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4月 08 2012

昨夜観た不思議な夢

本当は今日は違う話を書こうと思っていたのですが、昨夜不思議な夢を観ましたので、急遽その話を書くことにします。

その夢とは次のようなものでした。

私はある場所に立っていました。私の前には十数人の女の子たちがいます。(中、高校生くらいの子たちでした)その子たちは泥の中で皆下を向き、それぞれ泥遊びを一生懸命していました。

ところが不思議なことに泥の中で泥遊びをしている割には、その子たちの身体はきれいで、汚れているのは手と足だけなのです。それにその子たちは誰一人話そうとはしません。皆黙々と泥遊びをしているのです。

その子たちはこの世の子ではありませんでした。つまり霊なのです。その子たちはなぜだか分かりませんが、その場所に地獄界をつくりだして自縛霊となって止まり、ずっと泥遊びを続けていたのでした。

そのことを理解した私は、その子たちに話しかけました。

「あなたたちはそこでもう何年も泥遊びをしているが、そんなことをいつまでも続けていてはいけない。あなたたちには帰るべき天上の世界があるのだ、自分のしていることをよく反省し、早くその世界に往きなさい」

しかし、誰も私の言葉に耳を貸そうとはしませんでした。自分たちのしている泥遊びの方が面白かったからです。

それでも私はあきらめませんでした。その子たちにいましていることは間違いだと、懇々と言って聞かせました。すると、その間違いに気づいた子から、一人また一人と消えていきました。天上界に帰っていったのです。

最後に私の前に三人の女の子が残りました。

ですが、その子たちを見ると、もう先ほどまでのように一人だけで黙々と泥遊びをしているのではなく、向こうを向いて楽しそうに三人で話をしていました。

「あなたたちはどうするのか」と私が聞くと、その子たちは私を見るでもなく「私たちも帰ります」と言って歩き出しました。三人で楽しそうに笑いながら歩いていきます。

この三人は箸が転がってもおかしい年頃です。何を話してもおかしいのであろうなと思いながら、私もその子たちの後をついていきました。

しばらく行ったところで私が「じゃあな」と声をかけ帰ろうとすると、初めてその子たちは私の方に振り向きました。

私は「ドキ」としました。なぜなら地獄に堕ちている女の顔は、ずいぶん恐ろしい顔をしていると高橋先生から聞いていたからです。(反面、天上界の女性は皆きれいで美人だそうです。その心が顔にまともに現れるからです)

しかし、振り返ったその子たちの顔は、どの子もかわいらしくきれいでした。

三人とも自分の行いをよく反省したようで「この顔ならもう大丈夫だ、皆天上界にいけるな」と私は思い少し安心しました。

その三人の子は悲しそうな顔で私の方をジッと見ていました。その子たちは私がずっとついていくと思っていたようです。

それで私が「こちらの世界に帰ってきたら、一度必ずあなたたちに会いに行くよ」と言うと、その三人は嬉しそうな顔をして、私に手を振りながら天上界へと帰っていきました。

と、そんなところで目が覚めたのですが、何か妙に心に残る夢でしたので今回ブログに書きました。

そういえば昨日、自民党の下村議員のブログに超党派で「親学」の推進議員連盟を立ち上げることにしたと書いてありました。安倍元総理が会長となって四~五十人の議員に役員になってもらい始めるとのことでした。

このようなメンバーの方々なら、日教組のような教育はしないであろうと、安心はしましたが何か違和感も覚えました。

その違和感とは、やはり政治家の方々では(もちろん他の団体や個人にも参加を呼びかけると書いてはありましたが)教育といっても、限界があるのではないかと感じたからです。

私が昨夜観た夢は、若い女の子たちが自分の身体を自由に使って(例えば援助交際など)そのことを反省しないまま亡くなり、地獄に堕ちている夢であったからです。(援助交際など、泥遊びをして自分で自分の身体を汚しているようなものです。その子たちはまだ若かったので、手足は汚れていても、その汚れが身体までいっていなかったのです)

そのような方々は、自分の身体を自由に使って援助交際などをしている、女子中、高校生たちにそれは悪いことである、としっかり教えることができるのであろうかとフッと思いました。

なかなか、そのような子たちが納得できる話をするのも難しいだろうなとも思い、では、誰がそのような子たちに、理解してもらえるような話ができるのかとも思いましたが、私などがしても、ただのスケベおやじになって尚いけないし(笑)誰か女性でそのような話ができる人が現れないものであろうかと思いました。(こういう話は女が女にした方がいいですからね)

