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9月 03 2012

意地とプライド(と前回のブログの補足)

どこかのオジちゃんやオバちゃん、何度も、もうメールはしないと言いながら、またしばらくするとメールしてきますからね、よくあれだけ適当なメールばかり送れると呆れてしまいます。

なぜこの人たち、こんなに繰り返し同じことをしているのかと言えば、それは私のブログを読み続けているからです。それも毎日のように。(だから自分が気になることを書かれると、我慢できなくなってメールしてくるのです…名前とメルアドを出せば、これだけ遠慮のないメールは送れないのでしょうが、名前とメルアドを隠して送ってきますからね、言いたい放題です。まるで子供のようですね〔笑〕)

しかし、いくら高橋先生の名前を出しているとはいえ、毎日読むのは読みすぎでしょう。(ブログの更新を毎日しているわけでもなし)

何でこの人たち、これだけ読んでいるのかといえば、結局、ここに法が書かれているということを知っているからです。だから毎日のように私のブログを繰り返し読んでいるのです。(他に法がしっかり書かれたものはありませんからね〔もちろん高橋先生と園頭先生の本以外は、ということですが〕私のブログを読み法の勉強をしているのです。違うというなら私のブログ読むのやめてみなさいよ、特に立川のオバちゃん、あんた私のブログ読むのやめれますか〔笑〕)

他に法を説ける人はいませんからね、法を知っている人が、私のブログを毎日読むということは仕方がないことなのです。(法を知っている人ならば法の勉強はしたいですから)

なら、教えてください、と言えばいいと思うのですが、これが言えないのです。これまで自分も法を勉強してきている、自分の方が法をよく知っている、という意地とプライドがありますから、素直に教えてくださいとは口が裂けても言えません(笑)どれだけ目の前で差があることを見せ付けられても、それを認めることはできないのです。意地とプライドとはそれほど厄介なものなのですが、これは、このような高橋先生の弟子たちばかりではありません。

実は私のブログを読んでる人たちも同じなのです。

私のブログを読んでいる他の人たちも、どれだけ目の前で現象を見せられても、それを心から認めようとはしません。心からそのような現象を神の御業と認めるのであれば、何度も言いますが、もっと神と真剣に向きあい、神の使いに対して真摯な態度を取るはずです。

しかし、ほとんどの人は態度を変えようとしないか、または遠くからだまって見ているだけで、自分の行いを変えようとする人はいないのです。これも同じですね、意地とプライドです。

自分たちは昔からこのようにしてきた、それが正しいのであって、それ以上態度を変える必要などない、という思い込みだけで、これだけ異常な現象が次々に現れているにもかかわず、自分たちの心と行いを一切変えようとしないのです。

私がいくらそれではいけない、とこのブログに書き、その書いた通りの現象が起きても、それでも自分たちの考えは変える必要がないと、何の根拠もなしに思い込み、そのように警告を与えている私を、敵視している人までいるのですから呆れてしまいます。

誰も神の心を知ろうとしないのです。誰も神に真摯に向きあおうとはされないのです。しかし、そんなものはただの自分の意地とプライドだけなのです。

意地とプライドだけでしょう(それとも自分のしていることは正しいという根拠がある人がいますか)ただ、昔からこのようにしてきた、あるいはそのような生活を続けていたのだからそれでいい、死ねば無になるのだから、今を楽しく、死ぬまで健康に生活ができればよい、とそう思っているだけで、死については怖いのでできるだけ考えないようにして、自分のやりたいことをして生活を続けているだけなのです。

しかし、そんなのは自分のわがままとごまかしの生活だけだと思いませんか?

