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2014年1月

1月 11 2014

新興宗教のおかしさ③

この辺り本当にサイレンが凄いです。(ほんとよく聞こえてきます)

やってはいけないことをやったり、やらなければいけない当たり前のことをやらないから、このような恐ろしい現象が起きてくるんですが、どれだけそれをいっても分からないようです。(怒っている人多いですから)

では、それが分かるまで待つしかありません。早くご理解ください。そうしないとこの現象、止めようがありません。

新興宗教のおかしさの続きを書きましょう。同じく園頭先生のご著書「正法と現代宗教」より抜粋します。

<天理教は教祖中山みきが、明治政府を高山に、民衆を谷底の人としてとらえ、政府攻撃をして弾圧された。「学者と金持ちはあとまわし」と民衆を味方とし、天理王命を宇宙創造神と偽称して、世直しの実現を保証する甘露台といい、本部の所在地を地場(じば)、親里(おやさと)として、社会の底辺にあって苦しむ人々を信者として拡大し、金光教の金の神は金儲けの神様であるということにされて都市部へ発展していった。その後を追って大本(おおもと)教が出現した。

大本教

大本教の教祖は京都綾部の貧しい大工の未亡人、出口ナオである。娘の発狂をきっかけに明治二十五年「艮の金神」(うしとらのこんじん)がかかったとして「おふでさき」を書き始めた。明治二十六年から金光教の布教師となって病気治しの祈禱をするが永続きせず、明治三十年金光教から離れ、三十二年イナリ行者の上田喜三郎と共同してから活動も漸(ようや)く活発となる。三十三年、ナオの婿養子となって出口王仁三郎と命名し、大正六年「皇道大本」と称し、第一次世界大戦後のインフレによる不景気に悩む民衆に対し、世直しを説く。全国的に信者が増え、軍人や知識階級の中にもひろがり、大きく発展することに脅威を感じた政府は、竹槍十万本その他武器を隠しているとか、女性の信者を暴行したとか、警察がデマを流して不敬罪で逮捕し、昭和二年今上天皇即位による大赦で無罪となる。

王仁三郎は、教団名を「大本」と改めて教団再建に着手、出口ナオの「おふでさき」ー神の出現による「世の立て替え」を伏せて、大正十年頃から書き始めた『霊界物語』を前面に出して布教した。

『霊界物語』は、神道、仏教、キリスト教の教理により、すべての宗教の根本は一つであり、その大本を教理とするものであることを、物語形式で書いたもので、王仁三郎が口述するのを筆写したのが、後に生長の家教祖となる谷口雅春である。

        (中  略)

王仁三郎が、神道、仏教、キリスト教の真理は大本で一つであるといったことは正しかったが、祭神を「艮の金神」といい、呪術祈禱的な傾向があり、また常人離れした奇矯な言動があったこともあり、その呪術祈禱師的な面と予言者的な面が表に出て、すべての宗教は一つであると説いたことは広く理解されるに至らなかった。

        (中  略)

『霊界物語』は、全宇宙の過去、現在、未来、日本の敗戦、天皇の「人間宣言」等、日本の将来についても予言している予言書であるといわれているが、現界に起こることはその以前に霊界に現れ、霊界でまず起こったことが、ある時間経過の後に現界に現れるので、霊界と現界は照合していると説いている。これは、注目すべきことである。

大本教の使命は、宗教改革の前駆とし、また、霊的運動をとおしてのみ世界の平和は実現するものであることと、その霊的運動の中心は日本であることも知らせることにあった。

王仁三郎は遺書の中に、世界を霊的指導原理によって再編する人物が、すでに肉体を持っているかもしれないと書いている。それが高橋信次先生であったと私は思う。だから高橋先生は「出口王仁三郎は、日本の宗教の誤りを覚醒させる使命を持って生まれてきた菩薩界の人であった」といっていられた。

それは、それだけの使命であり、神道、仏教、キリスト教の真理が一つであることを示しはしたが「法」が説かれていないために、現在の大本教には法の実践が説かれていないのである。そこに大本教の欠陥がある。>

