2月 12 2017
預言者と名僧、高僧といわれる人との概念の違い
日米首脳は、ゴルフで蜜月ぶりをアピールして暖かそうですが(ただ、後が怖そうです)日本は最強寒波の襲来で寒いことこの上なしです。(ずいぶん雪が降っているところもありますし)
しかし、こちら名古屋は他のどの地域よりも寒いといっても過言ではないでしょう。
なぜなら、こちらは気温が低いというだけではなく、人の心までずいぶん冷たいからです。
もうこの辺りの皆さんの冷たさといったらないでしょう。(何せ、毎日のように嫌がらせされていますから。今日も朝から怒っているオバちゃんがいましたし)
何度もいいますが、そのような冷たい心で悪いことを責任転嫁して怒っていてもよいことは起きません。(というか、よけい悪いことが起きます)
悪いことを人のせいにするのではなく、悪いことが起きたのは自分のせいと自覚して、自分が悪かったと反省し、そのことを教えてくれてありがとうございますと、少しは私に対し暖かい心を持ってはどうでしょう。
そういう暖かい心を自分が持てて初めて暖かいこと(奇跡)も起きて来るからです。
自らも奇跡を起こし、そうしてその人のいうことをきくと、そのきいた人にも奇跡が起きる、そのようなことをが出来る人を預言者といいます。
預言者とは神の言葉を預かり、それを世の人々に伝える人をいい、その預言者が現れる時には奇跡が次々に現れるのです。
預言者は神の言葉を預かるだけではなく、神の力まで同じように預かっているからです。
現代の人たちはそのような預言者を知らないのです。
現代の人たちは、預言者などという存在は伝説上のものであり、実際にいるわけではないと思っているのです。(私の知合いで釈尊は架空の人物だと思い込んでいる人もいましたから)または、それは遠い昔の人で現在は存在しないと思っているわけです。
特に日本の人々は預言者という存在は縁遠いのではないでしょうか。日本の人々は預言者より、高僧、名僧といった方がしっくりくると思うからです。
しかし、預言者と日本でいう名僧、高僧とではとらえ方が違っています。だからこの辺りの人たちはこれだけ反発するのでしょう。
預言者という概念があまりないからです。
日本でいう名僧、高僧といわれる方々は、仏法を説いて人々を教え導いてくれます。つまりやさしく教えてくれるのです。
それに対し、西洋でいう預言者といわれる方々は、やさしく教え導くというよりも、どちらかというと厳しく教え導くのであり(間違ったことをする人たちに様々な災い〔天罰〕を与えて)神もまた怒りの神などといわれ激しい現象を現すのです。
この神という概念も日本と西洋諸国とは違っていて、西洋は怒りの神の一神教ですが日本は八百万(数がきわめて多い、たくさんいるという意味)の神であり、これもまた、非常にやさしいのです。
八百万の神は罰など当てずにやさしく導いてくださるのです。
だから日本の人々は罰とは言葉だけで(それは悪いことをした時に方便として使うだけで)実際には当たらないと思っている人が多いわけです。
日本には預言者(厳しく教え導く)という概念もなければ、罰が当たるという概念もなかったのです。
それが今の悲劇を呼んでいるのです。
預言者は存在するからです。また罰も当たるからです。
実際にそういうことが起きているのですから、もう理解されてはどうでしょう。預言者の存在をです。そうして、悪いことをしていれば天罰がくだるということをです。
そういうことを知らなかった自分たちが悪いのです。(それがすでに悪です。一番大事なことを知らなかった、ずいぶん大きな悪です)
日本でいう八百万の神も激しい天変地変は起こしているのです。(昔から大きな地震も、大雨も、台風も、竜巻も、いくらでも日本には起きています)そうして、高僧、名僧といわれる人たちでも天罰は当てているのです。(前に書いたことがありますが、日蓮を殺そうとした龍ノ口の法難などそのよい例です)
ただ、日本はそういう悪いことの方を強調しなかっただけで、実際日本も西洋も同じように悪いことは起きているのです。
しかし、日本の人々は、悪いことを天罰とは考えず、ただ運が悪かった、それですましていたのです。
だから悪いことをしても神が何かをされるはずがないと思っていたのです。
そうして、段々、心が神から離れていって、最終的には無神論などという思想に変わっていき神をないがしろにしていきます。
神はこちらがどんな悪いことをしても何もされないからです。では、何もしない神など怖くはないとです。
しかし、そのような考えが間違いであったのです。
神は昔も今も、悪いことをすれば災いを現し(天罰)ある時には厳しく、またある時にはやさしく私たちを導いてくださっていたのです。
その神の慈悲を、神の愛を、これまでの人たちはまるで理解していなかった。
では、神に対し、これほど大きな罪があるのでしょうか。神に救われていたことにまるで気づいていなかったというのですから。
そのような付けがいま大きく現れているのです。
そのような不遜な心がこのような災いを呼んでいるのです。(この辺りだけではなく、数々起きる天変地変、多死社会)
そのような気づきを誰が与えてくれているのですか?
もし私が、そのことを気づかせなければ、日本の人々はこのようなことはすべて偶然であると思い込み、最後には滅ぼされていたでしょう。
日本の人々が持つ無神論などという思想は、神の子である人間にとって、もっとも神の心から離れた、最低、最悪の思想であったからです。
そのような(最低、最悪の)思想をいつまでも持ち続けているのであれば、最後には神はそのような人々を滅ぼしてしまう、これは、数々残る伝承でもその事実は分かるはずです。(聖書の中にもそのような〔町や村が滅ぼされる〕事実はたくさん出てきます)
私が様々な現象を現したから、多くの人が神の存在に気がつき、起きてくる災いが(奇跡も同じですが)偶然ではないと分かったのであり、そうであるなら、これまでそういうことを知らなかった自分の不徳を神に詫び、神の愛と慈悲を自覚し、神に感謝するのは神の子の人間であるのなら当然のこととして、それに気づかせてくれた私に感謝することもまた当然のことなのではないでしょうか。
神のことを、もし知らないままでいたのであれば、自分たちはもう滅ぼされていたかもしれないからです。
それを救ったのは私であるからです。(まだ、この先どうなるかは分かりませんけどね。〔異常気象は続いているし〕まだまだ、自覚が足りない人が多いからです)
神のことを何も知らなかった自分たちが悪いのです。だから悪いことが次々に起きているのです。
ずいぶん日本の人々は(神に対し)不徳を重ねてきたからです。
では、その不徳を解消するにはどうしたらよいのですか?
より以上に徳を積むことです。それ以外、大きな不徳を解消する方法などないからです。
では、徳を積まれてはどうですか。
それ以外で、この災いを止める方法はないのです。
(それともまだ神など知らないと、とぼけて自分のことだけをやり続けますか?〔悪いことを全部私にかずけてです〕そのような神にソッポを向いている間は災いは止まらないのです。しっかり神に顔を向けて、そうして徳を積まないと奇跡は起きてこないのです)



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