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11月 24 2013

人のせいか自分のせいか

何度も同じことを書きますが、他に書くことはありますがこうもしてはですね、サイレンが。この件を書かないと、このブログを書いている最中にも人が救急車で運ばれるということになります。(現に今もサイレンがしていましたし)

やはりこの件を書くしかないでしょう。

昨夜など帰り道、もう会う人会う人皆に嫌がらせされました。皆さん超険悪です。それはそうでしょう、これだけのサイレンが(連日)響いているのです。もう平静ではいられないしょう。(昨夜も凄かったです。今日もですが、段々異常な頻度になってきました)

それにしても、これだけの現象を現されていて、それでもまだ怒るだけですか?(誰も協力されないのですから、それはそうです)

しかし、私を坊さんと考えるなら、なんて多くの人が罰当たりなことをしているのかと思われないでしょうか。

一人の坊さんが「皆さん、今の心のままでは天罰を受けることになります。だから、もう少し神のことを考え、神のために運動をしましょう」と呼びかけ説法を始めました。

その呼びかけを聞いて、多くの人がその坊さんの説法を聞きに来ましたが、神の運動はしようとしませんでした。

「神の運動にご協力ください」といくら坊さんがいっても、ほとんどの人がそれをしようとしません。何度坊さんが頼んでも無視です。しかし、坊さんの説法だけは聞きに来るのです。

ところが、多くの人がそのような態度しか取らなかったため、その坊さんのいったとおり多くの人が本当に天罰をくらい始めたのです。

そうしたら今度は、そのような呼びかけをしていた坊さんに多くの人が嫌がらせを始めました。

どれだけ、その坊さんが「そんなことをしてはいけない、神の運動にご協力ください」といっても誰もそれをしようとせず、嫌がらせを続たのです。すると天罰は激しさを増し多くの人々が災難に見舞われたのです。

こう考えた場合、悪いのは坊さんなのでしょうか?それとも坊さんのいうことを聞かず、嫌がらせを始めた多くの人々なのでしょうか?

日本昔話ではありませんが、こういう話を聞けば、まずほとんどの人が「それは坊さんのいうことを聞かない、多くの人たちが悪い」というのでしょうが、これが、こういうことを実際自分が体験するとなると、こうも多くの人が「悪いのは坊さん」と人にせいにするものなのかと驚きますが、現実にそうなのですからどうしようもありません。

子供の時なら百人が百人「坊さんのいうことを聞かない人たちが悪い」と素直に思うのでしょうが、その子供でさえ、実際そのようなことが起きると「自分が悪い」とは思わず「坊さんが悪い」となるのですから、そのようなものを読んでいるだけの他人事と、自分事では全然違うのだなと改めて思います。

しかし、日本昔話のような出来事が実際に起きているのです。

現実に多くの人が天罰をくらい、それを認めたくないので人のせいにしているだけなのです。

私は坊さんの格好をしているわけではありませんが、本当の神の教えを如来から学び、その教えをコツコツ自分自身でも勉強を続け実践してきている者なのです。ですから、不思議な現象も起こり、また、いっていること(説法)も、皆さん方が知らないことも知り、そうして人としての正しいあり方も知っているのです。

私がいっていることが正しいということは、数々起きる奇跡の現象で証明されているはずです。(如来の弟子は他にもいますが、その人たちは如来の教えのどこかを間違えているのです。だから、私ほどの奇跡が起きないのです。如来の教えである“法”も、数学の方程式と同じで、どこか一ヶ所でも間違えると答えが違ってしまうのです。〔正しい答えが出ないということです〕つまり如来が説かれた教えも、その解釈の仕方を一ヶ所でも間違えると、もう正しい教えではなくなるということです。他の如来の弟子たちは、法の解釈をいくつも間違えて語っている人が多いのです。だから、そのような人たちには奇跡が起きないのです。〔如来の教えを正しく語っているなら、その正しさの証明として奇跡が起きるからです〕如来の弟子といえども、私以外の弟子で、正しくその教えを継いでいる人はいないのです)

では、やっていることは、これまでの名僧高僧といわれる方々、そうして預言者といわれる方々と何ら変わりないのではないでしょうか?