世に予言者といわれる人がいますが、その予言がなぜ当たるかと申しますと、この世に実現する前に、あの世にそれが現れるからです。それをあの世の人(天使か悪魔か分かりませんが、それを受ける人の心によります)に教えられ、それを予言者といわれる人は語っているのです。

この予言の仕組み、神道、仏教、キリスト教の真理は一つであること、世界の平和は霊的運動によってのみ実現すること、その霊的指導原理によって再編できる人物が生まれていること、そうして、その霊的運動の中心は日本であること、このようなことはすべて正しいのです。

このことを世に伝えるため菩薩界より、この世に生まれてきたのが、この出口王仁三郎という人であったのです。

しかし、それはそれだけの使命であり、神道、仏教、キリスト教などの宗教を統一し、世界平和を霊的運動で実現できる、霊的指導者は(悟りを開かれた)高橋先生であり、園頭先生であったわけです。

その神の計画、天の計画が、遅れに遅れ、現在に至っているわけですが、それだけ神の計画をこの世に実現することは難しいのです。

高橋先生と園頭先生は亡くなられましたが、その意志を継いでいる者はいます。

世界平和を実現する霊的運動の中心は日本であるのです。それをいつまでもしようとしないから、現在の日本は毎日のように異常現象が起き続けているのです。

日本の人たちは、自分たちの使命の大きさに早く気づかなければいけないのです。

(だから私は、日本には大きな使命がある、といっているのです。だから、これほどの異常現象が現在の日本に現れているのです)

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1月 10 2014

愛ある現象

今日のブログは、新興宗教のおかしさの③を書こうと思ったのですが、急遽変えます。

というのも、昨日たまたま前のブログを読んでいましたら、この名古屋で起きている救急車のサイレンが、いつ頃から始まったのか分かったからです。

この現象、前より起きるのが激しくなっています。ですから、こちらの件を今日は書くことにします。

この名古屋で起きている現象(救急車のサイレン)これが始まったのは、2012年の十月からです。

その2012年の十月のはじめから始まりました。ですからもう一年と三ヶ月、この現象が出続けているということです。

信じられませんね、一年以上の間、毎日です。毎日何十人もの人が救急車で運ばれていくのです。(実際一日に、何人の人が運ばれているのか知りませんが、名古屋の人がよそより多いのは確実でしょう。これだけ救急車のサイレンが聞こえてくるのですから)

そればかりか、最近はこの現象がさらに激しくなっています。

私は、最近のブログで新興宗教のことを書いていますが、悪魔もこのようなことを起こします。教祖といわれる人たちの周辺で不幸が続いたり、憑いてきたものが、いうことを聞かないと病気にさせるぞと脅したりです。

しかし、私に起きていることは、このような現象とはまったく異なるのです。

そうではないでしょうか、同じようなことが起きているといっても、今起きている現象は規模がまったく違うのです。私の周辺で不幸が起きている、というレベルではなく、名古屋中で不幸が起きているのです。

それに、このようなことが起きてきた原因は、私が周りの人を脅して一方的に起きてきた現象ではないのです。

私が、神の心とはこういうものです。それを行う時が来ていますので、そのような心と行いをしてください、といっているだけなのに、それに反発する人が多く、そのような人たちが、私に嫌がらせを始めたことが原因で起きはじめたことなのです。

それに、このブログを読んでいても、多くの人が感謝一つしないのです。自分が知らないことをたくさん教えてもらったにもかかわらずです。

私は、先のブログの中に、財や地位を捨てることと宗教的悟りは関係ないと書きましたが、しかし、知らないことをいろいろ教えてもらい、何の感謝の心も現そうとしないのは、いくらなんでも厚かましさの度がすぎています。

やはり、そういう人に対しては、何らかの報恩の行為は行うべきなのです。(それでは、人から、あれこれ施しを受けているのに、何のお返しもしないのと同じことなのですから。自分の父や母、あるいは大変お世話になった人に、何のお返しもしないということが考えられるでしょうか?何らかのお返しは誰でもされるはずです。それと同じなのです。この世に生まれても、めったに知ることができないことを教えてもらったのです。その人にお返しの行為は当然するべきなのです)