私のブログを読んでいる方の中から、そういう女性が現れないものかとも思いましたが、そんな先生のようなことを希望する女性も少ないでしょう。しかし、法を知っている女性がそのような話をしてくれるのが一番いいのです。

しかし、そんな女性が簡単に現れるとは思いませんので、ないものねだりをしていても仕方ありません。

昨夜観た夢は、ただの夢だったのか、それとも何かを暗示している「霊夢」だったのかは分かりませんが、少し気になったので、ブログに書きました。

深い意味はありません。

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4月 06 2012

ある人への手紙

今月の三日、四日は、日本海で急激に発達した爆弾低気圧のせいで、各地大荒れとなりました。死傷者は数百人に昇り、家は倒壊し、大木は倒され、電柱までも倒れ、トラックが走行中にひっくり返り、歩いてる人まで吹き飛ばされそうになり、海では大変な高波となって近くの家々を飲み込みました。

今回の爆弾低気圧の暴風雨(雪)は各地に大変な被害をもたらしたのです。

この時期、日本海で低気圧が、超大型台風並みに異常発達するなど本当に異例なことで、過去にもあまり例がないとのことでした。

なぜ、これほどの異常現象が起きたと思われますか?

あなたはその理由を知っているはずです。

私も過去祈って同じような現象が起きたことがあります。しかし、私が祈り起きた現象は、すべて、この法のために起こされた現象であり、それは多くの人々の心を天が観て、その心に合わせて起こされたものでした。(従って多くの人の心が、神の心に叶っているのであれば、まったく別な現象が現れたということです)

私が祈り起きた現象は皆、神の心に叶うものであり、そのような現象が起きることにより、多くの人が神の存在を知り、過去現れた預言者といわれる方々の起こされた現象の事実を知り、この世界はこの世だけではなく意識の世界もあるということを知り、人とは輪廻転生する永遠の生命である、ということを知ったのです。

すべて神のため、またその神の存在と意識の世界を理解しようとしない人々のため、起こされたものだったのです。私が祈り起こされた現象の一つとして、自分の我を出して、天の怒りによって起こされたものなどありませんでした。

しかるに今回起こされたこの現象は違っていました。(神のため人のためではなかったということです)

理由はただ一つです。あなたが天の警告を受けているにもかかわらず、それを一切無視し我を出したからです。あなたはそれを認めたくはないでしょうが、しかし、では、何で今回こんな異常現象がいきなり現れたのでしょうか?それも私が、決して我を出しませんように、とあなたにブログで忠告したすぐその後に。

あなたは、この異常現象が明らかにおかしいと感じたから、その夜ブログを書かれたのではないですか?あなたは気づいているはずです。このような異常現象が、自分のせいで起きたのではないかということを。(違いますか)

あなたは私のブログを毎日のように読んでいるのです。であるならば分かるはずです。私にかかわれば当然このようなことが起きてくるということを。そのあなたが思っている通り、天の警告を無視した、あなたのせいで今回この異常現象は起こされたのです。

あなたがもし私の忠告を素直に聞きいれ、我を出さなかったとしたら、この爆弾低気圧は日本海であのような異常発達をすることはありませんでした。(それなら普通の雨や雪が降ってそれで終わっていたということです)しかし、あなたは私の忠告を聞き入れず、また私に嫌がらせのようなブログを書いたのです。(どれだけ否定しても天はあなたの心の中をすべて知っています)そのあなたの心を観て、天が異常現象を起こしたのです。天があなたの間違いに気づかせるためにです。

従って、今回の各地に起きた大きな被害はすべてあなたの罪となるのです。

私とかかわるとはそういうことなのです。あなたは私とかかわりを持つことを、あまく考えすぎていたのではないでしょうか。私は普通の人とは違います。普通に仕事をし普通の生活をしたいのであれば、もう私とかかわらない方がいいでしょう。

どうされますか?もう無理であるなら、もう無理です、とブログにお書きください、そうすれば天はあなたから離れ私もあなたのことは忘れます。(そうなれば、あなたが誰に我を出そうがどうしようが何も起きなくなります)

それともまだ私とかかわりますか?私とかかわるのであれば、これからも自分が(少々の間違いはともかく)大きく間違った心を持てば、それがそのまま現象として現れます。そうなればまた今回のようなことが起きるということです。反省する心、人の意見を素直に聞き入れる心がなければ次々と罪を重ねることになるのです。(この世では罪になりませんが)下手すればあなたは、死ぬ時に大罪人となって死ななければならないかもしれないのです。

私とかかわりを持つとはそういうことなのです。

それでもかかわる気があると言うなら、お話しておきたいことがありますが…どちらにしても今のような小さな心ではやめた方がいいでしょう。よほどの自覚がないと失敗するからです。