多くの人は、その預言者のいうことを無視し嫌がらせを続けているのです。それではいいことが起きてこないでしょうし、当然のように恐ろしい現象が起きてくることになります。(天罰を受けますからね、そのような人たちは)

誰も協力をしようとせず、嫌がらせを続けるのであれば、その恐ろしい現象も激しさを増すでしょう。いつになったら、日本昔話を思いだし自分が悪かったと反省できるのでしょうか?

この現象に怒っている人は多いのですが、これでもまだ分からないということになれば、当然次の現象が現れます。(もちろんもっと激しい現象です)

どうしても多くの人が考えを変えないというのであれば、そのような(次の)現象は当然のように起きてきます。自分たちの考えが間違っているのだから、その考えを変えるしかないのです。

このブログを書いている最中にも何度もサイレンは聞こえてきています。この現象が現れているうちに、一刻も早く心を変えられ反省されることです。

それ以外の道はもはや残されていないのです。

(もし、この現象が急にピタッと止まってしまったら、逆に怖いですよね。この現象では分からないと天が判断して、それ以上の現象を現される可能性が高いからです…ということは、いよいよ南海トラフですか…それほど今の状況は切迫しているのです)

追伸…中国が尖閣諸島上空にまで防空識別圏を設定したそうですが、日本にちょっかいをかければかけるほど、自国の暴動は激しさを増すでしょう…それも日本に法が拡がればの話ですが……すべてのことにおいて、この日本に法が拡がるか拡がらないかで、雲泥の差が出るということです。

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11月 23 2013

格好に囚われる愚かさ

別に、この話題しかないわけではありませんが、こうも聞こえてきてはねぇ。(名古屋の皆さん大丈夫ですか?)ずいぶん聞こえてきます。サイレンが。

昨日も凄かったですし今日も朝から何度も聞いています。多くの人は、一体いつまで天に逆らうつもりなのでしょうか?(こういうことが続いていても、ちっとも態度を変えようともしません。そこらへんが名古屋の人たちもの凄いです)

昨夜など、妙に人通りも少なく車も少なかったように感じましたが、ついに多くの人から避けられるようになりましたかね、私も。(私の帰る時間や帰り道など多くの人が知ってますから)

昨夜でも、あれだけサイレンが、立て続けに聞こえてきてはそうなるんでしょうが、それでもまだ怒っている人もたくさんいるようです。

このサイレンが私のせいなら私のせいでいいでしょう。それならそれで、そんなことができる者に怒るんですか?嫌がらせするんですか?そんなことよくできますね、それはそれでおかしな行為だと思います。

だってそうでしょう、例えば、数万人もの人を病院送りにしたやくざがいたとしたら、そのやくざに怒ったり嫌がらせしたりできる人がいるんでしょうか?あるいは、祈って数万の人を病院送りにできる修行僧がいたとしたら、その修行僧に逆らったり嫌がらせしたりできる人がいるのでしょうか?

やくざに怒って嫌がらせなどしたら何をされるか分かりません。また修行僧も同じでしょう。そんな修行僧に嫌がらせなどしたら自分に何が起きるか分からないのです。(誰でもそんな人に何かすれば罰が当たると思いますよね、現に次々に当たっているんですから)

だから、そういう人たちが、もし私と同じことをしていれば、とっくに多くの人はビビり、その人のいうことを聞いていたということです。

しかし、私は普通の格好をしている一般人にしか見えません。その格好だけ見て多くの人は、怒ったり嫌がらせしたりしているに過ぎないのです。

しかし今回ほど、普通の格好をしていてはいけなかった、と思うことはありません。

私が普通の格好をしていたばかりに、多くの人の決断を鈍らせ、より多くの被害(神の業)を出しているのですから。(私も修行僧のような格好をして「臨・兵・闘・者・皆・陣…」と九字でも切って大袈裟に祈れば、多くの人が私のいうことを聞いたんでしょうが…)

しかし、格好をどれだけつけようと所詮は格好だけです。その人の本質を見抜く目を、それぞれの人が持つようににならないと、結局自分が救われることはありません。やはり自分で気づいて自分でやるしかないのです。

昨日も書きましたが、その人の心を観ないとダメなのです。仮に、名古屋で起きている今のようなことを、すべて私が起こしているのであれば、ではなぜ、私はこんなことをしているのでしょうか?(何か意味があるから、こんなことが起きているんでしょう?)

