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8月 31 2014

正法の世に変わったから起きる出来事

何ですか?午前中、急にこのホームページの送受信ができなくなりましたが、こういうことがあるんですね。これはこれで驚きました。(こんなこと初めてです)

それはともかく午前中に書きかけたブログを書くことにします。(今日はもう書くのをやめようかとも思いましたが、緊急事態なので書きます)

昨日は、ずいぶんサイレンが聞こえてきましたが、一昨日あんなことがあればそれも仕方がない話でしょう。(天も怒っています。バカにした子供の一人が、救急車のサイレンなど聞いたことがないといいましたからね。アホなこといいます)

天が怒っているといえば、やはり前の会社、ずいぶん恐ろしいことが起きているようです。

毎日法の流布を一生懸命邪魔しているのです。それでは恐ろしい現象は止めようがないでしょう。

ブログにも書いたんですが、昨日、前の会社があまりにうるさかったので「いまさらジタバタしたって、もう癌は止めようがないんだ。最後くらい潔くせい」とでかい声を出したのです。(実際はもう少しゴチャゴチャいったんですが、簡単にいえばです)

そうしたらです。あれだけうるさかった前の会社の連中が、急にシーンとなって物音一つしなくなったのです。

その態度のあまりの変わりように驚きましたが、私のいったことが図星だったようです。

どうも、癌になる人が毎日のように出るので(嘘みたいな話ですが)それで一昨日は少し静かにしていたようなのです。(だから私は一昨日のブログで、今日はやけに静かだ、と書いたんですが)ところがそれでも癌になる人が出たのでしょう。

それで昨日は、あの会社の皆が切れて、またガンガンやりだしたんじゃないかと推測できます。(ヒステリックになっているのもいたようですし)

どこまで当たっているのかは分かりませんが(この連中私に何もいってきませんので)当たらずといえども遠からずだと思います。態度を見れば分かりますし(特に最近は前の会社の雰囲気が毎日のように変わりますから)天からも、そのようなことになるということを知らされていたからです。

私に詫びをいれないと、その恐ろしい現象は収まりません。少々おとなしくしていたぐらいではもうどうにもならないでしょう。

私は再三、法の流布を邪魔してはいけない、といい続けてきましたし、そんなことをしていれば恐ろしいことが起きてくる、そういうことはやってはいけない、と何度もいっているにもかかわらず、この会社の連中は私のいうことを一切無視し、このブログを書く邪魔をし嫌がらせを続けているのです。

これではどうしようもありません。

それに私は、園頭先生に悪口をいった人たちに何が起きたのかも何度も書いています。

恐ろしい現象が起きた例も書いて、そういうことをやってはいけないと再三にわたり、書いているにもかかわらず(もちろん口でもいっています)それでもやるのです。これでは救いようがないのではないでしょうか。

それだけでなく「私に詫びを入れれば助かる」という自分たちが救われる道も何度も書いています。(これだけ現象が現れだすと、さすがに天が許してくれるか微妙ですが、それでも詫びた方がいいでしょう。今のままなら多分全員に恐ろしい現象が現れるからです)

それを知っていながら、それでも詫びようともせず、同じことをヒステリックに繰り返しているのです。

一体このヒステリックに、でかい音を出し続けている皆さんは、この先どうされるおつもりなのでしょうか?(このまま全員癌になるつもりですか?)

釈尊が説法をしている横で、毎回大騒ぎをして釈尊の説法を邪魔している人たちがいたならば、釈尊はその人たちをどうされるんでしょうか。

「そういうことはやめなさい」と口で注意をし、それでもきかないというのであれば、当然その者たちを祈られ、あとは天にその者たちの処遇を任されるでしょう。

だから私も同じことをしているのです。

皆さんが認めようが認めまいがそれは自由ですが、私も釈尊と同じように法を説いている者です。

そうであるなら、私の法の流布の邪魔をするということは、釈尊の法の流布を邪魔していることと同じなのですから、釈尊の法の流布を邪魔して起きる現象と、同じ現象が現れることになります。

