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11月 19 2013

神の業の恐ろしさ

昨夜も凄かったですね救急車のサイレンが。

これだけサイレンが聞こえてくると、段々このブログ読む人も減ってくるのではないかと心配ですね。(このブログ読んでる皆さんご無事ですか?まだ大丈夫そうですね、この辺りの会社の連中大丈夫そうだし)

マァ、昨日のようなことを書けば、また意地になって嫌がらせしてくる人もいるんですが(比較的減りましたけどね、最近は)しかし、これが伝染病か何かなら大騒ぎになるところですが、神の業となると誰もあまり騒ぎません。不思議なものです。

毎日、人が救急車で運ばれているのです。それも何人もです。(名古屋全体を見たら何十人、あるいは百人超えるかもしれません)これがもし伝染病ということにでもなれば、今頃大パニックになります。(それはそうでしょう、毎日これほどの人数の人が、その伝染病に感染していたら大変な騒ぎになります。ニュースでもバンバン流されるでしょう)

ところが、伝染病に匹敵するようなことが起きていても、その原因がはっきりしないと全然騒がれないのです。

それどころか、そういう現象が現れている名古屋の人たちでさえ、これほどのことが起き、その原因が仮に伝染病であるなら大パニックになるはずなのに、原因が私(本当は違います。神の業なのですが、誰もそれを認めようとしないものですから)ということになると、これもまたそれほど騒がないのです。パニックになるどころか、その原因だと思っている私に怒っているだけなのです。(これほどの現象でもほとんど恐れないようです。だって未だに、子供でも平気で私に嫌がらせをしてきますし、今日も相変わらず前の会社の連中やってます。誰に何が起きてもさほど怖くはないようです)

しかし、このような態度は神を知らない無知さとしかいいようがありません。伝染病などより神の業の方がよほど怖いのです。

だってそうでしょう、伝染病は、その病原菌を死滅させればそれで終わりますが、神の業は自分たちの心を直すまで止まりません。したがって今のように神を恐れようとせず、私に平気で嫌がらせを続けている限り、この現象は出続けるのです。

そればかりか、そんなことをしている人たちには、もう幸せが来ることはありません。(それはそうです。真っ向から神に逆らっているんですから)そうして死後の世界も地獄行きです。(これも当然そうなります。神に逆らっているんですから)伝染病などとは比べものにならないくらい、神の業の方が怖いのです。

しかし、この毎日多くの人が救急車で運ばれているこの現象が、私のせいですか?

ずいぶん皆さん意識が変わったものです。

そう思われないでしょうか?二~三年前なら、このようなことが起こって、それを「私が起こしました」などといえば、皆に大笑いされ、まともに相手にもされませんでした。それが「私ではない」といくらいっても、それでも「原因はお前」とこの辺りの誰もが思っているのです。

あまりに変わってしまったのではないしょうか?多くの人の意識が。

このようなことばかりではありませんよね。神の存在、あの世の存在も分かり、人の輪廻転生まで分かったのです。それは一体誰のせいなのでしょうか?(この場合「誰のお陰で」という言い方が正しいのですが)

これは私のせいですよね。(こればっかりは私も否定しません〔笑〕)

この世界はこの世だけ、すべて偶然で神も仏もない、そういう短絡的な考えと、死への恐怖がほとんどなくなったのです。(地獄に行かなければいけない人はまだあるんでしょうが、死の恐怖が)

死への恐怖、これは生きている人の永遠の悩みであったのではないですか?(それこそ小さな子からお年寄りまでです)

それが無くなったとはいいませんが、人の永遠の生命を知ることにより、半減はしたはずです。これだけでも自分の人生にとって、大変大きな(幸運な)出来事であったのではないのでしょうか。

それを伝えた私に何一つ協力せず嫌がらせですか?そういうことが分かったのも、このブログのお陰ですよね。そのブログを書くのを邪魔するのですか?一体何をやっているんでしょうか、この人たちは。

こんなことをやっていて、それでいいこと起きると思いますか?(これでいいことが起きると思う方がどうかしています)

これでは天罰も下りますよね、そう思わないのでしょうか?

