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11月 13 2015

縁起の悪い話ですが…

そういえば名古屋に二つ目の火葬場が出来たそうです。(名古屋第二斎場)

いきなり縁起の悪い話ですが、多分これからこの火葬場が重要になって来ると思います。だから書くのです。

これまで名古屋の火葬場は八事斎場(名古屋市天白区)一つでしたので、この辺りの人が亡くなると八事まで行っていました。(この辺りから車で四~五十分はかかります)

それに火葬場が一つしかないので、いつも混んでいてずいぶん時間もかかり待たされていたのです。

しかし、第二斎場(南陽町火葬場)が出来たので、その分すくでしょうし、この辺りから車で二十分くらいで行ける距離ですので、この辺りの人たちは(場所も近くなって)非常に助かるのではないでしょうか。(私が、いつも休憩している庄内川の南陽大橋を渡ってすぐの辺りらしいので本当に近くです。それも何かの縁かもしれません……?)

なぜ、火葬場の話を最初に書いたのかといえばです。

昨日は白鳥公園に午後から行ったのですが、横の堀川に数十羽のカモメが来ていました。私の顔を見ると(というか、声を聞いてのようでしたが)こちらに飛んで来て私の頭上をグルグル飛び回り嬉しそうでした。

私も、そのカモメたちに「お前ら久しぶりだな」と声をかけていましたが、また、たくさんの水鳥がやって来る、そのような季節となりました。魚がやばいです。(かなり堀川には魚がいますから。三日、四日前にもたくさんの魚たちが水面に上がってきていました。それを私は動画に撮っていましたから)

その帰りのことです。

帰り道はずいぶん雰囲気が変わっていました。下校途中の中学生も何もやっていきません。何か態度が固いし顔が引きつっているのもいるようです。(「お前は一柳か」と突っ込みたくなりました。同じような態度だったからです)

こちらに近づいて来ない中学生もいました。

これまでなら私の顔を見ると、わざわざ近づいてきてちょっかいをかけていく中学生ばかりでした。すれ違う中学生も何かしていくし、それで言い争いになると必ずこの連中は私をバカにしていたのです。(それは中学生だけではなく、小学生や高校生も同じですけどね)

しかし、昨日は違いました。皆おとなしかったのです。

これは三日、四日前に白鳥公園に行った帰りにも感じたことでした。(同じ道を通りましたから)最近は何か様子が違うのです。(白鳥公園の帰り道ではということですが。他の場所では変わらないところもありますが)

それに団地の横や工事現場の横を通っても妙に静かなのです。

これまでは、そういう場所を通るとかなりうるさくやられました。もう、私が工事現場の横など通ったらガンガンやってきますし、団地やマンションでも誰か彼かでかい音を立てる人がいました。

私が歩いていることはすぐに分かるからです。(鳥が騒ぐか人が騒ぐかするからです)

しかし、最近は妙に静かなところが何ヶ所もあるのです。

そうかと思うとやたら怒っている人もいます。昨日でもあるマンションの横を通ったら一人凄い勢いでベランダに出てきたオバちゃんがいました。(ガチャンとかでかい音を立ててです)

やっていることが極端なのです。(こういう態度は近所でも取られています。だから分かるのですが、あちこちで相当現れだしているようです。恐ろしい現象がです)

その凄い勢いでベランダに出てきたオバちゃんは、出てくると干してあった洗濯物をガチャガチャでかい音を立てながら取っていました。怒り心頭といった感じです。

だから、そのオバちゃんにいってやりました。

「こちらがどれだけいっても嫌がらせをやめようとせず、そうして、そのままだと癌になっても知らないぞ、と警告までしているのに、こちらのいうことなど聞こうともしない。平気で嫌がらせをし続けていて、そうして何か起きたらこちらのせい。勝手なもんだな。悪いことをしているのはそっちじゃないか。何で自分たちがしている悪いことは一つも認めようとせず、起きてきた悪いことを皆こちらのせいにしているんだ。それではその程度では済まないぞ。滅ぼされるぞ」