それが前の会社に連続して起きている現象でしょう。

それが何かは、はっきり分かりませんが(私の想像通り、癌が続出しているのかもしれませんが)もし、二千五百年前のインドで、釈尊の法の流布を毎日のように邪魔した人がいたとしたら、今起きているようなことが起きるということです。(そんな愚かな人、二千五百年前はいなかったようですが)

昔の人の方が現在の人よりも愚かであった、と思っている人も多いのですが、それはある部分だけ取ってそう思っているだけであり(例えば科学の発達などです)こと心の部分、特に神のことを考えますと、現代の日本人ほど本当の神を知らず、神の業に疎い人たちもいないように思います。

そうであれば、神の業が作用していても、それが神の業であると全然理解できない人もいるように思います。

そのあまりの神に対する無知さが、前の会社の人たちのように、次々に不幸になる人を生んでいるように思えてなりません。(普通、神の業が自分たちに現れていると知ったら、恐れおののいて自分が悪かったと反省するからです)

現在現れている現象をよく理解してみてください。すでに世に現れている現象が全然違っているのです。

その違いはお分かりいただけると思います。異常気象一つとっても五~六年前と、今とでは起きる現象の激しさが違っているのです。その原因を私は神の業だといい、科学者は温暖化だといっているのです。

しかし、温暖化が原因だというのであれば、ここ五、六年、あるいはこの一、二年で、それほど地球の気温が急上昇したとでもいうのでしょうか?

地球温暖化というのは、ここ百年~二百年の間に、地球の温度が一~二度上がったにすぎないのです。その気温の変化と現在起き出している激しい現象とでは、どう考えても起きる現象のレベルが合わないのではないですか?

それなのに、最近起き出した異常な気象現象を、どうして温暖化と結びつけることが出来るのでしょうか?

無茶苦茶な理論としか私には思えませんが、そこはどうなんでしょうか?

この一、二年の世界の激しい異常気象はどうでしょう。(アメリカのハリケーンやフィリピンを襲った台風、各地の大雨や干ばつなど)異常なほど世界各国に、激しい現象が現れているのです。

それは日本を見ても同じです。ここ三~四年の超大型で猛烈な台風の数々、ゲリラ豪雨やカミナリの激しさ、今年だけでもそうです。異常なほどの局地的大雨など、ここ一、二年で始まったことなのです。(一時間に百ミリ前後の大雨など)

どうして、ここ数年の激しい現象と地球温暖化が結びつくのでしょう、どう考えたって時間のスパンが合わないではないですか。

だから私は、最近起きている激しい現象は温暖化が原因ではない、神の業であるといい張っているのです。

どちらが原因にせよです。起きている現象が違ってきているのは事実なのです。二十世紀までは現れていなかった現象が、二十一世紀には現れているのです。

それは事実なのですから、起きる現象が違っている、ということはそれはお分かりいただけると思います。

世紀が変わり起きる現象も違ってきた。これは何を意味するのか?

これが私のいう末法の世から正法の世に変わったという意味なのです。

そうして時代が変わったから起きる現象も変わった、という意味なのです。

時がそれだけ流れているのですから、起きる現象も当然変わってくるのです。これまでのように、悪いことを思っていても、あるいはしても、それがかなり時間がたって自分に現れる時代(末法の世)から、悪いことを思ったりしたりしたら、それが比較的すぐに自分に現れる時代(正法の世)に変わったのです。

だから起きる現象も激しくなり(それだけ悪い心を持っている人が多いからです。その多くの人の悪心が、激しい異常気象となって現れているのです)また名古屋など見てもそうですが、時代の変化により、いろいろなサイレンや先ほどの前の会社に起きている恐ろしい現象など、起きるようになったのです。(決して私のせいではありません)

そのような現象すべて、自分たちの心が現れているだけなのです。

名古屋になぜこれほどの現象が現れているのか?