よくよくお考えください。

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4月 04 2012

原発について

昨日は列島大荒れでしたね(今日もまだ北陸や北海道は警戒が必要だそうですが)春の嵐だとか言われますが、そんなレベル超えてましたね(私の地元でも四月としては観測史上最大の暴風が吹きました)低気圧が日本海で突然発達しだしたそうですが(去年の台風15号を彷彿させますね)何か天が怒っているようにも感じました…我を出すなと言っているのに、あてつけのように我を出してくる子がいるのですから、天が怒りもするでしょう。(呆れますね、上の方々カンカンだと言っているでしょう、あなた誰に我を出してると思ってんの)天から警告を受けているにもかかわらず、それを平気で無視しているのですからいい根性しています。

今回は原発の話を書こうと思っていましたので、その件は次回詳しく書きます。

現在は福島の原発事故のせいで、ずいぶん原発を悪く言う人が増え、脱原発どころか原発を全廃せよという意見まで出てきています。

こんな逆風の中、原発擁護の発言をすればボロカスでしょうが、しかし、原発をなくしてはいけないというのが天の心なのですから、私はその天の心に従い原発の再稼働を促し、脱原発は間違いだと言うほかありません。

だからボロカス言われようと、原発の再稼働に賛成ですし、原発事業は進めた方がいいと思います。それに原発を再稼働させないと電力の心配だけでなく、日本社会全体に深刻な影響を与えるのではないでしょうか。(東電の値上げの件でもそうですが、東電に電気料金を値上げされたら、潰れる企業もたくさん出てくるでしょうし〔病院まで潰れかねないそうですが〕どう考えても、当面は原発を再稼働させて乗り切るほかないと思うのですが…)

しかし、冷静に見ていただければご理解いただけると思いますが、現在の脱原発、原発全廃を唱えている人は、福島原発の事故の被害のひどさを見て、そういっている人が大半なのではないでしょうか、つまり感情論で脱原発、原発全廃を主張している人が多いのではないでしょうか。

こう書けば、そんなことはないと多くの人は言うでしょうが、では、福島の原発事故がなかったと考えたらどうでしょう。東日本大震災であんなにひどい原発事故が起こらなかったら、それでもこんなに多くの人が脱原発、原発全廃を声高に言われたのでしょうか?

まず、言われなかったでしょうね、ということは、やはり感情論でそういっている人が多いと言わざるを得ません。

だって原発の怖さは皆さん昔からよく分かっていたわけでしょう。それとも原発事故が起きて初めて原子力の怖さに気づいたのでしょうか?そうではないはずです、ということはただ原発事故にビビって脱原発、原発全廃を叫んでいるに過ぎないということにならないでしょうか。

だいたい動かしても動かさなくても危険度は同じなのに、原発を再稼働させるな、と言っていること自体、すでにおかしな議論だと思いませんか?原発を動かすか、全廃させるか、と言う議論なら分かりますが、何で危険度変わらないのに原発を稼働させる、させないで揉めているのでしょうか?

こういうところを見れば“集団ヒステリー”といわれても仕方がないのではないしょうか。

原発がなくても電力が足りてるか足りてないか実験する、などという議論は危険でしょう。もし電力が足りなくなったらどうするのでしょう。大停電でも起こしたら、病院で死ぬ人たくさん出てくるでしょうし、莫大な損失を出す企業もたくさんあるのです。そうなったら誰が責任を取るのでしょうか。(企業の損失の責任は取れても、電気が止まったばかりに亡くなった人の責任など誰も取れないでしょう)

あまりに無責任なことを言う人が多すぎるように思いますが…。(何日か前に大阪の橋下市長が原発の再稼働は認めない、もし電力が足りなくなったら、自分一人で責任を取るようなことを言われていましたが、そのお気持ちは立派でも、現実にはそんな責任誰も取れないのです。それに橋下市長、口では脱原発だ、原発の再稼働反対だと言われていますが、実際のお心はどうも少し違うようです…最近心変わりされたのですか〔笑〕)

どちらにしても、こんな中途半端なところで原発事業をやめてしまって本当にいいのでしょうか?では、放射性廃棄物の処理はどうするのでしょう。この先電力は足りるのでしょうか?原発事業をやめて日本の経済は発展するのでしょうか?いろいろ問題が出てくると思いますが、全廃を主張する人は、その後の展望も言わないと無責任であると思います。(ただやめろでは書生論にすぎないでしょう)