ただ単純に、こんなことをしているからダメ、ではこんなことが起きている意味はまったく分かりませんし、それでは全員が病院送りになります。

そんな答えは子供でも出せます。大人であれば、もう少し違う答えがあるのではないですか?また、なければならないと思います。

それが分かる人が多ければ名古屋は救われますが、少なければ(というか今の状況ではゼロなんですが)救われないでしょう。こんなことがもう一年以上も続いているのです。この現象が、ほっとけば収まる、などという状況はとっくに通り越していると思います。

もう何かをしなければ収まらないでしょう、この現象は。

では、その何かとは何か?ということです。(少なくとも私に対する嫌がらせではないですよね。それをしているばかりに、この現象が収まらないばかりか、激しくなっています。では、それをしてはいけないということです)

何をすればこの現象が収まるのでしょうか?

先ほど書きましたが、私の格好に囚われていてはそれは分かりません。その私が一般人のようではなく、坊さんのような格好をしていたらどうなるのでしょうか?

もし私が、坊さんであれば今のように嫌われるのではなく、逆に“偉大な神通力を持つ高僧”などという高い評価を受けていたのではないでしょうか。(私は説法もしているんですから。むしろそちらに比重を置いているんですから。毎日説法〔ブログ〕してます)

つまり、その人の格好が違うだけで、今とまったく逆の評価を受けることもあるということです。

だから、格好だけに囚われてはいけないといっているのです。

その人の格好だけで判断しては、異常なことが起きている意味も分からなければ、その人の本質も見抜けません。

もし私が坊さんであるなら、その坊さんに何をしなければいけないのでしょうか?その坊さんに何をすれば異常な現象が収まるのでしょうか?

そう考えるのであれば、何でこのようなことが起きているのか?何をすればこの異常な現象は収まるのか分かるはずです。(私のブログ、それは説法と同じなのですから、それを読めば分かるということです)

自分で考え自分で行う、自分を救うのは自分しかありません。自分で行った正しい行為だけが自分を救うのです。

そうして、そのような人が増えれば増えるほど大きな救いとなるのです。

(自分は救われたという人が多ければ多いほど、世の中はよくなっていきます。結局、一人一人の人が救われないと世の中はよくなっていかないのです。自分を救うのは自分〔自力〕しかありません。一人一人の正しい判断を望むばかりです)

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11月 22 2013

法の価値

昨日は秋田で土砂崩れが起こり、一人の方が亡くなり、四人の方がまだ行方不明だそうですが、よりにもよって、人が作業中のところに大規模な土砂崩れが起きるとは、本当に運の悪い話です。

残念ですね、法を知る人が多ければこんなことは起きないのに、知る人が少ないばかりに、こんな災いが立て続けに起きています。

このブログを読んで、法を知る人が増えればこんな運の悪いことは起きないのに、いつまでたっても法が拡がらないばかりに、こういう非常に運の悪い現象も起きてしまうのです。(その地域に法を知る人が多ければ、だいたい北陸にあんなに雨が続くということはありません。〔もう一週間近く雨が断続的に続いていますもんね〕しかもかなり激しく降ったところもありますし)

このブログを読んでる人の罪は大きいということになります。(法を知りながら、その流布に協力しようとしないんですから。しかも邪魔する人までいます)

昨日の話しを思い出してください。今生は多くの人の考えが変わり、しかもそれは現在も継続中なのです。

この多くの人の考えが変わるということは、どのような奇跡にも勝ると書いたのは、嘘でも何でもありません。人の考えが変わる、すなわち心が変わるということは、その恩恵は計り知れないことだからです。

その心が変わる大きな恩恵を誰も理解していないのです。

その大きな恩恵とは、この世にいて心が変わったといっても(もちろんよい方に変わった場合ですが)せいぜい、あの人前よりいい人になったねとか、明るくなったねとか、優しくなったね、といわれる程度ですが(もちろんドンドンよくなるなら、周りに奇跡も起きだしますが)一番大きいのは死んだ後の話なのです。

死んであの世に持っていけるものとは何でしょうか?