とです。このマンションの多くの人が私が通ると嫌がらせをしていたからです。

こちらのいうことなど全然聞かないくせに、何か悪いことが起きるとこちらのせいにして怒っています。

自分たちは、その前に散々私に嫌がらせをしていたくせにです。

こういう連中は、仮に直接私に嫌がらせをしていなくても、私の噂を聞いてその噂を真に受け、私を悪人に仕立て上げて散々悪口をいっているのでしょう。

そのようなことも悪いことなのです。

そういう悪いことをし続けていれば悪いことは起きてくるのであって、しかし、それは自分が悪いことをし続けている天罰でしかないのであって、私のせいではありません。

しかし、この辺りの人たちは自分たちのしている悪いことは一切無視して、その悪事のせいで起きてきた天罰まで私のせいにしているのです。

これではこの辺り、どれくらい多くの人が天罰を受けるか知れません。

だから私は第二斎場が出来てよかったといったのです。あそこが出来ていなければ八事だけでは、静岡ではありませんが、それこそ火葬場が三日待ちなどということも起きてくるからです。

この辺りの人たちを見ていると、それくらい多くの人がこの辺りだけでも、これから凄い勢いで天罰で亡くなるのではないかと思えて仕方ないからです。

縁起の悪い話ですが、だからこの辺りから近いところに火葬場が出来たのではないか、これも天の導きではないかとも思えてしまうのです。

それくらいこの辺りの人たちは心と行いが悪いからです。

最近は毎日ブログを書いていますが、なぜだかお分かりですか?

前の会社が予想以上に静かだからです。というより、最初はうるさくしているのですが、急に静かになったり(ということは、途中で何か起きたということです)最初からあまりうるさくなかったりするからです。(ということは、よほど何か起きているということです)

もう毎日のように(それも一日に複数回)何か現象が現れているようです。

いつまでも自分たちの罪を認めず、私のいうことを一切聞かず、私を大悪人に仕立て上げ嫌がらせを続けているのですか?

そのような大きな間違いをし続けているがため、もしかしたらです。

この辺り、大変恐ろしい現象がこれから次々に現れだすかもしれないのにです。

(いま起きている現象は始まりにしかすぎません。〔だってまだ始まったばかりですもんね〕この辺りの誰も、どうしても考えを変えないというのであれば、この現象はもっと激しく現れだすでしょう。それでも反省はされないのですか?)

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11月 12 2015

神の命

昨日は庄内川に行ったのですが、少し早めに庄内川から出て高畑にあるエイデンに蛍光灯を買いに行きました。

そうしたらです。一柳の中学生があちこちにたくさんいました。みな、下校途中であったようです。(行く場所が違うとこうも違うものでしょうか。よけい、いつもの道の誰もいない異様さが分かります)

「何だ中学生一杯いるじゃないか」と思い歩いていると、どうも顔を引きつらせている生徒が多いようです。

しかし、それでも嫌がらせをやってくるのはやってきます。

「オイオイ、悪いのはお前らだろう」と、そのやってきた連中を祈り始めるのですが、するとこれまでは私が祈り始めるとヘラヘラ笑っていた連中が、顔をこわばらせたり逃げだす者もいます。

ずいぶん態度が変わりました。やはり何か起き出したようです。

それでも嫌がらせをやってくるのですから、私が悪いと思いこんでいる者たちの心を変えることは、そう簡単には出来ないようです。

これでは、口でいくらそのような考えは間違いだといっても、それを素直に聞く者など一人もいないでしょう。

では、考えを変えてもらうまで現象を現し続けるしか(祈り続けるしか)ありません。それ以外、考えを変えてもらえる方法はないからです。

小学生や中学生でもこうなのです。では大人がいうだけで考えを変えてくれるでしょうか?

百パーセント無理ですね。こうも間違った考えが流布されていてはです。(逆に、それは違うと思っている人がいたとしても、自分だけが間違いだとはいえないでしょう。そんなことをいえば、私同様、皆からつまはじきあいます。堂々と「間違っているのはあなたたちだ」といえる勇気のある人はいないでしょう。〔笑〕)

しかし、考えを変えてもらわなければ、どちらにしても、この者たちは滅ぼされるのです。大きな間違いをこの者たちはしているからです。

この世にあるすべての物はすべて神につくられたのです。その全知全能の神を日本の人々は堂々と否定しているのです。

どうして、いつまでもそのような愚かな考えを持っている人たちを神がそのままにしておくでしょう。(これが大きな間違いなのです。では、どうやってこの地球はつくられたのですか?その地球にある水や空気は誰がつくったのですか?こういうものが勝手につくられたというのですから、日本の人々はおかしな宗教を信じているのと同なのじです。おかしな〔科学という名の間違った〕宗教を信じているのですから愚かです)

