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4月 26 2016

法の有難さ

今日も朝からお怒りですが、昨日などトラックの運転手にブシュブシュやられっぱなしでした。(庄内川の川岸を歩いていてです)自分が悪いとは誰も認めたくないようで、悪いことを頑なに私のせいにしている人が多いようです。(苦笑)

それで少しキレまして、庄内川の帰りはでかい声で文句をいいながら帰ってきました。(…文句ではありませんでした。辻説法でした)

前から人が歩いてくるか、またはブシュとやられるたびに「神からあの世から生まれ変わりから、何から何まで教えてもらっているのにそのお返しが嫌がらせかよ」「感謝一つしないだな」「俺のいうことを聞いてずいぶん心が救われたんじゃないのか」「俺がいたからそういうことも信じたんだろう」と辻説法をしっぱなしでした。

すると下を向く人が多かったですね。私の顔を見て、嫌がらせをする気満々の人もです。(そんなこといいながら歩いていたら二、三の人からしか嫌がらせをされませんでした。その説法を聞いて後ろめたい人も多かったのではないでしょうか)

特に年寄りは顕著でしたね。

私が歩いていて前から歩いてくる年寄りは、私の顔を見るとまず何かしていきます。(私が歩いているとすずめが騒ぐので、私に気づいて、わざわざ外まで出て来る年寄りまでいますから。〔そうして何かでかい音を立てて嫌がらせするのです〕)

昨日も何人も前から歩いて来ました。(自分の家の前に出てきている年寄りもいました。やる気満々です。〔笑〕)

そういう年寄りを見かけると「爺ちゃん(婆ちゃん)よかったな、あの世があるって分かって、それ誰に教えてもらった」とか「先が短くても死んだ先があると思うと希望もわくよな」とか「神から仏から生まれ変わりから何から何まで分かって心も救われただろう」とか声をかけるのです。

すると昨日会った年寄りは、ほぼ全員がそういう話を聞くとビクッとして、顔が引きつり私に嫌がらせをしてきた人はいませんでした。(中には頭を下げた人までいました)

よく考えてみればです。

私のことを知れば知るほど(憎めば憎むほどですか。〔苦笑〕)私のいっていることは信じるのですから、私のいっていることを信じるのであれば(信じれば信じるほど)私を憎む心とは裏腹に自分たちの心は救われて行きます。(法は知れば知るほど心が救われますから)

では、私を知ったばかりに、そのような人たちの心はずいぶん救われたということになります。

最も憎んでいる(最もかどうかそれは知りませんが。〔苦笑〕)私に、多くの人が救われたというのですから、皮肉な結果が出ているといわざるを得ませんね。(苦笑)

しかし、年寄りは特にですが、心が救われた実感があるのでしょう。だから昨日は、十人が十人、私に嫌がらせをするのをやめたのです。

年寄りは、いってはいけませんが、他の何をいっても、私に対する嫌がらせをやめようとはしませんでした。

「何でそんな悪い奴に鳥が寄ってくるのか」とか「もう日本中でサイレンなどしている。ならそれも全部俺のせいかい」とか「もう時代が変わった。だからこういう現象が起き出したんだ」とかいっても、頑としてそれを聞き入れず「お前が悪い」の一辺倒で嫌がらせをしてくる人が多かったのです。

しかし、昨日はそういう人が一人もいませんでした。

ということは、他のことはともかく「あの世があると分かって希望がわいた」「神から仏からあの世のことまで分かり心が救われた」ということだけは確かなようで、それで(そういう話を聞いた)昨日は年寄りの誰も私に嫌がらせをしてこなかったのです。

では、私は、この辺りの多くの年寄りの心を救ったということになります。(この辺の年寄りは誰も私のことをよく知っていますから)