このようなことを考えますと、今起きている現象は、私が起こしている、または、私に憑いている悪魔が起こしているというよりも、周りの多くの人の至らなさが原因で起きている、気づきの現象であると思われないでしょうか。

その証拠に、もし、悪魔が起こしている業であるなら、もっと恐怖が支配するはずです。しかし、この名古屋で起きている業は、畏れることはあっても、恐怖が支配しているという状況ではありません。

これほどの現象が起きているのに、誰も恐怖心があまりわいてこないのです。(何せ小学生や幼稚園の子供まで、私の方にわざわざ寄ってきて嫌がらせしていくくらいです。全然、私のこと怖がってません)

それはなぜか?

これこそ神が、天上界にいられる大天使たちが、起こしている現象の証拠であるのです。大天使が起こす、その現象には必ず愛があります。その愛ある現象のために、その現象がどれほど激しく起ころうと、恐怖だけが支配しないのです。大天使たちの愛の心が、その現象の中にこめられているため、その愛の力が多くの人々の心の恐怖を和らげるのです。その心を癒すのです。

だから多くの人が、これほどの現象が起きているにもかかわらず、それほどの恐怖を感じないのです。

しかし、もし、悪魔がこれほどの現象を起こしたのなら、それは想像を絶するほどの恐怖が人々の心に生ずるでしょう。この名古屋で起きている現象を、悪魔が起こしているのであれば、もう多くの人々は恐れしかなくなるのです。(それは、何かの祟りとか、あるいは外国でよくある、ポルターガイスト現象など知れば分かります。あの程度の現象でさえ、皆、恐怖しか感じないのです。その場所の雰囲気がまったく違うからです。あれこそ地獄の雰囲気そのままです。悪魔が起こす現象は愛も慈悲もありません。恐怖しかないのです)

こう考えるのであれば、今起きている現象は神が(大天使たちが)起こしている現象なのでしょうか?それとも悪魔が起こしている現象なのでしょうか?

そうして、その異常現象の起きている原因は、私なのでしょうか?それとも私のことを知っている多くの人たちなのでしょうか?

もう答えは明白なのではないでしょうか。あえていいませんが。(いったところで認めない人は認めませんので)

しかし、私が心を入れかえるか、それとも多くの人たちが心を入れかえるかしなければ、日本に起きている、この異常現象は収まりません。

名古屋のサイレンも止まりませんが、今日から日本に異常寒波も入ってきます。

これだけ災いが続いているのです。何かを変える他ないのです。

追伸…前から気になっていたのですが、一方的な見方の軽口はやめた方がいいのではないでしょうか。そうしないと、今回のことくらいではすまなくなります。お気をつけください。

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1月 09 2014

新興宗教のおかしさ②

昨夜、この前書きました静岡の方からメールをいただきました。(何か急に原因不明の停電があったそうですが)

しかし、救急車のサイレンは全然してこないそうです。ずいぶん違うんですね、名古屋など昨日も(午前中はそうでもなかったんですが)午後の三時過ぎくらいからでしょうか、救急車のサイレンが響きだし、その後、夜中までずっと聞こえていた感じでした。

今日も朝からすでに何度も聞こえてきています。やはり名古屋は祟られているようです。よその都道府県の方々もお気をつけください。

その祟り、あまりにトンチンカンなことをいっていると始まるかもしれません。

それはともかく、新興宗教のおかしさの続きを書きましょう。次は金光教を書きます。これも園頭先生のご著書「正法と現代宗教」より抜粋します。

<金光教の創始者、金光大神は、明治維新の二十五年前、岡山県に香取源七という名で生まれた。十二歳の時、川手家の養子となり川手文治と改名し、さらに赤沢文治と改名し、明治初年戸籍法が制定された時に、姓を金光、名を大神と届け、金光大神となった。

金光教の主宰神は「天地金乃神」で、金光大神はそれを宇宙創造の神だと信じていたふしがある。

金神は、古代中国の陰陽五行説の神の一つで、日本でははやくから祟り神として信仰され、方角、日の吉凶によって運命が左右され、特に金神の方角を犯すと祟りがあるといい、金神除け、金神封じの祈禱を山伏などがやっていた。