それは唯一法を説いている私に、少しの感謝もせずに一方的に嫌がらせを続け、そうして起きてきた天罰をすべて私のせいにしているからです。(それはもうこの辺りの人はお分かりであると思います。辻説法でいつもいっているからです)

法を説いている私に少しの感謝もしなければ、当然時代が変わったのですから、そのような悪い心に対し何らかの悪い現象は現れてきます。(天変地変などそうです)その現れた現象に腹を立て、あいつが悪いと私に嫌がらせをたくさんの人がしてきました。

その責任転嫁の嫌がらせのような悪い態度が、すぐに現象に現れ、それが名古屋に今のような現象が現れる原因となったのです。(救急車のサイレンがよく響く病人などが続出する現象)

そうしたら、そのようなもろもろの現象を名古屋の人たちは、すべて私のせいにしました。(すべて自分たちが原因であったにもかかわらずです)それが前の会社のように癌の人が続出するというもっと恐ろしい現象を生んで、その現象さえも激しさを増しているのです。

このように考えれば、起きる現象が激しく現れだしたのは、時代が変わったからであり、その原因はすべて、各自各々の心が原因である、ということが分かるはずです。(どれだけ否定してもそれが事実です。だから私に嫌がらせをしても恐ろしい現象は消えないのです。私に原因があったわけではなかったからです。私に嫌がらせをしているその人に原因があったからです)

何度も書きますが、自分の心が自分の周りに現れているのです。そのような自分の心がすぐに現れる時代となっているからです。

その時代の変化に気づかず、いつまでも末法の心のままでいてはその人はもう滅びる他ありません。

すでに時代は変わっている(ということは起きてくる現象も変わっている)ということを自覚できて、その時代に合った生活ができる者だけが、この時代、生き延びることが出来るのです。

正法の世は奇跡もすぐに起きれば、災いもすぐに起きる、そのような時代であり、すべて自分の心次第という時代なのです。(現在は災いだけ起きているわけではありません。私には奇跡が次々に起きています)

この時代、現れてくる現象が自分のすべてを物語っています。それ以外のどんな言い訳も通用しないのです。

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8月 30 2014

時代への理解

しかし昨日は頭にきましたね。

何が頭にきたかといえば、子供数人に人の辻説法を散々バカにされたからです。(一度別れてから、そのあとも子供数人が〔小、中学生だと思います〕自転車に乗って私に追いついてきて、そこでもまたバカにしてきました。いくら何でもやりすぎです。これだけ法をバカにしますと私にもこの連中に何が起きるか分かりません)

こちらがたった一人で法を説いている苦労も知らず、平気で人をバカにしてきます。(この辺りは私をバカにする子供が多いのです。悪いことを全部私のせいにしているからでしょう。だから友達にやっているいじめの延長みたいに、私をバカにしてくるのでしょう。そういう心もいけません)

その連中と二~三十分やりあいました。周りの家の多くの人もそのやり取りを見ていました。

周りの大勢の人が、このやり取りを知っていたのですから、その中に当然子供もいたでしょう。ということは、このまま何もしなければ、このような連中のまねをして、これから人の辻説法をバカにする子供たちが、あちこちから出て来ないとも限りません。

それで私は、その大勢が見ている中でその者たちを祈り、はっきり「お前たちには何か起きる」と宣言しました。

どちらにしても前から、この辺りの子供らが私をバカにする態度には、腹に据えかねるものがありましたので、どこかで誰かに、このようなことをしなければいけないとは思っていました。

その思っていたことが昨日起きたのですから、逆に感謝しないといけないのかもしれません。

これだけ大勢の前で、その子らを祈り「何か起きる」と宣言もしたのです。これで何も起きなければ私は信用を無くし、私のことをバカにする子供は増え法が拡がることもないでしょう。

この法が拡がるか拡がらないかは、ここにかかっていると思い、徹底的にその者たちを祈ろうと思います。(法が拡がるも拡がらないも、この一戦にあり、という気持ちで祈ります)

ただ、これだけ徹底的に法がバカにされたのは初めてです。子供とはいえこれだけ法をバカにしては、一体何が起きるのか私にも見当がつきません。(何度もいっていますが、大人であろうと子供であろうと、それは肉体が年を取っているかいないかの差だけなのであり、心は皆大人なのですから肉体年齢は一切関係ありません)

「法を説く者を絶対にバカにしてはならない」それが後世に伝わるくらいの現象を現せていただけるよう天に祈ります。(天は私以上にこの問題を重くみているようです)

あれだけ私をバカにしたのです。昨日の子らとその家族には、その覚悟だけはしてもらわないといけないと思います。(私も命懸けで法を説いています。そちらも命を懸けていただきます)