今以上に進歩しようとは考えず、死は誰一人逃れることができないはずなのに、それを何も考えないようにして、死の話をすると不吉だなどといい、ほかごとを考えていても最後は誰も死ぬのです。

死は誰もが逃れられないのであれば、では、死後の世界はあるのか?あるとしたら自分はこのままの生活でよいのか?この世はなぜ存在するのか?私たちはこの世に出てくるまではどこにいたのか?疑問に思うことなどいくらでもあるのです。それを今のことだけ考え(あるいは自分の将来のことだけ考え)それ以外の疑問難問は何も考えないように、生活しているだけの人など、人生をごまかして生きているだけの人だと思わないでしょうか。

つい最近、南海トラフ大地震が起きれば、地震と津波で最悪三十二万の人が死ぬという被害想定がされました。こんなことが起きれば、自分たちの生活をいくら続けたいと願ったところで、できなくなるのです。

現実の世界の恐ろしさ、そしてもろさをもっと考えないといけないのです。

くだらない意地とプライドなど捨て去らないと真実の世界は見えてきません。

いつまでも昔からの生活に固執し、ごまかしの人生を送っていても無駄なだけです。

神からの警告が次々に現れている現代、神の心を知ることの大事さをもっと自覚してください。

(前回私が書いたブログで、釈尊やキリストの弟子たちのことを悪く書きましたが、それを〔おまえや園頭先生だけが正しいのかと〕よく思っていない人もいられるようですので、前回のブログの補足をしておきます。前回私が釈尊やキリストの弟子たちを、悪く書いたあのような書き方は間違いではありません。事実です。弟子たちはよく書かれすぎているのです。その理由は釈尊やキリストが神格化されているのと同様に、弟子たちも神格化されているからです。〔現在の日本で開祖といわれる人たちも同じです〕しかし、それは聖書など読めば分かられると思います。キリストの弟子たちの華々しい活躍は使徒言行録以降の話で、四福音書に出てくる弟子たちはヘマばかりしているのです。〔キリストの例え話の意味が分からずキリストに聞いてばかりいますし、くだらないことで言い争いをしたり、悪霊を祓いきれなかったり、自分が死ぬことになってもキリストを裏切らないと言いながら、イザとなったら全員逃げ出してしまったり〕このような弟子たちを立派だと思われるでしょうか?使徒言行録が書かれていなければ、キリストの弟子たちを立派だと思う人はまずいなかったでしょう。現実にキリストの弟子たちはそのような人が多かったようです。言行録での弟子たちの活躍は、天上界からのキリストの導きとキリストの力を分け与えられた〔あの最後の晩餐の時にです。あの時キリストは自ら弟子たちにパンやワインを分け与えられますが、その時自分の力も弟子たちに授けたのです〕からできたのであり、弟子たちの単独の力ではありませんでした。私たちはそれを高橋先生や園頭先生から聞いているのです。だから釈尊やキリストの弟子たちを冷静に見るのであれば、前回私が書いたような少々きつい評価にもなるのです。〔それは今生生まれ変わった弟子たちをしれば分かります〕いずれ前回私が書いたブログは正しかったのか、正しくなかったのかは分かることになります。〔そのうちに今生生まれた弟子たちのダメさが、白日のもとにさらされることになるからです〕これまでの釈尊やキリスト、またその弟子たちに至るまで、かなりの神格化がされていて、実際の人物とはかけ離れた評価を受けている者も少なくありません。しかし、そのような宗教上の人物を正しい評価に戻すということも、正しい教えを伝える中に含まれているのであり、宗教改革とは、その宗教上の人物も正しく評価し〔正しく伝え行ったことはもちろんですが〕その人物がどのような間違いを犯したかということも、正しく伝えていかなければならないのです。〔それが後世の人たちの参考ともなれば自戒ともなるからです〕正しく伝えるということは、すべてにおいて正しくなければなりません。正しい評価を受けていない弟子たちを、正しいとは私には書くことができませんでした。それが前回あのような書き方をした理由です。それをご理解ください)

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9月 01 2012

法を説く者が他の仕事をしてはならない理由

今度は福岡のオジちゃんですか、コロコロコロコロよく代わりますね(打ち合わせ大変でしょう)オジちゃんに言っておきますが、あなたたちは表面しか見えないのですから、園頭先生に対し、そのような見方はやめた方がいいと思います。(園頭先生がなぜ寝たきりになられたのか、あなたたちはその真意がまるで分かっていません。あなたたちが言うように園頭先生がもし間違っていたのなら、何で園頭先生は寝たきりになられるまで奇跡を〔その主は癒しですが〕起こし続けていられたのですか?あなたたち始め他の先生と言われている方々は、なぜ、奇跡一つ起こせないのですか?いい加減その意味理解しなさいよ、あなたたちが間違っているからです)

