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5月 01 2015

悪人の証拠

昨日は男子プロゴルフの中日クラウンズを観てきました。

観てきたといっても、私の場合はほとんどまともに観ていられないのですが。(笑)

人が多いところにいると必ずいますからね。悪魔みたいなのが。(笑)怖い顔や表情も変えず嫌がらせをしてきて、なかには笑顔で話ながら嫌がらせをしていく人もいます。

笑いながらやっていく人など、顔だけ笑っていて心は怒りに満ちているのです。思いと表面の顔がまるで違ってるんですから、本当に悪魔のようですね。(苦笑)

昨日行った名古屋ゴルフクラブでも、すずめたちが近くに飛んで来て騒いでいました。そのような場面を見ている人でも、一切かまわず私に嫌がらせです。

「なんでそんな悪い奴にこんなに鳥が寄ってくるのか?」とそのような人たちに聞いたのですが、誰一人答えることが出来ませんでした。

そのような質問一つ答えることが出来ないのに、嫌がらせだけはやめようとしないのです。バカじゃないかと思いました。

ただ去年よりは多少ましになった気がします。(去年は凄かったですからね。あそこに来ているほとんどの人が私を悪者と思っているようでしたから)ソロソロ気づき始めた人も出始めているんではないでしょうか。しかし、まだまだ悪魔に洗脳された人は多いようです。

そのような洗脳されている人が多かったので昼にゴルフ場を出て、近くで昼飯を一人で食べていました。すると、またすずめやムクドリが寄ってきて鳴いたり騒いだりしていました。

本当にこれだけ嫌がらせを受けていて、これだけ孤独感を感じない人もいないでしょう。(笑)

昨日はそのあと、そのゴルフ場から少し離れた場所に大きな公園があるものですから(前日に地図を見て調べました)そこに行って、そこにいる鳥や魚たちの撮影でもしようと思い(私の場合どこでも動物たちの面白い動画が撮れますので)散歩がてら行ったのですが、途中で道に迷ってしまって、結局あのゴルフ場がある赤池の辺りを二~三時間グルグル回っていただけでした。

その公園には行けなかったのですが、しかし、公園に行くまでもないといえばなかったですね。どこにいても鳥が飛んでくるからです。

私が、しばらく歩いているとあちらからすずめが、こちらからムクドリが、そうしてむこうからツバメがと、何かかにか飛んで来て騒いでいます。

ある場所でなど、ムクドリが数羽飛んで来てギャーギャー鳴いて(あのムクドリの鳴き声の大きさは知っている人も多いと思います)そこにすずめも飛んで来て騒ぎ、そうしてツバメまで何羽も飛んでくるものですから、その場所が鳥で大騒ぎになりました。

そこは横の道路が広くてひっきりなしに車が通るので、鳥たちが騒いでいるのがあまり聞こえなかったんですが、それでもムクドリなど異様な声で鳴いていましたし、すずめも大騒ぎです。

そこにツバメたちも加わって飛び回っているのですから、その鳥たちの騒ぎを見て、空を見ている人、こちらを見ている人が何人もいました。

その辺りの人は、私のことを知っていたようなので「あいつのせい」とすぐ分かったようですが、これが私のことを全然知らない人ばかりの静かな町で、こんなことが起きたら、その町に住んでいる人は何事かと思うでしょう。

よく考えてみれば、こんなことが普通は起きるわけがないからです。(天変地異の前触れではないか、と思う人もいるのではないでしょうか)

それだけ不思議なことが起きていると思うのですが、名古屋の人はこのようなことが起きていても、それを不思議とも凄いとも思わず、なんだこいつとしか思わないようです。(苦笑)

しかし、これだけ鳥が寄ってくるのです。よほど愛がなければこれだけの鳥が寄ってくるわけはないと思うのですが、それだけ愛がある者が悪者であると思えませんし、このようなことは釈尊やキリストにも起きていました。

