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9月 22 2014

法を理解しないデメリット

台風十六号が迫っていますね。

この台風、大して強くも大きくもないので日本に来ないだろうと思いましたが、確実に上陸しそうです。フィリピンや台湾など見ても分かるとおり、この台風、秋雨前線と相まって異常な雨をもたらしているからです。

そういう異常な(雨を降らせる)台風なら勢力は弱くても上陸させるでしょう。そうしないと日本の皆さんは、いつまでたっても何も気づこうとしないからです。(それでも、天の意志に気づこうとしないんですからすさまじいです)

また大雨になるんですかね。今年も北海道から沖縄まで、各地まんべんなく大雨の被害を受けています。これでまた大雨が降ると致命傷になりかねない地域もあります。(広島とか、北海道とか)

これ以上、私のいうことを無視するのはやめたらどうでしょう。

そうしないと日本全体が致命傷を負うかもしれません。それだけ如来が出世された国が、如来が説かれた法を無視するのは悪いことだからです。

法を理解しないと平気で天の意志に逆らいます。そうなるとよけい恐ろしい現象が現されるということになります。

北海道にメガソーラーを建設するなら、原発を建設した方がいいのです。その方が異常気象が起きなくなるからです。どれだけ太陽光パネルを設置しても、異常気象で壊されたら何もなりません。(そこに竜巻とか起こされたら一発で終わりです)

それより、そのようなことを起こされないものをつくった方がいいのです。

原発事故の検証が終わっていないだの、原発は事故を起こした時のデメリットが計り知れないだの、だから自然エネルギーを伸ばせというのでしょうが、その自然エネルギーを行っているところに異常気象が起きているのです。(茨木や北海道など)

そればかりか、脱原発を唱えているだけのところにも異常気象が起きています。(この前の選挙戦〔衆議院だったか参議院だったか忘れましたが〕の間中、自民党以外の候補が脱原発を唱えていたものですから、異様な天気になりました。そのことは、逐一このブログに書きましたので覚えている人も多いと思います)

そうであるなら「自然エネルギーはまずい」といい加減分かりそうなものですが、それを分かる人がいないのです。法を理解している人がいないからです。だから、そういうことがまずいと分からないのです。

これはこの辺りの人も同じで、前の会社など今日も完全に様子がおかしいのですが(かなり何か起きてると思いますよ、私にまともに嫌がらせができなくなっているんですから)それでもまだ(それとなく、たまに切れたように)でかい音を立てています。

どれだけ悪いことが起きても、それでも自分たちがそういうことをしているから悪い、とは思わないのです。(認めたくないだけかもしれませんが)

この辺りの人たちも法を理解しようとしないからです。私のブログは読んでいるくせに、読んでいるだけで、理解しようとも実践しようとも思わないからです。

だから悪いことばかり起きるのです。(それを全部私のせいにしていますが)

この辺りの人もそうですが、それ以外の地域の人でもそうです。

法を知っているのに理解しない、これほどのデメリットがあるでしょうか。

その法を理解しようとしないために、自分たちに悪いことは起こる、異常気象は起こる、そういう悪いことがどれだけ起きていても、それでもまだ自分のやり方を変えようとしない、するとまた悪いことや異常気象が起きてきて、自分たちがドンドン不幸になる、それを繰り返しているのです。(まさに災いの連鎖です。私からしたらゾッとします)

よく考えてみれば、これほどのデメリットもないわけです。

だってそうでしょう。この法を理解して、やり方を変えるのであれば、それで奇跡が起き異常気象も収まるのです。

それだけで天と地ほどの違いになるではないですか。

それが嘘ではないということは、このブログに繰り返し書いています。

私くらい奇跡が起きている人が他にいるのでしょうか?私が、くどいくらい自分に起きていることを書いているのは、皆さんとの違いを強調したいためです。

「法を知っているのと知らないのとでは、これくらい起きることが違うのですよ」ということを、知ってもらいたいためだけです。(それをいつまでたっても理解していただけませんが)

このように考えれば、法をいつまでも理解しようとしないデメリットは、一体どれくらいになるのか想像もつかないくらいです。

何度も書きますが、この法を理解し実践してくれる人が増えれば、それだけでです。それだけで異常気象が減るのです。それだけでもどれくらいのメリットになるか分からないのです。

