3月
22
2010
高橋先生も園頭先生も言われておりますが、自殺するのはよくありません。自殺は悪であり自殺で死んだ人は皆地獄にいきます。しかし、自分がこのまま食事をせずに死ぬことは自殺ではないと思い込んでおりました。自分はやるべきことはすべてやったので、もうこの世にやり残したことはないと信じていたのです。
私は園頭先生が亡くなられてから、高橋先生や園頭先生のことを本に書きました。そうして先生方に教えてもらった法というものも、微力ではありましたが世に広めようと努力しました。今回もそうです。あるプロ野球選手におもしろい現象がでたため、これに乗じて自ら会社を起こし、法を広めようと立ち上がったのですが、わずか半年ばかりで、その夢も終わりました。しかし、この半年の間、自分なりには法を広めたつもりでした。
ホームページを作ってブログを書き、その中にモーゼ、キリスト、釈尊、シャリー・プトラーの真実の姿を書きました。私のブログなど、どれほどの人が読んでくれたか分かりませんが、法に縁があり、心ある人たちはこのブログに書いてあることは事実である、と分かるはずです。私のブログを読んでくれた人たち(それほどの人数ではないと思いますが)の中で、それが分かる人は、それほど多くないにしても必ずいるはずです「その人たちに後は託そう、親に邪魔者扱いされたのも、自分のこの世での使命が終わったからであり、だからこのまま死ぬのも、自分がこの世でやることは終わったのだからそれでよい、これは自殺ではない」とそのように思い「私がいくあの世とはどんな世界なのだろう」とすでに死ぬほうに興味がいっていたのです。
ところがおかしなことが起こります。
私は高橋先生や園頭先生の本を何度も読んでいたので、死ぬことがあまり怖くありませんでした。前にブログにも書きましたが、死後の世界は宗教の世界だけでなく、科学の世界でも認められつつあります。科学でいうエネルギー保存の法則など考えましても、人は死ねば無になるという意見が、いかに矛盾した非科学的な意見か分かっていましたので、あの世はあるし、さほど悪いこともしてないので、それほど悪い世界にはいかないだろうと思っていました。ですから一日も早く死ぬことを願っていたのですが……自分の思いとは裏腹になかなか死ねないのです。
十日たち二十日たってもまだ死ねません。腹が減っているので食べ物のことばかりが頭に浮かんできます。しかも十日も二十日も何も食べていないので、胃の中はカラで、胃液が逆流してきて気持ち悪くて仕方ありません。吐き気がするのですが胃の中はカラッポなので吐いても何もでてきません。水を飲むと気持ちが悪いのも少し収まりますが、それも少しの間だけで、すぐ気持ちが悪くなります。
頭には、あれが食べたいこれが食べたいと、食べ物のことばかり浮かんでくるのに、体は胃液が上がってきて気持ち悪くて仕方ないのです。この生き地獄のような日々が毎日続いていました。
一体いつまでこの気持ちの悪い状態が続くのかと、気分は最悪でした。早く楽になりたいと毎日死ぬことばかり考えていました。この頃には外は寒いので公園のトイレの中で過ごしていました。
平成二十一年も暮れ新しい年が始まろうとしていました。平成二十二年を公園のトイレで迎えるとは夢にも思いませんでしたが、食事を抜くようになってすでに一ヶ月が過ぎようとしていました。
3月
22
2010
最初私は、一週間か十日ほど食べずにいれば餓死するだろうと軽く考えていました。もう寝る場所もありませんので、公園で寝るしかありません。しかし、どの公園に行ってもホームレスがいます。こんな寒空によく外で寝られるものとあきれました。もう平成二十一年も師走に入っていました。
しかし、腹は減っているのですが外でなど夜は寒くて眠れないし、昼はやることもないので暇で仕方ありません。昼に寝ようと思っても十二月では昼でも寒く、そんなに寝れるものでもありません。
そのときフッと思い立ったことがありました。私はあるプロ野球選手にアドバイスをしたことがありました。しかし、その選手とは直接話したことがありませんでした。近くにその選手が所属する球団の野球場があります。もしかしたらその選手が自主トレに来ているかもしれないと思い、その球場に行ってみることにしました。もしその選手がきていれば冥土の土産に少し話でもできないかと思ったからです。
