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2020年1月

1月 14 2020

きく耳がある人はきいてください

昨日のことです。ある宗教団体の建物の横を通ると上から音がしてきました。

その音のする方を見ると建物の二階の窓を開けてオバちゃんが何かガタガタやっていました。

私が歩いていると鳥が騒ぎますからね。(そうして飛び回るし)すぐに分かるのでしょう。それで私が「何だここの宗教は人に嫌がらせしてくるのか。自分たちでこの教えは間違っているといっているようなもんだな」と声をかけました。

しかし、そのオバちゃんは私のいうことなど無視してガタガタやっています。だから続けて「間違った宗教を信じていると地獄に堕ちるぜ。オバちゃん、ここに正しい神の教えを説いている者がいるんだから、この教えに帰依しろ」と声をかけましたが、まだ無視しています。

その後「あんたたちに何の奇跡が起きるのか。奇跡が起きることが正しい教えの証拠なんだぜ」「あんたたちにこのように鳥が寄ってくる者がいるのか。こういう現象が現れる者が本物なんだ。釈尊やキリストにも同じことが起きていたんだからな」「間違った信仰をしたまま死ねば地獄行きだぜ」などなど、こちらもガーガーいっていたのですが、そのうちに窓をピシャと閉めてこちらを見ながら(にらみつけながら)カーテンを思いっきり閉めていました。

これで信仰をしているというのですから本当に哀れなものです。

このオバちゃんはもう自分たちのしている信仰が間違いだと分かっているのです。(だから怒っているのでしょう)そうして、私が正しい教えを説いていると分かっているのです。

それにもかかわらず、自分がしている間違った信仰をやめることが出来ず、私に八つ当たりしている。

だから哀れだといっているのです。

なんで、そんな自分が間違っていると分かっているのに、正しいことをしようとしないのでしょう。

それはそんなに難しいことでもないのにです。ただ、その信仰をやめて私に帰依すればそれですむ話なのにです。

それがすぐに出来ないというのであれば、その信仰を続けながらでもこの教えをしてみればいいのです。

こちらの教えを実践してみれば、自分たちの信仰とどれだけ違うか、そうしてこちらのよさがよく分かるからです。

しかし、そういうことを少しもしようとしないでただ怒っているだけ、これでは救われるわけがない。本当にこのような人は地獄に堕ちるしかないのです。

少し自分が勇気を出せばやれることをやろうとせず怒っているだけだからです。正しい信仰が何かそれが分かっていながら、それを無視し続けているからです。

しかし、このような人はたくさんいるのではないでしょうか。特に、このブログを見ている人たちなどはです。

少し勇気を出せばやれることを(この教えへの帰依)いつまでたってもやろうとしないからです。

どちらにしてもです。これ以上、法(正法神理)と縁のある人がやる気を出さないというのであれば、もう法の流布も長くは出来ないでしょう。

もう金は底をついているし(もう母もカツカツですから)いつまでたってもこちらの人たちはくだらない嫌がらせをやめようとしない。

これでこのパソコンが壊れたり、電気が止められたりしたら(電気代を払えずにです)それでアウトでしょうね。

もうどうにかできるほどの金もないからです。(ウナッシーさん以外)まったく布施をもらえないからです。

所詮はです。いくら正しい神の教えとはいえ、一人や二人でそれ(正法神理)を説き続けようとしたところで無理なのです。釈尊やキリストでも、多くの人の協力があったからこそ神理を人々に説くことが出来たからです。

しかし、今生は、ウナッシーさん以外はほとんど協力らしい協力はしてもらえません。そうしてこの辺りの人たちは人の顔を見れば嫌がらせです。

そんなことしかしないのですから(こちらの人たちなどじゃましかしないのですから)こんな状態でいつまでもやれるわけがありません。

私もこのような状況でよく十年も法の流布を続けたものです。ある意味奇跡ですね。

しかし(こちらの苦労など)それをどれだけいっても、このブログを見ている法に縁の深い人たちは関係ないようで動こうとしません。

自分のことばかりしています。そうしてどれだけ多くの災いが起きてきてもです。

それでも関係なさそうなんですが、しかし、そういう人たちにくれぐれもいっておきます。

このままではもう近いうちにこの教えは説けなくなります。このまま誰も協力してくれないのならです。

ずいぶん母に無理をいってきましたし、こちらも相当無理をして来たからです。

しかし、それも仕方がないとしか思わないのであれば、それはこのままでよいのですが、そうは思わない人はです。少しでも結構ですから布施をしてください。

これ以上布施をもらえなくては続けられないからです。この法の流布もです。

本当にこのブログを見ている人たちは、この教えをここで説けなくさせてしまい、それでよいのですか?

