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12月 13 2011

パワースポット

パワースポットといえば神社などが有名ですが、しかし、そういわれている神社も、その不思議なパワーはほとんどが地獄霊のそれであり、本物の神の光が注がれている場所などそうはありません。

パワースポットの一つであり、信仰の山としても有名な富士山などで、たまに“菩薩を観た”という修行者がいますが、あの富士山で観る菩薩は皆地獄霊(動物霊)が変化したものである、と高橋先生は言われていました。(それだけ今の富士山の霊域は悪いということです)

あの有名な霊場恐山も地獄霊の巣と言った方がいいでしょう。(現在の日本に霊域のいいところなどほとんどありません)

それはそうでしょう、本当の神の教えが全然拡がっていないのですから、日本の霊域がよくなるはずありません。近年、異常現象が連続して起きていることでも、その事実が分かります。

そこにいくと、今私がよく行く“白鳥公園”など神の光が注がれ始めている、といっても過言ではないでしょう。そうでなければ、前回書きましたような、異常な数の鳥など集まってくるはずがありません。

私がよく行くということは、当然、私は神の力を借りなければ不思議な現象が起きないわけだし、その不思議な現象が私には起きているのですから、不思議な現象が起きているということは、それはすなわち私には神の光が注がれているということになるわけだし、その神の光が降り注がれている、私がよく行くということになれば、そこに神の光が降り注ぎ始めても何も不思議ではありません。(むしろ当然です。だから鳥たちも集まるのです)

だからおかしなパワースポットに行くくらいなら、白鳥公園に行って、天に向かい(白鳥公園に神殿も何もありませんので)祈った方がよほど効果があるということになります。(笑)しかし、本当の信仰とはそういうもので、この地球そのものが、すでに神につくられた神殿でありますので、特別なものをつくらなくても、その場その場で祈れば、その祈りは天に伝わるのです。(ただその祈りを天がきいてくれるかどうかは別ですが)

しかし、仮に白鳥公園に神の光が降り注いでいたとしても、残念ではありますが、その光をまともに受けられる人はいないでしょう。それは現在の白鳥公園に来ている誰一人、神の方に心を向けていないからです。

白鳥公園に、毎日マラソンや散歩などに来る爺さんや婆さんたちがいますが(その人たちの何人かは私に鳥がよく集まってくることを知っています)その毎日来ている、その人たちの誰にも、スズメなどが寄っていかない、ということでもその事実が分かります。(エサをやっている人は別ですが)

ある爺さんなど、私が座っていた場所にわざわざ腰掛け、その場所で一時間も二時間も座っていたことがありますが、一羽もスズメが寄ってきませんでした。(私はそれを少しはなれた場所から見ていたことがあります)最初なんで私が座ったところに、この爺さんよく腰掛けるのだろうと不思議でしたが、そのうちに意味が分かりました。私がその場所に座ると、しばらくするとスズメがたくさん寄ってくるので、自分もその場所に座っていればスズメが寄ってくるのではないか、と思い座っていたようです。

しかし、結局その爺さんにスズメが寄ってくることはありませんでした。(よくその爺さんは他の場所にも座って、そこでジッと座り続けていることがありますが、その爺さんの周りにスズメがいるのを見たことがありません。しかし、私は他の場所に座ってもスズメが寄ってきます)

結局、心が違うからです。その爺さんは法を知りません。ということは心をきれいにする方法を知らないので、心は汚れたままで真っ黒でしょう。それではスズメは寄ってきません。少しでも心をきれいにしなければ、臆病なスズメは寄っては来ないのです。(この爺さんなど老い先短いので、このような心のままで死ねば、まず地獄行きです。本当の神の教えを知り心を正さないと、ほとんどの人が死ねば地獄に堕ちるのです)

