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9月 27 2014

法を拡げないことの罪

イラクやシリアで勢力を拡大する「イスラム国」の脅威が止まりません。

アメリカを中心とした数ヶ国が空爆を行い、G7(先進七ヶ国)とEU(欧州連合)が共同声明を発表し、拘束している外国人らの即時かつ無条件の解放を要求しているにもかかわらず、それに従おうとせず、続々と戦闘員を増やして反抗姿勢を鮮明にしています。

世界を敵に回しても、反抗姿勢を崩そうとしないその背景には、信仰(イスラム教)と貧困があるようです。(このテロ集団、資金は豊富なようです。銀行を乗っ取ったり石油の密輸などしてますから)

潤沢な資金で誘い信仰でその結束を図る、これ以上の手はないわけです。(人の心をつかむです)

こうなるといくら世界が相手とはいえ、ちょっとやそっとで、このイスラム国を壊滅させるのは難しいでしょう。信仰で結びついているだけでも難しいのに(宗教戦争など見ても分かりますが)プラス潤沢な資金まであるからです。貧困層は資金だけでもついて行きます。

現にアメリカなどが空爆を行っても、戦闘員が減るどころか増えています。

このような状況を見ても、このイスラム国の壊滅の難しさがよく分かります。(それにこのイスラム国、ずいぶん残忍です。人質の処刑を平気でネットで流しています。これではどこの国がテロ攻撃を受けるかもしれません)

このままでは世界の平和も脅(おびや)かされかねませんが、しかし、もう少し平和的に、しかも完全に、このようなテロ集団を壊滅させる手立てはないものでしょうか?それができる人はいないのでしょうか?

これだけの国が集まっているのです。いくら信仰と資金で結びついているとはいえ、イスラム国は、昨日今日できたばかりの所詮は寄せ集めの集団にしかすぎません。瓦解させることもさほど難しくはないと思います。

では、それができる人が、一人や二人いてもよさそうなものですが誰もいないのでしょうか?…マァ、私なら出来ますけどね。

……。

……。

「専門家が集まり、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をし、それでもよい考えが浮かばないから、空爆を行って壊滅を図っているのに、何でそれ以上に平和的に、しかも完全に、このイスラム国を壊滅させることがお前に出来るのか。バカも休み休みいえ」ということに普通はなりますが、別に嘘ではありません。

私なら出来るから「私なら出来る」といっているのです。

だって私のこの辺りの評判を知らないんですか?(このブログを前から読んでいる人ならお分かりですよね)

私はこの辺りでは、大雨を降らせ、地震を起こし、巨大台風を発生させ、そうして人を次々に病気させる、そんな悪魔のような男と思われているのです。(他の地域の皆さん笑ってあげてください〔笑〕)

そんな悪魔のような男なら、そのような信仰と資金だけで結びついているようなテロ集団、壊滅させるのは造作もないことです。

そうではないですか?だって、テロ集団イスラム国の本拠地(イラクやシリア)に嵐を呼び、地震を起こし、そうしてイスラム国の人々を次々に病気にする、そういうことが起きれば、そのような寄せ集めの集団は段々瓦解していくはずです。

それなら十分平和です。武器で攻撃するわけでもなんでもないんですから。

それに、このような現象はみな自然現象です。誰の恨みを買うわけでもないので、テロの心配もありません。

そればかりではなく私には法があります。信仰の部分でも十分そのような人たちの心を補えるのです。

私に頼みに来てくれるならすぐにでも祈りますが、オバマ大統領か誰か来ていただけないでしょうか?そうすれば、あのテロ集団に次々に災いを起こして壊滅させて見せますよ……何てね、ここに書いたことは半分は冗談ですが、法があるならこのようなことも十分可能なのです。