いま現在、奇跡が次々に起きるのはこの教えだけなのです。

そうしてそれは(先ほども書きましたが)他の宗教も認めているのです。

この教えがなくなれば、正真正銘の正しい神の教えがこの地上からなくなるのです。

本当にそれでもよいのですか?数千年に一度しか現れない、多くの人々を本当に救うことが出来る稀有な教えをここで途絶えさせてしまってです。

しかもそれは自分たちがまったく動こうとしないせいでです。(その後ほんと怖いんですが……)

それでもよいと思う人は別にこれまで通りの態度でかまわないと思いますが、しかし、そうは思わないと、この教えのことを少しは真剣に考えていると、もしそう思っている人がいるのであればです。

気持ちだけでよいので布施をしてください。

布施さえもらえるのならまだこの教えを伝え続けることが出来るからです。そうしてもっと広げることも出来るからです。

しかし、このブログを見ているウナッシーさん以外の人たちは、もう十年たっても布施をしようとしない人たちばかりなんですから、今さらそんなこといったところでするわけがないと、普通はそう思うし、それはそうなんでしょうが、それでもです。

それでも、この正法神理に縁がある人にいうしかないのです。そうして、その法(正法神理)に縁がある人を信じやってもらうしかないのです。

縁のない人がそんなことをするわけがありませんし、法と縁がある人は本人にやる気があろうがなかろうが、そのような(法の流布の)使命があるからです。

そうして、その使命に気づこうが気づくまいが、こちらはその使命が果たせるよう導く以外にないからです。

そのような(法に縁のある)人たちは、それをしないと(この法の流布に協力しないと)後で死ぬほど後悔することになるからです。だから、こちらもそのことに少しでも気づいてもらえるよう、努力し続けるしかないのです。

それは法を説いている私がやらなければいけないことであるのだし、結果ではなく、どれだけ無駄と分かっていても、そのように導くことが法に縁がある人たちに対して私がやるべき一番のことであるからです。

だから自分がやれなくなるまでいうのです。それが法を説いている私の使命であるからです。法に目覚めようとしない人たちを法に目覚めさせることがです。

どちらにしても、その法に縁ある人たちが目を覚まさな限り法の流布は無理なのです。

だから、やれなくなるまではいい続けるしかないのですが、そればかりでなく、この正法神理をきいていて、それで何もしないではいいことが起きるわけがないのです。

そんな人たちはこの歴史を見てもいいことなど起きていないからです。(天罰を食らってです)それは現代の人たちであろうと同じなのです。

神理をきいたのなら感謝して報恩の行為をすることは当たり前の礼儀であり、筋なのです。そのような当たり前の筋をまったく通そうとしないから、現代の人たちはドンドン不幸になっているのです。

そんな不遜な態度を取り続けているのならそのような天罰は必ず当たるからです。

しかし、どれだけいっても現代の人たちは、その天罰を信じようとしないのです。天罰を天罰とは理解せず、それを人のせいにして怒っているだけなのです。

自分たちのそのような不遜な態度は棚に上げてです。

しかし、天罰はあるのであり(自分たちが気づいているのかいないのか、それは知りませんが)そんな不遜な態度を取り続けているのなら確実に天罰はくだるのです。

だから、きく耳がある人はきいてください。

数千年に一度しか出現しない神理がきけたということはこれほどの恩もないのです。この世に出て来た人でも神理など直接きけない人の方がはるかに多いからです。

だから、そのような最上の恩をいただいているにもかかわらず、それにまったく感謝しようとしないではよいことが起きるわけがありません。

感謝どころか、こちらの人たちなど、その最上の恩に対し怒りで報いているのです。

こんなデタラメなことをしていてはどれだけ天罰をくだされるか知れません。

残念ではありますが、こちらはその通りのことが起きているのです。私のいっていることが正しいからです。

もう次々に天罰をくだされているところがたくさんあり、悲惨としかいいようがないのです。

そういうことは散々このブログにも書いて来ましたが、このような人たちはその自分たちの間違いをどれだけいってもきこうとしません。

だから、未だにその悲惨な状況は続いているのですが、しかし、そのような天罰はこの教えをきいていながら感謝しようとしない人たちにも同じように起き出すのです。

結局、同じ(不遜な)ことをしていることには変わりがないからです。

だから、一向に感謝しようとしな人たちにも(こちらの人たちほど悲惨な現象ではないのかもしれませんが)感謝しないがために起きる天罰が現れて来ている人たちがいるはずです。

ただそれに(こちらの人たち同様)ご本人が気づいていないだけなのです。

そのような天罰を、病気は仕方がないとか、年だから仕方がないとか、あるいは忙しいから仕方がないとか、勝手にそう思ってです。

それを自分の都合に当てはめて考えているだけで、このブログを見ていて感謝しない人たちには、そのような悪い順序がついてくるということです。

それを天罰というのです。

だから、きく耳がある人はきいてくださいといっているのです。

「このブログを長く読んでいて、何もしないのは悪ですよ」ということをです。そうして「このブログ(正法神理)を読んでいるのなら感謝しないと天罰がくだりますよ」ということをです。

