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10月 07 2018

奉仕・布施

昨日は面白かったですね。

歩いていて嫌がらせをしてきた人に「別に、あんたらはあんたらで好きにやればいいじゃないか。正法神理など勉強しなくてもいいんだからさ。だからこちらにかまってくるなよ。でも、そこらじゅうで(日本中で)悪いことが起きているけどな」というと、みな嫌がらせしていた動きが一瞬ピタリと止まるのです。

その後、嫌がらせをして来る人もいますし、そこで嫌がらせをやめてしまう人もいますが、まだ嫌がらせをして来る人には「もう正法の世がどんどん深まっていくからな。心が汚い人たちは悪いことしか起きんわな」「自分たちの心が汚いので起きている悪いことをこちらのせいにしてくれるなよ。俺が人を病気になどしていたら俺も病気をするからな。因果応報という法則を無視した発想はやめてくれよ」「しかし、正法を実践しないでどうやって心をきれいにするの?心が汚いままならもうどんどん悪いことが起きてくるぜ」と畳み掛けていうと、もうほとんどの人が嫌がらせをやめて引いています。

私より、嫌がらせをして来る人たちの方がずっと切実ですからね。この辺りは周りの人にたくさん癌が出ていたり、トラックが激減しているのをみな目の当たりにしているからです。(日本中に起きている天変地変もそうなんですが)

しかし、このような状況でみな怖くはないのでしょうか?

トラックやバスの運転手などまだブシュブシュやって来る人がいますが、それは大変勇ましいのですが(?)どれだけそんなことをしたところで、自分たちによい事が起きてくるわけではないのです。

それに、それをされたからと私に悪いことが起きるわけでもないのです。

そういうことをすればするだけ、自分自身に悪いことが起きてくるのです。

もうそれが分かっているはずなのに、いつまでそんなことを続けるのですか?

それは、私に嫌がらせをしている人たちも同じなんですが、人に悪いことをすればするだけ、自分たちが不幸になるのです。(それももう分かっているはずです)

それなのになぜそんなバカなことをし続けるのですか?

意地ですか?

それとも感情だけで、そういうことをしているのかもしれませんが、ここまでひどいことが起きていて、もう意地も感情もないと思うんですが、怖くはないのですか?

正直なところです。

私なら怖いですけどね。それも非常にです。だって、周りに癌になる人がたくさん出ているのでしょう。

そういう体験は私にもあるからです。

あの未来の会員であった時です。毎月、会員の誰かが癌になったという話が出ていたので、さすがにそれが一年以上も続いた時は、ゾッとしました。

しかし、この辺りは、それが一年程度ではないはずです。大人から子供まで(子供までですから)よく怖くないなとちょっと神経を疑いますが(ほんと大丈夫ですか?皆さん)これだけこういう現象が続くのです。

では、この後もまだ、この現象は止まらないということになります。

自分たちが心を変えるまではです。

それでも心を入れかえる気はないのですか?こういう現象はこれからどんどん増えていくというのにです。

何度もいいますが、これから正法の世が深まって行きます。今の心のままの人たちなら、いま起きている現象はさらにひどくなります。

それはこの辺りだけではなく、日本全体も同じなのです。

起きている天変地変は激しさを増すということです。

実際、その通りのことが起きているのです。それでもこのブログを見ている人たちは心を変えようとはしないのでしょうか。

ここ何回か書いていますが、このブログを見ている人たちは、このブログを読むのは別に他の人のブログを読んでいるのとかわらない、ただ、人のブログを読んでいるだけ、心を救われても、知らないことを知っても、それは他の人のブログなど読めばそういうこともある、だから、それが当たり前なんだ、などとは思わないことです。(救われるレベルが違いますから。集中して救われているのですから)

そうして、このブログを読み、くだらないねたみやひがみや怒りの心など持たないことです。(特にこの辺りの人などです)

そういう不遜な心が、これほどの現象を自分や日本に現しているからです。

このブログを見ている人たちは、ここに書かれた神の教えに対する、少しくらいの感謝の心、奉仕の心は持つべきなのです。

そういう心がないから、これほどの現象を現されているからです。(神を怒らせてです)

