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1月 19 2013

愛のない不幸

アルジェリアの人質事件も心配ですが、あのような事件でも祈ると天が協力してくれますので、最小限の被害で止めることができるのですが、今回傲慢市長がいろいろやってくれましたからね、そちらに気が回りませんでした、どちらにしても困った市長です。

アルジェリアの事件でもそうですが、愛がないとあのような事件は頻繁に起きることになります。

傲慢市長さんも愛をもらってないんでしょうね、だから、そのような部分にいくら訴えても自分に愛がないから分からないのです。こういう人は結局自分が一なのです。これまでは、自分の立場が悪くなるといけないので、周りに騒がれると矛を収めていたのですが、それが一度怒ってしまうと、もう愛がないから止まらないのです。どれだけ周りが困ろうと関係ないのです。所詮は自分が一だからです。

母親や妻から愛をもらえていないとこのようになります。特にこの人、少々器が大きいので、ちょっとやそっとの愛では足りません。だから、暴走してしまうのです。

それならよそに女でもつくり愛をもらえばいいのに…などという不謹慎なことはいいませんが(笑)愛がない人が指導者になるとこうなりますね、だから周りと揉めたくるのです。

愛がない人は、人が少し話題になったりすると、すぐひがみや妬みの心が出てきます。それでいて、今回のアルジェリアのような、人が不幸になる事件は、どれだけ大きな事件でもさほど関心がわかないのです。

結局、心に愛がないからです。

心に愛がないとなぜそうなるのか?

それは人がよいことで騒がれるということは、その人が幸福なのであり、愛がない人は、その幸福がほしくて仕方がないのです。だから、それをほしがりひがむのですが、人が不幸になることは自分も不幸ですので(愛が自分にないということは、それはすなわち不幸ということです)それ以上の不幸をほしがるわけもなく、それで、どれだけ不幸なことが大騒ぎになろうと関心がないのです。

逆に人の不幸を利用して、自分が幸福になろうとするかもしれませんが(早く解決して人質を助けろ、とか何とかいって)しかし、それは自分が幸福になりたいためだけにいっているのであり、決して心から人を助けたいと思って、いっているわけではないのです。実際は、人が不幸になることまでかまっていられないのです。自分に愛がほしい、その一点だけなのです。

男はこれほど愛をほしがっているのに、肝心の女が愛を出していません。(最近は自分が愛をほしがるだけか、愛をまったく出そうとしないか、このどちらかの女性が多いのではないでしょうか。しかし、女が愛をださないと愛のエネルギーが循環しませんので、結局女性も不幸になるのです)

調和する愛は女しか出せないのです。(男の出す愛は破壊の愛ですからね)

女がもっと愛を出すなら、どこかの傲慢市長さんの傲慢さもなくなるのでしょうが、残念ではありますが、そういう愛が豊富な女性が周りにいないのでしょう。(市長さんの奥さんには失礼ですが)

このように考えるのであれば、あのアフリカの地にも、もっと女の愛があふれれば、当然悲惨な戦争はなくなるでしょうし、日本においてもそれは同じで、もっと調和が進み悲惨な事件や事故などなくなるのです。(心に愛があふれていれば、そのような人のところには、必ず神の光が降り注いでいるからです。その神の光が調和を促し身も守るのです)

外敵から身を守るのは男の力が必要ですが、内なる敵(心の部分)から身を守るには女の愛の力が必要なのです。

その男女の愛の力が調和されると、あちこちで奇跡が起きる、平和な大調和の世界が現れるのです。(それが天上の世界、すなわち本当のユートピアです)

しかし、そのような世界はまだまだ現れてこないでしょう、この世に愛が全然足らないからです。

女の愛が全然足らないとはいえ、男がそれをいっていても泣き言にしかなりません。礼儀を知らない人の礼儀は正してもらうほかないでしょう。傲慢市長にいっておきますが、詫びいれてもらうまで祈りは続けます。(徹底的に)愛のない人には出る現象も早いでしょう。(何せ、私も愛をもらってないもんですから、何が起きても遠慮なしに祈ります)

昨日も名古屋はよく救急車のサイレンが聞こえました。(夜など何度聞いたか分かりませんでした…今も聞こえていますが)

それも愛がない人が多い証拠でしょう。愛がないところに不幸は訪れます。それがいやなら愛ある生活を心がけることです。

どのような生活が愛ある生活なのか、よくよく考えられた方がいいと思います。

(そのような時代になったのです。もうそれを理解し心を入れ替えるほかないのです。責任転嫁していても一つも救われないのです)

