>>ブログトップへ

2015年10月

10月 25 2015

謙虚に反省する

ウナッシーさんのお身内まで亡くなられているんですね。とにかく愛知県のお隣の静岡でも大変なことが起きてきているようです。

昨日は、そのウナッシーさんのコメントを大いに活用させてもらいました。

「静岡でも今月に入り異常なほど人が亡くなっているそうです。恐ろしい現象が起きているのは名古屋だけではないようですが、なぜ、名古屋で起きている恐ろしい現象だけ私のせいなんですか?」とか「そのような恐ろしい現象を名古屋の人たちは私のせいに出来ますが、静岡の人たちは出来ません。何せ静岡の人たちは私のことを知らないからです」とか、嫌がらせして来た人たちに散々いってやりました。

さすがに、いやらしそうな顔をして下を向いて行く人が多かったんですが(それでも居直る人は居直ります)人のせいにしている間に恐ろしい現象は、もうあちこちに広がっているようです。

名古屋以外の場所でサイレンを聞くこともしょっちょうですし、この前テレビで東京でやっていたテニスの試合を観ていた時もサイレンが響いていました。

もうサイレンなど、どこの場所でも聞こえてくるのです。

それにウナッシーさんのところ以外でも、まだ私たちが知らないだけで、そのように亡くなる人が異常に増えているところがあるかもしれません。

とにかく天変地変でもこれだけ激しくなっているのです。(それは温暖化のせいにしていますが)起きてくる現象が違っているということは理解しないといけないでしょう。すでに時代が変わっているからです。(それをたった一人の者のせいにしているなど気違い沙汰ですね。名古屋の人たちは)

いつまでも責任転嫁などしていてはもう自分が危ないのです。それなのになぜ、これだけ危ない現象が次々に現れてきているのに、誰も神に祈ろうとも手を合わそうともしないのでしょう。

他のもののせいにして、こちらは関係ないと知らぬ顔をしているのでしょう。本当に不思議です。

責任転嫁ばかりして謙虚さのかけらもないと思わざるを得ませんが、こういう話を何度書いても、思わない人は思わないのですから仕方ないですね。

話題を変えましょう。

いまプロ野球の日本シリーズの真っ最中なんですが、この日本シリーズが終わると今年のプロ野球シーズンも終わりということになります。

地元名古屋の球団は今年もやはりBクラスでした。(やはりといういい方もないですね。〔苦笑〕)

しかし、今年のこの球団は本当に極端でした。連勝と連敗が何度もあったからです。本当に弱いのなら連敗ばかりなんでしょうが、不思議なことにこのチーム、何連敗もした後に何連勝もするのです。

一体、強いのか弱いのかよく分かりませんでした。(笑)

しかし、何連勝も出来るのであるから、勝つ力は持っているはずなのに、負けだすと止まらなくなる、ここら辺がツキというか運というか、そのなさで流れが悪くなったような気がしてなりません。(このチーム、最下位予想をしていた解説者も多かったんですが、少しツキがあったのなら、その予想が大外れする可能性もあったわけです。これだけ連勝も多かったからです)

勝つ力もあって練習もよくしている(何せ、二軍なんか夜まで練習していますからね。たまに私が〔夕方五時前後に〕名古屋球場の横を通るんですが、まだ練習してますから)それでもBクラスということになれば、あとはツキや運を呼ぶだけということになります。

それなら、あとは少し心の在り方を変えるだけでこのチームは勝てるようになるということです。心の在り方を変えればツキや運を呼ぶことが出来るからです。(ツキや運は自分の心で呼ぶものだからです)

別にアドバイスを求められたわけではないので、特別アドバイスはしませんが、中道を守られることですね。あまり極端なことはしないことです。ほどほどが大事であるということです。チーム内のやる気も大事であるからです。

そうして、このチームの選手との兼任監督であった監督が、来年から監督に専念されるということですが(だからいうんですけどね)このチームの監督が選手の時にした行為を少し反省されることです。(何のことかお分かりになりませんか?あのピッチャーが打たれた時の〔すべてピッチャーが悪いというような〕あの態度です。あれはよくなかったでしょう。〔ピッチャーだけでなく観戦しているこちらまで気分が悪くなりましたから〕あのような時、打たれたのはこちらのリードのせいという大きな態度を見せていたら、いま以上の名キャッチャーの評価を得られていたと思います)

