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7月 07 2015

神に聞け

それにしてもねぇ。こんなに起きますか、奇跡がです。

昨日は雨が降っていたんですが庄内川に行ってきました。

マァ、昨日は雨も降っていたのでビデオを持って行くわけにもいきません。(それに、そうは奇跡的なことも起きないだろうとも思いますし)庄内川に行くには行きましたが、ゆっくり川を眺(なが)めながら川岸を歩いていました。(あまり声もかけずにです。私があまり声をかけますとまた小魚たちがたくさん寄って来ますので)

それでもすずめたちが騒いでいましたが、昨日はまた川の水がずいぶん引いていました。「雨が降っているのに川の水は増えないんだな」とか思いまながら、ゆっく歩いていました。

「こんなに引いていては魚もあまり跳ねないな」と思ったんですが、雨の日はカニがたくさん出てきます。カニを見ながら歩いていました。(でも、この前ほどの数のカニは出てきていませんでした。やはりこの前起きたことは奇跡です。雨の日にでも出てこないくらいの凄い数のカニが出てきていたからです)

しばらく歩いていて少し休み、そうして雨が止んできたので川岸に立ってボーっと川を眺めていました。

そうしたらです。それまでほとんど跳ねなかった魚たちが急に跳ね出したのです。(水がずいぶん引いていたにもかかわらずです)

それまでは(川をゆっくり歩いていた時は)二~三匹、跳ねたか跳ねなかったかくらいで、ほとんど魚は跳ねなかったんですが、私が川岸に突っ立て川を眺めていたら、急にあちこちで魚が跳ね出したのです。(目の前でも何匹も跳ねました)

しかもその跳ね方が普通ではありません。一匹の魚が一度跳ねると(多分ボラかなんかだと思うのですが)そのまま立て続けに二度三度と(多い魚は四度五度と)跳ねるのです。

そういう跳ね方をする魚が多いものですから、魚が跳ねているところがまともに見えます。そのような跳ね方をあちこちでしているものですから、散歩をしに来たオバちゃんが、川を眺めている私に「あれボラが跳ねてるの」とか聞いてきました。

「ボラかなにか分からないけど、なんかいろいろ跳ねてますよ」というと「凄い跳ねるね」とかいいながら歩いて行きました。

普段から庄内川の川岸を、散歩している人でも驚くほどの魚の跳ね方だったようです。

そのような跳ね方を、私が見ていた十五分ほどの間、ずっと目の前で魚たちが見せてくれました。(一度しか跳ねない魚もいましたが〔それは鯉のようでした〕跳ねた魚の多くは何度も立て続けに跳ねていました。〔わりと大きな魚ばかりです〕それ以外でも、大きな鯉があちこちで頭や背びれを水面から出して、バシャバシャ、ガボガボやっているのです。私が川を眺めていた間中、ずいぶん川面はにぎやかでした)

この前の名古屋港ほどの魚が跳ねたわけではありませんが、多くの魚が普通でない跳ね方(二度三度と続けて跳ねる)をして、それ以外でもあちこちで魚がバシャバシャ、ガボガボやっている、しかもそれが私が川を眺めていた十五分ほどの間だけです。(十五分ほどで帰ってしまったので、その後のことは分かりませんが、多分、私が帰ればあそこの魚たちはそのようなことはしないと思います。先ほども書きましたが、よく散歩に来る人が、驚いているくらいの跳ね方をあの時の魚たちはしていたからです)

こういうのを奇跡といわないのでしょうか。

少し川を眺めていただけでも、すぐに奇跡的なことが起きるのです。これほど激しい現象が現れるのであれば、さぞ災いも激しく現れることでしょう。それはどこかの会社を見ていてもよく分かることです。(また何か起きたようで、べそをかきながらそれでも嫌がらせを続けています。詫びを入れればいいものを本当に哀れです)

しかし、これほどの現象が現れてきたのです。では、何が正しく、何が正しくないのかを知ることもまた分かりやすいでしょう。(正しければ奇跡が、間違っていれば災いがすぐに起きるからです)

