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3月 23 2015

小国日本から大国中国へ

前回の追伸の話をもう少し書きましょう。

中韓両国は、反日政策を取り続けていますが(両国は否定されるのですが)そのような政策が果たして正しいのでしょうか?

どちらにしても大国中国が、小国日本を敵とせねば国内をまとめることが出来ないなど、それが事実かどうかは別にして、そのようなことをいわれること自体、中国の沽券に関わることであり、一番の是正せねばならない点なのであって、中国は日本など全く関係ない、というところを全世界に知らしめねばならないのではないでしょうか。

そうであるなら、日本との外交にいつまでも歴史問題を持ち出してごねるのも(小国であるならともかく)大国中国がされるべき外交方法とはとても思えません。あまりに智慧がないからです。

すでに世界はグローバル化が進み、中国が何かすれば、それが即、世界に伝わるのです。

この(どんな小さなことにせよ)あっという間に世界にニュースが伝わる時代に、それこそ戦前と変わらない外交手法では、世界の人々に笑われるだけでしょうし、世界で笑われるような手法をいつまでも用いていても、決してそれでは中国の益とはならないでしょう。

所詮、時代遅れの手法を用いていては、日、中、どちらにとっても得策ではないのです。

もし、日本の国民性を考え、そうしてこのような外交をされているというのであれば、残念ではありますが、その読みは見当違いです。(中国人と日本人は違うからです)

なぜなら日本人は「お前たちは、悪いことをしたのだからこちらのいうことを聞け」というよりも「もうお互いに悪かったところは忘れて、これから協力していきましょう。どうぞ日本は中国に協力してくれませんか」といわれた方が、力を発揮する民族であるからです。

つまり、日本人は意気に感じた方がより力を発揮するのです。

だから、中国が「先の大戦のことはもういいです。それよりこれからはともに協力して行きましょう」といってくれるなら、それだけで、その中国の度量を意気に感じ、それこそ損得抜きにして中国のために働く人は、日本の中にたくさんいるのです。

日本人とはそのような民族であるからです。

そういうことは損だからしないとか、悪いことをしたから仕方なくするとかいうのではなく(そのような形で日本を従わせても、日本の人たちはそれほど力を発揮しません)日本人は、相手の度量に感動した時(それがどこの国であろうとです)その国のために尽力を惜しまない国民性があるからです。(それは戦後七十年、貴国も含めた世界に対する貢献度でお分かりいただけると思います)

だから、今のような外交方法では、時代遅れでもあるし、あまりに日本の国民性を知らない愚策でしかないのであって、このまま中韓が、このような政策を続けるのであれば、日本との関係はいつまでたってもよくならないのです。

これまではよかったとはとてもいえないでしょう。安倍政権の前でも日本と中国は政冷経熱といわれ、経済の分野では緊密な関係にあっても、政治の分野では疎遠でしかなかったからです。

つまり村山談話を出そうと、小泉談話を出そうと、政治の分野では一向にうまくいかなかったのであり、今度の安倍談話を出すにあたり、村山談話を受け継ごうが何をしようが、結局今のままではうまくいかないということです。

もちろん日本が、中国との関係がこのままでもよいということはあり得ませんし、大国中国とはいえ、世界第三位の経済大国である日本との関係を、このままでもいいとは思わないと思います。

そうであるなら、これ以上、小国日本に何を望まれますか?

日本は何度も書いていますように小国です。これまで出すものは物心両面(金にせよ、いわれるまま書いた談話にせよです)からいろいろ出しております。もうそんなに出せるものもありません。(それとも今度は領土〔尖閣〕まで差し出せといわれるのですか?さすがにそこまでいわれれば日本も黙っていませんが…)

これ以上日本は出すものがないのです。そうであるなら、今度は大国中国が出していただかねばいけないでしょう。

日本は大国中国から何か物をいただこうとは思っていません。いただきたいものはただ一つ『度量』それだけなのです。

その度量を日本にいただけないでしょうか。

それを中国が快く出してくださるなら、日本と中国は(政治の面でも)うまくやれるのではないでしょうか。

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3月 22 2015

桜の開花と心の開花

名古屋の桜が開花したようです。

鹿児島、熊本両県と並び、全国で最も早い開花であったようで、今年の名古屋は春から縁起がよさそうですが、昨日はずいぶんサイレンがしていました。(上げてから急降下させるところが味噌ですね)

