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2月 13 2016

災いから逃れるには

昨日は(ウナッシーさんからのコメントにも書きましたが)東山動物園に行ってきました。家の前で工事があるといわれていたからです。

東山動物園の動物たちは相変わらず可愛かったです。

いきなりカンガルーが立ちあがって、蹴りあいみたいなことをしてじゃれあっている(テレビでそういう場面を観ることがありますが、実際に見たのは初めてですね。〔笑〕)オットセイや猿は大騒ぎしている、ライオンまでガアーガアー吠えて(わりと可愛らしくですけどね。それでもオスが吠えるのですから迫力満点でした)メスの方など、つるしてある木にじゃれて可愛らしい態度を取っている、あのおとなしいプレリュードックまでが、私が見ていると落ち着きなく騒いでいます。

そうして私が「またな」といってプレリュードックの檻から離れたとたん、なんと、大きな声で鳴きだすものまでいるのですから驚きました。

前に一度、プレリュードックが鳴いたのを聞いたことがありますが、あれだけ大きな声でずっと鳴いていたのは初めてですね。(だいたいプレリュードックなど普段鳴かないでしょう)

檻の中に数匹いたのですが、その中の一匹が、あまりにでかい声で鳴くものですから、またプレリュードックのいる檻に戻りました。さすがにそのまま行くのもかわいそうかなと思ったからです。(戻っても全然鳴きやまなかったですけどね。私が帰りかけたので怒ってしまったようです。〔笑〕)

他にワシなども、私の顔を見てギャーギャー鳴いていたり、コアラなども動き回っていました。

コアラを見ていた時、同じように見ていたある人が「コアラがこれだけ動くのを初めて見た。いつもはおきていても全然動かないのに」といっていましたが、私は逆にコアラがジッとしている場面を見たことがありません。

おきていれば必ず動き回っているのです。(私の方をしょっちゅう見ていますし。そういう場面をもう何度か動画に撮りました)

だから、そういう声を聞いてやはり動物たちは、私が行くと普段とは違う態度を取っているのだな、と改めて思いました。

しかし、こういう哺乳類がこのような可愛いらしい態度を取るというのはまだ分かりますが、なんと爬虫類まで可愛らしい態度を取るのです。

その可愛らしい態度を取った爬虫類とはオオトカゲでした。

私がそのオオトカゲの檻を見に行くともう水の中で大騒ぎをしていました。(あんなに騒いでいるオオトカゲを見たのも初めてですけどね。これまでは檻の中でジッとしていましたから)

他の人も見ているのに、私の前を行ったり来たりして目の前でバシャバシャやっています。

こういう場面も珍しいので動画に撮って、そうして撮るだけ撮ったので、そのオオトカゲにも「またな」と声をかけて行こうとすると、なんと、そのオオトカゲが私が見ている目の前まで上がってきて、腹をピタッと檻につけ、顔を左右に微妙に振っているではないですか、まるでイヤイヤをしているようなのです。

私は「エッ」と思いました。爬虫類までこういう態度を取るとは思わなかったからです。(信じられますか?この理屈で行くと恐竜まで可愛らしい態度を取るということになります。〔恐竜も爬虫類ですから〕凄い奇跡ですね)

もう何度も東山動物園に行っていますので、動物たちが私になついたということもいえますが、それにしてもこれだけの態度を動物たちが一人の者に取るでしょうか?(いくら何でもなつきすぎです。〔笑〕)

どの動物たちも、他の人には見せないような態度を私には取るのです。心が変わる、法を知るとはこのようなことなのです。

法を知って実践すると愛が(心から)あふれ出てくるということです。

動物たちは、その愛に気づいているのでしょう。だから私にはそのような態度を取るのです。(愛には愛で返しているわけです)

