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12月 23 2011

ひどい書かれようです(笑)

立川のオバちゃん…最近は福岡のオジちゃんでしたか(オバちゃんはお元気ですか?お元気そうですよね、だって私のブログを毎日何度もお読みいただいているのですから〔笑〕)ここにまたあなたのことが書かれている、あそこにまたあなたのことが書かれている、と必死にメールしてきています。(笑)

ひどい書かれようです。(笑)私のブログがおかしなブログの部類に入っていて、台風が偶然来たのを自分の祈りのせいにしてるとか、愛も慈悲もないとか、謙虚でないとか、法を分かっていないとか、ボロカス書かれています。何でもいいです、話題になるなら(笑)だって、とにかく話題にならないと、私のブログが多くの人の目に留まらないでしょう。私はこのブログを書く以外に法を拡げる手立てはないのですから、高橋先生や園頭先生と法が多く人に知られるなら、私が何を言われようが結構毛だらけです。(あれ、誰かこんなこと言ってましたね〔笑〕)

福岡のオジちゃん、面白がってメールしてきていますが、初めて私のブログを読んだ人などあのような反応をしますよ、当たり前でしょう。唯物無神論の現代に、こんなブログ書いているのですから、誰がすぐ信じますか。(そんなにすぐ信じられたら、その方がよほど怖いでしょ)

しかし、よく見つけますね(あれはどうしたらでるのですか?アメーバ 大矢由紀夫で検索してもページはあるのですが、このブログの投稿はありません、としかでないのですが?私もぜひこれから読みたいので読み方教えてください)昨日送ってきたメールに私は精神病にやられていて“こんな人は相手にしても意味がない”って書いてありましたが、あなたは私の相手をしっぱなしですね(笑)毎日熱心に私のブログを読んでいますが大丈夫ですか?私は精神病にやられているのですから、そんな人のブログを毎日見ていたら、あなたも精神病にやられてしまいますよ、それとも私が本物と分かっているから、そんなに毎日熱心に私のブログを読んでいるのですか?あまり熱心に私のブログを読んでいるようなら、そのように判断をしますがよろしいですか?あなたたちが私のブログを読んでいるか、いないか、など手に取るように分かります。(笑)

しかし、そうは言ってもあまり悪く書かれて肝心の法が疑われても困ります。少々反論しておきましょう。

福岡のオジちゃんのメールに書かれてありましたが、このアメーバに私のことを投稿している人、八~十月は台風は来る、それを自分の予言のように言って「予言通りになった」と言っている、というようなことを書いていられますが、今年は五月からすでに台風は来ています。

それに九月に来た台風は、12号は超巨大に発達し(これまでできた台風の中でも一、二を争うほどの大きさです)しかもスピードが上陸してから異常に遅くなり(これだけでも前代未聞ですが)そのせいで大きな被害が出ました。それだけでなく不思議なことに、この時に多くの土砂ダムができました。(全部で十七ヶ所この12号台風でできたのですが、台風だけでこれだけ多くの土砂ダムができたのも前代未聞でした)

その後に来た15号台風は異常な動き(異常なくらいの遅さと沖縄近海で急に台風が停滞し、しかもその場所で小さくクルリと一回転したのです。まるでこの台風は意志を持って生きているようでした)と異常な発達の仕方(沖縄の近海で停滞している時に急に発達をしだしたのです)をして、そうして、その強い勢力のまま日本に上陸したのです。(こんな強い勢力のまま日本を直撃したのはこの台風が史上初だったそうです)

史上最大の大きさを持つ台風と、史上最高の強さを持つ台風が、その月(九月)は同時に上陸したのです。(このような偶然ありますかね)だから私は、自分が祈ったからではないかといっているのです。(そればかりではありません。15号台風は最後に福島を直撃し日本を抜けていきました。それに15号台風が日本を抜けた後、茨城で震度五の地震が起きました。私は少し前に今のままでは台風が福島を直撃する、とも言っていますし、台風と地震が一度に起きるとも言っています。〔私のブログを読めばそのことは書いてあります〕その言った通りのことが起きているのです)

それに十月は初雪が降り、桜が咲き、夏のような気温になって夏のような大雨が降りました。(春夏秋冬すべての出来事が一変に起きました)十一月は異常に気温が高く、観測史上最高の気温のところが続出しました。何でこんな異常なことが起きているのでしょう。(私はこの間ずっーと祈っていると言い続けていました)温暖化のせいでしょうか?それとも日本が亜熱帯のようになってきているせいでしょうか?ではなぜ、今月はこんなに寒いのでしょうか?(北海道の岩見沢ではすでに例年の三倍の雪が降っています)