そうではないですか。これだけ異常気象が起きてきたら、何をやってもすぐに元の木阿弥になってしまいます。それどころか(ひどい災害が起きれば)マイナスの方が大きくなってしまうのです。

こんな異常気象が続けば、日本の復活など永遠に望めません。(それどころか終〔しま〕いには滅亡します)

今やっている防災、減災では大して効果がないということは、このブログを読んでいる人たちは皆知っているはずです。

それが本当の防災、減災ではないからです。本当の防災、減災は法を知ることだからです。

どれだけこのブログを無視しようと、その無視している間は災いは止まりません。それだけの罪を皆さんがつくっているからです。(それをこの辺りの人は皆私のせいにしています。一体どれだけ罪をつくれば気がすむんでしょうか)

この法を理解し実践してください。

災いを止めるのに、それ以外の方法はないからです。

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9月 21 2014

愛を持って生きる

昨日は、また中川運河を通ったので運河近くまで下りていきました。

国道一号線にかかる昭和橋の角に派出所があるのですが、その派出所と昭和橋の間に階段がつくってあって、下の中川運河まで下りていけるのです。

そこを下りていって運河を見ると、少し離れたところでさざ波が立っていました。そのさざ波の塊が、あちこちにあり、ずいぶん遠くの方までのびています。

あそこに魚がいることは分かっていましたので、そちらに向かって「オイ元気か」と叫びました。二、三度叫ぶと、その塊のいくつかがこちらに近づいて来ました。

私がいることが分かると、そのさざ波の塊の中にいる魚があっちでもこっちでも跳ねています。

結局そのさざ波(魚の集団)は、私から数メートルの辺りで止まっていましたが、すぐ近くで小魚が何匹も跳ねていましたから、何匹かの魚は、私の目の前の辺りにまで来ていたと思うんですが、いかんせん水が汚くて魚影が全く見えません。(あの辺りは特に汚いのです)

魚が跳ねないといるかどうか分からないのです。(ほんと水が真っ黒ですからね)

それで私が「もっとこの水をきれいにしてやるからな」と運河に向かって話しかけると、とたんに一匹の小魚が跳ねました。

この魚たちだけでなく、鳥など含めたすべての生き物は人の言葉が分かるようです。(あるいは心を読んでいるのかもしれませんが)

そのような動物たちを、どうせこちらのいうことなど分からないだろうと、バカにして見ている人も多いと思いますが、とんでもありません。人の言葉どころか動物たちは人の心まで読んでいるのかもしれないのです。

「動物など本能で動いているだけで何も分からない」そのように思っている人の無知さを、逆に動物たちは笑っているのかもしれません。

犬や猫や鳥たちを見ているだけで可愛い、と思う時がよくあるのではないでしょうか。そのように思える、そのような動物たちは、すでに私たち人間に愛を与えてくれているのです。(だから可愛いと思うのです)

では、私たち人間も、もう少し動物たちに愛を与えてもいいのではないでしょうか。

この愛を与えるということを、餌を与えるということと勘違いしている人もいますが、そこらにいる生き物に、何でもかんでも餌を与えればいいというものではありません。(人が餌を与えなくても、害虫や木の実などを食べて、生きていける生き物もたくさんいるからです)そこは節度を持っていただきたいものです。

私は餌など与えたことは一度もありませんが、鳥でも魚でもいくらでも寄って来ます。

動物たちに愛をかければ、その愛を動物たちはちゃんと返してくれます。要は心の問題なのです。(これは動物だけでなく植物でも同じですけどね)

その人の心に愛があるかないか、それだけなのです。

昨日も中川運河で魚たちに愛をもらった後、このようなことがありました。

私が歩いていると、また高校生数人と道で会いました。(ちょうど、この前の女子高校生三人と会ったくらいの場所でです。今度は男子高校生でしたがその高校の生徒でしょう)