こういう心になれば救われるということを園頭先生が正法誌に書いていられます。そこのところを抜粋しておきます。

1985年、一月より抜粋。

<奉仕・布施

奉仕とは「布施」である。

奉仕あるいは布施というと、多くの人は金品を奉仕し布施することだと考える。そのために、自分には人に施すべき余分の金品はないので、奉仕も布施もできないと考える。

金品を布施するのは「財施」といって、それが布施のすべてではない。「財施」のほかに「法施」がある。何一つ財産はなくとも、身体一つあればできる布施がある。

人の前で渋面(じゅうめん)をつくれば、あなたの顔を見た人は心を暗くする。いやな言葉を吐けば、人の心を傷つける。だからして、あなたの顔を見ただけでうれしくなるような明るい顔を、あなたがするのである。そうして、人をはげます言葉、やさしい言葉、いたわりの言葉、こころよいひびきのある言葉、人の心を明るくする言葉を使うのである。

重いものを持っている人があったら、持ってあげればよい。年寄りや子供を背負っている人があったら、席を譲ればよい。人からいわれない先にしてあげればよい。身体一つあればできる布施があり、思いやりがあれば心一つでできる布施があり、どんな貧しい人でも、自分が住む家のない人はいないであろう。そうすれば自分の家を、正法をきき学ぶための場とすればよい。

一番尊い布施が「正法」を知らせることである。法を伝えることは、身体一つあればできる布施である。>

こういう心と行いが出来るなら、救われていきますが(私は一番尊い布施である正法を知らせ続けているから、奇跡が起きているのです)いつまでも自分のことしかしない、考えないというのであれば、そのような人たちには、もう次々に不幸が現れてきます。

とにかくもう時代が変わってきています。そうして、この日本には本当の神の教えである正法神理が出現しています。

それに合わせた行動は非常に大事なことなのです。

(その大事さをいつまでたっても理解しないから悪いことばかりが起きるのです…ということを書いていたら大きな地震がありました。〔長野で震度四、愛知で震度三〕まだまだ、このような〔恐ろしい〕現象は続くようです)

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10月 05 2018

正法神理の大事さ

半々くらいでしたね。どえらい怒っている人と、どえらい引いている人がです。

少し前なら、前回のようなブログを書いたら怒っている人ばかりだったんですが、その通りのことが起きているのですから、怒っていても仕方がないわけです。

というか、怒っていてもどうにもなりません。どれだけ怒ろうがわめこうが恐ろしい現象は止まらないからです。

こういうことを私一人のせいにして怒っていたところで、私がそれをしているわけではありません。

私はただ、そのようになるといっているだけで、そのいっていることが(書いていることが)起きて来ているだけなのです。

高橋先生や園頭先生に、こういう心の人が多ければ、このようなことが起きてくるということは教えてもらっていましたし、それに書きながら、こういうことが起きてくると教えられつつ書いているのですから、そういうことも起きてくるわけです。

だから、私は最初からここには天の心が書かれてあると書いているのです。

それをこのブログを見ている多くの人たちが信じなかっただけです。だから、私があたかも、それを行っているかのように錯覚するのです。

書いていることが次々に起きてくるからです。

ここに書いていることが起きてくれば、それを私がしているようにも思えるからです。

しかし、それは違うのです。(だいたい、人がやれるようなことではないでしょう)単にこれから起きてくることを先に書いているだけなのです。

末法の心のままの人たちではこの時代にはいられないと書けば、本当にその通りになり(この辺りの現象もそうですが、多死社会がまさにそれでしょう)このままでは日本は滅ぼされると書けば、そのようになりつつあるのです。

私が最初ここに「日本は滅びる」と書いた時、一体、誰がそれを信じたでしょう。(もう何年前か忘れましたが)しかし、このような状況になればそう思う人も出てくるのです。

誰が日本に(わずか数年の間に)これだけの台風が直撃すると思ったでしょう。これだけの地震が起きると思ったでしょう。また、大雨や大雪が、そうして異常な猛暑が、これだけ続くと思ったでしょう。

しばらく前までは、少々の異常気象にはなっても、日本だけに(この日本だけというのがみそなんですが)これだけ集中して天変地変が起きてくるなどと思った人は一人もいなかったはずです。

地震大国だの、災害列島だの、これだけ頻繁にいわれだしたのは最近ではないですか。

それまでは、日本にどれだけ災いが起きていても、それはただ(今年だけ)の異常気象だの、温暖化の影響だの、いっているだけで、それほど日本に起きている激しい災いを問題視する人はいなかったのです。