また、年寄りだけではなく、私がこの辺り(名古屋及び愛知、岐阜、三重)の多くの人たちの心を救ったのは事実でしょう。

多くの人が私の悪評を知ったのなら、唯物論は捨てるはずだからです。(私の悪評は、多分、私が祈って悪いことをしているというものでしょう。〔直接私が人に悪いことをしたことなどないからです〕祈って何か起きるということになれば、もう唯物論がおかしいのは誰でも分かります。私の悪評を信じるということは、即ち唯心論を信じるということになるのです)

釈尊在世当時は、釈尊の話を聞きに行くのに何十キロも何百キロも歩いて、命懸けで聞きに行ったのです。(遠くに住んでいる人たちなど皆そうでした。釈尊の噂が拡がれば拡がるほど、一度はその説法を聞きたいとより遠くの地域から釈尊の説法を聞きに多くの人が集まったのです。二千五百年も前の話です。当然、車も電車もありませんし飛行機もありません。みな命懸けで〔途中で盗賊にあうかもしれないし、猛獣に襲われるかもしれない、毒蛇にかまれるかもしれなかったからです〕釈尊がおられるところまで歩いて行ったのです)

しかし、現在は、そのような法の話を聞くのもボタン一つで出来ます。(パソコンをつければそれでよいからです)

あまり便利なのも問題ですね。そのせいで、よい話を聞いても何のありがたみもわかないようだからです。(それどころか、このブログが読みたいくせに書くのを全力でじゃましている輩までいます。今日も朝から元気いっぱいです。〔苦笑〕)

このブログを読んで(または私の悪評を聞き)心が救われた人はたくさんいるでしょう。(それこそ世界にまでです。このブログは世界中の人が読めますから)

それなのにやっていることがあまりにひどいのではないでしょうか。(法の流布のじゃま、嫌がらせ、無視、などなど)

こんなことをしていていいことが起きると思いますか?

これではいいことが起きるわけがないのです。

自分たちのしていることをもう一度よく考えられてはどうでしょう。

そうすれば、どれだけ不誠実なことをしているのか、よく分かると思うからです。

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4月 25 2016

心の修行

今日も朝から激しくお怒りです。

一体、何をそんなに怒っているのでしょう。(それは運転手連中も同じなんですが)そんなに激しく怒るようなことは起きていないと思うんですが…だって、そんなに怒るようなことが毎日のように起きていたら、そんな会社は潰れるはずです。(もうずいぶん前からこんな感じですから)

それが潰れずに未だに仕事をしているんですから、それほど怒るようなことが起きているとは思えません。

要は大袈裟なのでしょう。(小さなことに腹を立てているだけでしょう)

しかし、そういう人が増えたのではないでしょうか。

昨日書いた保育園の問題でもそうです。昔なら、まったく問題にならなかったようなことが、現在は問題になるのです。神経質で細かい人が増えた何よりの証拠でしょう。(本当に愛がありません)

最近はアレルギー体質の子供が増えたそうですが、これなどその最たる例です。

母親が細かくて神経質だとそういう子供が生まれるからです。

母親が神経質だと何にでも敏感に反応する、そういう体質の子供が生まれるのです。(親のそのような悪い心を子供が現しているのです)

だから、そういう子供が生まれたら、母親は自分のそのような神経質で細かい心を反省し、おおらかで豊かな心になるよう努力して、より愛をその子供にかけるのであれば、そのような子供のアレルギー体質は体の成長とともになくなって行くのです。

しかし、今の母親は反省などまずしません。(自分が悪いなど毛ほども思っていないからです)そうして薬だけで治そうとします。

だから子供のアレルギーが治らないのです。自分がまったく反省しないからです。

母親が自分の心を反省するなら、子供の成長とともに子供の体質が変わり、そのアレルギーは治って行きます。(天が、その母親の心に応じて癒しを行ってくれるからです)

