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2月 18 2016

ソドムとゴモラ

しかし、呆れますね。あのバカ小学生たちにはです。

ああいうブログを書いたら、昨日は意地になって嫌がらせをしてくるのです。本当に呆れました。

あくまでも神に逆らい(本当に悪魔です)詫びようとは思わないということでしょう。では、どうなっても知りませんよ。あなたたちはもう何度も私に嫌がらせをしているからです。(本当にどうなっても知らねえからな。〔怒〕)

しかし、大丈夫なんでしょうか?ずいぶんおかしな雰囲気になってきているようですが。(気づいている人は気づいていると思いますが)

この辺り、ただでさえ雰囲気がおかしいのに、昨日の夕方からまた一段とおかしな雰囲気に変わってきたようですが、気のせいでしょうか?

やたら怒っているトラックはいる、そうかと思うと昨日は市バス連中が一切何もしてこなかったのです。(市バスの連中は一昨日まではずいぶん怒っていたはずですが…?)

本当に面妖ですね。一体何が起きているのでしょう。コロコロ態度が変わります。

ただ尋常じゃないことが起き出していることは分かります。バスの連中だけでなく、トラックの連中も何かおかしいからです。(ここら辺もおかしいし。ねぇ、どこかの会社の方々)

まさか、私が祈った人に次々に病気が発症しているなどということはありませんよね。だとしたら、もう私に嫌がらせはやめた方がいいのではないでしょうか。もうそんなことをしている場合ではないからです。

それは天が急ぎ始めたという証拠であるからです。

そういう極端なことが起き始めたのなら天が相当急ぎ始めているのでしょう。この法を拡げることをです。

それは今日のヤフーのニュースを見て分かりました。この前から気になっていたことがまた書かれてあったからです。

その気になっていたこととは同性婚のことです。

この前、三重県の伊賀市で、同性カップルを婚姻に相当する関係と認めるという記事が中日新聞に載っていました。これは、東京の渋谷区、世田谷区に続いて三例目で、段々このような同性婚を認めるという自治体が増えてきたのです。

これはまずいな、と思っていたら今日、パナソニックが同性婚を社内規定で容認するというニュースが出ていました。

その時に思いました。「それで天が急ぎ始めたのだな」とです。

こういうことを大企業が始めれば当然、他企業にも広まって行くでしょう。そうなれば、自治体だけではなく、企業にまで同性婚が広がります。

そうなれば同性婚は普通になって行くでしょう。この流れをもう誰も止めることが出来ないのです。(もちろん政治家でも無理です。政治家がこの流れを止められるわけがありません。世界がもう同性婚を認め始めているからです。世界の趨勢に従うのが政治家だからです)

しかし、同性婚は間違っているのです。(それは誰でも分かりますよね。男同士、女同士が結婚するなら子供が生まれることはありません。そういう人が増えていけば、先々人類は滅びるのです)

なんとしてもこの同性婚を認めるという流れを止めないといけないのです。しかし、誰もこの流れを止められないのです。先ほどもいいましたが、世界が同性婚を認め始めているからです。

他の先進国が同性婚を認め始めているのに、日本だけが認めないというわけにはいかないでしょう。それは人権無視といわれるからです。(また今流行りの多様性に反しているともいわれるからです)

しかし、神は同性婚など認めていないのです。

その神が認めていないものを人がやろうとしているのです。これは止めるべきなのではないでしょうか?私たちは神につくられた神の子であるからです。

その神の子の私たちが神の意志を無視するわけにはいかないからです。

そのことを知らせることが出来るのは、この法を知っている人たちだけなのです。だから、天が急ぎ始めたのです。この法の賛同者を増やさなければいけないからです。(そうしないと、私一人が同性婚に反対したところで、バカが何かいっているで終わってしまいますから)

男としてこの世に生まれたら、男らしく男の役割を果たさないといけないのであり、女としてこの世に生まれたら、女らしく女の役割を果たさないといけないのであり、それが、その人たちの使命であるのです。

男で生まれたのに女のようになって女の役割を果たしたり、女に生まれたのに、男のようになって男の役割を果たしているようでは、それぞれの自分たちの本当の使命は果たせないのであって、そうであるなら、そのような人たちはこの世に生まれてきたことは失敗であったということになります。

だからこそ、そのような失敗者を出してはいけないのです。

男に生まれて来たのなら、徹底的に男らしくならないといけないのであり、女に生まれて来たのなら、徹底的に女らしくならないといけないのです。

それがまず、今生に生まれて来た、最初の修行であるからです。(そこで間違うと一生間違います)