それを実行されるならツキや運がこのチームに来ることになります。そうすると来年はもっとよい成績があげられるということになります。

今年は最後にドラフトで甲子園優勝のピッチャーまでとれ、話題満載です。来年はもう少し頑張ってほしいですよね。

地元のチームでもあって、アドバイスではありませんが気になったことをついつい書いてしまいました。

そういうスポーツで盛り上がれば、多くの人の心も少しはほぐれるでしょう。カチカチの心では人の意見など耳に入ってこないからです。

名古屋のプロ野球チームが頑張れば、名古屋の人たちも少しは聞く耳を持つようになるかもしれません。

何でもいいから盛り上げてほしいものです。

そうしないと名古屋が危ないからです。(マァ、最後はこのように落とすんですけどね。あまりに危ない状況だからです)

0コメント

10月 24 2015

正しい修行

昨日はまた悪魔軍団にじゃまされブログが書けませんでした。

昨日は、悪魔軍団があまりにうるさかったのでブログを書くのを途中でやめて、徹底的に祈りました。そうしたら昼間あんなにうるさかった悪魔軍団が夜は驚くほど静かでした。(いつもは夜までガタガタうるさいんですが)

本当に天罰覿面です。(よほど何か起きたのでしょう)

今日は悪魔軍団は休みですが、この会社、毎晩九時、十時くらいまでやっているのです。(昨夜も十時頃までやっていたようです)それだけ忙しくて土曜日が休みというのも解せません。まさか昨日恐ろしい現象が出すぎて、今日は急きょ休みにしたということはないでしょうね。

どちらにしても法の流布をじゃましているのです。もうよいことは起きないでしょう。(本当に哀れです)

そういう恐ろしいことを平気でやっている人も多いんですが(法の流布のじゃまなどまともに神に逆らっているということですからね。これ以上恐ろしいことはありません)こういう恐ろしいことを平気でやっている人たちが住む地域だけでなく、それ以外の地域でもずいぶん恐ろしいことが起き始めているようです。

またまたウナッシーさんから恐ろしいコメントが届きましたね。

今月に入り葬儀屋さんが異常なくらいの仕事量になったとのこと。ということは、それだけ亡くなる人が増えたということですよね。(ウナッシーさんが住んでいられる地域はということですが…)

やはり心の時代が深まれば深まるほど、そのような現象は顕著に現れるようです。

神にまともに逆らっていない人たちの住む町でも、すでにそのような現象が現れているのです。(まさかそれまで私のせいとはいわないでしょうね)では、この辺りの人たちはどうなるのでしょう。

当然ではありますが、それ以上のことが現されるということになります。(何せ、神にまともに逆らっている人が多いのですから)考えただけでゾッとしますね。

反省されてはどうでしょう。すでにそのような恐ろしい現象が現れ始めているからです。(先ほども書きましたが…天罰覿面です)

園頭先生がいわれていましたが、これからの日本は人がドンドン少なくなるそうです。(その時はピンと来なかったんですが)それで空きビルや空き家が増えるといわれていましたが、園頭先生がそういわれてから二十年過ぎて、まさにその通りのことが日本に起きています。

園頭先生は、日本がこうなっていくことをすでに知っていられたんですね。

いま政府は少子化対策ということで、日本の人口を増やそう増やそうとしていますが、晩婚化は進む一方で、結婚しない人も増えてきました。そこに亡くなる人が増えれば、どのような対策をしても人は増えないでしょう。

人を増やす努力もしないといけませんが、人が少なくなった時にどうするのか、そちらの対策を優先した方がよいように思います。残念ではありますが、これからの日本は人が減って行く方に進んでいくからです。

しかし、その日本の人口が減る(ということは)日本の衰退が進む、それを止めることが出来るのは、この法しかありません。この法の大事さもう少し理解されてはいかがでしょうか。

正しい教えが拡がり、それを実践する人が増えれば、まず家庭が調和されます。(そうすれば子供もたくさん生まれるようになります。法は性の大事さも説いているからです)

家庭が調和されれば社会も調和され、社会が調和されれば経済も調和され、おかしな犯罪も減って治安もよくなり、だんだん日本も繁栄して行くということになります。(当然天変地変も減ります)

そんなにうまくいくか、という人もいますが、多くの人が法を実践できるなら、そんなにうまくいくのです。

神が(天が)協力してくれるからです。

今は多くの人が心をそっちのけにして天に逆らっているのです。それでもこのくらいはいくのです。では、多くの人が心を天に合わせて天が協力してくれるなら、どれだけよくなるか分からないのです。

嘘ではありません。私もそうですが、現に私のいうことを聞かれているウナッシーさんなど、家庭内も調和されていますし奇跡も起きています。

毎年賛助会員の会費を払っていただけるもう一人の方にも、癌で亡くなられたお母様に奇跡が起きました。

正しく法を勉強していられる(天に心を合わせていられる)方々には、ちゃんと奇跡が起きるのです。

では、多くの人が法の勉強をするのなら、その多くの人に奇跡が起きるということになります。では、先ほど書いたようなことも(次々に奇跡が起きるなら)うまくいくのではありませんか。