タイの洪水でもそうですが、引き始めた時に私が祈っていると言い出した、と書いていられますが、私が祈っていると言った時(九日のブログ)には、タイの洪水はまだ引いていませんでした。(停滞していたのです)それが十三日のブログで(このブログがタイの洪水を祈っていると書いた二度目ですが)タイの洪水を祈っているが、私の祈りでは停滞させるくらいが限界ではないか、と書いたその日からタイの洪水は引き始めたのです。ですから、私はあまりにタイミングがよかったので、私の祈りがきかれていると書いたのです。(それに私の祈りで病気が治ったり、進行が止まったりした例もありますが…これも偶然なのでしょうか?)

この九月から私はずっと祈り続けています。私の祈りは関係ないといわれるなら、ではなぜ、九月から今月まで、これだけ異常気象が続けて起きているのですか、何でも偶然では話になりません。ちゃんとした科学的根拠を元に説明していただきたいと思っています。

全部、人任せでもいけませんので、一つ自分で検証したものもあります。それを参考にしてください。(八月二十五日に書いた“賛助会員強化週間”です)

私のブログを検証してもらえるならもらえるで結構ですが(閉鎖するまで検証を続けるそうですが〔笑〕だ、大丈夫ですか?)部分だけとり悪意のある書き方をされては困ります。せっかく多くの人が私のブログを知ってくださるチャンスなのですから、もう少ししっかり検証してくださり正確に書いてください。(あなたも日に何度も私のブログを読まれているのですから)

でないと、何が起きるか分かりませんので。(今日明日は北日本を中心に大荒れの天気になる予報が出ていますが、本当に大荒れになりそうで心配ですね)

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12月 21 2011

高速増殖炉と原発

立川のオバちゃんたちが、私のブログがあそこで話題になっている、こっちで話題になっているとメールしてきます。私のブログもあちこちで話題になり始めたようです。途中から読む人は、ここに書いていることを、すぐには信じられないでしょうが、私が祈って起きたことは起きたことなのですから、事実は事実です。別にここに嘘を書いているわけではありません。

立川のオバちゃんたちは、私に何かいちゃもんをつけようと必死のようですが、そんな心でいるからこの人たちは、何時までたってもモーゼ系と平気で言いながら、現象の一つも起こせないのです。

人の意見がどうこうではなく、自分がどう判断するかが大事なのであり、自分で判断したこと以外自分の点数にはなりません。人のことはいいですから、少しは自分たちのことを反省されたらどうでしょうか。自分たちが間違っているとは、このグループの人たち(三十人ほどいるそうですが)認めたくはないのです。しかし、間違っているからこのグループの人たちは、モーゼ系などと言いつつ何も現象が起きないのです。

何も起きない現実は現実なのですから、何も起きないのなら、そこは自分の間違いを素直に認め、自分のどこが間違っているのか、勇気を持ってしっかり見つめなおしてみるのが、大事なことなのではないでしょうか。(もうこのグループ詰んでいるのではっきり言いますが、立川のオバちゃんがメールをしてきていると私は言っていましたが、実は私にいやがらせの無記名メールを送ってきているのは一人ではありません。もう一人いて二人でかわるがわる私にくだらないメールを送ってきているのです。〔もう一人の人はかなり高橋先生の弟子の人たちにいろいろ聞いているようです〕しかし、何度も言いますが、どれだけ法の知識をつけても、それはしょせん頭で知っただけで、心で知ったわけではありません。心で理解しなければ現象は起こりません。〔つまり知識だけでは心も向上しないし、神もあなた方の味方をしないということです〕心の向上もなく、神にソッポを向かれていて正しい教えを勉強していると言えるのでしょうか?あなた方はよくよく考えられた方がいいと思います)

いけませんね、高橋先生の教えを勉強していると言われると、つい、向きになって言い返してしまいます。(これも高橋先生の教えを曲げてほしくないからです。ご了承ください)それはそうと最近また地震が起き始めました。(奄美大島や岐阜や石川、福井、京都、茨城など…また茨城ですか)

