4月 26 2015
4月 26 2015
唯一の救われる道
この辺りの人は、このブログを読んでいる人が多いんですね。ブログの内容がすぐに伝わります。(それほど多くの人に、このブログは読まれていないはずですが、何でみんな知っているんでしょう?)
散歩させている犬を、私の方に向けないようにすればするだけ犬はこちらに顔を向けたいようです。(笑)チラチラこちらを見る犬が逆に昨日は多かったです。
昨日は、そのような飼い犬だけではなく、野良猫も「ニャーニャー」鳴きながら、私に体を擦り付けて来たのがいましたが、私が誰であるのか、動物たちの間にはドンドン知られていっているようです。(だって、家で飼っている犬でも「お前俺が誰か知っているか」と聞くと、ビクッとするくらいですから。動物が人の言葉を話せたらと本当に思います。そうしたらあの世のことなども含めたいろいろな謎が解けると思うからです。一体私は誰なんでしょう?)
相変わらずすずめたちもうるさいし、私が表に出て行くだけで何か大騒ぎですね。(苦笑)
私は、これだけ動物たちには好かれているのに、人からはずいぶん嫌われているようです。
嫌がらせする人はまだ多いですし、昨日は小学生の一団に(四~五人いたと思います)散々バカにされました。(一昨日も中学生の一団にバカにされたのですが、さすがに天もこのような行いはもう許さないそうです。それはそうでしょう。あまりに私が小、中学生にバカにされては法が説けなくなるからです。〔子供にバカにされているような者のいうことなど誰も聞きませんから〕このようなことをする子供も天は引き上げるそうです。昨日私にバカといった小学生はやばいかもしれません。〔汗〕)
そればかりではなく、昨日、私が帰ってくるとわざわざ私を待っていて、わざとらしい嫌がらせをした人がありましたが(前のマンションの人みたいです)昨日もいいましたように、悪いことが起きたからとそれを全部私のせいにされても困ります。
自分たちに悪いところはなかったのでしょうか?
少し自分たちを省みてはどうでしょう。それをいつまでもしようとしなければ、最悪どこかの会社のようになってしまうからです。
現に名古屋は、これだけ多くの災い(数々聞こえてくるサイレン)が起きているのです。
それも悪魔の噂を信じ、悪いことの原因をすべて私一人に押し付けているせいです。(責任転嫁)知らなかったとはいえ自分たちがこれまでしてきた神への態度、人への態度など、反省すべき点はいくらでもあります。
それを反省しなければいけない時がすでに来ているのです。
何度もいいますが、私が名古屋の多くの人が思っているような悪者であるなら、これだけ多くの動物たちが寄っては来ません。
鳥や魚、野良猫や人が飼っている犬まで寄ってくるのです。よほどの愛がなければこんなことは起きないのです。何で、それほど愛がある人がそれだけ悪いことをするでしょう。
認めたくはないでしょうが、自分たちが間違っているのです。それを認めるしかないのです。
口ではどうとでもいえますが(いくらでも嘘はつけますが)起きている現象に嘘はありません。人の噂より、この起きている現象を信じることです。
そうして、それほどの愛ある現象が起きている者のいうことを一度聞いてみることです。そうすれば、これまで自分が知らなかった世界が見えてくるからです。
お年寄りも、最近はずいぶん私に嫌がらせをする人が減りました。しかし、嫌がらせをするお年寄りは減ったのですが、その分、私とすれ違うお年寄りの顔が、かなり引きつっている人が多いのですが、それはどうしたことでしょうか?
