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2017年6月

6月 08 2017

知ったかぶりの危なさ

何か凄いですね。

何が凄いかって、あちらでどえらい怒っている人たちがいるかと思うと、こちらにはどえらい引いている人たちがいて、両極端な人たちがたくさんいるからです。(中には両極端なところもあるし…どこかの会社などです)

これまでは、どちらかというと怒っている人たちばかりだったんですが、最近は顔を引きつらせて引いている人がたくさんいます。

そういう状況を見るとです。

もう、ただ怒ったり引いたりしている場合ではないのではないですか。引いている人たちなど、早くその災いを止めないといつもう自分たちに災いが現れるか分からない、そういう状況のようにも見えるからです。(それは怒っている人たちも同じなんでしょうが、怒っている人たちは態度が悪いんでよく分かりません)

自分たちが間違ったことをしているから悪いことが起きているのです。それは大人であろうと子供であろうと同じなのです。

どれだけ怒っても(引いていても同じなんですが)よいことをしていないからよいことが起きないのです。

とりあえず、人に嫌がらをせするのはやめた方がいいのではないですか。

そのような態度ではもうどれだけ悪いことが起きるか分からないからです。

たちの悪い小学生がたくさんいるようですが……悪いことが止まらないんでしょう。だからキレている小学生が多いようですが(そういうところは大人も子供も同じですね。最近は子供までキレているか、引いているかの両極端です)それは自分たちが悪いからです。

私のせいではありません。(お前ら人に散々嫌がらせをしておいて、そのこと忘れたんかい。よく考えみろ。そういうことが本当に人が起こせると思うのか?〔人が起こせると思うのならお前らやってみろ〕人以外の何かの力が働いて災いが起きているんだ。それが神に力だといっているんだ。いい加減、神を理解し神の力を畏れろ。そうしないと〔それだけ傲慢だと〕どれだけ災いが起きるか分からんぞ)

天罰に大人も子供もありません。

天変地変が起きて、子供だから助かるということがあるのでしょうか?天が起こす災いに大人も子供もないのです。

天が現す災いは、心が悪ければその悪いなりの現象は肉体に関係なく現れるからです。

だから、子供だからとあまり甘やかしてはいけないと(今のような過保護な教育はよくないと)私はいっているのです。

そういう教育をしていて、礼儀も知らない子供が増えれば(この辺りに一杯いますけどね。上の者に対する態度がまったくなっていない子供がです)これからは天がかわって、そのような子供の間違いを正すことになるからです。

天が正すのであれば、先ほども書きましたが、大人も子供も同じように心の在り方一つで取り返しのつかないことにもなりかねません。

だから、少なくとも子供はしっかり教育しておいた方がいいのではないでしょうか(人としての常識くらいはです)後で泣くことになってもいけないからです。

それはともかく、特に神に関することは、これからは正しい行いをしないと即、罰が当たることになります。

ですから、これからは神のことだけは正しく知っておかないといけないでしょう。そういう時代になっているからです。(すぐに天罰がくだる、正法の世にです)

多くの人は、そういう時代に変わったにもかかわらず、その神のことをよく知らないがために次々に罰が当たっているのです。(それが多死社会のような形で現れているということです)

この辺りの人たちは、その時代が変わったために起きて来たことをみな私のせいにしているだけなのです。

日本の人々は神のことなど誰も知らないのです。(もちろん本当のです)

これまでは無神論の人たちがほとんどであったわけだし、神を知っているといっている人たちでも何の奇跡も起きないような間違った信仰を正しいと信じ(または、悪魔が起こした業を神の業と信じ)これまで行ってきたような人たちばかりなんですから、それでは本当の神のことを知らないといっても間違いではないのです。

だから本当の神の力が現れ出すと、みな右往左往して責任転嫁しているのです。

本当の神の業を知らないがために何が起きているのか、まるで分らないからです。

それなのに知ったかぶりして、悪いのはお前とすべて私に罪を擦り付けています。(悪いことを何かに責任転嫁しているということです。この辺りだけではなく全国の人たちがです)

本当に危険なことです。

そのようなやり方(すべて責任転嫁)は神から観たら一番してはいけないことであるからです。

それが証拠に、そんなことをしてる人たちに次々に災いが起きているのです。

口でどうこういうより、その起きている災いが、自分たちがまったく間違ったことをしているという何よりの証拠なのです。

私は正しいことをいっているから奇跡が起きているのです。これだけ起きていることが違うのです。

もう観念して「自分たちが間違っていました。助けてください」といいに来てはどうでしょう。

それ以外で救われる道はないからです。(特にこの辺りの人たちはです)

多くの人は自分の間違いに気づいていないのです。(自分が何も分かっていないからです。または気づいていても認めないかのどちらかです)

早く自分たちが何も分かっていないということに(神のことに関してです)気づかないといけないのです。

それに気づいていない人が多いため、多死社会となっているのです。(多くの人が神の心から遠いため自分の使命をしっかり果たさないうちにあの世に引き上げられているということです。分かりやすくいえば強制的に学校から退学させられているということです。この世は心の勉強の場であり学校のようなものだからです)