私の前を歩いていた数人の高校生の一人が、歩きながらいきなりザッと足で音を立てました。得意の嫌がらせでしょう。

それで私が後ろから「オイオイ鳥も寄ってこないくせに、そんなに善人ずらすんなよ。何で悪人に鳥が寄ってきて善人に鳥が寄っていかないんだ。どっちが善人か悪人かは鳥が教えているだろう」というと、前の数人の高校生が少し固まったようでした。

そうして歩いていると堀川に差し掛かったものですから、私は、その堀川沿いを曲がって川に沿って歩き出しました。その高校生たちはまっすぐ(その堀川を渡り)歩いて行きます。

曲がってすぐに堀川に呼びかけました。「お前ら元気か」とです。

するとあちこちで魚が跳ねだしました。私の近くで少々大きな魚が跳ねたものですから、私はその魚に向かい「お前元気だな」と声をかけると、その同じ魚が二度、三度と跳ねるのです。

私の声が完全に分かっているようでした。それで堀川を渡っていたその高校生たちに「よう、こんな奇跡が起きているんだから、お前らも見て行けよ」と声をかけたんですが、私の声を一切無視し、その高校生たちは堀川を見ようともせず歩いて行きます。

そのような高校生たちに「こんなことが悪人に起きるか?鳥だけでなく魚まで教えているだろう。誰が善人かをよ」「お前らの学校のブーちゃんに、この前しっかり話といたから(この前の女子高校生三人組です。〔笑〕)よく聞いといてくれよ」と声をかけました。

その声に反応し、少しこちらを見た高校生もいましたが、ほとんど私のいうことを無視して自分たちで話をしながら、高校生たちは頑なにこちらを見ようとせずに歩いて行ました。

が、しかし、バシャバシャ魚が跳ねる水音は嫌でも耳に入ってきます。

川を渡りきる最後に一人、二人の高校生が堀川を見ていました。(「気になるんなら最初から見ろよ」といいたくなりました。〔笑〕)

このような奇跡が、目の前で起きているというのに、それでも私を無視しているのです。

哀れというしかありませんね。一体何を思って私のいうことを無視しているのでしょう。私が大悪人だから、そんな奴のいうことが聞けるかということでしょうか?

しかし、それは自分で確認したわけではなく、単に人の噂を信じたにすぎません。自分が確認していないんですから、それが事実がどうかは分からないし、このような現象が目の前で起きているのです。

では、その噂の人が本当に悪人かどうかは、自分で判断できるのではないでしょうか。

愛があるから鳥でも魚でも寄ってきて、このような奇跡が起きるのです。

それとも、魔力でこんなことをしているとでも思っているのでしょうか?残念ではありますが、悪魔の力では不思議なこと(病気を治したり、飛び跳ねたり、スプーンを曲げたりする人が驚くようなこと)や不幸なことは起こせても、この生き物が喜んで寄ってくるという、愛ある奇跡は起こせないのです。

悪魔の力では絶対に起きないことが、現実に目の前で起きているのです。

このような事実が目の前で展開している以上、残念ではありますが、この辺りの多くの人が思っているような大悪人では、私はなくて、そのように思っている人の方がよほど大悪人なのです。

そうではないですか?だってそういう人は鳥や魚が寄って来ないんでしょう。では、よほど愛がないということになり、それでは悪人といわれても仕方ないのではないでしょうか。

悪人だから、たった一人の者を平気で悪人に仕立て上げることもできるし、その一人の者によってたかって嫌がらせができるのです。

もし、その人が愛がある善人なら、どういう理由にせよ、一人の者によってたかって嫌がらせなどできないし(かわいそうという心が先に来てです)たった一人の者がそれほどの悪を犯しているとも考えません。

愛があるなら、少しは自分にも悪いところがあるのではないかと、あるいは他に理由もあるのではないかと考えるはずです。

自分に愛がないから、一方的に一人の者を悪者に出来るのですし、よく分からないのに、一人の者に平気で濡れ衣を着せることも出来るのです。

こういう人を、悪人とはいわないなら他になんというのでしょうか?(今日も平気でバシバシやっていますが、そのようにやっているその人が、このブログをしっかり読んでいるのです。これ善人のやることでしょうか?)