先ほど書いたことは、皆さんが考えているほど難しいことではないのです。多くの人があまりに我を出して神を神と思わない態度ばかりとるから難しくなるのであり、神の心に素直な態度をとるなら、すぐにでも実現することなのです。

法を勉強するなどと書くと、何か特別なことをするように思う人もいるかもしれませんが、とんでもありません。自分たちの生活の中で十分やれることなのです。

法を勉強する、すなわち心の勉強、心の修行とは、現在の宗教団体がしているようなあんなことではないのです。

前回も少し書きましたが、何か修行というと、あの千日回峰行みたいなことをするのではないかと勘違いしている人もいるかもしれませんが、とんでもありません。何回もいいますが、あのような修業は間違っているのであり、あんなことを続けていても心の修行にはならないのです。(だいたい、あれだけ肉体を痛めつけて愛とか慈悲の心が出てくるでしょうか?あんな極端な苦行などしていれば、自分が苦しいばかりで人のことなどかまっていられなくなります。やってる途中で合掌している人たちに祈りなどしていますが、その心は実は苦しいばかりで人の幸せなど祈っていないのです。形だけそのようにしているだけなのです。そういう人に祈られても残念ではありますが、自分たちの願いが叶うことはないのです)

その千日回峰行みたいな間違った修行を、凄いとかいってテレビで取り上げているくらいです。これでは話になりませんね。

そんな悟ることが出来ないものをいくら取り上げても意味はないでしょう。(間違った道に進む人が増えるだけです)そんな間違ったものを取り上げるくらいなら、私の動画をテレビで流してほしいものです。(笑)

その方がよほど悟りへの道は近くなるからです。(正しい修行をすれば、このような奇跡が起きてきますとです)

だいたい、釈尊もキリストも苦行で悟られたわけではないのです。

釈尊は苦行を捨てられた後、徹底的に反省禅定され、そうして悟られたのであるし、キリストも悔い改めの祈りをされて悟られたのです。

あのような偉大な方々が、苦行などされずに悟られているのに、なぜ未だ日本ではあのような苦行がもてはやされているのでしょう。ずいぶん遅れています。

苦行などしていては執着が強くなるだけです。(異常な状態に自分が置かれるからです)そのような異常な状態に自分が置かれ続ければ(当然心も異常をきたしているのですから)そのような異常な世界である地獄界から地獄霊も寄って来ます。

よく、そのような苦行をして霊能力を得た、という人がいますが、そのようなやり方が間違っているのですから、間違ったやり方をしていて正しい霊能力など得られるわけがないのですから、そのような霊能力はみな地獄霊が憑いて行っているだけの魔力でしかないということです。

正しい霊能力(神通力)は正しい修行により現れてきます。

その正しい修行とは(釈尊やキリストがされている)反省禅定と祈りであり、その反省した心と行いで日々過ごすことなのです。

そうであるなら修行とはいえ特別なことをし続けなくても、自分たちの生活の中で十分やれることなのではないでしょうか。日々の正しい心と行いの実践が正しい修行であるからです。

そのような日々、神の心に合わせた生活をするだけで悟りへの道が進んでいくのです。そのような修行が出来ない人など一人もいないでしょう。(それは簡単そうですが、そう簡単なことではありません。日々の生活の中ではうまくいかないこともあれば面白くないこともたくさんあるからです。そういう中でどれだけ神の心が体現できるか、正しい心と行いを実践できるかが心の修行なのです。だから反省は常に必要なのです。自分のしていることが本当に神の心に叶っているのか、正しいのかどうか、じっくり考えないと分からないからです)

本当の正しい修行とはそのようなものであり、だから、釈尊の説かれた正法やキリストの福音は聞かないといけないといっているのです。

その正法や福音が私たちが日々生活して行く上での指針となるからです。(もちろん祈りや反省禅定の指針ともなります)

その釈尊やキリストが説かれた神理を現代風に分かりやすく説いたのが、私が説いている法であり、その法が正しいから私には次々に奇跡が起きているのです。(そうして、その法の流布をじゃまする輩たちには災いが起きているのです。これほどこの法が正しいという証拠もありません)

この法の大事さが少しはお分かりいただけるでしょうか。(これが何度説明しても分かっていただけませんが。〔苦笑〕)

現在の日本にこれだけ災いが起きているのも、そうして経済にしろ社会生活にしろ、よくなりそうでならないのも、そのような本当の神の教えがあるのに、それを無視し続けているためです。(だから天が協力しないのです)

正しい修行をしている人たちには運やツキがあるだけではなく(天がよい方に導いてくださるからです)奇跡まで起こります。(そうしていろいろな神通力まで与えられるのです)

