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2月 12 2017

預言者と名僧、高僧といわれる人との概念の違い

日米首脳は、ゴルフで蜜月ぶりをアピールして暖かそうですが(ただ、後が怖そうです)日本は最強寒波の襲来で寒いことこの上なしです。(ずいぶん雪が降っているところもありますし)

しかし、こちら名古屋は他のどの地域よりも寒いといっても過言ではないでしょう。

なぜなら、こちらは気温が低いというだけではなく、人の心までずいぶん冷たいからです。

もうこの辺りの皆さんの冷たさといったらないでしょう。(何せ、毎日のように嫌がらせされていますから。今日も朝から怒っているオバちゃんがいましたし)

何度もいいますが、そのような冷たい心で悪いことを責任転嫁して怒っていてもよいことは起きません。(というか、よけい悪いことが起きます)

悪いことを人のせいにするのではなく、悪いことが起きたのは自分のせいと自覚して、自分が悪かったと反省し、そのことを教えてくれてありがとうございますと、少しは私に対し暖かい心を持ってはどうでしょう。

そういう暖かい心を自分が持てて初めて暖かいこと(奇跡)も起きて来るからです。

自らも奇跡を起こし、そうしてその人のいうことをきくと、そのきいた人にも奇跡が起きる、そのようなことをが出来る人を預言者といいます。

預言者とは神の言葉を預かり、それを世の人々に伝える人をいい、その預言者が現れる時には奇跡が次々に現れるのです。

預言者は神の言葉を預かるだけではなく、神の力まで同じように預かっているからです。

現代の人たちはそのような預言者を知らないのです。

現代の人たちは、預言者などという存在は伝説上のものであり、実際にいるわけではないと思っているのです。(私の知合いで釈尊は架空の人物だと思い込んでいる人もいましたから)または、それは遠い昔の人で現在は存在しないと思っているわけです。

特に日本の人々は預言者という存在は縁遠いのではないでしょうか。日本の人々は預言者より、高僧、名僧といった方がしっくりくると思うからです。

しかし、預言者と日本でいう名僧、高僧とではとらえ方が違っています。だからこの辺りの人たちはこれだけ反発するのでしょう。

預言者という概念があまりないからです。

日本でいう名僧、高僧といわれる方々は、仏法を説いて人々を教え導いてくれます。つまりやさしく教えてくれるのです。

それに対し、西洋でいう預言者といわれる方々は、やさしく教え導くというよりも、どちらかというと厳しく教え導くのであり(間違ったことをする人たちに様々な災い〔天罰〕を与えて)神もまた怒りの神などといわれ激しい現象を現すのです。

この神という概念も日本と西洋諸国とは違っていて、西洋は怒りの神の一神教ですが日本は八百万(数がきわめて多い、たくさんいるという意味)の神であり、これもまた、非常にやさしいのです。

八百万の神は罰など当てずにやさしく導いてくださるのです。

だから日本の人々は罰とは言葉だけで(それは悪いことをした時に方便として使うだけで)実際には当たらないと思っている人が多いわけです。

日本には預言者(厳しく教え導く)という概念もなければ、罰が当たるという概念もなかったのです。

それが今の悲劇を呼んでいるのです。

預言者は存在するからです。また罰も当たるからです。

実際にそういうことが起きているのですから、もう理解されてはどうでしょう。預言者の存在をです。そうして、悪いことをしていれば天罰がくだるということをです。

そういうことを知らなかった自分たちが悪いのです。(それがすでに悪です。一番大事なことを知らなかった、ずいぶん大きな悪です)

日本でいう八百万の神も激しい天変地変は起こしているのです。(昔から大きな地震も、大雨も、台風も、竜巻も、いくらでも日本には起きています)そうして、高僧、名僧といわれる人たちでも天罰は当てているのです。(前に書いたことがありますが、日蓮を殺そうとした龍ノ口の法難などそのよい例です)

