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4月 07 2015

釈尊、キリストと同じ教え

現在は、まさに統一地方選がまっさかりですが、しかし、今回の愛知県に四年前の熱気はありません。何か普通の選挙といった感じです。そういう部分は本当に残念ですね。

それを思うと、前回の統一地方選には夢がありました。

中京都構想や平成の楽市楽座、ぜひやってくださいと、大村知事や河村市長と、お二人が率いる政党の候補者に投票したのですが、まさか四年後、これだけ普通になっているとは思いませんでした。(苦笑)

まさに、夢(国)破れて山河在りですね。(?)

そういう点では、大阪の市長さんは大阪都構想をこの四年の間もいい続け、今度、住民投票までされるとか、それは立派ですよね。

現在の愛知県は、そのように夢も希望もありませんが(そこまではいいすぎですけど。〔笑〕)そのようなものがなくなった代わりに、私が、この愛知、名古屋に法を拡げましょう。(これ以上の夢と希望がある話もないでしょう。釈尊やキリストが説かれた教えが愛知、名古屋に拡がるというのですから)

マァ、迷惑がっている人も多いのですが(というか、迷惑がっている人がほとんどなんですが)大阪都構想同様(都構想と比べるのも変ですが)この教えは拡げないといけない教えなのです。(愛知県どころか世界にです)

いずれは世界に拡げないといけない教えをまず愛知、名古屋から拡げようというのですから、四年前の大村知事がいわれた「日本のど真ん中、愛知、名古屋から日本を変える」というキャッチフレーズ同様、日本のど真ん中の愛知、名古屋から法を日本中に伝え、そうして世界に伝え、世界を変えないといけないのです。(なんとスケールの大きな話でしょう。今回は世界を変えるのですから。どうでしょう、愛知、名古屋の皆さん、もうやるしかないのではないでしょうか…なんか引いてますかね、名古屋の皆さん)

だから、私も選挙カーの声に負けないくらい、声を出して辻説法をしているのですが、マァ、皆さんのあの態度はどうでしょう。もう少しなんとかならないんでしょうか?世界を変えるほどの教えを拡げようというのにです。

昨日もそうでした。高校生くらいの(中学生かな?最近はみな体がでかいのでよく分かりませんが)三人組が、また散々私をバカにしていきました。

どう話しても理解しようとしないのです。それで仕方がないので、では、お前らを通して証明してやるということで、この三バカトリオを祈ることにしました。

一ヶ月祈って、お前らに病気かなんかだしてやるといったのですが、笑っていました。仕方がないので、この連中を一ヶ月間祈ることにします。(それくらい祈れば何か起きるでしょう)

この連中、離れたところに住んでいるので(港区とかいってましたが)私のことを知らないようです。しかし、私のことをバカにするのは、これで二回目です。(この連中、前も、私が祈っているのを見てバカにして来たものですから)

二回も、こんなことをされては法の流布に支障をきたします。こういう連中は一度しっかり祈ってやった方がいいのです。(それに名古屋にいて私のことを知らない方が悪いですし)この連中に何か現れれば、それでまたその連中に縁がある者たちにも法が拡がります。

私に文句をいってきた者は、天が即座にあの世に引き上げるといっていましたが(例えば、柄の悪い連中などに、あまり文句をいわれてしまうと、辻説法が出来なくなるからです。だから、私に文句をいってきた者は天が即座に引き上げるそうです。〔もちろん意見はいいですよ〕前に私が辻説法をしていると、一人、二人、柄の悪そうなのが「お前誰にいっとるんだ」と文句をいわれたことがあるのです。その時に、そのような思いが上がってきました…あの私に文句をいった連中、大丈夫でしょうか。〔汗〕)この三バカは文句をいってきたわけではありません。

少々祈ってもどうということはないでしょう。(三バカトリオへ   三月二十五日、二十六日のブログに動物の不思議14,15,16,17が貼り付けてあるからよく見るように…この連中、私に動物が寄って来るということを信じないのです。ちょうどその時にすずめや〔一羽だけでしたが〕鯉などが〔川を挟んで話していましたので、目の前の川に数匹の鯉が〕寄ってきたのですが、そういう事実を見ても「すずめなんか一羽だけじゃん」とか「この鯉は俺たちに寄ってきたんだ」とか訳の分からんことをいって、その事実を認めようとしませんでした。だから動画を見ろといってやったのです)

