>>ブログトップへ

7月 03 2014

あちこちで起こりだす異常現象

九州の柳川高校で、二十数人の生徒が体調不良を訴えたそうですね。(集団パニックのようになったそうです)その原因が霊の憑依ではないかといわれているようです。(「殺してくれー」とか「死にたいんじゃ」とか叫びだす生徒もいたそうですので)

こういう事件は一年ほど前にもありましが、ちょこちょこ集団パニックになるような事件は起きているようです。

よくこのような事件を、最終的には霊とは関係ないと霊を否定して終わらせますが、ソロソロそのような発言も慎重にされた方がいいと思います。(こういう事件は多分霊の憑依だからです)そうしないと、後々このような憑依にあった人は大変なことになるからです。

一度そのような道がついてしまうと、その憑依された人は、その後も度々地獄霊に憑依されるようになります。(多分一度では終わりません。よほど心がしっかりしていれば別ですが)そうなると、最後はノイローゼになってしまう人も出てきて、自殺や人殺しまでする人が出てこないとも限らないからです。(ノイローゼで自殺する人や、よく誰かに耳元で「あの人を殺せ」とかいわれて殺した、とかいっている人たちです。ああいうのはほとんど霊の憑依です)

こういう事件は、その後の心のあり方をしっかり説かないと、適当な心のケアくらいでは、その時はよくても、少したてばまた憑依されるという人も出てきます。

霊の憑依などされた人には、特にしっかりと法を教え、悪い心を持ってはいけないと諭さなければいけないのです。(ある人に聞いた話ですが、その人は霊に憑依されるのが分かるそうです。というのも、その霊に憑依されると、指先からしびれ始め体全体がびりびりしびれだすそうです。だから、指先がしびれ始めると霊がきたことがわかり「こないで、入らないで」と叫ぶそうですが、それに関係なく入ってくるそうです。そうなるとその霊が入っている間は体がしびれて苦しくて仕方ないそうです。地獄に堕ちている霊は、このように体のどこかが悪い者が多いのです。〔例えば癌で死んだ人は、その癌の痛みを持ったまま地獄にいるからです。それが苦しくて人に憑くのです〕そういう霊に憑かれると、その霊の体の悪いところが憑かれた人にまともに現れます。こういう霊に支配されないためには心を良い方〔天〕に向けないといけないのですが、このよく憑依される人は女性ですごく性格も悪かったのです。〔当然私の意見も聞きません〕これでは地獄霊の憑依は止めようがないですね)

こういう事件を見でも、法の流布を急がないといけないと思いますが、いよいよ梅雨前線が日本列島に上がってきて、今日は西日本など(大雨や竜巻やら起きるかもしれないと)大荒れの天気が予想されています。(九州などすでに大雨となっているようです。福岡に避難勧告が出ていますから)

このブログをただ見ているだけで、何もやろうとしない人があまりに多いため、今回の柳川高校のような事件も、また大荒れの天気も、ただ傍観するしかありませんが(祈っても天はきいてくれないからです。多くの人が法を勉強し流布に協力しない限り、このような現象を現さないよう祈っても、また天から『お前は人の肉体を救いたいのか、それとも心を救いたいのか』といわれるだけです)こういう現象を見ても、いつまでもこのブログを見ているだけで、法に関して何一つしようとしない人たちの罪の重さを感じます。(この辺りでは、それを邪魔をしている人の方が多いというのですから、それは恐ろしい現象が起きるはずです。今も近くで救急車のサイレンがしていましたが〔近くで運ばれた人がいるようです〕それ全部私のせいです)

どれだけこのブログを読んでいる人たちは罪をつくるのでしょう。皆さんのせいで、またこの梅雨も異常な大雨となり、多くの人が多くの被害の遭うのです。

それを傍観しているだけなど、こちらはたまりませんが(防ぐ方法を知っているだけによけいです)このブログを読んでいる人たちも被害に遭わないよう気をつけてください。

一日でも早く、そのような罰当たりな心から、少しでも感謝の心を持てるよう、少しでも協力してくれる人が出てくるよう願わずに入られません。

自分のことだけやっていればいい、自分さえよければいい、そのような心が悪いといつ気づかれるのですか?