それはそうでしょう、私がわざわざ高速増殖炉のことを書いたら地震が止まった、と書いているのに、高速増殖炉もんじゅの再開費用を、見送ると政府が表明してしまったからです。(たしか、そのことを決めてすぐ奄美で地震が起き、そのことを書いた新聞が出た日〔十二月十四日の中日新聞ですが〕に岐阜で地震が起きたのではないでしょうか)

私があれほど高速増殖炉は進めなければならない、と言っているにもかかわらず無視するからこういうことが起きるのです。

これでもんじゅの廃止でも決まった日には何が起きるか分かりません。くれぐれもお間違いのないようにしていただきたいものです。

原発も再稼働させる見通しは立たないし大丈夫でしょうか?何度も言いますが、原発は動かしても動かさなくても危険度は変わらないんでしょう。なら、動かしながら次の手を考えた方がいいのではないでしょうか。(その方が少なくとも電力の心配はしないですみます)

こんな節電、節電といっていては景気もよくならないし、被災地も困るでしょう。大停電でも起きたら大変なことになります。そんな最悪の状況になる前に、とりあえず原発の再稼働は認めるべきではないでしょうか。(原発がある地元の人たちに原発再稼働の理解を得られるようもっと努力すべきです。今度福島のような原発事故が起きれば、その地元だけでなく、日本が終わるかもしれないのですから、もう一蓮托生です)

何か世間は脱原発一色のような雰囲気ですが(マスコミもずいぶん煽っていますが)そんなに早急にそんなことして大丈夫なんでしょうか?(どう考えても現実無視のような気がしますが)では、代替エネルギーはどうするのでしょうか?いろいろ意見は出ていますが(新しい火力発電やら風力やら太陽光やら)来年の春にはすべての原発が停止してしまうのです。どの代替エネルギーも、そんなにすぐ原発に代われるものでもないでしょう。

経済より人の命の方が大切だ、と言われますが、その命をつなぎとめる経済も発達しなくて、どうやってその命を守るのでしょうか?もう少し現実的な、冷静な判断が求められているのではないでしょうか。

それに何度も言いますが、原発事故は共産主義思想が原因であんなにひどい状態になったのであり、それを一つも反省しないで次のことを進めてもうまくいきません。(また頻繁に地震が起き始めたことでもその事実が分かります)

北朝鮮の金正日が亡くなりましたが(金正日が死んでどのような世界にいかなければならないかは、もうお分かりだと思います)北朝鮮も混乱しますが、このままでは日本もそれに負けないくらい混乱するでしょう。

どちらにしても、国内のエネルギー問題にも解決の道は見えず、北朝鮮の金正日が亡くなったことで、アメリカや他国(中国、韓国など)との関係をより密にしなければならない時に、基地問題解決の道も見えず(おまけに異常現象は止まらずで)東日本大震災の復興どころではなくなってきています。(瓦礫も〔この前どこやらの市か町か忘れましたが、引き取るという手が挙がりましたが〕引き取る自治体が一向に出てきません。東日本大震災は東北で起きたのではないのです。日本で起きているのです。原発事故は福島で起きたのではないのです。日本で起きたのです。日本で起きているのなら、同じ日本人が大震災で出てしまった瓦礫を、分散して引き取るのは筋であり当たり前のことでしょう。そのような自覚が各自治体の長の人たちにはあるのでしょうか?)

地方政治には橋下市長という改革者が現れましたが、では、国政の方はどうなのでしょうか?日本が存亡の秋にある現在、初めて政権を担う党で政権を任せられるのでしょうか?(しかも共産主義ですし)

大阪だけが改革され日本がダメになっては洒落ではすみません。

このままの状況で日本が進んで行っていいのか、悪いのか、日本が今の政権のままで本当にいいのか、悪いのか、日本の人々一人一人が真剣に考えなければならない時がきています。

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12月 19 2011

戦国武将

前回戦国武将の話を書きましたので、もう少し戦国武将の話を書きましょう。

有名な戦国武将の中で他の武将とは少し違う、特異な武将が一人いるのですが、それが誰だか分かりますか?

