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3月 14 2016

悪魔の仕業

今日も朝からお怒りモードですが、怒っていても仕方ないでしょう。怒っている暇があるなら反省することです。そのような心が変わらない限り災いは止まらないからです。

昨日もやたら怒っている人たちがいましたが、こういう人たちは完全に悪魔に洗脳されている人たちでしょう。頭から私が悪いと思い込んでいるからです。

しかし、私は何一つ悪いことはしていないのです。

このブログに悪いことでも書いているというのでしょうか?祈ることが悪いこととでもいうのでしょうか?そういうことが悪いことではないから(むしろこれ以上よい行いはないから)奇跡が起きているのです。

これほど私の正しさを現す証明もないわけです。(口だけではなく、奇跡まで現れているからです)

それなのに、未だ私を悪人とみて嫌がらせを繰り返す、そのような人たちこそ本当の悪人であり、私に自分たちの罪を擦り付けているのです。

そういう自分たちの(大きな)罪を反省しようとしないから、災いばかりが起こされるのです。

その災いにせよです。例えば私がそういう人たちを祈って、それで病気にでもなった人がいたとしますと、それをすぐ私のせいにします。

しかし、それは本当に私のせいなのですか?

「お前が祈って病気になったのだからお前のせいだろう」といわれる人もいますが、私は嫌がらせをしてこない人には祈らないのです。(では、その嫌がらせに対する天罰はくだらないのでしょうか?)

それに私は「この人を正しくお導きください」という祈りしかしていないのです。

そういう祈りで、人がそう簡単に病気になどなるでしょうか?

何か私が祈ると顔を引きつらせる人も多いので、私が祈ると、悪いことばかり現れるような印象を受けますが、もし、私が祈った後、病気をしている人が多いのだとしたら、それは私の祈りでそうなったのでしょうか?

もしかしたら別の理由があるのではないでしょうか?

例えばです。私の祈りで病気になった人たちは、耳元で何か聞こえていた人たちも多いのではないですか?(そういう人、この辺りにゴロゴロいますから)

もし、私が祈る前から、そのようなおかしな現象がいろいろ起きていた人がいたとしたら、その病気になったのは多分私の祈りのせいではありません。あなたに憑いている悪魔(悪霊)がそれを現したのです。

悪魔が人を病気にさせることくらいわけないことであるからです。

私の祈りのせいで病気になった(または家族や友達などがなった)という人たちは、自分に憑いている悪魔のことも考えた方がいいでしょう。その悪魔はどのような悪さをするか分からないからです。

自分にそんなものは憑いていないと思うのは早計でしょう。心が汚い人にはいろいろな悪魔が忍び寄ってくるからです。

そのような汚い心が悪魔を呼び寄せるのです。

自分の心はきれいだと胸を張っていえる人がいるでしょうか?多分(よほど勘違いをしていない限り)自分の心はきれいだといえる人はいないでしょう。

なぜなら、現在の世相はそれほど心を重要視していないからです。心より外見のきれいさばかりがいわれるからです。

しかし、心も部屋や町同様、自分で気づいて(掃除などして)きれいにしなければきれいになりません。ほっておいたらドンドン汚れるのです。

そういう心の汚さに気づいて、心の掃除をしている人がいるのでしょうか?もし、そういう人がいないとしたら、自分たちの心は相当汚れているのです。

多くの人は、その相当汚れている自分の心に気づいていないだけなのです。心の汚れは目には見えないからです。

心の汚れは目には見えませんが、しかし、そのような汚れた心の持ち主には、汚い家や町に、ダニやゴキブリなどのおかしな虫がたくさんわいてくるのと同様に、おかしな霊(悪魔)たちがたくさん寄って来ているのです。

その悪魔が寄って来ているのに気づいていないだけなのです。その悪魔たちも目に見えないからです。

しかし、その悪魔たちはいろいろな悪さをします。

例えば、私の祈りに合わせて人を病気にしたりすることも可能であるということです。

だとしたら私に祈られて病気になった人は、果たして私の祈りで病気になっているのでしょうか、それとも自分に憑いている悪魔がその人を病気にしているのでしょうか、どちらか分からないということです。