それはそれとして、それにしても今日は前の会社、朝からずいぶんハイテンションです。(土曜日なのに、うるさいうるさい、本当に迷惑です)何でこんなに毎日態度が天と地ほど違うのか訳が分かりませんが、それだけ激しく現象が現れ出したということでしょう。(朝から横の会社も変ですし)

いってはいけませんが、私には(このブログに書いているように)次々に奇跡が起き、私の回りの私に災いの責任を全部かぶせ、嫌がらせをし続けている人たちには、次々に災いが起きているのです。

そのような自分の心がすぐに現象化する時代となったからです。

時代が変わっているのに、それを認めようとせず、これまでと同じように表面上だけいい顔をして、裏では人の悪口を平気でいっているようでは、もう病気やけがなど災いが相次ぐことになるのです。

正法の世とは、よいことも悪いこともすぐに現れる時代だからです。

そのような時代にもう変わったというのに、それが理解できず(理解しようとしないだけかもしれませんが)この辺りの人は(特別この辺りの人だけではありませんが)その自分の心と行いが悪いために現れた災いを、全部私のせい(他の地域の人は温暖化などのせい)にして責任転嫁しているだけなのです。

しかし、もう責任転嫁など時代遅れなのです。

そういう前時代のままのことを未だにやっているから、日本は異常現象が相次ぐのです。(それは世界でも同じです。だから世界中で異常気象が起きているのです)

自分に起きる悪いことは人のせいではありません。自分が悪いから自分に悪いことが起きるのです。自分に悪いことが起きてきたら、まず自分に悪いところはないのか考えるべきなのです。

そうして、その悪い部分を反省出来て初めて、その悪いことは起きなくなるのです。

何度もいいますが、責任転嫁などもはや時代遅れなのです。自分に悪いことが起きたら、自分が悪かったと清く認め、反省してこそ、その人は幸せになることが出来るのです。

現代の人は、神を認めず、そのような責任転嫁ばかりしてきたため、かなり傲慢になっています。

その心を直すのは容易ではありませんが、その心を直さない限りこの災いは止まりません。

この災いを止めるのには謙虚になって(災いが起きていない)奇跡が起きている人のいうことを聞くほかないのです。

少しは謙虚になってはどうでしょうか。(聞く耳持たない人には、いうだけ野暮ですかね)

追伸…慰安婦問題の大誤報を、謝罪もしない朝日新聞に批判の声が高まっているようです。

それに加え、週刊文春の新聞広告の掲載までやらなかったものですから、火に油ですね。(そのうえ週刊新潮の広告掲載まで拒否したそうですが)

報道の自由を守れだの、言論の自由を守れだの、散々これまで書いてきたことと全然違うことをやっているんですから、ずいぶん都合のいい話です。(そういうご都合主義も批判されていなかったでしょうか?)

しかし、先ほども書きましたが、大新聞社だからと居丈高な態度を取る時代ではもうありません。(そのような傲慢不遜さ、それも時代遅れです)

大新聞社だからこそ、自ら襟を正し悪いことは悪かったと認め、謝罪されるべきではないですか?

もうそのようなことをうやむやにできる時代でもないでしょう。

慰安婦問題の大誤報はしっかり謝罪されるべきでしょう。

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8月 29 2014

常識では考えられない出来事

昨日、庄内川に行ったんですが、この前と全然違っていましたね。

いくつかの場所に座ったんですが、寄ってくる魚は数えるくらいでした。魚を釣る人やボート競技の練習みたいなことをしていた人たちがいたので、その影響もあるのかもしれませんが、それにしてもこの前とはえらい違いでした。

私が岸に座っているのを見て、橋から川を見ていた人が何人かいましたが、昨日はとても期待に添えるほどの魚が集まりませんでした。申し訳なかったです。(笑)

あれほどの魚が一変に現れるなど、あれ一回きりかもしれませんね。(白鳥公園を鳥たちが覆ったことがありましたが、それもその時一度きりでしたから)あんなこと私が行くたびに起きたら庄内川の魚たちも大忙しです。(笑)