そこがどれほど霊域のよいところでも、本人の心が汚れていては、その恩恵を受けることはできません。

心をきれいにすることがいかに大事なことなのか、このような現象一つとってもそれは分かります。

パワースポットなどと話題になり、そんな地獄のパワーが充満しているところへ行くよりも、自分の心さえ正せば、本当のパワースポットは自分の周りに出来上がるのです。

(立川のオバちゃん、私を相手にしないだなんだと書いてくる割には、もう私のブログは読まないとは一切書いてきません。〔やはり相当私のブログから法を学んでいるようです〕しかし、我の強い心のままでは、法を心で理解することはできませんし、心が変わらなければ、どれだけ法を知ろうと〔それは頭で知ったに過ぎないのですから〕心は向上しません。だいたいこの人たちのグループ、自らモーゼ系と言っていながら、一方で現象はまったく起きていないといっているのです。モーゼ系なら、現象を出すのが得意な人たちばかりのはずですから、私などより現象が起きていなければいけませんし、現象が起きないと言うのであれば、それは、まったく法を理解していないということが、そのまま現れていることになるのですが、それが分からないのでしょうか?〔私のように法を知っている者からすると、モーゼ系と言いながら、胸を張って何も現象は起きていないと言っているのですから“バカじゃないか”と思ってしまいますが…〕モーゼ系の人たちが現象は起きないと、よく堂々と言えますね…恥ずかしくありませんか?〔何も恥ずかしいことはない、と言われるのであれば本当に法を理解していません〕モーゼも天上界で泣かれていると思います。あなたたちが、私のブログを読みたいのなら読めばいいのですが、心を変えなければまったく意味がありません。この“モーゼ系”の人たち早くそれに気づいてほしいものです)

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12月 11 2011

数々起きる不思議な現象

今、白鳥公園に大変なことが起きています。(というのも少々大袈裟ですが〔笑〕)

最近は私が白鳥公園に行くと、最初はスズメが全然見当たらず「あれ、今日はスズメたちいないな?」と思って座っていると、しばらくするとどこからともなく、あちらから数羽、こちらから数羽とスズメが集まってきて、十~二十分もすると私の周りは数十羽のスズメで一杯になります。(その中には鳩やカラスもいます)

少し前まではスズメたちは、一塊で寄ってきて一塊で動いていたのに、あの鳥たちを祈ってから寄ってくるパターンが変わりました。(笑)

「いろいろ鳥たちの寄ってくるパターンも変わるな」と思っていたのですが、二~三日前のことです。その日は白鳥公園に着くと、すでにあちこちで鳥が鳴いていました。「今日はよく(鳥が)鳴いてるな」と思い、いつも座る場所に腰掛けたのですが、その日はいつもと様子が違っていました。

いつもなら、しばらくするとスズメたちが寄ってくるのですが、その日はすぐに数羽のカラスが飛んできて、私が座っている近くの木に止まりました。その後しばらくすると今度は十数羽の鳩が、私の上空を飛んでいきました。「ン?」と思っていると、またしばらくすると十数羽の鳩が今度は別な方向から飛んできて、私の上空を飛んでいきました。「今日はやけに鳩が多いな?」と思っていたのですが、そう思っていたところに今度は別の一団のカラスが十数羽が飛んできて、私から少し離れた木々に止まりました。

「ン?今日はカラスも多いな」と思っていたのですが、そのうちにスズメがあちこちから私の周りに集まってきて、またいつものようにピーピーやりだしました。

それで私がそのスズメたちの相手をしだしたのですが、しばらくしてフッと気づくと後ろから十数羽の鳩がトコトコ歩いて私の近くにきました。(カラスも少しはなれた木に十数羽、近くの木に数羽止まっています)「あれ?今日はカラスも鳩も多いな」と思って周りを見渡したのですが、周りを見渡してみて驚きました。

なんと私の周り(十~二十メートルほど離れたところ)に、いつの間にか鳩やカラスがたくさんいるのです。そして、その鳩やカラスの何羽かがこちらをチラチラ見ています。

ドキッとして「何だ、この鳥の数は?(汗)」と思いました。

私から少々離れているとはいえ、その数が十や二十ではないのです。鳩やカラスがそれぞれ数十羽はいます。「何でこんなに(鳥が)いるんだ???」周りを見渡してさすがに焦りました。(この数の鳥が私の周りに飛来した日には、さすがに鳥たちに襲われそうですから〔笑〕)

「すごい数だな」と思い、その鳥たちを見渡していたのですが、急にその鳥たちの一部の十数羽(何に驚いたのか知りませんが、鳩の一団だったと思います)が飛び上がりました。するとその飛び上がった十数羽につられたかのように、遠くにいた鳥たちも、私の周りにいた鳥たちも一斉に飛び上がったのです。

数百羽の鳥たちが白鳥公園の上空を覆いました。見上げると物凄い数の鳥たちが白鳥公園の上空を飛んでいます。公園が暗くなるほどでした。(それは大袈裟ですけど〔笑〕)

「すごいな」さすがにその鳥の数を下から見ていて驚きました。(その日、白鳥公園には私以外の人も何十人も来ていましたので、その人たち全員が目にしたと思います)