なんとしても、この同性婚が世界に広がる動きを日本から阻止しないといけないのです。それには、この法を支持し、神の運動をしてくれる人がたくさん出て来ないといけません。

だから天が急いでいるのです。

ソドムとゴモラの町のことを思いだしてください。(もう何度もそのことはこのブログで書いています。警告を兼ねてです)

そういう人(同性愛者)が増えれば、その町は天から滅ぼされるのです。(それは事実です)

それが分かっているのは、このブログを読んでいる人たちだけなのです。

私に逆らうばかりでなく、ソロソロ協力していただけないでしょうか?

いよいよ天が神の運動に本腰を入れ始めた気がするからです。

追伸…しかし、パナソニックもバカですね。こういうこと(同性婚の容認)を企業で最初に始めたからです。

これは天は怒りますよ。パナソニックは法の流布の使命があるにもかかわらず、高橋先生に協力しなかったばかりか(それは松下幸之助さんですが)法の流布とは逆のことを他企業に先駆けてやってしまうのですから。

やはりパナソニックは潰されますね。あまりに法から遠いからです。

なんとしてもこの同性婚が広がる動きは止めないといけません。

それを容認しておくのであれば、世界が滅びてしまうからです。

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2月 17 2016

心を変える

二、三日前でしたか、ずいぶん気温が高かった時がありましたが(名古屋も23・5度もあって二月としては過去最高の気温を記録しました)昨日、今日はまた気温もガクッと下がり朝から寒いです。

最近は本当に極端な気温が続いていますが、これも中道の心を忘れてしまっている人が多いからでしょう。そのような人の心が極端な気温として現れているのです。

もう人々の心が現象として現れる時代になったのです。

その自分の心が原因で起きている現象を、いつまでも人のせいにしていたところで、その現象は止まらないでしょう。早く自分の心を変えることです。

そうすればその現象は起きなくなるからです。(やたら怒っている人がそこらじゅうにいますから)

昨日の庄内川の帰りのことですが、気のせいかもしれませんが、やたらこちらに向かい頭を下げている小学生がいました。(昨日は反対側の道路を通っていたものですから、よく分かりませんでしたが)

もし、謝る気があるなら、心からしっかり謝ることです。そうすれば、あなたに恐ろしい現象が現れることはないからです。

他の者に謝る気がなくても、一人でも謝る気があるならそうすることです。

一人でも心が神の方に向くのであれば、その心を神は喜ばれるからです。

こういうことを考えましても、すべて自分の心次第ということは分かるのです。

例えば私が、このように反省した人に対し、それでも許さないと祈ったところで、その反省した人に災いが現れることはもうないのです。むしろ奇跡が現れてきます。

私は誰に対しても同じ祈りしかしていないからです。

私は「この人を正しくお導きください」としか祈っていないのです。では、反省して心がよい方に変わっている人に、さらにそのような祈りをしたらどうなるでしょう。

これはもう奇跡しか起きません。その人の心がすでによい方に変わっているからです。

天は、その心を観て現象を現しているだけだからです。

だから私が、少し反省したくらいで許せるかと思い、いくらその人を祈ったところで、その人の心がよく変わってしまっているのであれば、どれだけ私が祈っても、その人に災いが起きることはないのです。

心がよい方に変わっている人に、さらに「この人を正しくお導きください」と祈るのですから、その祈りはもう「この人に奇跡を起こしてください」という祈りと同じであるからです。

だから、私は「自分の心次第である」といっているのです。

こう考えるなら、私のせいで悪いことが起きた、といっている人たちがいかに責任転嫁しているかよく分かります。

私に祈られる人たちは、祈ってくださいと頼まれた人か、何か私にちょっかいをかけてきた人たちばかりであるのです。(あるいは、このブログを明らかに読んでいるので、それなら少し祈ろうかと思った人だけです)

そのような人たちに私は同じ祈りしかしていないのです。

すると、ある人には奇跡が起き、ある人には災いが起きているのです。では、この起きて来た奇跡や災いは私のせいなのでしょうか?