ということは、これだけ善人であるという証拠もないわけですが(まさか釈尊やキリストを悪人と思う人もいないでしょうから)私はこのように、毎日多くの人たちに自分は善人であるという証拠を見せながら歩いているのです。(私が外に出て行って、鳥が寄ってこない日などないですから)

しかし、私に嫌がらせをしていく人で、私が悪人であるという証拠を見せてくれた人は一人もいません。

一つで結構です。またどなたでもかまいません。私が悪人であるという証拠を見せてください。あのサイレンは私が原因であるという証拠でも何でもかまいません。

一つでよいですから、私が悪いという証拠をお見せください。もし、そのような証拠があるのなら、私は自分が悪いと認めましょう。

しかし、そのよう証拠が何一つないのであれば、私に嫌がらせをしている人が全面的に悪いということになりますが、そのような解釈で問題ありませんよね。

問題ないと思います。だって悪いという証拠がないというのであれば、それはすなわちその人が悪くないという証拠であるからです。(悪いという証拠がないのであれば、それはその人が悪くない証拠ですよね。その人が悪くないから悪いという証拠がないのですから)

今のところ、そのような証拠を私に見せてくれた人は一人もいません。ということは(あくまで今のところの話ですが)私に嫌がらせをしている人が百パーセント悪いということになります。

これだけ多くの人が私に嫌がらせをしているのです。さぞ確たる証拠があるのだと思います。そうであるなら早くその証拠を見せてください。見せてもらわないと、これまで私に嫌がらせをした人が全面的に悪いということになってしまうからです。

しかし、もし、何の証拠もなく、そんなことをしていたのなら、そのような人たちは、ずいぶん悪いことをしているということになります。

私が悪いという証拠がないのですから、私は全然悪くないかもしれないからです。

多くの人は、大変な間違いをしているのではないですか?

早く気づかないと取り返しのつかないことになるかもしれません。

(取り返しがつかなくなります。証拠がないというなら、全然悪くない者によってたかって嫌がらせをしているのかもしれないからです。〔その可能性が大ですが〕もしその噂が間違いなら、それは嫌がらせをしている方が百パーセント悪いということになり、その罪は計り知れないのです。そんな大きな罪をつくってしまっては、この時代〔正法の世〕必ず天罰を受けなければいけなくなります。だから取り返しがつかなくなるといっているのですが…もしかして、その天罰まで私のせいにしていませんよね。〔汗〕)

追伸…あちこちで、鳥がたくさん寄ってくるという奇跡が起きているのに、ほとんどの人がその現象を無視しています。昨日も〔ナゴヤ球場の横にある〕公園を通ると、そこで遊んでいる子供などが、でかい音を立てて嫌がらせをしてきました。

お前らそういうことはおかしいだろうと、私が何をいっても聞こうともせず、こちらに嫌がらせをしてきたり、無視したりしています。(そこにはもちろん大人もいました)

こういうことを平気でやっているのです。神の業が現れていても、それに驚くわけでもなく、逆に何でこいつばかりというようなねたみやひがみの心で、嫌がらせをしてきたり(自分たちがちょっかいをかけているのに)無視したりしているのです。

私は、このような神を神と思わない子供の態度を見て、何かゾッとしました。「このような不遜な者たちは滅ぼされるのではないか?」とフッと思ったからです。

これは何もこの辺りの子供だけではないでしょう。大人も同じなのです。

昨日も何か起きたのか知りませんが、どれだけ自分たちに神の業が現れても、それでも自分たちの態度を変えようとしない、どこかの会社の連中もしかりであり、いつまでたっても私に嫌がらせし続けている連中も同じでしょう。

そればかりではなく、昨日のテレビでやっていたある芸能人の癌の記者会見も同じだと思います。

その人は癌の末期であるにもかかわらず、それでもまだ仕事が出来ないのが悔しい、このような病気なったのが悔しいと、悔やんでいるのです。

私は唖然としてしまいました。

その人はもう死が目前に迫っているというのに、それでも神を思おうとはしないのです。自分を反省しようとはしないのです。

そのような病気なったのは、自分自身の心と行いに原因があったのであり、もう神に祈って自分のこれまでのことを反省する以外、救われる道はないのに、それでもまだ仕事のことをいって、病気になったことを悔いているのです。

