>>ブログトップへ

3月 19 2016

様々な悪魔たち

もう少し悪魔たちのことを書きましょう。

例えば、よく当たる占い師とかいると有名になりますが、このような当て事など悪魔が憑いているとさほど難しいことではないのです。

憑いている悪魔が、その聞いている人の心を読んで、その占い師に耳元で教えるからです。(人の心を読める人など、この辺りたくさんいます。〔本当ですよ。ねぇこの辺りの皆さん〕自分たちが知らないだけで案外そういう人は多いのです。耳元で悪魔が教えているからです)

ですから、よく当たるからとそれだけで、そのような占い師などの下に通うのは危険なのです。悪魔が教えているかもしれないからです。(まず悪魔〔地獄霊〕ですね。そのような人たちは法を知らないからです)

実際、そういう人の下に通い何か奇跡でも起きたのでしょうか?

その人の下に通い次々に奇跡が起きるようになった、というのであれば、その人のいうことを聞けばいいのですが、単に物事がよく当たる、ということだけで通っていると最後には不幸になります。

それは悪魔が教えているだけだからです。そうして、その悪魔は人を幸せに出来る道など知りません。だから、そのような人たちの下に通っても幸せにならないのです。

そのような人たちはすべて、悪魔の指示通りにしか動いていないからです。

驚きが先に来て、それが分からないのです。

また、そういう人のいうことを聞いていれば間違いないと勝手に思っているだけで、実際はその人のいうことを聞いていても自分たちは何も進歩していないのです。

心が進歩して、愛や慈悲を人によく出せるようになり、そうして奇跡が起きるようになって、はじめて人は成長したといわれるのです。

そういう驚くようなことをするだけで成長のない話など悪でしかないとよく知ってください。

また、異言を語る悪魔もいます。(高橋先生がされていたようなです)

これもまた不思議なことをする悪魔の業のひとつですが、しかし、この異言は正しい異言と間違った異言があります。

正しい異言とは、高橋先生がされていたような本当の過去世の言葉を語る異言です。

正しい異言は、自分の過去世を思いだして話をするのですから、自分がしゃべっている言葉の意味も分かり、その過去世のことを思いだし、懐かしさのあまり言葉と同時に涙もあふれ出てくるそうです。  それは高橋先生のビデオを観れば分かります。

そのような場面がたくさん出てくるからです。

釈尊が生まれられていた時のインドとか、古代のギリシャ、あるいは(キリストが出世されていた時の)イスラエルとか、その時々の言葉でみな泣きながら話されています。

あのビデオに出てくる人たちは役者ではありません。皆シロウトです。(そうして出てくる人たちの数も多いのです)それに話している異言も皆しっかりしています。

あれがつくり物とはとても思えません。本当に自分たちの過去世を思いだして話していられると、正しい異言を話す人たちは見ていてこちらも感動してしまいすが、それに対し間違った異言を話す人たちは、話している言葉の意味も分からなければ、いつの言葉かも分からない、だから、そんな感動もまったくない、そのような感じだそうです。(それが悪魔が語らせる異言なのです)

私は実際に、その異言を語ったことがあるという人に会ったことがあります。

その人がいうには、自分が異言を語る時は胸の辺りから勝手に言葉が出てきたそうです。自分がしゃべるという感覚ではなく、何か人がしゃべっているようで、その言葉の意味もまるで分らなかったそうです。

また別の人など、一ヶ国だけではなく、なんと、数ヶ国の言葉が出てきたこともあるそうで(その人もまたどこの言葉かさっぱり分からなかったそうですが)私が「何でそのような現象が現れたのですか」とその人に聞いたら、いきなり異言がしゃべれるようになったとのことでした。

悪魔はいつ憑くか分かりません。(心が悪魔と同通した瞬間に憑くのです)

急に訳の分からない言葉が出てきたら、それは悪魔に憑かれた証拠かもしれません。

とにかく、おかしなものに憑かれるとおかしな現象が出ます。私はそのようないろいろな人のおかしな現象を聞いたことがあります。

ある知り合いの女性など、その人はずいぶんやせていたのです。

それで私が「ずいぶんやせているんですね。私はすぐに太るからうらやましいです」というと、その人は「私はどれだけ食べても太らないのです。胃の中にいつも何かいて、それが私が食べたものを食べてしまうからです」とおかしなことをいうのです。