しかし、まじめな話ですが(間違った)信仰と資金で結びついている集団など、本当に怖いのです。みな死を恐れませんからね。(死ねば天国に行く、来世はお金持ちに生まれるなどいわれてです)どれだけ近代兵器で攻めようと、それを恐れず平気で向かってくるのです。(それに向こうも潤沢な資金がありますので、近代兵器で向かってきますし)

だから、このイスラム国との戦いは悲惨な戦いになりますよ。(宗教戦争だけでも十分悲惨だからです。日本だけ見ても島原の乱など、凄い死傷者が出ました)

このような集団は、人の業をどれだけくりだそうと収まらないのです。このような集団を収めようとするならば、神の業が必要なのです。(神の業が〔嵐や地震など〕次々に現れれば、信仰をしているだけに、そのような現象を普通以上に恐れるからです)

だから法を拡げねばならないし、本当の神の教えが拡がらないと、このような邪法が蔓延(はびこ)り災いがあちこちで起きるのです。

世界の天変地変を鎮め、そうして悪のテロ集団まで収めることが出来るのは、この法しかありません。

法を、日本の人々が世界に広めないばかりに、どれほどの災いが世界中で起きているか知れないのです。

法(本当の神の教え)が出ているのに、それを無視していることの罪の重さ、少しはお分かりいただけるでしょうか。

このような大きな罪を、日本の人々は犯し続けているのです。

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9月 26 2014

この世の修行の難しさ

カリフォルニアにも少々雨が降っているみたいですね。(ここ一日~二日一部地域で雨が降ったみたいです)

やはり五百年に一度といわれるくらいの(ということは、これまでにないほどの)大干ばつです。ちょっとやそっとの祈りではきかれませんね。とても八月中に雨を降らせることなどできませんでした。

九月に多少の雨が降り、これ以降は(カリフォルニアの天気予報を見ていると)何日か雨が続くところもありそうですので、しばらくしたらカリフォルニアも雨が降りだすんじゃないですか?(分かりませんが)

しかし、今年中はカリフォルニアは雨が降らないといわれていたのに、それが九月に雨が降り、以降も雨が降り出しそうなところもあるんですから、それだけ道をつければ私一人の祈りとしては十分でしょう。

もう私が祈ることもないでしょう。あとはカリフォルニアの皆さんの心次第です。(もう少し祈ってもいいんですが、誰も乗ってこないのでこれくらいにしておきます。日本のこともありますし)

もうちょっと日本で話題になれば、私も祈ってもいいんですが、相変わらずの無関心です。それに、この近辺も、もう朝から思いきりテンパっている会社もあります。(次々に何か起きているようですね)まず日本のことに集中しましょう。(ということは、これまでカリフォルニアにいっていた祈りの分も、その会社を集中して祈れるということになります。覚悟してください)

しかし、テンパろうが怒ろうが、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きるのです。(因果応報、善因善果、悪因悪果)そんなこと(責任転嫁)をしている暇があるなら反省することです。

昨日も一昨日も書きましたが、自分たちに愛がないから災いが起きるのです。災いが起きるのが嫌なら、これまでの自分たちの行いを反省し、もう少し愛ある行いをされることです。(私は、ただ家の中でパソコンをしているだけなのに、それに怒り、自分たちが私に散々嫌がらせをして、それで自分たちが天罰食らっているだけなのに、何でこれだけパニくっているんでしょうか?意味が分かりません)

そういうことを一切せず、パニくって怒りたくっているのは見苦しいの一語につきます。

反省が、できないならできないで仕方ないですが、では、その時を静かに待ったらどうでしょう。常軌を逸したような騒ぎ方は哀れというしかありません。(こんなこと書く予定なかったんですが、前の会社があまりに異常な騒ぎ方をしますんでね。〔そうすると周りもつられて騒ぎ出しますので〕無視するわけにもいかないんで、ついつい書いてしまいました。本当に迷惑です。自分たちが悪いのに)