戦国武将は嫁ももらうのですが側室がいるのは当たり前でした。しかも相手が弱いと見れば、その領地には手を出す、上昇志向が強く下克上も頻繁に起き、自分が上に行くためには人を平気で裏切る、という者もいたのですが(マァこのような人は現代でもいますが)そういう人たちの中で、一人そのようなものには目もくれず、人のために尽くした武将がいます。

その武将とは“義将”といわれた越後の上杉謙信です。

謙信は他国の武将から援軍を頼まれると断ったことはありませんでした。謙信は“軍神”とも称され、戦は無類の強さを誇っていました。そのため、力の弱い国からよく援軍を頼まれますが、その紛争が自分たちの領地とかかわりがなくても、困っている武将に頼まれると謙信は援軍をいやとは言いませんでした。どんなところへでも出向き、援軍を頼まれた武将のために戦ったのです。

そうかといって謙信は、援軍を頼んだ武将から、その見返りに領地をよこせとか、金をよこせとかいう要求をしたこともありませんでした。ただ、人のために尽くしたのです。

当時の人たちは(戦国武将も含め)神への信仰心は厚かったのですが、謙信はその信仰心が人一倍ありました。謙信は毘沙門天を信仰していましたが、その毘沙門天の生まれ変わりと自分を信じていたのです。(謙信はそれを証明するため、自分は神に守られているので、敵の矢玉は一つも当たらないと豪語し、敵の軍勢の目の前に座り込んで酒を飲んだことがありますが、謙信が言ったように、敵が謙信目がけて打った矢や鉄砲の弾は一つも謙信に当たりませんでした…何か園頭先生と同じようなことを謙信はやったのです)

家来たちの領地争いに嫌気が差し出家しかけたこともあり、地位や物への執着もなく、宿敵であった武田信玄に塩を送ったこともあり、慈悲の心も強かったのです。謙信は側室はもちろんのこと嫁さえも娶りませんでした。

信仰心が人一倍強く(おまけに自分を毘沙門天の生まれ変わりと信じ)人から頼まれるといやとはいえない愛があり、慈悲もあり、執着や欲がまるでないとは、まるで僧のようですね。

そのはずです。上杉謙信の過去世は「シュバリダ」という名の僧でした。このシュバリダとは、釈尊の最後の弟子として仏典に書いてある、あのシュバリダです。

謙信は釈尊の弟子としてこの世で修行したことがあり、その過去世の業が戦国武将として生まれても、まともに出ていたのです。だから、謙信は戦国武将としては(まるで出家僧のような)特異な存在であったのです。

このような過去世の業は、多かれ少なかれ自分の性格として現れます。

この過去世の業が、そのまま現れていた戦国武将が今世の日本に生まれています。

その戦国武将とは美濃の斉藤道三です。

道三は油売りから身を起こし、一国一城の主になったことで有名ですが、この道三は美濃一国の城主とはなりましたが、美濃一国だけでは満足していなかったのでしょう。(やはり道三も天下統一を夢見ていたのではないでしょうか)

その強い思いが今生現れ、その方は土建屋から、日本の総理大臣にまで上り詰めます。

私の年代以上の方で、二~三十年前の総理大臣で一番印象に残る人は誰ですか?と聞かれたら、この総理を挙げる人が多いのではないでしょうか。

その斉藤道三の過去世をもつ方とは、田中角栄元総理です。この方は“今太閤”などとも言われましたが、そうではなく“今道三”であったのです。(ただし本物のですが〔笑〕)

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12月 17 2011

信長と秀吉

昨日は今年一番の冷え込みとなったようです。(今日明日も寒そうですが)

全国各地で初雪が降り、北海道の岩見沢など、すでに例年の三倍の雪が降っているそうですが、日本が亜熱帯のようになりつつあるとか、地球温暖化はどこにいってしまったのでしょうか?(こういう時は誰もそれを言いません〔笑〕)賛助会員になってくれた方で、北海道に住んでいられる方がみえますが、その方が心配していた通り今年の北海道は雪が多そうです。

雪国に住んでいられる方々は、その年に雪が多いか、少ないかは切実な問題なのでしょうが、全国的に異常現象が起きている現在、雪が異常に降り困難な生活を強いられても頑張っていただくほかありません。(法が拡がっていないので仕方ありません。一日も早く多くの人に法を知らせねばなりません)

最近、スマップの木村たくやが信長をやり、ビートたけしが秀吉(の生まれ変わりと言う設定のようです)をやっいる、トヨタ自動車のCMが流れていますが(トヨタも意味深なCMつくります。そんなCM流すより、早く私のスポンサーになってください。その方が自分たちの本当の使命を果たすことになり、よほど車が売れるようになります)その信長と秀吉の話を高橋先生がGLA誌に書かれたことがあります。