そうであるなら、昨日のような歴史問題も何が正しく、何が正しくないのかをはっきりさせることもまた出来るということになります。

戦後七十年もたって、まだ、日本は侵略国家だの侵略してないだの、南京大虐殺はあっただのなかっただの(昨日の植民地政策の件でもそうですが)いろいろな意見があり、これだけ近代の歴史がはっきりしていない国もありません。

とりあえず他国の意見は置いておいてです。

国内だけでも、はっきりさせた方がいいのではないでしょうか?日本の正しい歴史観をです。

では、はっきりさせましょう。どちらの意見が正しのか、神に聞けばいいのです。このようなことが私の周りでは毎日のように起きているからです。

テレビに出ている人で、このブログを読んでいる人は多いと思います。

ちょうどまた時期もよい時期であり(来月は終戦記念日もありますし、安倍総理の七十年談話も来月出されるんですよね)これから、そのような議論が活発になるはずです。

では、そのような意見をいった人を通し、その意見が正しいのかどうか神に聞いてみましょう。だから大いにそのような議論をしてほしいのです。

左翼の人で、日本は侵略国家であった、南京三十万人大虐殺はあった、という人は多いと思います。では私が、テレビでそのようにいう人を見たら、その人を祈ります。

そうすれば、その意見が正しいのか間違いなのか、しばらくすると分かると思うからです。(「神よ、どうぞこの人を通し、その意見が正しいのか正しくないのかをお示しください」と祈るだけです。なんてことはありません)

その人に災いが起きてくるなら、その人のいうことは間違いであるということでありますし、奇跡が起きてくるなら、その人のいっていることは正しいということになります。

そうであるなら、これで日本の歴史観はどちらが正しかったのか、はっきり分かることになります。神がそのようなことを、そのいった人を通して教えてくれるからです。

だから、そのような議論を活発に行ってほしいのです。そのようにいう人が多ければ多いほど、どちらの意見が正しいのかよく分かるからです。

議論といいましても、日本は侵略国家ではない、南京大虐殺などなかった、などといえば、国内外の逆風が凄まじいので、実際は、日本は侵略国家であった、南京大虐殺はあった、としかテレビではいえないのですから、対象はそのようにいう人ばかりになりますが、そのようにいった人に一体何が起きてくるのか、見ていてもらえば、日本は侵略国家であったのか、なかったのか、南京大虐殺はあったのかなかったのか、よく分かるということになります。

もう戦後七十年もたつのです。七十年もたって、未だ正しい歴史が分かっていない人がアホなのですから、その人に何か起きても、それはその人の勉強になるのだし、またその意見が正しければ、その人に奇跡が起きるのですから、それはまたそれでその人の得になるのですから、どちらにしても、その人が損をすることはないのです。

私が祈っていけない理由はなに一つないはずです。

それにです。どちらの考えを持つ人たちも、その自分の考えにはしっかりとした信念があるはずです。では、その考えの確認をされるようなことをしても、何も問題はないと思いますし、テレビに出るような人たちは、多くの人に影響を与えるのですから、それだけ大きな責任があると思います。

だから自分のいっていることに、責任を持つのは当然のことなのですから、私が何をしようが特別問題はないはずです。(だから神に祈られても別に文句ありませんよね)

ソロソロここらで、その歴史観のけりをつけましょう。神に聞くのですから、これ以上の正しいことはありません。

これで、これまで議論してきた日本の歴史観の問題に終止符が打てるのです。これ以上のよい話もないでしょう。

そうして統一した歴史観で、これからは外国に相対するのです。神に教えられた歴史観なのですから、どの国も文句はいえないはずです。

私の祈りを信じてください。必ず白黒はっきりさせますから。

(ですから、民主や共産党の議員の皆さん、今夏は大いにテレビで安倍総理の七十年談話や歴史観など批判してください。大批判大会などやってくれても結構です。そうしてそこで「日本は侵略国家であった」「南京大虐殺はあった」と声高に叫んでください。そのような人たちを全員祈るからです。そうしたら必ず結果は現れます。〔大丈夫です。それはこちらで確認済みです〕出来るだけ多くの人にやってもらった方が、結果もたくさん出て多くの人によく分かるでしょう。本当に民主党や社民、共産党の議員の皆さん、そうして左翼の皆さん、今年は例年以上に頑張ってください。どちらの歴史観が正しいのかここでけりをつけたいからです)