いつまでたっても、神の存在を悟ろうとしない人々は遅かれ早かれ滅ぼされるのです。その警告が東日本大震災であったのです。

しかし、その東日本大震災が起きても日本の人々は神を悟らなかったのです。(誰も神に手を合わせるようなことはしませんでした。東日本大震災の気づきが絆程度では話になりません)

千年に一度といわれるくらいの大災害が起きたのです。

もう神が(天が)よほど自分たちの悪に怒っていると悟らなければいけなかったのに、自分たちの心の悪さは少しも反省せず、その原因をすべて責任転嫁して(原発のせいやら、天変地変は勝手に起きることだから仕方ないとかです)怒っているのです。

そうして、その後、明らかに天変地変の激しさが増しているのに、これも温暖化のせいにして(それとこの東日本大震災の後遺症のせいです)自分たちは何一つ悪くない、悪いのはすべて周りであると、まったく反省しようとしないのです。

こういう人たちを神がいつまでも許しておかれると思いますか?

第三者(神を思う者)から見れば、日本の人々は神にさえ頭を下げようとしない傲慢不遜そのものであり、もういつ神に滅ぼされてもおかしくはないのです。

だから、恐ろしい現象が現れ始めたのですが、今度はそれをたった一人の者のせいにして、その者に怒って、よってたかって嫌がらせをしているというのですから、愚かさもここに極まりでしょう。

だから起き始めたのです。私のいった通りのことがです。(これからたくさんの人が癌になるといっておきましたが、その通りのことが起き始めたのではないでしょうか)

もう神が(天が)そのような愚かな人たちを次々に天に引き上げ始めたのです。

そのような人々があまりに愚かだったからです。自分たちの傲慢不遜をまったく悟らず、その反省もせず、この世の栄耀栄華ばかり求めていたからです。

だから、これから多くの人があの世に引き上げられることになりますが、では、このような傲慢不遜な(自分が悪いと理解不能な)人々をどうすれば救うことが出来るのでしょう?

このような人々が口でいっただけで分かるでしょうか?

分かるわけがありません。

では、奇跡が起きれば分かるのでしょうか?

どのような奇跡が起きてもこの人たちは神の心など理解しないでしょう。

なぜなら、どんな奇跡よりもよほど金儲けの方が大事であるからです。

このままでは、この愚かな人たちは全員滅ぼされるのです。

では、どうすればよいのでしょうか?

ほっておけばよい、と私なら思いますが(苦笑)神は(天は)そのような考えはお持ちでないようです。そのような者たちでも救えといわれているようです。(本当にむちゃくちゃな話です)

だからやっているのです。何も聞こうとしない愚かな人たちに何度も何度も同じことをいい、恐ろしい現象を現し、奇跡を現し、そうしてまた何度も同じことをいっているのです。

それが神の命であり心であるからです。

私が、神の命をきいているからいった通りのことが起きているのですが、そういういった通りのことが起きていても、それでもこの者たちは私の話を聞こうとはしないのです。逆らい続けているのです。(本当に哀れです)

しかし、天の思いを知っている者が肉体を持っているから、そのようなことを教えてもらえるのであり(口でいってもらえるのであり)天の思いを知らない者たちばかりなら、いきなり恐ろしい現象が現れたら訳が分からなくなります。(そうなりますよね。肉体から発する言葉など天は発してくれないからです。悪いことをし続けているならいきなり天罰です)

次々に恐ろしい現象が現れてきて、その意味が理解できるのでしょうか?

それは天変地変だけでなく、いきなり癌など多発しだしたら、その意味が分かる人がいますか?