しかし、私は人を病気にする祈りなど一度もしていません。(それは私が全然病気をしていないということでもその事実が分かります。自分がした祈りは、必ず自分に返ってくるからです)

それで病気になる人が続出する(続出しているかどうかは知りませんが)ということも考えにくいのですが…もしかして私が祈り病気になった人の多くは、自分に憑いている悪魔にやられているのではないでしょうか?

悪魔は私を陥(おとしい)れたくて仕方がないからです。私の祈りに合わせ病気を現すくらい造作もないことだからです。

こればかりは確認しようがありませんが、とにかく、皆さんの心が汚れているということだけは確かなのです。

だとしたら、どのような災いがいつ振りかかるか分かったものではないのです。昨日のブログではありませんが、そのような人は必ず悪魔の導きがあるからです。

そのような点から見ても、法を実践するかしないかで大きく変わるのです。法を実践して心がきれいなら、天からの導きがあり、悪魔ではなく光の天使がたくさん寄って来るからです。

だから、自分も守られ奇跡も起きるのです。

神の光が自分を守り、光の天使がよい方に導いてくれるからです。

この辺りの人たちは悪いことをすべて私のせいにしていますが、その悪いことは本当に私のせいなのでしょうか?

多分(というか絶対です)違うでしょう。その悪いことはあなたの隣に立っている、その悪魔たちがしているのです。

その悪魔に気づいていないだけなのです。

心が汚れているのなら、そのような悪魔はたくさん寄って来ています。悪魔がたくさん寄って来ているのなら、その悪魔たちはどんな悪さをするか分からないのです。

悪いことを人のせいにしている暇があるなら、心をきれいにすることです。

それが一番自分を守れる方法であるからです。

追伸…大相撲がまた始まりました。

初日から二横綱が敗れるという波乱がありましたが、こうなると先場所以上に今場所は面白そうです。(笑)

相撲も何か少し雰囲気が変わってきたように感じますが、バトミントンなども、海外の試合で何十年ぶりかで日本人選手が優勝するなどの快挙が続いています。

相撲も日本人力士がもう少し頑張れば(また日本人横綱など誕生すれば)もっと盛り上がるでしょう。

そのようないろいろなところで大いに日本を盛り上げてほしいものです。

大きな使命が日本にはあるからです。(その使命にいつまでたっても気づかないのですが)

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3月 13 2016

天の導きと悪魔の導き

昨日も赤鬼や青鬼をたくさん見ました。(真っ赤な顔をして怒っている人を赤鬼に、青い顔をして下を向いている人を青鬼に例えたのです。うまいでしょう。〔苦笑〕)

怒ろうが黙ろうが無駄です。反省してください。そうしないと災いは止まらないからです。

私に嫌がらせをしている人は騙されているのです。悪魔にです。

考えてみてください。私をこの災いの犯人にしたらどうなるのかをです。

救われる道がなくなってしまうのです。私以外で、この災いを収めることが出来る人はいないからです。

それをもう多くの人が理解しているのです。しかし、誰一人私に助けを求めに来る人はいません。

なぜでしょうか?

そんな災いを起こしている張本人に助けを求める人などいるはずがないからです。

私を犯人にしておくなら(誰も私に助けを求めないので)一人として助かる人はいません。

それが悪魔の狙いなのです。この辺りのすべての人に災いが現れるように導く、それが悪魔の導きなのです。

だから、悪魔に支配されている人たちは私の悪口をいいまわるのです。

「この災いはすべてあいつのせい」とです。

そうして私ほど悪い奴はいないと思わせ、多くの人に神に楯突く行いを実践させるのです。(私への嫌がらせ)