この世の修行に甘えは許されません。悪いことをした人は、その報いを自ら受けるのです。

愛のない人たちの話ばかりでもいけませんが、家庭内の愛の大事さを書いていた昨日、歌手であった夫婦の、夫の方が自殺したというニュースが流れていました。

こういう時に、こういうことを書くのは傷口に塩をすり込むことになりますが、しかし、先ほども書きましたが、この世の修行はそれほど厳しいのです。こういう時に同情していたわってくれる人など、周りにいくらでもいるでしょう。

だから私は、あえてきついことを書きますが、自分の夫が死ぬほど悩んでいるのに、そのことにまるで気づかない妻など、全く夫に対する愛がなかったといっても過言ではないのです。

「夫を愛していた」と、その妻はいうのかもしれませんが、本当に夫を愛していたのであれば、夫の何気ない仕草にも夫の死ぬほどの悩みは現れます。

本当に夫を愛していたのなら、その夫の心の中の悩みを妻が気づかないはずがないのです。

夫が、死ぬほどの悩みを心に抱いていたのであれば、それは昨日今日のことではないでしょう。もうずいぶん前から悩んでいたと思います。その死ぬほどの悩みを一緒にいる妻がまるで気づかないのです。

夫はどれほど悲しかったことでしょう。どれほど寂しかったことでしょう。

そのような夫の心さえ、その妻は分からなかったのです。

どれだけ自殺した夫は妻に「お前は俺のことを何も分かっていない」と叫びたかったことでしょう。「もう少し俺のことを分かってくれ」と頼みたかったことでしょう。しかし、夫は、そのようなことを一切妻にいうことなくこの世を去ったのです。

遺書が残されているということですが、その遺書も、どこまで本心が書かれてあるか分かりません。そのような妻への思いを夫は死んでもいえないからです。

それこそ妻への愛が、死ぬ間際に、そんな恨みのようなことを妻にいうことを拒むからです。それが男の心だからです。

私は、その夫の心を思うといたたまれなくなります。もし、妻がもう少し夫の心を理解してくれていたのであれば、この夫は自殺することはなかったからです。

もう少し妻の愛が深ければ、この夫は幸せな結婚生活を送れたからです。

こういう愚痴のようなことを、死にゆく夫が妻にいえるわけがありません。だから私が代わりにいいました。

この私の言葉で妻が反省してくれるなら、その夫が地獄に堕ちても(自殺した人は例外なく地獄に堕ちます。それこそどのような言い訳も通用しないのです。自分にとって一番悪いことを自分にしたからです)早く天上界に上がることが出来るからです。

だからあえて書いたのです。

このように、この世の修行とはそれだけ厳しいものであり、また誰に対しても公平なものであるのです。

愛を出せば、その分自分にも愛が返ってきて、幸せな人生を送ることが出来ますが、その愛が中途半端なものであってはいけないし(それだと不幸になります。愛を出すなら心から本物の愛を出さないといけないのです)愛を出さずに怒りばかり出しているなら、それは不幸な人生しか送れないということです。

幸せな人生を送っている人は、自ら幸せになることを実践しているから、幸せになっているのであり、不幸な人生を送っている人は、自ら不幸になることを実践しているから、不幸になっているのです。

誰の責任でもなく、すべてそれは自分の責任であり、起きていることに言い逃れは出来ないのです。

今のあなたの人生は幸せですか?それとも不幸なのですか?

不幸な人生を送っている人は、これまでの心と行いを少し反省されてはどうでしょう。そうすれば人生も変わってくるからです。

しかし、本当に不幸な人とは、そのような反省を全くできない人なのです。

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9月 25 2014

主婦業の偉大さ

台風十六号から変わった温帯低気圧の影響で、各地で大雨になりました。

名古屋も未明から、ずいぶん激しい雨が降ったようで、名古屋駅の地下鉄に雨水が流れ込んで浸水し、一部の地下鉄が運転見合わせで、いつ復旧するかめどが立たないそうです。(名古屋駅の地下鉄ですからね、また混乱しますね)