ほんとバカにつける薬はないと申しますが、立川のオバちゃんもギャグのようなコメントを送ってきましたので、仕方がないので寄付をもらうことは正しいのか、正しくないのか、もう一度書いておきましょう。

しかし、こんなバカバカコメントでも送ってくれるから、このブログ書けているということはありますね、そこは感謝しないといけません(笑)いろいろネタを提供してくださりありがとうございます。(私以外このブログ見てないって、福岡のオジちゃんとあなた、最低二人はあなたのグループの人私のブログ見てるでしょう。嘘ばかり言っていては地獄に堕ちますよ…あっ、どっちみち地獄行きですね、あなたたちは)

この人たち、やたら私が寄付をもらうのはいけない、寄付をもらうのはいけない、といいますが(でも桂子さんはOKなんでしょ〔笑〕)高橋先生が主宰されたGLAでは寄付をもらっていたはずです(これは否定されませんよね)では、高橋先生は寄付をもらうことを許されていたということになりますが、これはどう説明されるのでしょうか?

あなたたちは寄付をもらうのはいけない、と言われますが、高橋先生は寄付をもらうのは許されていました。この説明をしてください……と言ったところで、どうせこの人たち適当なことしか言いませんので、高橋先生の真意を私が説明しておきます。

高橋先生はたしかに「私は宗教で飯など食べません」とも言われましたし「今生の光の天使は宗教で飯など食べません」とも言われました。

この言葉をそのまま受け取っているのが、どこかのオジちゃんやオバちゃんであり、その人たちのコメントにある00先生やら××先生やら言われる人たちです。

しかし、過去の預言者と言われる人たちは、そのようなやり方をしていません。人々から布施をもらい法を説かれたのです。では、なぜ、今生だけ高橋先生はこんな言い方をされたのでしょうか?

それは、これから生まれることになる日本の時代背景を知っていられたからです。

私は前回のブログに、その時代、その時代にあった説き方をしないといけない、と書きましたが、高橋先生は今生生まれることになる日本では、間違った教えを説く宗教家が跋扈し、何も知らない人々から金を巻き上げ、偽の教えを本物の教えと偽り、多くの人を不幸にしているということがすでに分かっていました。

それで、そのような偽りの教えを説く宗教家と一線を画すため、方便でこのような言い方をされやり方をされたのです。

それともう一つの理由は弟子の未熟さでした。今生共に生まれる弟子たちは、過去世で釈尊やキリスト、モーゼの弟子であった人たちばかりでした。聖書や仏典など見るとたいそう弟子たちも立派に書かれてありますが、しかし、実際はそれほどでもなかったということです。(その、それほどでもない弟子たちの実力が、今生まともに現れるのですが…大失敗という形で)

実際に仏典や聖書を見てもそれは分かります。舎利弗や大目蓮などの十大弟子と共に、普賢や文殊といったバカ弟子まで仏典に遺されていますが、これは釈尊滅後の弟子たちが、こういう勝手なことを言うバカ弟子をそのまま放置していた結果です。(もちろん舎利弗はこの時いません、舎利弗は釈尊より先に亡くなっていますので…舎利弗がいれば、そのような勝手なことを言う弟子たちを、そのままにはしておかなかったでしょう。徹底的にその弟子たちを批判し、十大弟子との違いを世の人々に訴えたと思います。それは今生の園頭先生を見れば分かります。高橋先生の名を利用して偽の教えを説く者たちを徹底的に批判されました)そればかりではなく、後に残された弟子たちが、迦葉を中心として釈尊の教えを後世に遺しますが、この弟子たち、この時すでに釈尊の教えとは違うことを言いだし(釈尊が言われていなかった戒律やらなにやら言い出したそうですが)それが後に小乗だの大乗だの、仏教の教えが分裂することになる原因をつくるのです。

釈尊の弟子とはいえ当時から、舎利弗一人が上根の弟子(じょうこんのでし・上等の素質)といわれ、飛び抜けて評価が高く、それ以外の弟子たちは、せいぜい中根以下の人たちばかりと言われていましたので、舎利弗以外、それほど優れた人たちはいなかったようです。