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7月 06 2015

謝罪

世界遺産の登録問題は何とかカタがついたようですね。

日本も韓国も世界遺産が認められてよかったです…といいたいところですが、また折れたのは日本ですか。(どう考えても韓国が折れたわけではありません。よけいな文言入れたのですから)

本当に韓国は世界から笑われたいようです。やっていることが子供の嫌がらせのようなことばかりだからです。(どこかの会社と同じレベルですね。〔笑〕)

今回の世界遺産の件でもそうですが、外相レベルで(外相レベルですよ。子供の口約束でもあるまいし)協力すると約束しておきながら、直前になってよけいなことをいいだして、その約束を反故にするような態度に出るのですから呆れます。(まったく信義も何もあったもんじゃありません)

そうして、自分たちの言い分を通すためにロビー活動まで始めるのですから、他国の人たちも引くでしょう。

調和して行われていた世界遺産委員会を、自分たちがぶち壊しているとは少しも思わないのでしょうか?(これでは日本まで悪者です)

まったく自分たちの常識が、少し(というか大分)他と違っているとは全然思わないようです。

他国のことですが、このように非常識では自国に何が起きるか分かりません。(もうそういう時代ですので)韓国がどれだけ非常識か少し書いておきましょう。(その方が韓国の為ですから)

韓国は何かというと歴史問題を持ち出します。(マァ、それは韓国だけではありませんが。〔苦笑〕)

しかし、日本がした植民地政策にせよ、台湾は韓国ほどひどい言い方をしていません。それどころか日本に感謝してくれているのです。(台湾は親日派です)台湾も韓国と同じように、日本は植民地政策を取りましたが、なぜ、これだけ差があるのでしょうか?

一方は極端な反日ですが、一方は親日なのです。何でこんなに違うのでしょう。

これが常識(というか、お国柄の違いだと思うのです)が違うといっている意味なのです。

何度も書いていますが、日本は西洋のような植民地政策などしていません。

物を収奪どころか、与えているのです。そうして韓国、台湾を近代化させたのです。(それはまぎれもない事実でしょう。違いますか?)だから台湾は日本に感謝しているのであって、もし、日本が韓国、台湾に西洋と同じような植民地政策を取っていたなら、台湾に感謝されることはなかったでしょう。

台湾も韓国同様、極端な反日になっていたはずです。しかし、一方は反日で一方は親日なのです。同じやり方をしていたとするなら、このような極端な立場の違いにはならないはずです。

ではなぜ、こんなに立ち位置が違うのかということです。

私の想像ではありますが、韓国は感謝すべきことまで憎しみに変えてしまう、人の行為に素直に感謝できない、きっと、そのようなお国柄なのではないでしょうか。(自国の人には知りませんが、あくまで日本に対してはです)

そういうお国柄でなければ、台湾のようによいところはよいと認めて、感謝してくれるところは感謝してくれるはずですが、韓国は日本に対しまったく感謝するところがありません。(日本にお礼をいったことなど一度もありませんよね)

しかし、日本は(台湾だけでなく)韓国にもよいことをしているのです。それなのに韓国からは、そのようなところも感謝どころかすべて恨みに変わっています。だから、そのようなお国柄なのではないですかといっているのです。

植民地政策については、これは別に、私が日本人だから日本によいように書いているわけでもなんでもなく、日本が韓国、台湾を植民地にした時の記録はいくらでも調べることが出来ます。

調べてもらえれば、私のいっていることが嘘ではないとすぐに分かるはずです。

ただ日本が韓国、台湾の近代化に尽くしたことは事実ですが、それを強制的にやらせたということも事実です。(そういう時代でしたから)その部分だけを強調し、だから日本は悪いことをしたと、一方的な放送をしたのが日本のマスコミであり(教育もそうですが)それで日本の多くの人まで日本は悪い国であったと思いこんでしまったのです。(連合国の命令ではあったのですが)

しかし、もう連合国は存在しません。それなのになぜマスコミは、未だ日本は悪い国であったといい続けているのですか?