こんなこと書きたくはありませんが、こうも聞こえてきてはねぇ、書かざるを得ません。

桜の開花も全国で一番早いのですから、心の開花も全国で一番になればいいのに、その肝心の心がなかなか開花しません。このような結果が出るのも仕方ないでしょう。(バスやトラックの運転手連中はブシュブシュやめそうにないですし)

また戻るんじゃないでしょうね。というか、ここ二、三日、またずいぶんサイレンを聞くようになりましたが、どこかの会社のように現象が進んでいるところもあります。

今度、同じようにサイレンがしてきたのであれば、もはや同じようなことが起きるのではないでしょう。もっとひどい現象が現れるのではないかと思われます。(今度は、嫌がらせをして来た人に即座に現象が現れるとかです。その方がこのサイレンの原因が分かりやすいからです。どこかの会社そんな感じですし)

悪いことをした人に悪いことが現れる、実に分かりやすい、シンプルな理由です。なぜ、こんな分かりやすいことがいつまでたっても分からないのでしょう。まったく不思議ですね。

現に、どこかの野球チームも今年はBクラスと私がいったら、そのいった通りずいぶん今年は調子が悪そうです。(評論家の順位予想では最下位候補にまで上げられていますし)

このチームの選手が私に嫌がらせをしたからです。

そんなことをすれば天がソッポを向きます。当然よい結果は得られないでしょう。(逆に、天がそのチームの方を向いて日本一になったこともあったはずです。その時は私のいうことを聞いた選手がいたからです)

大人から子供まで、ずいぶん多くの人が私に嫌がらせをしています。老い先短い年寄りならともかく、若い人や小さな子で私に嫌がらせをした人が哀れでなりません。その人の今後の人生は決してよいものとはならないからです。

いいですか、私が本当に悪魔であるなら、昨日のような話でも全く逆の行いをするのです。

動物たちはみな私のことを知っているのです。そうして私のいうことも分かるのです。

では私が、その動物たちに「人を襲え」と号令したらどうなるでしょう。

現在そこらじゅうにいる、すずめやムクドリ、カラスは人が近づくと逃げるから怖くないのであって、人に向かって来たら、あれだけ小さな鳥たちとはいえ、何羽も何十羽もいれば恐ろしくて仕方ないのです。

カラスなどもちろんですが、あの小さなすずめであろうと、何十羽ものすずめが一変に向かって来たら、恐ろしいですし、こちらも無事ではすみません。(何十羽のすずめにつつかれたら下手したら大けがです)

そのような鳥たちだけではなく、犬や猫、あるいは小さな虫に至るまで、どんな小さな生き物であろうと狂暴になって向かって来たら、人にけがをさせることも最悪殺すことさえできるのです。

そのような動物たちは狂暴でないから怖くないのであって、一たび狂暴になれば、どんな動物であれ危険極まりないということです。

現にモーゼは、イナゴの大群やカエルの大群をエジプト中に現したこともあるのです。

法を説く者は、それほどのことも出来るのです。

別に人を病気にさせなくても、そんなこともできるのですから、何で私が、バカ正直に人を病気にばかりさせる必要があるのでしょうか?