それによりますと、戦国時代は私たちが思っているより(少々他国〔他の藩の意〕とのいさかいはあったにせよ)案外平和で、多くの戦国大名が自分たちの藩内で平和に暮らしていたそうで、信長のように他国を力で征服しようとしていた者などほとんどいなかったそうです。(現実にはそうでしょう。戦国時代の武士は武士とはいえ半農の人たちばかりで、農作期には戦争をしていても皆自国に帰り、米などを収穫していたといいます。兵農分離をしたのは信長が初めてで、兵農分離を行うことによって、戦争を長期で行うことも可能になり、他国侵略も容易に行えるようになったのです)

信長は少し異常な性格で、信長一人が他国侵略に積極的で、他国を荒らしまわり天下統一を狙っていたそうです。

信長を本能寺で殺したのは明智光秀ですが、この本能寺の変は明智光秀の単独犯ではなく、誰か後ろで糸を引いていた者がいたのではないか、とは、よく言われることですが、本当に後ろで糸を引いていた者がいたようで、それが秀吉であったそうです。

秀吉は稀代の謀略家でした。(人をおだてて騙す、ということを平気でやっていたようです。秀吉は人たらしとよく言われますが、実際そのような人物であったようです)

それとは反対に明智光秀は、当時の武将としては珍しく心優しい人だったそうです。

信長の家来である明智光秀は心の優しい武将だったため、信長の行いに大変心を痛めていたのですが、そのことを知っていた秀吉は、ことあるごとに、信長さえいなければ世の中は平和になると、信長の暗殺を光秀に焚きつけていたようです。

本能寺には信長が、家来をあまり連れて行かないということを、秀吉は知っていて、その時がチャンスである、と光秀を煽っていました。

光秀の周りには秀吉の間者がたくさんいたそうで、光秀がいつ信長を襲っても、すぐに情報が秀吉に入るよう手配は万全でした。その秀吉の言葉に乗せられ、ついに光秀は信長を本能寺で殺します。すぐその情報は秀吉に入り、秀吉は小躍りして喜んだことでしょう。

(信長の家来の中で)一番遠くにいた秀吉が、一番早く光秀の元に駆けつけることができたのも、秀吉は光秀が信長を裏切ることを、すでに予想していて、その準備に怠りがなかったからです。(この時の秀吉のすばやい行動を、後世“中国大返し”などと表して、高い評価を世間ではしていますが、実際の中身を知ると引きますよね)

光秀は秀吉が一番に自分のところに駆けつけたものですから、秀吉は自分の味方であると思っていたようで、その秀吉がいきなり戦いを挑んできたため(山崎の戦い)不意をつかれあっという間にやられてしまった、というのが実際の話だそうです。

信長はもちろんですが秀吉もこんな性格であったため、天下は統一しましたが、死後は地獄に堕ちたそうです。(信長を裏切って殺した光秀は、現在天上界の“神界”という世界で平和に暮らしているそうです)

現在の日本では、信長と秀吉は天下を統一した英雄であり、信長を本能寺で殺した明智光秀は、裏切り者のレッテルを貼られ評価も低いのですが、実際の心の世界の評価はまったく逆なのです。(もちろん心の世界の評価が正しいのです)

いくら日本を統一したとはいえ、信長も秀吉も覇道でそれを行ったのですから、それは正しいものではありません。

その点で言えば、同じ天下人でも徳川家康は少し評価が違っているようです。家康は天上界に昇り、すでに現在の日本に生まれ変わってきています。

高橋先生のご著書に書かれてある通り、徳川家康の過去世を持った人とは、俳優でありました故、長谷川一夫氏です。

(祈りのメールが二つほど来て祈らせていただきました。一つは先に書いた北海道の賛助会員の方で、お母様が大変なご病気であるとか、祈らせていただきましたら少し落ち着かれたとのことでお礼をいただきました。もう一人の方は、お友達のお子様〔まだ生後三ヶ月だそうです〕が突然体調を崩され、危険な状態にあるので祈ってくださいとメールが入り、祈らせていただいたら、その後、そのお子様の病状の悪化が止まり、最悪の状態は免れたとメールが入りました。とりあえず私が祈り悪い結果は出ていません。また、私のブログを見ている人で、祈ってほしいというご希望がありましたら、お気軽にメールをください…それに引き換え、どこかのオバちゃんは、どうでもいいようなメールを送ってきています。知らないことを教えてあげたのですから、お礼のメールかと思いましたが…この人たち、お詫びやお礼ということを知らないのでしょうか?…オバちゃん、文殊が現在、肉体を持っていようがいまいが関係ないんですけど)