本当にこのような人たちが哀れです。

この癌の人もそうであるし、どこかの会社の連中もそうで、昨日公園で遊んでいた子供らもそうなのです。

死は常に生と隣り合わせにあるのであって、単にその死を自覚するかどうかの問題だけであり、死がそんなに遠くにあるわけではないのです。誰であっても五分先には死んでいるかもしれないのです。(心筋こうそくかなにかでです)

だからこそ、いつ死んでもいいように(神に召されてもいいように)常に神を思わなければいけないのであり、反省を忘れてはいけないのです。

私たちは神に生かされ今あるにすぎないからです。

それなのにどの人も不遜極まりないのです。自分で生きていると勘違いして神に生かされているという、その自覚がないのです。

現在の日本に毎日のように異常現象が起きている、その意味がよく分かります。あまりに神の心から遠い、そのような人が多いからです。

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4月 29 2015

悪魔の洗脳

昨日も可愛い鳥たちがたくさんいました。

昨日は庄内川に行ったんですが、川べりをブラブラ歩いていると、あまり見たことがない鳥が二羽(つがいだと思いますが)川の上を飛んで行きました。

カワセミみたいな鳥でしたので、カワセミといっておきますが、あまり庄内川では見たことがありませんでした。

「変わったのが来ているな」と思いながら川岸を「お前ら元気か」と声をかけながら歩いていました。魚が跳ねればと思ったからです。(庄内川は堀川ほど魚が跳ねませんから)

最初は魚を目的で声をかけていたんですが、先ほどのカワセミが、私の近くに何度も飛んで来て、高い位置からまっさかさまに川に飛び込んで小さな魚をとっていきます。

それが面白くて、そのうちにカワセミに声をかけるようになり、するとカワセミたちも(いつの間にか四~五羽に増えていました)私の頭上や横を鳴きながら何度も飛んでいきます。そうして川にまた飛び込んだりして何かとっていました。

そのカワセミたちと遊んでいると、また違う鳴き声がしてきて、そちらを見るとツバメが飛んでいます。それにすずめなども交じって、私が歩いている近くに何やかやと鳥が飛んできました。(他に鳩やカラス、ムクドリなどいたものですから)

その鳥たちにかまっていると川で魚が跳ねます。「鳥ばかりでなく魚まで飛んでるじゃん」とかいいながら歩いていると、今度は目の前にカニが出てきていました。(もう少しで踏みそうでした)

「うわ、あぶね」とかいいながら、足をどけたのですが、そのカニは逃げようともせず私の方をジッと見ています。

それで私が「お前こんなところにいると食われるぞ。穴の中に入っていろ」といったのですが、まったく動こうとしません。「早くいけ」と私がいっても動こうとしないのです。

私がここにいるからいけないんだなとも思い、さっさとその場を離れました。そのカニがカラスなどに食われてもいけないからです。

このように私はどこに行っても、いろいろな動物たちにかまわれているのですが、そういう場面を見ているにもかかわらず、それでも嫌がらせをしていく人がいるのです。(庄内川の川岸には散歩しに来ている人がよくいますので)

この私に起きていることが分からないんでしょうか?