天が神や天上界の証明のため、この前はそのような奇跡を現したのかもしれません。

それにしても昨日は、寄ってくる魚がほとんどいなくて(近くで飛び跳ねる魚はいました。それに、あちこちで波紋がしていたので割と大きめの魚は寄ってきたようですが、小魚は全然寄ってこなかったですね。大きな魚が寄ってきたといっても、その前日の五分くらいしかいなかった、中川運河の方が寄ってきた魚が多かったくらいです)私が帰ろうと腰を上げ歩き出すと、急に二、三匹の小魚が近くで跳ねるのです。

「何だお前らいたのか」といって、またその場に腰を下ろすと、水面は静かになって小魚は一匹も寄って来ません。(どうも底にいるようです)

「おかしいな、この前と何が違うんだろう?」と考えていたら、よく見たら川の水の色が全然違いました。

昨日の庄内川の川の水は、いつもの少し黒いような色をしていて、この前とその前のように泥が混ざったような、黄土色をしていたわけではありませんでした。

川の水が濁っているか、濁っていないか、それでこれだけ魚の態度が違うんだな、と思いました。

よく考えてみればそれはそうです。庄内川には鵜やサギなど小魚の天敵の鳥がたくさんいます。水が濁ってもいないのに、あれだけたくさんの小魚が水面に出てきたら、そのよう鳥たちの格好の獲物になります。

「川の水が普通なら、大きな魚はともかく小魚は寄ってこないわな」とそう思い「そうか、川の水が濁っていたから、あの時、小魚たちはあんなに寄ってきたんだな」と思って、小魚たちが全然寄ってこない理由が分かりました。

それで私は、これまで魚たちが寄ってきていたことに気づかなかったのです。(これまで、あれだけ水が濁っている川に来たことがなかったからです。このように普通の川の水の色なら魚は私にあまり寄ってこないからです)

そういえばこれまでも、白鳥公園の横にある堀川のほとりを歩いていると、よく魚が近くで跳ねたことがありました。

私は「魚が跳ねるのは当たり前」と思っていましたので、何も気づきませんでしたが、すでにその時から魚は私に寄ってきていたのかもしれません。

それにトンボもそうです。「今年はやけにトンボが近くに来るな」とは思っていました。

ヤンマが、よく私の歩いているのに並走して飛んでいることもありましたし、その並走して飛んでいたヤンマが、すっーと先に飛んで行って、急にUターンして私に向かって飛んできて、ぶつかりそうになったこともありました。(「オイ」といって思わず私がよけたくらいです。それくらい近いところをヤンマは飛んできたのです)

しかし、トンボは元々人懐っこいので(よく人にとまったりしていますので)それが当たり前だと思い、これも私に寄ってきているとは気づきもしませんでした。

同じことを、すずめやツバメがやれば「あいつら、またかまってきたな」とすぐに気づくのにトンボではまったく気づかなかったのです。

しかし、昨日でもそうですが(昨日の庄内川はヤンマと赤トンボがいました)確かに近くに飛んできたトンボに声をかけると、喜ぶような仕草をします。(私が「元気か」と声をかけると急に飛び方が変わります)

私の近くをグルグル何度も飛んでいます。明らかに私に寄ってきているのが分かりますが、こういうことにまるで気づかなかったのです。

マァ普通、魚やトンボが寄ってくるなど思いもしませんので、気づかないのが当たり前といえば当たり前なのですが、では、何で鳥が寄ってきているのか?と考え、そうであるなら他の生き物が寄ってきても不思議ではない、と考えれば魚やトンボが寄ってくるということもすぐに気づいたはずです。(鳥が寄ってくるようになった時点でです)

法を勉強していると、このような普通では考えられないことが、次々に起きてくるのです。不思議なことではないでしょうか。

法を勉強していれば愛が深まりますから、このようなことは起こるべくして起きているということになります。

愛が深まれば、他の生き物が寄ってくるのは当たり前のことでしょう。犬好きの人に犬はよく寄って行きますし、猫好きな人に猫は寄って行きます。逆に犬や猫が嫌いな人には寄って行きません。あれと同じ原理です。人間以外の他の生き物たちは、人の心を敏感に感じ取ることが出来るようです。これは動物だけじゃなく植物も同じであると思います。

