7月 07 2015
神に聞け
それにしてもねぇ。こんなに起きますか、奇跡がです。
昨日は雨が降っていたんですが庄内川に行ってきました。
マァ、昨日は雨も降っていたのでビデオを持って行くわけにもいきません。(それに、そうは奇跡的なことも起きないだろうとも思いますし)庄内川に行くには行きましたが、ゆっくり川を眺(なが)めながら川岸を歩いていました。(あまり声もかけずにです。私があまり声をかけますとまた小魚たちがたくさん寄って来ますので)
それでもすずめたちが騒いでいましたが、昨日はまた川の水がずいぶん引いていました。「雨が降っているのに川の水は増えないんだな」とか思いまながら、ゆっく歩いていました。
「こんなに引いていては魚もあまり跳ねないな」と思ったんですが、雨の日はカニがたくさん出てきます。カニを見ながら歩いていました。(でも、この前ほどの数のカニは出てきていませんでした。やはりこの前起きたことは奇跡です。雨の日にでも出てこないくらいの凄い数のカニが出てきていたからです)
しばらく歩いていて少し休み、そうして雨が止んできたので川岸に立ってボーっと川を眺めていました。
そうしたらです。それまでほとんど跳ねなかった魚たちが急に跳ね出したのです。(水がずいぶん引いていたにもかかわらずです)
それまでは(川をゆっくり歩いていた時は)二~三匹、跳ねたか跳ねなかったかくらいで、ほとんど魚は跳ねなかったんですが、私が川岸に突っ立て川を眺めていたら、急にあちこちで魚が跳ね出したのです。(目の前でも何匹も跳ねました)
しかもその跳ね方が普通ではありません。一匹の魚が一度跳ねると(多分ボラかなんかだと思うのですが)そのまま立て続けに二度三度と(多い魚は四度五度と)跳ねるのです。
そういう跳ね方をする魚が多いものですから、魚が跳ねているところがまともに見えます。そのような跳ね方をあちこちでしているものですから、散歩をしに来たオバちゃんが、川を眺めている私に「あれボラが跳ねてるの」とか聞いてきました。
「ボラかなにか分からないけど、なんかいろいろ跳ねてますよ」というと「凄い跳ねるね」とかいいながら歩いて行きました。
普段から庄内川の川岸を、散歩している人でも驚くほどの魚の跳ね方だったようです。
そのような跳ね方を、私が見ていた十五分ほどの間、ずっと目の前で魚たちが見せてくれました。(一度しか跳ねない魚もいましたが〔それは鯉のようでした〕跳ねた魚の多くは何度も立て続けに跳ねていました。〔わりと大きな魚ばかりです〕それ以外でも、大きな鯉があちこちで頭や背びれを水面から出して、バシャバシャ、ガボガボやっているのです。私が川を眺めていた間中、ずいぶん川面はにぎやかでした)
この前の名古屋港ほどの魚が跳ねたわけではありませんが、多くの魚が普通でない跳ね方(二度三度と続けて跳ねる)をして、それ以外でもあちこちで魚がバシャバシャ、ガボガボやっている、しかもそれが私が川を眺めていた十五分ほどの間だけです。(十五分ほどで帰ってしまったので、その後のことは分かりませんが、多分、私が帰ればあそこの魚たちはそのようなことはしないと思います。先ほども書きましたが、よく散歩に来る人が、驚いているくらいの跳ね方をあの時の魚たちはしていたからです)
こういうのを奇跡といわないのでしょうか。
少し川を眺めていただけでも、すぐに奇跡的なことが起きるのです。これほど激しい現象が現れるのであれば、さぞ災いも激しく現れることでしょう。それはどこかの会社を見ていてもよく分かることです。(また何か起きたようで、べそをかきながらそれでも嫌がらせを続けています。詫びを入れればいいものを本当に哀れです)
しかし、これほどの現象が現れてきたのです。では、何が正しく、何が正しくないのかを知ることもまた分かりやすいでしょう。(正しければ奇跡が、間違っていれば災いがすぐに起きるからです)
そうであるなら、昨日のような歴史問題も何が正しく、何が正しくないのかをはっきりさせることもまた出来るということになります。
戦後七十年もたって、まだ、日本は侵略国家だの侵略してないだの、南京大虐殺はあっただのなかっただの(昨日の植民地政策の件でもそうですが)いろいろな意見があり、これだけ近代の歴史がはっきりしていない国もありません。
とりあえず他国の意見は置いておいてです。