普通の人より愛を持っている人に悪人はいません。そのような愛の心が少ない人ほどよほど悪人なのです。

本当の善人は誰で、悪人は誰なのでしょう。

どれだけ口でうまいことをいようと、それは周りの現象に現れるのです。

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9月 20 2014

神の業を体現する人

昨日は、女子プロゴルフのトーナメントをまた観に行ってきました。といってもほとんど観戦はしていませんが。

別に、女子プロゴルファーに関心がないわけではありませんが、周りに(ギャラリーやボランティアなどの関係者に)うっとうしいのがたくさんいて気がちるし(集中して観ていられないですから)ゴルフ場にいる鳥やら魚やらの方が気になるからです。(女子プロの皆さんが、もっと法に興味を持ってくれるなら私も興味を持ちますよ。どうせ私のことは全員の人が知っているんですから)

昨日など私が歩いていると、よりにもよってクラブハウスの前の人が大勢いる辺りで、すずめが例の「ジジジジ」という鳴き方をはじめました。(最近ここらではそいう鳴き方しなくなったんですけどね)

それに他の鳥たちも騒ぎ始めて、一変に鳥が騒がしくなったものですから(そこにいた全員が、鳥のことを知っているわけではなかったんでしょうが)その大勢いるギャラリーの中のあちこちの人にジロジロ見られ、中にはわざわざ嫌がらせに来るのもいて呆れました。

ああいう現象を見て、驚くより怒っているんですから、一体この地域の人たちどういう頭の構造してるんでしょうか?まったく不思議です。(普通驚くでしょう。なんで怒るんでしょうか?そのゴルフ場は池に鯉もたくさんいるんですが、この鯉たちも私が声をかけると、寄ってきて顔を水面にだし口をパクパクさせていました。しかし、この鯉たちは人になれているようで、誰にでも餌をもらえるのではないかと寄ってくるみたいです)

こういう人たちと、あまり長くいても仕方がないと思い(こちらの魂が汚れそうですから〔笑〕)昼頃にトーナメント会場を出て、そのゴルフ場の辺り(愛知県知多郡美浜町)を一時間くらい散歩しました。

その辺りは田んぼが多く一面見渡せます。

しばらく歩いていると、家の屋根にすずめがいて私の方を見て「チュンチュン」鳴いていました。「オウ」とかすずめに挨拶して歩いていると、そのうちに数十羽のすずめが飛んで来て近くの木にとまり「ピイピイ」騒いでいました。

それで「オウ、お前ら元気いいな」とか「元気か」と声をかけていたら、自転車で通りかかった三人のオバちゃんが私の方を笑って見ていました。

「すずめに声をかけている変わった人」とでも思ったんでしょうか。

何かああいう人たちを見るとこちらも新鮮ですね。この辺りの人は私がすずめに声をかけていても、無視して通り過ぎるか、ムッとするかのどちらかだからです。(何か哀れですね、そのような人たち。素直に気持ちを現せないのですから)

そうこうしているうちに私が歩いていると、あちらから数羽、こちらから十数羽とすずめが集まってきて、私の周りのあちこちですずめが騒ぎ始めました。(あの辺りすずめがたくさんいるようです)

そのうちに、私が歩いて行く方向の両側の電線(どこにでもある電信柱につながっている電線です)の前に前にと、次々にすずめがとまりはじめて、まるですずめたちに見送られているようでした。

その電線にとまっているすずめたちに「お前ら元気だな」とか「またな」とかいって手を振りながら、私は歩いて行きました。

そうして名古屋に帰り、帰り道に中川運河を通ったので、運河の岸まで下りていき、運河に向かって「お前ら元気か」と声をかけると、小魚がピョンピョン跳ねていました。

遠くで跳ねるのもいれば、すぐ近くで跳ねるのもいます。本当に可愛いものです。(庄内川や堀川は私が声をかけても「シーン」としている時が多いんですが、中川運河はまず魚が跳ねるか寄ってくるかしますね)

こういう奇跡の現象が毎日のように起こり、そうしてもう一方では私に嫌がらせをしている人たちには天罰が次々に下っているのです。(また、前の会社なにかあったようです。一昨日と全然様子が違っています)

何で、こんなに天と地ほども違う現象が現れているのに、それでもなお私が悪いと多くの人たちはいうのでしょうか?