何で、これだけ動物たちがかまってくる私が(ということはそれだけ愛があるということですが)それほどの悪者なのでしょう。

普通に考えたら、これだけ動物が寄ってくる者がそれほどの悪人とは思えませんが、ほとんどの名古屋の人は、どれだけ私に奇跡が起きていても、それを奇跡とも思わず「こいつは悪い奴」としか思えないようです。

もう悪魔の噂が心の奥に入り込んでいるからです。つまりすでに悪魔に洗脳されてしまった人が多いのです。

だから私にどれだけ奇跡が起きても、その奇跡を奇跡とは思わず悪魔の業としか思えないのです。悪魔の洗脳にかかってしまった人が多いからです。

これは別に嘘でもなんでもありません。それが本当であるという証拠をいくつか書いてみましょう。

私は前から、このような人たちに違和感があったのです。やっていることがあまりにおかしかったからです。

例えば、私を異様に嫌っているあの態度です。

私の顔を見れば、凄い嫌な顔をする人やムッとする人も多いのですが、中には普通の顔をしていて平気で嫌がらせをしていきます。それどころか、私に笑顔を見せて少し頭を下げながら、私の横を通りすぎていく人まで嫌がらせをしていくのです。

あまりに顔としていくことが違うので、振り返ってその人の顔を見ると、その顔が凄い顔に変わっているのです。(冷たそうな顔でこちらを見ていたり、凄い形相でこちらを見ていたりとです)

そうして、バスやトラック、電車の運転手は、私の顔を見ると一方的にブシュブシュでかい音を立てていきます。

そうして、工事現場や工場の近くを通れば、やはり同じようにでかい音を立てられ、嫌がらせをされるのです。

このような行為は大人ばかりではありません。子供も同じなのです。

子供など何人かでからんできて、散々私をバカにしていくのです。私の顔を見ると、わざわざ走って来て嫌がらせをしていく者までいます。

大人ばかりか、子供まで凄い形相で私に嫌がらせをしていくのです。(子供の中にも何かに憑かれているのではないか?と思えるような、薄ら笑いを浮かべながら嫌がらせをしていく者や冷徹な顔をして嫌がらせをしていく者もいます。子供の様子まで何か変なのです)

こういう人たちのこのような態度、何かおかしくはないですか?

そればかりか、すれ違いざまに嫌がらせをして、振り返ると恐ろしい形相に変わっていたなど(薄ら笑いで嫌がらせをしている子供なども同じですが)まるで悪の心を隠した悪魔のようです。(悪魔は心を変えると瞬時に顔も恐ろしく変わるそうですから)

それにサイレンがたくさんしてくると、目を血走らせて私に嫌がらせをしてくる人までいるのです。(このような悪いこともすべて私のせいです)

普通に考えても、あまりまともではないと思うことを平気でやっているのです。(何か、世にも奇妙な物語を地でいっているような感じです)

よってたかって一人の者に嫌がらせをする、そのような愛も慈悲もない態度、そうして笑顔から一瞬で恐ろしい顔に変わってしまう二重人格者のような態度、こちらの意見など聞く耳を持たないという一方的な傲慢な態度、悪いことを全部人のせいにする責任転嫁、もちろんこのような態度を取ってくるのですから、さぞ陰で私の悪口もいっているのでしょう。

愛と慈悲のなさ、二重人格、傲慢、責任転嫁、悪口、このようなことを考えますと、どう考えても、やっていることが悪魔としか思えないのです。

つまり、こういうことをやっている人たちは、そのやっていることが非常に悪魔に似ているということです。

だから私は、悪魔に洗脳されているというのです。

やることが悪魔そのものだからです。

洗脳されている人は、洗脳されているということが自分では分かりません。だから自分が私にやっていることが、悪魔と同じことをしているとは思わないのでしょうが、もし、悪魔に洗脳されていなければ、このようなことはしないのです。

悪魔の洗脳がなければ、必ず人には(多かれ少なかれです)愛と慈悲の心が備わっているのですから、たった一人の者によってたかって嫌がらせをするということは出来ないのです。

かわいそうという心が必ず出てくるからです。

それに相手の意見をまったく聞こうともせず、一方的な嫌がらせも責任転嫁も出来ません。謙虚な心も持っているからです。

そうして、そんな人をだますような二重人格のような態度もとらないでしょう。そのような態度はまともな人のすることではないと分かっているからです。(そのような態度は詐欺師のようです)