球場について駐車場のところから中をうかがいましたが、誰が練習に来ているのかよく分かりません。どうせ暇なのでそこで待ってみることにしました。すると何人かの選手は球場から出てきましたが、私が目当てとする選手ではありません。何時間かそこにいましたが、私の目当てとする選手はきてなさそうだったので、その日は帰りました。(といっても公園で野宿ですが)
二日、三日と、その球場に通いましたが目当ての選手は現れませんでした。もうどの選手でもいいから法というものを少しでも伝えたいと思い、出てきた二、三人の選手に声をかけてみましたが、無視する選手やら生意気な態度をとる選手ばかりで、話すところまでいきません。
実際に声をかけてみると、どの選手も同じようなものかとも思い、目当ての選手がきて話しかけても、無視されたり生意気な態度をとられたら幻滅です。このまま会わずにいる方がよいかもしれないと思い直し、その球場に行くのをやめました。
一週間も食事をしないと、腹が減っているので食べ物のことばかり頭に浮かんできて、体はだるく、少し歩いただけで息が切れ心臓もあぶってきます。もう死ぬのも近いのかもしれないと思えてきました。
3月
20
2010
親からも邪魔者扱いされた者が考えることは、一つしかありません。それは“死”ということです。
私は自分の祖母が亡くなってから死というものがどういうことであるのか、ずっと考えてきました。
“人が死ぬということは怖くて不幸なことである”
身内である祖母が亡くなってからというもの、死ということを身近に感じ「死が怖くて不幸なことなら、なぜ私たちは生まれてきたのだろう、どれだけ長生きをしたところで、最後の死が不幸だということなら、すべての人間は皆不幸ということになり、生まれてきたこと自体すでに不幸であり、死ぬのが怖いと思いながら長く生きても、決して幸せではないのではないか」と死に対する疑問ばかりが出てきて、どうしようもありませんでした。
その死への疑問と恐怖が高橋先生の本を読むことでなくなっていき、園頭先生にいろいろ教えていただいたことにより、生きることも幸せなら死んでいくことまた幸せであるということが分かりました。このような方々の教えは多くの人に知ってもらったほうがよいと、本まで書いて努力してきました。
しかし、親にまで邪魔者扱いされた瞬間、生きる気持ちがなくなってしまったのです。
私はもう二度と実家に戻ることはないと決め、この日より食事を取ることをやめます。この体は親からいただいたものであるが魂(心)は別です。心は神からいただいたものであり、肉体をいただいた親が自分を邪魔者扱いするのであれば、この心と肉体のすべてを天に帰そうと思いました。この世にいることが親の迷惑になるのなら、自分はもうこの世を去ろうと決心したのです。
幸い私は結婚しているわけではありませんでした。これまで好きな女性がいなかったわけではありませんが、何か結婚するのはいやだという気持ちがあり、好きな女性ができても結婚ということまでは、考えてきませんでした。親が一度離婚しているということも影響していたかも知れませんが、結局この歳まで結婚しないでいました。
今の状況を考えるとそのほうがよかったと思えました。妻や子がいて、それをほっておいて死ぬわけにはいきません。そういう点では気は楽でした。それに住む場所がなく働くことができないというのであれば、借金を返すこともできません。借金を返すことができないのなら、おめおめホームレスなどして生きるより、死んで詫びたほうがよいとも思えました。
どちらにせよ死ぬしかないなと思い至り、もう一切食事をすることなく体が衰えるのを待つことにしたのです。
3月
19
2010