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1月 18 2013

独裁者

橋下市長の気持ちはよく分かりました。どうやら自分のプライドを守りたいだけのようです。

残念ですね期待していたんですが、期待に応えていただけないようです。

予算を減らすという圧力までかけて人事異動を迫られるのですか(間違っていたら選挙で落とせばいいって、選挙すぐないでしょ)よく分かりました。

そこまで腹を決めていられるのなら仕方がありません。(周りで誰か止める人いないんでしょうか?傲慢ぶりもここに極まりですね)

これは大阪の問題です。大阪市長さんがやられること、これ以上、名古屋に住む私が文句をいっては、私も傲慢といわれてしまいます。これ以上はいいません。大阪の問題ですから。

しかし、大阪の問題は大阪の問題として、この大阪の傲慢市長さん、名古屋にも問題残したままですよね、お忘れですか?うちの河村市長にずいぶん失礼なことをしたことを。

あれって詫びいれてくれたんでしょうか?もちろん公の場で。そのような考えこれっぽっちもなさそうです…何してくれるんでしょうね、この傲慢大阪市長と維新の会は。

名古屋の市長にあのような仕打ちをしたということは、ひいては名古屋の人間をなめているということになりますよね(一言の詫びもないんですから)そういうことなら名古屋に住んでる私も文句をいう権利がありますね。(大いにあります)

マァ、維新の会には少々期待しましたので(自民党だけでもいけないと思い)あの時は何もいいませんでしたが、ダメですね、こんな傲慢市長が代表やってるようでは。期待ゼロになりました。それどころか維新の会が政権を取るようなら、独裁国家ができるのではないかとさえ思えました。(だって独裁者が代表やってんですからね)

それなら早めに聞いといた方がいいでしょう、天に。

名古屋の河村市長にあんなことをしたんだから、愛知県の大村知事にだって一言あっていいはずです。大村知事もそれが原因で辞められたんでしょう、そちらの会を。それがうんともすんともいってこないんですから、完全に名古屋と愛知はなめられています。というより礼儀を知らないのではないでしょうか。(河村市長や大村知事も、一言詫びいれろといった方がよかったんじゃないですか、何もいわないから、勘違いしてあのように傲慢になるのです。あの市長のためにもいうべきことはいうべきでしたよね)

大阪市長と維新の会は、名古屋市長と愛知県知事にずいぶん失礼なことされたのです。お二人に、詫びいれていただかないと収まりませんよね、名古屋市民の私としては。

ということで、お二人に詫びいれてくれるまで、大阪市長と維新の会を祈ることにします。

自慢ではありませんが、名古屋は現在でも(つい今しがたも聞こえていましたが)救急車のサイレンよくしています。(…全然自慢になりませんが)傲慢な市長さんと少々マナーを知らない人たちが多い、維新の会が本当に正しいのかどうなのか、天に聞くのが一番です。(選挙を待つより、その方が早いでしょう)

では、今日から祈りますね。(大丈夫ですよ、毎日忘れずに祈りますから徹底的に。ご心配には及びません)

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1月 17 2013

子を思う親の心の大事さ

橋下市長どうされたんですかね、今度は自殺した生徒のいた学校の、校長と教員の総入れ替えまで言い出されたそうですが、気でも狂ったんでしょうか?

少し職権乱用が過ぎると思いますが、悪いのは学校だけなんでしょうか?

それに、そんなこと言い出したら、いじめで自殺した生徒がいた学校など廃校にしなければいけなくなります。(多くの生徒や教師までいじめにかかわっていたんですからね)

自殺した生徒のことを思うなら、まず両親に反省を促すべきです。(両親には何もいわず、学校側にだけそんなきついことをいうのであれば、ただの民衆迎合のパフォーマンスと受け取られても仕方がないと思います)

橋下市長は本当に自殺した生徒のことを思い、この一連の行動をしていられるのでしょうか?何か自分がいったことを、押し通したいためだけにやっているように見えて仕方がないのですが、そんな子供じみた発想ではありませんよね。

そうではないというなら、その自殺した子供の両親にも一言あってしかるべきでしょう。そうしないと自殺した子が救われないからです。

前に書きましたが、自殺した子が一番ほしかったのは親の愛でした。それは死んだ今も変わっていません。自殺した人は、それが大人であれ子供であれ、またどんな理由であれ地獄に往かなければならないのです。自殺とは、神からいただいた大切な自分の肉体を、勝手に壊してしまう、自分自身にとって最大の罪を犯すことになるからです。

