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10月 02 2014

輝く女性

御嶽山の噴火での死者数が四十七人となり、火山活動での被害では戦後最悪となりました。

まだ捜索しきれていない部分がありますので、もっと死者が増えるのかもしれませんが、それにしても悲惨な状況です。

わずか一ヶ月前には、広島の土砂災害が起きこの時もまた大勢の人(七十四人)が亡くなりました。立て続けに多くの人命が自然災害で失われているのに、多くの人は全く反省しようとしません。

前回の話ではありませんが「物と金が大事」と教えられ、それを信じ込んでいる人たちには、どれだけ神の業が現れようとピンとこないのです。本当に恐ろしいことです。

台風十八号も近づきつつあり、これからまだ発達するとのこと。どれだけ恐ろしい目に遭えば神の恐ろしさが理解できるのでしょうか。

この辺りでも、前の会社など明らかに様子が変なのですが、それでも嫌がらせをやめようとしません。

「一変に人がいなくなる」そのような現象は、別に自然現象だけではないということを知るべきでしょう。

あまり、怖いことばかり書いていてもいけないので話題を変えますが、安倍総理が「輝く女性を応援する」とよく発言されますが、その対象が、働く女性に偏っているのではないかと思えてなりません。

輝く女性は何も働く女性ばかりではありません。前に書きましたが(私からすれば)主婦業をしっかりやっている女性ほど輝いている女性はありません。

園頭先生もよく女性のことをいわれていましたが、安倍総理と園頭先生では、女性に対する考えがどれくらい違うのか、その違いを少し書いておきましょう。

園頭先生のご著書「新・女性讀本」より抜粋します。

<人類は、永い歴史の中で、男女は家庭を持ち、男は男の役割を、女は女の役割を果たしつつ、男女が調和し、立派な子孫を育てて今日に至っているのである。

女が、男女平等を求めて結婚せず、ただ働くだけだとしたら、なぜ神は、女性の肉体を、子供を生むように創られたのであろうか。

女が家庭の事情から、家の幸福を願う故に働きに出ることはあってもよい。女が働きに出てはいけないと言うのではない。女が外に出て働けば、当然、専業主婦と同じようには家事に専念することができなくなる。そのために足りないところは、夫が協力してやっていくのは当然のことである。

戦前の共働きの夫婦たちは、お互いに協力し合って子育てをして、幸福な家庭を築いてきた。女が、自分の欲望のために金銭を得ようとして、家庭を外すようなことはなかった。だから現代でも、夫の収入でやっていけるのであれば、女は家事に専念し、育児に専念した方がよい。(私は、子供が少なくとも十五才になるまでは、母親は、家にいて父親と子供たちに十分な愛情を注いでほしいと思っている)

どうしても、外に出て働かなければならない事情があっても、女は女の役割を手抜きしないで、気くばりをこまやかに主婦としての役割に誇りをもってつくしながら、どうにもならない時に夫の協力を求め、助け合ってやるようにすれば、温かい愛情の中で調和が生まれ和気あいあいとうまくいくのである。>

簡単にいうなら、安倍総理は、現代の世相そのままの家庭を二の次にして(そこまではいわれていませんが)働く女性が素晴らしい女性であり、園頭先生は映画の「三丁目の夕日」に出てくるような女性が、素晴らしい女性であるといわれているのです。

しかし、時代が違うとはいえ、三丁目の夕日は昭和三十年代が舞台であり、その頃から日本は、あの高度成長期に入り「東洋の奇跡」といわれるほどの驚異的な経済発展をし、世界第二位の経済大国にまでなったのです。(その当時はです。現在は三位ですが)

私はこのような(昭和三十年頃の)家庭生活と、奇跡的な経済発展は、偶然ではなく必然ではないかと思うのです。

ウーマン・リブ運動が入ってきて(1970年頃)女性が強くなり始めてから、日本は不況に陥ったように思えてならないのです。(現に、その頃から日本は不況になり始めました)