それは事実であるからです。

だから、もういい加減、私のいっていることを信じて(その通りのことが起きているのですから。しかもいくつもです)行ってもらえないでしょうか。

報恩の行為をです。

それをしようとしないから、このブログを見ている人たちは不幸になる人が多いのです。先ほども書きましたが、神理をきいていて何もしないのは悪でしかないからです。

悪をし続けていては天罰はくだります。だから(神理をきいたのなら)当たり前のことを(感謝の報恩の行為)当たり前にしてください、といっているのです。

そうすれば不幸は起きないからです。むしろ幸福(奇跡)が現れてくるからです。

その書いた通りのことが起きているのに、それを頑なにしようとしないから、これだけの不幸が現れるのです。このブログを見ている多くの人たちにです。(特にこの辺りの人たちにはです)

だから、千円でも二千円でも結構なのです。この神理をきいている人は、まず、その神理に対して感謝の報恩の行為をするということが大事なことなのであり、それをいつまでもしようとしないから多くの人に天罰がくだっているのです。(別に布施が出来ないという人はこのブログを多くの人に広めるとかそのようなことでもいいんですが……報恩の行為は布施が一番手っ取り早いので)

だから筋を通してくれればよいのです。そうすれば、そのような災いは現れては来ないからです。

何度でもいいますが、少しでも結構です。そのような報恩の行為を行ってください。それを行わないばかりにすさまじい災いが現れているからです。

それが事実なのです。その事実をこのブログを見ている多くの人たちが認めないだけなのです。もう何年も前から、そのような天罰は現れていたのにです。

それを頑なに認めなかった(頑なに信じなかった)それが今日の多くの不幸につながっているのです。

しかし、その不幸は、少しずつでも報恩の行為を行うならなくなっていきます。だから、少しずつで結構です。

報恩の布施の行為を行ってください。少しでもそのような行いをすることが大事であるからです。

何もしなければそれはゼロでしかありませんが(まったく何も始まりませんが)一でも二でも行うなら、そこから始まりが見てきます。

その(報恩行為の)始まりが不幸がおさまる始まりでもあるのです。

きく耳がある人はきいてください。少しでも結構です。報恩の行為を行ってください。それが幸せの始まりでもあるからです。

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1月 13 2020

罰当たり大国日本と無反省な人々

縁起でもありませんが最近はコロッと逝く人が増えて来ているのでしょうか?ついこの前も有名人が(F1の解説者)急死していましたし、最近よくきくからです。

急死する人をです。(そういう人がこちらでも多いですし)

他の病気で死ぬ人も多いようですが、とにかく最近は死ぬ人がドンドン増えています。(もう毎年死亡者数は増え続けていますから)これは高齢化という問題だけではないのではないでしょうか。

何か他に原因があるのではないでしょうか。単に高齢化というだけで、そんなに一方的に死ぬ人が増えていくとは思えないからです。

しかし、死んでいく人は増えていく一方で決して減りません。(もうずいぶん前からです)何でこんなことが起きているのでしょう?不思議といえば不思議ですね。

これだけ年寄りが長生きし出して(百歳以上の人がもう日本だけでも七万人以上いるとか)医療の発達も著しいのにです。

それにもかかわらず死者数は毎年増えています。本来なら増えたり減ったりしないとおかしいのではないでしょうか。日本国内で変な伝染病が流行ったり戦争が起きているわけではないからです。

そう考えればやはりおかしいですよね。この異様な死者の増え方はです。

私が何をいいたいのかといえばです。これも日本が災害大国といわれるようになったことと同じ理由なのではないのか、ということです。

要はこの死者数がドンドン増えているのもです。罰当たりの一つの現象なのではないでしょうか。(もう罰当たりな人たちがドンドンあの世に引き上げられている)