また、このような現象を一切無視し、自分たちのことばかりやっている人たちもおかしいでしょう。

普通、このような現象が目の前に現れれば、興味を持つのが当たり前のことだからです。

もし、こんなことが他の宗教で起これば、その宗教は大騒ぎになります。

「このように動物たちが嬉しそうに寄ってきて、そうしてこの宗教の教えを妨げる者には、次々に天罰が下っているのです。私たちの宗教こそ本当の神の教えです」と大宣伝するでしょう。

そういう声を聞けば、多くの人がその宗教に興味を持ちます。その宗教を勉強する人もたくさん出てくるでしょう。それが普通のことだからです。それにそんなことが起きる宗教がもしあるなら、その宗教こそ本当の神の教えだからです。

そういう宗教団体で、このようなことが起きれば(その団体の教祖に起きるだけでもそうですが)大騒ぎとなるのですが、私一人に起きても誰も興味を示そうとしないのです。

しかし、そうであるなら、これほどの不遜なことはないのではないですか?だって、これほどの神の業が現れている人は現在は(あくまで現在はですが)誰もいないのですから。

そのような神の業が現れている人を無視し、嫌がらせを続けているのは、神に対するこれ以上の冒涜はないのではないでしょうか。(それだけの神の業が現れるということは、その人は、それだけ神に愛され、そうしてその神の業を体現されているのですから)

また、台風が迫ってきています。しかも、ずいぶんこれがまたスピードが遅いようです。今日から沖縄や九州辺りでは大雨になる予報が出ていますが、このような異常現象が次々に起きるのも、自分たちのそのような不遜な態度に問題があると思われないでしょうか。

何年たったら、自分たちの愚かさに気づくのですか?

もう時間は限られているのです。

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9月 18 2014

天の意志

一昨日の関東の震度5の地震ですべて分かりました。何が分かったかといえば、ここ最近の一連の異常気象の意味がです。

この前北海道で大雨が降りましたが、あの時、なんであれほどの大雨が北海道に降ったのだろうと不思議でしたが、よく考えてみれば、今年北海道は太陽光エネルギーの発電が全国で一位になりました。それが原因だったんですね。

あれだけの異常な大雨です。必ず何か大きな理由があると思っていましたが(私は、それが賛助会員の方がやめられたからだと思いましたが、そうではなく)太陽光が原因であったのです。(この前大雨になった地域は、札幌市、恵庭市、千歳市から苫小牧市辺りです。ちょうど苫小牧市周辺に太陽光の建設計画が集中しているのです。大雨が降った地域と重なります)

だとすると、あの広島市の土砂崩れがなぜあれほどの被害をもたらしたのか、それも分かりました。(これは予想通りです)

広島の知事も市長も脱原発です。だからあれだけ多くの死者を出す土砂崩れが起きたのです。(まさかこのお二人が原発推進ではないでしょう。このお二方は、共産思想というより脱原発思想が強いから、あれだけひどい土砂災害が起きたのです)

つまり、それくらい脱原発はいけないことであるということです。

ですから、原発の研究開発を遅らせるような行為は(思いは)それだけ天の意志に反しているのであり、だから、脱原発を進めるようなことをしているところに異常現象が現れるのです。

地震(茨木)に異常な大雨、それに多くの死者を出した土砂崩れまで起きているのです。もう脱原発のような行為はやめられてはどうでしょう。(特別今回だけではありません。前からそのような現象は現れていました)

ただ福島の原発事故だけ取って、原発をやめろなどという行為は、愚か以外の何ものでもないのです。

何度もいいますが、あのような事故が起きた本当の原因は『共産思想』なのであって『原発』ではないからです。

その本質的な問題を間違えているから、いつまでたっても原発事故の収束も進まず(汚染水などの)状況がドンドン悪化しているのです。

まったく的外れなことをしているから、これほどの現象を起こされるのであって、それは全国的なことだけでなく、この名古屋も同じなのです。

これだけ分かりやすい現象が現れているのです。もう私が正しいと認めるほかないではないですか。それを認めようとしないから悪い現象が起き続けるのです。

これだけ起きていることが違うのです。それでもなお前が悪いという態度など、もう盗人猛々(ぬすっとたけだけ)しいというしかありません。それほどの愚かな行為であるからです。