家庭の調和と経済成長は連動している、そう思えてなりません。

女性を社会に進出させて、社会を発展させるより、女性を良き妻、良き母に教育し、家庭を調和した方が経済は発展する、私はそう思いますし、園頭先生が昭和三十代のような(もっといえば戦前のような)女性がよいといわれているのですから(園頭先生は「宇宙即我」の悟りの境地に到達された如来でありますので)如来の言葉には従った方がよいと思います。

単に女性を社会に出せば経済は発展する、そのような単純な問題ではないと思います。

女性を家事に専念させた方が、より経済は発展する(男の能力が、信じられないくらい伸びるからです)そのような発想に変えた方がよいのではないかと私は思います。

だから「輝く女性」とは社会に出て能力を発揮する女性ではなく、家にいて家事育児がしっかりできる、そんな女性であると思うのです。

そのような真の「輝く女性」がたくさん出てきた時、その時初めて日本経済は再生するのです。

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10月 01 2014

本当の愛と本当の幸せ

私のいうことを無視するのは結構ですが、何が起きても知りませんよ。

台風十八号も近づいています。また大きな被害が出ないといいんですが。(残念ですが、このままでは出るでしょう)

これだけ恐ろしい現象が続けて現れていても、それでも自分は関係ないと思っている人が多いんですから、それはそれで仕方ありません。では話題を変えましょう。

昨日、堀川に行ったんですが水面は静かなものでした。魚が出てくるような気配もありませんでした。

それで私が「オオイ、お前ら元気か」とか「いたら顔出せよ」とかいいながら川岸を歩いていると、しばらくすると魚が一匹、二匹と跳ね出しました。

向こうの川岸には人が何人かいたのですが、皆さん川をあまり見ようとしません。(普通なら川に向かって呼びかけている者がいたら「何やってんだあいつ」と私の方を見る人がいてもよさそうなものですが、みな私のこと知っていますので、意識的に無視しているようです)

そのうちに少し大きな魚が高く跳ねて、それがそのまま水面に落ちたものですから「バシャ」とずいぶん大きな音がしました。

その音に驚いて「ビクッ」としている人もいるんですから笑えます。(笑)

無理して無視をせず、こういう奇跡が起きているんですから、素直に川を見て少しは驚けばいいのに、チラチラ見ていて、魚が跳ねると向こうを向く人もいて、本当に素直でないな、と改めて思いました。

それまで静かだった川の水面が、私が声をかけるとあちこちで魚が跳ね出すのです。不思議なことではないでしょうか。

私が歩いていると、そこらにいる鳥たちが騒ぎ出すのです。これもまた不思議なことではないでしょうか。

こういう現象が次々に現れているのに、それでも無視したり、もっとひどい人は「やかましい」と怒っているんですから呆れてしまいます。

このような不思議な現象を「不思議だ」と素直に思えなくなってしまった人が多いのは、やはり唯物論の影響が大きいでしょう。

人間の生命や自然の生命よりも「物と金」が大事であると唯物論者は教え、それを多くの人が信じました。

その結果、金をもらえば何でもする(人を殺すこともです)という人がたくさん出てきて、人間の生命や自然の生命を軽んずる人が増えたのです。

しかし、人が物や金にとらわれるようになると、鳥の声に耳を澄ませたり、野の花の美しさに目を慰められたりすることを忘れます。そうして自然の不思議さや、その神秘さに感動する心もなくなるのです。

そのような不思議や、神秘に、感動を失った人生など、殺伐とした荒野を一人進むのと同じで、これほど味気なく不幸な人生もないでしょう。

幸せになりたいと思うであれば、物事に感動する心を忘れてはならないのです。

鳥が騒いだり、魚が飛び跳ねたりする、そのような不思議なことが起きている人がいたら、なぜ素直にそのことに感動し「どうしたらそのようなことが起きるのですか?」「何で鳥や魚が寄ってくるんですか」と聞きに来ないのでしょう。(そんな人一人もいません)