今年は、このような大雨の被害が本当に多いんですが、昨日はそのような大雨被害ばかりか、福島で震度4の地震が続けて起きて、肝を冷やしました。

法もなければ愛もない、そのような国には本当にろくなことが起きません。それをいつ気づかれるのでしょうか。

このような災いばかり日本は起きていますが、愛のないところに災いは起きます。ですから、昨日の家庭内で愛をもらっていないという話を、もう少し書いておきましょう。

ある人が自分の家に帰ってきました。すると「お帰りなさい」と出迎えたのは子供たちでした。

いつもは妻が出迎えるのに、今日は子供たちです。

そうすると、その家に帰ってきた、その子たちの父であるその人の第一声は「お母さんどこ行った?」と聞くのです。

これは子供たちも同じでしょう。学校から家に帰ってきて、母以外の人が出迎えた場合、その子たちの第一声は必ず「お母さんどこ行った?」なのです。

母親は、少し近所の用事で出ていただけかもしれないし、食事の用意をしていて足らないものが出たから、それを近所のスーパーに買いに行っていただけかもしれない。

その後、すぐに母親が帰ってきても「お母さんどこ行ってたの」と子供たちに聞かれるわ、夫は不機嫌になるわで、一々干渉され「あなたたちのためにやっているんでしょう」と、その家の主婦は怒るかもしれませんが、しかし、そういうことで怒ってはならないのです。

その前にその家の主婦は、なぜ家に帰ってきた夫や子供たちが、自分がいない時の第一声が「お母さんどこ行った?」なのか、その意味をよく知るべきなのです。

なぜ夫や子供たちが家に妻(母)がいないと、その第一声が「お母さんどこ行った?」なのか?

それは女が家にいると心が安らぐからです。

家に帰ってきて妻(母)の声が聞こえると、帰ってきた夫や子供たちは「ホッ」として、それだけで心が安らぐのです。その安らぎを求めて家族は家に帰ってくるのに、その時、妻がいないと寂しさや不安が心をよぎり、それでいなかった妻が帰ってくると(本当はうれしいのですが)夫は「お前どこに行っていたんだ」と不機嫌になるし、子供は「どこに行っていたの」と一々聞くのです。

妻(母)がいなかった寂しさ、不安をまぎらわしたいがためにです。

そのような夫や子供の心を知ろうともしないで「一々干渉されて息が詰まる」と、それで外に働きに行ってしまう主婦もいるようですが、これでは妻としても母としても失格なのであり、昨日私がいった愛がない家庭とはこのような家庭をいうのです。(こういう家庭が最近は多いのではないでしょうか)

しかし、このような毎日の何でもないことでも、実はそこに愛の心が隠れているのであり、そのような愛を毎日もらった子供と、そのような愛をもらっていない子供(たとえば両親が共働きで、かぎっ子だった子など…最近かぎっ子っていわないですか?)では、成長した時に心に愛を持っているか、いないか大きく変わってくるのです。(当然、心に愛がたくさん入っている子の方がよい人生を送れることになります)

例えば、今回最悪の結果になった神戸の誘拐事件でも、あの容疑者は毎日のように酒を飲んで酔っぱらっていたといわれます。

あれなど心に愛が入っていない典型のような症状で、心に愛がないので素面(しらふ)でいると寂しくて仕方ないのです。その寂しさを酒でまぎらわしていたのですが、その心のすきに悪魔が入り込み、そうして今回のような、小さな子供をさらって殺し切断するという悪魔の所業を平気で行ったのです。(まだ自分がしたと認めていないので、はっきり犯人とはいえませんが)

結局、主婦が(家にいるかいないか)そのような小さな愛を少しづつでも出せるか出せないか、それだけでも、人一人の成長に大きくかかわってくるものなのであり、それだけ家庭内の母が出す愛、妻が出す愛とは大事なものなのです。