このような苦労を毎日しながら、ブログや辻説法で法を伝え、祈りで法の証明をしていく。日本のど真ん中の愛知、名古屋から法が世界に伝わっていきますよう、私は日々努力を続けているのです。

名古屋の人たちは、もう少し法に興味は持たれてはどうでしょうか。(特別、名古屋の人たちだけではありませんが、特にお年寄りは時間がありません。積極的に勉強されてはどうでしょう。他に救われる教えなどないと、このブログを読んでいる人たちはすでに知っているのですから)

どこかの会社など、また何か起きたようですが(態度が極端に変わりますのですぐ分かります。それでもまだ無理してじゃましているのです。本当に哀れというしかありません)このようなことが(先ほどのすずめや鯉が寄ってきたこともそうですが)証明となり、この法の正しさは嫌でも理解せざるを得ないのです。(理解せざるを得ませんよね。これだけ法に敵対する人たちに災いが起き、動物たちが寄ってくるような奇跡が毎日のように起きているんですから)

釈尊やキリストが法を説かれていた当時も、このような奇跡は常に起きていたのです。(単に、そこまでの記録が遺されていないだけです。毎日起きている奇跡まではさすがに遺せません)

その釈尊やキリストと同じ教えを説いている者がいます。(だから同じ奇跡が起きているのです)

少し、その者の話も聞かれてはどうでしょうか。

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4月 06 2015

人の噂を信じる危うさ

今日もどこかの会社、コツコツやっています。(仕事をコツコツやるならいいんですが、嫌がらせをコツコツやっているんですから呆れます。〔苦笑〕)

本当に精が出ます。これでは今週も恐ろしい現象は止まらないでしょう。(本当に哀れです)

哀れな人たちをあまり相手にしていても仕方ありませんが、このような人たちが増えるのは不幸なことです。

だから何度も書いておきますが、直接私のことを知っている人はいないのです。(だって、ここ数年、私はまともに人と話したことがありません。私とまともに話をした人がいないのですから、私のことをよく知っている人がいるわけありません)直接私を知らなくて、人の噂だけで判断していて、それで正しい判断ができるのでしょうか?

あのサイレンを多くの人は私のせいだと思っています。しかし、そう思っている人たちの、その根拠は人の噂にすぎないのです。(そうですよね。回りの人がそういっているからそう思っているだけでしょう)

しかし、人の噂など根拠になるのでしょうか?

なるわけありません。それを知っているから多くの人は、私に嫌がらせをしていくだけなのです。ちゃんとした根拠がないから、しっかりした文句がいえないのです。自分が正しいかどうか分からないからです。

しかし、大丈夫ですか?その程度の根拠で、これほどの現象の原因を一人の者のせいにしていてです。

その根拠が違っているのであれば(回りの人の噂が間違いであれば)私に嫌がらせをしていく人は、まったく罪のない者に罪をかぶせ、嫌がらせをしているということになります。

そうなると、罪のない人に罪をかぶせた罪、それに、そのなにも罪のない人に嫌がらせをした罪、そうして、その罪のない人に罪をかぶせて、その人を犯人と決めつけ人に吹聴した罪など(私に嫌がらせをしていく人など、人に「あいつが悪い」といっていないわけがありませんから)数えきれないくらいの罪を負うことになりますが、そこは大丈夫なんでしょうか?(これ、ご本人が知らないだけで、ずいぶん罪をつくっていることになりますが、本当に大丈夫ですか?)

昨日も書きましたが、その罪をかぶせている者は、鳥や魚がたくさん寄って来る、釈尊やキリストに起きていた同じ奇跡が毎日起きているのです。

おまけに、その者が書くブログで多くの人の心が変わっています。(その嫌がらせをしていく人の意識も変わったのではないですか?)

もし、その者が名古屋の人たちを次々に病気にしているというなら、そんな恐ろしい者に鳥や魚が寄っていくでしょうか?そんな恐ろしい者の書いたブログで、多くの人の心が変わるでしょうか?