そのような人たちが増えれば、日本は嫌でも繁栄するのです。

正しい修行をされてはどうでしょうか。

追伸…それにしても、今月に入って葬儀屋が異常な忙しさとなったというウナッシーさんのコメントは気になりますね。

そういわれると私に起きる現象も今月に入り、また一段と不思議なことが起きるようになった気がするからです。

だから、今月からさらに激しい現象が現れるようになっているのではないかと思えてならないからです。

今月に入って、私にどんな現象が現れているのか、ブログには書きましたが(多くの鵜が飛んできたり、知多の海での魚の奇跡や庄内川で遭遇したエイなど)実際に観た方が理解しやすいでしょう。

ですから、今月撮った動画を先に公開しようかなとも思っています。(すでに撮ってあるSDカードがまだ二、三枚あるのですが)

今月に入ってまた一段と不思議なことがよく起きるようになりました。

それはつまり神の業がより激しく現れだした証拠であると思います。

その動画を観られて、少しでも心を変える人たちが出て来てくれることを願ってやみません。

そのような人が出てこなければ、異常な現象はこれから激しさを増すばかりであると思うからです。

2コメント

10月 22 2015

本当に人を救える人

また起きましたね。奇跡がです。

昨日私は名古屋港に行ったんですが、海を見るとすでによく魚が跳ねていました。

しかし、ずいぶん沖で跳ねていて近くではあまり跳ねません。それで「もっと近くで跳ねろ」と叫びながら、その魚たちを撮っていました。

あちこちで動画を撮っていて、名古屋港水族館の前に橋があるのですが、その橋の上で下の海で跳ねる魚たちを撮っていた時です。

私が撮っている右下辺りの海の水が、その部分だけ小さな波がいくつもたちグルグル渦を巻き始めたのです。

「ン、何だあれ?」とそこを見ていたら、凄い数の魚がそこにいて海中を泳ぎ回っているようなのです。たくさんの魚が上から見えます。

「凄いなまた」とまたまた起きた奇跡に驚きました。(笑)

とにかく凄い数の魚なのです。海上が、その魚たちの泳ぎで波立ち渦まで出来ています。

「名古屋港水族館の前でまた奇跡が起きました」とかいいながら、その魚たちを動画に撮りました。(笑)

その後も、名古屋港ではたくさんの魚たちが跳ねていました。その帰り道でも多くのムクドリやすずめたちが私の方に飛んで来るという奇跡も起きました。(ところどころ動画に撮っています)

とにかく何かそのような奇跡的なことが起きるのです。

普通に生活しているだけで次々に奇跡が起きる、神の心に従うとはこのようなことだと思います。奇跡が普通に起きるのです。

いま、大津市の坊さんが天台宗の荒行である「千日回峰行」(せんにちかいほうぎょう)に臨んでいるとニュースなどでやっていますが、マァ、苦労してあのような苦行に臨んでいられる坊さんには悪いのですが、あのようなことをしても意味はないのです。

園頭先生は次のように書いていられます。(正法と現代宗教より抜粋します)

<山伏とは、山野に伏して修行する修験道の人をいう。

(中   略)

この山伏の修行が比叡山に入って「千日回峰行」になった。だから千日回峰行は伝教大師最澄が説かれたものではない。密教すなわち真言宗では即身成仏を説いている。

即身成仏行といって断食して洞窟に入る人があり、あるいは千日回峰行を達成すると仏になるというが、そういう肉体行によって仏になれるのではない。普通の人のやれない行をやったという、その努力精進には感心しても、そういうことは悟りとは全く関係ないことである>

園頭先生が書いていられるようにです。そのような苦行と悟りはまったく別であり(相反するものといっても過言ではありません。釈尊も、その苦行を捨てられた後に悟られたからです)だから、あのようなことをしている人たちに、私と同じような奇跡が起きないのです。

間違ったことをしていては悟ることは出来ないからです。(だから、千日回峰行を達成すれば仏になるというのも嘘です。仏とは悟られた人をいうからです。千日回峰行〔苦行〕で悟る〔宇宙即我の境地〕ことなど出来ないからです)

奇跡が起きていることこそ、悟りへの道であり、本当に悟られている方々は、このような奇跡が次々と起こり、偉大な神通力まで持たれているのです。

そのような偉大な力を持っていられる方々だからこそ、本当に人を救うことが出来るのです。

そのような偉大な神通力を持っている人たちなど、今の坊さんや霊能者といわれる人たちの中には一人もいないでしょう。(おかしな現象やあて事などする人はいてもです。そういうのは偉大な神通力とはいいません。地獄霊でもそのくらいのことはするからです)

ということは、現在の坊さんや霊能者の中には本当に人を救える人はいないということになります。

そのような現象が現れているのは現在は私一人だと思います。

では、本当に人を救うことが出来るのは私一人ということになりますが、その私のいうことを聞こうともせず、嫌がらせばかりしていて本当によいのでしょうか?