簡単な例を上げましたが、主婦業とは家事育児をただやればいい、というわけではなく、そのような生活の中で、自分にしか出せないを愛を夫と子供に出し尽くす、それが本当の主婦業であり、それを戦前の女性の多くは普通に行ってきたのです。

だから、家族が十人いようと十五人いようと(戦前は大家族でしたから)今のように洗濯機やら掃除機やらない時代であっても、その大家族を一人で面倒を見ることが出来たのであるし、そのような大家族で育った子供たちも、みな立派に育ったのです。

そのような母の愛をいっぱいもらっていたからです。

現在は、その戦前に比べどれほど物質的に豊かになったでしょう。しかし、心的にはどれくらい貧困になったか分かりません。現在の母親は、たった一人の子供さえしっかり育てることが出来ないのです。その一人の子供で育児ノイローゼなる人もいるからです。

それもこれも、心に愛がなくなったため起きる不幸なのです。

先ほどのような凶悪な事件だけでなく、自分の子供に食事を与えず餓死させてしまう親もいます。パチンコに夢中になり、車の中に置き去りにした子供を熱中症で死なす親もいます。このようなことすべて、愛がないから起きることなのです。

このようなことが戦前に起きていたでしょうか?食事ができなくて餓死するということはあったかもしれませんが、子供を平気で餓死させる親や、子供をほっておいて熱中症で死なせる親などいなかったように思います。(最近ですもんね。こういう事件が起き出したのも)

戦前の主婦業こそ、本当の愛ある主婦業であったからです。だから多くの人が愛ある人に育ったのです。

それを社会、共産主義者が、戦前の女性は虐げられていたと、家に縛り付けられていたと、専業主婦がさも悪いことであったかのようにいいまわったのです。

その結果、現在のようにまともな主婦業が全くできない女性が増加し、愛ある人が減り、治安も悪化し、国力も落ちるという惨憺たることになっているのです。(結局、元である家庭を壊されたら〔まともな主婦業ができない女性が増えれば家庭は壊れます〕当然社会生活もおかしくなります。だから、その元の家庭を、愛ある家庭に変えないと社会生活もまともにならないということになります)

しかし、戦前の女性は別に虐げられていたわけでも(そういう部分がゼロだったとはいいませんが、そういう部分は戦後改善されているはずです)家庭に縛り付けられていたわけでもなく、女としての本当の使命を役割を果たしていただけなのです。(ほとんどの女性は、そのような主婦業を通し自分の心を磨くよう使命を持って生まれているからです)

この世に愛を復活させるには、まず家庭内での本当の母の愛、妻の愛を復活させないとできないのです。

それには片手間に主婦業をやられても困るので、それで私は「仕事を望む女性ばかりでなく、専業主婦を望む人にも、もっと支援をしないといけないでしょう」といっているのです。

しかし、主婦業とは、現在の多くの人が思っているような軽いものでも、女性を縛り付けるものでもありません。すべての人を生み育てる偉大な仕事なのです。(私たちは、そのような主婦の下で皆育って来たのです。それこそ総理大臣から、私のような一般の者までです)

何でそんな偉大な仕事を軽く見るのですか?

現代の主婦業を軽く見る、まず、そのような思想を改めなければいけないのです。

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9月 24 2014

女性の在り方

昨夜は(少々ビールを飲みましたので)酔ってバカなコメントを書いてしまいました。(笑)

しかし、バカなコメントととはいえ出生率が低下している日本で、私もその改善に少しでも貢献したいとの意図からです。(ホンマかいな〔笑〕)

どこに自分の才能が眠っているか分かりません。(それは男性女性ともにです)自信のある男性陣は(別に女性でも結構ですが)コメントを送られてはどうでしょうか?

しかし、その出生率が低下している日本で、いま盛んに安倍総理がいわれている女性に対する政策は解せません。

何であんな政策を掲げているんでしょうか?