この世で稼いだお金でしょうか?それともこの世で得た名声でしょうか?それとも地位や名誉でしょうか?残念ですが、このどれも持っていくことはできないのです。このようなものはすべて、この世に置いていかなくてはならないのです。(自分で稼いだお金を、あの世まで持っていった人って誰かいますか?自分の地位や名声を、あの世まで持っていった人はいるのでしょうか?そんな人は誰一人いないのです)

死んであの世に持っていけるものは“自分の心”これだけなのです。(死ねば、俗にいう幽体離脱をしてあの世に帰ることになりますが、その時に一緒に持っていけるのは、自分の本当の体である光子体〔こうしたい・幽体のことですが、その幽体は光でできている体ですので、このように呼びます〕と、その光子体に備わっている自分自身の心、それだけなのです)

あの世に持っていけるものは心だけ、ここに心が変わることの大きさ、その恩恵の深さがあるのです。

そうではないですか、心が変わるということは、死んだ後の自分がまともに変わるということなのです。

そうであるなら死んだ後、天上界にいける人は当然増えると思いますし、地獄に行かなければいけなかった心の持ち主が、その地獄を免れるとか、仮に地獄に堕ちても(私がくどいほど反省しないといけないといっていますので)地獄での反省が早まり、早く地獄から天上界に昇れる人も増えてくるわけです。

私たちは、この世の何十倍も何百倍もあの世での生活の方が長いのです。(釈尊は、あの世こそ自分たちが帰るべき本当の我が家である、といわれているくらいですから)では、あの世での、より長い調和と安らぎの生活が保障されるわけですから、心が(よい方に)変わる恩恵は計り知れないというわけです。(もちろんそれだけではありません。心が変われば、それは自分自身の心がそれだけ成長した〔神の心に近づいた〕ということになります。自分自身の魂の成長、これほどの恩恵はないのです)

これが、心などどうでもいい、表面上さえ取り繕っていればそれでいい、という考えで、しかも、この世はこの世だけ、神も仏もなく死後の世界もない、というこれまで通りの考えであったならどうなるでしょう。

人との付き合いは表面上だけ(その人がいないところで、いない人の悪口を平気でいい)とにかく自分がよくなればいい、自分が悪いことをしても、それを人のせいにして、自分が罪に問われなければそれでいい、人と仲良くするのは、最終的には自分が幸せになりたいから、自分が楽しみたいからで、自分がよければそれでいいのであって、それでも死んでいくのはいやだ、怖いという思いを持ち続けて、死の恐怖を持ちながら死んでいくのです。

表面上だけ自分だけ、よくなればいいとしか思っていないのですから、それがよくなるには、金をたくさん稼ぐことがそうであるし、地位や名声を得ることがそうであるのだから、当然、自分の心などそっちのけにして、ただその目的に向かって進むだけなのです。

この世はこの世だけなのですから、この世で金を稼げば、この世の幸せは得られるのであるし、仲間と楽しみたいのであれば、それに名声や地位を得れば、より多くの人とより多く楽しめるわけです。(つまり金を稼げば〔この世だけのですが〕多くの幸せが得られ、地位や名声を得れば〔多くの人に自分が知られるわけですから〕多くの人が自分の思い通りになる、というわけです)

そこに神を思う心もなければ、自分の心の成長もないのです。(心そっちのけですから)つまり、すべて表面上だけの付き合い、表面上だけの楽しみがあればそれでいいという考えなのです。

そうして、最終的には死の恐怖が常にあります。(だから、その日々の死の恐怖を考えたくないため、そうしているということもいえますが)しかし、どれだけ嫌がろうが怖がろうが最後には死ぬのです。

そのような心そっちのけの生活をして、怖い怖いと思いながら死んだらどうなるでしょう。

心は真っ黒です。(反省など〔少しくらいはしたかもしれませんが〕しなかったんですから)そうして人との付き合いは表面上だけです。(人の悪口をいいたくっていたということになれば、それは調和していたとはいいません。つまり人との調和がまるでできていなかったということになります)金も地位も名声もあの世に持って帰ることはできません。(したがって、そのようなものはどれだけ得ようと、少しもあの世では評価されません)そうして神も仏も認めず、この世だけだと思って死にますので、怖い怖いと思いながら死んでいくのです。(神を思わないのも怖がるのも悪なのです)

つまり、二重にも、三重にもわたって(心に)悪いことしながら死んでいくのです。この人がはたして天上界に行けるのでしょうか?

特別、この世で悪いことをしていない人でも、あの世から見ればこれだけ悪いことをしているのです。では、ほとんどの人が、これまで通りの考えでは、天上界にはいけないと思われないでしょうか。

つまりこれまで通りの考えでは、この世だけでなく永い永いあの世での生活まで、不幸なものになるということです。(それでも最終的には救われるのですが)

このブログを読んで法を知って心が変わるのであれば、この世の生活だけでなく、あの世の世活まで(本当に)救われることになるのです。これほどの恩恵があるのでしょうか?