まだ金光大神と名乗らないで赤坂文治と名乗っていた頃、文治の周辺には不幸が続き、弟も金神の祟りだといって気狂いになる。その弟に憑ってきた金神と、文治が直接問答するというところから金光教は出発するのである。

その内に突然文治の口からも、金乃神がものをいわせた。

「まあ煙草を一服せよ。公儀のお役所でも煙草はある」。「煙草」とは休憩の意味である。

「神様が踊れといわれるから踊る。歌えとおっしゃるから歌う。麦を乾しておっても、天気なのに『雨が降るから入れい』とおっしゃるから入ると、ざっと降ってくる。なんでも信心は、神様のことを疑わぬで馬鹿になってしなされ」(『理解』五八)

金光教祖の『理解』をみると、これに類することがたくさん書いてある。

金光大神と名乗るまで不幸の連続であった。子供が疱瘡(ほうそう)をした時、金乃神のお知らせがあった。

「今朝、疱瘡でないといったのは安心させるためにいったのだ。よその家では下の子から上の子へと疱瘡がうつるが、この家では上の子から下の子へとうつさせるぞ。その方には、金乃神の広前(神前のこと)を勤めさせねばならないから、祇園宮のことはしてはならない。祇園宮には、毎日、御膳、香、花をあげ、朝夕、御馳走に『六根清浄』と『般若心経』をあげさせよ」というのである。

本人や家族を病気や不幸にして、自分をまつらないと困ったことになるぞというような恐怖心を与えるものが正しい神であろうか。

正しい神は恐怖心を与えない。心の安らぎを与える。恐怖心を与えるのは動物霊である。

やがて文治は、金乃神から「文治大明神」の名を与えられ、安政六年十月二十一日、麦まきが終わって金乃神に感謝のお礼を言上すると「麦まきが終わり、安心いたした。色紙を五枚、買うてこい」とお告げがあり「幣を切れ。幣の串は曲尺(かねじゃく)で二尺五寸、そのようにつくって神前にあげよ」。そうして幣をつくって「金乃神さま、これでいいですか、お改めください」と願ったら「これからのちは取り次ぎに専念せよ」との重大なお知らせがあって、金光教ではこの日を立教の日としているのである。>

取次ぎとは、信者の願いを届け、神のお告げを信者に伝えることですが、このお取次ぎによって、金光教の信者は増えていきます。

天理教が天理王命といったり、この金光教が天地金乃神といっている神は、宇宙創造の神ではありません。

はっきりいって何の神かさっぱり分からないのです。(神ではなく悪魔かもしれないということです)

この金光教の神も天理教同様、自分のいうことをきかないと不幸になると脅しているのです。こういう言い方をするのは、神ではなく、ほぼ間違いなく悪魔(地獄霊)です。

ということは、この金光教もやはり教祖が悟りを開き始めたものではなく、何の神か分からないものが憑いてきて、それで始めたものです。いってることのおかしさを考えますと、憑いてきたものは、悪魔に間違いありませんので、その教義は正しいものではないということです。

園頭先生は、この金乃神のことを動物霊といわれていますが、このような何が憑いてきているのか分からないようなものを、すぐ信じてはならないのです。

高橋先生は「私のいうことでもすぐ信じてはいけません。疑って疑って、もうこれ以上、疑う余地がないと思ったら、はじめて信じなさい」といわれていました。

また「自分が見えて、聞こえて、話せたら信じなさい」ともいわれていました。

得体の知れないものをすぐ信じてはならないのです。

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1月 08 2014

新興宗教のおかしさ①

園頭先生のご著書「正法と現代宗教」より抜粋します。

<天理教

教祖中山みきを信仰に駆りたてたのは、夫、善兵衛の浪費と遊び、それに次女、三女を次々に失い、長男が病気したのが縁であった。

医療の効果のないのに見切りをつけて、祈禱師、呪術師の家を廻る。その中に山伏の市兵衛がいた。ある時巫女(みこ)がいなかったので、市兵衛は代わりにみきを坐らせた。市兵衛が護摩を焚き、陀羅尼を誦するうちに、みきが突然、神がかりになった。それは天保九年十月二十三日のことである。