起きている不思議なことに素直に驚き、興味を持つことは自分の心を豊かにし、成長させるのです。

しかし、この辺りの人はその逆のことばかりやっています。それでよいことが起きてくるはずがないではないですか。それでは自分の心を退化させているだけだからです。

これは別にこの辺りの人だけでもないでしょう。こういうことが起きているのに、それに驚き感動する人がどこにもいないというのですから、本当にその心の殺伐さに驚きます。

ここに書いている、鳥や魚の出来事に驚き感動する人がいるなら、寄付をされないはずがないからです。私に協力してくれないはずがないからです。

そのような人が一人、二人しかいないということは、やはり他の地域の人も同じで、こういう奇跡が起きていても、それに驚くことも感動することもなく、ただ「そんなことも起こるんだ」程度にしか思わず、物、金にとらわれた人生を送っている人が多いということです。

そのような心では幸せで豊かな(もちろん心がという意味です)人生を送れるべくもなく、ただ金があって物がたくさんある人生を、幸せだと勘違いしているだけなのであって、そのような勘違いを直すため、現在のような異常現象が起こされているのです。

そのような人生は本当の幸せな人生ではないからです。外見だけが華やかなだけで、心は空虚であり、その心が愛と感動で満たされないと、人の本当の幸せは得られないからです。

愛と感動のない人生を送っている人が多いということは、世相を見ても分かります。

幼い子供を殺したり、親が子供を餓死させたり、子供を車の中にほっといて熱中症で死なしたり、危険ドラッグなど吸って平気で車を暴走させたり、このような事件が多発しているのです。

これなど愛や感動がない、殺伐とした心の持ち主が多い証拠ですし、またここまで凶悪な事件でなくても、例えば、この前少し書きましたが、自殺した歌手の嫁は(ずいぶんカメラの前では泣いていたようですが)やはりもう離婚寸前であったというではないですか。

嫁のそのような愛のなさが夫を自殺においやったのです。

こういうことが次々に起きていて、それで幸せな人生を送っているなど勘違いも甚だしいのです。

このような人たちの心の中には、怒りや妬みやひがみの心はあっても、愛の心などないからです。感動する心などすでに忘れてしまっているからです。

本当の愛や感動する心を思い出してもらわねば、人の本当の幸せは得られません。本当の幸せを得られなければ、心の成長もないのです。

その本当の愛と感動が理解できるのは、この法を勉強し実践するしかありません。

だから多くの人がこの法を無視しているため、異常現象が起きているのです。

見せかけの愛、見せかけの幸せでは、この世に生まれてきた意味がありません。

つまり法を勉強しなければ、この世に生まれてきた意味がないのです。

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9月 30 2014

危険な場所と安全で安らぎのある場所

まだ私のいうことを無視ですか?これほどのことが起きているのに凄いですね。

一変に人がいなくなる(私が一年前に天から教えられた通りのことです)このような恐ろしいことが立て続けに起きて、それでもまだ誰も神の運動をやろうとしない(神を思おうとしない)いやはやすさまじいほどの不信心ぶりです。

それではまた、これと同じ恐ろしい現象が起きることになります。あまりに罰当たりの度が過ぎているのではないでしょうか。

昨日のようなブログを書くと、必ず、怒りたくっている人がいます。(悪いことを私のせいにしているのか、それとも私に八つ当たりしているのかよく分かりませんが)いつまで自分たちの責任を人のせいにしているのでしょう。何年たっても同じ態度を続けるその進歩のなさ、本当に呆れます。

これだけ恐ろしいことが立て続けに起きているのです。いい加減自分が悪かったと反省されてはどうでしょうか。

御嶽山の被害は本当にひどいものです。聞けば聞くほど悲惨さが伝わってきます。

しかし、その必要以上の悲惨な状況は、明らかにつくられたものなのです。

つくられたものというのもおかしないい方ですが、今回のこの噴火、どう考えてもおかしいからです。あまりに運が悪すぎるからです。

噴火が起きたのは今月の二十七日のことですが、ちょうどこの九月の末頃は、この御嶽山の山頂は紅葉がきれいな時で、その紅葉を見るためたくさんの人が登山をされるそうです。