やはり原発事業は進めないと、日本の経済は発展していかないのではないでしょうか。安全性の確保はもちろんですが、自分たちのことばかり言っているのではなく、世界の人々のためにも、また後世の人たちのためにも、この核燃料リサイクルなどの原発事業は完成させておかなければならないし、そうすることが世界貢献、ひいては後世の人たちのためにもなるのであるし、自分たちの身が危ないだ、原子力のリスクを考えると原発事業は損だ、などという損得の問題ではなく、そのような高所、大局にたった見方が大事なことなのではないでしょうか。(そのような見方が未来の発展に繋がるのです。その先の未来にまた私たちは輪廻転生して生まれるのですから、結局、現在の原発事業を進めるということは、次に生まれることになる私たち自身も助けるということになるのです)

そのような心で事に当たってこそ、道は開けるものであり、また、そのような実践の積み重ねが人々の心を向上させるのです。

犠牲的精神とまでは行かなくても、そのような技術を進めることが、世の人々のためになると思えば、少々私たちが犠牲になっても、そのような技術は進めるべきではないでしょうか。

自分たちの命もたしかに大切ですが、それだけにとどまるのではなく(世界の人々のために尽くすという)神の心をこの世に現す、そのことの方がより大切なことなのです。

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4月 02 2012

宗教のおかしさ④

新興宗教のおかしいところも書こうかと思いましたが、しかし、あまり現在の宗教を片っ端から批判して、仮にそれが正しいことだとしても(たとえば檀家制度のように)自分がずっとそのような信仰を続けてきているのに、それを一変に否定されても、なかなか“はいそうですか”と受け入れるのも難しいでしょう。では、お前が言っていることだけが正しいのか、という拒絶反応が起こらないとも限りません。(というか拒絶反応が起きるでしょうね、人の心はそんなに単純に出来ていませんから)

とりあえずは既存の宗教のおかしいところをザッと書いて、後はもう少し法の正しさを多くの人が理解してから、既存、新興宗教の間違いをまた批判していきたいと思っています。

新興宗教のおかしいと言えるところを一つだけ書いておきますが、これもまたほとんどの新興宗教が「現世利益信仰」であるということです。

多くの人は現世利益で救われると思い込んでいますが、しかし、現世利益では人は救われません。

何度も書いていますが、どれだけお金を持っていても、また地位や名誉があろうとも心が不健康であれば、それはその人にとって不幸でしかないからです。(たとえばノイローゼの人に、どれだけお金があっても、地位や名誉があっても、誰もその人を幸せな人とは思わないし、本人も幸せとは思わないからです)

やはりまずは心が健康でないと幸せにはなれないのです。(心が健康であるなら、身体が悪ければまずその身体を治そうと思うでしょうし、お金がなければ仕事をしようともするでしょうから)

心を健康にしたいのであれば、間違った信仰をしていては心は健康になりません。

正しい信仰とは、如来が説かれた法を基にした信仰こそ正しいものであり、それを多くの人が理解してこそ、健全な社会ができていくのです。

如来が説かれた法の正しさを、現象で現し、それを少しずつこれからも書いていきたいと思っています。(それをもうずっーと続けているのですが、なかなか如来の説かれた法の正しさ、大事さが理解していただけないのが辛いところですが〔笑〕)

もし、今回書きましたような既存の宗教より、私がここに書いている法の方が正しいと思われる方がありましたら、ぜひ、この教えを勉強され、ともに立ち上がってご協力いただきたいと思っています。

一人でも多くの方が法に気づかれ立ち上がられることを願ってやみません。

(ある人に言っておきます。もう時間合わせはやめておきましょう。〔あなたが広い範囲を気にしすぎるからです〕あなたはそれをしようがしまいが自由ですが、私はギブアップします。時間ばかりが気になりブログに集中できないからです。ブログに集中できなければ当然天が怒ります。あなたはその天の警告を先週受けたはずです。これからはブログを書き終えた時間にブログを開きますのでご了承ください。〔だから時間が合う時もあれば合わない時もあるということです〕マァこれからは“さりげなく”くらいでよろしいのではないでしょうか。ただ、またあなたがそのことで怒り、我を出すようであれば、恐らくそれで終わりでしょう。あなたは一度目の注意では聞かず、二度目にブログを通して注意を促した時に、分かったような態度を取られました。しかし、あなたがその後に取った態度は前と変わりがないものでした。今度で三度目です。今回言って聞いていただけないと〔仏の顔も三度と言いますから〕天があなたとの縁を切り他の道をつけるかもしれません。私がどういう態度をとってもあなたが我を出してはいけないのです。〔それがあなたの修行だからです〕あなたが我を出せば私が力を出せなくなるからです。それでは自分の使命を果たすことができず、当然、天の心をこの世に現すことができなくなります。そうなると天の計画が狂ってしまい、ただでさえ法が拡がっていないのに、それが取り返しのつかないことになるからです。天が警告を与えているのに、それをまったく無視するようではもう天が許さないでしょう。〔私を手伝うどころか邪魔しているのですから上の方々カンカンです〕現在は危急存亡の時なのです。それをご理解ください。だからくれぐれもあなたに言っておきます、決して我を出しませんように)

