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4月 18 2012

胎教の大事さ③

同じく園頭先生のご著書である「正法と人生の原点」より抜粋します。

<聾唖(ろうあ)者の場合

目がクリクリして、かわいらしいだけに聾で唖だというその子供が痛々しかった。

その人が嫁いだ先は、口やかましい姑と小姑がいた。夫はやさしいいい人だったから夫と別れる気持ちはなかった。夫に別居してほしいと頼んだが「辛抱してくれ」というだけだった。「ああ、もうこんな人たちとは口も聞きたくない」と強く思ったわけである。聞きたくもない、ものもいいたくないと強く思うと、耳の聞こえない、口のきけない子供が生まれるのである。

盲目者の場合

その人は子供を背負って外出すると、ショーウインドに飾ってある人形を見るのがいちばんつらいといっていられた。

「人形でさえ、あんなにパッチリした目をしているのに、どうしてこの子の目は見えないのであろうか」と。

この人は家庭環境のつらさから、見れば腹が立つし悲しくなるからと、もういっさい見ないと心に決めて、なにがあっても「ああ、見たくない、見たくない」と、全く無関心な態度を取り続けたのであった>

以上いくつか園頭先生の本より抜粋しました。

日本では胎教の大事さは昔から言われていましたが、明治以降西洋医学が流入すると、胎教は迷信だと言われるようになり、昭和二十年の敗戦によって、胎教の大事さはほとんど言われなくなりました。

しかし、昭和三十四、五年くらいからアメリカで胎教の重要性が研究されるようになり、その研究結果が日本にも紹介されるようになって、胎教の大事さがまた言われるようになったのです。

園頭先生は何百、何千という人を指導されました。その体験談を本に書かれているのですから、これ以上確かなものはないと思います。(子供がお腹の中にいる時、その母となる人の心は、大きくお腹の子供に影響を与えるということです)

女性の皆さん方は(もちろん男性も知っておいた方がいいのですが)胎教の大事さをしっかり認識され、心のあり方をよくよく勉強された方がいいと思います。

最後に、最近増えているという子供の喘息を、これもどのような原因でそうなるのか書いておきましょう。

子供が喘息になるのは、その親である夫婦の息が合わないと、子供に喘息が現れるそうです。吸う息と吐く息が合わないのが喘息ですから(喘息は咳がひどくなり息を吐くばかりで吸えなくなりますので)夫婦の息が合わない、つまり夫婦が不調和だと子供が喘息になるのです。

では、その子供の喘息を治すにはどうすればいいのか、ということになりますが、その夫婦が息の合わないのを合わせればいいのです。つまり夫婦が調和すればいいということです。そう書くのは簡単ですが、そう簡単にいかないのが夫婦の調和でしょう。しかし、喘息がひどくなって子供が死ぬのがいいのか、それとも夫婦が調和して、その子供の喘息が治った方がいいのかというのであれば、答えは明白でしょう。

夫婦がお互いに悪いところを反省され、お互いを思いやって、これから調和された夫婦生活を送る、またはもしその不調和であった夫(または妻が)現在いないのであれば、その時のことを思い出し、よく反省されることです。そうして同じ間違いは二度と犯さないと神に誓うのであれば、その罪は許されます。

その反省される時に一番大事なことが、まず女が下がるということです。夫婦が不調和であったのなら、当然夫婦喧嘩などされたはずです。その時に例え夫が悪かったにせよ、まず一歩妻が下がることです。(そのようなところが女が愛を出す勉強になるのです)そこで妻が突っ張ったり、あるいは一歩前に出て、かさにかかってギャーギャー言ってしまっては、たとえそれでケンカが収まったとしても、それは調和したとはいえません。それはただ夫が妻の我に引いたに過ぎないからです。

そのような時に妻が愛を出し、一歩下がって夫と話をするのであれば、夫がどのような態度を取ろうと、夫は妻の愛を感じているのであり、その妻の愛を感じてはじめて夫は心から反省するのです。

夫婦が反省するとは、夫も妻も心から反省しなければ反省したとはいえません。それには妻の愛が必要なのです。その妻の愛は男と女の順序を守った時(男が先で女が後)はじめて現れるのであり、表面上の好きだの嫌いだの言っているのは本当の愛ではありません。本当の愛を出すには、そのような行いが伴わなければならないのです。

