が違っていました。また何か起きたんでしょうか?(周りの人がやたら怒っていたり、また静かだったりしますので様子が違うのがよく分かります。前のマンションなど昨夜はずいぶん静かでした。いつもなら網戸をバシバシやる人が何人かいるはずなのに、昨夜は一人もやらなかったからです。ずいぶんチームワークがいいですね。〔笑〕)

今日は今日で前の会社の雰囲気もまた違います。(相変わらず情緒不安定なんですが、また態度が違います。よくこれだけ毎日変えられるものです)

ずいぶん恐ろしいことが起きているんじゃないですか?(最近は前の会社の情緒不安定が、この辺りの人たちにも伝染しているようですから)それで、その起きていることは皆私のせいなんですか?

この辺りの人は、私のブログを読んでいる人も多く、ブログの内容を知っている人が多いのです。(人から聞くのかどうか知りませんが)ということは、ずいぶん私から多くのことを教えてもらったということになりますが、それなのに一人として私にお礼をいった人はいないのです。(お礼をいった人ゼロです…特別それはこの辺りの人だけではありませんが)

それどころか、内容が気に食わないと嫌がらせをしてくる人も多いのです。

知らないことを散々教えてもらったのに、それに感謝一つせず、その教えてもらった人に嫌がらせをしているということは、悪いことではないのでしょうか?

そういうことを五年間も続けているのです。それは罪にはならないんでしょうか?

この世の法律では罪になりませんが、人としてそのような行為は、あまりに人の道から外れているのではないでしょうか。

その人の道から外れた行為を何年もやり続け、それで悪いことが起きたからと、それも、そのいろいろ教えてくれた者のせいにしているのです。(自分たちのせいで起きた悪いことまで、こちらのせいにされるのです。それでは私は大悪人です)

一体この人たち、どれほどの罪をつくっているんでしょうか。(だから私は天文学的な罪だといっているのです)

そのような人たちに天罰はくだらないんでしょうか?そのような人たちに天罰がくだらない方が、よほどおかしいのではないでしょうか。

これで、そのようなことをしている人たちに天罰がくだらなければ、それこそ神も仏もないということになりますが、そのような人たちには残念ですが、この世には神も仏もあるのです。

したがって、そんなことをやり続けている人たちには当然天罰がくだります。

その天罰がくだっているのです。それさえも私のせいにして怒っている人が多いのですが、もう少し、これまでの自分の言動を振り返ってみてはどうでしょうか。

どれだけいっても分からない人は分からないでしょう。(これだけ書いても「悪いのは全部お前、自分は少しも悪くない」と思う人も多いでしょうから。〔笑〕もうここまで来ると病気ですね。超責任転嫁病です〔笑〕)

しかし、私には次々に奇跡が起き、そのような人たちには次々に災いが起きているのです。(こればかりは事実です)

私のせいにし続けて、それで災いが終わるのですか?

私のせいにし続けるのは結構ですが、それで自分が滅んでいては何もならないのです。

(地獄に往かないと分からないでは、あまりに愚かですよね)

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9月 01 2014

二十世紀と二十一世紀の基準の違い

今日は防災の日ですが、今年も災害が異常なほど多く発生しています。

多くの人の心が二十世紀のままなのです。それでは災害が多発するのも仕方がない話でしょう。

しかし、何度もいいますが、すでに二十一世紀に入り時代も変わっています。当然ではありますが、時代が変わっているのなら考え方も変えないといけないのです。

時代が変わったのなら起きてくる現象も変わるからです。

しかし、考え方を変えていない人はそれが分からない。なぜ違う現象が現れているのか分からないため、これまで通りの考え方をし続け責任転嫁しているのですが、二十一世紀は心の時代(正法の世)です。

その責任転嫁という考え方がすでに悪なのであり、罪をつくっているのです。そういう考え方をしている人の回りには、その考えのままの現象(当然ですが、罪をつくっているのですから、起きる現象は悪い現象です)が現れることになるのです。

その悪い現象を自分が反省することなく、また責任転嫁すれば、もっと悪い現象が現れます。自分が悪いと自覚するまで悪い現象は現れ続けるのです。

この時代はまず❝自分が悪かった❞と反省出来ないと、悪い現象は止まらないのです。(このように書いても、この辺りの人は頑として「いいや悪いのはお前」といい続けるでしょう。だから恐ろしい現象が止まらないのです。特に前の会社などもう哀れなものです。〔今日も相変わらずやっています〕そのままやることを変えないのなら、もっと癌になる人のペースは早まるでしょう)