そんな恐ろしい者が書いたブログで心が変わった人がいるなら、その人の心はずいぶん恐ろしく変わるでしょうね。そういう恐ろしい心に変わる人が、そんなにたくさんいるのでしょうか?

少しくらいは、そのような恐ろしい心が好きだという人もいるかもしれませんが、大半の人は、そんな恐ろしい心に自分が変わるのは望まないでしょう。

ということは、このブログを読んで心を変えた人は、このブログの中には恐ろしい悪ではなく、救われる善のことが書かれてあると思い、それで心を変えた人が多いと思われます。

悪い人でも、よいことを書くことはできますが、何年にもわたり、よいこと書き続けるのは無理でしょう。必ず、どこかで自分の性格は出てきます。(それもほとんど毎日、自分の考えを書いているのですから)

しかし、何年にもわたり、毎日のように自分の考えを書き、そうして、その考えに同調する人が多いということは、それを書いている者は、人がその考えをまねしたくなる、そのような考えの者であり、それだけ多くの人がまねしたくなる考えの者が、それだけ悪い考えを持っているのでしょうか?

むしろ他の人よりよい考えの持ち主であるから、多くの人がその考えに同調したくなるのであり、そうであるなら、そのような者が、そんな人を次々に病気にさせるようなことをするのでしょうか?

その者の考えを知れば知るほど、その者に起きている奇跡を知れば知るほど、この名古屋で起きているサイレンと、その者は結びつかないように思えますが、いま私をこのサイレンの原因としている人たちは、どのように思われるのでしょうか?

人の噂を根拠として、その人を犯人に決めつけることは、あまりに浅薄ではないかと思えてなりません。

もう少し考えを深め、その者をじっくり見られてはどうでしょう。(そのようなブログの内容やら起きている奇跡やらをです)そうしないと、先ほども書きましたが、もし、自分のやっていることが間違いなら、そのやっていることは大変な罪となるからです。

自分自身、知らず知らずのうちに大変な罪を負うことになるからです。

そのようなこと(大きな間違い)をして、実際に大変なことが起き出したところもあります。そのようなところを他山の石として、同じ間違いを繰り返していてはならないのです。

その者に寄って来る鳥や魚たちが教えているのかもしれません。唯一この名古屋を救えるかもしれない者をです。(鳥や魚たちは、大地震などの予知も出来るのです。そういうことも分かっているのかもしれません)

人の噂はまず正しくありません。そのような噂を根拠とすることの危うさを、もっと理解した方がよいと思います。

(どちらにしても名古屋の人たちは、もう既存の宗教では救われないと分かっているのです。では、その嫌がらせをしている者の教えを聞いた方がいいのではないですか?その者には、鳥や魚が寄って来るという、釈尊やキリストに起きていた奇跡が起きているからです。ということは、その釈尊やキリストと、同じ教えを説いているということにならないでしょうか?同じ現象が現れているからです。これ以上の証明はありません。救われたいのであれば、その者の教えを聞くことです。それ以外救われる道はないのです)

追伸…どこかの球団ずいぶん調子がいいですね。三連敗の後、六連勝して単独の首位となってしまいました。

あの三連敗をしている時は、明らかについていないと思ったんですが、その後、やたらつき出したように感じます。

あの三連敗の後、何か験直しをされたんでしょうか?何かしたのであれば、それが原因なんでしょうが、それにしてもあまりの変わりようです。(何か私に協力してくれました?それをしているのであれば、天が協力しますのでこのようなことも起こるのでしょうが、普通ではちょっと考えられない変わり方です)

まだ始まったばかりで、もう少し様子を見ないと何ともいえませんが、それにしても今年のプロ野球はずいぶん面白い展開になっているようです。

だって、評論家の人たちが予想した展開と逆になっていますもんね。(首位を予想する人が多かったチームが最下位で、最下位予想が多かったチーム〔どこかの球団ですけど〕が首位に立っています)

こういう年は何が起きるか分かりません。(予想がつきません)今年のプロ野球は面白いかもしれませんね。(笑)