そのような人たちには災いばかりが起きているようですが、そのような起きている現象に間違いはないのです。

本当に人を救える人のいうことを聞かれてはどうでしょう。

それを聞かれるなら、本当に救われる道がついて来るからです。

(本当に救われる道とは、この世で救われるだけではなくあの世に行っても救われ、また生まれ変わってもそこでも救われる、そういう道をいうのです。神理とはそのように永遠に救われる道を説いているのです)

追伸…昨日も立て続けに何か起きたようですが〔今日も朝からやたらキレています〕そこかしこで怒っている人、暗い顔をしている人たちがいます。(段々増えていくようですが、大丈夫ですか?)

本当の神の教え(神理)が出ている時は、その教えには何者であろうと従わねばいけないのです。

それを無神論の現代の人たちは平気で無視していますが、それがどれだけ恐ろしい態度かは後で分かります。(もう分からないといけないのですが、こと神のことに関しては今の人たちは異常な理解力のなさです)

どれだけキレても、恐ろしい現象は収まらないし(現に激しさを増しています)暗い顔をしていたところで救われません。(そのような人にもやがて恐ろしい現象は現れます)

反省して詫びを入れたらどうでしょう。(散々嫌がらせをしたのはあなたたちの方ではありませんか)それが唯一の救われる道だからです。

いつ恐ろしい病気になるかもしれない、などと思いながらの人生が楽しいのですか?私に嫌がらせした人たちはもう一生、そのような思いにさいなまれ生きて行かなければいけないのです。(そのままでは生き地獄ですよ…そうして死んでからも本当の地獄に堕ちないといけないのです)

こういうことが起きているのです。もう現実をしっかり見られたらどうでしょう。

どれだけ現実逃避したところで、この現象(神の業)からは逃れることは出来ないからです。(それこそ宇宙のどこに逃げてもです。この大宇宙は神がつくられたからです)

私はもう何度も奇跡を現しています。

これまでのことをよく反省し、この教えを少しずつでも勉強するなら、このようなことは誰にでも起きてくるのです。

そうして恐ろしい思いも現象もなくなるのです。それどころか、自分たちの生活の上でも奇跡が起き、幸福な生活が送れるようになるのです。(百八十度いまの人生が変わるのです)

私は待つしかありませんが、そのような心変わりがした人から連絡ください。

そのように心と行いを変えた人から救われていくからです。

2コメント

10月 21 2015

神に従う人と逆らう人

ウナッシーさんから、また恐ろしいコメントをいただきましたが(火葬場が一杯で三日待ちとか、隣町でも三人の方が亡くなったとかです)しかし、そのような不幸なことばかりでなく奇跡も同じように起きています。

何度もいいますが、心の在り方で起きる現象も大きく違う、そのような時代が来ているのです。

私は昨日も奇跡が起きました。何でこんなに不思議なことが次々に起きるのか、本当に不思議です。(心の勉強をしていると覿面〔てきめん〕ですね)

昨日は午後からまた庄内川に散歩がてら行ったのですが、私はただ庄内川の川岸は人が少ないことと(人が多いところを歩くと散歩どころか、ほとんど辻説法になってしまいますので。〔笑〕)砂や砂利が混ざった道が多いので(アスファルトの道を歩くよりは)疲れも少ないだろうと、そうして、もし撮れれば面白い動画も撮ろうと、そのような考えで庄内川に行くのですが、同じ道を同じように歩いているだけなのに、そのあまりあてにしていない動画がよく撮れてしまうのですから不思議なものです。(それだけ奇跡的なことがよく起きるということです)

本当に何から何まで神のお導きであると思います。(じゃなければ、それだけの奇跡は起きないでしょう)

昨日庄内川で起きた奇跡とは次のようなことでした。

私が庄内川に行くと川岸を片道一時間くらい歩いてから、南陽大橋の下でしばらく休み、そうして帰り道に何か動画が撮れれば撮ろうというルーティン(最近はラグビーでこの言葉がはやっていますから。〔笑〕)なんですが、昨日も、そのルーティンを崩しませんでした。(笑)

一時間くらいしっかり歩いてから南陽大橋の下で休んでいたのです。

あの場所は休んでいるだけで、カニは出てくる、ムツゴロウみたいな魚は出てくる、魚はよってくる、いろいろな鳥は飛びかう、たまに庄助が前の川を泳いでいくと、楽しいものですが(本当に孤独感ありません。〔笑〕心も体も癒されますね)昨日は何か様子が変でした。