しかし、その愛にまったく気づかないのが人間たちなのです。

昨日もひどかったです。

あそこにいる多くの人が(もちろん、来ている人たちだけではなく飼育員から工事の関係者までです)私の顔を見ると何か嫌がらせをしていきました。

それも大人から子供までです。(おまけに帰りの電車の中もひどかったです。前に座っていた爺さんに散々ゴホゴホ、ガハガハやられました。私も辻説法をしたんですが、その爺さんは私の話を聞いても怒っているだけでした)

私は「これだけ誰も神を思おうとせず、神の心を知ろうともせず、調子にのった態度を取り続けていて大丈夫か。もっと恐ろしいことが起きてくるのではないのか」とふと思いました。

あまりに多くの人が無反省であったからです。これほどの神の業が現れいても、その神の業を恐れようともしていなかったからです。(神の業を人のせいにして、ただ怒っているだけなのですから話になりません)

そう思いながら帰ってくると、私の横を通って行ったバスがいきなりブシュっとでかい音を立てて走り去って行きました。

「なんだこいつ、いつもより怒っていないか?」と思い(最近は市バスの連中、ここまででかい音を立てなかったですから)歩いていましたら、また横の道路を通ったバスがブシュとやってきて、運転手の顔を見ると明らかに怒っています。

「こいつら何か起きたんじゃないか?」と思っていると、また横を通ったバスがブシュとやって行きました。

「市バス連中に何か起きたな」と思って家まで帰ってくると、今度はどこかの会社の連中が烈火のごとく怒っています。(ここはしょっちゅうですけど)

私が東山でふと思ったことが現実に起き出しているのではないでしょうか。

今の名古屋の人たちは、聖書などに出てくる神に逆らい滅ぼされる人たちとあまりに似ているからです。(その神を思わない傲慢なふるまい、そっくりです)

私の周りで起きていることは、最初に書いた通りです。(とりあえず動物たちが対象ですが)次々に愛ある奇跡が起きているのです。

では、怒っている人たちの周りではどうなのでしょう?

何が起きているのか知りませんが、この法に従うのであれば、少なくとも災いは起きないでしょう。

愛あるところに災いは起きないからです。怒りやねたみ、ひがみなどがあるところに災いが起きるからです。

自分の周りに、もし災いが起きているとしたら、その災いは自分の(怒りやねたみなどの)心を変えない限り止まらないでしょう。

その災いはすでに多くの人に現れているからです。(ということは、そういう心の持ち主が多いということです)

災いが起きない方法は心に愛を持つこと以外にないのです。心に愛がないから災いが起きているのです。(自分さえ〔あるいは自分たちさえ〕よければいいという偏狭な愛は本当の愛ではありません。だから、そういう人にも災いが起きているのです)

その本当の愛を持つためにはこの法を実践するしかないのです。

実践されてはどうでしょう。それ以外救われる道はないからです。

(災いが次々に起きだしたのなら、もう「お前のせい」といっている場合ではないのです。「助けてください」なのです。その災いから逃れる方法は、この法〔本当の神の教え〕を実践する以外ないからです。いつまで突っ張っているつもりですか?そのままの心では滅ぼされるのです)

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2月 11 2016

歴史に学ぶ

しかし、きいておけばいいのにね。これだけお蔭がある教えなのですから。

昨日、庄内川の帰りに小学生と会いましたが(中学生はまたどこかに消えました)マァ、どいつもこいつも憎たらしい連中ばかりでした。ヘラヘラ笑ってバカにしていく奴もいれば、足をすって音を立てていくのもいます。

大人をこれだけバカにしているのですから、もうどういう悪いことが起きても自業自得ということで了解願えるでしょう。

こういう嫌がらせを続けているのなら、普通であっても天罰はくだると思うからです。(それでもこの連中、悪いことが起きたら私のせいにしますが)

こういうバカ小学生と同じような人がこの辺りは多いのですが、しかし、キリストが「預言者は自分の故郷では歓迎されないものである」といわれた意味をヒシヒシと感じますね。