もし私が本気で人を憎んでいる悪魔であるなら、あらゆる手を使い人を不幸に陥れます。一つのことばかりやることなどないでしょう。(先ほどの野球の話でも、あのチームをまったく打てなくさせることも出来るのです。〔やれますよ。証明しましょうか〕しかし、そんな祈りはしません。私に嫌がらせをして、それでそのままではBクラスですよ、と教えてあげているのです。これ以上よいことはないのではないですか。そう注意しているのですから)

しかし、私は人を不幸にする祈りなど一度もしたことはありませんし、私の祈りはすべて人を幸せにするための祈りであるのです。(そのような祈りを受けて不幸になるのは、その祈られた方が悪いのです。その心を改めれば、その人は幸福になるからです。それを私の祈りは教えているのです)

そういう私の人を幸せにするための行為(説法にしろ祈りにしろです)をすべて否定して、私がやっていることは全部悪いと決めつけ、嫌がらせばかりするから悪いことばかり起きてくるのであって、感謝して報恩の行為を行うのであれば、逆の現象(奇跡)が現れてくるのです。

何度いっても、それを行おうとしませんが、それに逆らってばかりいるから悪いことが起きるのです。(また今回サイレンが増え出したようにです)

しかし、その法を説く人に感謝し報恩の行為を行うなら(過去の人たちは、そのような行為を行った人も多いのですが)多くの奇跡が起こり始めます。

先ほどの動物の件一つとっても、最近は熊やイノシシに襲われる被害や、鳩やムクドリのフン害などもありますが、そのような被害も防ぐことが出来るのです。(法を知る人が増えれば、そのような動物たちが人のいうことをよく聞くようになるからです。この場所に来てはいけないといえば、その場所に来ることがなくなるからです)

法を説く者にいつまでも逆らっていては、百害あって一利なしでしかないのです。

今年の桜の開花同様、名古屋の人の心の開花も、全国で一番早くなっていただくことを願ってやみません。

追伸…日中韓の外相会談が三年ぶりに韓国のソウルで行われました。

諸問題を話し合いで解決し、早期の首脳会談の実現目指して話を進めていただきたいにもかかわらず、また中国は歴史問題を出されるのですか?

もうこの歴史問題は、日本向け外交ということは見え見えなんですし(もはや日本のテレビでガンガンいわれています)どこの国もそれは分かっているんですから、これ以上、歴史問題を出されても(中韓はともかく)周りは引くだけだと思うんですが、そこはどうなんでしょう。

もうこんな時代遅れの外交はやめにして(どう考えても時代遅れですよね。それこそリニアが走る時代に汽車の話をされているようなものです。〔苦笑〕)先の話をされてはどうでしょう。過去のことばかりいっていては、どちらにしても先に進めないのですから。

それにです。先の大戦で貴国にご迷惑をおかけしたことは事実ですが、その件はすでに何度も日本は詫びを入れています。いつまでもそれを許そうとしないのは、貴国の度量にも関わることであり、決して日本以外の他国に対してプラスになることではないのではないでしょうか。(中国は、いつまでも過去の過ちを許そうとしない狭量な国と思われてです)

中国は、その国土同様、心も広いというところをぜひ(日本だけではなく)世界に見せていただきたいものです。(それにすでにグローバルな時代です。世界的に見て、そちらの方がプラスが大きいのではないでしょうか)

許すということは大きな徳を得ることにもなります。その許しを日本がいただけるなら、後で必ずそのお返しはいたします。(この法を必ず中国にも伝えますので。法が伝われば、凄い奇跡が起きるようになります。現に日本には起きていますから)

今後の日中韓会談が建設的な会談となることを願ってやみません。

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3月 21 2015

動物たちの真の姿

やっと食あたりもよくなったようです。(どうも牛丼屋で買った牛丼を、一日おいて食べたのがいけなかったようです。あれを食べてからおかしくなりました)

昨日は昼からわりと体調もよくなったので、天気もよかったし、ブログも書かなかったので、まだブログに書いていない東山動物園に再度行って、動物たちを再確認してきました。

相変わらず可愛いのがたくさんいました。前に行った時も思いましたが、一番ギャップがあるのが猛獣たちですね。この猛獣たちが案外可愛いのです。

トラのようにひねたのもいるにはいるんですが、ヒョウなど可愛い態度を取るのもいるし、ライオンも(メスの方ですが)昨日など私が見ていると、いきなり天井から垂れ下がった木にじゃれついて遊び、最後はそのままごろんと腹を出してひっくり返っていました。