この植民地政策一つとっても、マスコミは日本がすべて悪いようにいいますが、日本はよいこともしているではありませんか。(それを知っている人も多いはずです)

なぜ、それを一言もいわないのですか?

植民地といえば、韓国のことばかりいいますが、なぜ、台湾のことはいわないのですか?

こういうことは偏向報道とはいわないのでしょうか?

なにか、話がマスコミの偏向報道に変わってしまいましたが、話を戻しましょう。

このように韓国は、やはり少し常識が違っていると思えてなりません。

一口に植民地政策といっても、日本は韓国に悪いことばかりしたわけではありません。(それは台湾が証明していることです)

これだけ長い間、恨みつらみをいわれる筋合いのものでもないのではないでしょうか。そのような常識をもう少し変えられたらどうでしょう。そうしないと、まとまるものもまとまらないからです。

韓国は戦前、戦中の日本のやったことの悪口ばかりをいわれますが、では、戦後、韓国は日本に悪いことをしていないのでしょうか?

これだけ日本を騙しておいてです。(騙しましたよね。村山談話の時も、河野談話の時も、もうこれで歴史問題は終わりにするといっておきながら、何度も歴史問題を蒸し返しています。今回もそうですが、何度日本を騙して詫びを入れさせれば気が済むのですか)

こういう態度を何回も(何十回も)取っておいて、日本に何度も謝罪させるとは一体どういう料簡なのでしょう。

一度くらい韓国も日本に詫びを入れたらどうですか?そのような悪いことを戦後、何度も韓国は日本にしているからです。(それともそのようなことは悪いことだと思ってもいないのですか?)

そうして(台湾と同じように)少しくらい日本に感謝されてはどうでしょう。日本のお陰で韓国が近代化したのは事実であるからです。

マァ、そういう話をここに書いても、反日教育をし続けている韓国では誰も信じないでしょうが、事実は事実です。それを人は知らなくても神は知っています。

神ばかりはごまかせないでしょう。

このように、決して日本ばかりが、一方的に詫びを何度も入れさせられるほどの悪いことはしていないということです。お互いさまの部分はいくらでもあるということです。

日本はもう何度も詫びを入れました。韓国も一度くらい日本に詫びを入れたらどうでしょうか。

それくらいの悪いことを韓国は日本にしているからです。

(それをそのままにしていては韓国のためになりません。〔また何か天罰食らいます〕だから書きました…よけいなお世話でした?)

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7月 05 2015

新しい時代

前回、前々回のブログで書きましたように、私の周りでは次々に奇跡が現れています。

本当に時代が変わったな、と感ぜずにはいられません。こういうことはこれまで起きなかったことであるからです。

時代が変わったという事実は、そのような奇跡ばかりでなく周りに起きている災いでもまたよく分かると思います。

今週など三つの台風が(9、10、11号)日本に向かってくるのではないかといわれています。

まだ七月です。七月にこのようなことが起きること自体、異常なことですし、梅雨前線が停滞しているところにこの台風の襲来です。

今週は、一体どれだけの大雨になるのか予想がつきませんが、まだ、箱根などの火山の噴火も心配です。

この時期に、これだけ悪いことが固まって起きているということは偶然ではないでしょう。やはり時代が変わったから、これだけ激しい現象が起こり始めたと思わざるを得ません。(普通これだけ悪いことが一変に起きないでしょう。どう考えても偶然ではありません)

いつまで責任転嫁を続けるつもりですか?

不信心を続けていれば多くの人が不幸になるのです。(少しは謙虚になり私の話に耳を傾けましょう。そうすればこの災いも収まってくるからです。私には、このような災いとは対照的に奇跡ばかり起きているからです)

さて、日本はこのようにあまりに神の心から遠い人が多い為、不幸なことばかり起きているのですが、お隣の国も不幸なことばかり起きているようです。(それはきっと人の道から外れるようなことばかりしているからでしょう)

北朝鮮が、拉致被害者の再調査に関する報告を延期するといってきたそうですね。

よく考えてみれば、このような外国人の拉致は北朝鮮の国策として始めたものですし、今はやっていないとはいえ、そのような国策を他国に正直に話すはずがないのですから、北朝鮮が拉致問題を解決する気など最初からなかったといえなくもありませんが、それでもまだこのような交渉を続けるのでしょうか?