またその人は「お腹がすいている時は、その生き物が胃の中をはい回るようです」ともいいました。

私はそれを聞いてピンときました。その頃はもう高橋先生のことを知っていたからです。

高橋先生の「悪霊」という本にも書かれてありますが、どうもその人は、胃の中に蛇がいるようでした。(もちろん蛇の霊ということですが)

それで私が「その胃の中にいるものは蛇のように感じませんか?」というと、その人も「そういわれるとそういう気もする。その生き物は胃の中で蛇のように動き回るから」といいます。

「やはりそうか、高橋先生のご本に書かれていることは当たっているのだな」と改めて思いました。 高橋先生のご著書「悪霊」の中には蛇に憑かれた人もたくさん出てくるからです。

また、こういう人もいました。 その人は(その人も女の人だったのですが)話していても、何か話が鼻につくのです。人が気に障るような言い方ばかりします。

「ずいぶん性格の悪い女だな。おかしなものでも憑いてんじゃないか」と思いながら話していたのですが、その女性が急にその悪魔の話をしだしたのです。

自分は人とばかりでなく霊とも話せるというのです。そうして、その霊によく憑かれるともいいます。

この性格では「さもありなん」と思いながら聞いていたのですが、その女性はその霊が観えるそうで、その霊が近くにいるのが分かるそうです。

そうして、その霊に憑かれると、手から足から体中がしびれて痛みが走るというのです。

その霊が憑いている間は体中が痛み、その霊が抜けるとその痛みがなくなるとのことでした。

だから、その霊(悪魔)が近くに寄ってくると「もう来ないで、あっちに行って」と叫ぶそうですが、その悪魔はお構いなしに、その女性に入ってくるそうです。

もうその悪魔が入ってくるとすぐに分かるそうです。入ってくる先から、その部分がしびれだすからです。(例えば手から入ってくると、手の先から段々しびれてきて、そのしびれが腕にまで広がり体まで広がって、そうして体中がしびれと痛みで苦しくて仕方ないそうです)

悪魔は健康なものばかりではないのです。病気で死んで、その病気のまま地獄で苦しんでいる悪魔もいます。 そのような病気の悪魔が憑けば、その病気がそのまま憑かれた人に現れるのです。

また地獄に堕ちている動物霊が憑くこともあります。(蛇だけではなく、狐やタヌキも憑きます) 昔から、狐やタヌキに人間が騙された話はよく聞きますが、本当にそのような狐やタヌキの霊は人間によく憑くそうです。(蛇も含めてですが)あのような動物たちは、性質的に執念深いからだそうです。

そのような性質を持った動物たちは、人間に恨みを持ったまま死ねば地獄に堕ち(人も動物も同じです)そうして、その恨みを晴らそうと人によく憑くそうです。

だから、動物とはいえ、いじめたり意味もなく殺したりしてはいけないということです。 後で祟られるからです。(本当にそうなりますよ)

そういう点でいえば、私が話しているとよく鳥たちが飛んできます。この法はそのような(人に恨みを持つ)動物たちをも救う教えなのです。

だから、私の声が聞こえると(鳥ばかりでなく魚たちも寄って来ますが)動物たちがたくさん寄ってくるのです。

法が聞きたいからです。

法を聞けば自分たちが救われる、そのことをよく動物たちは知っているのです。

それを知らないのは、人間たちだけのようですが、そのような悪魔に憑かれている人たちは、結局、この法を知って実践し、心をきれいにする以外、その悪魔たちから逃れる方法はないということです。

そのような様々な悪魔たちから守られ、そうして自分自身も成長すること出来きる、そのような教えは、この法しかありません。

悪魔にものを聞きに行っても決してよくなることはありません。 むしろ悪くなるばかりなのです。

不思議なことに驚いてよいと思っているだけで、それこそが悪魔の手なのです。(昨日も書きましたが、悪魔はすぐに不思議なことをします。それが一番人に興味を持たせる方法であると分かっているからです)

早く正しい教えの基準を知ってください。

そうしないと、どれだけ不幸になるのか知れないからです。

2 コメント

3月 18 2016

デビルマン

しかし、昨日以上に怒っています。一体どうなっているんでしょうか?