お年寄りは時間がないことを知っています。内心は焦っている人も多いでしょう。
もうこの辺りのほとんどの人が、既存の宗教では救われないと知っているのです。では、私のもとに聞きに来られてはどうでしょうか?もうそれしか本当に救われる道はないと知っている人も多いからです。
釈尊やキリストと同じ奇跡が起きているのです。そうであるならそれは、釈尊やキリストと同じ神理を説いている証拠なのですから、もう既存の宗教では救われないと知っているなら、その釈尊やキリストが説かれていた神理を、聞くしか救われる方法はないと誰でも分かるはずです。
では、私にその神理を聞くしかないと思うのですが、そのようなこともすべてこの辺りの人は知っているのです。
知っていながら、それでもそれを認めたくなくて、なお嫌がらせをしてくる人、嫌がらせはやめたがお前のいうことなど聞かんという人、聞きたくても聞きに来る勇気がない人と、そのような人たちばかりなのですが、そのどの人も救われません。
私のもとに来て法を学び、それを実践するしか救われる方法はないからです。(他の地域の人たちより、この辺りの人たちの方が、そのようなことを実感として分かっているだけによけい切実でしょう)
動物たちがすでに気づいて私のもとに寄って来ているのです。すべての動物が気づいているのに、人が気づいていないではあまりに情けないでしょう。
私に気づけば天上界の道が開き(ということは、すべての動物たちに天上界への道が開いているということになります)いつまでも気づこうとしなければ地獄への道しかありません。(ということは、ほとんどすべての人が地獄への道しかないということになります)
これだけ分かりやすいことが起きているのです。もう救われる道は目の前に見えているのです。救われる道が見えているのに、その道を行こうとしないのは愚の骨頂でしょう。
動物たちは、その愛ある道をずいぶん先に進んでいます。動物に先を越されているなど人としての沽券に関わることなのではないでしょうか。
その愛ある道の先を進んでいる動物たちの愛ある動画がまだ残っていますので、それを公開したいと思います。
その愛ある動画を観て(あまりに愛のない)自分たちを少し省みてはどうでしょう。その道を進む以外他に救われる道はないからです。
しかし、自分が愛を出さなければ、その道を進むことはできないからです。
その唯一救われる道を、進んでくれる人がたくさん出てきてくれることを願ってやみません。
(ということは、愛ある人がたくさん出てきてくれることを願ってやまないということですが、その願いはなかなか聞き届けられないようです)
4月 25 2015
不思議な出来事
最近は不思議なことが普通に起きます。まったくもって不思議ですね。
今日も、朝起きて窓を開けると「ピィピィ」鳴いていたすずめが近くまで飛んできて、私の方を見て同じように鳴いていました。
まるで「おはよう」といっているかのようでした。
昨日もまた、そのような不思議なことがたくさん起きました。昨日は午後から久しぶりに荒子川公園に行ってきたからです。(特別、荒子川公園に行ったからということでもないんでしょうが、変わった場所に行くと、やたらそこにいる動物たちの反応がいいものですから。〔笑〕)
あおなみ線に乗って荒子川公園まで行くと、駅を降りるとさっそくすずめが何羽か飛んで来て出迎えてくれました。(駅を降りると、そこで辻説法が始まりますから。そこらへんにいくらでも嫌がらせする人がいますから。私の声が聞こえるとよけい寄ってくるようです)
そんな調子で、私が荒子川公園の中を歩き出すと、もうすずめやらムクドリやらが鳴いたり飛び回ったりして大騒ぎです。(それだけで多くの人に私がいると分かります)
その荒子川公園の中には荒子川が流れているんですが(もう私がいるとみな知っていますので、何かしていく人がたくさんいます)その荒子川のすぐわきで大きな声で辻説法をしていて、それが終わってフッと川の中を見ると、さっきまではいなかった二~三十センチくらいの魚たちがたくさん水面に上がってきていました。(私の声を聞いて底にいた魚たちが水面まで上がってきたようです)
「何だお前ら声が聞こえたので上がってきたのか」とかいいながら、その魚たちを動画で撮りました。(二~三十匹はいたと思います)
そうして、その場所から少し歩いてまた荒子川に向かって呼びかけていると、今度は十~十五センチくらいの魚が数匹水面に上がってきて、私の前を泳いで行きました。
その魚たちを撮っていると、少し離れた場所でも同じような大きさの魚たちが、やはり数匹泳いでいましたので、その魚たちに「お前らちょっとこっちへ来い」と声をかけていると、なんと、その魚たちが本当にこちらに向かって泳いでくるではありませんか。
その魚たちは結局、私のすぐ前まで泳いできて私の前で泳いでいました。
自分で呼んでおきながら「不思議なことが起きてるな」とブツブツいいながら、その魚たちを動画に撮っていましたが、普通であるなら人が声などかければ魚は寄って来ません。
それどころか、人影を見ただけでも魚は逃げるはずなのに、人影どころか声までかけて、それでもまだ寄ってくるのです。なんで私が声をかけると魚が寄ってくるのでしょう?