それがどのような理由であろうと、自ら自分の命を絶つことは最大の罪となるのです。ですから、この自殺した子は現在地獄にいます。その地獄にいる子を救うことができるのは親の愛しかないのです。

生前その子がほしがった親の愛に、その子の親が気づいて死んでいった子に対し「生きている時に、おまえを心から愛さなかったことは本当に申し訳なかった。しかし、お父さんとお母さんは今初めてそれに気づいた。お前が死んでこの世に肉体が無くなっても、おまえは私たちの心の中で生きています。肉体があろうとなかろうと変わらずおまえを愛し続けます」と心で強く思われ、そのように誓われることです。

そうして死んでいった子を思い愛の心で祈られるのです。すると、その親の強い愛の心は、必ず地獄で苦しんでいる自殺した子に届くのです。

そのような親の愛の心はすべてを浄化します。

仮にこの子が親の愛の足りなさだけでなく、先生に対して恨みを持っていたとしても、親の愛の心がその子に届くのであれば、そのような悪い心に自分で気づきすべてを反省して、その子は天上界に上がれるのです。

親の愛の心は死んでいった子も救えるのです。本当の成仏をさせることができるのです。(ただお経を上げたり、線香を上げたりしていてもその子は救えません。愛がないと救えないのです)

それには、ご両親がその子に対する愛が足りなかったことを反省し、その愛の心で祈らないといけないのです。

もし、そのような反省を両親が何時までもしないと、死んでいった子は、その両親の心を観て(あの世に帰れば一人一人の心の中などまる観えですから)「ああ、まだ自分のことを愛してもらえない」と悲しい心のままで、そのような悲しい心を持っている間は地獄にいるしかないのです。

天上界は、楽しみや明るい心、愛と慈悲、そのような心の人しか存在しないのです。怒りや悲しみや苦しみの心がある人は天上界には昇れないのです。(ですから天上界は、その明るい心や楽しみ、愛と慈悲の心そのままの世界が展開されています)

ご両親が反省されなければ、死んでいった子も救われません。もし、橋下市長が本当に死んでいった子を思っているのであれば、まず、ご両親に反省を求めらることです。それを一とされることです。そうしないとドンドン間違った方向に進むからです。

橋下市長が本当に死んだ子のことを思っているのか、それとも自分のプライドを守りたいだけなのかは、今後の橋下市長の行動を見ていればよく分かります。だって、橋下市長はこのブログを読んでいるのですから。(笑)

今日の西日本は、中国からの大気汚染がひどいということですが(神の心に逆らっていれば、おかしな現象も起きてきます)どうぞお体には気をつけられ、よい大阪をつくっていっていただきたいと思っています。(橋下市長、今後の行動を注目しています。多くの人を幻滅させないでくださいね〔笑〕)

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1月 16 2013

体罰か愛のムチか

橋下市長が、前回書いた自殺した子がいる高校の体育科への入試を中止すべし、という要請をしていられるようですが、本気でしょうか?

橋下市長とは思えない過剰反応ぶりですね、そこまでやるのは明らかにやりすぎだと思います。

それでは、いじめで自殺した子がいる学校の入試も止めなければいけません。(そうしないと不公平でしょう)どう考えてもやりすぎでしょう。

だいたい、学校の教育で生徒を叩くのを体罰という言い方も変でしょう。悪いことをしたから叩かれたのであって、子供が口でいっただけで分かるのでしょうか?(大人だって分からない人が多いのに、そう思いませんか皆さん〔笑〕)

ちょっとしたことで叩かれたり、叩きすぎるのはいけませんが、口でいっても聞かないのであれば、少々ひっぱたいたってどうってことないでしょう。最近の世相は過剰反応しすぎているのです。

昔は悪いことをすれば、先生から叩かれるのは普通でしたし、その叩かれたことを余り恨みに思っている人も少ないんじゃないでしょうか。というより、叩かれて直されないと分からなかった部分もありますからね、絶対叩いたらいけないという人の思考を疑いますね。