薬ばかりに頼るのではなく、自分の心で子供の病を癒す、そのような体験をされてはどうでしょう。

そのような体験は、子供の体を治すだけではなく、自分の心の成長にもつながるからです。

実際に小さな時はアレルギー体質であったが、今は治ったという人もいるはずです。そういう人は親の心が変わったからです。

だから、アレルギー体質が変わったのです。

百人が百人そうだとはいいませんが(別な理由も、もちろんあるからです)しかし、だいたいは、小さな時からなっている子供の病気は母親が反省すると治るのです。(完全に治るかどうかは分かりませんが、親の心がよい方に変われば、子供の病気は確実に軽くなるのです)

だから、子供がうつ病とかなっている人もそうです。まず親の心を先に変えないと、子のうつ病は治らないのです。

親の心が大きくその子供に影響しているからです。

とにかく現代は、その考えが小さく細かく愛のない方に進んでいます。(個人中心の個人尊重の世相がそのようにしているのですが)

こうなると災いは増えるでしょうね。

そのような狭く小さく愛のない心が災いを呼ぶからです。(だから、この辺りで子供に何か起きたと私を怨んでいる母親もいるかもしれませんが〔多分いるでしょう〕それは自分の愛が足りなかったのです。母の出す愛が〔親の出す愛が〕足りているなら、自分の子供に悪いことは起きないからです。そこも私を怨むのは筋違いです。自分の愛のなさを反省しないといけないのです)

この世の修行とはこのようなもので、すべて心の修行なのです。

すべて、自分の心でどうにでもなるからです。(よい方にも悪い方にもです)

だから、心をよくしないといけないといっているのです。すべての元が心であるからです。

だから、この辺りで私のせいで悪いことが起きたと怒っている人がたくさんいますが、とんでもありません。

自分たちの心が悪いから、自分たちに悪いことが起きているのであって、私のせいではないのです。(本当にすさまじいお門違いです)

といっても、それをこの辺りの人たちはなかなか認めようとしないのですが、では、そういう悪いことを全部私のせいにしている人たちにお聞きします。

釈尊やキリストが、人のせいで自分たちに悪いことが起きたといわれたことがあるのでしょうか?

残念ではありますが、釈尊やキリストは一度もそんなことをいわれたことはないのです。

あのような偉大な方々は、自分に起きた悪いことは、みな、自分が原因で起きているといわれているからです。

それがすべてです。(本当にシンプルです。分かりやすいです)

早くその当たり前の原理を理解してください。そうしないと不幸は続くからです。

その当たり前の原理を分かりやすく説いているのが、この法です。(だから、自分のどこが悪いのか分からない人たちは私に聞きに来てください。教えてあげますから。〔笑〕)

この法を理解し実践するなら、災いどころか奇跡が現れます。(私が証明です)

その法にいつまでも逆らっているから、それだけ災いが起きているのです。

いい加減それを理解されてはどうでしょう。(責任転嫁ばかりしてないでです)

頑なに悪いことを人のせいにし続けているから、悪いことが起き続けているのです。

追伸…天下一品の資質であっても勝てないことがあるんですね。(何せ、前世では負けたことがありませんでしたから。〔笑〕)

天下一の強者(つわもの)も(昔の話ですが。〔笑〕)法に逆らっていてはなかなか勝てないようです。

せっかく法を知ったのですから、少し協力してくれませんか?(お金持ちでしょう。〔笑〕)

そうすれば、すぐにでも勝てるようになるからです。

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4月 24 2016

因果応報と愛を出す大事さ

昨日もよってたかって嫌がらせをされました。

その中で、どれだけ私のブログを読んでいる人がいるのか知りませんが、これだけはいえます。

この辺りは一人として反省する人がいないということです。(愛のない、傲慢な人ばかりであるということです。だって、その中に私のブログを見ている人もいたはずだからです。それで私に詫びてきた人も感謝する人もいなかったんですから)

そうなると恐ろしいですね。時代が時代です。そういう無反省な人にはどんな悪いことが起きるか分からないからです。

しかし、この辺りの人は特に始末が悪いですね。

私のことを皆が知ってしまったので、悪いことが起きても、それを全部私のせいにしていればそれで事足ります。(周りもそれに同調しますし)

それだとよけい悪いことが起きるでしょうね。まったく反省しないからです。

困ったことですが、しかし、私が悪いから自分たちに悪いことが起きているのではなく、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きているのです。(この辺りの人は「善因善果 悪因悪果」という釈尊の教えを無視するのでしょうか?)