それをいくらいっても分からない、反省しないということであれば、これはもう分かるまでその現象は収まりません。

名古屋のことは名古屋の人たちが解決しないと収まらないのです。

それは何でも同じでしょう。福島原発の事故でも、福島の人たちが不幸になっているのであって、その不幸を他の地域の人ではかわることができません。手助けはできても、最後は福島のことは福島の人たちで解決するしかないのです。(福島の人たちも、その心を直されると〔多分、共産主義の人が多いと思いますので。知事がそのような心の人ですから〕復興もまったく進むスピードが違ってくるんですが〔心が変われば天が協力してくれますから。しかし今の共産主義の心のままでは天は協力してくれません。だから復興も遅々として進まないのです〕それを伝えることができず残念です。それもこれも、法を知った人が何もしようとしないからなんですが…)

自分たちが不幸になっているのは、他のもののせいではありません。すべて、その自分たちの心に原因があるのです。その多くの人の心が、その住んでいる場所に他の媒体を通して現れるということです。(名古屋に起きている現象は、神を通し現れているのであり、福島の現象はもちろん原発を通し現れたのです)

そこに住む人の心がよい人が多ければ、その場所にはよい現象が現れ、悪い人が多ければ悪い現象が現れるということです。(そこに起きる天変地変も同じです。だから私はそこに住む人の心をよくすれば、その場所に天変地変は起きないといっているのです)

今名古屋で起きている現象は、神が(天が)直接手を下している現象です。その意味を、名古屋の人々はよく理解しないといけないのです。(この現象は他のものを通して行われているわけではありません。神が直接です。それだけ意味があるということです。それだけ神の存在〔慈悲、愛、畏れ〕をより深く理解しないといけないということです)

神の業は、そこに住む人の心が変わらないと収まりません。そこに住む多くの人が一刻も早く心を変えるしか、その解決方法はないのです。(私に感謝しないとこの現象は収まらないということです…どうも収まりそうもありませんね、この現象)

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11月 18 2013

恐ろしい現象の原因

今日も朝早くから、ウーウーウーウー大変な騒ぎでした。(あれパトカーか消防か何か知りませんが…もちろん救急車のサイレンも聞こえています)それにしても何が起きているのでしょう、毎日、毎日。(本当に現実とは思えません)

これではそういう人たちからも嫌われますよね。(実際、消防車にまでブシュとやられたことありますから〔苦笑〕)

「私は自分の神通力で、この一年の間に数万という人々を病院送りにした」という人が、もしいたとしたら、こいつは頭がおかしいと思う人は大勢いると思います。

ところが名古屋では、この逆のことを思っている人が大勢いるのです。(本人がそんなこと思っていないのに、周りが勝手にそう思っているという意味です)なんと、このようなことすべて、私のせいにしている人がごまんといるということです。

考えられますか、他地域の皆さん。現在名古屋で大騒ぎしている事件を、皆私一人のせいにしているのです。(ある爺さんに「事件ばかり起こして何をいっとるか」と怒鳴られたこともありますし)

まったく自分たちには責任がないと思っているようです。自分に責任がない悪いことを、私が一人で起こしていると思っているようです。(釈尊がいわれた「善因善果、悪因悪果」の法則まるで無視です)

何度いっても、理解してもらえないのには呆れますが、理解してもらうまでいうほかないでしょう。それ以外助かる道はないのですから。(私もいい加減、こんな人としての初歩の初歩のこと、何度も書くのは勘弁してほしいです)

空気や水や太陽の光など、皆さんただでいただいていますが、これは誰のお陰でただでもらえているのですか?

このどれ一つなくても私たちは生きられないのです。(もちろんこの大地も含めてですが)日が照って、空気があって、雨が降って、そうしてはじめて私たちは生きることができるのです。

ではそれを誰が与えてくれているのでしょうか?自分の父や母でしょうか?それとも会社の社長さんですか?それとも総理大臣でしょうか?このどの人も、空気や水や太陽光をただで与えてくれるわけではありません。人がそれをしてくれるわけでは決してないのです。

では、誰がそれをしてくれるのでしょうか?