            (中  略)

みきに乗り移った神がいった。「中山家の屋敷、みき、こかん(五女)母子を神に差し出せ。そうすればあらゆる人々を救うが、でなければ家屋敷をこなごなにこわしてしまう」

と託宣があった。

そこで集まっていた親族と夫の善兵衛が相談して、

「小児もおり、家事に差し支えもあるので差し上げられません」

と答えると、みきは手にしたご幣を打ち振って、みき自身、血が出るほど畳に頭をすりつけ、狂乱の態になり、三日三晩それが続いた。やむなく善兵衛が「差し上げます」と答えると、ようやく、みきは静かになった。天保九年十月二十六日である。この日が天理教の開教日となっている。

正しい神が啓示される時「いうことを聞かないと殺す」という脅迫をしたり、あるいは半狂乱にさせるようなことをされるであろうか。

その後、しばしば神がかり状態になって、みき自身も自殺を図ったりし、夫善兵衛が亡くなると、屋敷を売って隠居所に移り、布教をはじめた。>

この天理教をつくった中山みきという人は、自分が神がかりとなり、最初は祈祷師として布教を始めたのです。(大阪に出向いて街角で布教を始めたそうですが、この時拍子を叩いて「南無 転輪王」(なむ てんりんおう)と唱えます。これが天理教の“においがけ”〔布教〕のはじまりといわれています)

安産の守護、疫病神のお祓いをする拝み屋として、近隣に信者を広げていきますが、信者が増えるに従い、近辺の僧侶、山伏、祈禱師からの圧迫が強くなり、神道側か仏教側か、どちらかの傘下に入らなければならないということになって、それまでは仏教的な「南無 転輪王」という題目を唱えていたのを、神道式の「悪しきを祓うて、助けたまえ、転輪王のみこと」に改めます。

はじめ転輪王とは、本体が阿弥陀仏で、天から転宝を感得し、世界を統治する大王と説明していたのが、転輪王のみことになり、それが「天理王命」といわれるようになっていき、仏教的にやっていた行事も神道式に変わっていくのです。

このように考えますと、この中山みきという人はやっていることに一貫性がありません。(教えがコロコロ変わってしまっては、正しい教えとはいいません)

それに一番の問題は、この人は悟りを開いて布教を始めたわけではないということです。

神がかりになって始めたのですが、この神がかりという現象を、すぐに神がかかったと思うのは間違いなのです。

それはこの人の行いを見れば分かると思います。正しい神が啓示される時に「いうことを聞かないと家屋敷をこわす」とか半狂乱になるようなことをされるでしょうか?

明らかに、神のされる行いとは異質なように感じますが、そこはどうなんでしょうか?

この人に憑いたのは神ではなく、悪魔だったのです。だから、このようなこと(普通の人から見たら、とてもまともではないようなことです。この人は自殺まで図っているのです。現在の精神異常の人たちとやってること変わりません)をしてもさして不思議ではないですし、いうことをコロコロ変えようと、あまり関係がないのです。正しい教えを説いているわけではないからです。

天理教は、このみきという人の神がかり(実際は悪魔がかり)に見られますように、正しい神の啓示から始められたわけではありませんでした。(二代目の中山正善の才覚により爆発的に天理教は拡がっていきますが)

ですから、天理教の信者は昔もそうであるし、現在も先祖伝来の土地を売って寄付するという人が後を絶たず、無一文になってしまう人がたくさんいるのです。(財産も地位も捨てて、助け一筋の暮らしに入れば、生活が安定するとかなんとか教えてです。しかし、財や地位を捨てることと、宗教的悟りは何も関係ありません。高橋先生や園頭先生は財も何も捨てずに悟られました)

その教えが間違っているからです。正しい真理を説いているわけではないからです。

このように教団が始まった動機、そうして教えている内容、それをしっかり吟味しないと、大教団だというだけで、その教えが正しいかどうかは分かりません。

しかし、不幸な人がたくさん出ている、そんな教団は明らかにおかしいのです。

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1月 07 2014

既成宗教の堕落

何か凄いことになりはじめたようです。サイレンが止まりません。

今日も朝から、少しくらいの間をおいてずっとサイレンがしているようですし、昨日もそんな感じでした。(昨夜など、ずっとしていたような感じもしますし…また火事でもあったんでしょうか?)