そうした方がより多くの人に災いが現れるからです。(悪口をいっているだけではなく、悪いことの実践までさせるのです。それではもっと悪いことが起こります)

おかしいと思いませんか?これだけ悪いことが続いているのに、それでもなお私の悪口をいい続け、嫌がらせをし続けていることがです。

普通であれば、これだけ悪いことが続いているのなら、少しは反省しようかという気持ちも出てくるはずです。

しかし、私の悪口をいい続けている人たちは、多分そういう考えはまったく出てこないのではないでしょうか。(それこそ恨み憎しみしかです)そのような考えこそ悪魔の思想そのものであり、すでに悪魔に洗脳されているのです。

まともに考えるのであれば、これだけ悪いことが続いていれば、少しくらい反省の心が出てきてもおかしくはないからです。

しかし、そういう考えがまったく出てこない、それはすでに悪魔に導かれ洗脳されている証拠なのです。(知らず知らずのうちに悪い方へとです。だから、悪いことばかり起きるのです)

そういう点でいっても私は違うのです。

昨日のウナッシーさんのコメントの件でもそうです。

実は私は、あの広島の中学生の自殺の件は書こう書こうと思っていたのです。(ちょうど家庭のことや教育のことを書いていたところでもありましたから)

ところが他の件を(性教育など)書いていたものですから、ついつい書きそびれてしまったのです。

そうして、昨日は周りに起きていることを書きました。

それで「広島の中学生の件は書きそびれてしまったな」と思っていたところに、あのウナッシーさんのコメントが届いたのです。

私はハッとしました。あまりに的を射たコメントであったからです。

もっというなら、一週間ほど前にもらった、イクメンや家庭内の質問のコメントからそうでした。

前々から「イクメンのことや家庭のこと、教育のことは、一度しっかり書いておかなければいけないな」と思っていたのです。

しかし、思ってはいたのですが、なかなか書くチャンスがなく(というより、周りにあまりにもいろいろなことが起きるものですから、そちらを優先して)書けていませんでした。

ところが、ウナッシーさんからの家庭内のことの質問をきっかけに、園頭先生のご著書から抜粋してイクメンのことや家庭の大事さ、そうして教育の大事さまで書くことが出来たのです。

それを書いたことで、また、いまの世相の間違いが分かる人もたくさん出て来るはずです。では、その分、世の中はよい方に進むということになります。

そういう知らず知らずのうちに(ウナッシーさんのコメントなど通して)よいことをする方に導かれているのですから、これこそ天の導きであり、その天の導きに従っているから私には奇跡ばかりが起きるのです。

こういう、奇跡ばかり起きる方に導かれることを天の導きというのであり、先ほど書きましたように、悪いことが起きる方ばかりに導かれることを悪魔の導きというのです。

では、この辺りの多くの人がどちらに導かれているのかはお分かりいただけると思います。

これだけ多くの災いが起きているのです。この辺りのほとんどの人が悪魔に導かれているのは確実であるということです。

このように、私たちは知らず知らずのうちに観えない世界から導かれているのです。

天に導かれた方がいいのか、それとも悪魔に導かれた方がいいのかは、結果が物語っています。

心を入れ替えられたらどうでしょう。そうすれば正しい導きが得られるからです。

追伸…今のまま頑なに心を変えようとしなければ、ドンドン悪い方に行きます。それを分かっている人も多いと思います。(だから最近は青い顔をした人が増えてきたのでしょう)

別にそれは悔しいことでもなんでもないのです。普通の感情なのです。いま起きていることに対し、真っ赤な顔をして怒っている方がよほど異常なのです。(こういう人はもう完全に悪魔に支配されています。冷静な判断がまるで出来ていないからです)

悪魔の洗脳は怒りや恨み、憎しみです。とにかく人を憎ませ怒らせるのです。

私に対し(この辺りの人は)そのような思いを持っている人が多いと思います。それが悪魔に洗脳されている何よりの証拠なのです。とにかく悪魔はそのような思いで人を支配するからです。