人間だけが、そのようなことに異常に鈍いのです。(異常だと思いますよ。他の生き物は大きな天変地変がある前には必ず気づきます。しかし、人間はまるで気づかないのです。〔大地震を予知できないのがいい例です〕これほどの鈍さがあるでしょうか)

これだけ他の生き物に愛されている私を、目の敵にして嫌がらせをし続けている人たちがたくさんいます。大丈夫なんでしょうか?そのような人たち。自分たちのあまりの鈍さ気づいてほしいものです。(前の会社、今日も明らかに変です。やけに静かなのです。そうかと思ったら急に怒り出したように、でかい音をたてる奴がいます情緒不安定の極みですね。次々に何か起きてきたのなら早く私に詫びた方がいいでしょう。そうしないと、その現象全員に現れるからです)

愛というと、楽しいとか嬉しいとか、よいことばかりを考えますがそうではありません。苦しい目に遭うのもまた愛なのです。(そのよう体験を通し、その人の心を成長させるという愛の行為です)

愛深い人に何かすれば、そのした通りのことが自分に返ってきます。(動物たちはそれを知っているから、私に寄ってくるのかもしれません)

自分たちが、その愛深い人に何をしているのか?それをまずお考えください。

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8月 28 2014

次々に起きる奇跡の現象

やはり魚は寄って来ますね。

昨日、金山に行った帰り中川運河を通ったんですが、ちょうど運河のほとりまで行けるところがあったものですから、運河の岸に立って運河を見ていたら、しばらくしたら私が立っている目の前のあちこちの水面で、波紋ができて魚影も見えました。

「お前ら俺のこと知ってるだろう」と水面に向かい声をかけていたら、そのうちに一匹の魚(十五~二十センチほどの大きさでした。ハゼかなんかでしょうか?)が私の目の前に来て、水中で泳ぐわけでもなく動かずにジッとこちらを見ていました。

そこに五分くらいしかいませんでしたが、何匹か魚は来ていたようです。(そのハゼのような魚は私が帰るまで私の前を動かなかったし、あちこちに波紋ができて魚影も見えました。大きいのは五~六十センチくらいあるのも来ました。そんな大きな魚が近寄ってきたものですから驚きました。中川運河は小魚ではなく割と大きな魚ばかり寄って来ました)

鳥に引き続き魚まで寄ってくるのです。普通に生活をしていてこのようなことが起きるでしょうか?

こういう漫画の中にも出て来ないようなことが、現実に次々に起きているのです。

魚だけではありません。鳥との奇跡だって数知れず起きています。私が歩いていれば、すずめや他の鳥が騒いだり寄ってきたりすることはしょっちゅうですし、数十羽のすずめが私の回りに集まり(もっといたかもしれません)多くのすずめたちに囲まれたことだってあります。

あの広い白鳥公園に凄い数の鳥がいて(すずめ、カラス、鳩、その他)その凄い数の鳥たちが、白鳥公園の上空を覆うという奇跡もこの目で見ました。(その時のことは現在も鮮明に覚えています)

私からすれば「何でこれだけ次々に奇跡が起きているのに、皆この教えを勉強しようとは思わないんだろう」と不思議でなりません。

私には、このような奇跡が次々に起きているというのに、私の回りを見れば、その逆と思われる現象が次々に起きています。

昨日はサイレンもよく聞こえてきました。(最近は減りましたが、それでも聞こえてくる時は本当によく聞こえてきます)それに前の会社は相変わらず朝からテンパった奴がいて、カンカン、ガンガンやたらでかい音をたてています。

今日も朝からテンション高そうですが、恐ろしい現象が次々に現れだしたのでしょう。そのことはすでに天から聞いています。

しかしそれは日本全体を見ても同じです。

広島の土砂災害は記憶に新しいところですが、それだけではなく、ここ二~三ヶ月の間だけでも、異常なほどの局地的大雨に激しいカミナリ、突風(竜巻)に台風など、そのような恐ろしい現象が次々に現れているのです。

わずか二、三ヶ月だけでです。その間だけでも、そのような災害で命をなくした人、けがをした人、住む場所をなくした人など数知れずいられるのです。

考えられません。考えられないような異常な現象が、次々に現在の日本に起きているのです。

そのような恐ろしい現象が、次々に日本に起きている中、私に起きている現象は明らかに様子が違っています。

なぜ多くの人は、それが分かっていながら私を無視しているのですか?