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12月 15 2011

法を説いてお金を取ることの意味

モーゼ系(モーゼに縁が深いと言う意味です)の人たちは、私をもう相手にしないそうですがブログは読まれるようです。(何か矛盾していますが、笑)多分、相手にしないと書いたのではなく、自分たちの間違いが分かりました、と書いて、メールしてきているつもりなのでしょうが、それに初めて気づいた動揺から書き間違えているようです。(笑)

この人たち、いろいろ分からないことが多いようで、私に、いちゃもんのような質問をされていますが(文句ではなく質問されているんですよね、笑)仕方がないので一つそれに答えておきましょう。(私は新規開拓だけでなく、高橋先生の〔ダメ?〕弟子たちも指導しなければなりません。まったく大変ですが仕方がありませんね、高橋先生の教えを継いでいるのですから)

立川のオバちゃんがやたら私に、法を出しにして、お金を取ることが悪い、お金を取ることが悪い、と言い続けていますので、法を説いているのに、お金を取ることがいいのか、悪いのか、布施はなぜしなければならないのか、その意味を書いておきたいと思います。

法を説いているにもかかわらず、なぜ、お金を取る(寄付してください)と言うことが悪いことなのでしょうか?

この論法でいくと、釈尊もキリストも悪いことをしていたということになり、高橋先生も園頭先生も布施(寄付)は受け取られていましたので、このような方々すべて悪いということになりますが、そのような解釈でよろしいのでしょうか?(もちろん、あなた方が言っているモーゼもです。この方々すべてが、仕事をしながら法を説かれたわけではありませんので)

いいわけありませんね、園頭先生はともかく、立川のオバちゃんたちは、高橋先生や釈尊やキリストの教えを学んでいると称しているのですから、この方々のやられたこと、説かれたことは絶対に間違いはないはずです。(すると、もうこの時点で矛盾していますが、どうされるのでしょうか?)

高橋先生が「私は宗教などで飯を食べません」と言われたのは、今生が、神の教えを説くと言っていながら、神の名を利用して金儲けをする人があまりに多いということが、すでに分かっていられたから、敢えてそのような立場をとって法を説かれたのです。

決して好きでそのような立場を取られたわけではありません。(法を説くこと一本で行きたかったと思いますよ、その方が法はより多くの人に伝わるのであるし、過去世ではすべて悟りを開かれてからは、そのようにされていたはずですから)その証拠に高橋先生は布施を強要されたこともありませんが、布施を拒まれたこともありません。(布施は感謝して受け取っていられたはずです)

法を多くの人に伝える使命を持たれた方は、法を一としなければなりません。(釈尊にしてもキリストにしても、そうされていました)法を伝える使命を持つ者は法を説くことが仕事なのです。それは普通の人が仕事をしていることと同じです。であるならば、仕事をしているのですから、その報酬をもらうのは当たり前のことではないでしょうか。(しかも法を説くという仕事は神の心を説くのですから、神に対する一番の仕事です。つまり、この世で一番尊い仕事なのです)

仕事をしていれば売り先も仕入先もあります。それはどのように形でそうなるにせよ、それはすべて縁が生じているからそうなっているのであり、であるならば、私も縁がある人から法を伝えていき、その人たちにお気持ちだけでいいですから、代金をお支払いください、ということがなぜいけないのでしょうか?法を知るということは、仕事でこの世の利益を得ること以上に、大事なことなのではないでしょうか。

あなたたちは物を作ったり、売買することだけが仕事であり、それ以外のことでお金をもらうのは間違いであると、ただ単純にそう思っているだけで、木を見て森を見ない意見に過ぎないのです。(汗水たらして働くことだけが仕事ではありません。〔もちろんそれはそれで大事なことですが〕法を説くことは仕事ではない、と思っている人も多いかもしれませんが、釈尊やキリストはかすみを食べて生活していたわけではありません。世の中で一番尊い〔人の心を救うという〕仕事をしてその報酬をもらい生活していられたのです。何か心を救うというと形がないので、あまり価値がないように思われる人もいるかもしれませんが、例えば、人はこの世限りと思っていた人があの世もあることを知れば、それだけで死の恐怖は和らぎます。自分や自分の身内が理不尽な目に遭い、泣き寝入りしなければならなくなったとしても、理不尽なことをした人も後で必ず裁かれると知れば、心は幾分軽くなるでしょう。心が救われるということは、どんな物を作ったり、売買するよりも遥かに価値があることなのです)