そうでなければ、これだけ死ぬ人が一方的に増えていくのもおかしいからです。

だから、このままではです。日本は災害大国に続き、次は死亡者(死人)大国などと呼ばれるようになるのではないかと(ほんと縁起悪いです)危惧しているわけです。

それくらいの勢いで死ぬ人が増えているし災いも増えているからです。

そういう状況であるにもかかわらず、あまりこのブログを気楽に見ていられても困るのです。そのような危機を救えるのはこの正法神理だけであるからです。

だから、この教えが説けなくなったら説けなくなったで仕方がないではすまないのです。

死んで行く人たちを止めることが出来、災いを奇跡に変えることが出来るのは、この正法神理だけであるからです。

だいたい、周りに悪いことが起きてきたら反省しないといいことなど起きて来ないのです。その悪いことは自分のどこかに悪いところがあるから起きていることであるからです。

にもかかわらず、同じ態度を取り続けていれば、その起きる悪いことは益々ひどくなります。

何度もいいますが、その悪いことは自分に悪いところがあるから起きていることであるからです。その自分の悪いところを反省するための気づきの現象であるからです。

だから、私やウナッシーさんは悪いことが起きるとすぐに反省するわけです。そういうことを知っているからです。

しかし、私たち以外のこのブログを見ている人たちは自分たちに悪いことが起きて来ても、それで反省する人などいないのではないでしょうか。

私たちがわざわざ自分たちの失敗を書いて、そうして反省しているのを知っているにもかかわらずです。

それを読んでいても平気でスルーして、悪いことを全部責任転嫁している。これではよくなるわけがありません。

だから、日本にこれほどの災いが現れているのです。日本の人々の多くが、このブログを見ている人たち同様、どれだけ悪いことが起きて来ても反省などしないからです。

それでは罰当たり大国にもなります。

その結果が、ドンドン増えて行く死亡者数に現れているのでしょう。まあ、大往生以外はだいたいは間違った死に方であるからです。そんなに早く死ぬのではなかったのに死んでしまった人がほとんどであるからです。(もちろん全部ではありませんが。一部はいますからね。寿命を短く決めて出てきている人もです)

だから、究極の天罰が当たる前に(天罰で死んでしまうようなです)反省することです。

そうすれば起きている悪いことは止まるからです。

その反省を一切せずに悪いことが起き続けている典型が、この辺りの人たちなんでしょうが(だからこれだけひどいことも起きている)昨日も書きましたが、この教えをしっかり勉強して人々に拡げる使命のある人は、この教えに協力しないと自分の本当の使命は果たせません。

そういう使命のある人たちがこのブログを見ているはずですし、そういう人たちにもすでに災いは現れて来ているはずです。そのような人たちの誰も自分の使命を果たそうとはしないからです。

そうであるなら、そのような人たちにその罪の大きさを天が教えないはずがないからです。

では、そのような人たちはよく反省し、この教えをしっかり実践し、この教えの流布にご協力ください。

そうしない限り、その起きている災いは止まらないからです。

そのような非常に大事な使命があるのかないのかは、自分自身の心にきけば分かるはずです。

誰も、その自分の心の内なる思いは否定できないからです。

この教えに強い思いがある人は、その思いのままこの教えの流布に、そうして実践に力を注いでいただきたいと思っています。

そうしない限り、自分の本当の使命は果たせないからです。

昨日も書きましたが、これまでそれでよかったのでこれからもそれでいいではないのです。それは単に進歩していないだけの話であり、無反省なだけの話でしかないからです。

進歩のない無反省な人によいことが起きてくるわけがありません。そういう人の末路は哀れにしかならないのです。

私たちがこの世に出て来た目的は心の成長なのです。そうして自分の本当の使命を果たすことなのです。

その心の成長と本当の使命の成就は反省なくして出来ることではありません。

私たちも未だに反省しています。そうであるなら使命のある人たちもこれまでの行いをよく反省し、その自分の大きな使命の自覚を持って、ぜひその使命を果たしてください。

そうしない限り(そのような使命のある人たちがその使命を果たさない限り)日本は(そうして世界も)よくなることはないからです。

その大きな使命を今すぐにでも果たされることを願ってやみません。

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1月 12 2020

使命のある人たち

しかし、凄いですね。まさに別格です。どこかの会社などです。

毎日です。毎日、何か起きているようだからです。しかも夜遅くまでです。よくおかしくならないですね。それだけ災いが起きていてです。(昨日もそんな話をしていました。どこかの会社の連中とです…そのように声をかけるとシーンとしていました)

早く私に頭を下げ、感謝して布施することです。それで私が祈るならピタリとその災いは止まるからです。

正法神理を説いている私がいうのですから間違いありません。本当にやってみたらどうですか。

それだけ災いが起きているのです。それがピタリと止まるなら、それだけ有難い話もないはずだからです。(急にそれだけ起きている災いが止まるならそれはそれで奇跡ですね。〔苦笑〕)

いい加減、折れてはどうでしょう。自分たちが折れない限り、その災いは止まらないからです。

しかし、これだけ多くの人たちがこれだけ頑張る(我を張る)とは予想外でしょうね。天上界もです。

昔の人なら、もうとっくに多くの人たちが頭を下げこの教えに帰依していたはずであるからです。しかし、今生の(現代の)人たちはすさまじい数の災いが現れても、一人として頭を下げようとしません。

さすがの天上界も困っていることでしょう。これだけ天罰を現しても、それでも誰も法を説いている者のいうことをきこうとしないからです。

しかし、恐ろしいことをしています。このような罰当たりな人たちのそんな傲慢な態度は、まともに神に(そうして天上界に)逆らっていることになるからです。

だから、これほどの災いも起きてくるのです。この辺りだけではなく全国的にもです。

罰当たりな人が多いからです。だから災害大国などと日本はいわれるようになるのです。そのような天罰をくだされる人たちが日本にはたくさんいるからです。

しかし、困りましたね。こちらもです。こんな状況ではこちらも続けることが出来ないからです。この正法神理の流布をです。(そりゃそうでしょう。そういう〔罰当たりな〕人たちが誰も布施をしようとしないのですから)