本当にそのような心と行い(愛を伴った反省)ができた時、その夫婦の思いが天に通じ、子供の喘息が癒されるという奇跡が起きるのです。(ですから反省と一言で言っても、それほど簡単なことではないのです)

一人でも多くの方が、胎教の大事さに気づかれ幸せな生活をしていかれることを願ってやみません。

(橋下市長に、もっと脱原発を進めてくださり、再稼働の徹底した拒否をお願いしたのですが、ツイッターを見ると安全性やら順序やら、原発の必要性を死に物狂いで訴えろとか書いてあるだけで、私の希望とはかけ離れたものとなっています。去年はこの原発問題などで二度もケンカしたはずなのに〔二度とも現象が現れましたが〕偉くなってしまうとケンカもしてくれないようです。〔といっても去年からすでに偉かったんですけどね橋下市長は〕しかし、驚きましたね、実は前回ブログを書いた晩に、橋下市長があまり間違えてもいけないと思い、橋下市長を祈ったのです。〔そのような時は祈る人をありありと心の中に描きますが〕すると、しばらく祈っていたら、なんと、その心の中に描いた橋下市長の身体から、急に黄金色の光がほとばしり出て、その光が四方八方に広がったのです。さすがに私も、こんな人初めてだったので「な、何だこれ、気持ち悪い」と思って、途中で祈るのやめてしまいました〔笑〕いやほんと驚きましたね。これだけ光が出ていては何も起らないはずです。〔一年前とはえらい違いです〕不思議ですね、それほど真剣に橋下市長が私のブログを読んでるとは思えませんが?アホみたいなことばかりして、まったく心を変えようとしない人も多い中、よくこれだけ心が変わりましたね意外でした。〔何か周りとケンカばかりしている印象がありますが、本当に命懸けでやっていられるようです〕どおりで多くの人が集まるはずです。〔話題性だけではないということです〕意外ですね、橋下市長ほど地位や名誉がある人が、こんなに心を変えていたとは〔もっと若くて熱心に私のブログを読んでる子たちもいますが、その子たちからは光が出ていません…残念です・涙〕なら、余計にその心のままを世に現された方がいいのですが、あれだけ人が集まってしまうと、そういうわけにもいかないのでしょう。しかし、それはそれとしてお立場は分かりますが、天の心は脱原発ではありません。それだけ光が出ているのであれば、それはご理解いただけると思います。その天の心に反した態度を取り続ければ、せっかく出ている光も消えてしまいます。そればかりではなく、今のまま原発問題で維新の会が突っ張り続ければ天は敵に回るということです。この意味お分かりですか?)

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4月 16 2012

胎教の大事さ②

園頭先生のご著書である「正法と人生の原点」より抜粋します。

<小児麻痺の場合

ある時、三歳だという女の子を連れて来られた。足が立たないうえに首がぐらぐらしている。ものを掴ませようとすると、眼はこちら側を見ているのに手はもののない反対側に動くのである。誰しもそんな子供を持とうと思っているわけではないのに、生まれてみたらそんな子であって、そのことを知った親の嘆きは大きかった。そういうことも、胎教に関する理解と知識があれば防げたのである。知らないということは大きな誤りである。

「あ、これはひどい。あなた、随分苦労したんですね」といってしまった。とたんにその人は泣き出してしまった。

町のサラリーマンの家に生まれて農家の長男に嫁ぎ、夫と姑との間にはさまれてどんなに苦労したかを泣きながら話された。

妊娠したことに気づかなかった。身体の調子がさえないので産婦人科に行かせてほしいといったら「百姓したくないから仮病をつかっているんだろう」と罵られて「これだからこの嫁はもらいたくなかったのだ」といわれた。こんなにいわれてどんなに悲しかったことであろうか。だから胎教には、夫や家族の協力が大事なのである。

やっと妊娠だとわかったが、どんなにつらくても休ましてもらえなかった。夫は姑に気兼ねして味方になってくれなかった。なんべんも死んでしまいたいと思った。そうして生まれた子供は重症の小児麻痺であった。