私が本当にそれほど悪いことをしているのでしょうか?少し冷静に見ていただけないでしょうか。

私は、毎日のようにこのようなブログを書き、人を啓蒙しているのです。このどこが悪いことなのでしょう。(これ以上よいことはないのではないですか?ここに書いていることがよいことと分かっているから、私を憎んでいる人もこのブログを読んでいるのでしょう)

そんな悪い者になぜ奇跡が起きるのでしょう。(その者のいうことを聞いた人にも同様にです)

悪いことをしている者に奇跡は起きません。よいことをしているから奇跡が起きるのです。

悪いことをしているのは自分たちの方なのです。それを悪魔は悪いことだと思わせないのです。それも悪魔の手口なのです。

悪いことをしているのはあいつなのだから、そういう悪い者に悪いことをしても何も悪いことはない、そうして、それで悪いことが起きるのなら、それもすべてあいつのせい、そう思わせるのです。

実に巧妙な悪魔の手法ですが、どんな人に対しても、悪いことをしたのなら、自分は罪を負うことになり、その罪は自分に返るのです。

私は毎日のように人を啓蒙し、正し祈りをしているのです。(この正しい祈りまで悪魔は悪くいうのです。あいつが祈ると人が不幸になるとです。まったく逆です。私の祈りは多くの人に気づきを与えているのです)

その私がなぜそれほど悪者なのでしょう。

そういうよい話を毎日聞いても、それを生かそうとせず、嫌がらせで返し、感謝も布施もしようとしない、そのような人たちの方がよほど悪者なのです。

早く悪魔の洗脳に気づいてください。そのまま悪魔の洗脳に気づかず、悪い行いを続ければ最後は身を滅ぼすからです。(因果応報です)

悪を思わずよいことを実践してください。

それが唯一の助かる道であるからです。

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3月 12 2016

行い

それにしても皆さんお怒りです。

昨日は金山に行ったのですが、やたら怒っている人たちがあちこちにいました。(その反面、静かになった人たちもです)

あまりうるさくない割には、ブシュブシュやって来るバスもいたので、そのバスに向けてちょっと祈ったら、そのバスの運転手が凄い顔をしてにらむのはいる、横を走って行くトラックが(別にそのトラックに向けて祈ったわけではないのに)思いっきりブシュとやって行くのはいる、私が少し祈っただけで運転手の怒り方が尋常じゃありませんでした。(思わずこちらが謝りそうになりました。それくらいの怒り方です)

歩いていると、やたら怒っている会社はある(まるでどこかの会社のようなのです。キレたのが一人、二人いて、ガンガンやってきます。ほんと同じことしています)そうかと思うとまったく静かになってしまったところもある(そういう会社の方が最近は多いです。少し前までは、どこを歩いていてもガンガンやられるところが多かったんですが)両極端なのです。

それは人の家の横を通っても、公園など通っても同じでした。やたら怒って、でかい音を立ててくる家もあれば、公園で遊んでいる連中が(子供が多いんですが)急に静かになるところもありました。(公園で遊んでいる子供は私が近くを通るとまず何かやってきます。急にでかい音を立てたり、持っていたサッカーボールなどをわざわざ私の近くに蹴ってきたりです。歩いている近くに石を投げらたこともあります)

とにかく、やたらめったら怒っているところがあると思うと、急に静かになったところもあり「ずいぶん極端だな」と思いながら帰ってきました。(金山から歩いて帰ってきますので、一時間ちょっとくらい歩く感じです)

しかし、やたら怒っている人たちにいっておきますが、怒りたいのはこちらなのです。

皆から、よってたかって嫌がらせをされているのは私の方なのです。では、怒らなければいけないのは私の方のなのではないですか?

こちらが一方的に嫌がらせを受けているだけだからです。その一方的に嫌がらせをしてきている人たちには私は何もしていないからです。(祈ること以外はです)

なのに何でそちらがそれほどカンカンに怒っているのでしょう?