魚ばかりでなく、鳥まで寄ってくるのですから(餌をやっているわけでもなんでもないのにです)「何でこんなことが起きているんだろう?」と自分に起きていることながら、何か他人事のようでまるでテレビを観ているようでした。
これだけでも十分不思議なのですが、もっと不思議なことがこのあと起きたのです。
その不思議なことの相手は今度は野良猫でした。
野良猫など普通動画に撮らないでしょう。しかし私は撮ったのです。なぜ撮ったのか?
あまりに態度が可愛らしかったからです。それだけ昨日撮った野良猫たち(四匹)は愛想がよかったのです。
普通野良猫など、出てきてもすぐに逃げ出すか、逃げなくても愛想もくそもありません。(愛想のいい野良猫などあまり見たことありませんよね。よほど人になれている野良猫なら別でしょうが)
ところが昨日見た野良猫はすべて愛想がよかったのです。(猫によっては、異常なほどいいのまでいました)だから私は動画に撮ったのです。普通の野良猫とはあまりに態度が違っていたからです。
私が荒子川のほとりを歩いて鳥や魚たちにかまっていると、一匹の野良猫が私の前に出てきました。
「あれ、今度は猫か」と思い、その猫を動画で撮りながら「お前俺のこと知ってるか」と声をかけると、その猫は私の前で背伸びをしながらちょこんと座り、目を細めて「ニャァ」とか小さな声で鳴いています。
私から逃げようとしないばかりか、動画を撮っていてもまったく逃げる気配がありません。むしろ撮ってくれといわんばかりです。明らかに普通の野良猫の態度ではありませんでした。
「この猫、ただの野良猫です」といいながら、その猫を撮っていましたが、その猫、そのあと私の前で寝そべって、まったく私に警戒心を持っていないかのようでした。
まるで私が飼っている猫のようなのです。これが、この猫一匹だけがこのような態度を取ったというのであれば、それはたまたまそういう性格の猫だったのだろうということになりますが、なんと、そのあと三匹の野良猫が出てきましたが、その三匹とも同じような態度を取ったのです。
特に最後に出てきた猫(白と茶のまだら猫です)など、私の前で特に可愛らしい態度を取り、そうして「またな」といってその猫と別れたあと、私は川の反対側を歩いていて先ほどの猫がいた場所を見ると、なんとさっきのまだら猫が川に少し突き出た用水の上に腹ばいになって、私の方をジッと見ているのです。
どうもその猫は、私が歩いて行ったのをずっと見ていたようで、それで私が川の向こう側に回ったものですから、私を見やすいように、その用水の上に移動したようでした。
こういうことが考えられるでしょうか?
私はその猫を初めて見たのです。そうして、その場で少し動画に撮っただけなのです。
それだけのことしかしていないのに、その猫の態度は、まるで私がその猫を昔から飼っていて餌をやって世話をしていたかのような、飼い主にしか見せないような態度をその猫は私に取っているのです。
どう考えても、その猫たちの態度は野良猫がするような態度ではありませんでした。どの猫も私になれていて、まるで私が前から飼っている飼い猫のような態度なのです。
その猫たちは全部動画に撮ってあります。私のいうことが嘘か本当かは、その動画を観て判断してください。
私の周りでは、このようなまったくもって不思議なことが次々に起きています。
不思議ついでにもう少し不思議なことを書いておきますが、私は前に野良猫や飼い犬まで私のことを知ったようです、と書きましたが、野良猫はそんな感じなのですが、人の家の飼い犬はまたまったく態度が違うのです。
まるで私のことを知らないかのような態度を取る犬が多いのですが、しかし、犬たちは私のことを知っているようです。
なぜ、そんなことが分かるのか?