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4月 05 2015

噂を信じるのか、それとも現象を信じるのか

どこかの会社、相変わらずくだらない嫌がらせを続けていますが(今日は休みですので静かでいいのですが)いつまで続けるつもりでしょう。困るのは自分たちなのにです。

この会社の連中のしていることを例えていうと、次のようなことなのです。

この会社の横に一軒のお寺がありました。

そうして、そのお寺では毎日午前中は、その寺の坊さんの説法があるのですが、その説法には百人前後の人が集まってきていました。

その百人前後の人に、その寺の坊さんは毎日説法をしていましたが、その坊さんは変わった説法をすると評判になり、多くの人が、その坊さんの説法を聞いて自分の心を変えたのでした。

そればかりではなく、この坊さんは祈るといろいろな現象が現れ、その神通力も話題となって、よけいにその坊さんの説法で心を変える人が出てきたのです。

ところが、その寺の横の会社の連中は、それだけ多くの人の心を変えている坊さんの説法の声がうるさいと、仕事にかこつけてでかい音ばかり立てて、坊さんの説法をじゃまするのです。(自分たちも、その説法を聞いて心を変えたにもかかわらずです)

この会社の連中は、それだけ多くの人の意識を変え(もちろん自分たちも含めてです)祈ると現象が次々に現れているにもかかわらず、その坊さんをただの生臭坊主としか思わず、そのような不遜な態度を続けていたのです。(もしかしたら徳が高い坊さんかもしれないのにです)

その坊さんは、そのようなことをしていてはいけないと何度も注意をしていましたが、その会社の連中は、その坊さんの意見を全く聞こうとはしませんでした。

それでも、その坊さんは注意を繰り返していたのです。これだけ多くの人の意識を変えるほどの教えです。その教えの偉大さと、その説法をじゃますることの罪の深さを知っていたからです。

しかし、寺の横にある会社の連中は、説法のじゃまをするのをやめようとはしませんでした。毎日のようにでかい音を立てて、説法のじゃまをし続けています。その会社が出すでかい音は、横のお寺だけではなく、その近辺の家にも迷惑をかけていました。

それだけ大きな音を、その会社は出し続けていたからです。

そこで、その寺の坊さんは、これ以上いってもこの者たちは説法のじゃまをやめようとはしないだろう(ということは、この者たちは、どれだけ多くの罪をつくるか分からないということです)さりとて、こちらがこの教えを、みなに説くのをやめるわけにもいかない(この教えを説くことをやめれば、多くの人が救われることがなくなるからです)ということで、この者たちのことを天に祈ることにしたのです。

もう自分の力ではどうにもならないので、天にすべてを委ねようと思ったからです。

それで坊さんは「どうぞ、この者たちを正しくお導きください」と祈りました。

すると、この者たちに次々に災いが起きたのです。天がその祈りをきいてくださったからです。

その災いは(現象は)横の会社の連中がやっていることの罪深さと、この坊さんが説いている教えの偉大さを証明するものであったのですが、この会社の連中は、それをいくらいっても認めようとせず「横の生臭坊主の祈りのせいで、俺たちはこんなに不幸なことばかり起きている」と周りに吹聴し、その災いに怒り、説法のじゃまをし続けました。

すると、その災いは段々激しさを増していったのです。

自分たちの罪を一切認めようとせず(どれだけ大きな罪をつくっているのか、単に自分たちが知らないだけなのに)「自分たちは何も悪いことはしていないのに、あの坊主の祈りのせいで、うちの従業員が次々に病気になっている。あの坊主は何とひどい奴か」と、その責任を坊さん一人にかぶせ、自分たちは少しも反省しようとせず、大きな音を立てて(その坊さんだけではなく)周りに迷惑をかけ続けているのです。

しかし、これほど身勝手な態度もないでしょう。自分たちの会社に起きている災いは、自分たちがしている悪行の報い以外の何ものでもないからです。

単に、自分たちがこれまでしてきた数々の悪行の報いが出ているだけなのに、それを全部坊さんのせいにして、自分たちは一方的な被害者であると周りにいいまわって「だから怒るのも仕方がない」と自分たちがやっている(でかい音を立てる)迷惑な行為を正当化しているのです。

しかし、この世で間違った行為をごまかし、どれだけ自分たちの行為を正当化しようと、天はすべてを知っています。自分たちのやっている行為が間違っているから、災いが止まらないのであり、その激しさも増しているのです。