私はもう何もしていないのです。(夜に祈っていないの知ってますよね)では、その起きていることは私の祈りのせいではないと分かるはずです。

では、何で怒っているのでしょう。八つ当たりですか?

それはずいぶん小さな行いです。(子供のようです)そのような小さな心が災いを呼んでいるとまだ分からないのでしょうか。

分からないのでしょうね。この辺り、そういう人たちばかりだからです。(責任転嫁の権化)

なんで、それだけ災いが起きていて、それでも神に頭を下げようとしないのか本当に不思議ですが(そういう時はもう神頼みしかないと思うんですが)これが悪魔の怖さですね。

悪魔は絶対に自分が悪いとは認めない(認めさせない)のです。

昔、デビルマンという漫画がありましたが(人間と悪魔が合体するという漫画でした)まさに、その漫画と同じことが起きているのです。

悪魔が人に憑くとは、そのようなことであるからです。(霊視が出来る人が悪魔に憑かれた人を観ると、人と悪魔が二重写しのようになって観えるらしいですから)

悪魔がつくとやたら耳がよくなったり(地獄耳です。デビルイヤーですね。〔笑〕)耳元でいろいろ教えられたり、それこそ、霊視や霊聴なども出来るようになる人もいます。

病気が癒せるようになる人もいますし、また人が驚くような現象まで現す人もいるのです。(オウム真理教の信者のように座ったまま飛び跳ねたり、金粉のようなものを出したり、あのユリ・ゲラーのようなスプーン曲げを行ったりです。高橋先生はユリ・ゲラーの超能力は完全に地獄霊が憑いてやらしているといわれていました)

予言めいたことまでするようになる人もいますが、しかし、その予言は悪いことはよく当たりますが、よいことは外れることが多いという偏った予言なのです。

坊さんや修験者などが、お経など上げていて急に人が変わったようになり暴れだしたり、おかしなことをしだしたりして、そのようなことを神がかりなどと称してありがたがっている人たちがいますが、あれは神がかかってきたわけでもなんでもなく、悪魔がかかって来ているだけなのです。(だから正確にいうとあれは「悪魔がかり」なのです)

その悪魔に、皆がありがたがって手を合わせているというのですから、本当に哀れなものです。

このように悪魔に憑かれ、おかしな能力を現す人は世にたくさんいるのです。(この辺りでも耳元に何か聞こえてくる人、やたら耳がいい人などたくさんいます。やたら耳のいい七十や八十すぎのジイさんバアさんがゴロゴロいるのです。〔普通なら補聴器がいるはずです。この辺りで耳が遠いジイさんバアさんを見たことがありません〕ゾッとしますね)

こういう人たちを総じて「デビルマン」と呼んではどうでしょう。みな悪魔の能力を持っているからです。(苦笑)

しかし、本当にゾッとしますね。そういう人たちは常に悪魔に憑かれているということになります。では、いつ不慮の事故や事件に巻き込まれるか、あるいはおかしな病気になるのか分からないからです。(そのような悪いことすべて憑いている悪魔が導くのです……この辺りは、それが全部私のせいですが)

そうして、そのまま死を迎えることにでもなれば、当たり前のことですが、死後は悪魔の世界(地獄界)に堕ちて行きます。それも、その悪魔が導くのです。

その生前からの悪魔との固い絆はそう簡単には切れません。もちろん死んだ後も、その悪魔との仲は続くのです。(悪魔と固い絆を持っているというのですから、本当に哀れです)

生きている間から死んだ後まで、悪魔に憑かれているとろくなことはないのです。

一見、不思議な能力が現れ、よいようにも思いますが、とんでもないのです。悪魔の能力など身につければ、後々どれだけの災いがあるのか分かったものではないからです。

自分が知らないだけで、ずいぶん危ない人生を送っている人はたくさんいるのです。

しかし、そういうことも、やっと分かるようになりました。

神の能力をはっきり現す人が出てきたからです。

私に起きる奇跡との違いはどうでしょう。そういう人たちに鳥や魚が寄って来ますか?いったことを実践した人に次々に奇跡が起きるのでしょうか?