こういうことがいきなり起きても対処出来る人はいないはずです。

しかし、天の思いが分かる人がいるから対処できるのです。(心を変えればこのような現象は収まりますとです)

このような恐ろしい現象は、どれだけ私のせいにしたところでいずれ起きてくるのです。皆さん方の心が悪いからです。それは静岡を知れば分かるのではないでしょうか。(火葬場が三日待ち)

もう恐ろしい現象は日本中で起きているのです。(サイレンはそこらじゅうで聞こえてきています)

私のいっていることが正しいということは、起きる奇跡でも、そうして、いった通りのことが起きてくる現象でも証明されています。(ということは皆さんが間違っているということです)

また、そのようなことをすべて私のせいにしていますが、もし私がいなかったら、この起きて来た現象の意味も分からず、収める方法も分らないのです。天の声を聞ける人がいないからです。

いつまで責任転嫁を続けるつもりですか?

そういうことをしている限り救われることはないのです。

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11月 11 2015

神の力

昨日は久しぶりに金山に行きましたが、相変わらず人の顔を見て嫌がらせをする人が多かったです。(苦笑)

いつまで責任転嫁しているのでしょう。ずいぶん起きてくる現象が変わっているのにです。

「お前が悪い」「お前が悪い」といくら私に嫌がらせをしたところで、このような恐ろし現象ばかり起きる世の中になったのは、そのような私に責任を押しつけている人たちのせいなのです。

だからそのような人たちが不幸になっているのでしょう。(私には奇跡ばかり起きているのですが…)

そのような人たちがいつまでも神を思おうとしないから、このような恐ろしい現象が次々に起きるようになったのであり、私が祈るからこのような世の中になったのではありません。

祈りでそんなことが出来るなら、とっくに高橋先生でも園頭先生でもそのような祈りをされていたはずです。(こういうことが起きた方がよほど法が注目されるからです。現に今がそうです)高橋先生や園頭先生が出来られなかったことが、何で私が祈って出来るのでしょう。(これ以上の私がやっていないという証拠もありません)

このようなことは時代が変わったから起きているのです。正法の世となり、いつまでも神を思おうとしない多くの人の心が、このような恐ろしい現象を現しているのです。

いつまで、そのような自分たちの罪を(しかも大きなです)人のせいにしているのでしょうか。だからよいことが起きないのです。(というか、恐ろしい現象しか現れないのです)

だから、誰かがやるしかないのです。この日本の改革をです。(詳しくいうなら日本人の心の改革をです)

やらなければ、もっと多くの人が不幸になるからです。

しかし、心の改革は法を知っている者しか出来ません。だから私がやっているのです。(泣く泣くです)

小学生や中学生に災いを現して、一体何が面白いのでしょう。人が病気になって何が楽しいのでしょう。何一つ面白くも楽しくもないのです。

それどころか皆の恨みつらみを買うだけでこちらはつらいだけなのです。

しかし、そのようなことでも起きないと、日本の誰も気がつかないのです。神のことをです。

誰も気づこうと知なければ、いずれ日本は滅ぼされるのです。

そうであるならやるしかないのです。このままではもっと大きな不幸が待っているからです。

口でどれだけいっても、また偉大な方々が現れて、どれだけ奇跡を起こし、癒しを行っても、それでも気づこうとはしないのです。

ではあとは不幸な現象を現すしか気づく方法はないのではないでしょうか。だから天がそのような不幸な現象を頻繁に現すようになったのです。

あまりに自分本位の人が多かったからです。(きれいごとをいっていても〔やっていても〕誰も気づかないのです。これまでも散々神の奇跡は現れていたのに、気づかなかったのはあなたたちの方ではありませんか)

しかし、そのような現象が現れたお蔭で、皆やっと神の存在に、神の力に気づき始めたのです。

では、もっと神に気づいてもらわねばなりません。私たちは神を一としないといけないからです。

例えば、スポーツ選手などそうです。神を一とし、神の力を借りるのならもっともっとよい成績が残せるのです。(こちらはドーピングとは違い健全ですね。〔笑〕)

どんなスポーツをするにせよ、まず神に感謝してからされることです。

そうして例えば野球選手ならボールに感謝することです。投げる時も、そうしてピッチャーが投げたボールをバッターが打ちに行く時も、そうしてそのバッターが打った球を野手が取りに行く時も、そのボールに対する感謝の心を忘れないことです。