自分の悪いところに自分で気づいて、その点を反省し、その悪いところを自分で直さない限り、その悪いことは止まりません。(自力です)

早くそれに気づいてほしいものです。

昨日もそういう人がいました。責任転嫁の塊のような人がです。(私たちは、愛と慈悲の塊にならなければいけないのに、責任転嫁の塊になっているようでは最悪ですね)

交差点を渡っていたら、一番前に止まっていた市バスの運転手がまた例のごとくブシュとやってきました。

それで、その運転手を祈ったら、凄い顔をしてこちらをにらんでいるのです。

あまりにこちらをにらみつけているので「反省して詫びを入れないと癌は止まらないぞ」と私がいうと、だいたいの運転手はそれを聞いて目をそらすのですが、その運転手は目をそらそうとしませんでした。

「みんなお前が悪い」という目で私をにらみつけているのです。

本当に呆れてしまいました。

最初に嫌がらせをしてきたのはバスの運転手の方なのです。(つい今しがたもしていましたし)

私一人にバスの運転手がよってたかってブシュブシュやってきて、それが始まりでトラックの運転手もそういう嫌がらせを始め、その嫌がらせが未だに私には続いているというのに、そういう自分たちがしてきた悪いことは一切考えず(反省せず)それで今度は自分たちに悪いことが起きてきたら、それを全部私のせいにして怒っているのです。

本当に勝手なものです。

こういう自分本位な人たちばかりだから、こういう人たちに癌などのおかしな病気が多発しているのです。

自分たちがしてきた悪いことを考えるなら、恐ろしいことが起きてきても自業自得でしょう。

それなのになんで、その反省もなしに悪いことを私のせいにしているのですか?

自分たちがして来た(悪い)行いを棚に上げてです。

だから私はいっているのです。早く気づかなければいけないとです。(自分たちの悪にです)

そういう人たちは、そういうことを(自分本位なことを)これまでもしてきているのです。それに気づいていなかっただけなのです。

しかし、時代が変わり、大勢の人が自分がしてきた悪を、たった一人の者によってたかってしてしまったばかりに、一変でその自分たちのしてきた悪が自分たちに返ってきたのです。(自分たちがより大きな悪を行ったのだから、それは仕方がないでしょう)

だから、このようなことが起きているのです。

いま起きている恐ろしい現象はすべてです。すべて、そのような自分たちの心が原因なのであり、人のせいではないのです。

自分のせいなのです。自分たちの悪い心が自分たちに戻っているだけだからです。

それを認めたくはないのでしょうが、私に悪い現象が起きないというのが、その何よりの証拠でしょう。

私は、この法を園頭先生から教えてもらって以来(高橋先生のご著書を読み始めてからですから、もう三十年以上になります)コツコツとではありますが続けてきました。

これまで間違ったこともしましたが、それを反省し、出来るだけ法の実践に努めてきました。その結果が、このような時代となって、次々に奇跡の現象として現れているのです。

自分がして来たことの結果が、現象として現れる時代となったからです。

そういう時代が変わって起きてきたことを、この辺りの人は私のせいにしているだけだし、他の地域の人は(激しい天変地変など)温暖化などのせいにして責任転嫁しているだけなのです。