その解せない政策とは、もちろんあの「2020年までに指導的地位にある女性の比率を三十パーセントに引き上げる」というあれです。

いくら総理が、そのような目標を掲げても、その肝心の女性たちが子育てとの両立は難しいとか、指導的立場に立ちたくないとかいっているんですから、そういう声を無視して、そのような目標を掲げてもあまり意味がないと思いますが、とりあえず、女性の社会進出を促さないと、世界に恰好がつかないということでのパフォーマンスですか?

それなら結構ですが、あまり女性の指導的地位の向上を促されても、肝心の女性たちが乗り気ではありません。

それに先ほど書きました、女性を社会に出して、では、子育てはどうするの?という問題も出てきます。家庭がおろそかになっては、その働く女性たちも困ります。

仕事と家庭、どちらを優先するかは、女性たちが決めればいいことなのですから、政府が口を出す問題ではないのではないでしょうか。

女性があまり社会進出を目指したくないのも分かります。なぜなら、ほとんどの女性が力を発揮する場は家庭であるからです。(それを多くの日本の女性は知っているのでしょう。それだけ世界と比べれば日本の女性は健全であるということです)

だから「女性の能力が発揮できる環境を整える」と総理がいわれるのであれば、それこそ、家事育児がしっかりできる環境を整えた方がよいのではないでしょうか。

その家庭こそが本当の女性の能力が発揮できる場であるからです。

それを分かっていて、総理も立場上とりあえず、パフォーマンスでやっていられるのであればよいのですが、そんなことを本気でやられたら日本がバラバラになってしまいます。パフォーマンスもほどほどに願いたいものです。

だいたい、女性自身が指導的立場に立ちたくないとか、子育ての方が大事だといっているのに、何でその声を無視して(仕事の能力があるとかなんとかいって)仕事を無理やりやらせるんでしょうか?

そのようにいわれる女性も、仕事より、家事育児の方が、よほど能力があるかもしれないではないですか。何でそっちの能力は伸ばそうとせず、仕事の能力ばかりにとらわれるのでしょう。それこそ決めつけなんじゃないですか?

決めつけはいけないんでしょう。(そういう女性の社会進出を促している社会、共産主義の人たちは、特にそういう言葉がお好きなはずですが)

何度もいいますが、そういう働く女性が家事や育児をいい加減にして、家庭がうまくいかなくなったら、それこそ(本来仕事をしっかりしてもらわなければいけない)夫の能力は発揮できなくなる、子供はまともに育たなくなる、そうして家庭崩壊ということにもなりかねないのです。

夫婦間もそうですが、子供の育て方を間違ったら取り返しがつかないのです。その責任は誰がとってくれるんでしょうか?(誰もとってくれません。自分たちでとるしかないのです)

だから、私たちの生活の元の元である家庭内の調和はより大事なことであり、その次に社会生活があるのであって、その順番を間違えてはならないのであり、だから、その家庭の調和を担う女性の役割は、家庭の中で特に重要であると私はいっているのです。

男も女も働いて、そうして家庭内も半々でといったところで、得手不得手があります。男性で家事や育児が得意人も少ないでしょう。その家事や育児が得意な人はやはり女性でしょう。(というか役割です)

では得意な分野で得意なことをやってもらうのが、それこそ一番力を発揮する場であるのだし、それが適材適所ということで、一番いいことなのではないですか?

その女性の得意分野の家庭という場を、現在の世相は、あまりに低く見すぎているのではないでしょうか。

だから、女性の社会進出を促すなどという話が出てくるのであり、家事、育児などというと、何かついでのように考え、それは夫婦半々でやればいいとか、軽く考えてしまうのですが、とんでもありません。