陰で悪口も言わないでしょう。正々堂々と話をするはずです。それが人として当たり前の態度であるからです。

このようなことが出来ていない、ということは完全に悪魔に洗脳されているからであり、だから私に起きている神の奇跡を見ても、奇跡とは思わないのです。

自分の心が悪魔とかし、すでに神の業を神の業と見られなくなっているからです。だから私に鳥などが集まってくる奇跡を見ると腹が立つのです。心が悪魔であるからです。(悪魔は神が起こされる奇跡を見ると腹が立つのです。自分の力とは真逆の力が現れているからです。そのような力を見ると悔しくて仕方ないのです)

私を見るとやたら腹が立つ人は、すでに悪魔に洗脳されているのです。(だから嫌がらせをせずにおれないのです)

しかし、悪魔に洗脳されていては幸せになれるはずがありません。(自覚のないまま悪いことばかりするからです)

早くその洗脳に気づいて、洗脳から抜け出さなければ、どのような不幸が現れるかしれないのです。

「自分が洗脳などされているわけがない」などと自己逃避をしていても、その洗脳は抜けません。

しっかり自分を振り返り反省してみることです。そうすれば、自分が悪魔に洗脳されていたということは、誰にでも分かるからです。

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4月 28 2015

法の価値

昨日は暑かったですね。

北海道や福島で三十度超えが続出したそうですが、四月に東北や北海道で三十度超えが続出しているんですから、まさに異様な暑さです。

やはり極端な天気になっていますね。法を理解していない人が多いからでしょう。(法を理解しなければ中道も理解しないでしょうから。その極端な心がまともに天気に現れています)

昨日は名古屋も暑かったんですが、この暑さだけでなく、こちらはこちらで何か異様なことが起きているようです。

その異様なこととは、今年は愛知県の複数の潮干狩り場でアサリがまったくとれないそうです。それで潮干狩りを中止するところまで出ているそうですが、アサリがまったくとれないなど、ずいぶん異様な現象が起きています。

というか、そのような海岸ではアサリが全然いなくなってしまったそうですが、みな原因がよく分からず頭をひねっているそうです。

愛知県の複数の海岸でアサリが全然いなくなるなど、まったく不思議な現象が起きています。

しかし、最近は(ネパールの地震でもそうですが)多くの人が一変でいなくなるという悲惨なことも立て続けに起きています。アサリが一変にいなくなっても決して不思議ではないかもしれません。(昨日書いていましたが、どこかの会社もまた何か起きたみたいですが〔本当に分かりやすいです〕同じようなことが起きないよう気をつけないといけませんね)

このような悲惨な状況を逆転できるのは、この法しかありません。法を実践しているとこのようなことが起きる、昨日私に起きたことをちょっと書いておきましょう。

昨日は午後から白鳥公園に行きました。私の場合、白鳥公園に行くと一日遊べるからです。

まず白鳥公園に行くと、すずめやムクドリ、鳩やカラスたちやらいろいろな鳥が迎えてくれます。(少々うるさすぎる時もあるんですが)

「おう、お前ら元気か」と鳥たちにかまいながら横に流れる堀川まで行くと、そこでは魚が跳ね出します。声をかけなくても勝手に跳ねますからね。川の中にいる魚たちも鳥たちが騒ぐので分かるのかもしれません。

しかし昨日は少し驚きました。川に向かって「元気か」とかいっていて、ふと足元を見ると岸からすぐのところで、凄い数の細かい魚たちが泳いでいました。

その細かな魚たちが私の声でぶわっと広がったものですから、それで驚いたのです。

足元を見て「うわ、何だこの魚の数は」とかいいなが驚いて見ていると、その細かな魚たちが岸の近くを凄い勢いで泳いでいきます。その流れがずっと続いていたのです。(だから、どれだけの数の魚が泳いでいたのか分かりません。何万匹か何十万匹かはいたのではないでしょうか)