この辺りの人は自分が悪いと認め、これまで私にしてきた嫌がらせの行為を反省するしか、救われる道はありませんし、全国の人々は、本質的な考えが違っているということを認めて、それを反省し天の意志に従うよう努力するしかありません。(昔の人は皆そうしていたのです。別に難しいことではありません。異常現象が現れてきたら、今やっていることを反省し別のやり方に変えるだけのことです。どんなに悪いことが起きてきても、頑なに同じことをやる続けているからいけないのです)

ここに書いたこと以外で、この辺りの人もそうして日本も救われる道はないのです。(ここに書いていることは法なのですから、これ以外の正しい道はありません)

北海道は不安定な天気が続いているようです。

北海道は、これからまだ太陽光発電の建設計画が目白押しだというではないですか(日本最大のメガソーラーの建設計画が進んでいるようですね)しかし、そんなことをするのは自殺行為なのです。

それでは北海道の異常気象は収まりません。逆に拍車がかかるでしょう。

天の意志に逆らってはいけません。そのような天の意志は、そこかしこに現れます。それを敏感に感じ取らなければいけないのです。

現代の人々は、そのような天の意志を全く感じ取れなくなっているのです。自分のことばかりに気がいってしまい、天のことなどまったく考えようとしないからです。

神の存在を、自分本位にしか考えないのがそもそもの間違いで、自分の願いがかないますようにと、自分たちの欲望ばかり一方的に祈るだけで、神の側の考えなど少しも理解しようとしません。これほど自分本位で傲慢なことはないでしょう。

そのような傲慢な心が、天の意志を分からなくしているのです。

今これほどの異常現象が次々に起きているのは、そのような傲慢不遜な人が増えたからです。(神を、自分の願いを聞いてくれるだけの下僕のようにしか考えないのです。これほど傲慢なことがあるでしょうか)

そのようなことを鑑(かんが)み現在起きていることを、もう一度謙虚に振り返ってみてはどうでしょう。そのような心になるのであれば、救いの道は必ず示されるからです。

現在周りで起きている異常現象は、多くの人々の、そのような傲慢さが現れているように思えてなりません。

この異常現象を収めるには「謙虚になって反省する」もうそれしかないのです。

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9月 17 2014

周りに起きる現象の意味

昨日の昼にずいぶん大きな地震があったようです。(私のいる名古屋ではあまり感じませんでしたが)

栃木、群馬、埼玉県などで震度5、東京でも震度4の地震が起きたようですが、あの時間の東京のテレビ局は生が多いので、生放送中、肝を冷やした人も多かったんではないでしょうか。

関東では、今月三日にも同じ栃木県で震度5の地震が起きました。最近関東では大きな地震が多発しているようです。

いよいよ首都直下型大地震、用心した方がいいのではないでしょうか。

別に脅すわけではありませんが、再三にわたり私は「東京の人たちは、法の勉強をして法の流布を行わないといけない」といっているにもかかわらず無視です。

それでは、いつそのような大地震が起きても不思議ではありません。天は、そのような大地震を起こす前には必ず警告を発します。だから用心した方がいいと私はいっているのです。

昨日の話ではありませんが、愛があるところには災いは起きません。その愛を出す方法を一番説いているのがこの法なのです。

だから「この法を勉強しないといけない」と私はいっているのです。

自分を守る意味でも、東京を守る意味でも(それはすなわち日本を守るということにもなりますから)東京の人たちは、法の勉強をしっかりしないといけないのです。(何せ高橋先生在世当時「東京に大地震を起こす」とすでに天上界からいわれていますからね。その時は、高橋先生が止められたから東京に大地震は起きませんでしたが、それから東京に大地震は起きていません。では、いつその大地震を東京は起こされるか分からないということになります。大地震が起こされるのか、起こされないのかは、東京の人たちが法を勉強する気があるのか、ないのか、その一点にかかっていると思います)