しかし、このブログを見てもあまり興味を持たず逆らっているだけのような人たちは、それでよいのですが(地獄に行くだけですから……今日の朝もいましたけどね。そういう人がです。〔苦笑〕)問題はこのブログを好意的に見ていて、そうして読みたくてならないという人たちです。

そういう人もいますよね。このブログを見ている人たちの中にはです。どれくらいいるのかは知りませんがゼロではないでしょう。そういう人もです。

問題はそういう人たちなのです。そういう人たちは、この正法神理と縁が深い人たちであり、だから、このブログを読みたくて仕方がなくなるのです。

心からこの教えを求めているからです。

しかし、そのような人たちは当然、この教えと縁が深い分、この教えに対する使命も大きいのです。

だから、そのような人たちが、他の人たちと同様にこのブログをただ見ているだけでは天は許しません。

単に地獄に堕ちるではすまないのです。

そういう人たちは、多くの人々を救うという使命もあるからです。(それはそうです。正法神理と縁が深いということは、その神理を多くの人々に伝える〔ということは多くの人々を救う〕という使命も当然あるからです)

そういう人たちがボケっとしているから、いつまでも私が苦しいままなのです。そのような大事な使命を持った人たちが自分の一番の使命を果たそうとしないからです。

だから、そういう人たちで(このブログを好意的に見ている人たちで)自分や自分の周りに悪いことが起きて来ている人もいると思います。

いませんか?いるでしょう。そういう人もです。

このブログを見ているくせに私に嫌がらせをして、そうして悪いことが起きているというのではなく(それはただの天罰ですが)好意的に見ているにもかかわらず、自分が病気をしたり、家族が病気をしたり、あるいは周りに何か悪いことが起きている人たちなどです。(例えば、そのような病気はもちろんですが、去年の一連の台風などで家が壊れたり、水に浸かったり、けがをしたりした人などです)

そういう人は、それは天罰ではなく警告なのです。天上界からのです。

このブログを書いている私に協力しろというです。

だから、そういうことが起きているのですが、それを無視して、このブログをボケっと見続けていると、もっと悪いことが起きてきます。

だから、もう気づかないといけないのです。そのようなことにです。

これまで何年にもわたり、そのような態度を変えていないのだからそれでいいではないのです。

何年にもわたってこのブログを読み続けているのですから、もう神を信じ、神理を信じて、そうして自分の行いを変えないといけないのです。神の心に叶う方にです。

特にそのような(このブログを好意的に見ている)人たちはです。大きな使命があるからです。

それをいつまでたってもしようとしないから段々悪いことが起きてくるのです。

だから、このブログを好意的に見ている人たちで、最近は悪いことばかり起きてくるという人もいるでしょう。

そういう人はもう時が来ているのです。自分の本当の使命を果たさなければいけない時がです。

だからそのような人は、私に感謝して感謝の布施をされることです。(まあ、本当はそのような人は、この教えに帰依してガンガンやらないといけないのですが、まだそこまではいかない人はです)

そうすれば、その起きている悪いことは段々起きなくなり、よい方に変わってくるからです。

そうしてまだ何も起きていない人たちもです。そういう(法の流布の)使命のある人は、その使命を果たそうとしなければいずれ必ず悪いことは起きてきます。

だから、それが起きる前に気づくことです。自分の本当のやるべきことをです。それに気づかないと段々運命は悪くなって末路は哀れになるからです。

これまでそれでよかったのでこれからもそれでいいではないのです。そういう人たちが自分の使命を果たさなかったがため、この十年の間、天罰は(警告は)現れ続けていたからです。

ただそれを、このブログを見ている人たちが信じなかっただけです。認めなかっただけなのです。(私はくどいほどいいましたがね)

しかし、そのようなことをし続けていれば、その天罰はやがて自分たちにも現れてきます。そういう天罰が個々にすでに現れ出しているということです。

このブログ(正法神理)をないがしろにしている人たちはもちろんですが、好意的に見ている人たちにもです。

自分の一番の使命を無視して、いつまでも自分のことだけしているようなら不調和な現象は次々に現れてきます。

自分の本当の使命にいい加減気づいて、それを行いませんか?

それが一番の調和と安らぎの道であるからです。

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1月 11 2020

中道の大事さ

ずいぶん引いた人が増えて来ましたね。この辺りはです。怒っている人などもう一部です。

この辺りは切実ですからね。目の前で危ない現象が次々に現れているからです。

もう止まりませんもんね。災いがです。冗談抜きで、真剣に神理への帰依を考えたらどうでしょう。そうすれば神に守られるからです。

結局、これまでは心の低い人たちが先頭切ってやってきたからこういうことになったのです。心が低い人など人のことどころか、自分のこともしっかり考えないからです。(だから上っ面の噂だけ信じて、その人に〔私に〕起きていることなど全然考えない。奇跡など観ようともしない)