二、三日前の話ですが、私は庄内川に行きました。

その庄内川は、最近工事をしていつも歩いている川岸ばかりでなく、反対側の川岸もきれいになり歩きやすくなったものですから、最近は、同じ岸ばかりを歩くのではなく川を渡った反対側も歩くようにしているのですが、その反対側でも私が川の近くを歩いていると、小魚たちがたくさん出て来てピチャピチャやっています。

その時もそうだったのですが、しかし、その日は歩いていると川の真ん中の辺りでもたくさんの魚が跳ねていました。(十数センチくらいのです)

「今日はよく跳ねているな」と思い「お前ら相変わらず元気だな」と声をかけながら歩いていたのですが(ちょっとそういう場面も動画に撮りました)その帰りに橋を渡って向こう側に帰ろうとして下にある庄内川を見るとです。

なんと、水面近くに凄い数の魚が泳いでいるではありませんか。

来る時には下の庄内川にはまったく魚など見えなかったのにです。(普段通りの川が流れていただけでした)

しかし、同じ橋を渡って帰ろうとしたら、行きとはまったく違い、いつのまにか多くの魚たちが水面上に上がってきていて水面近くを泳ぎ回っているのです。(大きな鯉も数匹上がってきていたし、なんとエイまで上がってきていました。〔やはり庄内川にはエイがいるようです〕)

それが橋の上からよく見えるのです。

行きと帰りでこうも違うのかと驚きましたが、これだけ魚が上がって来ていたらよく跳ねるわけだと妙に納得してしまいした。(笑)

川底にいた魚たちが、私が川岸を歩いているといつの間にかたくさん川面近くに上がってきて、泳ぎ回り跳ね回る、このような不思議な愛ある奇跡が私には毎日のように起きているのです。

神の心を知って実践するなら、このような愛ある奇跡がそこかしこで起こります。

しかし、神の心を無視して、まったく的外れな(神から観たらです)毎日を過ごすのであれば、もうどれだけ危ないことが起きるのか分からない、そういう時代になっているのです。

少し謙虚になり、神の心を学ばれてはどうでしょう。

多くの人たちは、その神の心を知ることの大事さを知らないでいるだけなのです。

追伸…ずいぶん現れているようですね。この辺りに災いがです。(それをこちらは肌で感じています。もう多くの人の私に対する態度がずいぶん変わってきているからです)

この辺りの人たちは私に相当悪いことをしています。(それこそ大人も子供も含めてです。相当嫌がらせをされていますから)

それでは悪いことは起きるでしょうね。そのような態度ほど罰当たりな(的外れな)態度もないからです。

それを反省しろといくらいってもしない人はしないんでしょうが、高校生以上の人はともかくです。(そういう人は自分で判断すればいいのですから)

中学生以下の子供は、親が判断してあげた方がいいのではないですか。子供一人では正しい判断もなかなか出来ないと思うからです。

この辺りの親は、私に嫌がらせをしているのか、していないのか、そうして、このブログを読んでいるのか、いないのかを子供にきいた方がいいのではないでしょうか。(このブログはずいぶん子供も読んでいますから)

そうして、もし、自分の子供が私に嫌がらせをしていてブログまで読んでいるようなら、私に少しくらいの詫びと(感謝の心で)布施位はされた方がいいのではないでしょうか。

それをしないと、そのような子供には遅かれ早かれ必ず災いが起きるからです。(態度があまりに不遜で罰当たりがすぎますから)

中学生以下の子供が自分から進んでそういうことが出来るとは思えません。では、親がしてあげてはどうですか。

それが親の愛であるからです。

そうして、それだけ(そういうことが実践できるだけの)子供に対する親の愛があるならば、その子に災いが現れることもないからです。(その親の愛がその子を守るのです)

マァ、神も信じなければお前のいうことも信じないと、そういうのであればそれはそれでかまいませんが、そのような私のいうことを無視している結果が、今のような多くの災いをこの辺りに現しているのです。

親が気づかなければ子供も気づきません。

もう少し親の愛を出されてはどうでしょう。そうすれば、この辺りで起きている災いも段々収まって行くからです。

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6月 06 2017

心のレベル

昨日(六月五日)は熱田祭りでしたが(もう熱田神宮など人で一杯だったでしょう。花火も上がりますから)本来、祭りには霊を鎮めたり邪気を払ったりするご利益があるはずですが、そのようなご利益もこの辺りにはまったく効かないようです。

どれだけ名古屋で盛大な祭りが行われても災いは減るどころか、増える一方であるからです。

大丈夫でしょうか?この辺りの人たちは、そんなお祭りなんぞに行っている暇があるなら、この法を勉強して実践された方がよいのではないですか。

どこの祭りに参加するより、またどこの有名な寺や神社に参拝するより、法を勉強し実践した方がよほど安全であるからです。

それを一番肌で感じているのがこの辺りの人たちなのではないでしょうか。

そのようなところ(寺や神社、祭りなど)に行き、何かご利益がありましたか?