ただ、日本はそういう悪いことの方を強調しなかっただけで、実際日本も西洋も同じように悪いことは起きているのです。

しかし、日本の人々は、悪いことを天罰とは考えず、ただ運が悪かった、それですましていたのです。

だから悪いことをしても神が何かをされるはずがないと思っていたのです。

そうして、段々、心が神から離れていって、最終的には無神論などという思想に変わっていき神をないがしろにしていきます。

神はこちらがどんな悪いことをしても何もされないからです。では、何もしない神など怖くはないとです。

しかし、そのような考えが間違いであったのです。

神は昔も今も、悪いことをすれば災いを現し(天罰)ある時には厳しく、またある時にはやさしく私たちを導いてくださっていたのです。

その神の慈悲を、神の愛を、これまでの人たちはまるで理解していなかった。

では、神に対し、これほど大きな罪があるのでしょうか。神に救われていたことにまるで気づいていなかったというのですから。

そのような付けがいま大きく現れているのです。

そのような不遜な心がこのような災いを呼んでいるのです。(この辺りだけではなく、数々起きる天変地変、多死社会)

そのような気づきを誰が与えてくれているのですか?

もし私が、そのことを気づかせなければ、日本の人々はこのようなことはすべて偶然であると思い込み、最後には滅ぼされていたでしょう。

日本の人々が持つ無神論などという思想は、神の子である人間にとって、もっとも神の心から離れた、最低、最悪の思想であったからです。

そのような(最低、最悪の)思想をいつまでも持ち続けているのであれば、最後には神はそのような人々を滅ぼしてしまう、これは、数々残る伝承でもその事実は分かるはずです。(聖書の中にもそのような〔町や村が滅ぼされる〕事実はたくさん出てきます)

私が様々な現象を現したから、多くの人が神の存在に気がつき、起きてくる災いが(奇跡も同じですが)偶然ではないと分かったのであり、そうであるなら、これまでそういうことを知らなかった自分の不徳を神に詫び、神の愛と慈悲を自覚し、神に感謝するのは神の子の人間であるのなら当然のこととして、それに気づかせてくれた私に感謝することもまた当然のことなのではないでしょうか。

神のことを、もし知らないままでいたのであれば、自分たちはもう滅ぼされていたかもしれないからです。

それを救ったのは私であるからです。(まだ、この先どうなるかは分かりませんけどね。〔異常気象は続いているし〕まだまだ、自覚が足りない人が多いからです)

神のことを何も知らなかった自分たちが悪いのです。だから悪いことが次々に起きているのです。

ずいぶん日本の人々は(神に対し)不徳を重ねてきたからです。

では、その不徳を解消するにはどうしたらよいのですか?

より以上に徳を積むことです。それ以外、大きな不徳を解消する方法などないからです。

では、徳を積まれてはどうですか。

それ以外で、この災いを止める方法はないのです。

(それともまだ神など知らないと、とぼけて自分のことだけをやり続けますか?〔悪いことを全部私にかずけてです〕そのような神にソッポを向いている間は災いは止まらないのです。しっかり神に顔を向けて、そうして徳を積まないと奇跡は起きてこないのです)

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2月 11 2017

お経や仏典、聖書と同じ

日本海側は大雪で荒れた天気のところが多いようですが、こちらも相変わらず荒れています。(こちらは天気ではなく人心ですけどね)

ご近所の皆さん、どれだけ怒ろうが、わめこうが、静かにしようが、その災いは止まりません。

ブログ代くらい払われたらどうですか?(実際は布施ですけどね)そうすれば起きている災いもピタリと止まるからです。(…マァ、心次第ですが)

かないませんね。毎日毎日、やたら怒ったり、陰険に怒ったり、急に引いたりされる人が多いからです。(ほんとこの辺りの人たち毎日のように態度が変わります。情緒不安定丸出しです)