そのうちに収まると、そう思っている人たちばかりであったのです。

しかし、私はもう何年も前から、このままでは日本は激しい天変地変が起きてくると、そうして、その天変地変はどんどん激しくなると、何度も、何度も、このブログの中で指摘して、このままでは日本は滅ぶとはっきり書いていたのです。

その書いた通りのことが起きているのです。

原発問題でもそうでしょう。

例えば茨城県の南部は今でこそ地震の巣などといわれ、よく地震が起きることで知られていますが、私はそれが知られる前から、あそこには(反原発である)大きな風力発電所があるからよく地震が起きるようになりますと、そうこのブログに書いていたのです。

そう書いた通り、あそこは頻繁に地震が起きています。

鹿児島でもそうでしょう。

少し前までの鹿児島は、大雨ばかり降ってひどい被害が出ていたのです。

それで私があの鹿児島は原発を動かせば、あのひどい大雨は降らなくなります、とこのブログに書いていたのです。

その書いた通り、鹿児島は川内原発を再稼動させてから頻繁に起きていたひどい大雨がなくなったのです。(多少の大雨はあるでしょうが。日本がこのような状況であるからです。しかし、原発を動かす前までの鹿児島はそれはひどい大雨被害がよく出ていたのです。それは、はっきり覚えています)

そればかりか、原発を再稼動させる前までは爆発的噴火を繰り返していた桜島まで、原発を動かしたら静かになったのです。(いま現在の桜島は、そんな爆発的噴火を繰り返すなどということはないはずです。〔たまに爆発的噴火が起きることはあるようですが〕しかし、原発を再稼動させる前までは桜島は爆発的な噴火を繰り返していたのです)

私がいったことを行うなら、必ずよくなるのです。

この正法神理に照らし合わせてみれば、このようなこと(善悪)はすべて分かってくるからです。(だから、北海道の泊原発のこともいっているんですが…よいのですか。私のいうことを無視していてです)

だから、私は日本はこのままでは滅ぶとこのブログに何度も書いていたのです。神の心から外れている人々が日本には数多くいたからです。

このように、私はこうなると教えているだけで、私が何かしているわけではないのです。

それどころか、もし私がいなかったら、日本は必ず滅びて行くでしょう。そうは思わないでしょうか。

神の心を知る人がいなかったら、今回のような激しい天変地変に対しても、多くの人たちは、ただ防災、減災を叫んでいただけでしょう。

そうして日本だけにこれだけ集中して災いが起きていると気づきもしなかったでしょう。

だから、天変地変が多いということで、国が国土強靱化計画を叫んではいても、それはいうだけでやらなかったでしょう。

激しい天変地変などそのうちに収まると思ってです。(どちらにしても政府はやってないんですけどね。これほどの状況になっていてもです。〔苦笑〕)

心をまったく変えようともせず、しっかりした強靱化もしない、個々で少々の防災や減災を行っているだけ、そういうことになれば、日本に起きている天変地変は激しくなる一方なのですから、気づいた時には日本中がすでに激しい天変地変でボロボロにされ、そうしてボロボロになっている日本の人々にこの辺りのように癌が多発するのです。

そうなったら、日本は滅びないのでしょうか?

もし、私がいなかったら(神の心を知る人がいなかったら)そうなることは必然なのです。(神の心を知る)私がいても、そのような方向に日本は向かっているからです。

では、全然神の心を知らない人たちばかりであるなら、もっとひどいことが起きるということになります。

多くの人が神の心に逆らい続けてです。(だいたい無神論の人たちばかりで、神の心など分かる人がいないのですから、神の心に従えるわけがありません)

これだけ起きても(またこれだけ書いても)それでもまだ分かりませんか?

この教えの大事さがです。

この正法神理がなければ少なくとも日本は滅びるでしょう。(何度もいいますが、日本は大きな使命を無視していますから)さすがにここまで来れば、それが観える人もいるはずです。

それともまだ、それが観えませんか?