この辺り(名古屋を始めとした東海三県など)で起きている、ここ数年の災い(サイレンなどのです)その間にお経を上げた人もいれば、お墓にお参りした人もいたでしょう。

お寺や神社に参拝した人もいれば有名パワースポットに行った人もいたでしょう。昨日の熱田祭りのような大きな祭りに参加した人もたくさんいたはずです。

しかし、そういう人がどれだけいても災いはちっとも収まらないのです。

ご先祖に頼もうと、有名、無名な神様に頼もうと、パワーがあると有名なパワースポットに行こうと、どこに行っても、また誰に頼んでもこの起きている災いは止まらないのですから、では、そのような場所には何のご利益もなかったといっても過言ではないのではないでしょうか。(または効かなかったといった方がよいのでしょうか?どちらでも同じです。悪いことが止まらないことには変わりがないからです)

もし、そのような場所に何かご利益があるのなら、そういうところに行っている人たちはたくさんいるのですから、この起きている災いは減って行かないといけないのです。

しかし、実際は減るどころか、増えているところがたくさんあるのです。(どこかの会社の人たちなど大変そうです)

これが現実なのです。残念ではありますが、これまでしてきた信仰など何のご利益もなかったのです。

これまで多くの人がして来た信仰と思っていたことは、実は信仰とは名ばかりの本当の正しい信仰ではなかったからです。

そのようなことを私はこれまでこのブログに何度も書いて来ました。(お寺や神社、仏像にお参りしても意味はない。パワースポットも同じ)そのことが奇しくも名古屋で証明されているのです。

しかし、私や私が説いている法を実践してる人たちには奇跡が起きているのです。(もちろんその奇跡は、自分たちが法を実践した程度によって起き方は違いますが)

では、どちらが正しい信仰なのかはもう火を見るよりも明らかなのではないでしょうか。

後はそれをいつ認めるのかということだけなのです。多くの人たちがです。

この教えの正しさを認め、古い信仰を捨て、この正しい信仰をすることが出来るか否か、それが自分が救われるかどうかの別れ道であるということです。

最近、若い時から天才的な才能を発揮する人がたくさん出てきました。(野球はもちろんですが、今やっている卓球やテニス、ゴルフやサッカーやスキーやスケート、将棋に至るまでです。若いのに天才肌の人がたくさん出てきました)

しかし私は、こういう人たちがこれからたくさん出て来るということをすでにこのブログに書いていました。(もうすぐこの日本に菩薩界が誕生しますとです。〔あの世の菩薩界から出てくる人がたくさん出て来てです〕そうして、その菩薩界から出て来る人たちは、小さな頃からすでに天才的な部分がある人たちで、そういう人たちがこれからたくさん日本に生まれて来るとです)

そのような人たちが実際出てきているのです。

そうして、そういう人たち(菩薩)が中心となって、これから世の中を変えていくのですが、それもこれも、この法を勉強しないと意味がなくなるのです。

法を勉強しないまま、形だけ菩薩界から出て来た人が中心となり物事を進めても、うまくいかないからです。

特にこれからは正法の世が深まって行きます。法を知らないまま何かを進めても悪いことが起きてうまくいかないのです。(それをこの辺りで起きていることが教えているのです。この辺りで起きていることは、これから日本が菩薩界になって行くための正しい順序を教えているのです。このようにやっては〔法から離れていては〕うまくいかないとです)

だから菩薩界から出て来た人たちは必ず、この法に巡り合うチャンスがあるのですから(だから、そういう人たちですでにこのブログを読んでいる人も多いと思います。それは過去世からの法との深い縁が菩薩界の人たちにはあるからです)それを活かさないと本当の自分の使命は果たせないということです。

しかし、それはなにも若い人たちばかりではありません。

年には関係なく、この教えに異常に興味がある人などやはり法に深い縁がある人たちであり、心のレベルの高い人たちであるのです。(菩薩界、神界クラスの人たちであるということです)

しかし、そのような人たちは(法に深い縁があればあるほど)この教えをよく勉強し実践しないと、自分の本当の力は現れてこないのです。(だから、この法を知っただけで実践しないでいる人たちの中に〔ほとんどそういう人たちばかりなんですけど・苦笑〕まだまだ素晴らしい力を持っている人がたくさんいるということです)

では、やってはどうですか?そうしないと自分の本当の使命は果たせずに終わってしまうからです。

都合のいいところだけやるのではなく、私がこのブログを読んでいる人は布施位しないといけないと書いたら、即それを実践するのです。(ウナッシーさんのようにです)

そうすることが法の実践になるのだし、またそういう心のレベルの高い人たちがまず手本を見せないと、それより低い人たちがやるはずがないのです。

心のレベルの高い人たちは何でも自分が率先してやって、多くの人たちを正しい道に導く、そういう使命もあるからです。(心のレベルの低い人たちは悪いことをどんどんやって不幸になりますが〔それをまねした周りの人たちも不幸になります。つまり心のレベルの低い人たちは自分だけではなく、この世のレベルも下げるということです〕逆に高い人たちはよいことをどんどんやって、それを周りの人に見せ、周りからそれをまねする人たちをたくさん出さないといけないのです。〔それが人を導くということですから〕よいことをする人が増えれば当然この世のレベルは上がります。そのこの世のレベルを上げるということもまた菩薩の使命としてあるからです。〔菩薩とはそういう心のレベルの人たちなのです〕菩薩が自分さえよければよいなどといっていたら、どこまで自分の心のレベルを下げるか分からないのです)