それが分かるのです。犬によっては私をジロジロ見る犬もいますし、私をまったく見ようとしない犬でも何かこちらを気にしている素振りがあります。
それに、そのこちらに関心がなさそうな犬でも、ある時こちらをちらりと見る時があります。そのちらりとこちらを見た時の犬の目が、何か私を見ているようでいて、遠いところを見ているような独特の見方をするのです。
私はこれまであまり人の飼い犬をよく見てはいませんが、それでも可愛らし犬がいるとチラチラ見たりはしていました。しかしこれまで、あんな見方をする犬はいませんでした。
何か最近の人が飼っている犬は様子が変なのです。だから、私のことを知っているのではないかと思うのです。
そう思う理由はそればかりではありません。その飼い犬が一匹でいる時です。その一匹でいる時の私に対する態度が明らかにおかしいのです。
スーパーに買い物に行くと、よく外の柱などにつながれた犬がいます。スーパーの中に犬はつれて行けないので、飼い主が犬を外の柱につないで中で買い物をしているのでしょうが、そのような犬を最近私は二匹見ました。
そのうちの一匹は、私がすぐ近くまで行くのをまったく気づいていませんでした。私がその犬の後ろに行き「オイ元気か」と声をかけると、私の方に振り返ったその犬は、驚いたように目を真ん丸にして嬉しそうに私に近づいてきたのです。
私を見たとたん、一変に態度が変わったのがよく分かりました。
もう一匹の犬は、私が来るのを知っていたようで、私が後ろから声をかけるとくるりと振り向き(その振りむき方がまた可愛かったのですが)私の顔を見ていました。
この犬もずいぶんかわいらしい態度を取ったのです。
どうも飼い犬は、飼い主がいるとかなり飼い主に気を使うようです。だから私がいても知らんぷりする犬が多いのです。(飼い主にあまり気を使わない犬は、私を露骨に見てきますが、そういう犬は少ないようです)
このように、すでにすべての動物たちが私のことを知っているようです。
本当に不思議なことが起きています。
もう私など外を歩けば一人動物園状態になるのです。(笑)
次はどんな奇跡が起きてくるのか分かりませんが、本当に天が起こされる奇跡は計り知れないといわざるを得ません。
黙っていても、このようなことが起きてくる、この法の偉大さもまた計り知れなといわざるを得ませんね。
4月 24 2015
大きな愛
来週中頃くらいから、また異様な暑さとなるようですね。
しかし、最近は天気が正常にいったためしがありませんね。しばらくすると必ず異常な天気が現れます。本当に呆れるほどです。
何でこれだけ天気が異常になるのでしょうか?
この辺りも呆れるくらい同じことを繰り返しています。(このブログのじゃまや嫌がらせなどです)これだけ毎日、悪いことをし続ければ天気が悪くなるのも仕方がない話でしょう。
しかし、よいことしません。なぜそんなに悪いことが好きなのか逆に不思議ですね。(苦笑)
時代の変わり目は、このようになる人が多いのかもしれません。(前の時代に引きずられ、その考えを頑なに変えようとしない)当分は悪いことが続きそうです。
しかし、昨日の動画など見てもらっても分かりますが、水族館や動物園にいる動物たちでもあのような愛を出せるのです。人が愛をまったく出そうとしないのは本当に哀れです。
そのように同じことを繰り返している人たちには、同じ(悪い)ことしか起きませんが(同じようにその悪いことが自分に返る)私に愛を出す動物たちはドンドン増えています。愛を出せば、その愛は必ず自分に返ってきます。
負の連鎖よりも愛の連鎖でしょう。何でそれにいつまでも気づかないのか、本当に哀れなものです。(本当にこの辺りは雰囲気が悪いです。だから書き出しがどうしても暗くなります)
最近は外を歩いていると(鳥が騒ぎますので)年寄りがよく顔を出すのですが、何かいいたそうな人もいれば、私の顔を見て嫌がらせをしようとする年寄りもいます。
実際、嫌がらせをする年寄りもいるのですが、時間がないのはご本人が一番理解されていることでしょう。いつまで同じ態度を続けるつもりですか?そのような態度では救われようがないのです。
心を入れ替え、どうしたら救われるのか、聞きに来られてはどうでしょう。この名古屋の人たちは、もう既存の宗教では救われないと誰でも知っているからです。
歩いているだけで鳥が喜んで大騒ぎを始めるのです。このような者が他にいるのでしょうか?