皆様が無視している間にも私には奇跡が起きて、その起きる頻度も増しているのです。(本当に多くの人々とは逆の現象が現れています。世は次々に恐ろしい現象が現れ、私には次々に天上界の奇跡が現れているからです)

昨日のウナッシーさんのコメントを読んでもらえれば分かりますが、私たちは生まれてきた時は丸く大きく豊かな心を持っていました。しかし、そのような心を成長するに従い狭く小さく貧困にしてしまうのです。

多くの人が、そういう修業しかしないからです。(法を知らないとそうなります)

怒りや愚痴や妬みやひがみ、あれもほしいこれもほしいという、足ることを知らぬ欲望などのマイナスの思いが、豊かだった心を狭く小さく貧困にしてしまうのです。

そんな心の人たちばかりだから、これだけ恐ろしい現象を次々に起こされ、私には次々に奇跡が起きているというのに、それさえも認めることができず(マイナスの思いが強すぎて素直さまで失っているからです。人に起きている奇跡を素直に認めることができないのです)私に頭を下げ、私のいうことを聞きさえすれば奇跡が起き出すのに、それを拒否し続けているのです。(その最たる人たちが前の会社の人たちです。次々に癌になる人が出ているというのに、それをいつまでたっても私のせいにし続け怒っているだけなのです。私に頭を下げ「助けてください」といえば助かるのに、それは絶対しようとしないのです。意地〔我〕になって自分たちの命まで平気で捨ててしまう、素直さをなくしてしまった最たる例でしょう)

マイナスの念が、強ければ強いほど恐ろしい現象が現れてくるのであり、プラスの念(神を思う心〔それはすなわち愛と調和の心〕謙虚な心、素直な心など)が強ければ強いほど奇跡の現象が現れてくるのです。

そのような心が現象化する時代となっているからです。

いつまでも責任転嫁をしていても何も変わりません。(というより、早くそれに気づかなければ起きる現象が激しくなるばかりです)

何か悪いことが起きたのなら、何か自分に間違いはなかったかを謙虚に振り返り、そうして悪いところがあったのなら、それを素直に認め反省されることです。そうすればその罪は許されるからです。

そういう(愛や慈悲、素直さ、謙虚さなどの)心がまるでない(ということは傲慢不遜ということになります)そのような人が多いのではないでしょうか。だからこのような恐ろしい現象が日本に連続して起きているのです。

しかし、奇跡の現象が起きている者が現にいます。

では、その者のいうことを聞かないと奇跡は起きて来ないでしょう。

(今のままでいい、と思われる人は聞かなくていいでしょうけどね。しかし、そのような人は結局、死ねば今と同じことが起きる世界〔当然地獄界です〕に行かなければいけなくなるのです)

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8月 27 2014

続、庄内川での奇跡

三、四十分そこに座っていたでしょうか。

魚たちは入れかわり立ちかわりして、私の前から離れようとしませんでした。それでいつまでもそこにいられないので、適当なところで「またな」といってその場を離れました。

それにしてもずいぶん多くの魚が集まったものです。

「凄いな」と思いながら、しばらくその川岸を歩いていたのですが、私が歩いていると横の草むらから(庄内川の土手は草が生えているところも多いのです)ガサガサと音がします。

音がする方を見るとそこにはカニがいました。

「あっカニだ」と思ってしばらく歩くと、またガサガサ音がします。その音のする方を見るとまたカニがいました。

「今日はよくカニがいるな」とそこらを見まわしてまたまた驚きました。なんとそこらじゅうにカニがいるのです。

「???」「何でこんなにカニがいるんだ?」と不思議でしたが、そのカニもこれまで一、二度(それも一匹か二匹)見かけたことがあるという程度でした。

私はこれまで庄内川でカニをほとんど見かけなかったのです。その普段あまり見かけないカニが、今日はそこらじゅうにいるのです。

「何でこんなにカニがいるんだよ」とまた不思議でしたが、そんなカニまで出てきているのです。当然ではありますが、そこらを飛んでいる赤トンボも、私に寄ってくるのがたくさんいました。(赤トンボは、三日ほど前の魚がたくさん集まってきた時に、その赤トンボも私の回りにたくさん集まってきて、十数匹の赤トンボに回りを囲まれるという事件(?)が、すでにありましたので「また来たな」くらいにしか思いませんでしたが〔笑〕)