また、それほどの恩恵があること(法の流布に法の勉強)を誰もしようとされないから、これだけの災いが起きているのです。

このブログの価値が少しはお分かりいただけるでしょうか?(これだけ書いても理解できる人ほとんどいないのでしょうが〔涙〕)

しかし事実は事実です。だから私はこの神の運動を手伝わないといけないと、繰り返しいっているのです。

これだけの災いが起き、そうしてこれだけの幸せが手に入るかもしれないのです。(それは自分の心と行い次第です)

何でいつまでたっても法の流布を誰もやろうとしないのでしょうか?

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11月 21 2013

信じられない奇跡の現象

ここ数日は北陸に異常気象が続いているようです。

大雨に加え、ひどい雷やヒョウまで降ったところがあるそうで、石川県の金沢など、この三日間で一ヶ月分の雨が一変に降ってしまったそうです。

十月や十一月など、一年で一番天気が安定しているような気がしますが(実際そうなのかどうなのかは知りませんが)その十月や十一月に、これだけの異常気象(異常に暑かったり寒かったり、台風がやたらに来たり、大雨が降ったり)が起こるものでしょうか。まったく奇妙な話です。(それも温暖化ですましてしまうんでしょうが)

奇妙な話といえば、この辺りも奇妙な人がたくさんいます。

今日も朝から、ガンガンでかい音を立ててる人もいましたし(まったく朝からよくやります。周りの迷惑関係ないようです)前の会社の連中も様子が変です。

この辺りの会社の人たちも、毎日のように人が横を通れば嫌がらせしてきます。いろいろこの辺りの会社にも奇妙なことが起きているようです。(雰囲気がよく変わりますからね。私が近くを通ると、急に怒ったようにでかい音を立てたかと思うと、別な日は、窓も締め切って音もまったく立てないとか、やることが極端に変わるのです。何か起きていなければ、これだけ極端に態度が変わるわけありません。この辺りの会社も奇妙なことが起きているようです)

この辺りの人も、人のブログ散々読んどいて(いろいろ知ったはずなのに)感謝一つしません。(嫌がらせは一生懸命されるようですが〔笑〕)そりゃ天罰も下るでしょう。

別に、人の不幸を喜んでいるわけではありませんが、昨日の話ではないですが、この教えが本当の神の教えなのです。それを散々聞いておいて、知らん顔をするだけでも十分罪なのに、それプラス嫌がらせまでしていては、それは天罰も下るでしょう。(やってること正反対ですからね。感謝しなきゃいけないのに嫌がらせしてるんですから)

反省されなければ(昨夜もずいぶんサイレンが聞こえましたが)天罰はずっと続くでしょう。(しかし、こんなこと子供でも分かりそうですが、分からないんですかね…それとも意地でやってるんでしょうか?だとしたら意地で神に逆らうんですから、ずいぶん恐ろしい話です)

前回も書きましたように(心的には)とても信じられないような現象が、現在日本には次々に現れているのです。(神の力がまともに現れ始めたからです)

こういう時に神に平気で逆らっていれば、次々に反省せざるを得ない現象が現れてきます。あまりにそのような現象を甘く考えすぎているのではないでしょうか。

多くの人は、私がやっていることを軽く見すぎているのです。(だから子供でも平気で私に嫌がらせをしてくるんでしょうが)しかし、人の考えがそんなに簡単に変わるでしょうか?

この“考えが変わる”ということを多くの人は軽く見すぎているのです。

七十、八十にもなった年寄りが、そんなに簡単に考えを変えますか?何十年も神は存在しない(全知全能のです。自分たちが勝手に想像している、八百万の神はいると漠然と信じているかもしれませんが、そのように小さな時から教えられていますから)あの世などない、人はこの世で終わりと信じてきた人たちです。しかも年を取れば心は頑なになり頑固になって、人の意見など絶対に聞かないというお年寄りも多いのです。