北朝鮮は一年前孤立を深めていました。

それで他国との交渉を進めたいために日本を利用したに過ぎないのではないでしょうか。拉致問題などちらつかせれば、それに一番食いついてくるのが日本であったからです。

結局、人がいい日本は北朝鮮に利用されているだけなのではないでしょうか。北朝鮮との進展がまったくなかった(最初だけでしたよね)この一年を振り返ると、そのように思えてなりません。

会話は継続するにせよ、北朝鮮への制裁は強めた方がいいでしょう。多分この交渉はうまくいかないからです。

北朝鮮は核の問題もあります。もう北朝鮮の崩壊を早める方に力を注いだ方がいいのではないでしょうか。多分、北朝鮮はこの代で終わるからです。

北朝鮮が崩壊する前に、なんとか北朝鮮に韓国が入ってもらい、この拉致問題や核の問題を解決する以外、解決の道はないように思います。

もう北朝鮮一国を、いくら相手にしていたところで何も進展しないと思うからです。

だから韓国は重要な国であると思うのですが、その韓国がまた駄々をこねているそうですね。

あの世界遺産の問題など、そのようにしか見えません。

この世界遺産の問題は、先月の日韓外相会談で韓国が推薦する「百済の歴史地区」も含めて双方が協力するということで一致したはずです。

それで日本は韓国が申請した「百済の歴史地区」の登録に賛成したのです。

それなのに、何でここにきて韓国が日本の「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に反対するのでしょうか。これではだまし討ちではないですか。(こういうことをしていて、安倍総理が出される七十年談話に謝罪を入れれば、それで歴史問題は終わりにするなど誰が信じることが出来ましょう。日本の人々はもちろんのこと世界の誰も信じないでしょう)

こういうことを平気でやるから韓国は世界から笑われるのです。

韓国にその自覚があるのかないのか知りませんが、私は世界から笑われていると思いますよ。そのようなことを韓国は日頃からしているからです。

韓国は、スポーツ大会などで判定が不服であるとよく座り込みなどしています。(一時間くらい平気でやっていますからね。呆れます)

あんなことする国は韓国くらいしかありません。ああいう子供のようなことをしていて恥ずかしいとも思わないのでしょうか?

あのようなニュースは世界に流れます。だから私は韓国は世界から笑われているといっているのです。あんな子供が駄々をこねているような態度は、笑われて当然の態度であるからです。

だから私は、また韓国が駄々をこねているのですか?といっているのです。

こういうことばかりしているから、国内でもよいことが起きないのです。

最近、韓国内でよくないことばかり起きていますが、それを収める方法も書いておきましょう。

韓国は自分たちの主張ばかりするのではなく、少しは折れるところも見せるべきです。ケンカするより、調和した方がよいことが起きてくるからです。(それにそのようなところがあれば世界も韓国を大人だと見られるからです。今のままでは韓国は子供の集団のように見られます)

それに韓国は、ケンカした方が得のように思っているふしがありますが(無理が通れば道理引っ込む式の考えの方が得だと思っていませんか?)しかし、それは人の道を外れているので結局損なのです。

周りがそれでは納得しないからです。そのつけが必ずどこかで回ってくるからです。

不調和より、調和した方が得なのです。その方がその時だけではなく、後々周りからの協力が得られることになるからです。

ソロソロこの辺りで、韓国も大人の対応をしていただけないものかと切に思っています。北朝鮮の問題があるからです。

どちらにしても、よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、すぐに返ってくる時代となりました。

自国内に起きていることを考えるのであれば、自制は必要であると思います。

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7月 04 2015

次々に起きる奇跡

しかし、信じられませんね。二日も続けて奇跡が起きるとはです。

一昨日あれだけの奇跡が起きたのです。まさかその翌日もまた奇跡が起きるとは思いもしませんでした。その思いもしないことが連日起きたのです。

昨日は昼過ぎから庄内川に行きました。

昨日は、午前中の早くに雨が上がり午後からは曇ってはいましたが、時々晴れ間も出て少し蒸し暑い感じでしたので、庄内川に行けば涼しいし、また面白いものが見られるかもしれないと思ったからです。