その細かな魚たち、海かなんかに出て行ったのかもしれませんが、とにかく凄い数の魚たちです。

「凄いな」とかいいながら、その魚たちを動画に撮っていましたが(あんまりうまく撮れていなかったですね。ずいぶん画面が動いてしまってです…いつものことですけど)その細かな魚たちは私がすぐ横の岸に立っていても、一切関係なく泳いでいきます。

それどころか、横にぶわっと広がったり、おかしな泳ぎ方をしたり、中には跳ねていくのもいて、その細かな魚たちを見ているだけでも面白かったです。

皆あの泳いでいた魚たちは私を知っているようでした。

これだけの数の魚たちでも、これから海に出るなら、ずいぶん天敵に食べられたりして減ってしまうんだろうなと思ったら、少しかわいそうになり「お前ら頑張れよ」とエールを送っていました。

そうしたら、その私の言葉が分かるようで、嬉しそうに体を揺らして泳いだり少し跳ねたりして泳いでいく魚もいました。本当に可愛いものです。

私の気持ちを魚たちは分かっているようでした。

このように、私が白鳥公園に行くと鳥や魚たちが相手をしてくれます。それにきれいな花も咲いています。鳥や魚を相手にするのがあきたら、今度はきれいな花でも見て心を癒す、だから私が白鳥公園に行くと一日遊べるというのですが、これからは、それに野良猫や飼い犬まで加わるのです。

ちょっとこちらが相手をしきれませんね。(笑)

昨日も四~五匹の野良猫が私の前に現れましたが、その中ですっーといってしまったのは一匹だけで(その一匹もまったくの無視ではありませんでした。こちらをチラチラ見ながら前を歩いて行きました)あとの猫は何だかんだとかまってきました。

これもまた可愛いものです。

しかし、猫もそうですが人が飼っている犬は本当に面白いですね。昨日でも面白い犬が何匹もいました。

私を無視して行く犬もいますが、ほとんどの犬は私の方を見ています。昨日など、私がある犬の前を通ると急にその犬がクルクル回って喜びだし、ちょっと吠えながら暴れていました。

私が近くを通ったので喜んでいるようでした。

また昨日はこんな犬もいました。

白鳥公園の帰り道、ある人の家の前を通るとその家で飼っていた犬が私に向かい「ワンワン」と吠えたのです。

マァ、この犬は家の前を人が通ると吠える犬だったんでしょうが、私が「何だお前、俺のこと知らないのか」といってマスクを取ると(マスクで顔が半分以上隠れていたものですから)その犬は、ちょっとビクッとして急に吠えるのをやめて落ち着かない態度になり、くるりと後ろを向いて家の方に行ってしまいました。

それで私が「オイ、元気かお前」と声をかけたのですが、そうするとその犬はまた振り返って「ワンワン」と二回ほど吠えたのですが、それで吠えるのをやめてまたくるりと向こうむきになり、家の方に歩いて行きました。

あまりこちらがかまっても、この犬はこの犬の立場があります。(私も犬の立場まで考えるようになったのですから大人ですね。〔笑〕)あまり私に愛想よくもできないのでしょう。

それで、そのまま行ってしまいましたが、ずいぶん私も犬には顔がきくようになったものです。(……犬にはって)

私は、鳥や魚たち、そうして水族館や動物園にいる動物たちまでみな私のことを知っているのに、なぜ、そこらにいる野良猫や飼い犬は、知らないのだろうと不思議に思っていましたが、その理由が最近分かった気がします。

そんなに一変に私のことが、そこらじゅうの動物たちに知られてしまっては、私が混乱するからです。このように順番に知られていっても、それでも外に行くとそこらじゅうでかまわれるのです。(動物たちだけではなく、人にまでかまわれる〔ただの嫌がらせですけど〕のですから私も大変です)