あなたたちは、高橋先生が言われた「私は宗教などで飯は食べません」という一言だけを取って、私を批判しているのです。(高橋先生の本当のお気持ちも知らずにです)

とはいえ、あなたたちがやっている、仕事をしながら法を勉強するというスタンスは、あなたたちは間違っていません。(だってあなたたちはまだ正しい法を説けないのですから、お金などもらえるわけありません。そんなことをしたらそれこそ詐欺です)しかし、私は違います。私が説いている法は正しいものであって、その証拠にここに書いたことが次々に起きて祈りが現象化しています。(これは私がここに書いていることは正しいという証明です。その証拠にあなたたちには何も起きないのでしょう。それはあなたたちは正しいことを言っていないという証明です…それはあなたたちだけでなく、他の高橋先生の弟子たちも同じですが)

それにすでに私は多くの人に法を伝えています。

今年、総理大臣が代わりましたが、新総理の所信表明演説の時に、新総理は「正しい心」と言われました。こういうことを所信表明演説の時に言われた総理が過去にいたでしょうか?

私の書いているブログは国会議員の何人かの人は読んでいます。(それはテレビで〔総理も含めてですが〕私がここに書いていることを〔わざと喋っているのかもしれませんが〕何人かの国会議員の人たちが喋るからです。国会議員の人たちのブログを読んでいてもそれは分かります)

それにテレビキャスターの人たちも、あるいはドラマでも、明らかにこの人このブログ読んでるな、と思える人が何人もいます。スポーツ選手もそれは同じです。(次回、信長と秀吉のことを書こうと思っていますが、それを書こうと思ったきっかけとなったトヨタのCMもそうです)

私のブログはすでに多くの有名な人たちにも読まれ、その人たちが法を信じつつあります。このような人たちが法を信じ世に伝えたならどうなるのでしょうか?一変に法は世の中に伝わります。

すでにそうなりつつあるのです。それを理解していないのは、あなたたちのような小さな考えに固執した視野の狭い人たちだけです。

天は法が大きく拡がりつつあることをすでに知っています。だから、私の祈ったことを次々に現象化させるのです。(ここに書かれたことの正しさを証明するためです。また、そのようなことが起きているから、そういう人たちも信じるのです)

物の売り買いだけが仕事ではありません。私がやっている“神の心を伝える”という仕事は、これ以上ない仕事なのです。その仕事に協力されるということは、神の子として当然の行為であり、もっとも尊いことである徳を得るという行為でもあるのです。逆に言えば、法を伝えているのにまったく報酬をもらわないということになれば、それは相手の徳をこちらが奪っていることになり(一方に徳が偏ることになりますので)よいことではないのです。神の心ではないのです。(神の心は集中より分配です。これはすべてにいえることなのです)

法を聞いたのなら、そのお返しに布施をしなければならない、それを教えることも大事なことなのです。

私は法を伝え、その証明として次々に現象を世に現しています。あなたたち以上の仕事を私はもうとっくにしているのです。(それに何度も言いますが、ここに書いたこと〔それはすなわち私に起きていること〕は現代の人々だけでなく、後世の人々をも救うことになるのです。私に起きたことは後世、正しい法を勉強すればこのようなことが起きる、という目安になるからです)

その私がお金をくださいと言って何が悪いのでしょうか?分不相応の金を要求する(または出す)ことがいけないのであり、仕事に対する相応の金は受け取らなくてはいけないのです。従って私が私のブログを読んでいる人たちに(私のブログを読み法を知って、救われた人もいるはずですから)お金をください(そんな露骨には言っていませんが)と言うことは悪いことではないのです。むしろ当然の報酬なのです。(もちろん釈尊もキリストもされていたことです)

少しは私のやっていることがモーゼ系の方々にも、ご理解いただけたでしょうか?

私のブログをどうしても読みたい、と言われるのならそれも結構ですし、私に質問したいことがあるのならしていただいても結構なのですが、その質問の仕方が、人をけなすような言い方ではいけません。もっと、辞を低くして謙虚な気持ちで聞いていただかねばなりません。それが当然の礼儀でしょう。こんなこと子供でも知っていますよ。以後気をつけてくださいね。(笑)

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