しかし、そんな人まで(この辺りの人だけかもしれませんが)考え方を変えているのです。

神は存在し、あの世はあり、人は輪廻転生をするものである、と信じ始めているのです。(その証拠に、私に嫌がらせしていく年寄りに「爺さん〔あるいは婆さん〕そんなことしてると地獄行きだぜ」と声をかけると、ビックとする人多いですから。あの世のことを信じているということがすでに態度に出ています)

年寄りから小さな子供まですでに考えが変わっているのです。(この辺りはの人は〔多分ですが〕すべて変わりましたね。私のこと知らない人いないですから)

しかし、この多くの人の考えを変える、ということは実は大変なことなのです。だってそうでしょう、先ほどもいいましたが、人の考えなど、ちょっとやそっとで変わるわけありません。年寄りだけではありません。若い人でも、人の意見など聞かないという人などごまんといるのです。(特に最近は増えました。個人の自由ばかりいわれますので、人の意見を素直に聞かない人ばかりです)

そのような人たちの考えを、そう簡単に変えることができるでしょうか?同じ方向に考えを向けさせることができるでしょうか?まず無理ですね。そうさせるにしても、それこそ何十年の時が必要でしょう。

それだけ多くの人の考えを変えるということは難しいのです。

それが一変に変わってしまったのです。もし、内面(心)が観える人がいたとしたら、そのあまりの変わりように非常に驚くのではないでしょうか。

つまりこのことを物にたとえるなら、昨日まで、ど田舎だったところが、今日になったら近代国家になっていた、というくらいの出来事なのです。

これだけ多くの人の心が一変に変わることがありえるでしょうか?(しかもたいした抵抗もなくです。前回に大きなパラダイムシフトが起きた時など〔天動説から地動説に変わった時〕大変な抵抗があり〔ガリレオなど死刑になりかけました〕時間もかかったのです)

とても、起き得ない奇跡が今生起きているのです。(多くの人の心が、こうも簡単に一変に変わるくらいの奇跡は、どのような奇跡にも勝ります。それほど人の考えを変えるということは難しいのです。しかも、強制的に洗脳したわけではありません。多くの人が自発的に考えを変えたのですから)

永い輪廻転生の過程を考えるのであれば、わずか五十~百年ほどのたった一度の人生で、これだけ多くの人が(しかもまったく神に背を向けていた人たちがです)一変に神に顔を向けるようになる(まだ顔を向けただけですが)ということはありえないのです。それほどのありえない大奇跡が今生起きているのです。

それほどの大奇跡を多くの人はまるで感じていないのです。(なぜって、それは目に見えないことだからです。だから起きてることの大きさが分からないのです)

それほどの大奇跡が起きているのですから、神の力が現れるのも凄いことになります。(もちろん多くの人が心を変えたからです。だから神の力がよけい現れやすくなったのです)

しかし、そのもの凄い神の力に多くの人はただ右往左往して、起きていることの重大さに気づいていないのです。

その時代を生きている人は、そのようなものかもしれませんが(だから、本当の歴史が分かるには五十~百年の時が必要である、といわれるのですが)しかし、これまで起き得なかった奇跡が起きているのです。

いつまでもそれに(その価値に)気づかないのは罪なことといわざるを得ません。

今起きている大奇跡を知るのであれば、私のやっていることの重大さが分かり、この教えがいかに大事なものであるかも分かるはずです。

今私の周りでは次々に奇跡が起きています。しかしそれは、これだけの大奇跡が起きている最中なのです。起きることが当たり前ということになります。

これだけの奇跡が次々に起きている時に、それに平然と逆らうのは愚かなことといわざるを得ません。

もの凄い奇跡が起きています。では、その流れに逆らってはいけないのです。

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11月 20 2013

法を知るべき時

福島原発四号機の核燃料の輸送作業が始まりました。

この核燃料を取り出し輸送する作業は、大変危険であって、作業途中で地震など起きて核燃料を落としでもすれば、どのようなことになるか予想がつかないようです。(放射能が一変に拡散するかもしれません)

作業途中に地震など起きないよう願うしかありませんが、しかし、このような危険なことを祈りもせずやっているとは、月も出ていない夜道を、灯りもなしで歩くのと同じで危険極まりないことです。法を知らないと、こういう危ないやり方しかできないのだなとつくづく思います。

しかし危険な作業とはいえ、この四号機はまだいい方で問題は一~三号機です。

メルトダウン(炉心溶融)を起こした一~三号機は、原子炉建屋内の放射線量が高くて、作業もままならないそうではありませんか。この状況では、いつ核燃料を取り出す作業が始められるか分かったものではありません。(それどころか、建屋内がどうなっているのかも分からない状態です)