キリスト同様私も、地元ではまったく歓迎されていないからです。

キリストは自分の故郷であるナザレで一つの奇跡も現しませんでした。歓迎されていないことが分かっていたからです。

ナザレでキリストが教えを説かれても「あれはヨセフ〔キリストの父〕の子ではないか」「大工のせがれが何をいっているのか」(ヨセフは大工であり、キリストも若い頃は、その父の大工の仕事を手伝っていたからです)とバカにして、誰も真剣にキリストの教えを聞こうとしなかったのです。

故郷の人たちは小さな頃からキリストを知っていたからです。その若い頃のキリストのままであるとナザレの人たちは思っていたからです。

しかし、再びナザレに現れたキリストは過去の人とは違っていました。

すでに悟りを開かれ、多くの奇跡を現す救世主となっていたのです。

しかし、ナザレの人たちは(そのキリストの評判は聞いていましたが)それを認めませんでした。キリストの姿かたちしか見ていなかったからです。誰もキリストの心を観ようとはしなかったのです。

そのためキリストはナザレでは一つの奇跡も現すことはしませんでした。

現したところで、その奇跡を素直に感謝する人などナザレにはいなかったからです。下手に奇跡を現すなら、その奇跡をおかしく思うか(何か手品でもやっているのではないのかとです)あるいは、その奇跡をねたんだりひがんだりして、かえってその者たちの心を曇らせると思われたからです。

そのキリストの気持ちが今の私には痛いほど分かります。キリストがナザレでされたことと同じことを地元名古屋の人たちはしているからです。(まさに歴史は繰り返すですね)

ナザレの人たちが、もし、キリストが変わられていることに気づいて尊敬していたのなら、キリストはナザレでも多くの奇跡を現されたでしょう。

しかし、ナザレの人たちは誰一人キリストを敬おうとせず、昔のままのキリストでしかないと思い込んで、キリストの話を真剣に聞かなかったのです。

その結果、ナザレで奇跡が現れることはありませんでした。

この頃のナザレでも多くの病人がいたと思いますが、そのような人たちは誰一人救われることはなかったのです。

キリストの奇跡をまじかで見られ、その奇跡を自分たちの体を通して知ることが出来る、これほどの心が向上するチャンスはなかったのですが、そのようなチャンスをナザレの人たちはみすみす逃したのです。

本当に哀れなものですが(そんなチャンスはもういつあるか分からないからです。もちろん永い輪廻転生の間でもです)そのような哀れなナザレの人たちと、この辺りの人たちは同じことをしているのです。

私のいうことを真剣に聞き、心を変えるのであれば誰にでも奇跡は起きるのです。

しかし、この辺りの人たちは私の話を真剣に聞こうとしません。(このブログを読んでいる人は多いようですが)逆に「何をいっとるか」と逆らっているのです。

だから、災いが起きるのです。このブログに書かれていることは、釈尊が説かれた正法、キリストが説かれた福音と同じことが書かれてあるからです。(お蔭がこれだけ現れるのがそのよい証拠です。ここに書いたことを実践している人に奇跡が起きているのですから、その反対のことをするなら当然災いが起きるでしょう)

どれだけ不幸が起きたら、ここに書いたことに従うのですか?もう自分たちが間違っていることは明白であるのにです。

歴史は繰り返すといいますが、まさに現代の日本で二千年前のイスラエルで起きていたことと同じことが起きているのです。

いつまで同じ間違いを続けるのでしょう。同じ間違いを繰り返すのではなく、歴史からは学ばないといけないのです。

歴史から学ぶのであれば、本当の神の奇跡が起きるようになります。

せっかく本物の神の教えが日本に出現したのです。それを(読んでいるのに)きかないでいるなど、これほどもったいない話もありません。

法に従われてはどうでしょう。そうすれば、神の奇跡は誰にでも現れるからです。

追伸…昨日に引き続きもう少し政治のことを書きますが、議員定数の削減が2020年以降まで先延ばしされるそうですね。(まだ決定ではありませんが、自民党がそれをいいだしているのですから、ほぼ決まりでしょう)