だから、そういう人はやっていることをよく考えもしないものですから、悪いことは全部責任転嫁して、どれだけ災いが起きて来ても、絶対に神など認めず、自分たちの間違いも認めず、人に何が起きようが、自分に何が起きようが関係なく、ただ怒りに任せて八つ当たりしているだけ。

そういう人たちに合わせているからいけないのです。だからいいことも起きて来ないのです。そんな極端で〔狭量で〕偏った考え方もないからです。

残念ではありますが、偏った考えを持っていてはいいことは起きてきません。

だからいっているのです。この正法神理に帰依しなさいとです。そうすれば考え方も中道に変わってきて(心が中道に変わるなら)よいこと(奇跡)も起きてくるからです。

昨日またウナッシーさんからコメントが届きましたが、ウナッシーさんなど周りの人から「おおらか」といわれるそうです。

こちらの人たちとずいぶん違うのではないですか。こちらの人たちは逆に(狭量で)「細かい」人がずいぶん多いようであるからです。(ほんと細かい嫌がらせばかりしてきますから。〔苦笑〕)

正法神理を実践していれば、どちらにも偏らない中道でおおらかな心になっていきます。だから、奇跡も現れてくるのです。

そのような中道でおおらかな心こそ神の心であるからです。(だから、極端に偏った細かい心など神の心ではないということです。だから災いが起きるのです。そのような心は神の心からかけ離れているからです)

ウナッシーさんなど昨日書いた奥さんの胃痛が治ったことだけでなく、娘さんのひどい蕁麻疹か何かも祈りで治ったといわれていましたし、私なども祈って、母の(八十すぎの婆さんの)ひどかった肺炎があっという間に治ってしまいましたし(わずか一週間入院しただけで。普通八十すぎの年寄りがひどい肺炎になれば死にます)末期癌の患者さんの癌が小さくなって一変に痛みがなくなった、という奇跡も起きています。

この教えに帰依して実践しているのなら、このような奇跡もドンドン起きてきます。この教えを実践すればするだけ心が正しく(中道でおおらかに)変わってくるからです。

しかし、この教えを知らない人、または知っていても逆らい無視している人たちにはドンドン災いが現れて来ています。(もうどこかの会社など哀れなものですし〔今さっきの話ですが、また何か起きたみたいで急にお怒りになられています〕また有名人が〔F1の解説者〕急死したそうですね)

この一点だけ見ても、帰依した方がよいのではないですか。帰依してこの教えを実践するなら心も段々変わってきて(中道でおおらかにです)そうして奇跡も起きてくるからです。

しかし、今の心のままでは(偏った細かい)いつ自分たちに災いが現れるか知れないからです。

結局、そのように間違った心の人が多いから悪いことばかりが起きてくるのです。

それは周りに起きることばかりじゃなく、天気を見ても分かるでしょう。今季は暖冬といわれていましたが、それにしてもその暖冬の度が過ぎています。

もう一月に入っているというのにどこも雪が少なく暖かいです。そうしてまだこの暖かさが一ヶ月くらいは続くとのことですが、これから一ヶ月も寒くならないのであれば(本格的な寒さが来ないのであれば)もう春が来てしまいます。

つまり今季の冬は記録的な暖冬ということになります。

しかし、これがこのままだと今季は異常に雪が少ないということになって、また困るところがたくさん出て来るでしょうね。

雪は多すぎてもいけないし、少なすぎてもいけない、ちょうどいい具合に降らないと、どこも困るということです。

つまり天気も中道でないといけないのです。

ではなぜ、天気は中道にならないのですか?

それは先ほども書きましたが中道の心の人たちがほとんどいないからです。

だから天気も中道にならないのです。偏ってしまうのです。そのような偏った心の人が多いからです。

天気も何も(周りに起きてくることも)すべて同じなのです。人々の心が反映されるのです。現れてくるのです。

だからこれだけ悪いことばかり起きてくるのです。すべての面にです。人の心はすべての面に影響を与えるからです。(だから悪いことが起きているのは決して私のせいではないということです。〔何度もいっていますが〕自分たちの心のせいなのです)

これだけ心の大事さをいい、中道の大事さをいっているのは、この正法神理だけです。だからこの教えに帰依しないといけないといっているのです。

そういう(中道でおおらかな)心の人が増えて来ないと、天気も安定しないし周りによいことも起きて来ないからです。

まだ分かりませんか?この教えの大事さがです。

だから私たちには次々に奇跡が起きてくるのです。この教えを実践し、心が中道でおおらかであるからです。

しかし、いま現在の多くの人々は、その反対の、逆の方、逆の方にと、考え方がいっているのです。

だからいいことが起きて来ないのです。日本だけでなく世界中でです。(世界が、そういう極端に偏って細かい方に考え方がいっているでしょう。極端な男女平等、同等論や極端なLGBT論、何かすればすぐに何々ハラとかいって訴える、日本でいうなら、保育園をつくるな、除夜の鐘がうるさい、風鈴がうるさい、などなど)