「目明きめくらに道をきき」とはまさにこのことですね。

目がいくら開いていても、目が見えない人に道をきいたところで分かるわけがありません。目明きめくらに道をききとは、そういう明きめくらの人に道をきいている、トンチンカンな人のことをいっているのですが、しかし、そういうトンチンカンな人たちばかりであるなら、もう日本は滅びるしかないのです。

そういう人たちばかりなのでしょうか。このブログを見ている人たちはです。

昨日も書きましたが、ここまできて、それでもまだ布施の一つも拒否するような人たちばかりであるなら、確実に日本は滅びます。

まだこの正法神理の大事さが分かりませんか。

この教えがなければ、日本はもう滅びるしかないのです。

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10月 04 2018

滅び

正法誌1985年、十二月号より抜粋。

<高橋信次先生の言葉

布  施

布施というと、いかにも抹香くさいひびきを与えるが、布施の意義は、感謝の心を報恩として形に表していくことである。このため、物を献ずる、金を上げることもその一つだが、人にはそれぞれ得手、不得手がある。自分のもっともしやすい方法で人々に奉仕することが、立派な布施になるのである。

正法から布施を抜いたら正法でなくなる。なぜかというと、布施は、正法を信じ、神理を行ずる者の証であるからです。

正法には三つの柱がある。その一つは大宇宙を支配する大意識の存在であり、その二は転生輪廻であり、その三は慈悲と愛の心である。布施の行為は、慈悲の心の現れである。

慈悲は神の心から生まれる。それは、万生万物に光と熱とを惜しみなく与え、生きとし生ける者に、エネルギーを供給し続けている太陽の姿に現わされている。正法を行ずる者は、当然このような立場に立って、人々に接して行くものでなければならない。正法を信じながら、行為として布施が出来ないようでは、その人はまだ本当の正法を理解したとはいえない。

私たちは、現実に生かされている。このことは何びとも否定できない。米粒一つにしても、自然の恵み、自然の環境、人々の協力があってはじめて出来るのである。洋服にしろ、靴にしろ、そのほかもろもろの生活用品は、すべて自然の条件と人々の協力の賜物である。

この現実をよく考えるならば、感謝の心が芽生えてくるのは当然のことである。今日のわが国は、物が豊かになって金さえ出せばなんでも手に入る。そのため、ややもすれば、人々の協力や物に対する感謝の心が失われ、何とはなしに過ごしてしまう。

人間は自分を過信したり、感謝の心が失われてくると、動物以下に成り下がってしまう。どんなにうまいことを百万言しゃべっても、行為のない人が行くべきあの世の世界は、現世では想像できなほどの苦界であることを知るべきである。人が逃避的になったり、世を怨んだり憎んだりするのは、多くの場合、どうしてそうなったのかの事実を理解することが出来ないでいる場合が多いのであるから、よくよく心しなければならない。

人はまず、素直に今ある生活環境に目を向け、生かされていることの現実に感謝しなければならない。

正法者は、このような現実を素直に認め、感謝の心を報恩として、形に現して行くべきである。慈悲の心は神の心であり、その心は布施となって、無理なく、自然に行えるようになることが大事である。魂の前進、向上は、布施という慈悲の菩薩行を通して、はっきりと約束されよう。

解 説

現在の宗教指導者は、布施とは本山や本部、神社仏閣に献金することだと説いているために、しかも、現世利益を説いているために、献金しては願いごとばかりをしていて、大宇宙大自然の恵み、人々によって与えられた恩恵に感謝することを忘れている。感謝の心が失われてしまって、何ごともすべて当たり前だと考えるようになったのは、家庭教育、学校教育の罪でもある。

(中  略)

正法を行ずる者は、すべての人に、すべての物に感謝しなければいけない。>

最近は日本同様、この辺りの現象も激しくなっているようです。

異常なトラックの減り方でもそれは分かるのですが(また一段とトラックが減りました。もう普通車の方が断然多くて〔少し前まで道路を走る車はトラックの方が多かったですから〕トラックは普通車の一~二割くらいしか走っていないのではないでしょうか)道路を走る車自体も少なくなっていて、いつも道路はガラガラ状態なのです。(平日も朝も夕方もそうです。この辺りはです)

どこに行ってしまったんでしょう。名古屋の車はです。

トラック自体もたくさん走っていた頃に比べれば、二~三割くらいしか走っていないのではないでしょうか。その走ってくる二~三割のトラックも半分くらいは他の地域のトラックで(三重や岐阜、尾張小牧など)名古屋ナンバーのトラックなど少し前と比べたらもう一割か二割走っていればよい方です。(前はこの辺りで見かけるトラックはほとんどが名古屋ナンバーでしたから)

ということはです。

すでに名古屋のトラックの運転手は滅ぼされたといっても過言ではないのではないですか。

わずか、一割や二割くらいのトラックの運転手など代わりの運転手でどうとでもなるからです。(というか、最低それくらいの数は維持できるということです。誰か彼か、他の運転手を使ってです)

転職した人もいるのでしょうが、そんなにたくさんの人がトラックの運転手から転職したとは思えません。まあ、全員が全員、いなくなっているとは思いませんが、私にブシュとやって走り去る、多くの運転手がいなくなっているのは確かでしょう。

これだけ走るトラックが減っているからです。(何でいなくなっているんでしょうか?本当に癌かなんかですか?)