野党は反発しているようですが三味線(しゃみせん)を弾(ひ)いているだけでしょう。心ではホッとしている人が多いのではないでしょうか。(特に民主党などはです。だいたいゼロ増五減の時でもあれだけ反対していたのです。それが定数を十も削減するなど考えられないでしょう。本当に三味線もいいとこです。〔笑〕)

しかし、有権者は引きますよね。

政治家は倫理が欠如した人とか、自分の保身しか考えていない人たちばかりなのかと思えてです。

こういう身を切る改革を後回しにばかりしているから、政治家は口だけだと思われてしまうのです。

政治家が有権者からさげすんで見られるようになったら終わりです。

もう少し身を切る改革の方も進めていただけないでしょうか。そういうことも出来て、初めて有権者は政治家を信用するからです。

政治家一人一人が奇跡を起こすようになれば、議員など少なくてすみます。(奇跡を起こせるような心になれば、一人の政治家が二倍三倍の働きをするようになるからです)

政治家の方々も少しは法を実践されてはどうでしょうか。そうすれば、様々な奇跡が起きてくるからです。

巷では奇跡を起こす人がたくさん出て来ています。

それなのに政治家が誰も奇跡を起こせないでは、ますます信用はなくなりますね。(笑)

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2月 10 2016

神の心を知る

東京都の南鳥島付近の海底五千五百メートルを超える辺りに、レアメタルやレアアースを含む「コバルトリッチクラスト」が広がっているのが確認されたそうですね。

この発見で資源の少ない日本が、もしかすると資源大国に変わるかもしれないとの期待が高まっているそうですが、こういうことが起きるのです。

法を実践する人が増えるとです。

これは偶然ではなく必然です。日本に法を実践する人が増えてきたので天からこのような導きがあったのです。これも一つの奇跡なのです。

このまま日本に法を実践する人が増えていくなら、海底深くにあるコバルトリッチクラストとはいえ、コストのかからない簡単な方法で取り出す技術が確立されますし(それも天の導きです。使命のある人に天啓を与えるのです)もし、法を実践する人が興味本位のような形で、今だけやる人が増えただけであとが続かなかったら、そのような技術が確立されることはないでしょう。(つまりそれでは、このような大発見も絵に描いた餅にしかならないということです。海底からコバルトリッチクラストを引き上げるのに、時間やコストがかかりすぎては何もならないからです。どれだけよいものでも単価が高すぎては売れないからです)

このような奇跡を現すも現さないも(生かすも殺すも)法を実践する人がこれから増えるかどうか、その一点にかかっているのです。

多くの人が法を実践する大事さが少しはお分かりいただけるでしょうか?

法を実践する人が増えれば増えるだけ大きな奇跡が現れてくるということです。

それに引き換え、法に逆らっている人たちはどうでしょう。どうやってもいいことは起きて来ないのです。

この辺りの人たちはもちろんですが、あの育休を主張している国会議員でもそうです。

今度は不倫疑惑が持ち上がったそうですね。(疑惑というか、本人も認めているそうですが)

これでは育児休暇がほしいのは、育児のためではなく不倫がしたいためではないかと思われてしまいます。もう育休の申し出は取り下げた方がいいのではないでしょうか。

こういう議員が何をいっても、もう誰も信用しないからです。(だいたい、男が育休を取るなどまず何か下心がありますね。〔さぼりたいとか、遊びたいとかです〕男がまじめに育休などするわけがないからです。本来の男の仕事ではないのですからまじめにやるわけないのです)

こういう順序をもらうのです。男の役割や女の役割を壊すようなことをするとです。

だから間違った政策を進めてはいけないのです。現に間違った政策を進めた与党の議員(自民党)から、このような倫理観の欠如した議員が出ているのです。

男の育休を促す政策など間違っていたからです。だから、与党に災いが現れたのです。

このように誰であろうと間違ったことをすれば災いが起こり、よいことをすれば(この前、総理が反省された時などそうですが)奇跡が起きるのです。それは政府や与党といえども同じなのです。