ご近所の皆さんはこのブログを読んでいますよね。せっかくこのブログを読んでいるのであればです。

このブログに書いてあることを少しくらい実践されてはどうでしょう。そうすれば起きて来ることも変わって来るからです。

このブログを読むだけ読んで、書いてあることを無視し続けていては何も変わりません。

このブログは、釈尊の説法が書かれてある般若心経などのお経や仏典、聖書などと同じであるからです。

だから読んでるだけではダメなのです。

実践しないと意味がないのです。

お経の中に書かれてある釈尊の説法が説かれた時代も、モーゼ、キリストが奇跡を起こされた時代も、今の時代も同じなのです。

同じように法が説かれているからです。だから同じようなことが起きているのです。

同じようなことが起きていませんか?この辺りで起きていることと聖書や仏典に書かれてあることとです。

多くのサイレンや私が祈って起きた大雨や地震など、モーゼが起こされた数々の奇跡(例えば天変地変や過ぎ越しの祭のようなこと)と同じですし、やはり祈って起きた病気の癒しなどもキリストがされた多くの人への癒しと同じです。

そうして、説いていることも(ここに書いていることも)釈尊やキリストが説かれた正法や福音と同じなのです。(よく釈尊やキリストの言葉をここに引用しますから)

そればかりか、私に起きていることまで(鳥や魚が寄ってくる奇跡)これまた釈尊やキリストと同じだというのですから、何から何まで聖書や仏典、お経に書かれてあることと同じことが起きているといっても過言ではないでしょう。

それにもかかわらずです。

その(釈尊やキリスト、モーゼと)同じような奇跡をじかに見て、法(正法、福音)まできいている人たちの態度がまことによろしくない。

だから、よろしくないことがこれだけ起きているのです。

普通であるなら、そういう奇跡を見て、法まで教えてもらい心を救われたというのなら、驚くか恐れ入るかして平身低頭くらいするか、または少なくとも控えめな態度を取り、その(法を説き奇跡を起こしている)人のいうことくらいはきくものですが(そのくらいの態度は取るでしょう。自分たちに現れない奇跡が現れ、知らないことを教えてもらって心まで救われているのですから)しかし、この辺りの人たちは、そのような態度などまったく取ろうとせず、奇跡を一切認めず、法を説いている私に逆に横柄な態度を取り(何せ、小、中学生までタメ口きいて来ますから)そのくせ法だけはきいて心が救われているくせに、それには感謝一つせず、嫌がらせをし続けているのです。(これだけ多くの人が〔しかも大人から子供までです〕法を説いて奇跡を現している者にこれだけ横柄な態度を取るのは、たぶん歴史上初のことではないでしょうか。それだけこれまでにないような態度を名古屋及び、その近県の人たちは取っているということです。過去の人たちは、そういう〔奇跡を起こす〕者に横柄な態度を取る人は少なかったですから。みな神を信じ、預言者を信じていましたから)

このような態度を取り続けている人たちに、はたしてよいことが起きるでしょうか?

どこをどうとっても、そのような態度を取る人たちによいことが起きるわけがないと思うのですが(それは聖書を読んでも分かります。預言者に横柄な態度を取る者にいいことは起きません。へりくだった態度を取っている人たちに奇跡が起きているのです)逆に他の地域の人たちにききたいのですが、こういう態度を取り続けている人たちによいことが起きると思いますか?(この横柄さ、本当に呆れますね。自分たちは一つの奇跡も起きないくせにです)