ああいう態度は本当にかわいらしいですね。

オオカミなども、呼んでも来ないのに、私が見ているといつの間にか近くに来てオオカミ同士でじゃれています。そういう場面はみな動画に撮りました。(先ほどのライオンは撮れなかったです。人が前にたくさんいたからです)

鳥も何種類かいたのですが、オウムかなにかはギャーギャー鳴いてるし、キジなどきれいだし、オシドリなどすぐ近くまで来て愛嬌のある態度で小さな声で鳴いていました。

ワシやタカなども面白い態度を取りました。(ワシなど檻の中で飛んで羽をばたつかせるところまで撮れました。少々ピンボケしたのが残念ですが)

カバやサイ、パイソンなどあまり動こうとしない動物もいましたが、それでもなんとなくこちらを気にしているのは分かりました。

その他にも愛嬌がある態度を取った動物はたくさんいました。

ちょっと名前は分からないんですが(何しろあそこは種類が多いもので)猿やネズミの仲間で愛嬌のいい態度を取るものもたくさんいて、見ていて癒されました。コウモリも面白かったし、カワウソは相変わらず元気に泳いでいましたし、ニホンカモシカなど呼んでいたら私の目の前まで来ました。そこもばっちり撮れています。

あのイモリや(前に書きましたが)オオサンショウウオまで愛嬌のある態度を取るのです。どの動物も本当に可愛かったのですが、しかし、なんといってもあそこで一番可愛いのはプレリードッグですね。これはもうダントツでした。(笑)

普通に草を食べてるだけでも可愛いのに、いろいろなことをやってくれるのです。そのいろいろやってる仕草が、もうむちゃくちゃ可愛くて家で飼いたいくらいでした。(笑)

その可愛さ、口ではいい表せませんので動画を見てもらうしかありませんが、その動画を見ても実際見ている可愛さは伝わりませんね。それくらい実際見ているプレリードッグは可愛かったです。

それにしても、動物園に来ている人でカメラを持ってきている人は(あるいは携帯で写真を撮っている人は)多いのですが、私のようにビデオを持ってきている人はまずいません。

私はそれが不思議でならないのです。あの動物たちの仕草の可愛さといったらありません。それが写真では伝わらないだろうと思うのですが、なぜみんな動画を撮ろうとはしないのでしょう?

それほど皆さんの前では可愛い仕草はしないのでしょうか?

よく分かりませんが、少なくとも私の前では、ほとんどの動物たちが可愛い仕草をします。あの動物たちの愛ある姿、一人でも多くの人に見てもらいたいです。

いずれその動画は公開しますが、そのような姿こそ本来の動物たちのあるべき姿なのでしょう。

猛獣たちが見せる獰猛(どうもう)な姿は本来のものではないのです。私たち人間が大調和を果たせば、動物たちも調和するのです。

その、いずれはそのような(調和ある)姿を見せるであろう動物たちの、その将来見せるであろう本当の愛ある姿を私の動画で先にお楽しみください。

私の動画にある姿こそ、本来ある動物たちの真の姿であるからです。

そうして最後にすずめのことも書いておきましょう。(もうすずめはつきものですから。〔苦笑〕)

あの東山動物園にはたくさんのすずめがいました。

そのところどころにいるすずめが、私が撮影をしているとかまってくるのです。(かなりしつこくです。もちろん鳩やカラスもいましたが)

他の動物を撮影していると、近くの木にとまりピーピー鳴くのもいれば、足元の辺りで鳴くのもいる(もう東山のすずめは、人にも他の動物たちにもなれまくっていますから)私が撮影している動物の檻の中まで入ってきて、ギャーギャー騒いでいるのまでいるんですから呆れました。(その檻の中に入ってくるにしても、タカやワシなどの猛禽類の檻の中まで入ってくるんですからね。こちらがヒヤヒヤです。襲われないことを知っているようです)

そのすずめたちには、そこらじゅうでかまわれたのですが(だから動画の中にも、すずめやすずめの鳴き声はたくさん入っています〔苦笑〕)昨日など私が東山動物園から出る途中(回りに人が大勢いたのにです。もう夕方になり動物園も閉まる時間が迫っていたからです)いきなり十数羽のすずめたちが私の足元まで下りてきて、その中の二~三羽のすずめがケンカを始めたのです。