私は誰に対しても同じ祈りしかしていないのにです。

同じ祈りしかしていないのに、祈られた方に起きる現象が違うというのであれば、それはもう祈られた側の責任でしょう。

こちらの責任ではありません。

それとも私が祈ること自体が悪いとでもいうのでしょうか?お寺や神社に行って祈る人はごまんといるのにです。(そういうことをいっている人も祈っているのではないですか?初詣など行ってです)

自分たちが悪いから悪いことが起きているのに、それを私の祈りのせいにしているとは、もうなん癖以外の何ものでもないと思いますが、その祈りにせよです。

私は何も縁のない人を祈ったりしません。そこに縁が生じたから祈ったのです。(頼まれたにせよ、嫌がらせされたにせよ、このブログを読んでいることにせよです。すべて縁があるからそうなったのです)

では、悪いことが起きているのは私のせいなのでしょうか?

これだけ自分たちで原因をつくっておいてです。(散々嫌がらせしたのはどなたでしたっけ?)

自分の心が悪かったから悪いことが起きているんでしょう。それなら悪いことが起きたのは自分のせいではないですか。(もちろん奇跡が起きたのも私のせいではありません。その人の心が神の心に叶っていたから奇跡が起きたのです)

私の祈りはきっかけにすぎないということです。その人の心が現象として現れているだけなのです。(行いもですけどね)

私に祈られ悪いことが起きたのなら、まず自分を反省することです。それは私の祈りのせいではないからです。

昨日は父の三周忌でした。一時間ほど坊さんにお経を上げてもらいましたが、何の奇跡も起きませんでした。

しかし、この法を実践するなら、すぐにでも奇跡は起きるのです。

これと同様、自分の心を変えるなら、その災いはすぐにでも止まるのです。

グダグダグダグダ嫌がらせなどしていないで(どこかの会社ですが)さっさっと心を入れ替えることです。そうすれば、そのグダグダ怒っている災いは止まるからです。

くだらない意地を張り続け、心を変えずにいるようでは、いつまでたっても災いは止まりません。

心を変えることです。そうすれば、それだけで奇跡が起きてくるからです。

(ほんとボサッとしていると滅ぼされますよ)

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2月 16 2016

帰依(きえ)

三、四日行かなかっただけですが、ずいぶん雰囲気が変わってしまいましたね。庄内川の辺りがです。(昨日はたまたまそう感じただけでしょうか?)

何か行った時からおかしかったのです。庄内川の川岸を歩いていてもいつもより静かに感じました。(横の堤防を走るトラック連中がです)

しかし、マァ、ブシュとやっていく奴はやっていきます。気のせいかとも思ったのですが、何か変です。

それに川岸を歩いてくる人がいつもより多いし、歩いて行く人が何もやっていきません。(いつもなら誰か彼か何かやっていきますから)

「何かおかしいな」と思いながら歩いていました。いつもより歩いている人は多いのに、いつもより静かであったからです。

しかし、横の堤防を走るトラックでやたら怒っているのもいます。(ブシュと思いっきりやっていくのもいましたから)このおかしさは庄内川を出てからも続きました。

庄内川からの帰り、私が歩いていても横の道路を走るトラックなどいつもより静かだし、そうかと思うとやたら怒っている市バスの運転手がいます。(思いっきりブシュとやられましたから。先週末から変わっていませんね。何か変です)

中学生はまた消えてしまいましたし、小学生はいましたが、なんと、その小学生連中が何も嫌がらせをしてこなかったのです。(初めてですね。こういうこと)

自分たちで笑いながら話をしていますが、横を通る私は無視しています。(私が「今日は嫌がらせをしないのか?」と聞いても無視です)しかし、まるっきり無視しているのかと思うと、引きつったような顔でこちらをチラチラ見ている者もいます。

みな何か態度がおかしいのです。

本当に世にも奇妙な物語をそのまま体験しているようですね。私一人が今この辺りで起きていることを知らないからです。(極端にいえばですけどね。全然態度が変わらない人もいましたから)

相変わらずどこかの会社は極端なのですが(静かにしていたかと思うと、急に怒ったようにでかい音をたててるし)もし、異様なことがそこかしこで起き出したのならです。

昨日も書きましたが、どの宗教に頼っても、もはや救われることはないでしょう。(どの宗教に頼っても、その現象は止められないでしょう)

もちろん怒ろうが、わめこうが、人に嫌がらせしようがそれでも止まりません。(それは皆さん経験済みだと思いますが)

この教えに帰依されることです。それ以外で救われる道はないからです。(庄内川で人が多かったのはそのせいなのではないですか?そうであるなら、この教えを勉強します、私に協力しますとはっきり宣言されることです。そうすれば、救われる道もついて来るからです。今のままでは救われませんよ)

この辺りの人は、その現象を私のせいにしていますが(もう、どれだけ説明しても分かってもらえない、というか自分たちが悪いとは認めないでしょうから)私のせいであれ誰のせいであれです。

恐ろしい現象が止まらず拍車がかかっているのは事実なのです。(だから、それだけやることが変わっているんですよね)

そうであるなら、どうしたらその現象が止まるのか?その現象が自分に現れないようにするのか?ということをまず第一に考えるべきなのではないでしょうか。

どうしたらよいと思われますか?