国内だけでも、はっきりさせた方がいいのではないでしょうか?日本の正しい歴史観をです。
では、はっきりさせましょう。どちらの意見が正しのか、神に聞けばいいのです。このようなことが私の周りでは毎日のように起きているからです。
テレビに出ている人で、このブログを読んでいる人は多いと思います。
ちょうどまた時期もよい時期であり(来月は終戦記念日もありますし、安倍総理の七十年談話も来月出されるんですよね)これから、そのような議論が活発になるはずです。
では、そのような意見をいった人を通し、その意見が正しいのかどうか神に聞いてみましょう。だから大いにそのような議論をしてほしいのです。
左翼の人で、日本は侵略国家であった、南京三十万人大虐殺はあった、という人は多いと思います。では私が、テレビでそのようにいう人を見たら、その人を祈ります。
そうすれば、その意見が正しいのか間違いなのか、しばらくすると分かると思うからです。(「神よ、どうぞこの人を通し、その意見が正しいのか正しくないのかをお示しください」と祈るだけです。なんてことはありません)
その人に災いが起きてくるなら、その人のいうことは間違いであるということでありますし、奇跡が起きてくるなら、その人のいっていることは正しいということになります。
そうであるなら、これで日本の歴史観はどちらが正しかったのか、はっきり分かることになります。神がそのようなことを、そのいった人を通して教えてくれるからです。
だから、そのような議論を活発に行ってほしいのです。そのようにいう人が多ければ多いほど、どちらの意見が正しいのかよく分かるからです。
議論といいましても、日本は侵略国家ではない、南京大虐殺などなかった、などといえば、国内外の逆風が凄まじいので、実際は、日本は侵略国家であった、南京大虐殺はあった、としかテレビではいえないのですから、対象はそのようにいう人ばかりになりますが、そのようにいった人に一体何が起きてくるのか、見ていてもらえば、日本は侵略国家であったのか、なかったのか、南京大虐殺はあったのかなかったのか、よく分かるということになります。
もう戦後七十年もたつのです。七十年もたって、未だ正しい歴史が分かっていない人がアホなのですから、その人に何か起きても、それはその人の勉強になるのだし、またその意見が正しければ、その人に奇跡が起きるのですから、それはまたそれでその人の得になるのですから、どちらにしても、その人が損をすることはないのです。
私が祈っていけない理由はなに一つないはずです。
それにです。どちらの考えを持つ人たちも、その自分の考えにはしっかりとした信念があるはずです。では、その考えの確認をされるようなことをしても、何も問題はないと思いますし、テレビに出るような人たちは、多くの人に影響を与えるのですから、それだけ大きな責任があると思います。
だから自分のいっていることに、責任を持つのは当然のことなのですから、私が何をしようが特別問題はないはずです。(だから神に祈られても別に文句ありませんよね)
ソロソロここらで、その歴史観のけりをつけましょう。神に聞くのですから、これ以上の正しいことはありません。
これで、これまで議論してきた日本の歴史観の問題に終止符が打てるのです。これ以上のよい話もないでしょう。
そうして統一した歴史観で、これからは外国に相対するのです。神に教えられた歴史観なのですから、どの国も文句はいえないはずです。
私の祈りを信じてください。必ず白黒はっきりさせますから。
(ですから、民主や共産党の議員の皆さん、今夏は大いにテレビで安倍総理の七十年談話や歴史観など批判してください。大批判大会などやってくれても結構です。そうしてそこで「日本は侵略国家であった」「南京大虐殺はあった」と声高に叫んでください。そのような人たちを全員祈るからです。そうしたら必ず結果は現れます。〔大丈夫です。それはこちらで確認済みです〕出来るだけ多くの人にやってもらった方が、結果もたくさん出て多くの人によく分かるでしょう。本当に民主党や社民、共産党の議員の皆さん、そうして左翼の皆さん、今年は例年以上に頑張ってください。どちらの歴史観が正しいのかここでけりをつけたいからです)



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