この辺りの人たちはともかく、この地域以外の人たちなら分かるはずです。なぜ、この辺りに災いが多いのかということがです。

この辺りに起きている多くの災いは、すべて(すべてです)この辺りの人たちの行いが悪いから起きていることなのです。

それは、この辺り以外の人たちなら(第三者の立場に立てば)分かるはずです。

感謝もしなければ謙虚さのかけらもない、起きて来る悪いことをすべて責任転嫁、こんな(非常に悪い)ことをしていてよいことが起きるわけがないのです。

しかし、この辺りの人たちは、それがいつまでたっても分からないのです。いつまでたっても、そのような災いをすべて私のせいにしているのです。

災いの原因はすべて私以外の人たちにあるというのにです。その災いは天罰以外の何ものでもないのにです。

しかしそれを、この辺りの多くの人たちはどれだけいっても認めようとしないのです。

それならそれで結構ですが、残念ではありますが自分たちの罪を認めない間は、その怒っている災いが止まることはありません。

それは自覚しないといけないでしょう。すべて、自分たちの周りに起きることは自分たちに責任があるからです。

それは聖書を見ても仏典を見ても、そう書かれてあるのですから、間違いないでしょう。

この辺りで起きていることは聖書や仏典、お経に書かれてあることと同じことが起きているのです。

そのことを、このブログの中に書いているのですから、では、このブログを読む時は聖書や仏典、お経を読む時と同じ心になって、反省しながら読まれてはどうでしょう。

聖書や仏典など読んで自分たちの心と行いを反省される人はたくさんいるからです。(お経も同じでしょうけどね。上げるだけではなく写経などしながら反省される人も多いと思います)

このブログを敵意むき出しで読んでいたところで何もいいことは起きません。(むしろ悪いことが起きます。聖書や仏典を敵意むき出しで読んでいることと同じですから)

せっかくこのブログを読むのであれば、ここに書かれてあることを実践してはどうでしょう。実際にこのブログの中に書かれてあることを実践し、奇跡が起きた人はたくさんいるからです。(実際にいますよね。そういう人がです。ウナッシーさんもそうだし)

ここに書いていることを無視している(または逆らっている)から悪いことが起きるのです。

それもまた事実なのではないでしょうか。

せっかく、実践すれば奇跡が起きる教えがここに存在するのです。ではなぜ、それをしようとしないのですか?

本当にもったいない話です。

我が強いと事実が見えなくなります。実際起きていることをもっとよく見てください。

そうすれば、このブログに書かれてあることを実践した方がいいのか、それとも無視した方がいいのかはよく分かるからです。

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2月 09 2017

神の方を向くのか、向かないのか

本当に皆さんよくお怒りです。

特に、この近所の方々のお怒りはひどいようで(どこかの会社など言わずもがなですが)横のオバちゃんや裏のオバちゃん(オジちゃん)作業員やらチンピラ風の奴まで怒りまくりです。(昨日また茶髪のチンピラ風の奴〔どっかの作業員かもしれないですけど〕が家の近くに立っていてにらみつけられました)

どれだけ悪いことが起きているのか知りませんが、とりあえずブログ代くらい払ったらどうですか?

そのような人たちは皆が皆、私のブログだけは読んでいるくせに(茶髪のチンピラは知りませんが)少しも感謝しません。(嫌がらせはしてもです)

いろいろ知って(おまけに心まで救われていて)まったく感謝しようともせず、嫌がらせをするだけして一切詫びようともしない、これでは悪いことが起きない方がおかしいのです。

そういう自分たちの行いをまったく問題にせず、悪いことが起きたことだけ私のせいにして、怒っていたところで悪いこと(天罰)が止まるわけがありません。

その自分たちがしている悪いことが自分たちに返ってきているだけだからです。

だから「とりあえずブログ代くらい払ったらどうですか?」といっているのです。

そういうよい行いもするのであれば、その返ってくる悪も減ると思うからです。(そのようなよい行いに相殺されてです)

やりたくないのであればやらなくても結構ですが、今のままなら、同じように悪いことは起き続けます。

くどいくらい、いいますが「そのような行いが自分たちに悪いことを起こさせている」からです。

また、そのような悪い行いをし続けていてはよいことは起きないでしょう。そのような行い自体が、神の方を向いていないからです。

神に顔を向けていなければ同じように神もまたそちらに顔を向けません。(作用反作用の法則)

神にソッポを向かれていてはどうやってもよいことは起きてきません。

だから自分たちの心と行いを直すしかないのです。(もちろん正しくです)自分たちの方から神に顔を向けない限り絶対に神はこちらを向いてくれないからです。

自分の運命はすべて自分主導であるのです。

自分が何もよいことをしていないのに神が自分を救ってくれるわけはなく、自分から神の方に行って(神の心に叶うようなことをして)初めて神は救ってくださるのです。(だから他力本願では救われないといっているのです。自分からよいことをしないと救われないのです。〔自力本願〕だから私に布施位してはどうですか?といっているのです。それくらい神の心に叶う行いもないからです)