神の心に逆らえば、その分だけ気づきの現象は現れるのです。

だから、誰であろうと法の勉強はしないといけないのです。(特に偉い方であればあるほどです。そのような方々は多くの人に影響を与えるからです)今の常識は、神の心から遠く離れたものも多々あるからです。

どうでしょう。政府与党の方々、この教えを国教とされたらです。そうすれば日本中に奇跡が起きてくるからです。

そういう点から見ても憲法改正は必要ですね。だって現在の日本は信教の自由を認めていますので、この国教制度はありません。

そのせいで、おかしな宗教に騙され、多くの人がこの世で地獄を味わい、そうして死んでからも今度は本当の地獄に堕ちて行かなければいけないのです。

国教制度が出来れば(そうして、この教えを国教としてくだされば)そのような多くの人々を救うことが出来ます。(というか、日本のほぼ全員の人が騙されているのです。だって本当の神の教えは私が説いているこの法だけだからです)

憲法改正はこの法を基準にされたらどうでしょう。そうすれば、日本の多くの人が本当の幸せを手に入れることが出来るからです。

とにかくです。何でも平等、何でも自由ではありません。

男と女は姿かたちが違い、考えも能力も違っているのですから、やることも当然違うのです。そうして、自由でもそうです。何でも好き勝手にやる、そんな秩序のない自由など悪でしかないのです。

悪平等論に悪自由論、現在の世の中は悪いことが渦巻いています。だからこれだけ天罰が現れているのです。

世はすでに、正法の世と変わっています。

もう神の心からあまりに離れた考えの人には災いが起きる時代となったのです。(そうして、近ければ近いほど奇跡が起きます)

だからこそ神の心を知らないといけないのです。

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2月 09 2016

やれば天国、やらねば地獄

昨日は金山に行ったのですが相変わらずでした。(苦笑)

今日も朝からやたら怒っているのがいるし(どこかの会社に来ている業者とかです)いいことが起きていない人が多いんでしょうね、きっと。本当に哀れな人たちです。

そういう人たちのお蔭でこちらまでいいこと起きません。(何せ、八つ当たりされますので)

自分の周りだけではなく、未だにこれだけサイレンが聞きこえて来るのです。(今日も朝から何度も聞こえています)

これを全部、私のせいにしているのは気違い沙汰としか思えません。(究極の責任転嫁です)このような現象を人のせいにしている暇があるなら、自分自身を反省されてはどうでしょう。

その方がよほどよいことが起きるからです。

現に私のいうことを(一部でも)聞いている人たちには奇跡が起きているのです。(昨日もそうでしたが、最近は海外でも日本の選手があちこちで優勝しています。奇跡が起き続けていませんか?)

災いが起きている人たちは、私のいうことを知らないか(法を知らないか)逆らうかしている人たちばかりなのです。

これだけ違いがあるのですから、私のいうことを聞いた方がいいのではないでしょうか?私のいうことを聞いている人には、少なくとも奇跡が起きているのは事実であるからです。

もったいない話ですよね。私のいう通りに心を変えれば奇跡が起きるのです。それを無視しているのですから、これ以上もったいない話もないわけです。

私がいう通りに心を変えれば、例えば、入りたい学校に入れるかもしれないし、仕事の業績が上向くかもしれない。これまでうまく出来なかった仕事がうまく出来るようになるかもしれない。

このような、これまで出来なかったことが出来るようになるかもしれないのです。

というか、法を実践するならこれまで出来なかったことが出来るようになるのですから、このようなことはすべて実現可能でしょう。

そういうことをやった人はいくらでもいるからです。

神がかり的な活躍をしている人たちもそうですが、久しぶりによい結果が出たという人もいる。一日かかる仕事が半日で出来たという人もいる。(しかも普段よりもよい仕上がりでです)末期癌の痛みがとれて安らかに逝かれたという人までいるのです。