キリストの弟子たちも同じです。

キリストの弟子たちも、キリストが官や民衆に捕まるやいなやキリストを置いて逃げ出し、一番弟子と言われたペテロさえ、キリストを三度も知らないとしらを切るのです。(弟子たちが、キリストの福音を述べ伝えるようになったのは、キリストが十字架にかけられ昇天された後、復活〔これは霊体のキリストが弟子たちの前に立たれたのですが〕されたキリストに促されて、はじめて命懸けで福音を伝え始めたのであって、キリストが復活されなければ、後のキリストの弟子たちの活躍はなかったと思われます…ということは、キリストが復活され、弟子たちに福音を伝えることを促さなければ、今生のような惨憺たる結果〔如来が出世されたにもかかわらず、まったく法が世に伝わらない〕になっていたかもしれなかったのです)

このように釈尊やキリスト亡き後の弟子たちを見れば、一歩間違えれば今生と同じような結果になっていたかもしれないのです。つまりそれは弟子たちの未熟さの現れでした。(それに法を勉強していくと、キリストが直に語られた福音と、弟子たちの語る福音では、少し意味が違っているのではないか、と思える箇所も分かってきます。キリストの弟子の中でも特にパウロはひどいです)

そのような弟子たちの未熟さもあり(とても法を説いているだけでは心が成長していかないので)それで社会勉強もしながら法を伝える、というこれまでにない修行の過程をかして、今回修行をさせたのですが、見事にどの弟子も失敗してしまったというわけです。

簡単にいえば以上のような理由から、高橋先生は「私は宗教で飯など食べない」といわれたのです。

しかし、これは今生だけの特別な理由からそういわれたのであり、本来は法を説いてそれで人々から布施をもらい生活する、といのが法を説く者としては当たり前のことなのです。過去、釈尊もキリストも他のどんな預言者もそうされたのですし、法を説いて奇跡を起こし、それで他の仕事までするなど普通ではしません。(神の使いなら仕事をしている時間を人を救うために使うからです。この世のすべての時間を人を救うために捧げるからです。つまり、神の使いからすれば仕事をしている時間など、無駄な時間でしかないのです)

以上のような理由から、そのような未熟な弟子たちに当てはまらない園頭先生は、法を説くことだけに専念され、布施をいただくことで生活をされました。それが間違っていなかったということは、その後の園頭先生が現された数々の奇跡が証明しています。

私も、このような偉大な方々の後を継ぐ者として、法を説いて布施をもらうことだけで生活していきます。これも間違いでないということは数々起きる奇跡が証明しています。逆にいうなら、私が他の仕事など始めれば奇跡が起きなくなる、ということです。法を説くことをそっちのけにして金儲けをしているからです。天の意志とは逆のことをするのですから、天の協力が得られなくなるのです。(それは自分の生活をするためでもだめです。この法を説くことでお金を得られないというのであれば、それは世に法を伝えられないということになりますので、法が伝えられないのなら餓死しろ、ということです…現段階では餓死する確率の方がずいぶん高いです〔涙〕)

このような理由から私は他の仕事をしないのです。お分かりいただけたでしょうか?オジちゃん、オバちゃん、あなたたちがそのように仕事をしながら法を学ぶ(現状まったく勉強になっていませんが)というのは、間違っていません。しかし、それはあなたたち(他の何とか先生という人たちも含めてですが)の修行であって、私の修行ではありません。

人はいろいろな使命を持ってこの世に生まれて来ています。あなたたちの狭い視野で人を見ないでください。

(関東も水不足だそうですが、なんなら雨乞いでもやりましょうか?〔私の雨乞いはききますよ〕でも頼まれなかったらやりません。立川に変なオバちゃんがいるし、どこかのオネエチャンもあまり心を変えてないみたいですから、関東の水不足は続くかもしれませんね。〔お気の毒です〕オネエチャンが心を変えないのは残念ですが、もっと残念なのは、このオネエチャン無視していると歯が痛くなるのです。〔だから、こんなどうでもいいこと無理やり書いてます…今もちょっと歯が痛いです・涙〕無視したくてもできないことがほんと残念です)