悪魔の起こす現象は、どこか不気味で、その悪魔に憑かれた人のいうことを聞いた人たちは、最初はよいことが起きることもありますが、結局最後には不幸になるのです。(だから、次々に奇跡が起きるということはないということです)

神の能力と悪魔の能力では、一見似ているようで、実は全然違っているのです。まったくの似て非なるものなのです。

悪魔にいつまでも憑かれていて大丈夫ですか?

自分の心を変えない限り、その悪魔は離れることはないのです。

2 コメント

3月 17 2016

過去世の縁

今日も朝から激しくお怒りです。(毎日よく同じことが出来ます。ちょっと驚きますね)

よいことをしているから奇跡が起きるのであり、悪いことをしているから災いが起きるのです。何でこれだけ簡単なことがいつまでも分からないのか、ほんと不思議です。

我を張れば張るだけ不幸になります。(まさに名古屋の人はそうでしょう)神相手にケンカしても勝てるわけがありません。

ケンカするより調和することです。そうすれば奇跡が起きて来るからです。

そのケンカといえばです。例の分裂騒動のやくざの抗争も全国で激化していますね。(今のところまだ名古屋ではたいしたことありませんが、これからはやばそうです。名古屋は特に不調和だからです)

そのやくざの夢を昨夜(というか今日の朝方ですが)観ましたので、ちょっとその夢のことを書いてみます。

ある場所に私が立っていると、その横を数人のマスコミ関係者が通りました。

どこに行くのかと聞くと、そのマスコミ関係者はやくざの事務所に行くというのです。

何でそんなところに行くのかと聞くと、今やっている抗争のことを聞きに行くというのでした。

それで私もつれて行ってほしいと頼むと「どうぞ」といわれるのでついて行きました。(普通はこういうことはしないんですが、夢の中ですから)

何か大きなビルのような豪勢な事務所に入って行くと、私たちはある部屋に通されました。

その部屋に入って待っていると、数人のやくざの幹部たちが入ってきて座り、その中の一人が私たちに向かい「何の質問があるんや。先にそっちの質問をいえや。こっちはその質問を聞いてからいいたいこといわしてもらうから」とドスのきいた声でいってきました。

その声を聞いて皆シーンとなってしまいました。(ビビってしまったようです)

それで私が「今の抗争を終わらせたくはないのですか?」と、そのやくざの幹部に聞きました。

すると、その幹部は「終わらせたいに決まってるやろ。しかし、わしらにも面子がある、それで終わらせれんのや」といいます。

「終わらせたいのであれば、終わらせることが出来ますよ」と私がいうと「そんなに簡単に終わらすことが出来るか」と幹部がいいます。

「皆さんにそのような気持ちがあるなら、終わらせることが出来ます。みな、同じ組の人であったからです」

と私がいったとたん、それまでは怖い顔をして、こちらをにらんでいたやくざの幹部たちの顔が急にほころんだのです。

ニコニコ笑いながら「どうやって終わらせるんや」と私に話しかけてきた幹部もいました。

そんなところで目が覚めたのですが、目が覚めた後、一体どういう夢かとも思いましたが、これだけ抗争が全国で起きているのです。

それが気になってそういう夢を観たのかなとも思ったのですが、朝方観る夢はよい夢であるといわれ、これまで観た高橋先生や園頭先生が出て来られた霊夢的な夢もやはり朝方観ていました。

ただの夢ではなく、何か意味がある夢なのかとも思いましたが、夢の中の私は、いま起きているやくざの抗争を終わらせるよい策があるようでしたが、現実の私はそんな策は持ち合わせていません。

だからどうしようもないといえば、どうしようもないのですが、しかし、どちらにしても、このまま抗争が続くようなら私たち一般市民が困ることはもちろんですが、やっているやくざも困るでしょう。(私の夢から想像しますとです)

そうして、この抗争でやくざを警察がもっと締め付けて、やくざがあまりに弱体化してしまうのも困ります。(半グレみたいなのが力を付けてきたらもっとやばいからです)

ソロソロやめてはどうでしょう。どちらにしても同じ組であった人たちばかりであるからです。(ということは、前世から縁があったということです。そういう縁は必ずあるからです)

といって、こちらに抗争を終わらせるよい策があるわけでもないのですが(誰か仲裁する人いないんですかね?警察とか、やくざの親分とかです)しかし、同じ組であった人たちばかりなのです。