ボールに対し決して、この野郎というケンカ腰ではいかないことです。感謝する心、調和する心が一番神の力が現れるからです。

そうすれば、打つ方も投げる方も、そうして守備さえももっとうまくなるのです。

これはすでに、そのような心でやって成績を上げた選手がいますから、嘘ではないとみな知っているはずです。では、そのような心に徹底的なるべきでしょう。

そのような感謝する心が強ければ強いほど、神の偉大な力は大きく現れてくるからです。

これは野球選手だけに限りません。ボールを扱うスポーツはみな同じです。サッカー選手なら、そのサッカーボールを感謝して蹴ることです。決して、この野郎と怒りの心で蹴らないことです。

怒りの心では神の力は現れないからです。(だから、そのような感謝の心でボールを蹴ったことがない人は、そのような心になればもっとよいボールが蹴られるということです)

他のスポーツでも同じで、例えばスケートなどは氷に感謝して滑ることです。スキーは雪に、そうして水泳などは、その泳いでいるプールの水に感謝して泳ぐことです。

そうすれば、そこに神の力が現れ奇跡が起きるからです。

神の力を世に現すのは、それぞれの人々の心次第なのです。

そうして、そのような神の力、即ち神の心を世に現すことが出来ないと、もう救われない時代となっているのです。

これは何もスポーツをする時ばかりではありません。普段の生活でも同じなのです。

昨日のウナッシーさんのコメントではありませんが、男が起こすあのような犯罪も女の愛の力で防げるのです。これもまた先ほどのスポーツと同じで、その女の愛の力がそこに神の力を現し、そうして奇跡が起きるからです。

よく働かなかった男がよく働くようになった、酒乱でどうしよもなかった男の酒乱がなおった、粗暴だった男が丸く優しくなったなど、女の心が変わったことで(妻がそのような夫に愛を注いだことで)男がそのように変わった事例など、私は園頭先生からたくさん聞いています。

女は男に愛を与えることで、そうして男はその愛を女からもらうことで、大きく変われるのです。

そうして、男は女から、そのような大きな愛をもらうことで大きな心となって、世に尽くしていかないといけないのです。(若い時は自分のことばかり考えるのも仕方ありませんが、三十を過ぎたら、男は日本のこと、そうして世界のことを考えないといけないのです。そうして、少しでも日本に、世界に尽くすような仕事もしていかないといけないのです。それが男としての役割なのです)

感謝、愛、調和、そのような心を持つことで神の力が現れ、そこに奇跡が起きるのです。

この時代、そのような心を強く持たないと、もう生きることも困難になるということです。

それ以外の心を強く持つなら(例えば、怒りやひがみやねたみなどの心です)どういう不幸が起きるか分からないということです。

もう、そのような心は時代に合わないからです。(時代に合わない心〔と行い〕ばかり持っているから不幸ばかり起きるのです。それを人のせいにしているだけです。感謝、愛、調和、そのような心を持つならば、人が祈ろうが何をしようが、その人が不幸になることはありません。神の心が強ければ、そこに神の力が働き守られるからです)

もう、そこかしこに神の力が現れる時代となりました。それなのにいつまでそれに気づかないふりをしているのですか?

もうとっくにそのことに気づいている人も多いのにです。

その神の心に気づいて動こうとしなければ、私がいつまでもつらいことをし続けなければいけません。(そうであるなら、私一人がいつまでも悪者ですね。〔苦笑〕)

いい加減協力してもらえないでしょうか?

いつまでも私につらい役目を押しつけておかないでです。

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11月 10 2015

天罰

また昨日も面妖でしたね。庄内川の帰り道です。

昨日など中学生どころか小学生まで一人もいませんでした。いつもなら夕方五時半前後の時間帯は、あの道はたくさんの小学生や中学生が下校途中のはずですが、昨日はその小、中学生が一人もいなかったのです。(両方とも一柳でしょう。中学校の隣に小学校がありますから)

まるでゴーストタウンのようでした。(苦笑)

しかし、急にですからね。どうしたのかと思い、そのような広い通りばかりでなく中の細い道も歩いてみましたが、小学生や中学生は全然いません。

「いないな」と思いながら私がいつも歩いている道に戻ると、なんと二人の女子中学生が歩いているではありませんか。先ほどまでは小、中学生はいなかったはずなのにです。

どうも私が通りすぎたとたん(私は一柳中学の横を通って行きますので)一柳中学から生徒が出てきたようで、私は中学生にも見はられているようです。(ヘリだけではなく中学生からも見はられるとは。相変わらず集団ストーカーは続いています。〔笑〕)