私が行くといきなりバシャというでかい音が響いたのです。

前を見ると川の向こう側で何かが跳ねたようでした。(大きなさざ波がたっていました)

「ン?何かいるのかな」と思いましたが、前の川はよく魚が跳ねます。また何か魚が跳ねたのだろうとたいして気にもしませんでした。

しばらくするとカニやらムツゴロウのような魚やらたくさん出てきます。昨日もそうでした。

その連中に「元気か」と声をかけて遊んでいると、また前の川でバシャと大きな音が響いたのです。

そちらを見ると、またさざ波だけがたっていて何が跳ねたのか分かりません。「何かいるのか」と何度か声をかけましたが無反応です。

何も反応がないので「今日は大きな魚がいるんだな」と思ったくらいで気にしませんでした。同じようなことはよく起きていたからです。しかし、何かいつもと感じが違うなという違和感はありました。(その広がっているさざ波が妙に大きかったからです)

そうしてまた出てきているカニたちをかまっていると、またバシャっと大きな音が響いたのです。それで顔を上げたのですが今度は驚きました。

その音がした川の辺りを見ると、さざ波がたっているだけでなく、何か細長い尻尾のようなものが水面に出ていたからです。(四、五十センチくらい出ていたのではないでしょうか)

「ハア、何あれ」

驚きましたね。あんな尻尾のようなもの初めて見たからです。(それは、その生き物の尻尾であったと後で気づいたのですが)

「オイオイ、そこに何がいるんだ、顔を出せ」と呼びかけました。しかし、シーンとなってまったく反応しません。何度呼びかけても反応しないのです。

しかし、こちらの興奮は収まりません。もしかしたらユーマが撮れるかもしれないからです。(多分庄内川にユーマはいないでしょうが。〔笑〕)

なんとしても、先ほどからバシャバシャやっているあの生き物を動画に撮りたいと思いました。

こういう時は奥の手を出します。その奥の手とは神に祈ることでした。

くだらないことをお願いしても、もちろんその願いは聞かれませんが、この動画は法の証明となります。祈ればきいてくださるだろうと思い祈りました。

「神よ、どうぞあの生き物の姿をお見せください」とです。

そうしたらです。十分、十五分すぎたころでしょうか(今日は無理かと半分諦めかけていたんですが)私の目の前にその生き物が姿を現したのです。

「全然出て来ないな、今日は無理かな」と私はカニたちに話しかけていました。するとです。私の目の前の水面が急に盛り上がり、何かが姿を現したのです。

最初は顔というか目だけが水面に出てきましたが、すぐに引っ込めてしまったので、その生き物が何か分かりませんでした。水面に引っ込めた勢いで水の底の泥が舞い上がり水の中がまるで見えなくなってしまったからです。

その顔を見た瞬間、私はでかいカニでもいるのかと思いました。何かカニのように見えたからです。

しかし、カニが体を出して水面に引っ込めたくらいで、川の中の泥がこれだけ舞い上がるのもおかしな話です。

カニよりもっと大きな生物が水中にいるのです。

もう、私の興奮は最高潮でした。(だって、目の前に謎の生物がいるのです。誰だって興奮するでしょう。〔笑〕)

そうして目の前の川の中にいる生物に声をかけ続けました。「おい、顔を出せ」とです。

そうしたらです。その生物が水中から姿を現したのです。その生物とは…次回に続く。(笑)

などという書き方をしたら、もう少し、このブログの読者も増えるのではないでしょうか。(何せ、一日百人前後の人しかこのブログを読んでいません。法を説いているのに少なすぎでしょう)

マァ、そういう内容のブログではないので、別にもったいぶりませんが、その目の前の庄内川にいた生物とは「エイ」でした。

なんとエイが私の目の前に姿を現したのです。

エイって川にもいるんですね。(海だけかと思いました)嘘ではありません。動画にちゃんと撮ってありますので(まともに撮れました。目の前に出てきたのですから。本当に神に祈ると覿面です)確認してください。

同じところを同じように歩いているだけですが、神の心に従う人は、祈りもすぐに聞かれ(目の前に現れるんですから凄いですよね)このような奇跡も次々に起きるのです。(まさか川でエイを見るとは思いもしませんでしたが)

それに引き換え、同じことを同じようにしている人でも、神に従はない人たちは次々に不幸が起きているようです。

この辺りはいってはいけませんが、癌がインフルエンザのように流行り始めています。(本当にそんな感じです。ちょっと怖すぎますが、そういうことをいってもこの辺りの人たち誰も否定しませんから)

神に従う人には奇跡が、神に逆らう人には災いが、毎日のように起きています。

なぜ、神に逆らう人がこんなにも多いのでしょう。それもまた不思議なことです。

(ウナッシーさん、私たちだけはしっかり神に従って生きていきましょう。それが神の子である人間の当たり前の姿であるからです)