警察にいってもダメ(別に犯罪が起きているわけではないのですから)弁護士にいってもダメ(別に何かが原因で揉めてるわけではありませんし)医者にいってもダメ(病気になったのなら医者に行かないとダメですが、そのような病気になりたくないというのですから)もちろん既存の宗教では救われないとすでに分かっているのです。

では、どうされるのですか?

もし、救われたいのであれば道は一つしかないのです。では、その道を進まれるしかないでしょう。

この教えに帰依されてはどうでしょう。それ以外でもう救われる道はないからです。

追伸…これから父の三周忌がありますので、今日のブログはこれくらいにしておきます。

こういうことも、坊さんや寺の金儲けにしかすぎません。こういうことをしているからと死んだ人が救われるわけではないのです。(単にお経を上げているだけなのですから、それでどうして死んだ人が救われるのでしょう。お経の意味お分かりですか?)

生きている人から死んだ人までがです。本当に救われるのはこの教えを勉強し実践することだけなのです。

いつまでも意地を張らずに、少しずつでいいですから、この教えを実践し、私に協力していただけないでしょうか?

そうすれば、この辺りで現れている恐ろしい現象も自分に現れることはないからです。(正しい神の教えを実践すれば自分自身から神の光が出てきます。その光が、そのまま自分の身を守るということになるのです)

どの宗教を実践しても神の光が出てくることはありません。(だから、どのような宗教をやっている人にも恐ろしい神の業が現れているのです。その行いが間違っているからです)この本当の神の教えを実践しないと、自分の体から光は出て来ないのです。

これからは、そのような神の光の防護壁がなければどんな悪いことが起きるか分かりません。正法の世とはそのような時代であるからです。

もう奇跡を現す人もあちこちから出てきています。(これもまた正法の時代に入っているから起きることなのです。よいことも悪いこともより現れる時代が正法の世なのです)

本当のよいことを(法の実践に勝るよいことはありません)少し実践されてはどうでしょう。

そうすれば、本当に救われる道が観えてくるからです。

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2月 15 2016

本当に救われるには

今日も朝から激しくお怒りです。なんかあちらは大変そうですね。(先週からですから)

悪いことが次々に起きているのなら、昨日書いたような名僧、高僧といわれる方々に頼まれたらどうでしょう。

こういう時のための名僧、高僧であるからです。(少々お金はかかるかもしれませんが。〔苦笑〕)

お祓いでも何でもしてもらえばいいのです。そうすれば、その災いも起きなくなると思うからです。

しかし、それをしてもらってもまったく効果がなかった場合、どうでしょう、裁判にでもかけたら。そうしないと化けの皮は剥(は)がれないと思うからです。(今やっている宗教のです)

私がどれだけいっても分からないのでしょう。本当の教えと偽の教えの違いがです。(認めたくないだけかもしれませんが)

なら、それだけ災いが起きて、これだけサイレンもしているのです。(今日もすでに何度か聞こえてきています)もうここまで来たらこれが人の業ではないと誰でも分かります。

人の業ではないのであれば、もうこの現象は物の怪(もののけ)の仕業なのでしょう。(私は物の怪ですか?)

そうであるなら、坊さん連中に頼めばいいのではないでしょうか。物の怪の祟りを鎮めるのは坊さんたちの役目であるからです。普通の人には出来ないことであるからです。

そうして頼むだけ頼んで、ちっともこの現象が収まらないということであれば、今度はその坊さんたちを集団起訴すればいいのです。

看板に偽りが大ありだろうとです。

そうすれば(これはニュースになりますから)多くの人が今の坊さんたちには何の力もないということが分かりますし、今の宗教の意味のなさも分かります。

ぜひやるべきでしょう。そうすれば、私のいっていることの正しさが分かるからです。

でも、まじめな話そうですよね。悪いことが続いた時などお祓いなどされる人は多いと思います。しかし、お祓いをしたにもかかわらずまだ悪いことが続いているようなら、そのお祓いは意味がなかったということになります。

それでは詐欺でしょう。

なんでみんな訴えないのですか?