ただでさえ人がたくさん登山されるところにもってきて、噴火が起きた日が土曜日(休日)です。それに起きた時間が昼の少し前であり、この御嶽山に登っている人の多くが、昼食を景色のいい山頂で食べたいと、山頂付近に集結しているまさにその時噴火が起きたのです。

そうして運の悪いことはまだ続きました。

火山が噴火をしたのなら、普通はその火山灰は上に吹き上がるものですが、この時はなぜか横に広がったそうです。

上に火山灰が吹き上がれば、逃げ切れる人はもっと多かったでしょう。しかし、上に吹き上がるはずの火山灰が横に広がってしまったため、その普通以上に早く広がる火山灰で、よけい犠牲者が増えたのです。

ざっと書いても、運が悪いことがこれだけ重なっているのです。明らかに起き方がおかしいと思わないでしょうか。

一番人が集まる時期の休日で、一番人が山頂に集まる時間帯に噴火が起き、しかも普通なら上に上がるはずの火山灰が横に広がった。

いくらなんでも運が悪すぎるのではないでしょうか。

これでは、より多くの犠牲者を出すために、神が、このような噴火を起こしたとしか思えません。神がこんな無慈悲なことをされるのでしょうか?

いつまでも神に逆らい続けていると、このようなことが起きるのです。(起こされるのです)このように必要以上に運が悪いことがです。

昔の人々は、火山の噴火は神の怒りと考えていたそうですが、このようなことばかり起きると、さすがに科学全盛の世とはいえ、そう考えざるを得ない部分も出てくるのではないでしょうか。

去年の伊豆大島の土石流災害から、広島の土砂災害、それからわずか一ヶ月で、また同じような多くの人が一変に亡くなるという火山の噴火、これまで、このようなことが起きても、これだけ多くの人が、立て続けに亡くなるということはなかったはずです。(単発ではありましたが、これだけ続けて起きたことなどなかったはずです)

普通では、考えられないほどの不運なことが続いている、ということは、それだけ神の(天の)怒りは激しいものであるということです。

それだけ多くの人が、あまりに神の心から離れているからです。

もし、御嶽山と同じような条件下で(一番人が集まっている時に)富士山が噴火したらどうなるでしょう。

富士山は、世界遺産に登録されたばかりで登山者は御嶽山の比ではありません。そこで今回のような(または今回以上の)噴火が起これば、一体どれくらいの死傷者が出るのか想像がつきません。

富士山一帯が一変で地獄絵図と化してしまうのです。(富士山はどこかで噴火します。高橋先生が予言されていますので)

そうなってもいいのですか?これは脅しでもなんでもありません。ここに書いたことは実際に起きているからです。

このままではそのようになります。もはや天の怒りは相当なものだからです。

何度もいっていますが、このような状況になっているその原因は、すべて、このブログを読んでいる人が何もしようとしなかったからです。

私のいうことに無視を続け、そうしてあろうことか、このままではこのようになりますと、起きることを予言している私に、その罪を全部かぶせ、嫌がらせをし続けている人たちに、その責任のほとんどがあるということです。

今日は、その責任の大きい前の会社の連中が多少静かです。(少々はやっていますが、いつもと比べると半分以下です。〔切れかかっているのはいるようですが〕また何か起きたんでしょうか?)

いつまでも私のいうことを無視しているなら、次々に恐ろしい現象は現れ、その恐ろしさは増すばかりでしょう。

しかし、これも何度もいっていますが、私の周りでは奇跡が次々に起き、それこそ、その奇跡の度合いが増しています。(鳥に続き、魚、トンボ、コウモリなど最近は何でも寄って来ます)

人間以外の他の動物たちは、この世に起きていることを敏感に察知します。私の下が一番愛があり、そうして安全であるということを知っているのでしょう。(だから多くの人たちが神の怒りを買い、危険であるということも知っているのでしょう)

法の下に集まるなら、自身も守られ、そうして幸せな人生を送れることになります。

法を知らない人は、闇夜を灯りもなしに歩いている人と同じなのです。危険極まりないのです。

いつまでそんな無謀な人生を歩まれるつもりですか?