(自分は違う、と勘違いされている人も多いと思いますがそうではないのです。神の運動に無償で参加する心にならない人は、結局、どれだけ困っている人に寄付をしても、あるいはボランティアなどしても最後は、自分が評価されたい、自分の評判を上げたい、という“自分が”という我の心が根底にあるのです。〔それは、そんなことしたら恥ずかしいとか、人から変な目で見られるかもしれないとか思うのも同じです。自分だけを守りたいという我の心です〕その“自分が”という心がないのであれば、神の運動に素直に参加することが出来るからです。その我を抜かないと神の運動には参加できません。なぜこんな異常現象ばかり、天から日本は起されるのかお分かりいただけると思います。そのような我の強い人が多いからです。そうでなければ、こんな悪い現象ばかり天から起されるはずがないでしょう)

2 コメント

7月 02 2014

集団的自衛権と平和主義

昨日も関東は不安定な天気で、茨城や群馬などで一時間に五十ミリ以上の雨が降ったところがあるようです。

それに引きかえ東海や関西は(梅雨だというのに)水不足で、愛知県の豊川水系など節水を呼びかけるところもあるそうですが、関西はもっとひどい記録的少雨で、神戸は百十一年ぶり、京都は八十五年ぶりに六月の最低降水量の記録を更新したそうです。

関東や九州など記録的な大雨になっているというのに、東海や関西などは記録的な少雨となっているのです。

あまりに極端です。よく日本のような狭い国でこれだけ極端な現象を現されるものです。日本の人々の不信心には呆れるばかりです。

最近の東京など連日不安定な天気です。(仕方ありません。自業自得ですよね。このブログを読んでいる東京の人、多いようですし)それでよくテレビで、ゲリラ豪雨のメカニズムなど説明していますが、ゲリラ豪雨のメカニズムの説明など所詮は順序に過ぎません。(天がそのような順序で異常現象をこの世に現しているのですから)

順序に原因があるのではなく、そのような順序で異常現象を現す天の意を知らないと、その異常現象は収まりません。

天の思いこそ異常現象が起きる本当の原因です。その天の思いに地上にいる人々は逆らってはいけないのです。(日本の多くの人たち逆らいすぎです)

その天の意に逆らい、異常現象を起され続けている東京でも昨日は珍しくゲリラ豪雨など起きませんでした。しかも気温も三十度超えなどという暑さでもなく、わりと快適な一日であったのではなかったでしょうか。(マァ、私東京に住んでいないので詳しくは分かりませんが)

昨日の東京は、またゲリラ豪雨が起こるのではないかという予報も出ていたのに、なぜ、そんなよい天気となったのでしょう、その意味がお分かりですか?

このブログを真剣に読んでいる人なら、東京がなぜ昨日は天気のよい日となったのか、その意味がすぐに分かると思いますが、意味が分からない人は、何年前からこのブログを読んでいようと、全然法を理解していない、残念な人たちということになります。(そういう人が多いでしょう、きっと。〔笑〕)

なぜ、東京が昨日よい天気となったのか、それは昨日東京で何が行われたのか、それを知るのであれば分かるはずです。

昨日は日本にとって歴史的な日となったのではないですか?

そうです。集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたからです。

今日の中日新聞など「日本の平和主義 転換」などと大見出しをつけて(勝手に拡大解釈して脅しいれて)やたら行使容認の反対論を書いていますが(朝日や毎日なども似たようなものでしょう。それにテレビもです)それほどの(日本の平和主義が大転換するらしいですから)間違ったことを閣議決定した日に、その閣議決定をした場所である東京が、よい天気になるというのはどういうことでしょうか?

昨日の東京は、日本にとって、これまでにないほどの大きな歴史的大転換をした日でもあるのです。そんなことが行われる日は、当然天も注目して観ています。それほどの大きな間違いを日本が犯すことになったのならば、当然天は、それが行われた場所である東京に、それは大きな間違いであると分かる激しい現象を現すでしょう。(あの脱原発を主張して、原発を全部止めてしまった時がよい例です。今以上に天気が不安定になり、最強の竜巻まで発生したのです)

しかし、昨日の東京はまったく逆で、天気予報ではゲリラ豪雨があるかもしれないといわれていたのに、その予報が見事に外れて静かなよい天気の日となったのです。(ここ十日ほどの東京はぐずついた天気が続いていたにもかかわらずです)

これは何を意味しているのでしょうか?

それくらいは、このブログを読んでいる人ならお分かりになると思います。

「集団的自衛権の行使容認の閣議決定は正しかった」ということです。

私は何度もいっています。行使容認に反対する人など、木を見て森を見ない、視野の狭い人たちに過ぎないと。自分たちさえよければそれでいいというエゴイストに過ぎないと。(それに本当にそれで日本の平和が守れるのかともです)

その意見が正しかったということを天が証明したということです。(このブログに書くことは必ず、それが正しいかどうかを証明するような現象が現れます。それは皆さんよくご存知のはずです)

一国平和主義など、もう出来る時代ではないのです。(最終的には、それでは日本の平和は守れないということです。日本は滅ぼされてしまうということです。〔中国か北朝鮮か分かりませんが〕よくて中国の属国となるくらいでしょう)