だから世界中でいいことが起きて来ないのです。世界中の人々が極端で偏った方向に心がいっているからです。

だから世界中で異常気象にもなるのです。世界中の人たちが心の在り方を間違えているからです。

しかし、その心の間違いを正すなら、私たちの様に次々に奇跡が現れてきます。(今の逆の現象が現れてくるということです)

まだ分かりませんか?この正法神理がいかに大事であるかということがです。そうして中道の大事さがです。

人々の心が中道でないから、天気も中道でなくなり、そうして起きてくることも極端になるのです。(極端は悪ですから、悪いことしか起きないということです)

このような正しいことが分かるのはこのブログを見ている(正法神理を知っている)人たちだけなのです。

何度もいいますが(何度でもいいますが)この教えに従ってください。

そうすればいま起きている異常現象はおさまり奇跡が現れてくるからです。

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1月 10 2020

神理が説かれる短さ

今、ずいぶん稀有なことが起きているのですがお気づきですか?

よく考えてみてください。釈尊やキリストとその弟子たちはよく知られていますが、では、その弟子の弟子たちは知っている人がいるのでしょうか?

いっている意味が分かりますか?

釈尊や釈尊の十大弟子とか、キリストやキリストの十二使徒たちはよく知られているのですが、その十大弟子の弟子たちとか、十二使徒の弟子たちを知っている人がいるのか?ときいているのです。

あまり知られていないのではないでしょうか。十大弟子の弟子とか、十二使徒の弟子などです。

例えば、釈尊の右腕といわれたシャリー・プトラ―の弟子の名などきいたことがありませんし、キリストの弟子のペテロやヨハネ、あるいはパウロの弟子などたくさんいたはずですが(多くの人たちがキリストの弟子たちの奇跡を見て弟子になったそうですから)あまり名前が残っている人がいません。

なぜでしょうか?なぜ、釈尊やキリストの弟子たちまでは世界中の多くの人に名前が知られているのに、その弟子たちはほとんど知られていないのでしょうか?

簡単にいうならです。奇跡が起きなくなったからでしょう。つまり、釈尊やキリストが現し、その弟子たちが現した奇跡が、その次の弟子たちにはもう起きなくなっていたということです。

だから、その後の弟子たちは名前が残っていないのです。もし、その後の弟子たちも同じように奇跡が現れていたのなら、同じ聖書や仏典のような記録が残っていてもおかしくはないからです。

しかし、釈尊やキリストの弟子たちまでの奇跡が書かれてあるものは残っていますが、その後の弟子たちが起こした奇跡など、どこにも書き残されたものがないからです。

では、その後の弟子たちはもう奇跡が起きなくなっていたのでしょう。

実際に新約聖書の四福音書(しふくいんしょ)の一つの「マルコによる福音書」を書いたマルコはペテロの弟子ですが、このマルコが奇跡を起こしたという記録はありません。

四福音書の一つを書き、ペテロの弟子として名前も知られているのですから、もしマルコが奇跡を起こしているのなら、どこかにそのような記録が残されていてもおかしくはないはずですが、そんな記録はどこにも書き残されていないのです。

では、マルコは奇跡を起こしたことがなかったと考えても別に間違いではないのではないでしょうか。もし、何らかの奇跡をマルコが起こしていたのなら、何か記録にせよ言い伝えにせよ残されていても不思議ではないからです。

しかし、そんな記録も言い伝えもないからです。

これは「ルカによる福音書」を残したルカも同じでしょう。ルカが奇跡を起こしたという記録はありません。ルカも奇跡を起こせなかったからでしょう。

もし何か奇跡が起こせたのなら、それを自分自身で書き残すこともルカなら出来たはずであるからです。(福音書の後の使徒言行録を書いたのもルカであるといわれていますから)