庄内川に行くと川の水がずいぶん引いていました。

川の水が引いていると、あまり魚も跳ねないし小魚も出てきません。ちょっと予想が外れたなと思っていましたがとんでもありませんでした。

予想が外れるどころか、考えもしない予想以上のことが起きたのです。

川の水が引いていたので、私は川の魚をあてにしてもあまりいい動画は撮れそうもないと思い、庄内川の川岸を歩くことにしました。この庄内川にはカワウソやキジ、カニなどもいるからです。

どれも動画に撮ってはいますが、カワウソとキジは遠くからしか撮れていません。もっと近くでちゃんと撮れないものかと思ったからです。

ですから、カワウソとキジを目当てに川岸を歩き始めたのですが、その思いとは裏腹に、まったく期待していなかった生き物が信じられないことをしたのです。

その期待していなかった生き物とはカニです。

なんとそのカニが、一昨日の名古屋港の魚たちではありませんが、昨日は尋常じゃないくらい出てきたのです。

庄内川の川岸はずっと草むらが続いているところがあり、そこを歩いているとたまにカニを見かけるのですが、昨日は雨あがりだったので、ちょこちょこカニを見かけたのです。

「やっぱり雨上がりだけあって、カニがよく顔を出しているな」と思って歩いていましたが、先ほども書きましたが、あまりカニなど動画に撮っても面白くありません。(もう二、三度撮っていますし)

だから素通りして、カワウソやキジはいないか草むらを見ながら歩いていました。庄内川の川岸は、場所によって庄内川から離れて草むらが広がっているところもあれば、庄内川に近いところもあり、川に近い場所に行くと川に呼びかけて魚たちを撮っていました。

しかし、昨日はあまりいい動画も撮れませんでした。

カワウソもキジもいなくて魚もさほどは跳ねません。「あまり今日はいい動画も撮れないな。昨日あれだけの動画が撮れたのでそれも仕方ないか」と妙に納得して、動画を撮るのを諦め、歩いてきた川岸をまた戻ったんですが、その川岸を戻っていた時のことです。

川岸の様子が来た時と何か違っているのです。

「なんか変だな」と思いながら歩いていましたが、その様子の違いはすぐに分かりました。

横の草むらからやたらにカニが出てきていたからです。

川岸を戻りながら「お前らたくさん出てきたな」とかいいながら歩いていたのですが、あまりに出てきているので、そのカニたちを動画で撮り始めたのです。(さっきカニなど動画に撮っても面白くないといったばかりなんですが。〔笑〕)

歩いている先々にカニたちがいます。つい先ほどまで(ほんの二~三十分くらい前の話です)ほとんどこの辺りはカニなどいなかったのです。

それが前を見ると先々までカニが草むらから何匹も出てきています。私が通り過ぎた後、すぐにたくさんのカニたちが草むらから出てきたようでした。

「何でこんなに出てきたんだろう?」私は不思議でしたが、それもこの辺りだけだろうとさほど気にしませんでした。

しばらく、草むらから出てきているカニたちを歩きながら撮っていたのですが、少し先に水たまりがありました。その水たまりには、確かに私が来る時もカニが何匹かいたのです。(三、四匹いましたかね。私が近くを通ると慌てて水たまりの横にある草むらに逃げ込んでいましたが。〔笑〕)

何匹かいたのですが、その先ほど何匹かカニたちがいた水たまりを見ると、なんと今度は、その水たまりの中とか回りとかにカニが何十匹もいるではありませんか。(なんか水たまりにたかっているかのようにいました。〔笑〕)

さすがに驚いて「お前ら何匹出てきてんだよ」と笑いながら、そのカニたちを動画に撮りました。

しばらく川岸を戻っただけでずいぶんたくさんのカニが撮れたのです。マァ、こんなとこだろうと勝手に思い、ビデオを止めたのですが、その草むらから出てきているカニたちは、その辺りだけではなく歩きながら前を見ると、ずっと先までいるようでした。