一羽が一羽にかみついてギャーギャー凄い声で鳴いています。

私の足元でそんなことをはじめたものですから、私も黙っているわけにもいきません。

「コラお前ら、何やってんだ」と注意していたものですから、もう人ごみの中で目立つこと目立つこと。(最近辻説法をそこらじゅうでしているので、あまり恥ずかしくもありませんでしたが)

まったく最後までやってくれます。(苦笑)

しかし、回りの人は、そういう光景を見ても、それを微笑ましく見ている人はあまりいませんでした。

どちらかといえば苦々しく見ていた人が多いように感じました。みな私のことを知っていたからです。(そのあと嫌がらせのように「ゴホゴホ」やら「うう~ん」やらやって来る人がたくさんいましたから)

何でそれほど悪い奴にこれだけすずめがかまってくるのでしょう。その場でも、そのような質問をしましたが答えてくれた人は一人もいませんでした。

東山でもサイレンは聞こえてきましたが、いつまで名古屋の人は責任転嫁を続けるのでしょう。(もう恐ろしい現象が止まらなくなっているところもあるのにです)

少なくとも、愛ある人には、動物たちも本来ある愛ある姿を見せてくれます。

責任転嫁をいつまでも続けても、人は救われないし、動物たちのそのような真の姿を見ることも出来ないでしょう。

悪いことは悪いと素直に反省し、そうして愛ある自分になるのであれば、周りに何が起きようと自分は救われることになるのです。

自分が愛を出すなら、動物たちも愛を出してくれます。

よいことが回りに起きてほしいのであれば、まず自分が愛を出すことです。

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3月 18 2015

動物たちの思考の深さ

呆れますね。昨夜もうコウモリが飛んでいました。

夕方六時半頃だったでしょうか、家の近くの公園を通ると私の頭上を三匹も四匹も飛び回っていました。

「お前ら早すぎるぞ」とか「もう出てきたのか」とか声をかけていましたが、もうこの辺り動物の生態系もくそもありません。(笑)

去年の十二月三十一日の夕方、雨が降っているにもかかわらずコウモリを見ましたので、今コウモリを見てもさほど驚きませんが(マァ、昨日は暖かかったから出てきたんでしょうが)それにしても、コウモリが飛びだすのは五月か六月くらいではないですか?

いくら何でも早すぎですね。(笑)

しかし、このまま動物の不思議の動画を撮り続けたら、多分、動物たちの生態の常識がひっくり返りますね。それくらい私に対する動物たちの行動は、これまでいわれていたような単純なものではないからです。

もっと深いものであるからです。

何でみながみな私のことを知っているんでしょう?しかも南知多ビーチランドなんて初めて行ったにもかかわらずです。

初めて行った場所であるのに、そこにいた動物たちがみな私のことを知っていて、私と久しぶりにあったかのように、大喜びしているのです。こんなこと漫画にも出てきませんが、そんな漫画でも出て来ないようなことが現実に起きているのです。(ということは、それだけ考えられないようなことが起きているということでしょうか。普通、漫画書いている人って、何でも思いつきそうな気がしますので)

そればかりではなく、動物たちはみな人の言葉をよく理解しているのです。それは私の動画を見ていれば分かってもらえると思いますが、動画にないところでも、人の言葉をよく理解していると証明されるようないろいろなことが起きているのです。

例えば、南知多ビーチランドから私が帰る時に、スナメリが見送ってくれたと昨日書きましたが、それ以外でもアザラシが面白い態度を取りました。

トドとアザラシがいるプールがあったのですが、そこでも動画を撮りました。

その動画は、あの動こうとしないトドが、一生懸命動き、そうして鳴いているところまで撮れたのでよかったのですが、そこのプールにはアザラシも二匹いました。

しかし、そのアザラシ二匹はプールの中で泳いでいるだけで、一向にこちらを向こうとしません。

それで私が「おいこっちを向け」とかいっていたんですが、一匹のアザラシはそれとなくこちらを向いていたんですが、もう一匹のアザラシは全然こちらを向こうとしませんでした。