そういうことをいつまでも理解しないとよいことは起きてきません。だから早くそれを理解していただくほかないのですが、このように神にソッポを向かれている人たちはたくさんいます。

しかし、それが個人の問題であるのならまだよいのですが、政府が神にソッポを向かれてしまうと国全体がおかしくなります。

だから政府は、より神の心に叶う政策をしないといけないということになりますが(そうしないと国民全体が不幸になるからです)今回、どうも自民党(与党)が神にソッポを向かれてしまったようです。

それはこの前の千代田区長選挙で、自民党のお歴々が何度も応援演説に入ったにもかかわらず、票が(その自民党の力では)一票も増えなかったということでもその事実が分かります。(あれ増えていませんよね。〔むしろ減っているんじゃないですか?〕自民推薦候補があれだけの票しか取れなかったんですから)

それに明日から始まる日米首脳会談もそうです。

今度のアメリカ大統領の不評なことといったらありません。別に政策がまったく悪いということでもないのでしょうが(アメリカ国民の半分は支持しているんですから)やり方が直情径行で何か子供のようです。

そういうやり方がやはり問題なのでしょう。(世界のリーダーであらねばならない人が、ああいうやり方をされては自国民だけではなく世界の人たちが引きます)

その世界から不評を買っているアメリカ大統領と今回、安倍総理は首脳会談だけではなく、別荘にまで招かれゴルフまで一緒にされるとか。これまでのアメリカ大統領とそこまでされるというのであれば、もろ手を挙げて喜ばれる人も多かったんでしょうが、今度の大統領ではそういう人もそうはいません。

しかし、日米同盟もあるのだし、それを断るわけにもいかない、行くのも不評だし行かないわけにもいかない、結局こういうことになるのです。

神にソッポを向かれるとです。

神に顔を向けているのであれば、それこそ四面楚歌になっても、それでも救われる道がなにがしかついて来るものですが、逆に自ら神に顔を背け神にソッポを向かれると、どれだけよい立場であっても進む道がなくなります。

つまり、今回の安倍総理のように進むも地獄、引くも地獄、それ以外に道はなし、というようになるのです。

安倍総理がこういう状況になったのも、やはり政府が神からソッポを向かれている何よりの証拠なのであり、そうであるなら南スーダンのPKOは引いた方がいいでしょう。

神が政府にソッポを向いているのなら、あんな危ない場所に自衛隊がいては、それこそ自衛隊員に何が起きるか分からないからです。(だって戦闘地域ですよね、あそこは。自衛隊の日報に戦闘があったと書かれてあるのですから)

どういう理由でも結構です。(憲法違反でいいではないですか)早々に自衛隊を南スーダンから引かせた方がいいでしょう。自衛隊の部隊に何か起きてからでは遅いからです。(もし、自衛隊の部隊に何か起きたら、政府自体が危なくなりますが…)

神に顔を向けていないとこのようになるのです。

悪い方、悪い方に導かれて行くのです。

だから神の心に叶うこと(行い)は非常に大事なことなのです。

それは個人であろうと国であろうと同じであるのです。

心を入れ替えませんか?

そうしないともういつ不幸が起きるか分からないからです。

(人気グループのアイドルの子が急死したとニュースでやっていました。〔まだ十八歳だそうではないですか〕そういう不幸がもう日本中で起きています。〔多死時代〕神の方に神を向けられてはどうでしょう。そうすればこのような不幸は起きないからです)

追伸…河村市長が三期目の出馬を決められたそうですね。

それはよかった。まず名古屋をよくしてから国政に打って出ないと、こんな中途半端な状態では、結局全国に打って出ても途中で討死(うちじに)ということにもなりかねませんから。(笑)

やはりもう少し大きな実績を残してほしいものです。

自分の給料を下げたり、減税したり、待機児童をゼロにしたりという実績だけでは全国的にはなかなか認められないでしょう。(もちろん名古屋の人にはありがたことですが)