私たちのエネルギーの源はその家庭にあるのであり、外にあるのではないのです。

その家庭の家事育児を軽く考えたがため、働かない若者やストーカーや危険ドラッグなどに、手を出す若者たちが増えたのではないでしょうか。

現在の家庭には愛も調和もないところが多いからです。家庭での育児教育もしっかりやらないところが多いからです。

このようなことは、ただ形だけの家事や育児ではできないことなのです。

お手伝いさんに来てもらい、掃除や洗濯、料理や子供の世話など頼んでも、出来ることはできますが、そのお手伝いさんに愛をもらおうとしても無理です。家庭内を調和してもらおうとしても無理です。もちろん子供の教育をしっかりしてもらおうとしても無理です。

そのようなことは夫婦であり、その子の親である人たちがやらないとできないことだからです。(親子の愛や夫婦の調和を人からもらうことが出来ますか?出来るわけがありません。親子の愛は本当の親であり子でないと出てこないですし、夫婦の調和は本当の夫婦でないとできないからです)

そのように目には見えませんが、家庭内の愛や調和という一番大事な部分を、おろそかにしてきたつけが、現在の世の中に現れているのであり、その一番大事な家庭での愛を忘れてしまった結果が、最近多発している悲惨な事件の数々なのです。(あの神戸の誘拐事件でも最悪の結果になりそうですが、小さい子供を誘拐し平気で殺害できるこのような事件など、心に愛がない最たるものです。そのように愛がない人が増えたのも、家庭内で愛をしっかりもらっていないからです。決して個人の性格うんぬんだけではないのです)

家庭の家事育児を、おろそかにしては絶対にいけないのであり、そんなことを続けていれば結局国益を損なうことになるのです。(そうですよね、こんな事件が続発したら国益どころではなくなります。危なくて仕方ないのですから)

私は女性の社会進出を促す政策も反対なら、女性を指導的地位に引き上げる政策も反対です。逆に家事育児に専念してもらう政策の方が、よほど良いからです。よほど国益になるからです。

社会に出て会社の幹部になり仕事をもっとしたい、という女性はそれはそれで結構ですが(そのような人たちのために環境を整える、というのはそれはやってもらえれば結構ですが)社会に出るより、家事育児が大事と思われる女性たちには、それこそ、それがよくできる環境を整えることも必要なのではないでしょうか。(そうしないと不公平ですもんね)

本当の女性の役割は、その家事育児にあるからです。

どれだけ世界がそうでも間違いは間違いです。古い新しいではなく正しいか正しくないかなのです。

現在の世界の女性に対する在り方は間違いです。(男女平等、同権、女性の社会的地位の向上)なぜならそのような女性の在り方など、釈尊もキリストも教えていられないからです。

釈尊やキリストは、女は家事育児をしっかりせよ、夫婦は一体となれ、と教えていられるのです。(ということは、それがすなわち神の御心です)

釈尊やキリストの教えを学んでいる人たちが(世界はキリスト教を学ぶ人が多いですし、日本は仏教信者が多いのですから)女性の部分だけ、その釈尊やキリストの教えに背くというのはいかがなものでしょう。

その背いている部分が、現在の多くの不幸を巻き起こしていると思えてなりません。

女性の在り方をもう一度考え直されてはどうでしょうか。

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9月 23 2014

法を知ることの大事さ

最近、認知症の行方不明者が増えているようで、NHKのニュースでよくやっています。

うちの父も認知症でしたので他人事ではありません。父も二度ほど、どこかに行ってしまった時がありましたが、幸いすぐに見つかりました。

しかし、五年も十年も行方不明になっている人もいるというのに、自治体が認知症であっても個人保護の条例があり、勝手に個人の情報を出せないということで(本人確認が必要なようです)自治体に問い合わせても、保護された時期や性別や推定年齢をいうくらいで、後のことは教えてくれないそうですね。

ちょっと信じられませんね。(何が信じられないかって、自治体がそのような判断しかしないことがです)健康な人ならともかく相手は病人です。警察だけでは手が回らない部分があるのですから、やはり自治体も積極的に協力すべきでしょう。(家族の身になれば心配でたまらないのですから)

法律と人命ではどちらを優先させるのでしょうか?