それはトラックだけではなく、バスや電車も同じようなものだと思うんですが(人が代わって運転を続けているだけでです。皆、怒っていますから)だとしたら、ずいぶん恐ろしいことが起きているようですが、その自覚は運転手の人たちにはあるんでしょうか?

もう、自分たちは滅ぼされつつあるという自覚はです。

これを私一人のせいにしているというんですから、いやはや凄まじいの一言なんですが(ほんとマジですか)これは、嘘でも大げさでもなく、事実起きていることなのです。

だから、最初に高橋先生や園頭先生がいわれている布施の部分を抜粋したのです。

それをしなければもうこの辺りの運転手の人たちは滅ぼされると思うからです。

この辺りの運転手が滅ぼされれば名古屋の人たちも同じでしょう。(名古屋だけではなく東海三県あたりもですか。その辺りの人たちにも似たようなことが起きているはずであるからです)そうしてそれは、日本も同じなのです。(これだけ集中して天変地変が起きているのですから)

魂の前進、向上は『布施』という慈悲の菩薩行を通してはっきり約束されるのです。(そう高橋先生が書かれています)

その魂の向上がなければ、この時代を生き抜くことは困難なのです。

そういう時代がすでに来ています。

それを無視しているのなら、そういう人たちはもう滅ぶしかないのです。

追伸…沖縄知事選は前知事と同じことを主張している候補者が当選したようですね。

しかし、同じ考えで同じことを主張するのなら、また同じことが起きるのではないでしょうか。

そのような前知事の考え方が間違っていたから、前知事はあのようなことになったからです。

もう間違った考えでいると、すぐに罰が当たる(自浄作用が起こる)そういう時代になっています。

くれぐれも判断は間違えないでほしいものです。

(台風二十五号が沖縄に迫っているようですが〔沖縄の人たちがおかしな知事を選ぶからです〕もう滅びそうなところばかりです)

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10月 02 2018

未来図

台風二十四号は凄かったですね。暴風で家が壊れるかと思いましたよ。(名古屋は直撃ですから)

静岡は過去最大規模の停電に見舞われ(ウナッシーさんとこは大丈夫だったでしょうか?)東京も暴風の倒木で交通網が混乱、各地で被害が続出です。

続けてまた二十五号がこちらに来るかもしれないと天気予報ではいっています。(これでは台風一過ではなく台風一家ですね)ほんとこれ以上は勘弁してほしいものです。

皆さん(罰当りなです)いい加減、心を入れかえてもらえませんか。そうしない限り悪いことがずっと続くからです。

皆さん方が心を変えるのなら、これからどういう世界がやってくるのか?

今の状況では想像しにくいのですが、これからやって来る未来の世界を参考に書いておきましょう。(そういうことも書いておかないと、まったくよい未来図が描けないでは、そういう世界はつくれませんから)

園頭先生が、シルバーバーチとアガシャという高級霊の霊言を正法誌に書いていられます。その中に、未来のことが書かれた部分がありますので、それを抜粋しておきます。(シルバーバーチは、霊訓や霊言集などの本がたくさん出ていますので知っている人も多いと思いますが、アガシャといわれる霊は高橋先生ともキリストともいわれています)

1985年、一月号より抜粋

<この世界が仏国土、ユートピアになるには、人々の心がすべて平和になって、正しい政治、正しい経済、正しい教育が行われるようになり、人種の差別も国境もなくなることである。自分一人の心がきれいになったとしても、まわりの人々が間違った政治や教育の影響を受けて心を暗くすれば、それは世界が平和になったことにはならない。だから正法を信ずるならば、周囲の人々にも自分と同じ心と喜びと広さを持ってもらいたいと思うのは必然である。