わずかな金額ならまだしも、高額な金額を取られ、それでも何も効き目がないのであれば医薬品会社なら訴えを起こされます。

そうであるなら、宗教の世界でも訴えを起こしたらいいのではないでしょうか。あまりに現在の宗教界は腐っているからです。

本当の神の心を伝えている人など誰もいないからです。(坊さんと会うのに、高額な金を払わないと会ってももらえないなどまったくおかしな話なのです。坊さんは人を救ってなんぼであるからです。これでは貧乏人は救わないといっているようなものだからです。坊さんが金のあるなしで人を救うか、救わないか、決めているというのですから世も末です)

現在の宗教界に本物はいません。中が腐りきっているからです。(だから、神はわざわざ宗教とは別の世界から悟られた人を出されたのです。〔高橋先生は高電工業という会社の社長です。実業家であったのです〕宗教界にそういう人を出せば、中の慣習に流され正しい法が説けなくなるからです)

それがこれだけ神の業が現れだして、多くの人に分かり始めているのです。現在の宗教に何の力もないということがです。

すでに現在の宗教に人を救う力はありません。だから奇跡も現れないのです。

本当に人を救う力を持った人のところには必ず奇跡が現れます。(それは、釈尊しかり、キリストしかり、モーゼしかりです)

その奇跡は一体誰に現れているのでしょうか?

その奇跡が現れている人こそ、真に人を救うことが出来るのです。

追伸…北朝鮮が拉致問題の再調査の中止を通告してきたそうですね。

元々やっていたかどうかも怪しいのに、盗人猛々しいとはまさにこのことですね。

しかし、押してもダメ、引いてもダメ、こういう国はどうしようもありませんね。アメリカにでも頼んだらどうでしょう。北朝鮮はアメリカばかり見ているように思うからです。

そのアメリカは、大統領の予備選挙が真っ盛りといったところですが、有力候補がずいぶん考えの偏った人が多いとのことですが大丈夫なんでしょうか?

アメリカの大統領にあまりに偏った人がなってしまうと、世界がおかしくなります。

こちらもまた心配ではありますね。(高橋先生はアメリカの没落を予言していますが、こういう偏った人たちが大統領の有力候補だというのですから、そのアメリカの没落を予感させますね。国が没落する時など、やはりこのような非常に偏った考えの人がトップになって国を衰退させていくからです)

日本国内だけでなく、世界においても心配事が山のようにありますが、このような他国のことでもです。

日本に正しい神の教えが拡がり、その教えを学んでいる人たちが祈るのであれば、正しく導かれて行くのです。(例えば、拉致被害者の家族の方々が法を勉強して祈るのであれば、北朝鮮国内などにいろいろな現象が現れ、拉致問題も解決に向かうということです)

すべてに通じるのが本当の神の教えなのです。

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2月 14 2016

誰に布施するのか

昨日の中日新聞に書いてあったのですが、ある大きなお寺の高僧に一般の僧侶が会いに行くには高額な「お気持ち」(献上金)を持参するのが習わしになっているそうです。

そのお気持ちは一万から数十万まで幅広いんですが、中には百万も包んだという人もいるようです。

それにしても、こういう人たちがどれだけ人を救っているというのでしょう。金の問題ではありませんが、皆それなりに苦労して稼いだお金をそれだけ持参しているのです。

それでは、よほど救われる話や行い(祈り)をされなければ割に合わないし、僧侶というのですから、お金など度外視して黙っていても人を救わなければいけないはずなのに、会うだけでそういった高額なお金がかかるとは一体どういう料簡なのでしょう。

どこかの政治家も真っ青ですね。

しかもこのような高僧といわれる人の中で、そういったお金の一部を懐に入れて、個人的に使っていたというのですから話になりません。(それで国税から追徴課税されたそうですがアホですね)

ますます、僧侶としての立場を逸脱していると思いますが、こういうことは他の宗派でも起きているそうです。

別に僧侶なのですから、お布施をもらうことは問題ないでしょう。

だから、お布施をもらうのはいいのですが、そのもらい方と使い道、そうして、そのお布施をもらっただけの行いを(もちろん、僧侶としてのです)しているのか?ということが問題なのです。

いってはいけませんが、そのどれもまともにしていないんじゃないですか?