しかし、その一柳の生徒の態度がまったく変わっていたのには驚きました。

私より少し先を歩いていたその中学生二人組が信号で止まりました。それで私が後ろからその二人組に追いつくと、その二人は最初は私を無視していましたが、私がそちらを見ていると一人の中学生がやたらとこちらを見てきます。

その中学生たちが持っているかばんを見ると一柳と書いてあります。やはり一柳中学の生徒のようでした。

それで私が「何か用か」と声をかけましたが、最初はその一柳の生徒は私の声を無視していました。こちらをただ見ているだけだったのです。

それで何度か「何か用かと聞いているだろう」と声をかけると、やっとハッとして顔をそむけます。

するともう一人の中学生が「すいません」を連呼して、何かしらいいわけみたいなことをいっていますが、よく意味が分かりません。

えらい態度の変わりようで何か焦っています。(私に祈りをさせないようにしているように見えました。私は生意気な態度をとる生徒たちには即その場で祈ることにしていますから)

それで私が「何かあったのか?」と聞きました。

しかし「いま友達と話していましたのでよく分からなかったのです。すいません」みたいなよく分からない返事ばかりしてきます。

マァ、起きていることをはっきりいいたくないのでしょう。(どこの連中も同じですね。〔苦笑〕)

では、起きていることを正直にいえて、自分たちが悪かったと詫びを入れるようになるまで待たないといけません。

では、待つしかありませんが、わずか一週間です。一週間前までは、私の顔を見れば嫌がらせをしてきて、そうして私がそれに何かいったら散々バカにしていたのです。

そのような連中が、逃げ回り、すいませんを連呼しているのです。ずいぶん変わりましたね。何が起きているんでしょうか?

しかし、わずか一週間で(というか、すぐ出ましたよね。先週末から急に帰り道いなくなりましたから)それだけ祈りが聞かれるのです。よほどこの連中、私の悪口をいっていたようです。

そうでなければこれだけすぐに現れないでしょう。現象がです。(凄いですね、どこかの会社以上です)

どちらにしても私の評判が悪いままでは法は拡がりません。

その(すべて私が悪いという)誤解は解かないといけませんが、天は小学生も中学生もありません。肉体など観ていないからです。心しか観ないからです。

ですから、あまりに強く間違った考えを持っているなら(私が悪いと強く思いこんでいるなら)そのような者は小学生であろうと中学生であろうと、あの世に引き上げられてしまいます。

この世のようにまだ小さいからとか、世間を知らないとか、そのような甘えは天には一切通用しません。あまりに間違いがひどいなら(この者は間違った考えを全然反省しないと天が判断すれば)恐ろしい病にもなるし(そういう病気になった人いませんか?)恐ろしい出来事にも遭うことになるのです。(不慮の事故とかです)

別に子供たちを脅すわけではありませんが、天は肉体が大きい小さいは関係ないのです。

そうであるなら、今のままの心ならこの者たちに何が起きてくるのかは、はっきり書いておいた方がいいでしょう。

それが一番、そのような子供たちを救える方法であるからです。

私は、あなたたちに恐ろしいことが起きるようにと祈っているわけではありません。

人に対して祈る祈りは全部自分に返ってきます。そんな祈りをすれば自分にも恐ろしい現象が現れることになります。だから絶対そんな祈りは出来ないのです。

私はただ「この者たちを正しくお導きください」と祈っているだけなのです。

そういう祈りであれば、その祈りが自分に返ってきても私も正しく導かれるだけだからです。

私は多くの人を祈っていますが、そのような祈りしかしていないのです。

しかし、そのような祈りならどれだけ自分に返ってきても、すればするだけ自分も正しく導かれるだけですから、私はよけい正しい方向に行くということになります。

だから、私には奇跡が起きているのです。そうして、その起きる奇跡もだんだん大きくなっているのです。正しい祈りをよくしているから、それが自分に返ってきて常に正しく導かれているからです。(人に対する祈りで、自分もどんどんよくなるのですからこれ以上のよいことはありません)

私は、そのような祈りをしているだけなのですから、では、私に祈られた人も私と同じように奇跡が起きて来なければいけないはずですが、なぜ、私に祈られた人はみな不幸な現象が現れるのでしょう?