こんなことが一変に起きれば、一体何が起きているのかと、さすがに私も訳が分からなくなったのかもしれません。あまりに起きていることが不思議だからです。

それで天は、私のことを野良猫や飼い犬に知らせるのを遅らせたのでしょう。

そのように徐々に起きていることになれていき、そうして、起きていることを正確に世に伝えねばならなかったからです。

そのように順序よく不思議なことが起きて来たものですから、私も順序よく不思議なことを伝えることが出来たのです。

しかし、祈って天変地変や奇跡が起き、この法に逆らっている人たちには災いまで起き、そうして、この世のすべての動物たちが私のことを知りはじめている、これまで起きてきたことを考えてみれば、これだけ不思議な人生もないわけです。

そうして、よくこれだけのことが起きているな、とも思えるわけです。

これだけ不思議な人生を、私はこの五年ほどの間で体験したのです。

たった五年の間にです。

しかし、この五年間はただこの法を拡める、その一心でやってきた五年間ではありましたが、その法にすべてをかけると誓ったとたん、私の人生が劇的に変化したのです。

このようなことを考えましても、現在世界中で起きている異常現象を収めることが出来るのは、この世界の運命を変えることが出来るのは、この法だけであると確信するのです。

わずか一人の者でも、この法にかけると誓っただけで、これだけ劇的に人生が変わるのです。

そうであるなら、この法を大勢の人が学んで心を変えるなら、その人の人生が一体どれほどの劇的変化が生じるのか分からないほどです。

つまり、そのような体験をしている私であっても、この法を知って起きる奇跡は、その限度が分からないということです。(マァ、本当の神の教えとはそのようなものでしょう。神が現す奇跡は、私たち人間の思いなどはるかに超えているからです)

少し書いただけでも、これほどのことが起きています。

この教えを無視することが、どれほどの罪なのかお分かりいただけると思います。

(まして、この教えの流布のじゃまをするなど、一体どれだけの罪になるのか分からないほどです。よくやっていますね。〔どこかの会社の連中ですが〕それだけのことが起きているのにです)

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4月 27 2015

心の維新

ネパールで起きた大地震は凄い被害となっているようです。

二千五百人以上の人が亡くなり(新聞によっては二千八百人以上ともいわれていますが)六千五百人以上の人がけがをし、ネパールと中国にまたがるエベレストでは、その地震の影響で雪崩まで起きて、そこでも人が亡くなっているそうですが、とにかく被害が広範囲にわたっているようです。

ネパールの首都カトマンズでも大きな被害が出て、世界遺産である歴史的建造物まで倒壊してしまったそうです。

これほどの被害が出ていて、まだ世界の多くの人は気づかないのでしょうか?

何かおかしいとです。

無神論の日本はともかくです。共産圏以外の世界の人々はみな神を思い、毎日祈りをささげています。それでもこのようなことが起きているのです。

なぜ、神が存在していて、これほどの大地震が起こされるのでしょう。

そうして、その大地震で数千もの人が亡くなっているのでしょう。しかも、その神を祀ってある歴史的建造物までその地震で倒壊しているのです。

おかしくはないですか?

神が存在するなら、このような無慈悲な、そうして自分が祀ってある建物まで壊わしてしまうほどの大地震を、起こされるはずがないのではないでしょうか?

なぜこんなことが起きているのでしょう?

だから、この法を早く世界に伝えねばならないと、私は何度もいっているのです。

日本もそうですが、世界の人々もです。同じように神に対する態度が間違っているのです。だから、このようなことが起こされるのです。

そのような神に対する間違いが、はっきり分かる時代となったからです。

神を思い、毎日のように祈りをささげている人たちでも、それでもその人たちの神に対する思いが間違っているなら、神はこのような現象を現し、その人たちに気づきを与えるのです。