0コメント

10月 20 2015

知多の海での奇跡②

南知多ビーチランドに行くのやめた私は、潮が大分引いていましたので、もう一度海岸をよく見ることにしました。(何か気づいていない生き物もいるかもしれないと思ってです。私が呼びかけるといろいろな生き物が出てくるからです)

そうして海岸を見まわしてみると、その辺りの海岸には穴がたくさん開いていました。多分、マテ貝の穴だと思うんですが、それとは別に何か小さな生き物がたくさん動いています。(マテ貝もいくつかは顔〔頭というんでしょうか?〕を出していたようですが)

何が動いているのかとよく見てみると、小さなカニでした。

たくさんの小さなカニが、そこらじゅうで動き回っています。「こんなにカニがいるのか」と思い、面白いのでそれも動画に撮ったのですが、肝心の魚たちは全然跳ねません。

「魚は跳ねないな」と潮が引いた海を見ていました。

海に向かい何度か呼びかけましたが魚はたいして跳ねません。(何匹かは跳ねたようですが)少し沖を見るとカモメがたくさんいました。

「カモメがあまりいては魚も跳ねないだろうな」と思い、魚が跳ねそうもないなら、町に行ってすずめでも撮るか(あの辺りはすずめもたくさんいるからです)と思っていましたが、ふと気づくと、よせてくる波に何か黒い物がたくさん見えるのです。

「ン?なんだあれ」とよく目を凝らして、その波に見える黒い物を見ました。

すると驚いたことに、その波の中に見える黒い物とはすべて魚だったのです。

「あれみんな魚じゃないか」と驚いてその波を見ていると、そのような波に乗った魚たちがあちこちの波の中に見えるではありませんか、凄い数です。

「うわ、何だこれ」と思いましたが、どうもたくさんの魚が海面まで上がってきていて、その上がってきている魚たちが波がたつと波の中に見えるようなのです。そうしてそのたくさんの魚たちが岸(こちら)に向かって泳いでいるのです。

信じられますか?そういうことが目の前で起きたのです。

たつ波の中に魚がたくさんいるなど初めて見る光景でした。それで驚いたのですが、それを何とか動画に収めましたが、動画に撮ると波の中の魚がほとんど映らないのです。

ほとんど映らないのですが、光の加減で波の中の魚がところどころでは撮れています。

その動画を観ていただければ、私のいうことも理解できると思いますが(それと驚いている私の声でそれをご理解ください)しかし、そんな感じで動画はその一部しか撮れていませんが、その光景をじかに見た私は凄い迫力でした。

目の前のあちこち波立つ波の中に多くの魚たちが見えたからです。

「凄いことが起きてるな」と驚いた私でしたが、この後、もっと凄いことが起きたのです。

その魚たちは、かなり広い範囲でこちらに泳いできているようでしたが、それでも岸まで来るということはありませんでした。波が岸近くまで来ると、いつの間にか魚たちは、その波の中から消えていました。(少し沖の方に戻るのでしょう)

それはそうでしょう。そのような魚たちが岸の砂浜まで来るなど考えられないからです。

しかし、その考えられないことがその後起きたのです。

しばらく、その波にいる魚たちを動画に撮っていましたが(というか、跳ねる魚も撮りたかったので、途中からそちらに重点を置いて撮っていましたが、結局跳ねる魚はほとんど撮れませんでした)そのうちに魚たちは見えなくなりました。(底にもぐるか沖に行くかしたのでしょう)

魚もいなくなったようなので、そろそろ帰ろうかと思っていた時です。帰ろうとしたのですが海を見ていると何か変なのです。いつもと感じが違うのです。

それで海をジッと見つめていました。

何が変かといえば、岸によせてくる波に違和感があるのです。

普通なら、波がよせてきても、その波は沖にスーと引いて行きますよね。(普通というかだいたいそうだと思います)

しかし、私の目の前の波はスーと引かないのです。

普通によせてはきますが、引く時にガタガタしながら引いて行くというか、ピチピチ波が跳ねながら引いたりしているのです。

「何か波がおかしいな?」とブツブツいいながら、その波を凝視していました。

そうしたらです。少し離れたところにいたサギが私の目の前を飛んで行ったのです。

その時でした。サギが私の目の前を飛んだ瞬間、目の前の打ち寄せている波がブワッと横に大きく広がったのです。

「うわっ」と思わず声を上げました。何もいないと思っていた波打ち際に何か分かりませんが生き物がたくさんいたからです。

その生き物はすぐに分かりました。その波打ち際にいた、たくさんの生き物とは小魚たちだったのです。(二、三匹跳ねましたので)

なんと多くの小魚たちが私の目の前の波打ち際の、その打ち寄せる波の中にいたのです。

先ほどのこと(波の中にたくさんいた魚たち)といい、波打ち際の波の中にたくさんいる小魚たちといい信じられますか?