「前世、鳥使いか」と自分で突っ込んで笑っていましたが、鳥にエサをやっている人もこの公園にはたくさんいますが、そんなエサをやっている人の周りでさえ、スズメや鳩が、せいぜい十数羽くらい集まるのが関の山です。(たまにはスズメが何十羽も集まっている時もありますが)

それなのに一度もエサなどやったことがない私の周りに、何でこんなに鳥が集まってくるのでしょうか?鳥が鳥を呼んでこんなことになっているのか、よく意味が分かりませんが本当に不思議でなりません。(私のことを人より先に鳥が気づいたようです…鳥に気づかれてもしょうがありませんが〔笑〕)

地震にしても大雨にしても台風にしても、それにタイの洪水でもそうですが、ここに書いたことが次々に起きているのですから、よく考えてみれば不思議なことばかりが、最近の私には起きているといえます。

立川のオバちゃんたちは、こういう不思議な現象が何か起きているのでしょうか?文証理証現証(法を文字で残し、正しく伝え、その正しさの証明として起きる奇跡の現象)この三つが揃って初めて正法神理(法)といえるのです。

立川のオバちゃんは自分で何も起きないと言っているのです。それでは、自分たちの勉強しているものは法ではない、と自ら認めているようなものでしょう。そういう人たちが本当の神の教えである法を伝えている(少なくとも私は文証理証現証が揃っています)私に何の意見があると言うのでしょうか?

私が少しおかしいことを書いている?限度を超えたからあなたはあなたの道を行け?笑わせてはいけません。散々人をバカにして、おかしなことを言っているのはあなたであり、限度を超えたから(最初から超えてましたが)あなたはあなたの道を行け、と言いたいのはこちらの方です。

立川のオバちゃんは、私を認めようとしませんが、では何でこの人、私のブログを毎日見ているのでしょうか?私が詐欺師でおかしなことを書いているのであれば、そんな奴のブログを毎日毎日(しかも一日に何度も)見るのはおかしなことでしょう。

あなたが、そのグループから選ばれたから私に意見した?あなた程度の人が選ばれ、しかも名前もメルアドも書かず意見してくるのですから、あなたたちのグループのレベルが分かります。結局あなたたちでは、法がよく分からないから私のブログを読んで、法の勉強をしているのでしょう。だから私のブログを毎日毎日一日に何度も読み返しているのです。(そうでないと言うなら、私のブログなど読まなければいいでしょう。そんな詐欺師のような者が書いたブログを何で毎日読むのですか?)

本当の法を教えてほしいなら、教えてほしいとはっきり言って、今までのことを反省して詫びる、そういう素直な心にならないと、結局、法は心に入っていかないのです。自分がしたことを反省一つせず、やりっぱなしで格好ばかりつけている、そんな我の強い心では理解できないのです。(だからこの人たちは何十年も高橋先生の教えを勉強していながら、現象一つ起きないのです。それは高橋先生の教えを頭だけで理解し、心でまったく理解していない証拠です)

高橋先生の弟子といってもこのような人が多いのです。しかし、私は違います。現在の私には、ここに書いたことを証明するかのごとく、次々に不思議な現象が起きています。

どちらが正しいことを言っているのか、このような現象が証明しています。(このような不思議な現象が頻繁に起きているのは、高橋先生や園頭先生の弟子の中でも私だけでしょう)

私がここに書いていることこそ、本当の神の教えであり、神理であるのです。この法こそ現在肉体を持って生まれているすべての人々が、知らなければならないものなのです。

早く一人でも多くの人が、それに気づいてくださることを願うばかりです。

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12月 09 2011

癒し

不思議なものですね、少し前から前々回のブログまで地震のことをよく書いていたのですが、高速増殖炉の話しを書いてから、あれだけ毎日のように起きていた地震がピタリと止まりました。

どちらにしてもまだ地震は起きるのでしょうが、このような現象を見ても(利権問題などは当然改革しなければいけませんが)高速増殖炉“しゃりほつ”(勝手に名前変えてますけど〔笑〕)の研究は進めた方がいいですし、研究者の心さえ正せば道は必ず開けると思います。

それはともかく、最近二~三の方から相談を受けたのですが、その中の一人の方に「先生は猫の目を癒したことがあるのなら、人も癒せるのではないですか」と聞かれました。

園頭先生は多くの人を癒されました。病気の人に直接光を入れて癒されたこともありますし、あるいは家に電話がかかってきて(光を送ってくださいという)その場で祈り電話の相手の病が癒えてしまったこともあります。(例えば、電話してきた人の子供が急に高熱を発し、園頭先生が祈られた途端その熱が下がったとか、電話してきた人の夫が交通事故を起こして意識不明の重体であったのに、先生が祈られると意識が戻り怪我の治りも異常に早かったとか、こんな奇跡は毎回聞きました)