どこまでいるんだろうと、また動画を撮り始めたのですが、その動画を撮っているうちに、驚くほどの多くのカニが草むらから出てきているということが分かったのです。

いま私が戻っている川岸の辺りは、私が通っている道だけではなくもう一本奥に道があるのです。しかし、その道は草がよく生えていて、雨が降ると水たまりがあちこちに出来て道も泥でべちゃべちゃなので、あまり人が通りません。(私も晴れている時にたまに通るくらいです)

だから私もきれいな方(その道は砂利が敷き詰められていて歩きやすいです)を歩いて、横の草むらから出てきているカニたちを撮っていたのですが、そのこちら側に出てきているカニばかり気にしていて、奥にあるもう一本の道の方は全然気にしていませんでした。

そうして、こちらの道に出てきているカニばかり撮っていたのですが、何気なく、その奥にある道を見たのです。

そうしたらです。なんとその奥にある道いっぱいにカニがいるではありませんか。物凄い数です。(本当に凄いですよ。動画に撮ったのですがそこらじゅうにカニがいるのです)

これには驚きました。こちらの道だけではなかったのです。奥の道にもたくさんのカニが出てきていて(というより、奥の道の方がはるかに多くのカニが出てきていたようです)その多くのカニたちが、その道の何百メートルにわたっているのです。

だから数百ではきかないでしょう。数千、数万のカニたちがいたのではないかと思われます。

私が目で見ただけでそれくらいのカニがいたのです。この調子では、私が見ていないところにもたくさんのカニがいたと思われますので(戻り始めた最初の辺りから、そのもう一本の道は通っていました。私は奥の道のことなど考えもしませんでしたので奥の道は見ていませんが、多分そこにもたくさんのカニが出てきていたと思います)昨日出てきていたカニは数千、数万ではきかないかもしれません。(見ていない道も考えると、カニがたくさん出てきていた道は数百メートルどころではないからです。一キロくらいの距離はあるのではないかと思われるからです。一キロもある道いっぱいにカニが出てきているのです。一体何匹くらいのカニが出てきていたのかまったく想像できません)

一時間ほどかけて庄内川の川岸を歩いて戻ってきたのですが(だから距離的にいうと三、四キロあると思います)私が庄内川を出るまで、横の草むらから出てきているカニを見なかった時はありませんでした。

行く時にはほとんど見なかったカニが、その帰り道には考えられなくらいの物凄い数を見たのです。

行きは(トータルで)数十匹くらいしか見なかったカニが、その帰り道には数万、数十万匹に増えていたなど、こういうことが考えられるでしょうか?しかし実際にこのようなことが起きたのです。(このようなことは動画に撮っていなければ、絶対に信じてもらえないことでしょう。しかし今回、多くのカニが動画に撮れています。それも出てきていたカニの一部にしか過ぎませんが)

これもまた奇跡というしかない出来事なのではないでしょうか。

このように最近は、起きる奇跡も大きく激しくなっているようです。ということは同じように災いも、大きく激しくなっているのではないかと思われます。

神の世(正法の世)は時がたてばたつほど深まって行きます。

やっていることのよい悪いの差は、大きくはなっても小さくなることはないでしょう。

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7月 03 2015

名古屋港での奇跡

昨日は驚きました。本当に不思議なことが目の前で起きたからです。

昨日私は名古屋港に行ったのですが、名古屋港に行くと、ちょうど大きなフェリーが来ていてほとんど海が見えない状態でした。

海が見えなくては魚が跳ねるかどうかも分かりません。それで橋を渡って、水族館がある向こう側に行こうかとも思ったんですが(そちらも大きく海が広がっているからです)フェリーの後ろ側は少し海が見えていました。

あそこなら海が見えるなとも思い、その場所に行って海に呼びかけたのですが、その時すでにおかしかったのです。

何がおかしかったのかといえば海の魚の様子がです。

私が声をかけるとやたらに飛び跳ねるのです。それもあちこちでです。(そこも動画に撮ったのですが、跳ねるのが少し遠くて魚が見ずらかったのでその場面は消しました)