これまですべてです。周りに起きてきたことを自分の問題ととらえず、全部責任転嫁していた。

そのような自分本位の愛のない心が、不幸が多い世界へと、世の中を変えてしまったのです。

自分本位で愛がない人が増えたということは、あの保育園がつくれないというような問題でも分かるのです。

子供の声がうるさくて、保育園がつくれないなど、昔は考えられませんでした。

昔の人はみな、小さな子供の声など聞くと、微笑ましいとか、元気が出るとかしか思わなかったからです。

しかし、最近の人は、その小さな子供の声がうるさいとしか聞こえないのです。

これなど愛がない人が増えた何よりの証拠でしょう。(道が狭いから子供が危ないとかなんとか、他の理由もつけていますが、ああいうことをいうこと自体、愛がない証拠なのです。道が狭いのなら、何でそこの住民の皆で、その子たちを守ってあげないのでしょう。そういうことが愛を出すということであり、昔の人はそのくらいのこと誰だってやっていたのです。ああ言い方は「私には愛がありません」と自らいっているようなものなのです)

そのような愛のない心がこのような不幸な世の中をつくり、自分さえ危うくしているのです。

愛を出すなら、自分の心からその愛とともに神の光も出てきます。

その神の光が自分を災難から守り幸福な世の中をもつくりだすのです。

いつまで愛のない心でいるのですか?

この時代、そのような心が一番危ないのです。

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4月 23 2016

罰当たりな人たち

今日は悪魔軍団が休みのようですが、この連中が休みの時は他の悪魔が騒ぎます。

心安らかにこのブログを書ける時はありませんね。(何せ周りが悪魔だらけですから。〔苦笑〕)

しかし、この悪魔軍団には呆れますね。

昨日もこの悪魔軍団がうるさくするのでなかなかブログがまとまりませんでした。

昨日はブログを公開したのが十一時二十分頃だったんですが、この連中、十一時を過ぎると(それまではうるさくしていたのに)なぜか急に静かになるのです。

そういえばこの連中は、いつも最初はうるさいんですが、ブログを書くのが長引いていると最後の方は静かなのです。

そうして、ブログを公開したとたん、またうるさくしだすのです。

昨日まで気づかなかったんですが、よく考えてみればこの連中、そういう態度を前からずっと続けていたのです。

そのような態度から考えますと、どうもこの連中、自分たちもこのブログが読みたいようで、だから、あまりブログを書くのに時間がかかっていると、最後は静かにしているようなのです。

「それで十一時過ぎると急に静かになるのか」と合点が行きました。

「何だお前らこのブログを読みたかったのか。それで静かにしているんだろ」と確認するとシーンとなってしまい、どうも図星のようです。

この連中、自分たちもこのブログを読みたいのに、散々このブログを書くのをじゃましていたというのですから驚きましたね。

そんなことをしていたら罰も当たるでしょう。(何か当たりっぱなしのようですが)

しかし、よく考えてみれば、こういう人はこの周りにたくさんいるのではないでしょうか。

だって、この周りで(バスや電車、トラックの運転手なども含めてです)私のブログを読んでいる人はたくさんいるからです。(おかしなことを書くと、その日に限ってやたら怒っている人が多いのが何よりの証拠です。そういう人が大人から子供までいるのですから、これもまた驚きです)

そのような人たちは何年も前からいました。

ということは、もう何年も前から私のブログを読んでいる人は多いということになります。

私のブログを何年も前から読んでいるということは、もう何年も前から(私から)ずいぶん知らないことを教えてもらっているということになりますが、それは間違いありませんよね。

だって、このブログの中には、本当の神や仏、そうしてあの世のこと、人の輪廻転生から不思議な現象まで、これまで知らなかった(信じていなかった)ことがたくさん書かれてあるからです。

そうして、現れる現象で、このブログに書かれてあることは正しいと信じざるを得ないからです。

では、ずいぶん勉強になったのではないですか?