園頭先生はもしかすると一日に一回くらいの割合で人を癒していたのではないか(すると先生は二十年近くの間、多くの人を癒されましたので、一体どれくらいの人を癒されたのか想像できません)とさえ思えるくらい、大勢の人を癒す奇跡を起こされたのです。私たちはあの怪我がもう治ったとか、こんな難病があっという間に治ってしまった、とかいう奇跡をしょっちゅう聞いていたものですから、奇跡が当たり前のように思えてきて、園頭先生ならそれくらいのことされるだろう、としか当時思っていませんでしたが、今考えると、園頭先生は、ずいぶん不思議な奇跡を次々に起こされていたのだな、と改めて師の偉大さが分かります。

こういうことは、その時はそれほど分からず後になってみないと分からないものだと、今つくづく思いますが…では何で、あれほど多くの奇跡を起こされた園頭先生が、それほど騒がれなかったのでしょうか?やはりそれは(私を含めた)弟子たちがしっかり働かなかった(法の流布を行なわなかった)責任が大きいでしょう。いくら本当の神の教えとはいえ(どれだけ奇跡が起きていても)法の流布は一人の人では無理です。多くの人の力を借りなければやれるものではない、と園頭先生のご苦労を見ても思います。

私が天の力を借りて、どんな奇跡を起こそうと一人では法の流布は無理です。多くの人の力を借りないと法はこの世に拡がらないのです。(立川のオバちゃんたちのグループなど、少し台風のコースがずれたとか、太陽の輪〔太陽に薄い雲がかかった時に起きる大気光学現象です。私たちが意識していないだけでちょくちょく起きています〕が、たまたま研修会などでできていると、大騒ぎして奇跡が起きたと騒いでいるようですが、祈ってそうなったというならまだしも、ただ単にそういうことが起きたというなら、それこそ奇跡でもなんでもない、ただの自然現象でしょう。〔笑〕立川のオバちゃんが私の祈りを否定しているわけがよく分かります。そんな普通に起きている、自然現象を奇跡といって騒いでいるのですから、園頭先生や私に起きている現象など理解できるわけありません。〔それに、そんな奇跡<?>が起きたのも、もう何十年も前の話のようで、最近は何も起きていないようですが…園頭先生は倒れられるまで奇跡を起こし続けていられました〕高橋先生の教えを勉強している割にはなんとスケールの小さい奇跡でしょう。園頭先生や私と比べずいぶん起きる奇跡のレベルが違うようです〔笑〕)

話を元に戻しましょう。

「猫を癒したのなら人も癒せるのではないですか」というご質問でしたが、私は園頭先生の癒しの奇跡を目の当たりにしています。あの奇跡を見ているのに“私も癒せます”とはとても言えそうもありませんが、しかし、私は祈って地震が起きたことも大雨が降ったこともあります。あのタイの洪水まで引いたのなら、私が祈って少々の病なら治せるかもしれません。やれるかどうかは分かりませんが、やってみる価値はあるかもしれません。(私も園頭先生の弟子ですから)

ですから、もし私のブログを見ている方の中で、病気が治らない、あるいはこんな怪我をしたのですがなんとか早く治したいので祈ってください、というご希望がありましたら、連絡いただけば祈らせていただきます。(メールでも電話でも結構です)御代は治ってからで結構です……と書こうと思ったのですが、治るかどうか(人には)やったことないので分かりませんので、お気持ちだけで結構です、にしておきます。(笑)

どちらにしても、そんな奇跡も起こせるならば多くの人を救うこともできます。一度試してほしいと言う人がありましたら、ご連絡ください。

しかし、多くの奇跡を天は起こしてくれました。その天に祈れば癒しの奇跡も必ずや起こしてくださる、と私は信じています。

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12月 07 2011

女性宮家

数日前に女性宮家の問題が議論されていましたが、私はこの女性宮家の創設はしない方がいいと思います。(皇室活動の安定などいろいろ問題はあるにせよです)