叩いたらいい子に育たない、というのもおかしな言い方です。だって、今の大人のほとんどは小さい時に悪いことをすれば叩かれたのです。では、今の大人のほとんど全員悪い人なのでしょうか?(神の心を知ろうとしないという面から見たら、ほとんど悪い人なんですけどね〔笑〕)そんなことはないはずです。そんな極論をいう人の方がよほどおかしいのです。(だって、そんなこといってる人って、あのオカマみたいな教育評論家の人みたいな人たちばかりでしょう。あんな人のいうことを聞いていれば、オカマみたいな子しか育ちませんよ、男は男らしく女は女らしくなんていうわけないんですから。ゆとり教育もあのような人たちが進めたんですよね、まったくああいう人たちは害にしかなりません)

高橋先生は剣道、園頭先生は柔道、それに私は空手と一応武道は習っていて、その時は殴られることもありましたし、高橋先生と園頭先生など軍隊にも行かれているのです。軍隊などそれこそ目の色が変わるくらい厳しい場所です。ある程度厳しい体験をこの世でしないとこの世の修行とならないし、過去世の自分が体験した経験も現れてこないのです。(ということは、自分自身の素晴らしい資質も現れてこないということです)

甘やかしていては、せっかくよい資質をもった人も、その資質が現れてきません。それでは宝の持ち腐れとなり、その人自身のこの世の修行にも悪い影響しか与えないのです。甘やかしは修行の妨げとなり、自身の心の成長を遅らせることになります。(少し厳しすぎるくらいがちょうどいいのです)

それに最近は、あまりに甘いことをいいすぎて、社会生活にも支障をきたしているのではないでしょうか。(これでは多くの人の修行の妨げになります)

最近の新入社員は、ずいぶん自己中で調子に乗っていると聞きますが、そんなことをさせておいては本人のためにもなりません。時代が時代だからと、それに流されるのではなく、やはり社員教育はしっかりやっていただきたいものです。

本当はそのようなことは、親がしっかり教育をしなければいけないのですが、そのような新入社員を育てた親には、全然責任がないのでしょうか?

今回自殺した子の話に戻りますが、その子がいた学校や行政は悪いといわれますが、そのような子を育てた親が悪いとは誰もいいません。親の責任は一切ないのでしょうか?その子を産んで育てた親に、まるで責任がないというのも明らかにおかしいように思いますが(というより親に一番責任があるように私は思いますが)このような判断をしている世相もどうかと思います。(今回、自殺した生徒が出たのも先生に愛がなかったからだという人もいますが、全然愛がない生徒をキャプテンにするというのもおかしな話です。私は先生に愛がまったくなかったとはいえないと思います)

愛と甘やかしは違います。愛は優しい愛もあれば、厳しい愛もあるのです。愛と甘やかしを履き違えてはならないのです。

私たちはこの世に修行のために出てきています。その妨げになるようなことはやってはならないのです。

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1月 15 2013

責任転嫁と人の心

せっかく新しいパソコンを買ったのに、メール設定がうまくいかず、未だ古いパソコンでブログを書かなければいけない、自分の機械音痴さがつらいです。(今週中には何とかしたいです〔涙〕)

昨日は東京は、十年ぶりの大雪になったようで都内は大混乱でしたね、今日もまだ雪の影響は出そうで、東京の皆さんは気をつけていただかねばいけませんが、何か低気圧が急に発達して、今回こんな荒れた天気になったようです。

この天気は気象庁も予想外で、これだけ急激に低気圧が発達し、関東がこんな大荒れの天気になるとは誰も思わなかったようです。

何で関東は今回こんな天気になったんでしょうか?

残念ですね、やはり東京のきれいなオネエサマ方私をなめてますね、どうもそのような心が影響したようです。(前に、残念なオネエチャンの時も、似たようなこと起こりましたし)

だって、前回や前々回のようなブログを私が書いたら、もうこの辺の人ピリピリですよ(針のむしろ状態ですね私)まだ、怒って嫌がらせしてくる人いますから。(かわいそうです、そのような人)

そんなにピリピリするなら、神の運動を手伝えばいいのにそれはしないのです。(今日も朝から救急車のサイレン聞こえてるんですが…)ただ、ピリピリして怒っているだけなのです。不思議でしょう。しかし、そういう人たちが多いのです。

もちろん、私のいうことをなめて聞いてる人もいけなければ、ピリピリして聞いているだけの人もいけません。私が神の運動を手伝ってほしいというのであれば、その言葉に従い神の運動を手伝わないといけないのです。(それが神の心だからです)素直に、神の運動を手伝わない自分たちが悪いのだと反省しなければならないのです。