自分たちが悪かったと、その悪行を認め、その行為を反省しない限り、その災いは続くのです。

その会社に起きている災いは、その坊さんの祈りのせいではなく、そのような悪行を行った報いが出ているにすぎないからです。

坊さんの祈りは、その自分たちの悪行の報いを早く現したにすぎないからです。

例えていうなら、このような状況が、どこかの会社の現在の状況なのです。

名古屋の多くの皆さんは、こちらの状況もよく知らず、私が祈ったりして起きたことの悪い部分だけ取って、あいつが悪いといっているのですが、それは部分にしかすぎないのです。(例えば、私が祈って人を病気にしているとかです。何度も書いていますが、私は人を病気にするような祈りは一度もしたことがありません。「正しくお導きください」と祈っているだけです。すると病気になる人もいるということです。その病気は正しく導かれた結果そうなるのですから、そうなった人が反省するしかないのです)

これまでの経過をまるで知らないのです。(例えば、私が、そのように祈った人たちに散々嫌がらせをされているとかです。私は何もしてこない人を、いきなり祈ったことなど一度もありません。それに私の祈りは呪いではありません。その人が、そのようなことをしていてもいけないから「この人を正しくお導きください」と祈っているだけなのです。そういう祈りが悪い祈りなのでしょうか?)

それに人の噂がそれほど正しいのでしょうか?

人のことなどあることないこというでしょうし、それにねたみやひがみも入ります。こいつは気に食わないからと、人から聞いていない悪いことまで付け足していう人もいるでしょう。

それに自分がやった悪いことなどいうわけありません。(例えば、一方的な嫌がらせなどです)自分は善で、私は悪と常にこのような前提でしゃべるのです。

このようなことを考えるのであれば、人の噂をそのまま信じる方が、よほどおかしいといわざるを得ませんが、何回もお聞きしますが、ではなぜ、そんな悪い者に鳥が寄ってくるのですか?

あのような、小さなすずめなどが喜んで寄っていくような人なら、よほど愛が深いと思うのですが(愛が深くないと、あの気の小さいすずめなど寄っていかないと思うのですが…)そんな愛深い者が、理由もなく(また少し気に食わないというだけで)人を病気にさせるような祈りをするのでしょうか?

このような鳥や魚が寄って来るという奇跡は、釈尊やキリストにも起きています。

あのような救世主と呼ばれた方々に起きていた同じ奇跡が、そんな悪魔のような男に起きるということは、あり得ないと思うのですが、では、私に対する悪い噂の方が間違っているのではないのでしょうか?

そのように思わざるを得ないようにも思いますが、不思議なことに名古屋の人たちは、そのような起きている奇跡の現象より、人の噂を信じている人が多いようです。

しかし、人の噂など信じるに値しないのではないでしょうか。そのような噂より、起きている現象を見て判断した方が、正しい判断ができるのではないでしょうか。

噂を信じるのか、それとも現象を信じるのか、どちらを信じるのかは本人の自由ですが、しかしです。

もしかしたら名古屋の多くの人たちは、大変な間違いをしているのかもしれませんね。

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4月 04 2015

恥ずかしい過去

今日もまた凄いですね。(大変な怒りようです)

どこかの会社ですが、昨夜はずいぶん静かでした。態度が極端に違う時は何か起きた時です。(いつもは夜もそこそこうるさいですから)昨日何か起きたとすぐに分かりましたが、今日はもう朝から凄い怒りようです。

本当にこの極端な態度、呆れます。(何度同じ目に遭ったら分かるのでしょう)

それにしてもこの辺り、本当に(サイレンもまだ響いて来ますし)にぎやかです。毎日何か起きています。

何が起きているのか知りませんが、怒ってばかりいるのではなく(人のせいにばかりしているのではなく)少しは自分を振り返り反省されてはどうでしょうか。

そんな「自分に悪いところはない」と堂々いえるほどの善人もいないと思うからです。(そんな善人が多いなら奇跡が起きています。こんな恐ろしい状況にはなりません)

本当に自分に悪いところはないと思いますか?