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8月 29 2012

本物の弟子と偽弟子の違い

今度はオジちゃんですか、入れ代わり立ち代り忙しいことです。あなた立川のオバちゃんなんかいないと言いますが、本当にいないと誓えますか?神に誓えますか?高橋先生に誓えますか?それをはっきりコメントください。(誓えるものなら誓ってみなさい〔笑〕)

相変わらず知ったかぶりして書いてきていますが、何度も言いますが、この人たちは法を理解していません。如来の本物の弟子と偽弟子の違いを書いてみましょう。

この人たち聖書を読んだことがないようです。

モーゼが起こされた過ぎ越しの祭りは事実ですし(それともモーゼ系のあなたたちがそれを否定しますか?)エリヤが四百五十人の偽預言者を殺したのも事実ですし、エリシャが数十人の子供を殺したのも事実です。

愛とは優しいばかりが愛ではないのです。時には激しい現象を起こすのも愛であり、その現象で死んでしまえば終わりと思う人もいるでしょうが、人は永遠の生命であり、ある人が、その人生を預言者に逆らったばかりに終えることになったとしても、そのような体験は、その人の心の成長に繋がるのであり無駄ではないのです。(少しでも預言者とかかわりを持つからです。それだけこの世で預言者とかかわりを持つのは、いく重もの縁を経ないとできないのです。もちろん、どうせ預言者とかかわりを持つなら、その預言者に協力した方がその何倍も心は成長しますが)

このように聖書の中には激しい場面がたくさん出てきますし、キリストも愛深い方ではありましたが、気性の激しい方でもあったのです。どの人もこのオジちゃんが言っているような如来、菩薩のお人柄には当てはまりません。これはどういうことでしょうか?

このオジちゃんがいう如来、菩薩の人柄は、その一部分を言っているに過ぎないからです。(この人たちは一事が万事そうなのです。全体を見るのではなく一部分だけを見て、その部分だけを言っているのです。この人たちは法を知らない、そこらの宗教家と同じような見方をしています。つまりそれだけ法が分かっていない、視野の狭い人たちといえるのです)

何度も言いますが、現在の日本は壊れかけているのです。(多くの人が何時までたっても神の教えに気づこうとしないからです)そんな時に皆が本当の神の教えに気づくまで待っていられますか?(そんな悠長なことをしていたら日本は壊れてしまいます)

現在は高橋先生がいられた時代と違うのです。(それにもかかわらずこの人たちは、高橋先生がいられた時と同じことを言っています、つまり今の状況がまるで分かっていないのです)

その時代には、その時代にあった説き方が必要であり、現在のように次から次に異常現象が起きている時に、多くの人が神の教えに気づくのを待っていては、日本は滅んでしまうのです。

少々強引なことをしても、多くの人に法を知ってもらわねばなりませんし、法の流布の手伝いもしてもらわねばなりません。だから私は、強引とも思えるような書き方をしやり方もしているのです。

きれい事ばかり言っていても法は拡がらないのです。その人たちの心を観て、強引にやらなければ動かないと思えば強引にやらなければならないのです。

このやり方が間違いでないということは、私の祈りが次々にきかれるということで証明されています。しかし、この人たち(偽弟子たち)は言っているだけで、一つも奇跡が起きないのです。何一つ奇跡が起きないと言うのであれば、この人たちの言っていることは正しいという何の証明もないのですから、この人たちが、どれだけ間違ったことを言っているのかお分かりいただけると思います。

偽弟子たちは、私が書いた悪いような部分だけ捉えてけなしますが、そのような言い方にせよ、親のことにせよ、仕事のことにせよ、間違った部分が少しでもあれば奇跡は起きません。間違ったところがないから奇跡が起きるのです。(逆に言うなら、偽弟子たちは言うことにせよ、行いにせよ、間違っているから天は何も奇跡を起こさないのです。つまり、言っていること、やっていること〔親に対してや仕事にせよ〕が、偽弟子たちの方がよほど間違ったやり方をしているということです)