私のいった通りのことが次々に起きています。(ということは、私のいっていることは正しいということになります)

では従われてはどうでしょう。

正しい意見に従うことは一番幸福になれる方法であるからです。

(先ほども書きましたが、心のレベルの高い人は、自分で判断し、よいことは一人でも行わないといけないのです。それが自分の心のレベルを上げる、唯一の方法であるからです。もう心のレベルが高ければ高いほど、普通のよいことをしていたくらいでは自分の心のレベルは上がらないのです。〔元々のレベルが高いからです〕法に協力することがこの世で一番のよいことなのです。では、されてはどうですか?それが嘘ではないということくらい心の高い人たちなら分かるはずであるからです)

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6月 04 2017

お年寄りの皆様へ

昨日は笑ってしまいましたね。(笑)

なぜかといえば、昨日ブログに書いたオバちゃんがブログを読んだのでしょう。昨日の帰り道にも家から出てきていて(昨日も白鳥公園に行ってきましたので…昨日もガラガラでした)怒って家の前を掃除していたからです。

ちりとりにほうきをガンガン当てながら掃除しています。(笑)怒っているのがこちらからも分かるものですから、笑えてきて「オバちゃん、怒ってんのか。いいじゃないか嘘を書いているわけじゃないんだから」と声をかけました。

しかし、そのオバちゃんは私のいうことなど無視して、凄い勢いで掃除をしているのです。(子供のようです。〔笑〕)

どうしようもないなと思いながら「しかし、あんたらが自分の間違いを認めないと子供らも認めないんだぜ。これだけ起きていることも違うんだから、もう自分たちの間違いを認めろよ」などと話したんですが、聞く耳を持たないという感じでした。

その家の並びにある家からも何人か年寄りが出てきていました。(七十すぎの人たちばかりのようでした。〔もっと若い人もいたのならすいません〕その人たちもこのブログを読んでいるのでしょう)そういう人たちへも声をかけたのですが、誰も私のいうことをきこうとしません。

無視している人たちばかりでした。(中には先ほどのオバちゃん同様、怒って掃除しているおっちゃんもいました。一人、二人の人は黙ってこちらを見ているようでしたが)

こちらは子供のことまで出しているのです。子供が自分たちのまねをしてもいけないと(それでは子供にも災いが起きますから)自分たちが反省するなら反省する子供も出て来るだろうと、それならまず自分たちが反省して手本を見せようと、そういう(自分はともかく)子供に対す愛の心がある人はいないのでしょうか?

自分の憂さ晴らし(うさばらし)さえ出来ればそれでよいのでしょうか?

こういう愛のない年寄りが多いからこの辺りは悪いことばかり起きているのです。

年寄りの人たちはよく考えてみてください。

もう自分がこの世にいる時間は数年から長くて十数年でしょう。(マァ、百まで生きると決めている人は別でしょうが)

そんな時間はあっという間にすぎてしまうのです。(そうですよね。年を取れば取るほど時間は早くすぎて行きますから)

その間、何の愛も出さずに死んで行くようなら、その人は確実に地獄に堕ちるのです。いま愛が出せないという人は若い時からたいした愛を出していないと思うからです。(というより怒りばかり出していますから。この辺りの年寄りはです。よけいいけません)

これまであなたたちはこの法を知りませんでした。

その法を知らない間、どれだけ長くこの世にいていろいろ体験し勉強したのか知りませんが、しかし、法を知らずにいた人生などほとんど意味がないのです。

本当の心の勉強になっていないからです。

法を知らずにいろいろ勉強したところで、それは単に知識を得たにすぎず、たいして心の勉強にはなっていないのです。

だからこのような時代になっても何の奇跡も起きないのです。

心の勉強をしてこなかったからです。

こういう時代になると分かるのです。年寄りであろうと誰であろうと、これまで生きて来た人生に意味があったのか、それともなかったのかということがです。

意味があったのであれば、なにがしかの奇跡が起きるようになるからです。(正法の世とはそのような時代です)

しかし、この辺り、奇跡が起きている人はいません。災いが起きる人ばかりなのです。(それは特別この辺りだけではありませんが。日本が多死社会になっているのがその何よりの証拠です)

そういうところで分かるのです。これまでの人生が間違っていたということがです。(そのような災いは、それに対しての天罰です)

だからこそ年寄りの人たちには早く気づいてもらわないといけないのです。自分たちの間違いをです。

年寄りは、もうこの世にいる時間が少ないからです。

どれだけ我を張ろうと、これまでの人生は間違っていたのです。(仕事から普段の生活から宗教に至るまでです)間違っているから周りに災いばかりが起きるのです。

自分が正しいというのであれば、この災いを止めてみてください。怒っているだけではなくです。

こういう時こそ、年寄りの知恵が生きるはずであるからです。(こういう不幸がたくさん起きて来た時こそ、年寄りの知恵を発揮する時なのではないのですか?そうでなければ年寄りの意味がありません)