つまり、この教えを実践すれば、奇跡的な仕事が出来るだけではなく、死まで安らかに逝けるというのですから、これ以上のよいことはないわけです。(だって苦しんで死ぬのも嫌ですもんね)

人は必ず死にます。そうであるなら、その死ぬ時までよいことが起きるというのですから、本当に至れり尽くせりです。

何でこれ以上よいことをしようとしないのでしょう?本当に不思議ですね。

それにその死に対してもです。いつまでも死ぬのが怖い、死ぬのが怖い、では話にならないでしょう。

すべての人が死ぬからです。

人は必ず死ぬのに、それをビビっているというのもまたおかしな話です。死とは自然の摂理(せつり)であるからです。

死は、どんな人であろうと逃れられないのです。

しかし、これまでは、その死のことをタブー視して出来るだけいうのを(考えるのを)避けてきたのです。

何ですべての人に起こることを避けているのでしょう?避けていれば死から逃れられるとでもいうのでしょうか?

そんなわけがありません。どれだけ避けても死から逃れる術はないのです。

そうであるなら、逆にもっと死の話をしないといけないのではないでしょうか?死はすべての人に必ず訪れることであるからです。(これまでは変に死の話を避けてきたからよけい怖いのです。分からない方が恐怖感が増すからです)

なんでも、よく勉強しないとけない、もっと知らないといけないというくせに、死だけは誰もそうはいわないのですね。避けているだけです。

しかし、そうではないのです。もっと死のことを勉強しないといけないのです。

そうすれば死への恐怖も段々薄れてくるからです。

その死の話まで、この教えを知るならば理解することが出来るのです。死んだ後のあの世の生活まで教えてくれるからです。(それが嘘ではないという証拠が次々に起きる奇跡です)

そこまで分かると、今度は死ぬのも待ち遠しいということにもなります。(違う環境で〔今度は意識界で〕また心の勉強が出来るからです)

とにかく、この世のことからあの世のことまで、そうして、この世で奇跡を起こす方法まで分かるのです。

何度もいいますが、これ以上よいことはないのではないでしょうか。

それに祈りを覚えるなら、自分で奇跡を起こすことも出来るのです。私が祈って起きた奇跡をこのブログの中にいろいろ書いていますが、こういうことは誰でも出来るからです。

心がきれいになり、その祈りが高い世界に届くのであれば、様々な奇跡がこの世に現れることになります。

何かやる前には、必ず、天に祈りそうしてやる方がいいのです。その祈りが正しければ、そのやることが予想以上によい方に導かれることになるからです。(同じことをするにも、やる前に祈るのと祈らないのとでは結果が全然違います。これは自分で試してみるとよいでしょう。祈ってやると何かいいことが起きるからです)

もうこの教えを実践されることのよいことはいくらでもあります。書ききれないくらいですし、逆に、この教えに逆らうことの弊害ももうどれだけ書いたか分からないのです。

どれだけお経を上げようが、どれだけよいといわれるパワースポットに行こうが、これだけ奇跡が起きることはないのです。(そうですよね。どっかいって何か奇跡が起きました?)

どこにいようが、この教えを少し実践し、心を変えるだけで次々に奇跡が起きているのです。

やれば天国、やらなければ地獄、まさにその通りの世界が現れています。

何で多くの人が、それを分かっているのに無視しているのでしょう。

本当にもったいない話ですね。

(この教えを実践すれば自分の能力が何倍にもなるのです。何でやらないのですか?)