明らかに態度がおかしいのではないでしょうか。(普通、逆ですよね。嫌がらせをしているのはそちらの方なのですから。私はその嫌がらせを祈りで〔しかも正しいです〕返しているだけなのですから)

何が起きているのか知りませんが、いつまでも怒っているだけで(または、急に静かにするだけで)それでよいのですか?

そのような態度では止まりませんよ。その災いはです。

もう日本中でサイレンはしだしているのです。すでに恐ろしい現象は日本中で起きています。(浜松の火葬場の件などもそうですが)

自分たちの間違った心が現象として現れる時代となったのです。だから、次々に災いが起き出したのです。

その自分の心のせいで起き出した災いを、この辺りの人はすべて私のせいにしているのです。それだけのことなのです。

そのような間違った行いが、よけい恐ろしい災いを呼んでいるのです。

その行為を反省することです。そうして、これまで犯した自分たちの罪を素直に認め、神に許しを請うことです。

そこまですれば、その災いは起きなくなるからです。(そう難しいことをいっているわけではないでしょう。なんでそれくらいのことを、そこまで拒否するのか本当に意味が分かりません)

私には釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているのです。ということは、釈尊やキリストと同じ神理を説いているということになります。(だから同じ結果が出ているのです)

では、聞くべきではないでしょうか。その神理に従う以外、災いから救われる道はないからです。(自分たちではもうどうにもならないから、異常な怒り方をしているんですよね。違いますか?)

釈尊やキリストにはなぜあれほどの奇跡が起きたのでしょう?

それは行いがよかったからです。あのような偉大な方々は、人の何倍も何十倍も行いがよかった(多くの人を救った)からあのような奇跡が起き続けたのです。

あのような方々は、元々偉大だったのではなく、行いがよかったから後に多くの人から偉大な方であるといわれるようになったのです。

人が偉大であったのではなく、その人の行いがその人を偉大にしたのです。

そういう偉大な方々を見習ったらどうでしょう。そうすれば奇跡が起きてくるからです。

三日、四日前でしたか、私は水族館に行ってきました。

私が行くと、小さな魚ばかりでなく、イルカやベルーガ、シャチといった大きな動物たちまで騒ぎます。

イルカを見ていたら、私の前で騒ぎ始め、飛び回るのもいれば、私の前に顔を出してジッと私を見ているのもいます。近くまで寄ってきて、キィーキィー鳴いているのもいます。

シャチを見ていれば、あの大きなシャチが私の前に泳いできて(それだけでも凄い迫力ですが)口をあけて舌を出すような仕草までするのです。(シャチはいつも多くの人が見ているのですが、その時、シャチがそのような態度を取ったものですから、見ていた人から「なんでー」とか「オオー」とかいう歓声まで上がり、みな私の方に寄って来て大騒ぎになりました。〔笑〕)

本当に可愛いものですが、このようなことが起きるのも、私の行いが(もちろん心もですが)正しいから、このような奇跡が起きているのであり、私の行いに間違いがあるなら、このような奇跡は起きないのです。

自分の周りに起きてくることは、すべてにおいて、その人の(心と)行い、その一点にあるからです。

自分の行いがよければ、その人の周りにはよいことが起き、悪ければ悪いことが起きる、これが神理なのです。

自分の行いが悪いから、自分たちに悪いことが起きているのです。決して、人のせいではありません。

行いを正されてはどうでしょう。そうすれば、このような奇跡も起きてくるからです。

自分の行いを直そうともせず、悪いことを人のせいにしているだけでは、いつまでたってもその災いは止まることはないのです。

追伸…このような動物たちの奇跡はもう書ききれないくらい起きています。(毎日のように起きますから。〔笑〕)

ずいぶん動画に撮ってあるのですが、その動画もなかなか公開できません。誰一人寄付してくれないからです。(こういう動物たちの知らない生態まで見せてもらっていて〔いっているだけではなく動画にまで撮って見せているんですからね〕一銭も寄付しようとせず、文句だけはいうのですか?ちょっと信じられない態度です)

少しくらい寄付してくれませんか?