このブログを読んで、これまでは、あり得ないと思っていたことがあり得ると分かったことも多いと思うからです。(ずいぶんそういうことが多くないですか?神、あの世、輪廻転生、そうして祈って現れる不思議な現象まで、唯物無神論の人たちには知らなかったことばかりでしょう)

このブログのお蔭で自分たち(唯物無神論の人たち)の視野も、ずいぶん広がったと思うのですが(唯心有神論に変わった人たちも多いと思うのですが)それなのにこの辺りの人たちは、このブログを書いている私に少しも感謝せず嫌がらせをしているのです。

では、罰が当たって当然なのではないですか?

先ほどの悪魔軍団同様、やっていることがあまりに罰当たりな行為であるからです。

他の地域の皆さんはどう思われるでしょう。

この辺りの人たちは、私のブログを読み、知らないことを散々教えてもらっていながら、一つも感謝せず、そのお返しが嫌がらせなのです。(それもよってたかってのです)

そうして、自分たちのそのような態度は少しも反省せず、悪いことが起きたら(罰が当たったら)それも私のせいにして怒っているのです。

どうですか、他の地域の皆さん、この辺りの人たちは一体どれだけ都合がいいのかと思われないでしょうか。(他に地域の皆さんはまだ感謝してくれている人もいますよね。でも、報恩の行為がないから、それは感謝しているとはいわないんですが…いけません。よけいなことを書くと他の地域の人たちまで敵に回します。〔笑〕)

こういう自分勝手な都合のいいことをこの辺りの人たちずっと続けているのです。(こういうことを書くと、また怒る人が多いんでしょうね。〔すでに怒っている人がいるし。悪魔に何か教えられているようです〕今日は外に出て行くとトラックの連中などにボコボコに〔ブシュブシュ〕やられるでしょう。〔苦笑〕)

しかし、あまりに自己中な態度だと思いませんか?そういう態度はです。

だから、悪魔などに憑かれるのです。反省をまったく知らず、そのような自分中心の考えしか持たないからです。(横のおっちゃん怒りがMAXです。完全に悪魔にやられているようです。先ほどから〔この辺りのことを書きだしてから〕急に怒り出しました。次々に悪魔に耳元で何か教えられているようです。リアルに凄いですね。〔苦笑〕)

そんな勝手な態度がありますか。いろいろ教えてもらった人に感謝するのは当たり前のことなのです。(子供でも分かることだと思いますが…この辺りの子供はそれが分からないようですが。〔笑〕)

その感謝をまったくしようともしないで、そのブログを書いている人に(いろいろ教えてもらった人に)嫌がらせを繰り返しているのです。

それで悪いことが起きないと(罰が当たらないと)思いますか?

そういう態度を続けているなら罰など当たって当然なのです。それくらい罰当たりな態度もないからです。(そのような態度は、例えばいろいろ説法をしてくれている坊さんに、お布施の代わりに嫌がらせをしているのと同じなのですから、当然罰は当たります)

それでは悪いことも起きるのではないですか?それなのに、何で悪いことが起きると私のせいにして怒るのですか、自分たちのそのような態度は棚に上げてです。

もう少し自分たちの態度を反省されてはどうでしょう。ずいぶんひどい態度を人には取り続けているからです。(こういう人たちはたぶん私だけではなく、他の人にも同じような態度を取っています。そのような自分勝手に気づいていないだけなのです)

この辺り、かなりたくさんの人が怒っています。それで今日はこのようなブログを書きました。

少し反省してほしかったからです。(また反省しない限り、恐ろしい現象は止まりませんし)

私は昨日も庄内川に行ってきましたが、川岸を歩いていると鳥たちがたくさん飛んできて楽しいものでした。

そうして、昨日は横の草むらがガサガサしっぱなしでした。暖かくなってきたので、カニがまた出てきたようです。(何匹も顔を見せました。「お前ら久しぶりだな」と声をかけて歩いていました。〔笑〕)

庄内川を見ているとあちこちでガバガバ水が跳ねていました。(どうも小魚が集団で跳ねているようでした)