それは祈られた人が間違っているからです。

自分たちが間違ったことをしているから「正しくお導きください」と私が祈ると、そのように祈られた人に恐ろしい現象が現れるのです。

その人の間違いを天が正しているからです。

私はその人のことを天に祈っているのです。これ以上の正しい判断が出来るところもないのではないでしょうか。

だから、私が祈って人を不幸にしているというのは間違いなのであり、その人が私に祈られて不幸になったのなら、それは、その人が悪いから、そのような道がついた(不幸になった)のであり、私のせいではないのです。

私が祈ったからそうなったのだろうという人もいますが、何度もいっていますが、私は悪いことをしてこない人を一方的に祈ったことはありません。

私に対し(またはあまりに目に余る悪いことしている人は祈りますが)嫌がらせのようなことをしてくるから、そういうことを人にやっていては本人のためにならないと祈るだけであり、別に私にかかわりがない人など祈りません。

自分が人に対して悪いことをしているのに、私に祈られて不幸になったとはどういうことでしょう。自分たちがしている悪いことは棚に上げてです。

つまり、そのような人たちは、私が祈って悪いことが起きたのではなくて天罰を受けているだけなのです。私の祈りは、そのきっかけにすぎないということです。

天罰とはお分かりであると思いますが、天が下す罰のことであり、それは自分のした悪事の報いなのです。

「お前に少し嫌がらせをしただけだろう。なんでそれくらいで天罰を食らうのか」という人もいますが、それは部分にすぎないのであり、そういう人は普段から多かれ少なかれそのような悪いことをしているのです。

その普段からしている悪いことの報いを私の祈りをきっかけにして受けただけであり、悪いことが起きたことを私のせいにするのはお門違いなのです。(つまり私の祈りで自分がつくった罪の報いを早く受けたにすぎないのであり、その人はどちらにしてもそのような天罰を受けたのです。自分の心と行いが悪いからです)

そうして、その少しの嫌がらせにしてもです。

心が健康な人にそれをしたところで大して気にもしないのでしょうが、心が不健康な人にそれをしたらどうなるのでしょう。

その少しの嫌がらせで自殺してしまうかもしれないのです。

そうであるなら、その少しの嫌がらせも大きな罪となります。それがきっかけで人一人が死んでしまうからです。

マァ、これは一つの例ですが、私がいいたいことは人はみな同じではないということです。

友達や、そこらの人に嫌がらせをしたところで大した罪にはなりませんが、その嫌がらせをした人が総理大臣であったならどうなるでしょう。

そのやり方次第で下手をすれば警察にしょっぴかれます。

つまり同じ嫌がらせにしてもやる人により大きく罪が異なるということです。

心の世界から観れば、法を説く人が一番大事な(えらい)人なのです。その人に誤解があるとはいえ嫌がらせをしてしまったのなら、大変大きな罪となります。

それを子供であろうと大人であろうと理解しなければいけないということです。

その理解をいつまでたってもしようとしないため、私が少し祈っただけで大変恐ろしい現象が現れる人たちがいるようですが、それは、そのような諸々の配慮が足りないための天罰であるということです。

この世の勉強とはこのようなものなのです。

見たままのすべて一律で物事が存在しているわけではなく、目に見えない心の世界のことまでよく考えて行わないといけないということです。

今の人たちは、そのような配慮があまりに足らないのです。

しかし、天は小学生であろうと中学生であろうと、金持ちであろうと貧乏であろうと、そのような外見には一切かかわりなく、心だけ観て、その心が悪い者には罰を下します。(気づきを与えます)

自分に起きている悪いことは(もちろんよいこともです)すべて自分自身に原因があるということを銘記すべきでしょう。

これまでの考えを早く反省することです。(間違っているのはあなたたちの方だからです。だから私に祈られて悪いことが起きるのです。自分たちが間違ったことをしているからです)

そうしなければ、その現象は止まりません。

人のいうことに惑わされず、今起きている現象も考えて自分で判断してください。

それがどちらにしても一番の心の勉強になるからです。

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11月 09 2015

動物の不思議47(庄内川と堀川)

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