それもよい行いの一つであるからです。

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3月 11 2016

正しい性教育

今日で東日本大震災が起きてちょうど五年となります。

あのような未曾有の大震災を二度と起こさないためにも、心を変えないといけないのですが、五年前とあまり変わらない心の人が多そうです。(どこの人たちとはいいませんが)

そのような心を変えてもらうべく、このブログは書き続けなければいけないなと改めて思います。法がしっかり書かれてあるのは、このブログだけだからです。

前回、前々回と今の世相がいかに間違っているのかを書きましたが、もう少しその間違いを書きましょう。

平等論の広がりとともに、最近の性の乱れもひどいものです。そうして、その性の乱れが段々低年齢化しているというのですから深刻ですね。

しかし、では、子供にどうやって正しい性教育をしたらいいのか?となると誰も二の足を踏み、正しい教え方を見つけられないでいるのが現状でしょう。

見つけられないどころか、例のジェンダーフリーを主張する連中が(こういう連中はみな共産主義者です)そのものずばりを教え、ピルや避妊具の使用を子供に勧めているというのですから、子供の性はよけい乱れるということになります。(本当に世を乱しているのは、このような共産〔左翼〕主義者なのです。平等論もこういう連中が広めたのです)

子供に対する性教育はどうしたらいいのでしょう?これもまた園頭先生が教えてくれています。

先生のご著書「正法と人生の原点」から抜粋します。

<子供の性教育をどうするか

この頃、栄養がよくなったために、小学校五年生の女の子で初潮をみる子がいるという。

ある若い母親から聞いたことであるが、五年生になると学校で生理の教育があり、どうして子供が生まれるかを教えられるという。

ある日、兄と一緒に風呂に入れたら、その兄の性器をしげしげと眺めながら「あんたのはりっぱね」と、その妹がいったというのである。

それを聞いて若いお母さんはびっくりして、それ以来、女の子は、父親とも一緒に風呂に入れることはしないようにしたというのである。

物分かりのよい父親でありたいという男親が、早く子供に性の理解をもたせたいということで、中学生や高校生になった娘と一緒に休むという話を聞くが、これは問題である。

最近の性道徳の頽廃(たいはい)不純異性交遊、女子学生の売春、またそれを利用する大人がいることもいけないが、正しい性教育がなされないで、単に肉体的に生理的にのみ説明され、しかも教師の中には「性の満足が人間の幸福であり、あるものを使わなければ損だ」というような露骨で挑発的な教育をする者がいるから、現在のように性道徳が乱れてきたのではなかろうか。

「人は教育によってのみ、人となり得る」というのは、性教育においても同じである。

だからして、子供の性教育は、次の条件が備わらなければいけないのである。

一、宇宙創造の原理、天地陰陽の理

二、男の役割と女の役割

三、結婚の意義、夫婦の秩序

四、子供の誕生は神の計画と天上界の計画による

右(上)のことを教えたうえで、肉体的生理的なことを説明し、その真理と秩序に反した時に不幸になり、それを悪いというのであり、自分の行為については自分が責任を持たなければいけないことを教えるべきである。>

園頭先生がいわれる性教育とジェンダーフリーの連中がいう性教育の違いはどうでしょう。(まったく違います。光の天使と悪魔のいうことはこれだけ違うのです。ジェンダーフリーを主張する者たちは悪魔の思想の持ち主なのです)

性の満足が人間の幸福であるなら、この世で一番幸福な者は売春婦ということになります。しかし、売春婦ほどみじめな者はいないと売春婦自身がいっているのです。(どこかの慰安婦の人たちもです。あの慰安婦の人たちは偽物も多いようですが)

正しい性教育がなされなければ、人の本当の幸福はきません。

秩序ある性こそ正しいものであるのです。

しかし、その正しい性を知るにも法を知らなくては分からないのです。

この法の大事さを早く多くの人が理解してもらえるのを願うばかりです。

追伸…普段は科学とか利益とかいうくせに(そうでもないですか。放送自体左翼的ですから)こういう時は市民感情ですか?(ほんと、ものはいいようです。ああいえば上祐ですね。〔苦笑〕)

感情的になっているのはそちらなのではないでしょうか?