これは本当に、恐ろしいことが起こりはじめましたが(今年に入り、また一段とサイレンが増えたようです)どうもこの現象は、名古屋に起きているだけのようです。

というのも、静岡の方からメールをもらい(その方、私のブログを読んで教育研究会未来を辞められたそうです)もしそちらでも、おかしなことが起きているようでしたら教えてください、とメールを送ったのですが、分かりました、くらいの返事しかありませんでした。

ということは、まだ静岡の辺りでは、たいして変わったことが起きていないということです。

では、これほどの現象が出ているのは、名古屋だけということになります。

名古屋の皆さんはやはり祟られているようです。名古屋の人たちは、その心当たりがあると思います。では、その逆のことをやれば、この現象は収まるはずですし、また、これほどの現象が現れているのですから、逆の行為をより以上に行うのであれば、今と逆の現象が現れるはずです。(災いの逆の現象とは、誰でも分かると思いますが奇跡です)

それをするしかないのではないでしょうか?それ以外、この現象を止める手立てはないのです。(どんな高名な宗教家も知識のある人でも、この現象を止められないのです。というか、誰もアドバイス一つしません。〔ということは止め方が分からないということです〕では、私のいうことを聞くしかないのではないでしょうか)

どこかの国ではないのですから、いつまでも突っ張っていても仕方ありません。(起きる現象が激しくなっています。突っ張っていては命にかかわります)もう心を変えるしか救われる道はないのです。(どこの国とはいいませんが、一国の総理が対話を求めているのに、それに突っ張って、いつまでも話をしようとしないのは、その国の度量を疑われます。〔個人と個人のけんかではないんですから〕対話をしようとしなければ何も解決しません。両国の〔両国だけではありませんが〕国益がかかっているのです。まず、対話を始めるべきではないでしょうか)

名古屋に、これほどの現象が現れていますので、どうしてもその話が中心になりますが、昨日のブログの続きを書きましょう。

現在している、お寺参り(仏像にお参りしたり、縁日などでお札売り、ご開帳などなど)や葬式、お墓参りなど、その時の国の政策(徳川幕府が決めた檀家制度などまさにそれです)か寺社の商売として(自分たちの生活のためだけなのですから、商売をしているのと同じでしょう。葬式仏教、観光仏教といわれる所以です)やってるだけなのですから、それをどれだけしても、自分の徳にもならなければ神の業も鎮まりません。(現実にそういうことをしている人たちが、名古屋では次々に病院に運ばれたり、火事を起こしたりしているのです。では仏像に祈っても、お札を家に貼っても、それで守られるわけでも何でもないということになります)

逆に、それは正しい信仰ではないのですから、そんなことをしていてはますます神の業はひどくなります。(現実にそうなっています)

そのような事実が名古屋にまともに現れているのです。(この名古屋に現れている現象で、現在の信仰の間違いを理解しないといけないのです。坊さんなどがよい話をするといっても、よく聞いてみてください。それは道徳的なことをいっているに過ぎないのです。そういう話を聞いても、人格の向上にはなりますが、それで救われることはありません。本当の神や霊のことを知らないのですから、当然そんな話にしかならないのですが、神、霊の話まで聞いて、それを心でしっかり理解してはじめて救われるのです。今の坊さんたちの話だけでは真に救われることはないのです)

現在は、神のこと思わない人が多いばかりか、神のことを思っている人たちでも、正しい信仰をしていないのです。(お寺参りなどして、線香を上げて仏像に祈り、道徳の話を聞いてそれで満足しているのですから)それでは神の業は収まりません。ひどくしかならないでしょう。

これは現在だけの話というわけではありません。こういう既成宗教が堕落したことで、現れてきたのが新興宗教でした。(既成宗教が堕落したといっても、日本の古来からある「古神道」これは別です)

しかし、この新興宗教も大いに問題があったのです。

その問題を具体的に書いてみましょう。

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