それで結局、その一匹のアザラシの顔を動画で撮ることはできませんでしたが、そのこちらを向かなかったアザラシがです。(多分、そのアザラシだと思いますが)

私が帰り際に「またな」とかいって、そのトドとアザラシのいるプールの横を通ると、そのずっとこちらを向かなかったアザラシが、まん丸の目をさらに丸くして驚いたような顔で、私の方をジッと見ているのです。

あまりの悲壮感漂う顔に(ちょっと笑いましたが)「何だお前、こちらに顔を向けられるじゃないか。よし、その顔、最後に撮ったるわ」といって、ビデオを出すと、くるりと顔をまたむこうに向けます。

動画を撮りながら、いくら「こっちを向け」といっても、そのアザラシはこちらに顔を向けようとはしませんでした。

それで私が「じゃ、もういいわ。帰るからな」といって帰りながら、途中で振り向くと、先ほどのアザラシはまた悲壮感漂う顔で私の方をジッと見ているのでした。

何か、可愛いのか、ひねくれているのかよく分からないアザラシでしたが、このようなアザラシの態度を知ってもらえれば分かると思います。

そのアザラシは、私が帰るということも知っていたし、私の言葉もよく分かっているのです。(しかし、思いっきり逆らっていましたが。〔笑〕)

これは先に書いたスナメリも同じで、私が帰るということをよく知っていたようでした。他のイルカやペンギンなども態度には現さなかっただけで、私が帰るという言葉も意味もよく分かっていたと思います。

私は動物たちは確実に人の言葉が分かるし(人に寄っては)その人が何者であるかも知っていると思います。(それはこの世で何者ということではなく、あの世のことであろうと思いますが)

それだけ動物たちは、いろいろなことを深く知っているはずなのに、その動物のことを私たち人間はまるで知らないのです。(今の動物の研究で分かっていることなど、動物たちのほんの一部のことにすぎないと思います)

もし、動物たちの考えをもっと深く知ることが出来たのなら、動物たちのいろいろなことへの理解度や、あるいは神の存在やあの世の存在、人の輪廻転生や災害の予知など分かることがたくさん出てくるかもしれないのです。

私への態度を見ると、動物たちは、そのような(人間がまだ深く理解出来ていない)いろいろな事柄を、よく知っているように思えてならないからです。

私が初めて行った場所の動物たちがみな私のことを知っている、この事実一つとっても、動物たちの思考の深さは分かるのではないでしょうか。(思考といいましょうか、その奥にある何かです。〔テレパシーか何か分かりませんが〕それを解明できることが出来たら、今現在分からないことが、いろいろ分かってくるのではないでしょうか)

何も宇宙や地球ばかり調べなくても、動物たちの思考回路を調べるだけで、この世界の成り立ちや私たち人間のこと、そうして天変地変の予知まで分かってくるかもしれないのです。

動物たちを、もっと調べてみる価値は十分あるのではないでしょうか。

そのようないろいろな疑問の答えは、遠いところにあるのではなく、案外近いところにあるのかもしれません。

科学の発展は、外に外に伸びていくばかりではなく、内に内に深く入って行っても、そこに大きな発見があるのではないでしょうか。外にせよ内にせよ、科学でまだ分かっていないことはたくさんあるからです。

動物たちの思考だけではありませんが、そのような人も含めた意識の中には、実は大変な秘密が隠されているのです。

もう少し、思考の科学を深めてはいかがでしょうか。

(しかし、動物たちの思考は科学的にもっと調べてほしいですね。一体何で私のことをいろんな動物が知っているのか、ぜひ知りたいですからね。それにしても身近なところでも不思議なことは本当にいろいろありますね)

追伸…不思議なことといえば、どこかの会社、恐ろしい現象が止まらないようです。あまりに愛のない行為を続けているからです。(今日も意地になってやっていますが)