では「上の人同士が腹を割ってよく話をする」それ以外、抗争を終わらせる方法はないでしょう。

では、それをしてもらうしかありません。

今のままでは皆が不幸であるからです。

2 コメント

3月 16 2016

本当に悪いのは誰なのか

昨日は久しぶりにプロ野球を観に行ってきました。(オープン戦ですが)

興味のある選手もいたからです。(懐かしいような気もしたし、そうでもないような気もしました。あんまり昔のことで覚えていないですね。〔笑〕)

しかし、今そのプロ野球がずいぶん問題になっているようです。ばくちの件でです。

しかし、もっと他のことで話題になればいいのに、こんなことで話題になっても、プロ野球人気がよけい落ちるだけです。

もう少し常識ある態度は取るべきでしょう。子供たちの模範となるべき職業の選手たちであるからです。

その点でいうなら、地元のチームなども罰金を取っていたそうですが(エラー一つにつき)その罰金を施設への寄付などに当てていたそうですね。(私には全然寄付してくれませんが。〔苦笑〕)

こういうことならやってもいいでしょう。悪いことというよりも、むしろよいことであるからです。(プロ野球球団が、公にせず黙って施設にお金を寄付していたなどよい話なのではないでしょうか。それに罰金など払いたくないから選手の技術も向上するでしょうし)

とにかく悪いことはしない方がいいでしょう。どちらにしても損だからです。

しかし、そのようなプロ野球の選手たちもそうですが、一般の人たちも、どうしてどうして悪いことはしています。あまり人のことをいえる人も少ないのではないでしょうか。

特に私などそれを実感しますね。(苦笑)

昨日も嫌がらせがひどかったです。(野球を観ている最中も後ろの連中がやたらうるさかったし)途中でナゴヤドームを出たのですが(七回くらいでしょうか?最後まではとてもいられません。最後までいて、多くの人と一斉に帰ることにでもなればどれだけいじめられるか知れないからです。〔苦笑〕)その帰り道でも前から歩いて来る人がまず何かやって行きました。

そういう人たちは悪いことをしているという自覚があまりないようですが、必ずそのお返しはあります。

その覚悟だけはしておくことです。(どういうことにも必ずお返しはあるからです。だから普段からよいことをしないといけないのです。悪いことは結局、自分で自分の首を絞めているだけだからです)

まして、法を説いている人への嫌がらせです。どれほどのお返しがあるのか分からないほどですが(それはよいことも悪いことも同じですが)大丈夫でしょうか?運転手の皆さんなどです。

昨日も金山駅にいても(電車でナゴヤドームに行きましたので)名鉄など静かでした。(あれほどうるさかったのに)その反面、JRにはファンファンやられました。

ずいぶん極端なことをしていますが、JRの皆さんは一体何を怒っているんでしょうか?

まさか「自分たちはお前に何もしていないのに、何で悪いことが起きるのだ」などとは思っていないでしょうね。

そういう考えが少しでもあるのならそれは大きな勘違いでしょう。あなたたちも私に散々嫌がらせはしているからです。(していますよね。心当たりがある人はいるでしょう)ただ名鉄よりは少ないというだけです。

それに、そのようなことに関わらず、もう自分たちの心が現象として現れる時代になったのです。

心が汚れているのなら、遅かれ早かれ恐ろしい現象は現れることになります。

では、その起きている災いは誰のせいなのでしょうか?

それは心が汚れている人たちのせいということになります。

つまり自分たちのせいなのです。(皆さん方、自分は心がきれいだといえる人いますか?いないでしょう)

すべてそのようなことは自業自得なのです。人のせいにして、私に八つ当たりするのはやめてください。

お門違いもいいとこだからです。

それにしても、本当に最近は変ですね。歩いていても、その違和感は凄く感じます。

電車はもちろんですが、バスやトラックはずいぶん静かになりました。それに工場なども同じです。

それに歩いている人もそうです。嫌がらせをする人ばかりでなく(少し前まではそういう人ばかりでしたが)何かいいたそうな顔で歩いて行く人もありますし、家の中から私のことをジッと見ている人もあります。

そうかと思うと、やたら怒っている人たちもいるのです。

少し前までは、怒っている人か、逃げていく人くらいでしたが、最近は、やたら怒っている人、静かになった人、何かいいたそうな顔をしている人、逃げていく人といろいろな人がいます。

なぜでしょうか?