白痴、精薄児の場合

その人は結婚するとすぐ妊娠した。はにかみながら夫にいった。その時はうなずいただけだった。晩酌で少し酒が入ると急に怒り出した。

「その腹の子は俺の子ではないだろう。俺と結婚する前に好きな男がいたに違いない。どこの野郎か知らないが、よその奴の子を孕(はら)んで俺のところへ来やがって」と、いきなりなぐりつけられた。平生はおとなしいのであるが酔うと人が変わった。夫は酔ってなぐったりすると決まって乱暴に身体を求めた。何度か別れて実家へ帰りたいと思ったが、父が早く死んで母が苦労しているのを見ると、どうしても帰る気になれずに辛抱した。

酒乱の夫への不信と姑への怨みが胎児の発育を阻害したのであった。生まれた子供は精薄児であった。たとえ乱暴なことはされなくても、夫はいい人であっても、夫を愛する心になれず、結婚したこと、妊娠したことを怨みに思っていると、精薄児が生まれることがある。怨む心の強弱によって胎児への影響も違ってくる。

不調和の原因はどちらにあるにせよ、夫、親、目上の人、即ち立てなければならない人を心の底で怨んだり憎んだりして立てないと、立つべき足が立たないとか、精薄児が生まれるということになるのである。周囲でどういうことがあっても、母親が心をしっかりしていると胎児に影響しないのであるが、いろいろなことで憎む心、怨む心、悲しみの心を持つと、その期間が長いほど胎児に影響していくのである。だからちょっとつらいこと、悲しいことがあっても、さっとつぎの瞬間には心を安らかにする、というようにすれば胎児には絶対に影響しないのである。

          (中   略)

股関節脱臼の場合

ギブスを当てた女の子を連れて来られたその人は、実家と婚家とのあまりにも違う生活習慣に幻滅を感じていた。特に食事は、実家ではおかずが佃煮やら何やら十種類くらい並んでいた。ところが婚家は質素で、朝はご飯と味噌汁だけで、見ただけでご飯がのどを通らないのですといわれるのであった。それで、

「あなたは、どうしたらここから逃げて帰れるかと、なんとかして実家に帰りたい、この家を飛び出したいと考えていたわけなんですね」

といったらびっくりして「そうなんです。どうしてそれがわかるんですか」といわれた。飛び出したい、飛び出したいと思っていると、ぴったとはまっていなければならない股関節がはずれることになるのである。

ある所に、ご主人がなにか不愉快なことがあるとすぐ家出する癖があって、いつも母親が不安に思っていたら子どもが脱臼していたという人があった>

(五月五日に、現在唯一稼働している北海道電力の柏原発が定期検査で止まると、稼働している原発がゼロになり、大飯原発の再稼働はその前には難しいという見解を政府はしていますが、原発の稼働がゼロになった場合かなり危険ですね〔天の思いとはまったく逆のことをするのですから〕日本に何が起きてくるか分かりません。ここに少し原発のことを書いただけでも地震が起きるくらいですからね、新潟のようなことが全国に起きるということになります。政治家の方々はよく民意、民意と言われますが、私たちは民意で動くのではなく天意で動かなければならないのです。しかし、困りましたね、ここに私が何を書いても原発は動かないでしょうから…あの橋下市長にも困ったものです。口では脱原発のようなことを言っていながら、腹では考えが違っているのですから天も判断に迷います。あの人が大飯の原発再稼働に反対しているから、関西の首長連中の多くが再稼働に反対しているのです。普通なら新潟以上のことが関西で起きるはずです。しかし、その中心人物の腹が違っていては天も現象を起こすことができません。〔だから関西はここんとこ静かです〕橋下市長が去年の夏のような心になっていただくのが一番いいのですが〔去年の夏、大阪から九州にかけて何が起きたかお分かりですよね〕どうでしょう橋下市長、そのような心になれないのでしたら、もっとツイッターで脱原発、原発再稼働反対を徹底的に言っていただけないでしょうか?そうすれば天の判断もしやすいでしょう。〔東はよく地震など起きていますが、それに比べて西は静かなものです。大分エネルギーを溜めているそうです〕西に大きなのが起きれば、原発は再稼働しなければならないということを、多くの人が知ることになります。私は大きな現象を望んでいる訳ではありませんが、そのようなことが起きないと、私の言っていることなど誰も信じません。橋下市長は私のブログを読んでいることですし〔お忙しいのにご苦労様です〕ぜひよろしくお願いします)