九月の末に愛知県で女子プロゴルフのトーナメントが開催されました。この頃は、もう仕事が続けられそうもないことが分かっていましたので、女子のゴルフトーナメントを見に行くのも、これが最後になるだろうな、という思いで苦しかったのですが見に行くことにしました。なぜ苦しいのに見に行ったのかといえば、私はプロ野球の選手にもアドバイスしたことがありましたので、プロゴルフの選手にもアドバイスできるだろうと思い、やはり四月に静岡で女子プロトーナメントが行われた時、地元愛知出身の二選手に名刺を渡したことで、思い入れもあったからです。
結局この二選手がGTS心の研究所に来てくれることはありませんでした。私のような無名な者が名刺を渡しても、こないのが当たり前といえば当たり前なのですが、残念といえば残念でした。私自身もプロ野球選手のときのように、この二選手が、私のアドバイスでどのように変わるのか、見てみたい気もあったからです。
そういうこともあったなと思いながら、そのトーナメントを見ておりました。
トーナメントも終わると現実に戻ります。これからどうしようかと悩んでおりましたが、いつまでも悩んでいても仕方ありません。借金もあることだし、とにかく働くしかないと思い、住む場所もなくなっていたので実家の父に相談に行きました。私の荷物も実家においてあったからです。
GTS心の研究所を九月末で廃業してから、ちょくちょく実家に帰り父に今後のことを相談していたのですが、よい話はでてきませんでした。家賃が払えなくなり借りていた借家を出たものですから、現在は住所不定無職ということになり、住む場所がないと働こうにも働けません。何とか実家に住まわせてほしいと父に頼みましたが、駅にでも寝てこいというばかりで住むことを許してくれません。
何とか住まわせてもらおうとこの日も実家に頼みに行きました。昼ごろ行ったのですが玄関には鍵がかかっています。チャイムを鳴らしましたが父が出てくる気配はありません。しかし、家の中からはテレビの音が聞こえ父が中にいるのは分かります。この時間は父は家で昼飯を食べていますので、誰もいないとは思えません。しかし、何度チャイムを鳴らしても出てこないのです。
どうも故意に無視しているようなのです。私が何度も実家に行ったのがよくなかったのでしょう。親にまで邪魔者扱いされ、私の進むべき道はなくなっていきました。
そして親にまで邪魔者扱いされたこのとき、私はある決心をしたのです。
3月
17
2010
このGTS心の研究所のホームページを消していた半年の間、今まで経験したことのない大変な体験をすることになりました。自分の恥でもある、このようなことをブログに書くべきか悩みましたが、自分自身がこのことを忘れないためにも、書いておくことにしました。
平成二十一年二月、このGTS心の研究所を立ち上げましたが、思ったほど人が来ず毎月赤字が続きました。名刺をあちこち配ったり、このホームページを立ち上げていろいろ宣伝したりもしましたが、結局黒字になるほど人が来ることはありませんでした。毎月赤字なので、あちこちから借金をするしかありません。しかし、借金をしたところで人が来なければ返済どころではありません。その年の九月の時点で、もう運転資金に行き詰まり、廃業するしかありませんでした。
わずか半年で自分がやりたいと思っていた仕事を止めざるを得ない、悔しさと情けなさでどうしようもありませんでした。しかし、どうすることもできません。それから一ヶ月、自分でいろいろやってみましたが、仕事が増えるということはありませんでした。
仕事はなくなり借金だけが残りました。しかし、「師から教えていただいたことを、一人でも多くの人に伝えたい」その気持ちだけは強くありました。
何とかお金をもう少し借りれないかと、親に頼みにいきましたが、すでに父からは二百万ほど借りています。これ以上は貸せないということになり、私もそれ以上無理もいえないので、恥を忍んで知り合いのところを回りましたが、貸してくれる人はありません。万策つき、もうやりようがありませんでした。金が払えないので借りていた家から出て、仕事をしていた事務所も出ざるを得ません。
「師から教えてもらった<法>を多くの人に伝えよう」そんな希望を持ってはじめた仕事が、わずか半年でだめになってしまうとは……。惨憺たる結果に、この先どうしたらいいのだろうと思い悩む日が続きました。