昨日の地震の震源地は茨木県南部だったそうですが、茨木県南部は「地震の巣」といわれ震度6クラスの地震が頻繁に起きているそうです。

私は以前「茨木県はよく地震が起きる」ということを書いて、その理由は「あそこには大規模な風力発電の施設があるからです」と書きました。

茨木県の風力発電所はたしか南部にあったはずです。(茨木県神栖市ですよね)

書いた通りのことが起きています。その理由はもうお分かりでしょう。(前に何度も書きましたから)

原発を進めないといけないからです。(自然エネルギーなど日本がしなくてもいいのです)

政府は、次世代型原子炉(高温ガス炉)の研究開発を本格化させるそうですが、大いにやるべきでしょう。

どちらにしても原発の研究開発は進めないといけないのです。核廃棄物をそのままにしておくわけにはいかないからです。

原子力を完全にコントロールできるようになり、そうして核廃棄物の完全処理ができるまでは、日本は原発の研究開発を続けるのです。それができないと人類の未来はないからです。

その原子力エネルギーが、次の時代の近未来型社会のエネルギーの核となるからです。それが天の計画であるからです。

それが嘘ではないということは、このように、ここに書いたことが次々に起きるということでも、その事実が分かります。

あれだけ私が、脱原発はいけないといっているのに(それが分かるだけの異常現象も何度も起きたはずですが)それでもまだ自然エネルギーですか。

自然エネルギーは自然エネルギーでやる国があります。(日本は国土的にも難しいでしょう)自然エネルギーの研究開発は日本の使命ではありません。

原発技術を進める、それが日本の使命なのです。だから石にかじりついても日本は、その使命を果たさないといけないのです。(この茨木の地震を見ても、天の意志、日本の使命が分かります…まだ分かりませんか?)

それにしても皆さん、本当に天の意志に逆らうのがお好きなようです。

こういう悪い現象が次々に起きている時は、そのようなことをしてはいけないと天が教えているんですから、今やっていることは間違っているのではないかと、もう一度よく考えないといけないのです。

それなのに、ほとんどの人はそのような異常現象を一切無視しているのです。異常現象と自分たちがやっていることは別だと思い込んでいるからです。

この辺りの人たちもそれは同じで、どれだけ自分たちに悪いことが起きても(今日は前の会社がやけに静かです。また何か起きたようです。本当に態度がコロコロ変わります)それでも私が悪いと、私を目の敵にして嫌がらせを続けているのです。

本当に哀れです。自分たちがそんな(悪い)ことを続けているから、そういう悪いことが自分たちに起きているのに、それをいつまでたっても認めようとせず、相変わらずそれを私のせいにして嫌がらせを続けているのです。

これだけ起きていることが違っているのにです。

そのような人たちと比べ、私に起きてくることといえば、鳥が寄ってくるようになる、魚が寄ってくるようになる、最近ではトンボやコウモリまで近くに飛んでくるのです。(特にコウモリなどは、夕方私が歩いていると、私の近くにバンバン飛んできます)

私以外の人には災いばかり起きているのに、私には、このような奇跡ばかりが起きているのです。

それでもこの辺りの人は、自分が悪いことをしているということを認めず「お前が悪い」と、私に嫌がらせを繰り返しているのです。

何度もいいますが、では、どういう現象が現れたら自分たちが悪いと自覚するのですか?

私のような奇跡が周りに現れたら、よけいそのような人たちは自分が悪いとは思わないでしょう。違いますか?

自分たちが悪いことをしているから、自分たちの周りに悪いことが起きるのです。自分は悪いことをしていないなど、ただの自分本位な間違った見方でしかないのです。

善因善果、悪因悪果という現象は、太古の頃より起きていることであり、それこそ人類創世のはじめから定められた法則であるのです。

自分たちの周りに悪いことが起きているのは、自分たちが悪いから起きているのです。(これが神理です)

それは東京の人たちしかり、名古屋の人たちしかり、全国の人たちしかり、全世界の人たちしかりなのです。

周りに悪いことが起きているなら、自分たちが反省し改める、これ以外、その悪いことを収める方法はありません。

キリストがいわれた「悔い改めよ」という言葉を、もう一度よく理解されてはどうでしょうか。(そうして天の意志もです)

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