シルバー・バーチはいう。

「私たちの教えが地上に広がっていくと、人間の一切の差別は消えていく。国と国との垣根、民族の差別、階級や、人種や、またあらゆる宗教や宗派の差別は、消えていく。

各宗教はやがて悟るであろう。

教会も、聖書も、教条も、すべてこれらの権威は地に墜(お)ち、捨て去られつつある。この時、霊的真理の権威だけが、永遠に残る。

ここに光がある。ここに智慧がある。ここに生きた真理がある。

地上は今、破滅と混沌で一杯だ。絶望と争いと苦渋が満ちみち、理性はすでに地に墜ち、利己が地上に君臨している。私たちは理性の回復を求める。

私がここへ来たのは、神法を人々に伝えるためである。もし人々がこの神法に従いさえすれば、神の恵みは無限に人々の中に降り注ぐ。

神は戦争をつくり給わず、神は病を与え給わない。人間が勝手にでっちあげたものを、神がつくりだしたと誤解してはならない。神は罰をちらつかせて、人を嚇(おど)すことはしない」

アガシャはいう。

「共産主義は、物質的進歩によって平和が来ると、雄弁に約束するが、その目的と基礎とに魂がなく失敗に終わる。

世界を平和にする本当の物質的進歩は、人生においてもっとも重要な、精神、霊の存在を理解している人々の自発的な協力によってうちたてられる。このような理解があってはじめて、無限供給の巨大な門戸は自動的に開かれる。

経済的な悩みを癒す単純な万能薬(例えば無限供給を祈れば無限供給がくる。金持ちになると思えば金持ちになる。というような「生長の家」で説いているような)を宣伝している種々なるグループがあるが、それはニセモノである。

教育者が、人間はこの地球という物質的な環境だけで生きている生物ではなく、宇宙的生存者があることを認めるようになった時、教育は根本的な一大変革を起すであろう。

経済的には、世界は一種の資本主義形態と銀行形態とを持ち続けるであろうが、非常に変化し改良されて、すべての人々の利益となるように理想化されるであろう。

全世界に理解と世界同胞主義とがみなぎりわたるであろう。人々は学び、ついで、学んだことを、美しく表現するであろう。戦いは消滅するであろう。欠乏は抹殺されるであろう。刑務所や慈善設備は空(から)になるであろう。

原子力は人類を滅ぼすためではなく、人類を向上させるために用いられるであろう。婦人は、美しい調和したやり方で、本当の意味での平等の状態を保つようになるであろう。

子供や青年もまた、世界中にわたって大きな力を持つようになり、多数の者がすぐれた心霊能力を示すであろう。これから前世において、人生の意義をよく学んだものが生まれてくる。

彼らは幼少でありながら、すみやかに深い真理、人生の意義を把握するようになり、大人はそれらの子供たちのいうことをきかなければならなくなる。

(高橋先生は、今から一万年前、アトランティス大陸の文明を築き上げた高度の知識と智慧を持った霊魂が生まれてくるといわれた)

かくして闘争の精神はことごとく協調の精神とかわり、この精神を持った人々が『世界の新しき光』として、古い汚物と歪曲を除き去り、地上天国の黄金の光と共鳴し合うようになるであろう」>

未来はこのような世界が来ると、シルバーバーチもアガシャもいわれているのです。

こういう世界が来るのはまだ何百年も先の話なのでしょうが、しかし、そういう世界にこれから進んで行くことは確かなのです。

だから、そのようなユートピアの世界に進むことに逆らっている人たちに、次々に災い(だからこのような災いは、天罰というより自浄作用ということです)が起きるのです。

この辺りの人たちはもちろんですが、日本もそうです。もっというなら世界全体もそうなのです。

もうユートピアの世界に向かって進まなければいけない時が来ているのです。

それなのにその方向に向かい進もうとしない、それでは災い(自浄作用)は起こります。

ここに書いた通りのことが次々に現れています。

では、従ってはどうですか。それが一番、幸せになれる方法であるからです。

(というか、やらないといけないのです。日本の人々が法をここで止めてしまっているため、これほどの災いが〔日本はもとより〕世界中に起きているのですから。起きるわけです。このような地上天国の未来が決まっているのに、その幸せな未来に進む道を日本の人たちがここで止めてしまっているからです。〔この地上天国はこの正法神理なしではなしえませんから〕ほんと信じられないことをしています。日本の〔このブログを〕見ている人たちはです)