それに私の祈りは悪いことばかり起きているわけではありません。癌患者の癌が小さくなり、痛みが引いたこともあれば、死にかけていた赤ん坊が命を取りとめたこともあります。それに洪水を引かせたこともあるのです。

それが嘘だというなら、嘘ではないという証明をいくらでもしますよ、雨が降らないアメリカに雨を降らせると言っているではありませんか。

これだけ異常な集中豪雨が続いている日本でも、雨が降っていないところがあります。(宮崎、石川、宮城など)そこに雨を降らせてもいいですし、病気だって癒せます。誰もそれを言ってこないので、証明できないだけです。百パーセントうまくいくとは申しませんが(相手の心もありますので)私が祈ればそこに何がしかの奇跡が起きるのです。必ず天が協力してくれるからです。(最近は私のブログを読まれる方も増えましたので、誰か試されたらどうですか?)

どこかの調子の悪い野球選手やゴルフの選手も、調子を戻すことができますよ、私に協力するのであれば調子は戻ります、と何度も言っているではありませんか。それを多くの人が信じないだけです。(つまり、それだけ神の使いに協力すれば徳を得られ、天も協力してくださるということです)

しかし、祈って大雨や地震を起こすことができるのであれば、このようなことも可能なのではないでしょうか。

偽弟子にこんなことができますか?本物の如来の弟子ならばこれくらいのことはできなければならないし、このようなこと(天が起こされる奇跡)も説いてまわらなければならないのです。

偽弟子がいうことなどたかが知れているのです。(普通の人が言うこととさほど変わりません)しかし、本当の如来の弟子であるならば、如来の意志を継がなければいけませんし、であるならば、このくらいのことができなければいけないのです。

偽弟子の言うことを信じるのか、それとも本物の弟子の言うことを信じ協力してくださるのか、これからの日本の行く末は一人一人の判断にかかっていると思います。

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8月 27 2012

にっぽんど真ん中祭り

立川のオバちゃんや福岡のオジちゃんの相手をするのも大変です。ブログを書く時間もなくなりますね。あの人たち何も知らないので教えてあげないといけませんし、マァ、私のブログを読んでる人には、法を知る上での参考くらいにはなるのではないでしょうか。

一日二日前に「にっぽんど真ん中祭り」を見に行ってきました。やはり大勢で踊ると迫力がありますね、ずいぶん見物客もたくさんいて驚きました。(かなり暑かったんですが)こんな大きな祭りを見に行ったのも久しぶりですが、これだけ大きな祭りだと管理運営も大変だろうな、と変なところに気がいってしまいました。(笑)

栄と名古屋駅をぷらぷら散歩がてら歩いて見てきたのですが、もちろん目的はそれだけではありませんでした。

私のことどれくらいの人が知っているのか、確認も兼ねてです。(最近は近所の人ばかりでなく金山辺りでもジロジロ見られますので)

ああいうところに行くと、ずいぶん私の悪名も知れわたったものだと感じました。(笑)しかし、何でこれだけ知られていて、嫌がらせする人はいても協力してくれる人はいないんでしょう?これだけ知られていれば、誰か私のスポンサーになってくれても十分宣伝になりそうに思いますが、悪名がいけないんでしょうか。(笑)

バスの運転手連中も、栄では今一よく分かりませんでしたが、名古屋駅では分かりました。私の顔をまともに見て、おもいっきりエアーをふかせた運転手がいたからです。(お二人ほど)名鉄バスの皆さん、私もおもいっきり祈っておきました、また、私(法)の宣伝よろしくお願いします。(笑)

こんなことしてると皆さんに嫌われたくりますかね…そうではありません。

何度も言いますが、私が祈るのはその人の不幸を願って祈るのではないのです。(そんなことしたら自分も不幸になりますので)「どうぞこのような方々が間違った心でそれをしているのであれば、様々な現象を現し、この方々を正しい道にお導きください」と祈るのですから、その人たちが間違った心でしていなければ何も起きませんし、間違った心でしているのであれば、様々な現象が現れそれに気づかされるのですから、こんなありがたいことはないのではないでしょうか。(感謝されこそすれ恨まれる理由などこれっぽっちもありません)