神でしょう。(他にいますか?そのようなものは、すべて私が与えているという人がいたら名乗り出てください)

では、その神に対し感謝するのは当然のことではないのでしょうか。

その感謝が足りないといっているのです。(ほとんどない人もいますし)

だから、こういうことが起きているのです。(特別名古屋だけではありません。日本全体にです)

これまで起きなかったではないか、と思われる人もいるでしょう。だから、それも何度もいっています。そのような時代、末法から正法の時代に変わりましたよ、と。

釈尊やキリストの時代にも様々な奇跡(現象)は現れています。今だけ特別なことが起きているわけではありません。ただ、そのような奇跡の現象を、現代の人は実際に起きたのではないと、または、そんなことが本当に起きたのかと半信半疑でしか知らないから、そういうことが実際に起きると、その現象の意味が理解できず、心を変えることができないのです。

だから、神の業を人の業だと勘違いしているのです。神のせいにできないから人のせいにしているということです。(本当は自分自身のせいなんですが)

現実に、私のせいにしていても何も変わらないではないですか。それが私のせいではないという証拠なのではないですか?(でも、それは認めないんですよね)

どれだけ仕事がしたいと思っても、またもっと遊びたいと思っても、病気になってしまえばそれもできなくなるのです。たとえ自分は平和に暮らしたいだけだといったところで、そういうことができなくなる状況に今の名古屋はあるのです。神の心に逆らい続けているということはそういうことなのです。

将来こうしたい、ああなりたいと、どれだけ思おうが、それさえも奪われてしまうのです。一番根本である神を一としないからです。そうして正しい信仰をしようとしないからです。(間違った信仰をどれだけしていても同じです。だから、このような現象が収まらないのです。皆、正しい信仰をしていないからです)

それをしなければ、それをしなければいけないという現象が現れてきます。それが正法の世なのです。

それを多くの人は知らないのです。今までこれでやれたのだからこれからもそれでいける、と漠然と思っているだけで、そんなことは自分たちの仕事でもそうは行かないのではないですか。めまぐるしく世の中が変わっている時代に、何で自分の生活態度だけ変えなくてもよいと思われるのでしょうか?それこそ自分が進歩していない証拠です。

自分たちの心を変えようとせず、自分たちが何かしたところで、名古屋の状況は何も変わらないのです。(むしろ悪くなる一方です)では、すべて私のせいにしている、その私のいうことを少し聞いてはどうでしょうか?(というか、もうそれしか道はないと思いますが、他に道がありますか?)

名古屋だけ見ても、すでに一年以上もこんな(サイレンがあちこちから響くという)異常な現象が続いているのです。では何かを、どこかを、変えるしかないのではないでしょうか。

今日も相変わらず、前の会社など私に嫌がらせを続けています。もし私が、本物の神の使いなら、その本物の神の使いに嫌がらせをし続けているのです。では、名古屋にどのようなことが起きるか想像がつくはずです。

今起きている名古屋の異常な現象は、そのような人たちが、神の使いに嫌がらせをし続けている結果なのではないですか?

釈尊やキリストのいうことを一つも聞こうとせず、その釈尊やキリストに嫌がらせをし続けていれば、この名古屋に起きている同じ現象が現れると思わないでしょうか?(病気になる人が続出するということです)

本物の神の使いのいうことを少しも聞こうとせず、嫌がらせを続けた結果が、現在の名古屋に恐ろしい現象を現している、その原因に思えてなりません。

何度もいいますが、少し考え方を変え、心を変えてみてはどうでしょうか?

どちらにしても名古屋の人々が、今のまま何一つ心も行いも変えようとしなければ、名古屋は滅ぶことになります。(そうですよね、だって何か変えないことにはこの現象は止まらないのですから)

いつまでも怒っているのも個人の自由ですが、考えを変えてみるのも個人の自由です。今までの考え方(怒っているだけ)では何も変わらないのです。

では、他の考え方をするしかないのではないでしょうか。

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11月 17 2013

蜘蛛の糸

芥川龍之介の短編小説である「蜘蛛の糸」は誰でも知っていると思います。

釈尊がある時、極楽の池からはるか下の地獄を見ると、多くの罪人が苦しみもがいていました。その中の一人の罪人(カンダタ)が生前一度だけ善行を行っていました。

それで釈尊は、そのカンダタを救おうと一本の蜘蛛の糸をカンダタにたらします。

そうしてカンダタが、その蜘蛛の糸をつたって上へ上へと昇りはじめたのですが、その後を大勢の罪人がついてきます。このままでは重さに耐え切れず、糸が切れてしまうと思ったカンダタは、その罪人たちに向かい「下りろ」と叫びます。