そうして、しばらくカニやトンボの相手をしていて、フッと川の方を見ると、先ほどとは違いすでに水面は静かになっていて、魚がいるようなさざ波はどこにもたっていませんでした。

「みんなどこかに泳いで行ってしまったんだな」と思って、また川の近くを歩いていると、一匹の大きな魚が(少し沖の方ではありましたが)私の横の辺りで跳ねました。

「バシャ」と大きな音が横でしたので、その跳ねた魚に向かい「おお、元気いいな」と声をかけたのです。

私は何気なく、その跳ねた魚に声をかけただけだったのですが、そうしたらです。驚くようなことが起きたのです。

私がその跳ねた魚に声をかけた直後のことです。今の今まで静かだった水面が、またあちこちにさざ波がたち始め、小魚たちが水面に出てきて泳ぎ始めたのです。

先ほどまで静かだった川面の、そこらじゅうでさざ波がたっています。ですから、また数百匹の魚が水面に出てきたのではないでしょうか。

さすがに「うそっ」と思いました。

私がたった一言、声を発しただけで底にいた魚たちが一斉に上がってきたからです。

「ありえんだろう、こんなこと」と思って水面を見て驚いていると、またその小魚たちが私の方に寄って来ます。

「オイオイまじかよ」と思って、こっちが付き合いきれなくなって「またな」といって、庄内川から帰ったのですが、本当に一昨日の出来事には驚きました。

座っているだけで、私の前にたくさん集まってきた魚たちといい、その魚たちが私の一言で、底からまた水面に一斉に上がってきたことといい、それにカニがたくさんいたこともそうですが(もちろんトンボもそうです)今年に入り(すずめたちもそうです)このように驚くことばかりが起こります。

こういうことは奇跡といわないのでしょうか?

しかし、この辺りの人は誰一人このような出来事を奇跡とは思わず、私を悪魔のように思っている人も多いようです。

私はこのような、鳥やら魚やらトンボやらがたくさん私のもとに集まってくるのを見て、フッと「天上界はきっとこのような情景がそこかしこに見られるのだろうな」と思いました。

天上界にいる人々は、皆愛の深い人ばかりです。そうであるなら当然、そのような動物たちも何も恐れることなく人々に近づき、共に楽しんでいるのだろうと思ったからです。

そのような想像をしていて、現実に戻ると、現在の日本は次々に異常気象が起こり、そこらじゅうで不幸になる人が続出しています。

私の回りを見ても、異常な現象が起きてそれで不幸になり、それを全部私のせいにして私を目の敵にしている人がたくさんいます。

しかし、悪いことを全部自分のせいにされて目の敵にされている私には、次々に天上界で起きているような奇跡が起き、その悪いことを全部私のせいにしている人たちには、次々と不幸が起きているのです。

私が悪魔のような男なら、なぜ、そのような者に天上界で起きているようなことが起きるのでしょうか?

また悪いことを全部私のせいにしている人たちには、何で地獄界で起きているようなことが、次々に起きるのでしょうか?

今日も朝から、前の会社の連中はこのブログを書くのを邪魔をして、でかい音を散々立てています。

この連中だけではなく、私を目の敵にしている人たちは、皆、私の話など一切聞かず一方的に嫌がらせを続けているのです。

このようなことは善人がすることなのでしょうか?

そうして私はその善人(?)の人たちが思っているほど悪人なのでしょうか?

現実に起きていることが、その人が善人かそうでないかを物語っているように思えてなりません。

私には次々に奇跡が起き、それ以外の人たちには次々に災いが起きています。そのような現象がその人の心を現している、その人が善人か悪人かを現している、それ以外の何ものでもないのではないでしょうか。

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