ということは、釈尊やキリストの直弟子たちまでは奇跡が起こせても、その後の弟子たちになるともう奇跡が現れなくなるというのが、これまでの神理の歴史のようです。

釈尊やキリストの弟子の弟子たちが(あるいはその次の弟子たちが)奇跡を起こしたという記録は、どこにも残っていないからです。

つまり、ある程度完全な神理が説けていたのは二代目(釈尊やキリストの直弟子)までということになります。その次の代になると、もう奇跡が起きなくなるからです。

奇跡が起きて来なければ、それでは本当の神理を説いているとはいえなくなるからです。

それを考えるとです。今生はずいぶん珍しいことが起きているのではないでしょうか。私は三代目(三世代目)であるからです。

高橋先生(釈尊)の直弟子が園頭先生(シャリー・プトラ―)で、その弟子が私です。

にもかかわらず、私には次々に奇跡が起きているのです。これは初めてのことなのではないでしょうか。

釈尊やキリストの直弟子ではない者が次々に奇跡を起こすなどです。だから私は、ずいぶん稀有なことが起きているといっているのです。

こういうことはこれまで起きていないことであるからです。ここまで正確に三世代目の弟子にまで神理が伝わったことはなかったはずであるからです。

つまり、それだけ貴重なことが今生起きているということです。だから早く帰依しないといけないといっているのです。

奇跡が現れているうちにです。奇跡が現れているということはまだ正確な神理が説けて(説かれて)いるということであるからです。

正確な神理が説かれているうちに神理をしっかり勉強しておかないと、説ける人がいなくなってからでは、正確な神理を勉強する機会は失われるからです。

だからいっているのです。そういう期間は短いのですよ、とです。これまではそうだったからです。

長くて数十年、短ければ数年しか正確な神理が説かれた期間はなかったからです。数千年に一度しか現れない神理がです。

昨日は、その神理をしっかり勉強しているウナッシーさんからコメントが届きました。奥さんの胃痛が(しかも薬を飲んでもすぐに治らなかった)ウナッシーさんが祈ったら治ってしまったそうですね。

またまた起きた奇跡といったところでしょうか。(笑)

このようなことが(例えば身内が病気になっても祈りで治せる)いくらでも起きるのです。この神理を勉強し実践している人にはです。

しかし、神理を知らない人、あるいは知っているだけで実践していない人たちにはこういう奇跡は起こりません。奇跡どころか、そういう人たちには次々に災いが起きているというのですから、もう目も当てられません。

やればいいのにとつくづく思いますけどね。少なくともこの神理を知っている人はです。神理を実践するなら確実に奇跡が起きてくるからです。

どちらにしてもです。私の代でこの神理を途絶えさせるわけにはいかないのです。

この後も、この神理を正確に伝えてもらえる人が現れ、多くの人々に神理を伝えて奇跡を現してもらわねばいけないのです。

そういう資質のある人がすでにたくさん生まれているからです。

だから、一人でも二人でもいいから早く帰依しなさいといっているのです。そういう人が呼び水となって帰依する人が増えてくるなら、奇跡が現れてくる人は確実に増えてくるからです。

すでにこの神理を知っている人は(このブログを読んでいる人は)たくさんいて、そうしてその中には高い世界から(菩薩界以上の)生まれてきている人も多くいるはずだからです。

そういう人が、この教えを実践するならすぐに奇跡が現れてきます。(すでにそういう実績はありますから。少し前にスポーツ選手の間にそのようなことは起こりましたから)

だから、やらないといけないといっているのです。神理が現れている期間は短いからです。神理が現れている間に実践しなければ、そのようなすばらしい資質も現れては来ないからです。

本当の神理というものはいつまでもあるというものではありません。説かれる期間は非常に短いのです。

そのような貴重な期間に今の自分はいるのだということをよく鑑(かんが)みて、責任ある行動をぜひ取ってほしいと思っています。

このブログを見ている人たちにはです。

この辺りなどずいぶん引いている人が増えて来ましたが、この辺りの人たちの中にも心の高い人たちはいるはずです。

そういう人たちは、心の低い人たちに合わせていてはいけないのです。そういう人たちに合わせていては自分の心は成長しないからです。成長しないどころか退化してしまうからです。

この辺りは、道もずいぶんすいて来て(昨日でも夕方だというのに道路などガラガラでしたから)多くの災いが次々に現れ出しているようです。

だから、この辺りの人たちなど一刻も早くこの教えに帰依した方がいいのです。そうしないとあまりに危険であるからです。

しかし、その危険に心の低い人たちは気づかないのです。(だから平気で私に嫌がらせが出来るのです。起きていることの危なさに全然気づいていないからです)それに気づけるのは心が高い人たちだけなのです。

そういう人たちが(この危なさに気づいている人たちが)まず帰依されませんか?

そうすれば、それが呼び水となり(心が低い人たちも含めた)多くの人たちを救うことが出来るからです。

追伸…安倍総理の中東訪問は延期せずに実施されるらしいですね。(明日から行かれるとか)

まあ、自衛隊が中東に派遣されるなら行かれないとまずいでしょう。あちらのお歴々にいろいろ了解も取らないといけないからです。

しかし、大丈夫ですか。このミサイル飛び交う中に安倍総理が行かれてです。命懸けになると思いますよ。

なにせ、最近の政府与党が出してくる法案はひどいものが多い。(神を怒らせるような、日本の人々を苦しめるような)こういう法案ばかり出した後にそんな危険なところに行かれるなら、いつ自分たちにミサイルが飛んでくるかしれません。

そういう(悪い)順序もついてくるからです。

総理もこの正法神理に帰依されてから行かれたらどうでしょう。そうであるなら安心であるからです。そうしてご自身の大きな使命も果たすことが出来るからです。

神から離れていては、仮に自分に大きな使命があったとしても、それを果たすことなど出来ません。そのような大きな使命があればあるほど、そのような人は神の導きが必要であるからです。

神の偉大さ、そうしてこの正法神理の大きな価値を日本の人々はもっと認識すべきなのです。

(それをしないからこれだけ多くの災いが日本に現れるのです)

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