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2月 08 2016

法を知る人の重大な使命

北朝鮮のミサイルが発射されました。

沖縄を直撃したそうですが…間違えました(縁起でもない)沖縄上空を通過したそうですが、ちょうど今頃の沖縄はプロ野球キャンプの真っ最中で多くの人が行っています。

そういう人たちは大丈夫だったんでしょうか?(プロ野球選手も、さすがにミサイルが飛んで来ては打ち返せないでしょうから)

よりにもよって休日に、しかも時期を早める予告をしてすぐぶっ放すんですから、相変わらず北朝鮮は抜け目がありません。(世界が四の五のいっている間にやってしまうんですから)

どこの国が何をいってもやるのですから、どうしようもありませんね。

そういう危ない国がすぐ近くにあるのに、日本の人々が神から遠い人ばかりというのは本当に危ない話です。(それでは神に守ってもらえないですからね)

しかも、これから日本はもちろんのことあちこちの国が北朝鮮に制裁を科すことになります。そうなれば危ない国がよけい危なくなるでしょう。

とはいえ、やらないわけにはいかないのですから、私たち日本人は日本の横にある北朝鮮は、いつ爆発してもおかしくない時限爆弾のようなものだということを忘れてはならないのです。(いつ暴発するか分からないし、いつ崩壊するか分かりません。暴発すればミサイルが飛んでくるかもしれないし、崩壊すれば北朝鮮の難民が押し寄せてきます。どちらにしても大変です)

こういう国が横にあって、それで他国との話し合いだけでどうにかなるとでも思っているのでしょうか?

なるわけがありません。それでなんとかなるなら、中東などあれほどの戦争を起こしていないと思うからです。

このような問題など、人の力だけではどうにもならないのです。こういう時こそ神の力を借りなければいけないのです。

神の力を借りるのであれば、調和と安らぎのうちに(あちこちに現象が現れ)よい方へと導かれていくからです。(つまり神の力を借りるなら最悪の戦争などにはならないということです。こういう時に神の力を借りないから、あちこちで戦争になっているのです)

それが出来るだけの教えが日本にあるというのに誰もやろうとしません。まったくもって不幸な話です。

日本の人々が、この教えを勉強し世界に広めようとしないから、世界中で不幸が起きているのです。

北朝鮮などでも、多くの人が法を知って祈るならばどうとでもなるのです。多くの人が法を知り祈るのであれば、多くの奇跡が現れるからです。(それは日本に現れている現象を知るならば分かるはずです)

法を知っている人たちがやろうとしなければ、何一つ世界は変わらず、今のような危ない状況が続きます。(というか、段々危なさが増していますが)

昨日も書きましたが、法を実践すれば天国、しなければ地獄です。

法を知っている人の使命は重大であるといわざるを得ません。

このブログを読んでいる人たちは(法を知った人たちは)その自覚があまりにないのです。

(何度もいいますが、法を知ったということは大きな使命を得たということなのです。どんな使命でも結構です。少しでいいですから果たしていただけないでしょうか?その使命をです。法を知った人たちが少しでも動くなら、その動いた分だけ平和になるからです)

追伸…最近関東で大きな地震が続いています。(震度4クラスの)

東京かどこかの人たちで、私のいっていることにケチをつけている人がいるそうですね。(天がいっていました。だから起きているのです。地震がです)

あまりそのようなことはいわない方がいいでしょう。そういうことをいっていると、こちらの人たちに起きていることと同じことがその人にも起きるからです。(そういうことをいっている人がこちらには多いのです。だから不幸になる人がたくさんいるのです。いっていることが間違って〔神を汚して〕いるからです)

私がいっている通り、反原発の施設(風力発電)がある茨木などは相変わらず地震が多いのではないでしょうか。

それに原発を動かした鹿児島などの異常な異常気象も収まっています。(この前、桜島が噴火しましたが単発で終わりそうですし)

それほど間違ったことはいっていないと思うのですが、そこはどうなんでしょう。

とにかく法の流布のじゃまだけはおやめください。(私のいうことにケチをつけるということは、法の流布のじゃまをしているのと同じことですから)

私など相手にしなければいいのです。特別、そのような人とかかわりを持とうとは私も思わないからです。

とりあえず、私のいうことにケチをつけるのだけはやめてください。

それがあなたのためでもあるし、日本のため、世界のためでもあるからです。

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