このような現象は釈尊やキリストにしか起きていない現象です。
その者に、釈尊やキリストと同じ現象が起きているということなら、その者は、釈尊やキリストと同じ神理を説いているということになります。(同じことを説いているから、同じ奇跡が起きているんですもんね)
すでに、既存の宗教では救われないと誰も分かっているのです。それが分かっているのなら、自分たちが救われる方法は、その釈尊やキリストが説かれた本当の神の教え(神理・法)を知る以外ないということも分かるはずです。
では、その者に、その神理を聞く以外ないのではないでしょうか。それが唯一の救われる道だからです。
そういうことを理解している人も多いでしょう。だから、お年寄りは私が歩いていると出て来るのではないですか?救われる方法を聞きたいからです。
そうであるなら聞きに来ればよいではないですか。私は喜んでお話をします。それを(救われる方法を)人に話すことが自分の使命であるからです。
年をあまり取っていない人は、今日明日死ぬわけではない(それだって分からないんですが)ということで、それほど切実にそんなことを考えません。
だから、すぐに行動に出ようとしないのでしょうが、お年寄りは切実です。では、自分がやるしかないのではないですか、所詮は、自分を救えるのは自分しかいないからです。
まだ悪魔の噂を信じ、私を悪魔だと思いこんでいる人は仕方ありませんが、その悪魔の噂が間違いではないか(ということは、悪魔の毒気が抜けかかっているということです)と思う人は、その噂が本当か嘘か、自分で確かめに来てください。
自分で確かめなければ、その噂が本当か嘘かはしっかり確認できないからです。
私がなぜ(ブログを書いた後)外をうろついているのかお分かりですか?
そのように、誰が私に話かけてもいいように、また、私に誰でも話しかけやすいようにぶらついているのです。(あまりに話しかけられないから辻説法や動画など撮っていますが)
もし私にそんな気がまったくなかったら外になど出ません。外に出れば嫌がらせされるのが分かっているんですから、そういう気がなければ毎日のように外に出て行くわけがありません。
家にこもってブログだけ書いています。食事は母が用意してくれるからです。(私の場合、どこでどういう目に遭うかもしれませんし。この噂でずいぶん逆恨みもされていますから)
しかし、あえて毎日のように外に出て行くのは、そのように何か聞きに来る人もいるかもしれないし、多くの人に少しでも法を理解してもらおうと思ってです。
少しでも多くの人に、法を理解してもらおうという愛の心から、私は毎日外に出て行っているのであり、だから、そのような愛を実践することにより、その愛の心が広がって、段々多くの動物たちが私の存在に気づいていったのです。
愛の心が広がれば広がるだけ、その愛を動物たちは感じることが出来るからです。(逆に人はその愛の心をまるで気づきません。だから私に嫌がらせをするのです。愛の心がまったく分からないからです)
私の回りに寄って来る動物たちは、その愛を感じて寄ってくるのであり、だから、私の顔を見なくても私が分かるのです。動物たちは肉体を見て寄ってくるのではなく、その愛を感じて寄って来ているからです。(私が名鉄の野間駅に降りたら、電車を降りる前からすずめたちは私のことを気づいていて、大騒ぎしていたと前に書いたことがありますが、これなどその典型でしょう。すずめたちは電車を降りる前からすでに私の愛に気づいていたのです。だから私が電車を降りる前から私がその電車に乗っていることを知っていたのです)
それほどの愛を出す人がなぜそれほど悪人なのですか?
多くの人々は悪魔に騙されて、その人の愛の広さを知らないのです。
すでに動物たちは気づいているのです。いい加減人も気づくべきではないでしょうか、その人の愛にです。
それほどの愛を出す人こそ、唯一この世を救える人だからです。
(「愛は地球を救う」というキャッチフレーズまであるくらいですから、それはそうでしょう。それに比べて、このブログを書いている間中、このブログを書くのをじゃまをし続けている人たちがいます。このような愛のない人たちに天罰が下らないと思いますか?この人たちは、その天罰まで私のせいにしているのです。このような心の人たちでは、毎日のように悪いことが起きてきても決して不思議ではないでしょう。その心に愛がないからです。私とこの人たちではあまりに起きていることが違う、その理由もよく分かるのではないでしょうか)



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