それだけいろいろなことが起き出しているのではないでしょうか?

だから、周りの人の態度がそれだけ変わってきているのです。

まだ分かりませんか?自分たちが悪かったとです。

だから、それだけ悪いことが起きているのです。それは決して私のせいではないのです。(何で私一人でこれだけのことが起こせましょう。いい加減、漫画のような発想はおやめください)

皆さん方が、いつまでも神を神と思わず、偽の信仰をし続け、金儲けと遊びばかりしていた結果、そのような天罰を受けるようになったのです。

それが事実なのです。私一人がこのように事実を伝え続けているから、私一人に奇跡が起き続けているのです。

私以外で私のような奇跡が起きる人がいない、そのような事実が、ここに書いていることの正しさを証明しているのです。

その事実をいつまで無視し続けるのですか?

どれだけそれを認めようとせず、怒り狂っても無駄なのです。そのようなことで、この災いは止まらないと、もう誰もが分かっているからです。

何度でもいいます。(分かってもらえるまでです)

「いま起きている災いは私のせいではなく自分自身のせい」なのです。

早くそれに気づいてください。そうしてです。

その災いから逃れる方法はただ一つしかありません。この本当の神の教えを勉強し実践する、それだけなのです。

それ以外で、この災いから逃れる方法はないのです。(法を実践する以外で心をきれいにする方法はないからです)

本当の神の教えが出現した以上、それを勉強するのは神の子の人間として当たり前のことですし、その教えが出現したのなら、それを世界に知らせるのもまた当たり前のことなのです。(救われる人たちは日本の人たちだけではないからです。世界中の人たちが救われないといけないからです)

その当たり前のことをしようとしないから災いが起きるのであり、そのような当たり前のことさえ知らなかった自分たちが悪かったのです。

いま起きている災いは人のせいではありません。みな自分のせいなのです。

いつまで悪いことを人のせいにし続けるのですか?

それではいつまでたっても救われないのです。

(それは日本の人たちもですし世界の人たちもです。テロや戦争が世界中で起きているのです。それを止めることが出来るのもまた、本当の神の教えしかないのです。祈って本当の神の業が現れるのはこの法しかないからです)

0コメント

3月 15 2016

悪魔の声と天使の声

昨日も救急車が人の家の前を何度か通って行きました。(近くで運ばれた人がいるようです)

昨夜も、いろいろ起きたようですが(まったく朝からガチャガチャうるさい)大変ですね。天罰と悪魔の両方から現象が現されている人たちはです。(かわいそうです。どこかの会社の人たち)

それだけ法の流布のじゃまをしているのです。それではよいこと起きないでしょう。(この連中、両建てでやられていますね。行いがあまりに悪いとこうなります)

ここまでやられても、それでもまだ法の流布のじゃまをやめようとしない、こういう連中はいわずもがな悪魔に憑かれているのですが、ずいぶん多いんじゃないですか?

このようなおかしなものに憑かれている人はです。このブログを読み、その自覚がある人もいるのではないでしょうか。

耳元で何か聞こえてくる人いるでしょう。いますよね。この辺り以外で、このブログを見ている人たちの中にもです。(女の子の中にもいますよね。そういう人)

しかし、それは悪魔の声なのです。その声をあまりに聞いていると大変危ないのです。知らず知らずのうちに悪い方へと導かれるからです。(そればかりでなく、気がつくと凄い性格が悪くなっていたりとかもするのです…その性格の悪さにも気づかないんですけどね)

もし、そのような声が聞こえてくる人がいたとしたら、その声はもう聞かない方がいいでしょう。聞いていればいいこと起きないからです。聞いていいことが起きたとしても、後でその倍くらいの悪いことが起きることになります。

その声を伝えているものは悪魔であるからです。

聞こえてきても無視することです。そうして生きている人の声だけ聞くことです。

とりあえずそのような人たちは、生きている人たちとよく話をした方がいいからです。(そういう人たちはもう完全に悪魔と同通しているのです。その悪魔の通信を断ち切らないといけないからです)

しかし、生きている人たちの中にも、そのような訳の分からないもののいうことを聞いている人たちがたくさんいます。そういう人たちが集まると、人の悪口のいいあいになるのです。