人の悪口をいったことはありませんか?人に嫌がらせやいじめなどしたことはありませんか?そのした相手がどういう人であれ、そのようなことはみな悪いことです。そういうことをした人は、みな悪いことをしているのです。

それにです。これまでに人にいえないような悪いことをした人も多いはずです。(これまでやった自分の悪いことを全部、人の前で正直にいえる人がいますか?まずいないでしょうね。「この人まじめそうな顔をしていて、こんなことをしていたのか」と思われるのが嫌だからです。「顔は可愛いのに、こんな意地悪なことをしていたのか」と思われるのが嫌だからです)

高橋先生は、弟子たちに「自分が犯した過去の罪を全部紙に書きなさい」といわれたことがあります。

高橋先生は、その人の現在過去未来を一瞬で見通してしまいます。だから嘘は書けません。そういうことをいわれた弟子たちは、みな冷や汗が出たといいます。

ある人は、過去に奥さんに内緒で愛人をつくり、子供までつくっていたことが分かりました。(高橋先生は、そのような過去の罪を大勢の人の前でいわれることはありませんでしたが、その人は、その罪を正直に紙に書かなかったのです。だから、それはばらされたのです)

園頭先生も、その修行をさせられたそうですが、園頭先生は過去の自分の罪を正直に全部紙に書かれたそうです。(高橋先生は、その紙は読まないといわれたからです。その自分の罪を書いた紙は、神に許しを請う祈りをして、その後は燃やされるといわれたからです)

高橋先生は、その紙は読まないといわれましたが、それでも、自分の過去の罪を正直に紙に書くのは、大変な勇気が必要であって冷や汗が出たそうです。

もし、その紙を人に見られ「この人、こんなおとなしそうな顔をしていて、こんなことをしていたのか」と思われるのが嫌だったからです。

園頭先生でもそうなのです。では、このブログを見ている皆さんはどうでしょう。

自分の過去を正直に紙に書いて、人に見せられる人がいるのでしょうか?まず、いないでしょうね。みな、恥ずかしい過去の一つや二つ(もっとありますか?)あるのではないでしょうか。(私だってそんな過去いくらでもあります…威張ることではありませんが。〔苦笑〕)

そういう恥ずかしい過去を持っている人たちがです。「自分に悪いところはない」など、どうしていえるのでしょう。

いえるわけがないでしょう。そういう考えがあること自体、すでに傲慢なのです。

どこかの会社の人たち、怒りたくって、このブログを書くのをじゃまし続けているようですが、いい加減反省されてはどうでしょう。自分たちが、そういう悪いことをし続けているから、そういう災いが起き続けているのです。(もう分かっていると思いますが)

どちらにしても、それだけ災いが起きているのなら、自分たちが反省しない限り、その災いは止まりません。自分たちが滅ぼされる前に、それに気づいてほしいものです。(これ大袈裟ないい方でもなんでもないと思うんですが…その危うさ早く気づいてほしいものです)

そのように皆にいじめられ続けている私は、昨日でも白鳥公園に行きました。

昨日は雨が降っていましたので、人もあまりいませんでした。ちょうどいいと思い、白鳥公園に咲いている桜をじっくり見ていたのですが(しだれ桜なども咲いていますので)桜を見ていると、すずめなど近くに飛んできて「ピィピィ」鳴いています。

また、そこかしこでいろいろな鳥も鳴いていて(マァ、カラスやムクドリが多いんですが)にぎやかなものでした。(ちょっとうるさいんですが。〔笑〕)

前を見渡すと一面に桜の花が咲き、私が歩く回りでは鳥たちが近くの桜の木にとまって鳴いています。そうして横の堀川を見ると、そこにも何羽かカモメや水鳥たちがいて、水面をすいすい泳いでいます。

そればかりでなく、その堀川の魚たちも嬉しそうに跳ねているのです。(水鳥がいるにもかかわらずです。さすがに焦って「お前ら食われるぞ、おとなしくしとけ」と声をかけましたが、何匹かの魚は平気で跳ねていました)