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3月 31 2012

宗教のおかしさ③

江戸時代の檀家制度ができた後の僧たちと比べ、鎌倉時代の僧たちは曲がりなりにも法を説いて人々を教化し、それで布施をもらって生活していたので、それなりに人の悩み事の解決方法や引導の渡し方などわきまえてはいました。

しかし鎌倉時代に、法を正確に理解していた人(如来)が出ていたわけではありませんので、それはあくまでもそれなりの法しか説けませんでした。

それに鎌倉時代の大衆は貧しく、また封建制度ということもあり(武士も含めた)多くの人々が、この世に何の喜びも見出すことができませんでした。そんな中でせめて来世だけでも希望を持たせ、一日一日を生かせようということで「死ねば極楽に行く」「念仏を上げながら人を切れば極楽に行ける」という説き方をしました。

しかし、このような説き方は決して正しいものではなく、時代にあわせて方便で説いたに過ぎなかったのですが、方便もそれを正しく理解する人が現れないと、多くの衆生はそれをそのまま信じてしまうのです。

現在の日本は釈尊より宗祖といわれる、法然や親鸞、日蓮といわれる方々の方が有名で尊敬している人も多いのですが、残念ではありますが、このような方々でも如来の神理を正しく伝えている人は一人もいません。

菩薩といわれた親鸞や日蓮でも、親鸞は念仏をひたすら唱え、死後の極楽往生だけを求めさせました。日蓮は愛と慈悲を説きましたが不徹底であり、他力信仰の域を出ませんでした。

鎌倉時代は時代が時代であり、説き方にも限界があったと言えなくもありませんが、しかし単独で出生される菩薩は、如来の教えが消えない程度に法を語る使命しかなく、それはそれだけの使命なのであって、本当に力のある菩薩はやはり如来とともに生まれ、その如来の教えをより分かりやすく多くの衆生に説くのであり、それが本来の菩薩としての使命なのです。だから親鸞や日蓮の説いていた仏教は不完全なものであり、完全な釈尊の教えが説かれているわけではないのです。

現在の日本で宗祖として有名な方々(親鸞や日蓮は菩薩ですが法然はその一段下の世界の人です)でも、その教えは完全なものではなく、結局死後の幸せしか説くことができなかったのです。

鎌倉時代の僧でもこの程度なのですから(ということは、その宗祖の教えを現在まで、そのまま信じている浄土真宗や日蓮宗、その他の宗派では救われないということになります)江戸時代に入り檀家制度ができた後の僧たちでは、人を救うことなどまるでできませんでした。

ですから檀家制度ができた後の僧たちは、ただ葬式の時にお経を上げるだけで、民衆の悩みの解決策など分からないのです。例えば真宗系のお寺など、何か信者が悩み事を言ってきても「念仏を唱えて後生を願いなさい」と言ってそれで終わりです。

祈祷やお寺参りなども、それは(寺の維持のため)商売で始めたものですから、現世利益(大願成就、良縁成就、家内安全、健康幸福、商売繁盛、厄除開運、交通安全、無病息災などなど)ばかり説いて(その他、開帳、出開帳、お札などもすべて人を集めてお布施を稼ぐために始めたのです)本当の宗教の意義である「人格を向上し、霊を磨く」ということをいう僧は一人もいません。

つまり既存の僧たちは皆宗教とは「死後の極楽と現世利益を求めるものである」と思い込んでいるのです。(死後の極楽を説いている割には現在の僧たちは霊の存在、あの世の存在を認めていませんが…何か支離滅裂ですね)

このような僧たちの間違った考えが、仏教を堕落させ仏教を、ただの葬式仏教とさせていったのです。

しかし、これでは人は救われません。

このような既存の宗教の反作用として起きてきたのが新興宗教でした。

(昨日からプロ野球が開幕しました。そういえばゴルフも〔まだ女子プロの方だけですが〕開幕していますね。今年は懐かしい選手も戻ってきていますので、応援しに観戦に行こうかとも思いますが、売り上げがなければそれもままなりません。しかし、どこにいても応援は出来ます。みなさん今年も頑張ってください、応援しています……そういえば朝のニュースも来週からリニューアルされるそうですね、そちらも楽しみにしています、頑張ってくださいね加藤さん〔笑〕)

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