その瞬間、カンダタのすぐ上から糸は切れ、カンダタを含めたすべての罪人は、真っ逆さまに地獄に堕ちていく、という物語です。

この蜘蛛の糸に出てくる罪人は、まだ救われたいという気持ちがありますので、この時は救われなくてもいずれは救われていくのでしょうが、救われたいという気持ちがまるでない人たち、これは救われません。(それはそうです。自分でそれを望んでいないのですから)

それがまさに名古屋の人たちといわざるを得ません。

だってそうでしょう。昨日もずいぶんサイレンがしていました。今日も朝から何度も聞こえます。(これ完全にペース上がってますよね)

仮に一日十人の人が病院に運ばれているとしても、月にして三百人、年にして三千六百五十人、日によっては二十回も三十回も救急車のサイレンが聞こえてきますので、下手すれば(もう一年以上こんなことが続いていますので)四千人以上のこの辺りの人が、救急車で病院に運ばれた計算になるのです。(これはあくまでこの辺りの人だけの限定です。この辺りで聞こえてくるサイレンの音だけの計算ですから)

これが名古屋全体ならどうなるでしょうか?多分、名古屋中でこんなことが起きていると思いますので(私があちこち行った感じでは、名古屋中で起きているのではないかと思われます)この何倍もの人が病院に毎日運ばれているのです。

ということは、この一年ほどの間に、もう数万の人が病院に運ばれたということになります。(この辺りだけでも、この一年で数千の人が病院に運ばれたと思われるのです。では名古屋全体を考えれば、数万、下手すれば十万人以上の人が病院に運ばれたかもしれないのです)

ちょっとありえないことが起きているとしか思えませんが、これを私一人のせいにしているんですか?(それもちょっとありえない考え方だと思いますが)

こんなこと神以外できないでしょう。人がこんなことやれると思いますか?(もう数万の人が病院に運ばれているんですよ)

名古屋の人たちの考え方が明らかにおかしいのです。これだけのことが起きているのに、それを私一人のせいにして怒っているんですから、もはやまともな考えとは思えませんね。そうして、それ以上のことをしようとしないのです。(怒って私に嫌がらせしているだけ、ということです)

このような現象から救われたいと誰も思わないのでしょうか?

私がまったく不思議だと思うのは、名古屋の人は、これほどの現象が現れているにもかかわらず、それを一人のせいにして怒っているだけで、自分がその現象から助かりたいとも思わないようなのです。(だから私は先ほど、救われる気持ちのない人は救われないと書いたのです)

そのようにしか見えませんよね、それともこの現象を収めようと、誰か何か対策を講じたのでしょうか?(自分たちが一生懸命祈るとかのです)

何かやっているのかもしれませんが、しかし、それは明らかにやるだけ無駄ということですよね。(だって、最近は起きる現象がひどくなっているんですから)それでもまだ、そんな無駄なこと続けるんでしょうか?

この一年で、下手すれば十万以上の人が病院に運ばれているかもしれないのです。これ大変なことが起きていると理解できませんか?

いい加減、今起きている考えられない重大なこと(それが神の業なのですが)の意味をご理解ください。こんなことが十年も続いたら、名古屋のほとんどの人が病院に運ばれるということになるのです。

大変重大な(それこそこれをほっておけば、名古屋が滅びるかもしれないということです。それはそうですよね、この現象が二十年続いたら、二百万の人が病院に運ばれるということになります。そうなれば、名古屋のほとんどの人が病院行きということになりますから、当然滅びますよね、名古屋は)現象が現在の名古屋に現れているのです。(それこそ名古屋の人全員で、お祓いをしなければいけないような信じられない現象がです)

もう少し、私の言葉を真剣に聞かれたらどうでしょう。

今名古屋で起きている考えられない現象は、このまま放置しておけば、名古屋はもとより日本さえ滅ぼしかねない、恐ろしい現象であるということです。

これまで多くの人が考えてこなかった神のことを、もっと真剣に考える時が来ているのではないでしょうか?