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4月 14 2012

胎教の大事さ①

一昨日、信号無視をした車が次々に人をはね(運転手を含めた)八人が死亡、十数人が負傷するという大変痛ましい事故が京都で起きました。

この事故を起こした車の運転手がてんかんもちで、それが原因で起きたのではないかといわれていますが、まだ、はっきり分かりません。

この“てんかん”という病気(脳の神経細胞が過剰に活動して、くり返し発作を起こす疾患ですが、意識を失うような発作から、体の一分のけいれんで症状が治まるものまで多様です)は、いったん発症してしまうと完治が難しいと言われていますが、では、何でこんな病気を発症するのでしょうか。(事故で頭を打ってこの病気を発症したというのとはまた別です。今回の事故を起こした人は、事故で頭を打ってからてんかん症状が出るようになったそうですが…)

園頭先生がその理由を書かれていますので書いてみましょう。(「正法と人生の原点」より抜粋します)

 <てんかんの場合

その子供ほど落ち着きのない子供ももはじめてだった。三歳の時から発作が起こりはじめ、四歳の時はまだよかったが、五歳になって発作が起こって気がついてみると、回りにいっぱい人がいる。それで恥ずかしさを覚えて幼稚園に行かなくなったという。このままでは小学校へも行かないというのではないかと、よいという医者の所には全部行ったという。

「この子供さんは、あなたの子供さんですか」と聞いた。

「はい、私の子供です」

「本当にあなたの子供さんですか」私は疑問の意味を持ってさらに聞いた。

「そういわれれば、私の子供だといえば私の子供ですが、私の子供でないといえば私の子供ではありません」

この子供は「人工授精児」だったのである。

結婚して五年、子供ができなかった。夫婦揃って検査をしたら、ご主人の精子の数が少なくて妊娠させる能力がないということであった。子供を貰ってとも考えたが、生める身体だったから自分で生みたかった。

夫の許しを得て人工授精したが、お腹がだんだん大きくなるにつれて夫は不愉快な表情をするようになった。そのたびに心が痛んだ。それだけに子供が「ふびんだ」と思った。生まれても夫は一度も抱かなかった。そうであるだけに溺愛した。

夫は同意したものの、本当はどこの男性の精子かわからないものを、愛する妻の身体には入れたくなかったのである。夫のやさしい心に気づかなかったのは妻の我の強さである。人口受精はよほど夫との調和がないと失敗する。科学的には承認されていることであって、直接男性と関係するわけではないが、夫はそれを妻の不貞、夫への裏切りと思うのである。人工授精でなくても、性に原因する夫婦の強い不信感、それが子供を「てんかん」にするのである。

(日本では現在、人工授精児は二十万人いるという。その半数が問題児になっている。

アメリカで起こったように、医者は白人のものだといったのに黒人の子が生まれた。また、先天的障害児が生まれた。引き取れ、引き取らないで問題となっている。やはり不自然なことはいけないのである。外国では成功したといっても、日本人の感情はデリケートであるから、外国で成功したから日本も、というわけにはいかない点がでてくるのである)>

園頭先生は“性に原因する夫婦の強い不信感”が子供をてんかんにする、と書かれています。ということは、その夫婦の性に関する不信感がなくなれば、その子供のてんかんもなくなるということになります。(もっと細かくその原因を言うなら、我の強い妻が夫の気持ちを察することができなかったから、ということになりますが)現実にこの夫婦の子供のてんかんは(意識を失うようなひどいてんかんでしたが)夫婦がそのことを反省することにより治ったそうです。

このように胎教の時の思いが、子供に深く影響を与えているということはよくあるようで、そのいくつかの例を園頭先生のご著書より抜粋してみましょう。

(しかし、何時まで経っても法の正しさ大事さを理解せず、真摯に向きあおうしない人たちが多いようです。そんな人たちには、それがいけないということが分かるような現象が起きてきます)