まずは建屋内の除染を進める作業から始めるそうですが(もちろん人が近寄れないので、無人の重機を使ってです)しかしこの作業も「線量が下がるかどうかはやってみないと分からない」そうです。

これでは原発事故の収束はいつになるか分かりませんね。

聖書にモーゼが、苦くて飲めなかった井戸の水をたちまち甘くした、という記述があります。

天上界には、浄化に秀でた神通力を持つ大天使もいられます。(サリエル)そのような大天使に祈りながら、原子炉建屋内の放射線の除染を進めれば、一変に線量も下がるのに、ここでも法を知らないことのマイナスが出ています。

まったく残念な話です。法を多くの人が知れば、このような困難な作業であろうと、もっとスムーズに早く進めることができるのに、誰も法を知ろうとはしません。そうであるなら天上界の光の天使は、誰も協力しないでしょう。(ということは、天が協力しないということです)

考えてみて下さい。昨日のブログではありませんが、神の存在、あの世の存在、そうして人の輪廻転生、このようなことをいう人は過去いくらでもいたのです。(そうですよね、このようなことを主張している宗教はいくらでもあります)

しかし、多くの人がそれを信じなかったのです。(そのことを信じたのは、そのような宗教を信じている人たちだけでした)

それだけ日本の人々は唯物無神論の思想が強かったからです。

では、なぜ今回は多くの人がそれを信じたのでしょうか?

それは、信じざるを得ないような現象が次々に現れたからです。このブログに書いたことが次々に起きだしたからです。

このようなことを多くの人が知れば、もうそのようなこと(神の存在、あの世の存在、輪廻転生)も信じざるを得ません。だから信じたのです。多くの人が。そうして、そのような事実を信じる人は現在においても広がり続けています。

すでにパラダイムシフト(社会全体の思想や価値観などの劇的変化)が起こりつつあるのです。これほどの心的変化が一変に起きたことはこれまでなかったのです。(パラダイムシフトも、多くの人の考えが変わるには数十年、数百年の時を要するのです。しかし、今回は、わずか数年でそれが起きつつあるのです。とても考えられない速さです)

つまり、それほど考えられない現象が(起きている現象もそうですし、信じられない速さで多くの人の意識が変わっていることもそうです)今現在起きているということです。

なぜ、こんな信じられないことが次々に起きているのでしょうか?

それが神の力なのです。その神の力がこの世、現象界に大きく現れだしたということです。

神の力、それはすなわち、私が説いている法の力が次々に現象化しているということです。(他の宗教ではこのようなことは起きていません。そのような次々に起きる現象が証拠です。この教えこそ本当の神の教えであるということです)

このように神の力が次々に現象化しだしている時に、この法を勉強しようとせず、何も協力しようともせずにいて、それが神に許されると思いますか?

そのような時が来ているのに、何もしようとせずして許されるわけがありません。その許されざる結果が、日本はもとより世界中で起きている異常な異常気象です。(つまり世界中で法を知らなければいけない時が来ているということです)

もう世界中で神の力が顕著に現れだしたのです。その神の教えがある大元の日本が何もしなくてよいのでしょうか?

そのような異常現象を収めるだけではなく、神の存在、あの世の存在、人の輪廻転生を信じて、人生観が変わった人はいくらでもいるでしょう。(逆に、そういうことを信じて人生観が変わらない方がおかしいです)

では、それを知ることができた、信じることができた、この法に感謝し、協力することは当たり前のことではないのでしょうか。

法を知り、それを実践するのであれば、今ある困難な問題も次々に奇跡が起き解決に向かいます。そしてもちろん自分自身にも、そうして自分の周りにも同じような奇跡が起き、幸せな人生を歩むことができるのです。(そればかりか世界を救うこともできるのです)

今現在、次々に不幸な現象が起き、難問が山積みという状況は、一にも二にも、神の力がこれほど現れる時代になったにもかかわらず、その神の心を理解しようとしない多くの人の心と行いにあります。

もう、法の勉強をやらざるを得ない時が来ているのです。

自分はもちろんのこと日本のために、そうして世界のためにも、この法を勉強し伝える使命が日本の人々にはあります。

ではもうやるしかないのではないでしょうか。

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