愛があれば私に起きているような奇跡も起きてきます。もう少し愛を持たれてはいかがでしょうか。(そうしないと本当にそのままでは滅ぼされますよ)

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3月 17 2015

法を知ることによって知る深い世界

では、南知多ビーチランドであったことを書きましょう。

南知多ビーチランドに入ると、いろいろな魚がいる水槽がありました。一番手前にチンアナゴの水槽がいくつかあったのですが、そのチンアナゴがあれほどこちらを凝視しているとは、この前初めて気づきました。

このチンアナゴは名港水族館にもいたのですが、底の砂の中から細い体を出しているだけで、目まで見えませんでした。それで気づかなかったのですが、南知多ビーチランドは、そのチンアナゴの水槽が、胸の前くらいの高さにあってよく見ることが出来るのです。

それで分かったんですが、チンアナゴのあのこちらを驚いた顔で見ている表情、今も忘れません。(そこも動画で撮ったのですが、この場面はなぜか撮れていなかったのです)

その他の魚も何かこちらを見ているような気がしてなりませんでした。(面白い態度を取る魚もいましたから。それは動画に撮りましたので、その動画を見て判断してください)

その水槽が並んでいる横の部屋に大水槽があったのですが、そこにはエイやサメ、イワシなどがいて、それもまた迫力があって面白かったですね。(相変わらずエイの動きがよかったです。どこにいるエイも変わりません。〔苦笑〕)

しかし、その大水槽の中で一番面白かったのはやはりスナメリですね。

私はこのスナメリとベルーガの違いが、未だに分からないんですが(体がベルーガの方が大きいだけで、顔や形はそっくりですからね)スナメリもベルーガやイルカ同様、愛嬌があり面白い態度をいろいろとりました。(このスナメリは私が帰る時に、大水槽の横を通って「またな」と手を振りながら帰ったのですが、そうしたら、このスナメリが大水槽の一番端まで泳いで私についてきて、最後まで私を見送ってくれました。本当に可愛い奴でした)

その大水槽の横には、ウミガメやカワウソがいる水槽があったのですが、特にカワウソはギャーギャー鳴いて面白かったですね。水槽の中を走り回って愛嬌のある態度で、それも動画に撮ってあります。

他にも可愛らしい生き物はたくさんいたのですが、しかし、なんといってもあそこのツートップはやはりイルカとペンギンでしょう。(笑)

イルカとペンギンは私への態度が突出していました。

ペンギンのいるペンギン館に私が入って行くと、先に家族ずれであろう人たちが三人いました。

人がいるとビデオも撮りづらいなと思ったのですが、そうではありませんでした。その人たちがいたのがよかったのです。その人たちがいたお蔭で、ペンギンたちの態度がどれだけ変わったか分かったからです。

私が入って行くと、ガラスの向こうに数十羽のペンギンたちがいました。先にいた家族ずれであろう人たちが少し場所をあけてくれたので、その場所から私はペンギンの動画を撮り始めたのですが、中にいた一羽のペンギンが大騒ぎを始めたのです。

おかしな恰好で泳ぎ始め、水をバシャバシャやって、とにかくもう大騒ぎです。そのペンギンにつられて他のペンギンも騒ぎ始め、もうガラスの向こう側のペンギンたち数羽は凄い勢いで泳いだり、バシャバシャやったり大騒ぎでした。(それを静かに見ているペンギンたちも何羽もいましたが)

私はゲラゲラ笑いながら、それを見ていたのですが、先に来ていた家族の人たちも、それを見て大喜びしています。

その中の一人の人が(多分お母さんだと思いますが)「さっきまであれだけ静かだったのに、急に騒ぎだした」といっていました。

それで話を聞いてみると、自分たちだけでペンギンを見ていた時は、ペンギンたちは静かだったそうです。突っ立っているペンギンや水の中に入っていても、静かに泳いでいるペンギンばかりだったそうです。(実際私も、そのペンギン館に入ってパッと中のペンギンたちを見た感想は「あれ、ペンギンの人形が飾ってあるのか」と思ったくらいです。それくらい目の前にいたペンギン数羽は動きませんでした)