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4月 12 2012

一神教と多神教

現在の日本の人々は、神様といえば山の神とか川の神とか自然を対象にした、多神教の考えをもつ人が多いのですが、世界のほとんどの人々は一神教です。

では一神教と多神教ではどちらが正しいのでしょうか?ちょっと書いてみましょう。

現代の日本の人々は、宗教というと即座に頭に浮かぶのが「祈祷」ということと「何のお陰があるのか」ということです。

日本の人々が、宗教というと「現世利益」を求める心は、既成、新興宗教の影響が大きいのですが、その源流は日本古来の宗教である「神道」にありました。

神道は、万物はすべては神がつくられたのであるという自然神崇拝です。(私が言っている「神道」とは、現在ある神社神道とは違います。日本に昔からあった古神道のことをいっているのです)

この自然崇拝の信仰が、時を経るうちに八百万の神と言われるようになり、山の神、川の神、海の神、草木の神から一切の虫や魚類まで、神として拝むようになっていったのです。

元々は、このようなものすべて神の生命の現れである(これは法です、ですから日本に古来からある神道は法であったのです)として大事にしていたものが、いつの間にかそれを神そのものとして拝むようになってしまったのです。

なぜ、そのようになってしまったのかといえば、人間の生活は、人間の力をもってしてもどうすることもできない、天候や気象などの自然現象を必要以上に恐れたからです。

日本人は農耕民族です。その農民にとって長雨や日照り、台風などはどうすることもできませんでした。そのような天候になると人々は、被害の少ないことを祈るしかありませんでした。

そうした生活が、何かあると救い(現世利益)を求めて、神仏や力のあるものに祈祷するという習慣を生み出し、それが民間信仰として人々の意識の中に定着していったのです。

日本の人たちは、お陰があるとか、あっちの神様が効くということになると、すぐに神様を乗り替えて、どんな神様でも拝むということをしますが、このような態度が西洋の一神教の人々から見ると、日本人の信仰は節操がないといわれる所以です。

こうした祈願体質を持っていたことが、日本人の信仰が自力型ではなく、他力型になる原因の一つとなっていったのですが、そのようなものに感謝し、調和した生活を送るのであれば、異常気象など起きなかったのですが、それが分からず必要以上に自然を恐れ、崇拝してしまった結果が、現在の八百万の神(多神教)の由来となっています。

そのようなものはすべて、神がつくられた神の生命の現われなのですから、感謝(例えば、野菜にしても肉や魚にしても、皆私たちに自分の生命を与えてくれているのです。それに感謝して食べることは当然のこととして、そのような生命を与えてくれているものたちに対し、報恩の行為として、残さずきれいに食べるということも当然の行為なのです。食事をずいぶんだだくさに食べられる人もいますが、それはやはり自分の生命を投げ出してくれているものたちに対し、感謝の心がない不遜な態度と言わざるを得ません)するのは当然の行為ですが、しかし、山や川や草木、虫や魚に至るまで、神と見てしまうのは、やはりいくらなんでもやりすぎで明らかに間違っています。

一神教がよく宗教戦争を起こすからと、その部分だけ捉え、一神教が間違っていると思われている人も日本人の中に多いのですが、そうではなく、キリストやモーゼが言われている一神教(宇宙創造の神だけを正しい神とする)が正しいのであり、神はやはり唯一の神であり、それ以外のものは神がつくられた、神の生命の現れであって神ではないということです。

だからキリストは「主なる我らの神は唯一の主なり。汝心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして主なる汝の神を愛すべし」と言われたのです。

鰯(いわし)の頭も信心から、と言いますが、しかし、鰯は鰯であって、それを神として拝むのは間違いです。

現在の日本のように何かお陰があるというと、すぐそこに行って(現代風に言えばパワースポットなどですか)拝んだり、パワーをもらえたと喜んでいますが、この地球全体がすでに神につくられた神殿なのです。

どこに出かける必要もなく、その場で祈るのであれば神はその願いをきいてくださるのであり(ただし、正しい祈りであればということですが)自分の心が正しいのであれば、そこに神の光が降り、その場がパワースポットとなって奇跡が起きるのです。

神はどこにいても観ていて下さっています。常に唯一の神を思い(神を一として)生活することは大事なことであるといえましょう。

追伸…あなたの心が変わらないと道が開けてこないようです。ですからせいぜい頑張ってくださいね、加藤綾子さん。(何か収拾がつかなくなりそうですから一応書いておきます……でも、加藤綾子って子は日本中にたくさんいますね〔笑〕)