それに何か現象が現れるというのも、それは神の御業が現れるのですから、そんな体験そうそうできるものではありません。あまりできない体験もでき、それで正しい道に進むことができるのであれば、こんなよい話はないではありませんか。マァ、それが迷惑だと思われる人もいるかもしれませんが、どちらにしても、現在の日本を見てもらえれば分かりますが、次々に不幸な現象が現れています。(この異常な猛暑に加え、ここ二、三日だけでも北海道や福島、宮城、茨城など震度四、五クラスの地震が立て続けに起き、沖縄には観測史上最大級の台風が直撃しているのです。異常現象は全国各地で毎日のように起きています)

もう悪い心を持っていては生き残れないのです。今日本に次々に起きている異常現象に多くの人は気づかなければならないですし、それを防ぐためには心を変えるしかないのです。本当の神の教えに早く気づくほかないのです。

ですから、そのように私にちょっかいをかけた人に何か起きれば、そのような現象を通して、また本当の神の教え(法)に気づく人も出てきます。私にちょっかいをかけた本人も気づきますし、その周りの人も気づきます。一石二鳥ということで、私は何かあれば即祈るようにしているのです。(どれだけ嫌がられようが、そうしなければ神の教えは拡がりませんし、そういう人でも不幸なことにならないよう、私はブログに不幸にならない方法は書いてあります)

このままなにもしなければ、多くの人は神の教えに気づかないでしょうし、仮に気づいていても何もしようとされないでしょう。(現在がそうですから)そうなれば天も異常現象を出さざるを得ないでしょうし、天が異常現象を出すのであれば不幸は続きます。

不幸な現象をこれ以上起こさせないため私も必死です。本当に何もやる気のない人は、これも何度も言いますが私にかかわらないでください。少しでも私を冒涜する行為をするのであれば(それは神を冒涜するのと同じことですから)ことごとく天に祈り、その人の心と行いを天にゆだねます。

「にっぽんど真ん中祭り」という名称がついている祭りが、この名古屋近辺で行われているということは、その名の通り、この辺りが日本の中心であるということです。

日本の中心で神の運動が大きく展開されることになれば、その運動は日本中に拡がることになります。

今は私一人ですが、何としてもこの運動は日本中に拡げなければならないのです。(ですから天も必死です。だから、私が祈ると次々に現象が現れるのです)

東京に生まれそこで生活している人は、その場所での使命役割があり、大阪に生まれそこで生活している人は、その場所での使命役割があり、日本の中心に生まれそこで生活している人は、その場所での使命役割があります。

この日本の中心に生まれられた方々は、なぜ今そこで自分は生活しているのか、ということをもっと考えないといけないのです。

そこによく神の御業が現れている、ということは、それだけそこに住む人たちは神に愛されているということになりますし、そうであるならば、自分たちは何を一としてやらなければならないか、自分たちの本当の使命役割をよくよくお考えください。

(キレーなお姉さま方、最近はああいう時間あわせがブームなんですか???そんなことをしているより、少しはご協力願えませんかね、私に協力していただいた方は、どんな高い化粧品で化粧をするよりきれいになります。〔心がですが、しかし、心がきれいになると、それが顔にも現れてきて顔もきれいになるのです。これこそ、本当にきれいになる方法です〕それにあなた方のようなきれいな女性たちが協力してもらえれば、スケベな男性陣も、たくさん協力してくれるようになるでしょう〔笑〕日本のためです、変なところでチームワークを発揮するのではなしに、神のためにチームワークを発揮してください)

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8月 24 2012

神への反逆者

猛暑が続いて毎日暑いですね、今年の夏こんな暑いという予報でしたっけ?(今年は福岡も暑いですからね)この暑さでオジちゃんボケてしまったようです。(笑)

オジちゃん相変わらずおかしなコメント送ってきますね、だって私は一人芝居してるんでしょう(あなた自分で送ったコメント覚えていないの?)なら誰にふられるんですか?さすが同じグループです。オジちゃんもどこかのオバちゃん同様コメント支離滅裂です。(笑)