二十世紀までは、例えばこちらである人と仲良く話をしていて、その人がいなくなった途端、その人の悪口をいう人を「何だこの人」と思う人はいても(それが普通だと思っている人もたくさんいるでしょうが〔笑〕)それは罪になる、と思う人はいませんでした。

そういう人もいるだろう、くらいにしか考えなかったのです。しかし、実際はそのような人は心の中に罪をつくっていたのであり、そのような罪がよほど積み重ならないと現れなかった、そのことを反省させるべき悪い現象が、二十一世紀になった現在、もっと早く周りに現れるようになりました。

それが大きな災害が多発する要因となっているのです。

これまで悪いことと思っていなかった心の中の罪が、すぐに現象として現れるのです。だから、激しい現象が次々に現れているのです。

例えば福島県など、まだ福島原発の事故の収束はもちろんのこと、その原発事故のせいでたくさんの避難している人たちがいます。福島原発の近くにいた人たちは「何の罪もないのに避難させられ苦しんでいる」という人が多いのですが、何の罪もない人が苦しむわけはないのです。

何度もいいますが、東日本大震災があったとはいえあれほどの原発事故を起こしたのです。その福島県民の人たちが何の罪もないわけはなく、何か他の県の人たち(例えば、同じ大震災で同じような被害があって、同じように原発があった宮城県など)よりも心に大きな罪をよけいにつくっていたと思われます。

だから、あの福島原発はあれほどの大事故となったのであり、その近辺の人たちも未だに苦しんでいるのです。そのような大きな罪を、福島の人々が心の中につくっていなければ、福島原発はあれほどの大事故にはならなかったでしょうし、避難している人たちがこれほど苦しむこともなかったのです。

その心の中につくっている(宮城県の人たちにはなかった)大きな罪とは❝共産思想❞です。

共産思想がなぜいけないかということは、もう何度も書いていますので割愛しますが、共産思想の強い人が多いのではないでしょうか。だから福島の人々は未だに苦しんでいるのです。

あの原発の収束にせよ、避難している人々を救うことにせよ、まず、その心の罪(共産思想)を抜かないとよい方向にはいかないのであり(その共産思想が心から抜けると、天が協力してくれるようになりますから、そこからやっとよい方向に行くのです)その共産思想が強い人が多いから、あの福島はまったくよい方向に行かないのです。(原発事故の収束はもちろんのこと、その原発から出る汚染水や核廃棄物やらで福島はドンドン汚染されていきます。そのように福島が悪い方向にしか行かないのは、すべて共産主義の人が未だに多いからです。〔共産思想の強い〕知事が、この前の選挙でも代わらなかったということでも、その事実が分かります)

これまでは悪いこととは思っていなかった心の中の罪が、すぐに周りに現れる時代となったのです。

ですから、そのこれまで問題にされてこなかった心の中の罪を、まず消さないと問題は解決されることはないということです。(だから避難している人たちが、原発さえなかったらというのはまったくのお門違いで、まず自分たちの共産思想を反省しなければいけないのです。そうして、自分たちは原発があったから豊かな生活を送ることが出来たのだ〔実際そうではないですか?あの福島原発で働いていた人も多いでしょうし、税金などの恩恵を受けた人も多いはずです〕と逆に原発に感謝しないといけないのです。そのような愛の心が出てきて初めて、天から救いの手が差し伸べられ救われる道がついてくるのであって〔奇跡が起き出すということです〕福島の人たちは、不平不満の思いしか持たないから救いの道がついてこないのです。本当に福島の人を救いたいのであれば、まず心の改革が必要なのです)

福島は一例にすぎませんが、しかし、福島が復興しなければ(それはもちろん原発事故の収束を意味します)日本の復活はないのですから、一例で流されても困ります。ここに書いたことを真剣に聞いて、福島の人々を啓蒙してもらう人が出て来ないと、日本の復活はないということになります。

福島だけではありません。この前の広島の土砂災害、局地的大雨、猛烈な台風など、すべて、それぞれの人々の悪心が表に現れだしているからです。

これまで罪とは思われていなかった心の中の罪も、二十一世紀になって裁かれるようになりました。

これは時代が変わって、その正しさの基準も変わっている証拠であり、その正しさの基準がより厳しくなっているということです。

これからは表面上だけ良ければそれでよい、という時代ではありません。もう心からよくならないといけない時代となったのです。

しかし、未だそのことを悟らず、表面上を取り繕うだけで何か悪いことが起きれば責任転嫁し、人に責任を擦り付ける、そのようなことがまかり通っています。

そのような恰好だけいい人が多いから、悪い現象が次々に現れるのです。

これからは格好よりも中身(心)です。その中身がいい人が増えて来ないと異常現象は収まりません。

時代が変わったことへの自覚、それを多くの人が持たなければいけないのです。

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