多くの人が神の怒りを買い、次々に災いが起こされている現代、法の下ほど安全で安らぎのある場所はないのです。(周りにいろいろな動物たちが寄ってきて、嬉しそうに騒いでいる場など、安らぎを得ませんか?〔かわいい犬や猫などと、たわむれていたら安らぎを覚えるでしょう〕私はそのような場所がそこらじゅうにあるのです。どこに行っても、そのような動物たちが寄ってくるからです)

その安全で安らぎのある場所へ行くのを、多くの人は自ら拒否しているのです。

いつになったら多くの人は、それに気づかれるのでしょうか。(危険な場が好きな人はそれはそれでしょうがありませんが)

何度もいいますが、気づかれるのが遅れれば遅れるほど災いは起きます。自分を救う意味でも、そうして多くの人を救う意味でも、一刻も早く法の下に来るべきでしょう。

それが神の怒りをとく唯一の方法だからです。

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9月 29 2014

人の意識と天変地変

御嶽山の噴火で多くの犠牲者が出ているようです。

心肺停止の人が三十一人とか、火山灰に埋まり動かない人がいたとか、仰向けに倒れたまま動かない人がいたとか、御嶽山は大変なことになっているようです。

このような状況下で昨夜の気象庁の記者会見には呆れました。

ここまでの状況は予想できなかったとか、地震が起きていたので噴火警戒レベルを上げればよかったとか、上げるほどの前兆ではなかったとか、これまで起きたことがない現象が起きたとか、くだらない言い訳にしか聞こえません。

そのような甘い読みであったばかりに、多くの犠牲者が出ているのです。

火山の研究をしていて、それで今回何も分かりませんでした、ではすまないでしょう。

今後の研究にも影響を及ぼします。研究責任者の一人や二人は辞めないとまずいのではないでしょうか。それくらいの責任は当然あるからです。(でなければ、今回の噴火で亡くなった人も遺族も納得できないでしょう)

民間で、これほどの犠牲者が出ていたら、首どころか犯罪者です。

そこまで科学が発達していない、ではすまないでしょう。

というか、やはりこれまでの科学は甘やかされてきました。(科学が神聖化されていましたので)信賞必罰をはっきりさせねば科学の発達もありません。税金が使われているのです。必罰は必要でしょう。(研究が進んでいる分野と進んでいない分野〔地震や火山などの自然科学〕で色分けはされた方がいいと思います)

そうしなければ科学の遅れた分野の発達も望めないからです。

私がなぜこれほど科学者に厳しいことをいうのか?

そうしないと現在の物質科学は変わらないからです。私が前から何度もいっている、人の意識を、いつまでたっても調べようとしないからです。

いつまでも物質のみにこだわり、それ以上の研究をしようとしないのです。これでは正しいことは永遠に分かりません。(特に自然科学ではです)

それでは、このような地震やら火山やらの予測は永遠に出来ませんので、これからまだ多くの犠牲者が出ます。いつまでもそれではいけないから、こういうことも書いているのです。

現に私のいうことは当たっているではないですか、なぜそれを多くの人は認めようとしないんでしょうか?

共産思想が強いところや脱原発を進めているところには、天変地変がよく起きています。(また昨日は茨木南部で震度3の地震が起きたようです)

そのような意識が天変地変を呼ぶからです。私など自然科学の勉強などしたことはありませんが、しかし、そのような勉強をしたことがないのに、災害が起きるところが分かるのです。

なぜでしょうか?天の意識を知っているからです。その天が天変地変を起こしている本当の原因だからです。

それが嘘ではないという証拠に、私は、今回の御嶽山のような大変な被害もこれから出るようになると、すでにこのブログに書いています。

私は一年ほど前、このブログに「これからは、多くの人が一変にいなくなるようなことが起きます」と書いたことがありますが、そのしばらく後に、あの伊豆大島の土石流災害が起きたのです。