「今日はやたらと跳ねるなぁ」と思いながら、水族館がある方に移動しました。

その場所でのことです。

その場所で私が海に向かい声をかけていると、最初は反応がなかった海の魚たちがあちこちで跳ねるようになりました。

「いつもは大して跳ねないのに今日は本当によく跳ねるな」と思って「お前ら今日は元気だな」とかいいながら動画を撮っていました。(海で呼びかけてもあまり魚は跳ねないものですから)

そうしたらです。その跳ねる魚たちの数が尋常ではなくなってきたのです。

最初は、あちらで一匹、こちらで一匹と跳ねていた魚たちが、段々、跳ねる魚が多くなり、あちこちでひっきりなしに跳ねるようになりました。そのうちに同じ場所で二匹同時に跳ねたり、三匹四匹と跳ねたりして、そこらじゅうで数十匹の魚が同時に跳ねる、という状況になってしまったのです。

さすがにこれには驚きました。多くの小魚があちこちで跳ねるというのは見たことがありますが(それは山崎川とか荒子川などで動画にも撮っています)これほど大きな魚たちが一変に跳ねるというのは初めてだったからです。

見た目で、四~五十センチくらいあるのではないかという魚が(もっと大きな魚もいたかもしれません。魚との距離がだいぶ離れているのもいたからです)ポンポン跳ねるのです。

その大きな魚に交じって、数十匹の小魚の集団が上がってきて跳ねています。「あんな大きな魚に交じって上がってきて大丈夫か?食べられないか?」とこちらが心配になりました。(笑)

そればかりか、沖の方から大きな魚の集団が私の方(岸)に向かいたくさん泳いでくるのです。そうして私の前の辺りを嬉しそうに泳ぎ回り跳ねているのもいます。

とにかく、私の目の前の海の数十メートルにわたって、多くの魚たちが泳ぎ回り跳ね回っているのです。こういう光景を見るのも初めてでしたが(堀川でこういうことがありましたが、これだけ一変に大きな魚が跳ね回ったことはありませんでした。迫力が全然違いました)何か私は魚のショーでも見ている気分でした。

とても自然に起きていることとは思えなかったからです。

まさに奇跡です。数十匹の魚が一変に跳ねるということは、この岸の近くに数百匹の魚が集まって来ているということになります。(そこに数だけいる魚だけが一変に跳ねるということはありえないからです。数十匹の魚が跳ねるのなら、そこの海の中には、その数倍、数十倍の魚たちが泳いでいるということになります。だから名古屋港の岸壁には数百の魚は集まってきていたと思います…下手すればもっと多かったかもしれませんが、海の中のことなので確認しようがありません)

どこにでもある岸壁に(名古屋港だけ特別魚が集まりやすいということもないと思いますので)数百(もしかした数千?)という魚が集まるということが考えられるでしょうか?(もちろん餌などまいたわけではありません。餌をまいたところでそれだけの魚が集まってくるかは疑問ですし)

そうして数十メートルにわたり多くの魚が次々に跳ねるということもそうです。

これを奇跡といわずして、他にどういえばいいのでしょうか?

まさに二千年前のキリストが起こされた奇跡が、もしかしたそれ以上の奇跡が私の目の前で現されているのです。

この奇跡を動画に撮るには撮りましたが、あの迫力は動画では分かりませんね。やはり、その場で見ていると何か独特の雰囲気があり、神の力が現れている感じがします。

私は、このような奇跡が毎日のように現れています。

しかし、他に目を向ければ悪いことばかりが起きて、奇跡が少しも起きていないと感じるのは私だけではないでしょう。

私を見ていただければ分かりますように、奇跡が起きるのが普通なのであって(だって毎日のようにこのようなことが起きているのですから、それが普通だと思えませんか?)起きない方が異常なのです。

奇跡が起きないどころか、災いばかりが起きているのですから、私からすれば、現在の日本は異常を通り越して逆に不思議ですね。なぜ、これだけ悪いことばかりが起きているのだろうとです。

法を勉強すればするだけ、拡げれば拡げるだけ、次々に奇跡が現れてきます。

だから、そのような人が増えるのであれば、日本に起きる災いは自然に減っていくのです。

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