何せ、名古屋は地味ですから。(笑)

名古屋城の天守閣の木造復元もいいのですが、中京都構想はどうなりましたか?そうして二重行政の解消などして名古屋の赤字を黒字化するくらいの実績を引っさげ、また国政に挑戦される時はしていただきたいものです。

とにかく地味な名古屋に派手な市長は必要でしょう。(笑)また頑張ってください。

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2月 07 2017

奇跡を起こすには

昨日、庄内川に行ったんですが、その帰り、あちこちにずいぶん人がいました。(そういえば行きにも出てきている人が多かったです。いつもはほとんどいないのにです)

最近、庄内川の帰りに中学生などまず見なかったのに、昨日は集団でいましたからね。驚きました。(下校途中のようでした)

どうしたんでしょう、急に?

どうせ私のブログを読んで、これまで私を避けていたのに(災いばかりが起きるからです)奇跡が起きるといいとでも思って出て来たんでしょうが(他の人たちもそんな感じでした。こっちを意識している人が多かったようですから)しかし、私のブログを読むなら読むでもっとしっかり読んでほしいものです。

ただ出てくればいいというものではないからです。(しかし、もし、あの出てきている人たちが私のブログを読んでいるのだとしたら、ずいぶん心が救われているはずですが、それなのに凄いですね、皆さん。私に感謝一つしません。何が驚きって、それが一番の驚きですね。〔苦笑〕)

私の近くに寄ってくるだけで、それで奇跡が起きるのなら、私の母はとっくに奇跡が起きています。

しかし、母に私と同じ奇跡は起きていません。

なぜでしょうか?

それは心が変わらないからです。

心を変えないと奇跡は起きないのです。

昨日の中学生など、帰りに会ったのはいいが、誰一人、私に謝ろうとする者はいませんでした。

あれだけ嫌がらせしていたのにです。(あの庄内川の辺りの中学生にもよく嫌がらせされましたから)

それを忘れたかのようにケラケラ笑いながら歩いていて、まだ私に嫌がらせして来る者までいます。

それでは寄ってこない方がよいでしょう。それでは奇跡どころか災いしか起きないからです。

もし、自分に奇跡を起こしたいのであれば、まず、そのような不遜で傲慢な態度から改めないといけないのです。

自分が悪かったとこれまでの行いを反省し、生意気な態度を取ったことを詫び、そうして「どうやったら救われるのですか?」と辞を低くしてききに来ないといけない、まずそのような筋を通さないと奇跡が起きる順序は得られないのです。

そういうところを適当にごまかして奇跡を得ようとしたところで、人としての筋も通さずにいて奇跡が現れるはずがないのです。

奇跡は私が起こすわけではないからです。すべて神が(天が)起こしてくださるからです。(そうであるなら当然筋はきちっと通さないといけないでしょう。筋を通さないで神の力が通るわけがないからです)

それが出来ないというのであれば寄ってこない方が(出て来ない方が)いいでしょう。状況は何も変わっていないからです。(それは中学生だけではなくすべての人にいえることです。先ほども書きましたが、この辺りで私によいことをした人は一人もいません。〔私に心は救われている人たちばかりなのにです〕しかし、悪いことをした人はごまんといるのです。それをまず反省しないといけない。奇跡はそれからです)

どちらにしても、不遜で傲慢な心のままでは奇跡は起きません。

奇跡は謙虚で素直な心がないと起きないからです。そのような心のかけらもないのであれば逆立ちしても奇跡は起きないのです。

だからこのブログを読んでいて奇跡が起きないという人は、そういうところ(不遜で傲慢な心)が多々あるということです。(どれだけ可愛らしい顔をしていてもです。〔笑〕顔と心は違うということです。〔苦笑〕)

だから奇跡が起きないのです。

まして、このブログを読んでいて災いが起きる人など最悪です。もうそのような人たちは、不遜と傲慢の塊といっても過言ではないでしょう。(人は愛と慈悲の塊にならなければいけないのにです。真逆ですね。〔苦笑〕)

まず、そういう心を反省されませんか?