あの時は、三十数名の方が亡くなられたのですが「多くの人が心(意識)を変えようとしないと、これからこういうことが起きます」と私は再度このブログに書きました。

しかし、私のいうことは無視されました。誰も私のいうことを聞こうとしなかったのです。

その結果、一年も経ずして広島の土砂災害が起きたのです。(伊豆大島の土石流災害は去年の十月十六日、広島の土砂災害は今年の八月二十日です)

広島の土砂災害は、伊豆大島の土石流災害の死者を大きく上回り、七十数名の方が亡くなられたのです。

そうして今回の御嶽山の噴火です。現在だけで三十数名の方が心肺停止状態です。そうしてまだ多くの方が御嶽山には取り残されています。まだこれからどれだけの被害が出るのか分からないのです。

しかし、このようなことはすべて防げたということです。

私のいうことを多くの人が聞いてさえくれていたらです。(多くの人の意識が変わっていたらという意味です)

科学者が私のいうことに耳を傾け、そうして意識調査をしてくれていたら、または多くの人が私のいうことを聞き、法の流布を手伝ってくれていたら(ということは、多くの人の意識が変えられたということになりますので)今回のこれほどの(大規模で急な)火山の噴火はなかったでしょうし、広島の土砂災害も起きることはなかったでしょう。

まだ「そんなことお前に分かるわけがない」ですか?それとも「お前のいうことなど聞けるか」ですか?

もうそのような口だけ大将では、何が起きるか分からないのです。

何も日本に起きていることは自然災害だけではありません。異常なまでの疫病の発生(インフルエンザ、ノロウイルス、風疹、デング熱など)でもそうです。これも私は、このような疫病も異常発生することになると、ちゃんとこのブログに書いています。

そういうことを知っている人は、このブログを読んでいる人の中にはたくさんいるでしょう。

このように次々に天変地変が起きている日本で、そうなることを予言し、そうして災いが次々に日本の人々に起きる中、私の周りでは奇跡が次々に起きているのです。(それもこのブログに書いていますので皆さんお分かりでしょう)

何でこれだけいうことが当たり、そうして多くの人々とは、正反対の現象が起きている者のいうことを無視しているのですか?

その結果が現在のような災いを呼んでいるのです。

人の意識で、そのような災いはすべて防ぐことが出来ます。科学が人の意識まで調べてもらえるなら、私のいうことが正しいと多くの人が分かるのです。

これまで多くのことをいい当ててきた私が、はっきりここに書いておきます。

この後に及んで、それでもまだ、考えを変えず行いを変えない人が多ければ、必ずです。必ずまた、今回のような多くの人が一変にいなくなるという、このような恐ろしい現象は起きるのです。

それでもまだ同じ行動を取り続けますか?(この辺りの人は悪いことをみな私のせいにし続けますか?)

そのような態度を取り続ければ、続けるだけより恐ろしい現象が現れます。(それもまた当たっています。だんだん起きる現象が恐ろしくなってきています。それに、恐ろしいことが起きまくっている会社もあるようですし)

一刻も早く私のいうことをお聞きください。

それが災いを減らす唯一の方法だからです。

追伸…昨夜、軍師官兵衛を見ている時あることを教えられました。(昨日の官兵衛は家督を譲るという内容のもので、跡を継ぐ者のことを主にやっていました)

私は、法を伝えるだけではいけないようです。(全く仕事させすぎです)

それを改めて教えられ、ますます女性の(心の)レベルを上げないといけないと思いました。(苦笑)

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9月 28 2014

災いと奇跡

御岳山が噴火しましたね。あそこは小さい頃、父によく連れていってもらいましたので驚きました。

死傷者もたくさん出ているようですが、この噴火がどれくらいの規模になるのか心配ですね。(学者連中は、そういうことが全然分からないんでしょう。起きてから騒ぐことなど誰でもできます。噴火の予知も出来なければ、噴火の規模も分からない、一体何の研究をしているんでしょうか?)