そのようなホッとする情景を見ていたら、そこが天上界のように思えてきて「何か天上界にいるようだな」と何気なくつぶやいたのです。

そうしたらです。近くにいたすずめたちの何羽かが急に大きな声で鳴いたのです。

その声に少し驚きましたが、私が「何だお前ら天上界を知っているのか」と聞くと、とたんにすぐ近くにいた一羽のすずめが大きな声で「ピィ」と鳴きました。

まるで「知っている」と私の問いに答えているようでした。

天上界のことは、鯉たちも知っていたのですから、すずめたちが知っていても何も不思議ではありません。むしろ知っていて当然でしょう。

このような動物たちを見ていると、天上界のことを忘れてしまっているのは、人間たちだけのようです。

天上界のことを忘れているから、人に平気で嫌がらせが出来るのでしょう。(何か哀れですね。そのような人たちがです)

人はいずれ帰るべき本当の我が家があります。(それが天上界です)しかし、この地上界に出ているほとんどの人が、今の心のままでは、その天上界には帰れないのです。

少し反省されてはどうでしょう。そうすれば、この世でいくらでも、その天上の世界を味わうことが出来るからです。(この辺りは、地獄界を味わっている人が多いようですが)

私に嫌がらせばかり続けている人たちは、早くその天上界にいた時の心を思いだしてほしいものです。

その心を思いださない限り、その人たちが救われることはないからです。

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4月 03 2015

神への冒涜

昨日は夕方から夜にかけて、ずいぶんサイレンが聞こえてきましたね。(何かあったんでしょうか?)

昨日のようにサイレンが何度もしてくると、前から歩いて来る人などの顔つきが変わります。あのサイレンがみな私のせいになっているからです。

そうして、嫌がらせをしていく人ばかりになるんですが、そういう人たちに「何でそんな悪い奴に鳥が寄ってくるのか?」と聞いても誰一人答えてくれません。

こちらの質問には一切答えることなく、頭からサイレンを私のせいにして、怒って嫌がらせをしていくのです。一体、このサイレンが私のせいだという証拠がどこにあるのでしょう。

私が、このサイレンの原因だという証拠などどこにもなく、こちらの質問にはまったく答えられないのに、一方的に嫌がらせをしていく、あまりに身勝手な八つ当たりなのではないでしょうか。

この現象は、人が起こしているのでしょうか?それとも神が起こされているのでしょうか?

名古屋の多くの人たちは人(私)が起こしていると思い、私は神が起こしていると思っている、その違いなのでしょうが、しかし、これほどの現象を、たった一人の者が起こすことが出来るのでしょうか?

毎日、何十人という人が病気になっているのです。(それも何年にもわたってです)それをたった一人の者が行っているというのです。そんなこと、とても一人の者が行えるとは思えませんが、それを行えると思っている人が名古屋には多いのです。

そのような考えは、あまりに非常識なのではないでしょうか。あまりに現実離れしていると思わないでしょうか。

しかし、名古屋の多くの人たちは、一人の者が、毎日多くの名古屋の人々を病気にさせていると本気で思っているのです。

私は、このような業は神が(天が)起こしているとしか思えません。

なぜなら、このような現象を神から起こされても仕方がない理由が、私たちにはあるからです。

日本の人たちは神を一とはしていません。それどころか、普段は無神論をいい(それも堂々とです)自分の都合で無神論をいっているはずの神に祈るのです。(神はいないといいながら、初詣などには神に祈っています)

そうしてその祈りも、現世利益ばかりで、神に対するお礼といえば、その時だけのわずかなお賽銭だけなのです。

神を(全知全能の)神とは思わず、召使かなにかのように扱い、自分の都合のよい時だけ(初詣や何か困りごとがある時だけ)神に頼み事をして、普段は神の存在を認めない、そのくせ悪いことがあると神に恨みごとをいって、こういう悪いことが起きるのだから、やはり神などいないと否定する、一体、日本の人たちにとって、神とはどういう存在なのかさっぱり分かりません。

日本の人々は、神に対し、これだけのご都合主義を悪いとも思わず、当たり前のように続けているのです。

このような態度は、神を冒涜している以外の何ものでもないのではないですか?まさか、このような態度が神を敬っているとはとてもいえないでしょう。

しかし、多くの日本の人々は、このような(明らかに)神を冒涜している態度を、神を敬っていると勘違いしているのです。

これだけ大きな間違いがあるでしょうか。日本の人々は(自分たちに自覚がないだけで)神に対し、大変な罪を犯しているのです。

こういうことをやり続けていて、天罰が下らないと思いますか?

