4月 26 2016
法の有難さ
今日も朝からお怒りですが、昨日などトラックの運転手にブシュブシュやられっぱなしでした。(庄内川の川岸を歩いていてです)自分が悪いとは誰も認めたくないようで、悪いことを頑なに私のせいにしている人が多いようです。(苦笑)
それで少しキレまして、庄内川の帰りはでかい声で文句をいいながら帰ってきました。(…文句ではありませんでした。辻説法でした)
前から人が歩いてくるか、またはブシュとやられるたびに「神からあの世から生まれ変わりから、何から何まで教えてもらっているのにそのお返しが嫌がらせかよ」「感謝一つしないだな」「俺のいうことを聞いてずいぶん心が救われたんじゃないのか」「俺がいたからそういうことも信じたんだろう」と辻説法をしっぱなしでした。
すると下を向く人が多かったですね。私の顔を見て、嫌がらせをする気満々の人もです。(そんなこといいながら歩いていたら二、三の人からしか嫌がらせをされませんでした。その説法を聞いて後ろめたい人も多かったのではないでしょうか)
特に年寄りは顕著でしたね。
私が歩いていて前から歩いてくる年寄りは、私の顔を見るとまず何かしていきます。(私が歩いているとすずめが騒ぐので、私に気づいて、わざわざ外まで出て来る年寄りまでいますから。〔そうして何かでかい音を立てて嫌がらせするのです〕)
昨日も何人も前から歩いて来ました。(自分の家の前に出てきている年寄りもいました。やる気満々です。〔笑〕)
そういう年寄りを見かけると「爺ちゃん(婆ちゃん)よかったな、あの世があるって分かって、それ誰に教えてもらった」とか「先が短くても死んだ先があると思うと希望もわくよな」とか「神から仏から生まれ変わりから何から何まで分かって心も救われただろう」とか声をかけるのです。
すると昨日会った年寄りは、ほぼ全員がそういう話を聞くとビクッとして、顔が引きつり私に嫌がらせをしてきた人はいませんでした。(中には頭を下げた人までいました)
よく考えてみればです。
私のことを知れば知るほど(憎めば憎むほどですか。〔苦笑〕)私のいっていることは信じるのですから、私のいっていることを信じるのであれば(信じれば信じるほど)私を憎む心とは裏腹に自分たちの心は救われて行きます。(法は知れば知るほど心が救われますから)
では、私を知ったばかりに、そのような人たちの心はずいぶん救われたということになります。
最も憎んでいる(最もかどうかそれは知りませんが。〔苦笑〕)私に、多くの人が救われたというのですから、皮肉な結果が出ているといわざるを得ませんね。(苦笑)
しかし、年寄りは特にですが、心が救われた実感があるのでしょう。だから昨日は、十人が十人、私に嫌がらせをするのをやめたのです。
年寄りは、いってはいけませんが、他の何をいっても、私に対する嫌がらせをやめようとはしませんでした。
「何でそんな悪い奴に鳥が寄ってくるのか」とか「もう日本中でサイレンなどしている。ならそれも全部俺のせいかい」とか「もう時代が変わった。だからこういう現象が起き出したんだ」とかいっても、頑としてそれを聞き入れず「お前が悪い」の一辺倒で嫌がらせをしてくる人が多かったのです。
しかし、昨日はそういう人が一人もいませんでした。
ということは、他のことはともかく「あの世があると分かって希望がわいた」「神から仏からあの世のことまで分かり心が救われた」ということだけは確かなようで、それで(そういう話を聞いた)昨日は年寄りの誰も私に嫌がらせをしてこなかったのです。
では、私は、この辺りの多くの年寄りの心を救ったということになります。(この辺の年寄りは誰も私のことをよく知っていますから)
また、年寄りだけではなく、私がこの辺り(名古屋及び愛知、岐阜、三重)の多くの人たちの心を救ったのは事実でしょう。
多くの人が私の悪評を知ったのなら、唯物論は捨てるはずだからです。(私の悪評は、多分、私が祈って悪いことをしているというものでしょう。〔直接私が人に悪いことをしたことなどないからです〕祈って何か起きるということになれば、もう唯物論がおかしいのは誰でも分かります。私の悪評を信じるということは、即ち唯心論を信じるということになるのです)
釈尊在世当時は、釈尊の話を聞きに行くのに何十キロも何百キロも歩いて、命懸けで聞きに行ったのです。(遠くに住んでいる人たちなど皆そうでした。釈尊の噂が拡がれば拡がるほど、一度はその説法を聞きたいとより遠くの地域から釈尊の説法を聞きに多くの人が集まったのです。二千五百年も前の話です。当然、車も電車もありませんし飛行機もありません。みな命懸けで〔途中で盗賊にあうかもしれないし、猛獣に襲われるかもしれない、毒蛇にかまれるかもしれなかったからです〕釈尊がおられるところまで歩いて行ったのです)
しかし、現在は、そのような法の話を聞くのもボタン一つで出来ます。(パソコンをつければそれでよいからです)
あまり便利なのも問題ですね。そのせいで、よい話を聞いても何のありがたみもわかないようだからです。(それどころか、このブログが読みたいくせに書くのを全力でじゃましている輩までいます。今日も朝から元気いっぱいです。〔苦笑〕)
このブログを読んで(または私の悪評を聞き)心が救われた人はたくさんいるでしょう。(それこそ世界にまでです。このブログは世界中の人が読めますから)
それなのにやっていることがあまりにひどいのではないでしょうか。(法の流布のじゃま、嫌がらせ、無視、などなど)
こんなことをしていていいことが起きると思いますか?
これではいいことが起きるわけがないのです。
自分たちのしていることをもう一度よく考えられてはどうでしょう。
そうすれば、どれだけ不誠実なことをしているのか、よく分かると思うからです。



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