もしこれ以上神を無視するのであれば、そんな国は滅ぼされるのです。

(何度もいいますが、あまりに日本の多くの皆さんが神の業をなめすぎています。そうして神に不遜な態度を取りすぎています。異常な天変地変と相まって、名古屋で起きているこんな異常現象が、日本中で起きだしたら日本はどうなるでしょう?日本が滅びるのにさほど時間はかからないと思われます。これでもまだ、私のいうことを無視されるのですか?本当に日本中の人が、救われるのを望んでいないかのようです。それでは蜘蛛の糸は下りてこないでしょう)

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11月 16 2013

神の慈悲

昨日、使命を持った人が動こうとしなければ、その国は滅ぶと書いたんですが、そうしたらまた昨日は凄かったですね。(夕方から夜にかけてです)サイレンが鳴りっぱなしでした。(本当に滅びそうです)

あのように異常にサイレンがしだすと(というか今日も朝からよくしてますけど)もう皆さん怒り心頭みたいな感じで、嫌がらせしてくる人ばかりになるんですが、しかし、よくそれだけ怒れますね。怖くはないのでしょうか?(この寒いのに、わざわざ家から出てきて、私に嫌がらせをしにくる人もいるようです。私の帰り道や時間を皆知ってますから)

普通なら、こういうことが毎日起きれば(毎日起きてるんですよ)恐れる人ばかりになってもおかしくはないのですが、恐れるどころか怒っているんですから呆れてしまいます。ちょっと考えられないくらい神の業を甘く見ています。

神の業を人のせいにして反抗しっぱなしなのです。よくこういうことが続けていられると驚きます。

こういう経験がないから、といってしまえばそれまでですが、それにしても年寄りが率先してそんなことをしてくるんですから、これまでよほど神を神と思わず生活してきたのだなと改めて思います。

普通は、この世の経験が長い年寄りが、そんなことをしてはいけないと皆を諭すんですが、その年寄りが私に、わざわざ嫌がらせをしにきているんですから話になりません。これまでの信仰が、いかに間違っていたかよく分かる出来事です。

年寄りだけではないのでしょうが、神を神と思わず、神を自分のはしためのように思い、自分に都合のいいことを望むだけ。つまり神に対し、尊敬の念も畏敬の念もないのです。神とは、ただ自分の都合をきいてもらうだけの存在としか思っていないのです。

これでは神の業を恐れるはずがありません。神は、そんな恐ろしいことをする存在だとは誰も思っていないからです。

まさに末法の信仰です。神は自分の都合だけきいて(その都合もきいてもらえるかどうか分からない)それ以外は何もしないと思っているんですから。

しかし、神はそのような存在ではありません。神は私たちの願いもきいてくれますが(それが正しい願いであるならばです)気づきも与えられるということです。いつまでも神に対し、不遜な思いを持ち続けているのであれば、当然それではいけないという現象も現されるということです。

多くの皆さんは、自分たちは何も悪いことはしていないと思っているようですが、では、これまで神に対し、どのような思いを持っていられたのですか?

神を、私がここに書いたような(自分の都合だけをきいてくれる便利な)存在としか思っていなかったのではないのでしょうか?

もし、そうではないと、自分はいつも神に対し、畏敬の念を持ち感謝しているというのであれば、何が起きようと恐れることも、また怒りを感じることもないはずです。

そのような心であるならば、何も恐れるものはないからです。(私たちが唯一恐れる存在は神以外ないからです)

しかし、これだけのことが起こり、そうして、それに対し怒りや恐れの心をもし持つのであれば、それは普段から神のことをしっかり思っていない証拠なのです。だから、自分や家族に何か起きたらどうしようと、不安な気持ちになり怒りや恐れが出てくるのです。

そのような思いを持つこと自体、それがすでに間違った心である証拠なのです。

だから私は、どれだけ救急車のサイレンが響こうが、そのような思いにかられたことなど一度もありません。

ただ、私のように法を知らない人たちはさぞ不安なんだろうと、それを思って、このブログに今起きていること、そうして、それがどうしたら解決できるのかを書いているだけです。(皆さん一向に聞こうとされませんが)

今しがたもサイレンが響いていました。最近はサイレンがしだすと、もう尋常じゃないほど立て続けにサイレンが鳴り響きます。(それだけ急病人が病院に運ばれているということです)

いつまで神に逆らわれるのですか?