一番の問題は「女系天皇」の道を開くことになるからです。「女系」ではいけないのです。日本の天皇の「男系」という伝統は絶対に守られなければならないのです。

なぜ、男系に私がそれほどこだわるのかと言いますと、国の中心は男が勤めないといけないからです。それが法則だからです。

「陽主陰従」というのが、天地の法則であり神理であるのです。

もちろん陽が男で陰が女です。「陽主陰従」とは「左が先に進んで、右が退く」という意味です。神社で拍手を打って礼拝する。この時は左手が先になり右手が一歩退いて手を打ちます。弓を引く時、やはり左手が前に出て右手で弦(つる)を引きます。銃を打つ時も、左手で銃全体を支えて右の指で引き金を引きます。

「前へ進め」と号令をかけると、必ず左足から先に出します。舞台も、正面に向かって左(上座)から役者が出てきて右(下座)に引っ込んでいきます。

すべて左が先で右が後なのです。これは男が先になり女が後になる、ということを現しているのであり、男を先(中心)にしないと不調和になり最後には壊れてしまうのです。この世はそのような法則からなっているからです。

別に私は男女差別をしているわけではありません。男と女は同じ神につくられた神の子です。だからもちろん平等です。しかし、男と女ではつくられた役割が違う、といっているのです。ですから、男は陽で主であるのですから、その役割を果たしてこそ主役になれるのであり、女は陰で従であるのですから、その役割を果たしてこそ主役になれるのです。陽は陽で主役であり、陰は陰で主役なのです。すべての人それぞれが主役なのですが、主役としての使命を果たすには、それぞれの役割をしっかりと知り、それを果たさないと果たせないといっているのです。

これはすべてにいえることなのです。例えばこの大宇宙のすべてのものの運動は左から右に転回しています。

大宇宙の星々も、地球の自転も公転も皆左から右に転回しています。時計の針も同じで左から右へと回ります。ネジも左から右に回すとしまり、右から左に回すとゆるんでしまいます。この世のすべてのことわりは左(男)から右(女)なのです。

この原理を無視するとうまくいかなくなり最後には壊れてしまいます。(大宇宙の星々がある星は左から回り、ある星は右から回ったらどうなるのでしょう。地球の自転や公転がある時は右回りで、ある時は左回りになったらどうなるのでしょう。そんなことになれば宇宙全体は破壊され、地球に住む人を含めたすべての生き物が死に絶えます。ネジでさえ逆に回せばゆるんで外れてしまうのです。女が先に出て男が後からついていくのであれば、それは神理に反しているのですからうまくいかなくなります。夫婦不調和の一番の原因はここにあります。私は前に女が先に口を出してはいけない、と書いたことがありますが、このようことは『古事記』の中に書かれてあります)

この世界は陰と陽の調和によって成り立っているのですから、それが不調和になると存在できなくなります。

大自然の法則に逆らえば、それが国であろうと町であろうと家庭であろうと破壊してしまうのです。世の女性陣には耳の痛い話かもしれませんが法則は法則です。それを知らずに男より先に口ばかり出せば不幸になります。女は口を出すより愛を出さなければならないのであるし、女の控えめさ優しさは神に通ずる美徳であって、そういうことを実践していかないと女の心は向上していかないのです。

男女平等、男女同権などと騒いでいる人たちが、どれだけ神の法則に反しているのか、お分かりいただけると思います。

昔、日本には邪馬台国という国が存在しました。(この邪馬台国がどこにあったのか、九州北部か畿内のどちらかで畿内が有力と言われていますが、どうも九州北部に存在していたようです)この国は女王卑弥呼が治めていましたが、女を王(中心)としてしまったがため、邪馬台国は長くは続かなかったようです。

宇宙には宇宙の中心があり、銀河系宇宙には銀河系宇宙の中心があり、太陽系は太陽を中心として、地球を含めた九つの遊星があって、太陽を中心として回っているのであり、地球には地球の中心があります。すべてのものは法則に従い動いているのです。それは極大な大宇宙から極小の原子核に至るまで皆同じなのです。(原子核でさえ、陽の原子核の回りを陰電子が回っています)

すべてのものには中心があり、その中心を間違えてしまうと、うまくいかなくなります。

日本の中心である天皇陛下は男、つまり「男系」でなければならないのです。そうしなければ神理に反することになり、神理に反することをするのであれば最後は国が滅ぶことになるのです。

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12月 05 2011

本当の未来社会

最近地震が多いのですが、その中でも特に茨城はよく地震が起きています。(ここ十日ほどの間に震度五、三、三という地震が続けて起きました)なぜだろう?と思っていたのですが、その理由が分かりました。