追伸…アガシャの霊言の中に『原子力は人類を滅ぼすためではなく、人類を向上させるために用いられるであろう』と書かれたところがあります。

アガシャは原子力を用いてはいけない(脱原発)とはいっていません。人類を向上するために用いられるといわれているのです。

脱原発がいかに間違いが、このような高級霊の言葉からでもそれがよく分かります。

どれだけ危険であろうと、これだけ巨大なエネルギーを使わない手はないのです。有効利用しなければいけないのです。

それもまた人類向上のための試練なのです。

今のままでは今年の北海道の冬は大変危険なものとなります。

泊原発の再稼動を急いでください。

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9月 30 2018

病気の時の心のあり方

台風二十四号はどうも日本縦断コースを通りそうですね。(ほんと最悪です)

凄い暴風になるとのことですが家がぼろいので心配です。

続いて二十五号も発生したようで、それも日本に来るかもしれないとのことですが、いい加減にしてほしいものです。(ほんと皆さん、いい加減にしてください)

日本はこれでもかというくらい災いが起き、この辺りも凄そうです。(特別警報が出ています。癌のです)

それでも誰も神の教えに見向きもしません。これではよいことが起きるわけがないのです。

この辺りの人たちなど、ずいぶん癌が出ている人が多そうですが、ということは、その癌で入院(または通院)している人も多いということになりますが、そういう人たちは、私のせいで癌になったと恨みながら入院しているのでしょうか?

きっと、そういう人が多いんでしょう。(本当に凄まじい逆恨みです)

そうであるなら、そのような人たちはまず癌で死ぬことになります。

そこは私が保証します。

別に傷口に塩をぬっているわけではありません。そういう心では、どちらにしてもよい結果は現れて来ないといっているだけなのです。

怒りや恨み、悲しみなどの心で入院していたところでよい導きはえられないからです。そういう心は悪でしかないからです。

悪の心を持ち続けながら、入院していては、仮に一時、癌が治ったとしても、後で必ずその癌は再発します。

そのような心がまた癌を呼ぶことになるからです。(悪の心でいては悪い結果しか現れてこないということです)

病気には(特別癌だけではありませんが)心のあり方が、ずいぶん影響を与えるのです。(何度も書いていますが、病気は気の病と書きますから)

心が病気に影響を与えるのなら、よい方に(全快する方に)与える方がよほどよいということになります。

だから病気をした時などは心のあり方が非常に大事なのです。

そのような病気になったのなら特にです。もう死ぬかもしれないのですから、自分が悪かったところを全部反省して、死ぬ前に自分の心をきれいにしてから死んでいこうと開き直って、出来るだけ悪の心を持たないようにして善の心を持ち続け、そうして、全快を(すでに病気が治っている、健康な姿を)心にアリアリと描いていると、その病気は早く治るのです。

そういう(正しい)心が強ければ強いだけ奇跡的な治癒力が現れてきて、病気はよくなっていくからです。

もし、その病気を早く治したいのなら、そのような病気の時の正しい心のあり方は知っておいた方がいいでしょう。

その方がよほどよい結果が現れてくるからです。

一番いけないのが、先ほども書きましたが、グチャグチャ責任転嫁して怒ったり恨んだりしている心や(そんなもの自分が悪かったからそうなったに決まっているのですから)治らなかったらどうしようとか、何で自分だけこんな病気に、などの悲しみの心であり、そのような心は病気に対しマイナスにしかならないのです。

病気を治したいのであれば、先ほど書いた明るく前向きな心になることです。そうすればその病気の治癒力も段違いに違ってくるからです。

そればかりでなく、そのような時に、この教えを実践しているのであれば、ウナッシーさんのコメントにもありましたが、よいアドバイスをくれる人が周りに現れてきて病気の不安も減っていったり、自分にとって一番よい先生(または病院)に巡り合ったり、自分に一番あう薬が出てきたり、そういう様々な幸運(よい導き)があり、そうして法を知っている人に祈られれば、それプラス全快に向かって神の大きな力も加わります。

そうなると、もうどんな病気でも治るということになります。

実際は、その祈りを受ける側の心もありますので(そうして肉体的な部分もです。もう手遅れの人は治りません)百パーセント全快するかどうかは分かりませんが、法を勉強している人であれば、まず悪い結果は出てこないということです。(そういう人は確実に神が力を貸してくださるからです)

だから、例えば癌になったとしても、この教えを実践しているのであれば、悲観することなく、この時とばかりに自分の悪かったところを徹底的に反省し、また、神の力が証明できると希望さえ湧いてくるのであり、そこが、この教えを実践している人としていない人との差なのです。