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4月 10 2012

親の心

前回書いた、下村議員らが立ち上げられる「親学」の件をもう少し書いておきますが、親の心というのは非常に大事で、例えば、名古屋に不登校の子たちばかり集めた学校ができたそうですが、このような子たちをいくら教育しても、この子たちだけでは不登校は直りません。

この子たちの親の心を変えないと不登校の子は直らないのです。(特に母親の心は重要です…女の心がヒネていてはいけないのです)

これと同じく、躁(そう)やら鬱(うつ)やら心の病を抱える子も同様で、そのような病気になっている子をいくら治療しても、親の心が変わらないと、そのような子らの心の病は治らないのです。

親の心は、それほど子供に影響を与えるものなのです。(物なら作り直すことができますが、子供はつくり直しがききません。子供の育て方を間違うと、その子の魂までおかしくしてしまいますので、また大きな罪をつくることになるのです)

ですから「親学」は本当に大事な分野であり、また、難しい分野でもあるのです。

それを安倍元総理や下村議員らが始められるというのは、大変よいことであると思いますが(お二人はもちろん信頼しておりますが)よほどしっかりした心をお持ちの方々が、その指導をしていかないと間違ってしまうということです。

法の勉強をしていただくのが一番よいと思いますが、何せ、その法の流布が遅々として進みません。そこら辺が悩ましいところですが、現在やっている日教組の教育よりは、はるかにいいと思いますので、頑張っていただきたいと思っています。

しかし、政治家の方々も北朝鮮のミサイルや消費税、原発、震災の復興など、多岐にわたって問題が山積しているにもかかわらず、教育までやらなければならないとは大変ですね、もう少し政治家に頼らずとも、自浄努力で何とかならないものかと思ってしまいますが、これがなかなかよくなりません。

しかし、それもこれも一にも二にも、まずそれは、一人一人の心の在り方にかかっているといえます。

親となられる人の心は(縁によって)その子となられる人の心まで影響を与えます。

親となられる人は心の面も立派でなければならないのです。

(大飯原発の再稼働がずいぶん問題になっていますが、どちらにしても原発は稼働してもしなくても危険度は同じなのですから、稼働させればいいのではないしょうか。〔地元住民の意見を無視するなと言う人もいますが、地元の人は原発再稼働に、賛成の人も反対の人もいるのですから決して無視していません〕少なくとも、その方が電力の心配はなくなりますからね。〔火力では燃料代が高くつくし環境にも悪いでしょう。それに節電節電では経済がしぼんでしまいます〕安全性をギャーギャー言ったって、すべての人が納得するような安全性の基準など、元々示せるわけないのです。〔すべての人が納得するような安全案があるなら、誰でもいいですから具体的に出してみてください〕どっちみち、そこに原発がある限り、事故が起きれば危険なのですから〔稼働しようがしまいが危険度が変わらなければ〕稼働しながら、安全策は考えていけばいいのではないでしょうか。こんな原発の大事故があったのですから、電機業界の仕組みは変えないといけないのだし、それは〔難しいかもしれませんが〕原発を稼働しながらやればいいと思います。原発を動かさない一番の問題は、やはり電力が足りるか足りないか分からない、ということだと思います。何度も言いますが、電力が足りなくなったら誰が責任を取るのでしょうか?〔とりあえず橋下市長お一人は名乗り出ていますが〕強行に稼働に反対される方は、当然電力が足りなくなった時の責任は取っていただけるのでしょうね。そんな責任感もないのに強行に反対するのは無責任だと思います。〔どっかの原発問題をはっきり言わない党も無責任だと思いますが、はっきり言われる方々が、率いられた方がいいのではないでしょうか〕私など、こんな大きなエネルギー使わない手はない、と思ってしまうのですが、あまりに考えが違いすぎて、反対している人の考えがよく分かりません。ご理解いただいてるとは思いますが、はっきり言わないのも無責任ですが、はっきり言い過ぎれば当然その責任は、その言ってる人にまともにかかってきます。その自覚だけは持たれて、強行に反対されるなら反対された方がいいと思います)

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