しかし、そのようなことが出来る年寄りはいません。(この辺りの災いなど減るどころか、増えていますから)自分たちも若者同様、右往左往している人たちばかりなのです。

それこそ自分たちが間違った人生を送って来た何よりの証拠なのです。

正しい人生を送ってきているのなら、何が起きても対処する方法は分かっているはずであるからです。それだけの知恵と体験を年寄りであるなら持っているはずであるからです。(だから、お年寄りにはショックな話でしょうが、これまでしてきた仕事も普段からの生活も、そうして宗教までも間違っていたということです。だから、自分たちが何をやってもよいことが起きないのです)

もうその現実を受け入れてはどうでしょう。何度もいいますが、年寄りにはあまり先もないからです。

そうであるなら若い人より先に、そのような現実を理解しないといけないからです。

その現実を理解しないまま死んで行くなら、その人は確実に地獄に堕ちるのです。

どちらにしても周りに悪いことが起きているまま死んで行くなら、その人は地獄行きです。

自分の心が悪いから自分の周りに悪いことが起きているからです。(何べんもいいますが、人のせいではありません)

自分の周りに奇跡が起きて来ないと天上界には行けないのです。

自分の周りに奇跡が起きるということは当然のことですが、自分の心がよいから奇跡が起きているからです。

死ねば自分が天上界に往けるのか、それとも地獄に堕ちなければいけないのかは、もうすぐに(死ぬ前に)分かる時代になったのです。(なんて分かりやすい時代でしょう。よかったですね、皆さん……そうでもないですか?)

では、誰のいうことをきけばいいのかはもう分かるはずです。

そのように周りに奇跡が起きているのは私だけなのです。では、どれだけ嫌でも私のいうことをきくしかないということになります。

現実は現実であるからです。

これまでして来た仕事も生活も、そうして宗教までも、いま起きていることに対応できないのです。

実際、仕事や生活の場を変えたところでこの不幸がなくなるわけはないのですし、どのような宗教に頼ってもこの災いは止まらないのです。(年寄りの中には、これまでお経をたくさん上げた人も仏像に祈った人もいたはずです。それでどうにかなったのでしょうか?どうにもならないのです。状況は悪くなる一方なのです。そのような現象で、自分たちがして来た宗教までもまったく意味がなかったということが分かるのです。残念ではありますが、それが現実なのです)

もう認めざるを得ないのです。私のことをです。私のいうことをきかない限り、奇跡は現れないからです。

死に近い年寄りが今のまま死んで行くなら、確実に地獄行きです。(周りにいいこと起きていませんもんね)

もうお年寄りはいつまでも我を張るのではなく、素直に私のいうことをきくしかないのです。

他の誰の意見をきこうと、その人に奇跡が起きているわけではないからです。

いつまでも怒っていても何も変わりません。(というより悪くなるだけです)

奇跡が起きている私を認め、従ってください。救われる道はもうそれしかないからです。

(今日はお年寄りのためだけに書きました。我ばかり張らず少しはきいていただけないですか?愛ある私の意見もです。〔愛があるから鳥が寄って来ているんでしょう〕)

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6月 03 2017

正しい善悪の基準

何か最近はこの辺りまた雰囲気が変わってきましたね。

怒っている人も多いんですが、どうもそれ以上に引いている人がいるようだからです。(最近は引いている人の方が多いんじゃないですか。どこかの会社も昨日くらいからずいぶん引いていますし)

昨日もそうで歩いていると引いている人があちこちにいたのですが、一昨日のことです。

白鳥公園に行ったんですが、その白鳥公園にほとんど人がいませんでした。

いつもならこの時期は(寒い時期や雨の時などは別ですが)白鳥公園内にはたくさんの人がいて子供なども遊んでいるはずなんですが(広いし子供の遊び場もありますから)一昨日は本当に人が少なかったのです。(爺さん婆さんがパラパラいただけです)

たまたまかもしれませんが、一昨日は白鳥公園に行くまでも少しおかしかったのです。

大学生もほとんど見かけなかったし(いつもは白鳥公園の辺りにたくさんいるのです。〔白鳥公園の横が大学ですから〕そういう連中がまた最近はよくちょっかいをかけてくるんですが…)歩いている中学生たちもずいぶん引いている、そこらにいるオバちゃんたちが変な顔をしてこちらを見ている、マァ、いつもと変わらないといえば変わらないのですが、何か様子が変でした。

いつもならもっとたくさんの人が私に嫌がらせをして来たはずであるからです。(昨日、一昨日はパラパラでした。そういえばここ最近は少ないですね。嫌がらせがです)

なんか変だなと思いながら白鳥公園に行ったのですが、白鳥公園はそんな感じで(ガラガラ)もっと変です。(また世にも奇妙な物語に出ているようでした。〔苦笑〕)

白鳥公園内を歩きながら「何で今日はこんなに人が少ないんだろう?」と不思議でした。

それにパラパラいる爺さん婆さんは私にやたら怒っているようです。(こちらを見る表情とか態度で分かります)

ずいぶん悪いことが起きて来たのではないでしょうか。(それでみんな私を避けているとかです。白鳥公園に行く曜日を私はだいたい決めていますから)運転手連中も最近はブシュブシュやってくる人も少ないからです。(こういうことを書くとまた皆やってくるかもしれませんが。無理してです。〔苦笑〕)

それで、その悪いことがたくさん起き出したのもみな私のせいなのですか?