こういう奇跡が、次々に起きたのです。

私は、何でこんなことが起きているのか不思議で仕方ありませんでしたが「何でお前らこんなとこまで来てんだよ」といいつつ、その魚たちを動画に撮りましたがとにかく凄い数でした。

動画を観てもらえれば分かると思いますが、数百、数千の小魚たちが打ち寄せる波に乗って砂浜まで来ているのです。(もっといたかもしれません。私が撮った動画は私の目の前の魚たちと右横にいた魚たちだけだからです。それ以上の範囲は確認しませんでした。というか、それくらいで私は目一杯でしたから、とてもそれ以上の範囲を確認しようとは思いませんでした。ずっーとあの知多の海の砂浜にたくさんの小魚たちがよって来ていたら、それはそれで恐ろしいでしょう。何か大きな天変地変でも起こりそうでです。〔笑〕)

そのようなたくさんの小魚たちが、波に乗って砂浜まできて、水がギリギリきているところでピチャピチャ大騒ぎして泳いでいるのです。

「何でこんなことが起きているんだ」とさすがに私も、そのような独り言をいいながら動画を撮っていました。

その小魚たちは、波が引く時にその引き波に合わせてまた沖に向かい泳いで行くのですが、あまりに岸ギリギリまできているため、引き波に乗って行く時の小魚たちの体は半分以上水から出ているのです。

波に乗って多くの小魚たちが岸まできて、岸の辺りでバチャバチャ泳いで、そうして引いて行く波に乗ってまた沖に戻る、その戻る時には多くの小魚たちの体は半分以上水から出ています。

下手すれば岸に打ち上げられてもおかしくはない危ない状況なのに、その小魚たちは、そのような危ない状況を楽しんでいるかのように、何度も同じことを繰り返しているのです。

最初私は、あまり近づいたら小魚たちが逃げると思い、少し離れたところから、その小魚たちを動画に撮っていたのですが、多くの小魚たちがあまりに危ないことを平気でしているのです。(見ているこちらがヒヤヒヤです。〔汗〕)

ちょっと危なすぎると思い「お前らもう沖に帰れ」と波打ち際までよっていき沖に帰そうとしましたが、逃げるどころか、私が近くによって行くと大騒ぎして少し向こうまで泳いだかと思うと、すぐに戻って来て私の前を泳ぎ回っています。

こりゃダメだ、全然いうこと聞かないわと思い、私がここにいるからいけないと思って「お前らもう帰るからな」と魚たちにことわってさっさと帰りました。

私があそこにいては、いつまでたってもあの小魚たちは波打ち際から沖に行かないと思ったからです。

この辺りの海は、何度も書いていますようにカモメもいればサギもいる、もちろん鵜もいます。それにこんな波打ち際までたくさんの小魚がよってくれば、カラスだってよって来て、その小魚たちを食べるかもしれない(トビだってそうです)そのような天敵がたくさんいるところで、このような奇跡が起きたのです。

生物学の常識では、考えられないようなことが次々に起きているのですから、これを奇跡といわずして何というのでしょうか。

このような奇跡が私には次々に起きています。

この勉強している法の素晴らしさ、少しはお分かりいただけるでしょうか。

追伸…今日もらったウナッシーさんからのコメントに答えておきます。(いま私の周りで起きていることと関連していると思ったからです)

今月に入り、ご近所ですでに三名の方が亡くなられたそうですが、こちらでも同じようなことが起きているのではないでしょうか。(こちらはもっと激しい現象が現れているようですが)

今日書いた奇跡といい、このような現象といい、やはり現れる現象が段々激しくなっているようです。(よいことも悪いこともです)

何度も書いていますが、二十一世紀は心の世紀であり、二十世紀(末法の世)の心のままではもう生き残ることは困難なのです。(だから、ウナッシーさんの亡くなられたご近所の方も、多分心が変わっていなかったのでしょう。二十世紀の心のままだったということです。それで〔もしかしたら〕早めにあの世に引き上げられたのかもしれません)

天変地変が激しくなっているのも、その作用の一つと考えられます。(これも何度も書いていますが、温暖化が原因ではありません。この十年の平均気温は変わっていないからです)

もう、うんもすんもなく心を変えないと(正法の世の心にです)どんな災いが起きるか分からない時代となったのです。

心の差が起きる現象の差となって現れる時代となりました。

これからは(これまで以上に)心の在り方を考えなければいけないのです。

1コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。