鹿児島をお忘れですか?

原発を動かしたとたん、鹿児島の天気は落ち着いたではないですか。それに桜島も静かになったのです。(桜島は少し前まで爆発的噴火を繰り返していたはずです)

こういう事実をお忘れではないのでしょうか?だから、感情的になっているのはそちらではないですか?といっているのです。(こういう事実があるのですから、では、原発を止めるのは逆に危険なのではないですか?日本海側の天気が悪くなるかもしれないからです)

マァ、法を理解してくれといっても無理っぽいのですが、少なくとも、このブログに書いたことを実行すると幸せになれるのです。(天気だけではなく奇跡が起きた人もたくさんいますし)

そういう事実は認めるべきではないでしょうか。

個人攻撃はおやめください。それにこのブログのじゃまをするといいこと起きませんから。(このブログを褒めたことなど一度もないのに〔そんな価値のないブログをよく毎日読みますね・苦笑〕文句だけはいう、それではこちらも文句の一つもいいたくなります)

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3月 10 2016

家庭の大事さ

相変わらずお怒りのようですが、そういう人たちにいっておきます。(本当に怒ればいいというものではありません)

それだけ怒っているから病気になるのです。病気にならないようにするには怒らないことです。

自分が悪かったと反省し、ニコニコ笑って過ごすことです。そうすればおかしな病気になどならないからです。

そういう病気持ちの人たちはほっておいて、もう少し家庭の大事さを書きましょう。このまま(男女の役割無視の)平等論が拡がるなら世界が滅んでしまうからです。

園頭先生のご著書「正法と人生の原点」から抜粋します。

<家庭は男と女、即ち陰と陽とによって構成され、外でどんなに疲れていても、家庭に帰ると心が安らかになるのは、家庭とは、神が、神自身が自らの生命を顕現(けんげん)するために設計された基本的単位なので、家庭は神の心の縮図であるからであり、神の生命は家庭の在り方を通して顕現されることになっているので、調和された家庭の中にいる心の安らかさは、神のふところに抱かれているのと同じ安らかさになるのである。家庭で霊の勉強をし、それを基礎にして家庭外でいろいろな経験をし、よいことも悪いこともまた家庭に帰って自分の行いが間違いでなかったことを再確認し、間違った点は反省し、家庭内で実行して再び社会でやってみるという霊の勉強の基本の場所である。

この夫婦の結びによって生まれる子供であるから、結んで生まれた男の子即ち「息子」(むすこ)結んで生まれた女の子即ち「娘」(むすめ)ということになっているのである。

こうした夫婦の縁をキリストは「神の合わせたもうもの」といっていられるし、だからして「人、これを分(わか)つべからず」と感情で気ままに別れたりしてはならないといっていられるのである。

お互いに霊の勉強を確認し合った夫婦は、途中でどんなに夫婦の危機があって喧嘩(けんか)したりしても別れることなく、晩年になるに従って「若い時はいろいろなことがあったが、ほんとにいい夫婦であった」とお互いに感謝し合えるようにならなければいけないのである。>

家庭がいかに大事な場であるのか、このような園頭先生のご著書を見れば分かるのです。

家庭は心身の疲れを癒す場(家庭は神の生命の顕現の場、ということは神のエネルギーをもらう場であるということです。だから心身両面の疲れが取れるのです)であり、社会勉強の反省をする場でもあり、そうして、その社会勉強のための基礎を教えてもらう場でもあるのです。(家庭生活が社会生活の一番の元であるからです。社会生活とは、自分以外の別の人が一人でも存在した時点から始まるのです。家庭生活は一番最小の社会生活の場でもあるのです)