「暖かくなってきたから、お前らまた顔を出し始めたな」と川に向かって呼びかけると、それに呼応するかのように小魚が何匹か嬉しそうに跳ねました。

鳥から魚からカニに至るまで、すべての生き物は人の言葉が分かります。そうして、こちらの心も分かるようです。

そのような事実は私の動画を観てもらえれば分かると思います。

こういうことが分かるのも(また奇跡の現象が観られるのも)このブログを読んでいたからです。

少しは感謝されてはどうでしょう。このブログを読み、ずいぶん知らないことを知ったと思うからです。

罰が当たるには当たるだけの理由が、必ずあります。

それをいつまでも人のせいにしていてはいけないのです。

(というか、このような時代になると、それだとかなりやばいんですけどね)

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4月 22 2016

小さな悪と大きな善

昨日は歩いていても静かでしたね。ブシュとやってきたトラックは一台か二台くらいでした。(西濃かどっかのがです)

たまたまでしょうか?

それとも昨日は天気が悪く雨が降っていたからでしょうか?(窓が曇り私がよく見えなかったとか。〔笑〕)

それとも皆さん、やっと分かってもらえたのでしょうか?…などと書くと、また意地になって、今日はボコボコにやられそうですが(苦笑)これだけ悪いことばかり起きているのです。

少しは反省も必要なのではないでしょうか。(それを、お前のような悪人にだけはいわれたくないですか?〔苦笑〕)

熊本は昨日も大雨や強風が吹き、減ってきたとはいえ、まだまだ地震も続いています。

このような激しい天変地変はもう日本中で起きているのです。

こういう(悪い)現象を減らしたくはないのですか?また、災害にあった人たちを救いたくはないのでしょうか?

こういう人たちを救うのはボランティアや募金ばかりではありません。

このような災いを減らすことこそ、本当に不幸な人を救う(これ以上不幸な人を出さない)最善の方法なのです。

この法を知り実践する人が増えれば、このような悪い現象は確実に減るのです。

私が実証して見せているんですから、これ以上確実なことはありません。また、実証出来る者がいるうちに伝えないと、それを多くの人は信じないのです。

だからこそ、今やらないといけないのです。

私は悪人ではありません。やるしかなかったのです。やって見せなければ誰も信じなかったからです。

例えばです。(あまりよい例えではありませんが分かりやすいので書きますが)人を殺すことはよいことではありません。(こんなの誰でも知っています)

しかし、自分の国を守るため、あるいは戦争をなくすため、敵の兵を殺すことは悪いことなのでしょうか?

もし、それが悪いことというのであれば、天下を統一した秀吉や家康は大悪人ということになります。

その指揮の下、部下たちが多くの人を殺したからです。(その殺した人たちは兵から百姓に至るまでたくさんいたのです)

しかし、結果的には、秀吉や家康は天下を統一し日本から戦をなくしたのです。

そのやり方はともかく、そのような(人を殺す、あるいは傷つける)悪を重ねましたが、その結果、日本から大きな戦がなくなり、戦乱の世が収まったのです。

つまり、秀吉や家康は悪も犯しましたが大きな善をなしたということです。

だから後に英雄といわれるようになったのです。

理想をいっていたところで何も変わらないのです。(戦国時代に口だけで戦がなくなり天下統一が出来たでしょうか?)

変えなければ、よい世の中は来ません。(現に、現在は不幸なことばかり起きているではないですか)

少々悪いことでも、それをやらなければ変わらないのであれば、やるしかないのです。

だからやったのです。多くの人に気づいてもらおうと思ってです。

しかし、その結果(心までは変わりませんでしたが)多くの人の考え方が変わったのです。唯物無神論から唯心有神論へとです。

多くの人の考えが唯心有神論になれば、心が救われる人がたくさん出てきますし、また、その心を実践できる人が出て来るならば(日本だけではなく)世界が救われていきます。

このパラダイムシフトは大変大きな出来事であったのです。(大変大きな善であったのです)