自分たちは何も悪くなくてです。

皆さん本当に大丈夫ですか?先に嫌がらせを散々してきたのはその引いている人たちの方ではないですか。

自分たちのひどい行いをお忘れですか?あなたたちはよってたかって私一人に嫌がらせをやり続けているのです。

その私に心だけは救われているくせにです。

その嫌がらせを謝るわけでもなく、心を救われたことに感謝するわけでもなく、まったく自分たちの態度は変えようとせず(今も嫌がらせはゼロではないですから)悪いことをするだけしておいて、それで悪いことが増えてきたら、それも私のせいなのですか?

どこまで都合がいいのでしょう。

そんなだから災いも増えるのです。(そういう超自己中で無反省な態度だからです)

またそのような私に対する態度だけでなく、そういう人たちは自分たちの普段の行いも悪いのではありませんか。

何回も書いていますが、普段から人の悪口を散々いっていたり、少し自分が気に食わないとすぐに嫌がらせしたり(それがどれだけ小さな行いでも同じです。嫌がらせをしていることには変わりがないからです)怒ったり、愚痴ったり、ねたんだりひがんだりしていませんか?

それもみな悪いことなのです。(自分にその自覚があるのかないのかは知りませんが)

そういうことを普段からしているのであれば、自分たちに悪いことは起きてきます。(因果応報です。普段の自分たちがしている悪が自分たちに返って来るのです)

そうして私に対する感謝の足りなさと行いの悪さです。

もうとどめですね。

それだけ悪いことを重ねれば、すぐにでも天罰はくだります。だからくだっているのです。

次々に天罰がです。

その今現在、多くの人に起きている災いとは、ただ自分がしている悪いことに対しての天罰にすぎないのです。

それを私のせいと多くの人が勘違いしているだけなのです。

何でそんな勘違いを多くの人がしているのか?

それは多くの人が正しい善悪の基準を知らないからです。

だから天罰を食らうのです。

多くの人が善悪の基準をまったく分かっていないからです。(だから私には次々に奇跡が起きているのです。その正しい善悪の基準を知って、その基準に合わせて生活しているからです)

この辺りの人の(別にこの辺りだけではありませんが、多くの人のです)善悪の基準は犯罪を犯すか犯さないか、その程度の基準なのではないでしょうか。

法律に引っかからなければ悪いことをしているわけではないと、そのこの世の法律に善悪の基準を置いて生活している人がほとんどなのではないでしょうか。

しかしそれは違うのです。

そういう甘い基準でいるから多くの人が天罰を食らうのです。(まだまだ甘いですね。法律などです。法律などいくら守っても奇跡は起きません。なぜならこの世の法律では心の内面までよく出来ないからです。心がよくならないと奇跡は起きて来ないからです)

本当の善悪の基準はこの世の法律ではなく、それも含めてすべて自分の心が基準となるのです。

つまり正しい善悪の基準とは自分が持つ(これは自分だけではありませんが、すべての人が持つです)良心が基準となるのです。

その良心で自分が今していることは正しいのか、それとも正しくないのかを判断しないといけないのです。

その良心が善悪の本当の正しい基準であるからです。

そうであるなら、私がいったことは分かるはずです。人の悪口や嫌がらせはよいことなのですか?怒りや愚痴、ねたみやひがみはどうでしょう。

そのようなことは自分の良心に照らし合わせてみるならば、すべて悪いことであると分かるはずです。

だからいっているのです。そういうことはすべて悪いことですよとです。

しかし、この世の法律ではそのようなことは取りしまれません。(人の悪口をいった者は逮捕するとか、人に嫌がらせをした人は死刑とか〔だとしたら、この辺りずいぶん多くの人が死刑になります〕怒ったり愚痴ったりした者は罰金とか出来ませんから)

だから別にそのようなことをしてもよいと思っている人もいるのかもしれませんが、良心が善悪の基準と分かるなら、そのようなこともすべて悪であると分かるのです。

その善悪の基準の差、その(善悪の基準を守るか守らないかの)行いの差が、私と多くの人との起きることの差(奇跡と災い)となって現れているのです。(分かりませんか?そのようなこと〔悪口、嫌がらせ、怒り、ねたみ、ひがみ〕がどれだけ大きな悪であるかがです。法律で裁かれなくても、起きている災いで自分がしている悪の大きさを知らないといけないのです)

一昨日、白鳥公園に行った帰りのことです。

家の近くまで歩いてくると、ある家の前でオバちゃんが自転車のかごに入ったものをガチャガチャやっていました。

さっさとそのかごの中の物を持って家の中に入って行けばいいのに、なかなか家の中に入ろうとしません。また私を待っていそうな人でしたので(嫌がらせをしようとです。〔笑〕)先に声をかけました。(前回の話ではありませんが、そのオバちゃんが地獄霊のように見えたからです。私に悪さをしようと待っている地獄霊のようにです。〔笑〕)

「オバちゃんブログ代払ってよ」とです。(近所のオバちゃんでしたのでもう私のブログを読んでいるのは分かっていましたから)

そうしたら、そのオバちゃんは急にビクッとしていやらしそうな顔になり下を向いて、そそくさと家の中に入って行くではありませんか。

今の今まで、自転車の前かごの中に手を突っ込んでモタモタしていたオバちゃんがです。

あれには笑ってしまいましたが(笑)そういう私のブログを読んで散々心を救われた人もこの辺りは多いのです。

そのお返しが嫌がらせですか?