これは、いよいよ富士山の噴火も近いのではないでしょうか。その富士山の噴火も大きな噴火になるのか、それとも小さな噴火になるのかは皆さんの心次第です。

今のような心の人が多ければ、もちろん規模の大きな噴火となるでしょう。(残念です)

相変わらず災いが次々に起きているんですが、私は昨日また不思議なことが起きました。それを書いておきましょう。

昨日私は、中川運河を通りましたので、例の昭和橋の横から運河の近くまで下りていきました。

すると昨日は珍しく中川運河の水がきれいで、底の辺りまで透き通って見えていました。(いつもは運河の水は真っ黒で水の中など全く見えません)

「珍しいな」と思い、運河の中をのぞいてみましたが魚がいる気配はありません。

それで、これは魚がよく見えるチャンスだと思い「オイ、お前ら元気か」と呼びかけてみたのです。そうして運河を見ていたら、少し先の水の中でチラチラ白い物が見えました。

「ンッ、あれなんだ?」と目を凝らしていると、その白い物の数がだんだん増えて、それがこちらに近づいて来ます。

よく見るとその白い物とは魚の腹だったのです。

魚が水の中で勢いよく泳ぎ回っていて、中には反転しながら泳いでいる魚もいたものですから、その反転した時に魚の白い腹が見えます。(魚の体の上の部分は黒いうろこに覆われていますので)その白い腹が先ほどからチラチラこちらに見えていたのでした。

その勢いよく泳ぎ回っている魚たちが、こちらに近づいて来ました。辺りを見渡すとあちこちにさざ波が立っていて、かなり広い範囲に魚がいるようです。

そうして私の目の前に魚たちが集まってきたのですが、驚きました。何に驚いたかって、その数にです。

これまで中川運河のその場所は、水が汚くて上からは全く魚影が見えませんでした。

それで飛び跳ねる魚がいますので、その辺りか、またはさざ波が立っているところもありますので、そのさざ波が立っているところは、水の中には、たくさん魚がいるのだろうと想像していましたが、しかし、その水中にいる魚を実際に見たことはありませんでした。

だから想像するしかなかったんですが、昨日は水が透き通っていましたので、運河の水の中までしっかり見えたのですが、実際に魚が水中を泳いでいるところを見て驚きました。

自分が想像していたよりも、ずっと魚の数が多かったからです。

私の目の前を凄い数の魚が泳いでいるのです。それこそ跳ねたり、水面のギリギリまで出てきてさざ波を立てている魚など、ほんの一部で、多くの魚たちが水の中を泳ぎ回っていました。三~四センチほどの大きさの魚から、十五~二十センチくらいまでの大きさの魚まで、大小様々な魚がです。(それ以上大きな魚はいなかったようです)

「凄い数だな」「ようけおるわ」(…これ名古屋弁ですかね?)「こんなにいるの」と、私はその魚たちを見て一人でしゃべっていました。

とにかく水の中の見える範囲に魚がたくさん泳いでいるのです。(だから何百匹もいたんじゃないでしょうか。かなり広い範囲にさざ波が立っていましたから)

「水の中にこんなにいたのか」と改めて驚きました。

しばらくそこにいましたが、私があまり長くいては、魚たちも疲れるだろうと思い「またな」と魚たちにいって中川運河を離れました。(ほんと、これはこれで気を使います〔笑〕)

そうして今度は堀川にいったんですが、そこで不思議なことが起きたのです。

堀川に行くと、すでにあちこちでさざ波が立っていて、魚たちが水面に上がってきているようでした。

こういう時は、私が叫ぶとすぐに何匹かの魚が跳ねます。だから「オイ元気か」と堀川に向かって叫けびましたが、案の定、何匹かの魚がすぐに跳ねたのです。

しかし、これは別に驚くことではありません。いつものことです。不思議なことが起きたのはその後のことです。

たくさん魚が水面にいたので「オオ、元気いいな」とか「頑張れよ」とかいいながら、堀川の土手(舗装してあります)をゆっくり歩いていましたが、ある場所まで行くと魚も飛ばなくなり、水面に出ている魚もいなくなりました。(水面が静かになりましたので)