そうすれば奇跡は誰にでも起きることだからです。

追伸…千代田区長選挙で自民党の推薦候補がボロ負けしましたね。

これで都知事の勢いはさらに増し、次の都議選で(都知事の候補が)バカ勝ちするようなら、その次に来る衆院選も自民党はやばいのではないでしょうか。

その都知事が衆院選まで乗り込んでくるかもしれないからです。(うちの市長さんも、それをにらんで次の市長選に出るのかどうか口を濁していますから……ただ、うちの市長さん、都知事にあまり相手にされていないのが残念です。〔苦笑〕)

しかし、いくら都知事の人気が凄いとはいえ、あまりに負けすぎていませんか?あの自民推薦候補がです。

しかもこの候補、えらい元自民党議員の先生の甥かなんかですよね。それなのにひどい負けようです。(何せ、票差が三倍以上ですから)

しかし、この自民党の推薦した候補が都知事が応援した候補に三倍以上の票の差がついたということはともかくです。

無所属の無名の候補との票差が千票もなかったというのはどういうことでしょう。(自民推薦候補が約四千七百票、無名の無所属候補が約三千九百票です)

この候補に、あれだけ自民党のえらい先生方が応援に駆け付けていたにもかかわらずです。(ずいぶん自民党の有名な先生方が応援演説をしていたではないですか。よくニュースで流れていました)

これでは自民党が応援してもしなくても同じであったということになります。だって、それくらいの票であるなら、自分のおじである元自民党議員の先生の名前だけでも十分取れる票であるからです。

つまり、今回の千代田区長選挙は自民党のブランド(神通力)が全然きかなかったということになります。

こちらの方がよほど深刻なのではないですか?

もしかしたら自民党の人気にかげりがみえているのかもしれないからです。(これ千代田区だけの問題でしょうか?)

都知事の人気を危ぶむよりも、この自民党の何か分からない人気のなさを恐れた方がいいのではないでしょうか。

今回の自民党の不人気が国政選挙にまで及べば、今度は衆院選挙で自民党がボロ負けするということもなきにしもあらずだからです。(支持率だけでは分かりませんよ。今回だけは自民に入れないなどよくある話ですから。何せ、小選挙区制は怖いですから)

なぜでしょう。なぜ今回の千代田区長選挙は自民党の神通力が全然きかなかったのでしょう?

自民党の神通力がきかなかったということは、それは神が自民党にソッポを向いたということになります。

自民党は(数にまかせ)あまりにおかしな法案を通しすぎましたね。(驕る平家〔自民〕は久しからずですね。〔苦笑〕)

だから私はいったのです。

「カジノ法案」など通さない方がいいとです。

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2月 05 2017

病と癒し

今日は朝から雨が降っています。たまには雨もいいんですが、まだまだ寒さは続いています。

早く暖かくならないかとそればかりが気になりますね。やはりあまり寒いのは体にこたえますから。(年も年ですし。〔笑〕)

その体の話ですが、聖書の中に十二年もの間、病に侵されていた女性がキリストの服をさわったとたん、病んでいた病気が癒されたという話が出てきます。

その女性はキリストの服をさわれば病は癒されると信じていたそうです。

そういう心で、その女性がキリストの服にさわると、自分が長年苦しんでいた病がたちまち癒され(ひどい痛みがとれたと聖書には書かれてあります)健康になったそうです。

キリストはその女性に対し「汝の信仰、汝を救えり」(あなたの信仰があなたを救った)といわれ、その女性の信仰心を喜ばれます。

私の母のことを少し書きますが、母も八十歳をすぎて最近は病気がちとなりました。(それでも毎日買い物に出かけていきますが)