それが正しい行いか間違った行いなのかは、自分の良心に照らし合わせればよく分かるはずです。(この前のオバちゃん、今回のブログよく読んどいてね。〔笑〕)

そういう態度を取っていてよいことが起きると思いますか?(どういう悪いことが起きているか知りませんが。それはみな自分たちの〔普段からの〕行いが悪いからです。私のせいではありません)

よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、返って来るのが法則なのです。(原因結果、作用反作用の法則)

その法則は必ず作用します。では、よい行いをされてはどうですか?そうすれば必ずよいことが返って来るからです。

(というより、今のままでは大変危ないことが起きる人がこの辺りたくさんいます。〔どこかの会社はまた何か起きたようですし。先ほどひどい怒り方をしていたからです〕悪いことはいいません。この辺りの人たちは早く私によいことをした方がいいでしょう。そうしないと次々に災いが起きる、そのような時がもう来ているようであるからです。〔私をいくら避けても災いは避けられません。急がれてはどうですか?私に対し後ろめたい人はたくさんいるからです〕)

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6月 01 2017

怒りより気づき(今までにない稀な体験)

相も変わらず皆さんお怒りなんですが(どこかの会社など本当にやばそうですが…大丈夫ですか?)最近のパターンとしましては家や会社の中からガンとかゴンとかする人も多いんですが、私が歩いている先で待っていて、私が通りかかると嫌がらせをするという人も結構います。

だからもうそういう人は遠目から見ても分かるのです。何気なく立っているようですが、その立っている姿が何か不自然で異様に見えるからです。

それを分かりやすく例えるなら、私が歩いているその先に地獄霊が一体立っている、そんな感じですかね。(よけい分かりにくいですかね。〔笑〕)

だからそういう人を見かけるとこちらは辻説法をしながら、そちらに向かって歩いて行くのです。すると、その立っている人たちは私が近くに行く前にだいたいどこかに行ってしまうのです。

その辻説法で自分の間違いに気づくからです。

こういうところも地獄霊とそっくりです。地獄霊は自分の間違いが分かると天上界に帰って行くからです。

だから地獄霊にお経など、どれだけ上げてもその地獄霊は救えないのです。(そのお経の意味を地獄霊は知らないからです)

もし迷っている霊がいるようなら神理をコンコンと説いてやることです。そうして正しい祈りをしてあげるなら(神よ、この霊に光をお与えください、安らぎをお与えください。どうぞ正しくお導きください)その地獄霊は自分の間違いに自分で気づいて反省して天上界に帰って行きます。

そのようなやり方こそ地獄霊を救える唯一の正しいやり方であるのです。

だから人も地獄霊も同じであるということです。(それはそうでしょう。人と霊の違いは肉体があるのかないのか、それだけですから)

マァ、地獄霊の話はいいんですが(とりあえず、生きている人を救わないといけませんから)この辺りの人たちは早く気づいた方がいいでしょう。

自分たちの間違いにです。

自分たちが間違えているから自分たちに災いが起きているのあり、人のせいではありません。(もうそれをどれだけいったか分かりませんが。〔苦笑〕)

この辺りの多くの人たちは私に心を救われているのです。それにこのブログを読んでいる人も多いのです。(ということは心を救われたことプラス、多くの〔神や心の〕ことを知ったということになります)

では、感謝されてはどうですか?

これだけ神の奇跡が現れ、神の心が分かることも、自分たちの永い輪廻転生の過程であってもそうは体験出来ることではないからです。

大変稀で貴重な人生であると思うからです。(こういう体験は普通出来ません。それは爺ちゃん婆ちゃんにでもきけば分かります。どれだけの年寄りでも、これほどの現象〔神の業〕を見た、あるいは体験したなどという人はいないはずだからです。では、これだけ稀な人生もないということになります)

では、感謝されるのが当然でしょう。私にです。私と同じ時代に生まれたからこれだけ稀な体験も出来ているからです。

一回の人生でこれだけ知らない体験をすることもそうはないのです。

それだけ多くの知らない体験をしたということは(善い悪いは別にして)それだけ多くのことを知ったということに他ならないのです。(知らない体験をしたということは知らないことを知ったということですから)

では、ずいぶん中身の濃い人生を送っているということになります。これだけ神や心のことを知ることが出来る人生もそうはないからです。

そうして、その神や心のことを知ることこそが、私たちがこの世に出て来た本当の意味であるからです。

私たちがこの世に出て来たのは何も金や地位や名誉を得るためではありません。それは、そのようなものは、すべてこの世に置いて行かなければいけないということでもその事実が分かるのです。(そういうものをあの世に持って帰った人など一人もませんから)