魚の気配もあまりしなくなったので、この辺りで一度呼びかけたらどうなるかなと思い「オイ、お前ら元気か」「いるなら顔見せろよ」と堀川に向かって呼びかけたのです。

そうしたらです。少し遠いところを見ていましたが、その辺りは水面もシーンとしていて魚がいるような気配はありませんでした。

「やっぱりこの辺りはいないのかな」と思い、フッと自分の足元の水面を見たのです。

すると(それこそ昨日今日卵から孵化〔ふか〕したばかりくらいの)細かい魚たちが数匹ほど上がってきていました。

「ハハ、何だお前らも俺のこと知っているのか」と笑いながら話かけていると、あちらから数匹、こちらから数匹と、その同じくらいの細かい魚たちが上がってきて、私のすぐ前の水面に数十匹ほどの細かい魚たちが集まってきたのです。

またまた私は「うそっ」と思いました。何でこんな生まれたばかりのような細かな魚たちまで、私のことを知っているんでしょうか。

その細かい魚たちは私が立ち去るまで、私の前で泳いでいました。

まったく不思議でしたが、しかし、このような現象をまじかに見ると、脳でものを考えたり思いついたりしているのではないということが、改めて分かります。

こんな細かな魚たちまで私のことを知っているのです。もし脳でものを考えているのであれば、こんな細かな魚たちの脳みそなど、それこそ顕微鏡で見なければ分からないくらい小さなものでしょう。そんな小さな脳で私のことが把握できるわけがありません。

しかし、実際にこのようなことが起きているのです。このような現象を、科学者はどのように説明されるのでしょうか?

こういう魚たちの態度を見れば分かります。この魚たちは、明らかに脳以外の部分で私のことを理解し、そうして寄ってきているのだなということがです。

それが心であるということです。心に教えられ、そうして心で理解し、それで私の近くに寄ってきているのです。(これは鳥たちも同じでしょう)

鳥や魚に理解できることが、なぜ人間に理解できないのでしょう。

法を知っている人間こそ、愛ある人であり、そうしてその法こそ、すべての物を生かし癒し育てるものであるということを、魚や鳥たちは理解しているのです。

しかし、それが人間には全く理解できないようです。

今日のこのブログを書いている間だけでも、このブログからいろいろなことを教えてもらった、そのような事実は一切無視し、窓をバシバシやって嫌がらせをしている人たちがいます。

しかし、そのような法を理解しようとしない人たちは、愛のない人たちであり、自らの心の狭さゆえ自らを殺しているのです。それが現象として現れるのです。(自分で自分を殺しているんですから私のせいではありません)

法を知っている者に愛をかければ愛が、憎しみをかければ憎しみが、その人自身に戻ってきます。

鳥や魚たちが分かることを、なぜ人間が分からないのでしょう。

少しは改心されてはどうでしょう。それが万物の霊長である人間の当たり前の姿だからです。

追伸…昨日テレビでカジノの特集をしていましたが、やはりカジノ賛成の人が多いですね。

しかし、聞いていると日本の周りにはマカオ、シンガポール、韓国とすでにカジノ大国があるので(マカオなど現在は、ラスベガスを抜いてカジノの売り上げがダントツNo1です)そこから客を日本に引きこもうとするなら、相当大きくて、いろいろな施設が入った複合施設をつくらないといけないようで、東京以外にカジノをつくっても勝算はないそうです。

とてもではありませんが、カジノをつくれば、外国の観光客が激増するなど夢のまた夢のような感じでした。(現実はやはり厳しそうです)

他の手を考えた方がいいと思いますよ、カジノなんかつくれば、また何が起きてくるか分からないですし。

私の周りは次々に奇跡が起きているのです。もう少しこの法を活用されてはいかがでしょうか。

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