神の心に逆らっている間は、この恐ろしい現象は収まりません。この現象を収めるには神の心に従うほかないのです。神に従順になるしかないのです。

「お前のいうことなど聞けるか」その心がすでに、神に反抗しているということを知ってください。(では、そのようにいう人たちに何か手立てがあるのでしょうか?)

今も、前の会社の連中など、このブログを書くのを邪魔し嫌がらせを続けているのです。このブログを書いている最中でさえ、神に反抗し続けている人たちがいるのです。こんなことをしていては、それこそこの名古屋の人々がいなくなるまで、この恐ろしい現象は続くでしょう。(それだけ恐ろしいことを、この連中は何も分からず平気でし続けているということです。名古屋の人々を滅ぼすほどのことをです)

自分たちがしていることの(神に対する認識の甘さ、自分たちのしていることの罪の重さ)重大さをよく知ってください。

今名古屋の人々がしていることは(私に対する嫌がらせ)それほど軽いことではないのです。名古屋を滅ぼしてしまうほどのことなのです。

現在の日本も同じですが、名古屋にこれだけの神の業が集中して現れています。

では、その神の慈悲の心をよく理解して(神が、名古屋の人々を気づかせねばという慈悲の心が、それだけ現れているということですから)名古屋の人たちは、一番にその神の心に気づくべきではないでしょうか。

また、そうしなければ、神の心に報いることはできないのです。

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11月 15 2013

滅びる国と栄える国

相変わらずこの辺りの人、私に嫌がらせを続けています。(前の会社の連中も変わらずやってますし)昨夜など私の横を通り過ぎながらやっていって、そうしてまた戻ってきてやっていった人もいましたからね。呆れてしまいました。(もうそのような人たちは祈るしかありませんね。他に直す方法ないでしょ)

何があったか知りませんが(これだけ救急車のサイレンが響いているのです。そりゃ自分の身内や知り合いが、救急車で運ばれた人もいるんでしょうが)それを全部私のせいにされてもね。

と、いくらいったところでしますよね、この辺りのほとんどの人が。(だから私は嫌われているんですから)

しかし、いつまでも責任転嫁をしていてもよい方にはいきません。いい加減反省されてはいかがでしょう。その反省をいつまでたってもしようとせず、人に責任を擦り付けている、そのような人が多ければ、最後には、そのような町は滅ぼされるのです。(何が起きているか知りませんが、その原因をつくっているのは、どう考えても、嫌がらせをしている人たちなのではないですか?だって私の方から嫌がらせをしているわけではなく、その何か起きている人たちの方から、私に嫌がらせをしてくるのです。私の方から嫌がらせをした、ということは一度もないのです。いろいろ私に対し気に食わないことがあるなら、直接意見をいうべきでしょう。そういう筋を通すこともなく、ただ嫌がらせしているだけなのです。それがいいことであるはずがありません。自分たちに不幸なことが起きるのも自業自得ではないでしょうか。自分が悪いことをしている、その自覚をもう少し持ってはいかがでしょうか)

ここまで何度も書いていますが、神に滅ぼされた町はソドムやゴモラだけではありません。アトランティスやムーといった大きな大陸でも陥没してしまうのです。あまりに神の心を無視した態度を取り続けているなら、日本など簡単に沈められるでしょう。もう少し神に従順になられてはいかがでしょう。そういう謙虚な心が自分だけではなく日本も救うのです。(この辺りの人あまりに神を甘く見すぎています。それが一番怖いです)

現在の科学は神を認めませんが、しかし、その科学では説明できないことが次々に起きています。もう科学を神格化する時代は終わったのです。

だいたい科学は部分把握しかできないのです。その自分の分野は詳しくても他の分野はほとんど分かりません。逆にいうなら科学者が、この世界のすべてを支配する“神”の存在を分かるわけがないということです。(科学者は全体把握ができないのですから)

そればかりでなく、その科学者が研究している専門分野も、正しい研究もあれば正しくない研究もあるということです。

地震や天気の予想の仕方もそうですが、特に人類の過去はすべて原始的な生活であった、などという説は妄言以外の何ものでもないのです。(それも人間が猿から進化した、などという進化論が原因しているということもあるんでしょうが)