たとえ神が祀られている建造物であっても、形だけの物などこのように壊されてしまうのです。その建造物には、本当の神に対する正しい思いが入っていないからです。

すべて、そこに住む人々の心の在り方一つなのです。そこに住む人の心だけで、そこに起きることは天と地ほどの違いが出てくるのです。

このネパールに、私が説いている法が伝わっていたのであれば、これほどの被害は出なかったのです。

そうして、その法を理解し私と同じようにすべての動物に愛される、そのような人が五人でも十人でもいたのであれば、このような大地震も起きることはなかったのです。

そのような愛ある人たちが数人でもいれば、神はこれほどの現象を現さずとも、この(ネパールの)人たちは、いずれ本当の神の心を知ることが出来ると理解されるからです。

しかし、残念ではありますが、ネパールに法は伝わってはいませんでした。だから、これほどの現象が起こされたのです。

これからは法が伝わっていないところには、このような現象が多発することになります。何度もいいますが、そのような時代となったからです。もう本当の神の教えを知らなければいけない、そのような時期が来ているからです。

とはいえ、では法があるところにはこのような現象が起きないのか、といえば、そうとばかりはいえません。その法にあまりに逆らう人が多ければ、その場所には、もっとひどい現象が起こされることになるからです。

その法があるところに出ている人たちの、その使命は、どの人たちよりも重要であるからです。

今日も朝から、切れたようにこの法の流布のじゃまをしている人たちがあります。この人たちは切れもするかもしれません。もうこの人たち今週も自分たちに何か起きると、すでに知っているからです。

しかし、それを悟っていながら、まだ同じことをし続けているのです。何と愚かな行為ではありませんか。

世界では、このような大惨事が次々に起きているというのに、自分たちのことだけしか考えない、特別、この人たちだけではありませんが、なんとそのような人が日本には多いのでしょう。

この法が出現しているというのにです。

先ほども書きましたが、法があるところに出ている人の使命は大変大きいのです。しかし、それをいつまでたっても理解せず、自分のことばかりやっている、このような人たちもまた、まことに愚かというほかありません。

今現在、世界に二つとない現象が起きているところは日本だけなのです。(私に起きている現象ですが)

そういう現象を、横目で見ているだけで何もしなくて本当によいのでしょうか?

昨日の花燃ゆではありませんが、国を思う幕末の志士たちが動いたから、日本は変わったのです。

人が動かなければ何も変わりません。

幕末の時代は日本を変えるということでしたが、しかし現在は、世界を変えないといけないのです。

というか、幕末の志士たちは、いまでいう世界を変える、そのような感覚であったと思います。だってあの頃は、藩が自分たちの国であった時代だからです。

あの頃の日本を変えるということは、世界を変えるという感覚であったでしょう。

幕末の志士たちが、すでに持っていた感覚を、現在の日本の人たちが誰も持てないというのでは、あまりといえばあまりの心の狭さでしょう。

昨日の花燃ゆは、吉田松陰が処刑された場面をやっていましたが、その松陰の辞世の句は次のようでした。

「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かめし 大和魂」

この松陰の辞世の句と松陰が命を捨てることにより、多くの幕末の志士たちが動き始めます。

幕末の志士たちさえ持っていた感覚を、現代の人々も少しくらいは持ってほしいと思います。なぜなら現代は、その幕末同様、心の維新が始まっているからです。(幕末は物質的な維新でしたが、現代は精神的な維新です)

人が動かなければ世の中は変わりません。しかし、日本の人々が法に気づいて、それに従い動くのであれば、世界が変わるのです。

いつまでも小さなことにこだわっている場合でしょうか。

追伸…ネパールが大変な時に、ネパールの人々が悪いから、このようなことが起きた的な書き方をしてしまいましたが、もちろんそのようなつもりは毛頭ありません。

日本の人々が、動こうとしないのは(この法を知りながらです)それほど多くの被害をもたらすということを書きたかっただけです。

世界は今それほどの危機に瀕しているからです。自分のことだけやっている場合ではないでしょう。

このような大災害を、二度と起こしたくないからこのような書き方をしているのです。

法が世界に伝われば、多くの天変地変を防ぐことになります。この年々激しくなる天変地変は温暖化のせいではないからです。

それだけでも、この法を世界に伝える価値はあると思います。

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4月 26 2015

動物の不思議23(名港水族館と白鳥庭園)

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