私は、口だけではなく、祈って天気を変えるということを実際にしているのです。

では、同じことをやれる人もいるであろうし、私と同じことが出来るのであれば、現在激しくなっている天変地変もコントロールすることが出来るはずです。(実際私がしているのですから)

多くの人が、天変地変をコントロールすることが出来るのであれば、いま激しく起きている天変地変を止めることも出来るということです。(そのような人たちの祈りでです)

だから早く実践してくれといっているのです。この教えを実践するなら誰も私と同じことが出来るからです。

やっと気づいたのに、気づいただけで実践しようとしないからいけないのです。

そうして、実践しないから、悪いことばかり起きているのです。やれば変えられることを誰もやろうとしないからです。

祈れば地震を減らすことが出来るし、大雨を降らせることも出来れば(日照りのところなどにです)それを止めることも出来るのです。

大きな台風が来ても、そのコースを変えることも出来るのです。(これは園頭先生がすでに行っています)

そういうことが出来る人が増えれば、少し考えただけでもずいぶん減ると思いませんか、災いがです。(また、このような力は悪に使うことは出来ないのです。なぜなら、その力は自分にも返ってくるからです。悪の心で使えば、その悪で自分もやられてしまいます。だから悪い心では使えないのです)

そういうことが実際に出来るのです。(私がしているんですから、これ以上の本当の話はありせん)

この教えを日本だけでなく、世界の人が実践したらどうなるでしょう。

いま異常気象が世界的な問題となっているのです。(気象だけでなく地震もそうです)少なくとも、その世界的な異常気象の問題は解決できると思います。

多くの人の意識が変わるなら、その異常気象(現象)は抑えることが出来るからです。

やりませんか?この夢のような教えの実践をです。

このようなことばかりでなく、まだ私の周りでは、この教えの拡がるのをじゃましようと一生懸命の人たちがいます。(悪魔たちが今日も朝から頑張っています。〔苦笑〕)

しかし、そのような人たちには次々と天罰が下っているのです。(私は何もしていないのに「お前のせいで悪いことが起きた」という顔をして怒っている人が、あちこちにいるんですから呆れます)

その反面、私には次々に不思議な愛ある現象が現れているのです。

鳥などは外に出て行けば毎日寄って来ますし、二、三日前など庄内川で水面を見ていると、小さな半透明のものが流れてきました。

最初はゴミかと思い気にも留めませんでしたが、その半透明のものは、そのまま流れていかずに私の前で止まっているのです。

「何でこのゴミ流れて行かないのだろう?」と不思議に思い、よく見ると、なんとそれは小さなクラゲでした。

小さなクラゲが私の前でずっと泳いでいるのです。

川にクラゲがいるとは思いませんでしたが、それが珍しかったので、そのクラゲを動画に撮りました。

前はこの庄内川でエイも見たことがありますし、たくさんの魚も寄って来ます。

そのような魚たちばかりでなく、クラゲまで寄ってくるというのですから、これだけ不思議で心安らぐ愛ある現象もないわけです。

この教えを実践している人と、この教えに逆らっている人とでは、これほど起きる現象に差があるのです。(従えば愛ある現象が、逆らえば天罰が、次々に現れるのです。これだけ分かりやすい教えもないわけです)

この教えを実践し拡げるなら自分も救われ、世界も救われていきます。

そうして、そのような心のまま死ぬのであれば、死んだあの世でも救われるのです。(そういう心のまま死ぬのであれば、確実に天上界に行けるからです。もちろん天罰を食らって死んでいく人は地獄界です)

これほどの教えがあるのに、それをやらない、それに逆らう、そういうことをしているから、ドンドン悪いことが起きてくるのです。(これもまた実際にそういうことが起きています。すべてに作用するのがこの教えなのです)

こういうことを広げている人が悪人なのでしょうか?

小さな悪にこだわっていると、大きな善が見えなくなります。

これ以上の教えはありません。

自分を救うだけではなく、世界を救うためにも、この教えの実践は多くの人がしなければいけないことなのです。

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