マァこのオジちゃんは、何も気づかずそう思ってくれていてよろしいのですが、私の近所の人たちは早く気づいた方がいいでしょう。でないと不幸な出来事は止まりません。

さぞ私は嫌われているんでしょうが、しかし、人のせいにしていても救われないのです。

どれだけ悪いのはお前で自分は悪くないと言い張ろうと、現実に異様な現象が近所に現れている以上、神は皆さんの味方をしていません。(私には何も起きていないのです。ということは皆様方が悪いということになります)これ以上、私の言うことを無視しているのであれば神への反逆者とみられてしまうのです。(それほど重要なことが現在私の近所には起きている、ということです)

もし、私がいなかったら皆さんは神の存在に気づかれたでしょうか?あの世の存在に気づかれたでしょうか?人は輪廻転生し永遠の生命である、ということに気づかれたでしょうか?そのどれにも気づかれなかったでしょう。(この世に生まれ、そのようなことに一つも気づかなければ、この世に生まれてきた意味の半分は失われるのです)

私がこのようなブログを書き、祈って様々な現象を現したから、そのようなことに気づかれたのであり、それを教えてくれた者に対し感謝こそすれ、嫌がらせをしていてただですむと思いますか?(それほどのことでもないだろうと考えるのは甘いですね、なぜなら、現在これほどはっきり神の心を書き、現象として現しているのは私だけです。その唯一神の心を正確に現している者に嫌がらせなどやってしまっては、天はどのような現象を現すか分かりません)エリシャの時のように即座に殺されなかっただけましなのです。

そんなこと知らなかったは通用しません。そんなことさえ知らなかった自分が一番悪いのです。もう悔い改めるしかないのです。

小さなことにこだわり人を大きく見ることができなかった、自分が見る目がなかったと反省し、神仏に帰依されるほかないのです。そうするよりほかに現象が収まる道はないのです。

前にも書きましたが、この町で起きていることは、いずれ日本中の人々が知ることになります。(現実に今その噂が拡がりつつあるのではないでしょうか)

そればかりではなく、今起きている出来事は後世まで伝えられ、後の世の世界中の人々が知ることにもなるのです。(神の御業が現れているからです)

正しい歴史は五十年百年経たないと分からないといわれます。一刻、一刻の正しい判断を誰がし、誰ができないのか、まさに今それが試されているのです。

追伸…金山の市営バスの連中が急に静かになりましたね(まだ、シュッシュッやるのがいることはいますが)ということは、やはり私のことを知っていて、それをやっていたということになります。なぜ、私のことを知りそんなことをしたのか知りませんが、どちらにしてもそんなことを続けていれば、今私の近所に起きていることと同様のことが、市営バスの連中にも起きてくることになります。もちろん、そのようなことを避けたいので私はこの連中のことを、このブログに書いたのですが、何か勘違いしている人も多いので言っておきますが、もし、仮にです、自分が祈ることで大雨を降らせたり、地震を起こしたりさせることができる者がいたとします。では、そのような者はどんな気持ちでそれを祈り行っているのでしょうか?それを考えた人がいるのでしょうか?もし、そのような者が喜んでそれを行っていたとするならば、そんな心の者に、そんなことが続けて起こせるはずがありませんし、そのような者は無事ではすまないでしょう。(地震を起こしたり大雨を降らせるということは、多くの人が不幸になるということです。最悪死ぬ人も出てくるのです。人の不幸を喜んでそんなことをしているのであれば、その念が自分にも返ってきて、自分も不幸になって死ぬということです)そのようなことが行える者が、もし現在も無事でいるのであれば、その者は決してそのようなことを喜んで行っているのではない、ということです。むしろ、そのようなことが起きるのが分かっていて、それでも祈らなければならない、その者が一番つらい気持ちである、ということです。(そういうことが起きると堂々と言って、それを実際やれますか、どれだけ多くの人に恨まれるか知れないのですよ)そのような気持ちを毛ほども悟らず、こんなことをしたからコイツが悪いと、ただ現象だけを見てその者に嫌がらせをしている者を神が許されはずがないのです。多くの人が不幸になるのを分かっていて、それでも神の心を知らさせるため祈らなければならない、その者の気持ちを少しは考えられたらいかがでしょうか。

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