もし、高僧といわれる人たちが僧侶としての本当の使命を果たしているのであれば、これだけおかしな世の中にはなっていないと思うからです。

また、これだけたくさんの神の業が現れるようにもならなかったと思うからです。

こういう悪いことが次々に起きているのは、僧侶が僧侶としての使命を果たさず、人々をよい方に感化さていないから起きていることであり、このような不幸が多い世の中を幸せが多い世の中に変えることが僧侶としての使命であるはずです。

しかし、ちっともよい世の中が来ないのは、僧侶たちがその使命を果たしていないからです。

だから、そのような人たちに布施するのは間違いであると私は思うのです。

そういう人たちが使命を果たしているのなら、これだけ頑なな人が多いのはおかしいからです。

僧侶たちがしっかり仏の心を世に伝えているのであれば、もっと素直な人が増えて来ないといけないからです。仏の心とはそのようなものであるからです。(素直で愛と慈悲の塊の心を持たれている)

僧侶が自分たちの使命を果たさなかったから(とりあえず名古屋を始めとしたこの辺りではですけど)これほどの現象が現れてきても反省する人がほとんどいないのです。

仏の説かれる教えを知らないから素直さもないからです。

だから、神の業を神の業と理解もしません。神の業を人の業と勘違いしているのですから話にならないでしょう。(それだと相当やばいんですが)

だいたい、僧侶からしてそれを理解していないようで、私に嫌がらせをしてくる僧侶までいるのですから、これもまた話になりませんが、これこそもうまともな僧侶がいない証拠でしょう。

まともな僧侶がいないから、このような時に何をしていいのか分からないのです。

しかし、こういう時にこそ(神の業が数多く現れている時こそ)もっとも僧侶が働かなければいけない時であるのです。

そうではないでしょうか?その神の業を鎮めることが出来るのは、僧侶や神主など神に仕えている人たちだけのはずだからです。(普通の人では無理ですよね)

仮にこの現象が、神の業ではなく私が祈って現していたとしましょう。

それでもです。僧侶であるなら自分たちも祈って、その祈りに対抗しなければいけないし(祈りには祈りでしょう)どのようなやり方をしても(秘儀でも何でもいいですから)この現象を抑えないといけないのです。

このような恐ろしい現象を鎮めるのも僧侶の仕事のうちだからです。(祈りやお祓いは僧侶の仕事ですもんね)

ところが誰一人、そういうことが出来る僧侶はいません。高僧、名僧と(あるいは神と呼ばれる教祖まで)いわれる人は世にたくさんいるはずなのに、私のようなシロウトの(どう考えても私はシロウトですよね、そのような人たちから見たらです)祈り一つ抑えることが出来ないのです。

これでは話にならないでしょう。そういう人たちが高僧、名僧といわれているなどこれ以上片腹痛い話もないわけです。こういう僧侶たちが力を発揮しないといけない時にまったくその力を発揮できないからです。

こういう時に何も出来なければ、先ほど会うだけでお金をもらっている人たちなど、高僧ではなく、詐欺師ということにもなりかねません。

世が乱れ多くの神の業が現れた時に、それを鎮めるのが高僧の使命であるからです。いま現在、その使命を高僧、名僧といわれる人たちは誰も果たしていないからです。

人を救うはずのプロが、その使命を果たさないのです。これでは詐欺師といわれても仕方ないのではないでしょうか。それ以外にいいようがないからです。

こういうところを見ても、この現象を私のせいにするのはお門違いでしょう。坊さんたちが使命を果たせば収まる話であるからです。(陰陽師みたいな人、現代にはいないようです)

もちろん私がこの現象を現しているわけではありませんが、私ならこの現象を抑えることが出来るのです。それは私の周りで次々に起きる奇跡がそれを証明しています。(ということは私が現代の陰陽師ですね。〔笑〕)

私はシロウトに毛が生えた程度の者ではありますが、しかし、それでも悟りを開かれた方々から指導を受け、祈れば奇跡が起き、説いている法を信じれば、その信じて行った人の心に応じた奇跡も現れているのです。

布施をもらってもお経を上げる程度で、世に奇跡を現すどころか、人一人も救えない、そういう人たちをいつまでも信じていて、それでよいのでしょうか?

私はお金をもらっているわけではありませんが(どれだけいってもいただけないものですから。〔苦笑〕)それでも多くの人を救っているのです。

いい加減、どちらに布施すれば救われるのか、お分かりになりませんか?

布施する人を間違えていては、いつまでたっても救われないのです。

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