ずいぶん違うのではないですか。この教えを知っている人と(実践している人と)知らない人とではです。

知らない人など癌になったら、お先真っ暗で、死ぬこと以外考えられないのではないでしょうか。表面上はともかくです。

癌になどなれば、表面上は明るく気丈にふるまってはいても(もちろん回りの人たちに心配をかけたくないという思いで、そのような態度を取るのは、たとえカラ元気であれ大事なことなんですが…)心の中は不安で一杯のはずです。

常に死の恐怖がまとわりついて離れることはないと思うからです。

法を知らない人たちなどです。

そういう心では癌は治りません。(治っていてもまた再発します)癌など思わず、常に明るく前向きな心でいないといけないのです。

死の恐怖など持ってはいけないのです。本来、死は怖いことではないからです。この肉体の世界からのただの卒業でしかないからです。(だから、死ぬことは、また新しい世界に行って勉強できるという喜びが湧いてくるくらいじゃないといけないのです)

しかし、法を知らない人たちは、そのような心になる人は少ないでしょう。癌になどなれば、不安な人たちの方が断然多いはずです。

では、そういう不安で不幸な人たちがこの辺りにはたくさんいるということになります。そのような癌になっている人がこの辺りは(特に)多いはずであるからです。

それは哀れなことです。そういう不安な心でいてはまずその不安な心の通りになるからです。

何度も書きますが、別に傷口に塩をぬりこんでいるわけではありません。

「だから、正しい神の教えは必要なんですよ」ということを強調したいだけです。

どういう時でもです。

自分が病気になった時だけとか、今回みたいに強い台風が近づいて来ている時だけとかに祈っても、その祈りがきかれるわけがないのであって(都合のいい時だけ祈っても、その祈りを神はきいてはくれませんから)だから、普段から神を思わないといけないと、この教えを実践していないといけないと、私はいっているのです。

正しい教えを普段から実践しているのであれば、このような困った時はもちろんですが、何もない普通の時からでも正しい導きを天が与えてくださるからです。

そうであるなら、おかしな道に進むこともないですし、おかしな病気になることもないからです。

不治の病が治ることよりも、そのような病気をしないのが一番ですし、大きな事故をして、命が助かることよりも、そのような事故を起さないことの方がよいのです。

つまり、そのようなおかしなことが、起きないことが一番の奇跡であるということをよく知らないといけないのです。(最近皆さんがよくいわれる「当たり前が一番ありがたい」ということです。これだけ異常なことが起きてこないとそれが分からない。本当に情けないです)

そうであるなら、普段からしていないといけないでしょう。正しい教えの実践はです。そうすれば悪いことなど起きてこないし、仮に起きても、奇跡が起きてすぐに正常に戻るからです。

今これだけの不幸が日本に起きているのは、日本の人々が正しい教えを実践しようとしないからです。(その正しい教えが日本にあると分かっていながらです)

異常なことばかりが起きていたら(現在の日本がまさにそうですが)まともな生活など出来ないのです。(だから、異常なことが起きた方がいいなどと思っている人もいるようですが、そのような考えがいかに間違っているのか、今の日本に住んでいればよく分かるのです)

もう罰当りな態度は改め、正しい教えを少しずつでも実践していきませんか?

そういう(正しい行いをする)人が増えてこない限り、日本に起きている多くの災いは止まらないのです。

(正しい教えを実践するならば不幸な人も(例えば癌になどなってです)幸福になります。〔様々な奇跡が起きてきてです〕今からでも遅くはないのです。今のうちに〔この世にいるうちに〕されてはどうでしょう。正しい教えの実践をです。さすがにあの世に帰ってからでは遅いからです。〔この世で法を無視した人はあの世で法に巡り合うのは大変難しいからです。とりあえず、地獄に堕ちないといけないからです〕)

追伸…なんで北海道は火力だの、水力だの、本州からの電力の融通を増やすだのいっているだけで、誰も原発のげの字もいわないのでしょう。

そのままでは本当に危ないのにです。(北海道の冬のブラックアウト、考えただけでゾッとしますが)

今年は暖冬傾向であるといわれていますが、これでは北海道はどうなるか分かりませんね。

それどころか、多分このままだと北海道は例年より寒くなります。

早く原発を再稼動させた方がいいでしょう。

そうしないと北海道は(本当に)危険であるからです。

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