いくら自治体とはいえ、少しくらいの融通をきかせ認知症の家族が、行方不明となって困っているという人から連絡が入ったのであれば、やはりそれらしい人のことは、ちゃんと教えるべきではないかと思います。(だって認知症の人は自分では判断ができないんですからね。自治体の人が、代わりにやってあげるなど当たり前のことだと思いますが)

それに個人情報保護条例は例外(明らかに本人の利益になる時は、個人の情報を公開してもいい)があるんですから、それは大いに活用すべきであると思います。(静岡県などやってるそうですもんね)

どちらにしても機械がやっているのではなく、人がやっていることです。人としての愛があるなら、自治体とはいえもう少し融通をきかすべきでしょう。

しかし、このようなことでもです。法を知っていれば救われるのです。

現に私の父がそうでした。一度目に父がいなくなった時、その時はさすがに動揺し祈るのを忘れていましたが(その時は、翌日の早朝四時頃に父が警察に連れられて帰ってきました。その後、父がビールを飲みだして大変でした)二度目にいなくなった時は祈りました。

そうしたら、その日の晩の七時くらいに警察から父を保護しているとの電話が入り、すぐに迎えに行って事なきを得たのです。(その日は父も静かだったような気がします)

法を知っているなら、認知症の人が家族にいて仮に行方不明になっても、すぐに見つかることになるのです。天がそのように導いてくださるからです。

とにかく法を知っているなら、仮に悪いことが起きても、その後よい方によい方に導かれ、結局事なきを得るということになります。

だから法を知らないといけないし、多くの人が法を知るのであれば、それは大いに国益にかなうことになるのです。

だってそうでしょう。多くの人が法を知るのならまず天変地変がなくなります。(マァ、すぐになくならないかもしれませんが、ぐっと減るのだけは確かです)

それに家族に不幸があっても、すぐにその後、先ほどのような幸運が来るんですから、結局その方がよかったということになります。(一つ経験を積んだんですから。そういう体験をすることで自分も成長します)

それに、基本的に法を知っていれば幸福にしかなりません。(不幸があっても、それがすぐ解決し、よかったよかったで終わるんですから、結局それは幸福です)だから、家族も幸せであり、そのような幸せな家族から愛をもらって、男の仕事はよけいはかどるということになりますので、社会も成長するということになり、国も繁栄します。(天啓が次々に降りてよい案もたくさん出てきますので)

それに外交も物質を一とするから揉めるのであって、心を一とするなら、揉めることはないのです。

つまり同じ信仰を持つなら、外交も揉めないということです。互いに譲り合うからです。国益の奪い合いは結局損なのです。(仮に物を多く取っても相手国の恨みを買います。そうするとどこかでそのお返しをされるからです)

だから法が出た国は(如来が出世された国は)その法をその国の人々がよく知って、世界に伝えないといけないといっているのです。

そうしないと真の世界平和は来ないからです。真の世界平和は法(本当の神の教え)の拡がりとともにやってくるのです。

もし、今すぐ多くの人がこの法を知って心を変えるのであれば、いま近づいている台風十六号(フィリピンや台湾に大雨を降らせましたが)の被害さえ小さくすることが出来るのです。

そのような奇跡がすぐにでも起きるのです。(嘘ではありません。あの「地震の巣」といわれている茨木県南部でも、あの風力発電所をなくしてしまえば地震は起きなくなります。私がいっていることが嘘か本当か、一度試してみてはどうですか、どうせ大して発電していないんでしょう)

とにかく、法が出た国が法を勉強し実践しないということが、一番の災いを呼んでいるのです。(それも世界的にです)

では、まずその国が改めなければいけないのではないでしょうか。自分たちの行いをです。

一にも二にもまず法を知ること、そこから幸福の道は始まります。だから多くの人がこの法を勉強してもらうしかないのです。

それが天の命でもあるからです。

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