少し前には喘息(ぜんそく)になり(軽いですけどね)またこの前、心臓が苦しくなったということで病院に行くと、心筋こうそくの一歩手前であったといわれたそうです。

それで喘息の薬と心臓の薬を飲んでいるようなのですが、喘息などの薬を飲んでいても、それでも咳が出る時は出ます。

ある時、ひどい咳が続いていたものですから、私が少々祈ったのです。

すると、とたんにその咳が止まり元気になりました。

なぜ元気になったと分かるのかといえば、母はジッとしているタイプではありません。何かしていないと気がすまないタイプなのですが、その時、私が祈ると咳が止まりました。

そうしてすぐにそこら辺を掃除し出したのです。だから、元気になったと分かったのです。

元気にならなければ掃除など始めるわけがないからです。

その後の話です。母は心臓の薬も飲んでいるものですから、その心臓の薬の副作用で、手がこんなに突っ張ったと手を見せながら私にいってきました。(そうして体もえらいとです)

その心臓の薬は朝昼晩と一日三度飲んでいるといいます。

それで私が「薬は人によって効き目も違うし強い弱いもある。医者に一日三度飲めといわれたからとちゃんと三度飲まなくてもいい。一日一回でもいいし二回でもいい。体に合わせて飲めばいい」といっておきました。

そうして、すぐその後、母の体を祈ったのです。

すると、翌日(翌々日だったかもしれませんが)「薬を夜だけにしたら調子がよくなった」と手を動かしながらいっていました。

母は薬を減らしたから手がよくなったと思っているようですが、祈ったのがずいぶん効いたのではないかと私は思っています。

こういう家でのこともあって、それで昨日、ああいうブログを書いたわけです。

どうも私が祈ると先ほどのキリストの話ではありませんが、病が癒されているようなのです。

とはいえ、母の病気がまったくよくなったわけではありませんが(年も年ですし、まず心を変えようとしません。〔母は私のいうことをあまりききませんから〕それでは病気を完全に治すことは出来ないでしょう)それでも祈るとずいぶん効き目はあるようです。

昨日、久しぶりにスーパーに買い物に行ったのですが、ああいう人の多いところに行くとあちこちで嫌がらせをされます。(みな私のことを目の敵にしていますから)

そのような嫌がらせを私にして、そうして病気になった人もいるのではないでしょうか。(マァ、凄い数の人に私は嫌がらせをされています。そういう人も中にはいるでしょう)

それで病気をしたのはあいつのせいということになるのでしょうが(もし、そういうことが起きているのだとしたら、先に嫌がらせをしてきたのは自分の方なのです。それではどう考えても自分のせいだと思うのですが…)そういうことが起きているのなら、昨日のブログではありませんが、逆のことも起きるということです。

原因結果、作用反作用の法則は必ず作用しているからです。

私が何をいいたいのかといえば、私に嫌がらせをしただけで病気になる人がいるのであれば、では、私によいことをしただけで、それで病気が治る人もいるはずであるということです。(同じことですもんね。嫌がらせをして病気になるのなら、いいことをすれば病気が治るということも考えられます)

私にいいことをする人があまりいないので(苦笑)そちらはよく分かりませんが、最初に書いたキリストの話もあります。(服をさわっただけで病が癒された)

まったく起きない話ではないということです。

しかし、それも皆さんの心次第です。(キリストの服をさわっただけで病が癒された女性も「キリストの服をさわれば病は癒される」と固く信じていたからそういう奇跡が起きたのです)

法を説ている人に対する心が変われば、今とまったく逆の現象が現れてきます。現在この辺りで起きている現象は、この辺りの多くの人々がつくりだした現象であるからです。(そうですよね。私を悪く思う人が多かったばかりに、このような〔恐ろしい〕現象が現れてきたのです)

では、逆の考えを持つ人(私をよく思う人)がたくさん現れれば、当然逆の現象が現れて来るということになります。(つまり、奇跡が次々に起きる、そういう現象がそこらじゅうで現れて来るということです)

では、そうされてはどうでしょう。私の周りでは、すでに鳥や魚などが寄ってくる奇跡ばかりでなく癒しの奇跡まで現れているからです。(では、私を正しいと信じれば、そういう奇跡も起きて来るということになります)

法を説く人をもう少し大切にされませんか?

そうすれば多くの奇跡が現れて来るからです。

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