現代の地球でさえ、アフリカの奥地など、原始的な生活をしている人たちはたくさんいるのです。ですから、そういう生活をしていた人は、何千年前も何万年前もいたと思いますが、しかし、では何千年前、何万年前(あるいは何十、何百万年前でも同じですが)の人たちすべてが、そのような生活をしていた、というのは暴論以外の何ものでもないでしょう。

昨日も書きましたが、高い技術力を持っていた(オーパーツ)という証拠があるのです。その証拠をまるで無視して、皆一緒にして、原始的な時代と結論付ける方がよほど非科学的なのです。(そうですよね、証拠を無視するなど科学者とは思えません)

現在いくつも残るオーパーツを知るのであれば、過去高い文化文明を持っていた民族もあった、というのは明白なのです。しかし、そのような民族もいつしか滅び(滅ぼされ)そうして、その痕跡がわずかに残っているに過ぎないのです。

民族同士のいさかいで滅びた国もあれば、神に滅ぼされた国もあるのです。どちらの国にせよ、そのようなことが起きる原因は、その国の人々の心がやはり神に向いていなかった、その理由が一番にあると思います。現在の日本の人々が、そのようではないかと思えてなりません。

このようなことを知ってもらえれば、あのアトランティスが、高度な文明を持っていたということも、信じてもらえるのではないでしょうか。(もちろん、明らかに海に沈んだと思える海底遺跡も続々と発見されています。エジプトやインド、ジャマイカやギリシャなどの海底遺跡は有名ですが、日本の与那国島の海底遺跡や、台湾海峡に眠る長城など、アトランティスやムー大陸の跡ではないかと話題になっています)

このアトランティスで高度な文明を築いた霊魂群が、これから続々と日本に生まれ、そうして日本に菩薩界をつくると高橋先生はいわれていました。(高度な文明を築けるということは、それだけ心が高い人たちだからです)

つまり、菩薩の心を持った人たちが、これから日本に続々と生まれ、今以上に文化文明を発達させて、天上界にある菩薩界をこの世に実現するということです。

そうなれば科学の向上はもちろん(だから私は、核廃棄物の完全処理は日本でできるといったのです)一人一人の心も向上し、世界平和への真のユートピアの核が日本につくられることになります。

しかし、そのような計画の実現も、現在の日本を見ていると実現するかは微妙なところでしょう。(というか、今の状況ではほぼ絶望的です。何せ日本が滅びかけているのですから)

結局多くの人が、広い視野、そうして広い考えを持とうとしないからです。自分の殻に閉じこもっているからです。

そうなると、仮に菩薩の心を持っていても、その本来の力が現れてきません。それは広い視野を持ち、広い考えをもって自分で行動する、そのような実践がなければ、その心の広さは外に現れてこないのです。

それは広い心を持っていればいるほどそうなのです。この世の実践が大事なのです。それは高橋先生の弟子たちに、多くの菩薩界の人たちが生まれていたことで、その事実が分かります。

高橋先生の弟子たちは、よく勉強もしなければ実践もしませんでした。だから高橋先生に叱りつけられています。(そういう高橋先生の弟子たちが、高橋先生に散々叱られているテープが残っています。またビデオの中でも高橋先生に「ボサター〔インドでの釈尊の時代、菩薩のことをボサターと呼んでいました〕といわれる人たちは、本当にボサッとしています」といわれていました〔笑〕)

現在の人たちも、この弟子たちとさほど変わらないでしょう。なぜなら、誰もこの法の手伝いをしようとしないからです。

菩薩の心を持っている人たちは、誰が本物の教えを説いているか一発で見抜きます。それは過去世から法の勉強をしているため、本物の教えが一瞬で分かるのです。ですから、ここに書かれたことが、本当の教えであると分かる人はたくさんいると思います。(すでに日本に菩薩界の人はたくさん生まれているからです。その縁により、私のブログを読んでいるからです)

しかし、誰も動こうとしません。それでは神は認めません。結局、自分の殻から一歩も出ていないということを、さらけ出しているに過ぎないからです。

せっかく広い心を持っていても、それを世に現さなければ持っていないのと同じです。

時はすでに来ています。使命を持った人が誰も動こうとしなければ、その国は滅びるのです。

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