ところが私が入ってきて、動画を撮り始めたとたん、急に人が変わったように(正確にはペンギンが変わったようにですが)騒ぎだしたそうです。それでこの大騒ぎです。

「それは申し訳なかったですね」といったら「私たちもこういうのが見たかった」といわれていました。

マァ、それはよかったんですが、もっとよかったのは、それだけペンギンの態度が変わったのが分かったことでした。

やはりペンギンたちは私のことを知っているんだな、と改めて思いました。

ペンギンのいる水槽は屋外にもあったのですが、そこでも同じことが起こりました。私が、そのペンギンたちに声をかけながら動画を撮っていると、そこにいたペンギンたちが大騒ぎを始めたのです。

それでその水槽にたくさん人が集まって来て、人もまた大騒ぎになりました。そこも動画に撮ったのですが、その回りの人たちを撮るわけにもいかず、その迫力が動画からはいまいち伝わらないのが残念ですが、とにかく騒ぎになったのは確かです。

あまり私がその場にいては、ペンギンたちがずっと騒ぐと思い、適当なところでペンギンたちのいる水槽を離れましたが、このような不思議なことが次々に起きたのです。

そうして同じ屋外にはイルカのいるプールもあったのですが、そこでまた凄いことが起きました。

私がイルカのいるプールに近づくと、すでにその中にいるイルカたちは(そのプールの中には二頭のイルカがいました)私のことを知っていました。

私がプールに近づくと、その中の一頭のイルカが、いきなりプールの中にあったボールを口に食えて私の方に投げたのです。(だから、このイルカたちを撮った動画のはじめにボールが出てきます)

いきなりボールが私の方に飛んできたので、私は「うわっ」と驚きましたが、そんな感じで、そこにいるイルカたちは私のことをよく知っているようでした。

私が「元気か」と、そのボールをこちらに投げたイルカにいうと、そのイルカは私の方に顔を寄せて、そうして体をぐるりと反転させ、腹を見せているのです。その仕草がまた可愛くて「おう元気そうだな」と話しかけると、今度は嬉しそうに泳ぎ始めます。

プールの中にいた二頭で最初はゆっくり泳いでいたのですが、その二頭で泳いでいたイルカたちのスピードが徐々に上がりはじめ、そのうちに、そのプールの中を凄い勢いで二頭でじゃれあいながら泳いでいるのです。(もうプールから飛び出しそうでした)

私も最初は面白がって見て(動画を撮って)いましたが、あまりのスピードに(本当にすごい勢いで泳いでいました。しかも私の前で急に跳ねたりしてです)これはやばいなと思って「お前ら、もう泳ぐのいいから、少し静かにしろ。ちょっとおちつけ」と何度も声をかけました。

そんな勢いで泳いでいたイルカたちも、しばらくしたら静かになりましたが、そんなことが起きているのですから、こちらは半分ヒヤヒヤです。(そこにいるイルカやペンギンたちに何かあったら私のせいになりますからね)

そんなこちらがヒヤヒヤするほど、そこにいる生き物たちが私を見ると騒ぐのです。まるで私を昔から知っているかのようにです。

知っているかのようにではなく、知っているのでしょう。

だから、それだけ嬉しそうな態度を取るのです。

初めて会う動物たちがみな私のことを知っている、このような不思議なことが、私には毎日のように起きるのです。

私はこの法を知って、人だけではなく、動物たちも過去世からの深い縁があり、そうしてあの世での生活までも知っている(前に書いた鯉の件がありますが)その不思議さに驚くと同時に、この法を知ると一体どれだけ深い世界を知らされるのか、その深さの底が分からないと改めて驚いています。

このような動物たちの不可思議な態度は、まだまだ動画に撮れています。

動物たちが一体何を知っているのか、それは分かりませんが、これだけ不思議なことが私には起きているのです。このブログを見ている人たちは、もっとこの法に興味を持ってもよいのではないでしょうか。

興味を持てば持つだけ、この法を知れば知るだけ、より深い世界が観えてくるからです。

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