神の心が現れる正法の世となれば、このようなこれまで神に対し、犯した大罪の、その償いをしなければいけなくなるのです。

だから、このような現象が名古屋に(日本に)現れたのです。そのような時代となったからです。(日本中で起きている異常現象がそれです。世界で起きている異常現象もそうです。温暖化のせいではありません。神を冒涜しているその罪が、現れる時代となったのです)

この名古屋で起きている現象のきっかけは、運転手連中の私に対する嫌がらせから始まりましたが、しかし、このような現象が起きた理由はそれだけではなかったでしょう。

これまでの数々の神への冒涜が、この現象を名古屋に現したのです。(だから、この現象は日本中に拡がる可能性があります。日本中の人々が神に対する冒涜を、現在においてもし続けているからです)

これまでの神への冒涜、そうして、自分たちの傲慢さが、このような現象を現しているのです。

では、それを反省するしかないのではないですか。反省しない限り神の業は続くからです。

神への冒涜だけではなく、日本の人々が傲慢であるということは、これほどの現象が現れているにもかかわらず、誰も神に頭を下げようとしないことでも分かりますし、この現象を私一人のせいにしていることでも分かります。

先ほども説明しましたように、普通に考えれば、これほどの現象を、たった一人の者が起こせるはずがないからです。

それを一人の者のせいに平気で出来るのです。これこそ傲慢な人が多い証拠であり、もし、謙虚な人が多かったのであれば、これほどの現象をたった一人の者のせいになどせず「これほどのことが起きているのだから、自分たちが悪かった」と、反省する人がたくさん出てくるはずだからです。

しかし、実際は、誰一人自分が悪いとは思わず、その罪をたった一人の者にかぶせたのです。一体、この人たちは、どれだけ罪を犯せば気が済むのでしょう。そういうことをしていること自体(自分を反省することが出来ず、人に罪を擦り付けること自体)大変な罪になるというのにです。

このように自分たちの傲慢さは所々で出ているのです。

災いが何度も起きているところがあるのですが、そこもそうです。自分たちがやっている悪いことは少しも反省しようとせず(今日もちょこちょこやっていますが、このブログの書くのをじゃまして嫌がらせを続けているのです)悪いことが起きたら、全部私のせいです。

このような態度は傲慢とはいわないのでしょうか。(本当に傲慢で身勝手です)

一切自分を省みることなく、金儲けや責任転嫁ばかりしている、このような態度は傲慢とはいわないのでしょうか。

いってはいけませんが、そういう人が多いのではないですか?このような態度にプラスして、先ほど書きました神に対する不遜な態度です。

これでは、日本の人々は神を冒涜している、傲慢な人たちばかりと書いても、決して間違いではないのではないでしょうか。少なくとも外れではないはずです。

日本の人々は、知らず知らずのうちに傲慢になり、神に対し、大変な冒涜をし続けているということです。

それをほとんどの人が気がついていないのです。

だから、このようなことが日本に、そうして名古屋に起きているのです。

そのように人々が傲慢になり、神に滅ぼされた国はいくつもあります。

それなのに、まだ金儲けですか?(仕事が大事ですか?)休みの日には観光ですか?(休日でさえ神を思おうとはしないのですね)

そうして、自分の都合のいい時にだけ、神に頼み事をし、その願いを聞いてくれなければ、その神を否定されるのですか。

人々の傲慢さここに極まりですね。

この大宇宙は誰がつくられたのですか?この地球は、この地球に存在する水は、空気は、一体誰がつくられたのでしょう。

このような物は何一つ人間がつくったわけではありません。すべて神がつくられたのです。この世にある物質すべて神がつくられているのです。人間は、この神がつくられた物質を利用しなければ、チリ一つつくることは出来ないのです。

それほど無力な人間が、すべての物をつくられた神を、そのようにぞんざいに扱っていてよいのでしょうか?

神に生かされていると感謝し、もう少し謙虚にならなくてよいのでしょうか?

今の日本の人々は、何から何まで神を冒涜しているのです。

その神の心を正しく教えているものがあります。(もちろん法ですが)

少しくらい謙虚になって、神の心を学ばれてはいかがでしょうか。

そうすれば、日本に(名古屋に)起きている災いも減ってくるからです。

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