では、あの世に持って帰れるものは一体なにか?ということになりますが、それが心なのです。

私たちは自分の心を磨くためにこの世に出てきているのです。その心だけはあの世に持って帰れる唯一のものであるからです。(肉体が死んでいるのに心だけは残っていた、などという人はいませんから)

だから、その心を磨くために、この世の様々な体験が大事なのであり、この世の金も地位も名誉も、その自分の心の磨くための一つのアイテムにすぎないのです。

それなのに、その心を磨くための一つのアイテムにすぎないものを得るために血眼になっている、本当に哀れですね。

この世のものだけしか目に入らない人たちはです。

そのような考え方に一石を投じたのが私の起こした現象であり、そういう奇跡が起きたから、この世は物だけではないということも分かったのです。

多くの唯物無神論であった人たちがです。

私が祈って様々な現象を現さなかったら、その(この世がすべてという)唯物無神論を変える人はいなかったはずです。

では、私は皆さんの心にとって(心だけに絞った場合です)大変よいことをしたということになります。

多くの人が唯物無神論から唯心有神論に目覚めたからです。(まだ完全に目覚めている人はいませんが)

だからそれに気づかないといけないといっているのです。

それに気づかず上辺の起きていることだけを見て、怒っていても悪いことしか起きないのです。

そういう判断が間違っているからです。

上辺で悪いことが起きているのは、その人の心が悪いから起きているのであり、人のせいで起きているのではないのです。

その人の心がよければ悪いことは起きないからです。(こういうところがまだ完全に唯心有神論に目覚めていない証拠なのです。責任転嫁など唯物無神論の最たるものであるからです。すべての原因は自分の心にある、完全に唯心有神論になればそれが分かるからです)

だから、悪いことが起きた人は自分が悪かったと割り切り、自分の悪いところを反省することです。

実際にそのような人たちには反省すべき点が多々あると思うからです。そういう点があるから悪いことが起きたからです。

すべてのことにおいて、自分がよいのならよいこと(奇跡)しか現れないし、自分に悪いところがあるのなら、その悪いところは現象(災い)として現れるのであるのだし、そのような心に思っていることが分かりやすく現れる時代になったということです。

怒ってばかりいるより気づかないといけないのです。

自分の悪かった点をです。

今回の人生はずいぶん神の業が現れる大変稀な人生であるのです。

では、その幸運を活かし大いに心を磨いてください。(これだけ幸運な人生はありませんから。心から観たらです)

それだけ悪い現象が現れる時(最大のピンチ)は、それだけよい現象も現れる時(最大のチャンス)であるからです。

泣き言(責任転嫁)をいっていても何も変わりません。

いま起きていることを変えたいのであれば、正しいことに気づくことです。

自分で気づいて自分で変える、それ以外で救われる道はないのです。

(それは先ほど書いた地獄霊たちと同じです)

追伸…この辺りの人たちばかりでなく、北朝鮮もまたずいぶん怒っているようです。

日本への攻撃対象を(アメリカ軍の基地から)拡大するとかなんとかいっているようでが、勝手に日本のEEZ内にミサイルを撃ち込んでいるのはそちらなのです。

それで怒っているのはおかしいでしょう。怒らないといけないのはこちらの方(日本)であるからです。(どう考えても逆です。だらしがないことに、こちらは一方的にミサイルを撃ち込まれているだけであるからです)

そういうひどいことをされているにもかかわらず、そんな勢いで日本のEEZ内にミサイルを撃ち込めば(最悪の)不測の事態も起きかねませんよと教えてあげてもいるのです。

もし、そんな勢いで何発もミサイルを撃ち込んで、アメリカ軍機や軍艦にミサイルが命中でもしたら、どうなると思いますか?(それは自衛隊機であろうと日本の漁師の船であろうと同じなのです。そんなことになったら日本人はみな怒るのです。もちろん私もです)

そんなことにでもなったら、そちらもただでは済まないのです。(もしかしたらさすがの北朝鮮といえども最悪の事態に陥るかもしれません。アメリカ軍が武力行使を行うかもしれないからです。マァ、誤差が七メートルくらいの正確さでミサイルが撃てるのですから、いらぬ心配かもしれませんが)

そういう最悪の事態になってもいけないから、そこまでされない方がよいのではないですか?といっているのです。

ミサイルもほどほどにされてはどうでしょう。この勢いでミサイルを撃たれてはどの国も対話どころではなくなるからです。(そうなれば当然、圧力一辺倒にもなりますし)

マァ、北朝鮮も怒っているばかりでなく、少しは感謝されてはどうでしょう。そうすればいいことも起きて来るからです。

なんなら神の心を教えましょうか?神の心を知るならば北朝鮮にも奇跡が起きて来るからです。

神の心を北朝鮮の多くの人が知るならば、今のような状況も段々変わって行きます。

勉強されてはどうでしょう。

北朝鮮もこの神の心(正法神理)をです。

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