よくオバちゃん連中が井戸端会議をしているのを見かけますが、その話の内容が人の悪口ばかりいっている人たちなど、完全に悪魔に憑かれているのです。

だから悪い話ばかりになるのですが、こういう憑かれた人たちは、それが悪い話だと思わないのです。

それが普通の話のように思っているのです。自分たちからすれば、そのような人の悪口が、最も楽しい話であるからです。(悪魔に憑かれると人の不幸が楽しくなります。だから、人の悪口くらい楽しい話はないのです)

しかし、こういう話は自分の心をずいぶん汚すのです。そうして罪もつくっています。

だから、これ以上、自分に悪いことはないのですが、それが悪いと思わない、これが悪魔に憑かれる恐ろしさなのです。

悪魔に憑かれると、このように知らず知らずのうちに悪い方に導かれるのです。

別に、そういうことは誰でもしていると、だから悪いことでもなんでもないと、このオバちゃんたちは思っているのですが、そういう話を心のきれいな人が聞くと「なんだこのオバちゃんたち人の悪口ばかりいってるな」と思って、何とも嫌な気分になるのです。

心のきれいな人たちは、このような話は自分の心を汚すと知っているからです。そうして、それが罪になるということもです。

悪口くらいで何で罪なるのか、悪口くらい、いいだろうと思われる人もいるかもしれませんが、このような悪口が発展して犯罪につながって行くのです。(悪口をいっているその心は、怒りや憎しみに満ちています。その怒りや憎しみの心が増えていけば、最後にはそれを行ってしまうのです)

それにキリストは、心で思うことはすでに行っているのと同じであるといわれていました。(汝らにいっておく、みだらな思いで他人の妻を見る者は、誰でもすでに、その女を犯しているのである)

では、そのような心で(怒りや憎しみに満ちた)悪口をいっている人たちの罪がどれだけ大きいかはお分かりいただけると思います。(それは行っているのと同じであるからです)

こういう(悪口のいいあいをしている)オバちゃんたちは、ドンドン罪をつくっているのです。

悪魔に憑かれていると、こういうことが分からなくなり、非常に悪いことをしていても「これくらいはいいだろう」「これくらいのことは誰でもやっている」と悪を軽く考えるようになり、知らないうちに堕落してしまうのです。

これが悪魔の声に導かれる怖さなのです。

その点、天使の声をいつも聞いている者は、こうはなりません。

ある程度のことは許されても、その限度が過ぎると、即、気づきの現象が現れるからです。

その気づきの現象が起きることによって、自分がしている悪いことに気づかされるのです。(私など、これくらいはいいだろうと思うことまで注意されます。「少しやりすぎではないか」と思うくらいですが、どうしても人間、自分には甘くなります。そこらへんも注意されているのでしょう。〔苦笑〕)

私もいろいろ教えられますが、耳元で何か聞こえてきたことなど一度もありません。(だから、耳元で何か聞こえる人の気が知れません。ゾッとしませんか?そんな声が聞こえてきたらです。〔怖〕)

私が何か教えられる時は、いつも心の奥から思いが上がってくるのです。(胸の奥の辺りからです)

心は人の胸の辺りにあり(だから、悲しくなった時とか、人を好きになった時など胸の奥が苦しくなるのです。そこに心があるからです)その心は天上界につながっています。

したがって、心の奥から悪魔の声が聞こえてくることはないのです。(悪魔は耳元でささやくか、または、頭に直接響いてくるようなこともあるかもしれません)

心の奥から上がってくる思いは、天上界、すなわち天使の声なのです。(その心の奥に真我があり、その真我が天上界とつながっているのです)

その思いに従うなら、まずよいことが起こります。(たまに悪いことも起こりますが、それは、その人を成長させるための試練を与えているのです)

だから、私のいうことに従った人たちは奇跡が起きているのです。それが光の天使の助言であるからです。

だから、私のいうことに逆らっている人たちはよいことが起きないのです。光の天使の助言に逆らっているからです。

悪魔の声に耳を傾けている人たちと、天使の声に耳を傾けている人たちとではこれほどの差があるのです。

悪魔の声に耳を傾けることの危なさ、そうして、天使の声に耳を傾けることの大事さよく知ってください。

2 コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。