だから、その家庭がなくなれば人は不安定になるのであり(神のふところから離れてしまうからです)だから、その家庭が不調和であってはいけないのです。

不調和であっては、その家庭に神のエネルギーが現れることはないからです。

だから私はいっているのです。平等論はいけないとです。

男女平等で、男女が同じになってしまっては調和しないからです。

陰と陰では調和しません。陽と陽でも調和しません。陰と陽があってはじめて調和するのです。

だから、男は男としての立場で、男の仕事をしっかりしないといけないのであり、女は女としての立場で、女の仕事をしっかりしないといけないのです。

そのように陰と陽にはっきり別れることによって、はじめて陰陽の調和が完成するからです。

だから、今のように男女平等の観点から、小さな時から男と女を一緒にして同じような教育しかさせないというのは間違いであるというのです。

男と女では性別が違うのはもちろんですが、特性も違うのです。したがって将来やる仕事も違うのですから(これを同じにしてしまうのが平等論なのですが)教育も分けないといけないのです。(同じ教育でよいものはそれでいいのですが、例えば、女の子には家事などの家庭科の授業を増やすとか、男の子には男らしくあれということで、勇気を持たせるような授業を増やすとかです)

そういう(男女の別の)教育がしっかりなされていないから、大人になって結婚したのはいいが、子供が一人でも出来るとパニックになり(子育ての仕方をまったく知らないからです)その子供を殺してしまう親まで出てくるのです。

そういう教育がなされていないからです。

昔は小さな時からそのような教育はすでに家庭でしていたのです。(女の子には料理を手伝わせるとか、他の兄弟の面倒をみさせるとかです。そういう体験をしているなら、結婚して子供が出来てもパニくらないからです)

しかし、現在は平等論に加え、子供に苦労はさせるなという甘やかし論まで加わって、大人になったのはいいが、社会生活にまるで対応できない、そういう子供が増えたのです。

神のふところであるはずの家庭が、神のエネルギーがまったく発生しない場所に変わっていたからです。(そういう子供に何もさせないという極端な〔勉強やゲームばかりさせているというのもそうですが〕中道でないところにも神のエネルギーは発生しません)

今のような平等論や(勉強やゲームばかりさせている)極端な考えを家庭に持ち込むなら、その家庭は壊れてしまいます。(表面はそう見えなくても、神のエネルギーが発生しない家庭などすでに壊れているのです)

だから、平等論の間違い、そうして中道がいかに大事なのかということを、多くの人に知らせないといけないのです。今の考えのままでは、多くの家庭が壊れ(家庭が壊れるのなら)最後には滅びてしまうからです。

その危なさが分かるのは、法を知っている人だけなのです。このような平等論や極論が拡がれば世界は滅びてしまいます。

この教えを拡げる大事さを、もう少し理解していただけないでしょうか。

追伸…高浜原発に運転差し止めの仮処分が出て、今日から原発を止めてしまうそうですね。

大丈夫ですか、こんなことしてです。(営業での損益、誰が保証してくれるんでしょう?)

高浜原発は、原子力規制委員会が世界最高水準の安全性といっている、その安全基準に適合しているのです。それにもかかわらず、まだ安全でないと司法が判断したのです。(科学には素人のはずの司法がです)

さぞしっかりした根拠があるんでしょうね。(科学的なです)そうでなければこんな前代未聞のこと出来ないからです。

司法は高浜原発を停止するならするだけの科学的根拠を示すべきでしょう。

ただ、これでは不十分だとか、危ないとかいっているだけでは、一般人がいっている感情論と変わらないからです。(それではあまりに無責任ですよね。先ほども書きましたが、この原発停止で損害を被〔こうむ〕る人はたくさんいるからです)

司法は天の声ではありません。(そんなことすると天も怒りますよ)

したがって間違いもあるということです。

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