三、四日前に茨城は風力発電にずいぶん力を入れている、ということをテレビでやっていたからです。

別に風力がいけないとは言いませんが、今盛んに言われている自然エネルギーでは、やはりこれからの日本の発展を進める上では、無理があるのではないでしょうか。(だって微々たるものでしょう)

本当の発展した未来社会をつくりたいのであれば、原子力を抜きにしては考えられないのではないでしょうか。

そのような意味で現在、高速増殖炉もんじゅの廃止論が高まっていますが(今日の新聞には国際熱核融合実験炉〔ITER=イーター〕のことも書いてありましたが)いくらトラブル続きであれ、廃止などもってのほかであり、核燃料リサイクルはもっと研究を進めなければならないのです。理由は前に書きましたので、ここでは書きませんが、げんの悪い“もんじゅ”という名前は止めて“しゃりほつ”という名前に変えられ心機一転してやられたらどうでしょう、そうすれば、今度は必ずうまくいくことでしょう。(何せ今度は名前がいいです。本当に智慧があった舎利弗の名から取るのです。天から舎利弗の智慧が降りてくること間違いありません)

どちらにしても原子炉カスは出続けているのです。(相当量溜まってもいますし)この問題はエネルギー問題と合わせて、考えていかなければならないのではないでしょうか。

高速増殖炉計画は構想からすでに五十年も過ぎて、しかもトラブル続きでほとんど動いていない、それに研究費に一兆円を投じたうえ、年二百億円以上の維持費がかかる、だから経済的にも成立しないし実用化のメドも立たない、と新聞には書いてありましたが、そんなことありません。

それはこの世の現状を言っているに過ぎないのであり、天にはすでに、この高速増殖炉を成功させる智慧はあるのであり、それをこの世に実現させなければならない使命を持った人はいるのであり、この計画が実現するのであれば、原子炉カスは一変に減るのであって「発電しながら燃料を生む」夢の原子炉は実現できるのです。だから原子炉の発展を妨げるような、風力発電などに力を入れている茨城に、現在、地震がよく起きているのです。(これも一つの気づきの現象です)

だいたい原子力がほんとにダメなのであれば、天がとっくの昔に潰しています。(この高速増殖炉計画は五十年も前からあったのです。ということは高橋先生も園頭先生もいられた時からあったのですから、そんなに悪いものなら高橋先生や園頭先生が批判していられるはずです。しかし、先生方は原子力がいけないとは一言も言われませんでした。〔もちろん原爆はいけないとは言われましたが〕)

天が原発計画に何も言わないのなら(むしろ脱原発など言った知事のところがひどい目に遭っています)それを進めなければならないし、その計画にどれだけ費用がかかろうが、時間がかかろうが(危険であろうが)絶対に成功させなければならないのです。

現在、近未来の車を紹介する“東京モーターショー”が東京で開催されていますが、この未来の車のことで高橋先生は次のようなことを言われたことがあります。

「これから三十年もすれば車にタイヤはなくなります。今の車は危険すぎます、もっと安全な車ができるでしょう」

高橋先生がこのようなことを言われて、すでに三十年以上が過ぎています。

しかし、今回の東京モーターショーで紹介されている近未来の車をテレビで観ましたが、環境やエネルギーに配慮された車や、安全性を重視した車はありましたが、タイヤのない車はありませんでした。

高橋先生が言われたことが外れたのでしょうか?

そうではありません。高橋先生は三十年先がすでに観えていました。現在タイヤのない車が存在していないということは、本当はもうそのような車が出来ていなければならないのに、そんな車がないのですから、その計画が遅れているということです。(多分、多分です、私は車のことは素人なのでよく分かりませんが、電気や磁気で走る今の超伝導のような車ができるのではないかと想像できます)天にはその計画があるのですが、それがまだ降りてきていないのです。つまり、その使命を果たさなければならない人が、その使命を果たしていないということです。

原子力にせよ車にせよ、まだ、使命を果たすべき人が使命をしっかり果たしていません。だから特に原発など今のような中途半端な(安全性にしてもその能力にしても)ものしかできないのです。しかし、それではいけないのです。使命を果たすべき人がしっかり使命を果たしてこそ、本当に発展した未来社会が開けます。法が拡がっていないのですから仕方がない面もありますが、逆に言えば法が拡がれば、科学も飛躍的に発展するということになります。(様々な天啓を受ける人が増えますので)

であるからこそ、この“法”の流布を急いでいるのです。(どれだけそれを言っても、なかなか理解していただけませんが)

天にある未来社会を、この世に現すため私たちは生まれている、その目的と使命を忘れてはならないのです。

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