まず、自分たちが悪いと思わなければいけないのですが、絶対思いませんね、この人たち、だから恐ろしい現象が続くのです。いつまでもおまえが悪いと思っているから、こんな状況が続くのです。(それにしてもよく聞こえてきますね、救急車のサイレン、何かこのようなブログ書き出すとよく聞こえてきます…こんなこと書いてるとまた評判悪くなります)

責任転嫁ばかりしている人が悪いのですが、世の中、責任転嫁するのが好きな人が多いようです。

どうせ、こんなブログ書いたらまた評判悪くなりますので、評判が悪くなるついでに、もう一つ評判が悪くなるようなこと書きますが、今ずいぶん話題になっている、大阪の高校の生徒が教師の体罰を苦に自殺した事件がありますが、あれなど責任転嫁の最たる事件ではないでしょうか。

世間では、その生徒は先生から毎日体罰を受け、それで自殺した、生徒にそんなひどい体罰を加えた先生が悪いの一点張りですが、そうでしょうか?先生が悪いだけなのでしょうか?

そうではなく、学校も悪ければ行政も悪い、だから橋下市長が両親に詫びに行ったのだ、といわれる人もいるでしょうが、何で橋下市長が、わざわざ両親に詫びに行ったのでしょうか?まったく意味が分かりません。

その自殺した生徒は、バスケット部のキャプテンだったといいます。では、そのような人にお聞きしますが、何でこれまでの、その高校のバスケット部のキャプテンは自殺せずに、この生徒だけ自殺したのでしょう?特別その生徒だけに、その先生は体罰を加えていたのではなく、歴代のキャプテンに同じように加えていたはずです。(それがその先生の方針のようですので)

それなのに、これまでキャプテンを務めた生徒は自殺せずに、なぜ、今回の生徒だけ自殺したのでしょうか?

なぜだかお分かりですか?学校での教育の仕方は同じだったはずです。では、この自殺した生徒と、これまで同じような体罰を受けて自殺しなかった生徒では、一体何が違っているのでしょうか?

それは親の教育方法が違っている、ということです。

つまり親の教育が悪かったから、この生徒は自殺したのです。そうではないですか、親がもっと厳しくしつけているのであれば、この自殺した子は少々殴られようが、それに耐えてキャプテンを続けられたであろうし、もし、仮にそのキャプテンを続けるのがどうしても無理である、とその子に親が打ち明けられたら、その責任は親が取るのであるから、おまえは気にせずその部を辞めろといえたはずです。

しかし、そのようなことを子供が親にいえず、先生の体罰(私はこういう言い方も変だと思いますが)にも耐え切れなくなって、その子はもう行き場がないと思い自殺したのです。

そんなことはない、現に親に宛てて「育ててくれてありがとう」という遺書まで残しているではないか、といわれる人もいるかもしれませんが、この生徒は自殺する前日に、親に先生から三、四十発も殴られたといっているのです。その時この親はどういう態度をその子に取ったのでしょうか?

少なくとも子供が納得する態度は取らなかったと思います。しかし、それが子供が親に対する最後のシグナルだったのです。「自分がこれだけ殴られているのだから助けてほしい、そうでないと自分はもう死ぬしかない」そう思って母親に思いを打ち明けたのです。

しかし、母親はそんな子供の必死の心が分からなかったのです。子供が死ぬほど悩んでいることに気づかなかったのです。そんな母親は親として失格なのです。それなのになんでそんな母親失格の人のところへ、橋下市長は詫びに行ったのか本当に意味が分かりません。

この自殺した子は、そのような母への自分に対する愛のない不満はありましたが、そのような心を一切隠し、遺書には「育ててくれてありがとう」と書いて自殺したのです。そのように書くことで、自分が死んでも、少しでも親から愛してもらいたいと思ってそう書いたのです。つまりこの子は親からの愛をほしがっていたのです。

この子は親の愛が足りなかった、だから自殺したのです。

それなのに、この子の両親は、そのような子供の愛の心に気づかず、先生が悪いの学校が悪いの責任転嫁をしているのです。子供が死んでも、その子の心が分からない親のバカさかげんに、その自殺した子の心を思うと、その子が不憫でなりません。

しかし、この親もそうですし、世の皆さん方もそうです。責任転嫁ばかりしていても、心は成長していかないのです。

親が子の心を知り、子が親の心を知り、夫婦が互いの心を知った時に、その家庭は調和します。

世の人々も、その親である神の心を知った時に、初めてこの世は調和するのです。

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