もっと大きな平和を望まなければいけない時代となっているからです。(正法の世)

そういう意味では、安倍総理の考え方は時代に合っているのであって、本当に日本の平和(そうして世界の平和もです)を願うのであれば、集団的自衛権を行使できるようにして、そうして他国とも連携し抑止力を高め、世界平和にも貢献するという立場を日本はとらないといけないのです。

そうしなければ、日本の平和主義が世界に伝わらないではないですか、金や口を出すだけでは世界の誰も日本のいうことに聞く耳を持たないのです。

日本人の血が流れるだの、他国で戦争ができるようになるだの、くだらないことばかりいうのではなく、どうしたら世界を平和に出来るのか、それを日本の人々、一人一人が考えなくてはいけない時代となったのです。

自分たちさえよければいい、そのようなくだらない考えなど早く捨て去ることです。そうしなければこの時代もう生き残れなくなるからです。

どちらにしても、集団的自衛権が正しいということは天が教えています。(昨日の東京の天気でです)日本の平和を本当に守りたいのであれば、早くことを進めた方がいいでしょう。(それに一番分かりやすい基準は中国、韓国です。その反応を見るのが一番分かりやすいのです。中国、韓国は絶対に日本のためになるようなことはいいません。〔何せ中華思想の親分子分ですから〕自国のためになることしかいわないのです。だから、中国、韓国が日本に対し反対することは日本のためになり、賛成することは日本のためにならないということです。この集団的自衛権の行使容認は両国とも反対しています。ということは行使容認は日本のためになるということです)

何が正しく、何が正しくないかは天が教えています。

しかし、現在の日本の人々は、集団的自衛権の行為容認を認めるの認めないの(それが仕事である政治家などは仕方ありませんが)いっている場合ではないでしょう。

これだけの異常気象が起きているのです。集団的自衛権の行使容認が決まる前に(国会での議論やら何やらで、この行使容認が決まるのはまだ何年も先の話ですから)心を変えなければ日本が他国ではなく天に滅ぼされてしまいます。

どの宗教を見ても、これだけその教えを裏付ける現象が起きるところはありません。一度や二度ではないのです。何度も起きて、その起きる現象は現在も続いているのです。(昨日も何か起きたようです。前の会社です。今日の態度が全然違っています。この辺りの誰もがそれは分かるのではないでしょうか。それでも無理して嫌がらせをしています。呆れますね)

この教えを無視しているなら、集団的自衛権の行使容認ができるようになる前に、日本が滅ぼされてしまいます。

本当に日本の平和や世界の平和を望むのであれば、本当の神の教えを勉強することです。この神の教えの流布に協力することです。

そうしてこそ本当の日本の平和、そうして世界の平和は実現するのです。(もちろん個人の平和もです)

0コメント

7月 01 2014

この世で一番貴重なもの

また車が暴走して大きな事故が起きたそうですね。(今度は大阪ですが)

この事故を起した運転手は脱法ハーブをしていたわけではなく、糖尿病か何かの病気で、その影響かどうかはまだ分からないとニュースでいっていましたが、この前は東京でこのような事件があり(それは脱法ハーブが原因のようですが)名古屋でもありました。(それは地獄霊が原因のようですが)異常気象だけでなく、異常な事件や事故も多発しています。

このような日本を見ていると、今一番初めにやらなければいけないことは、多くの人が神の教えを知ることだとつくづく思います。

多くの人の心が、唯物無神論から唯心有神論に変わるだけでも、異常気象はもちろんのこと、異常な事件や事故も減るのです。(それはそうです。神やあの世、人の輪廻転生をしっかり知るのであれば、反省する人はたくさん出てくるからです。中途半端に知ってもダメですけどね、名古屋のように)

だから、この法を一としないといけないのです。(政治的な言い方をすれば、この教えを拡げることが一丁目一番地です)

だから、くどいくらいいいますが、いつまでもこの教えを無視していてよいのですか?(これまでもそのせいで、ずいぶん恐ろしい現象が現れたはずですが)二、三日すれば、また梅雨前線が上がってきますが、このままだとまたあちこちで大きな被害が出ることになります。

百パーセントそうなるでしょう。このブログを無視している人が多いだけでなく、この辺りでは、まだまだ私に嫌がらせをする人も多いからです。まったく反省しようとしない人が多いのです。では、これまでと同じことが起きるでしょう。皆さんの心があまり変わっていないからです。その多くの人の心を変えるため、そのような異常現象が起きているからです。

昨日でもそうですが、私が歩いていると、バスやトラックがブシュブシュ、ブシュブシュ平気でやっていきました。

そのようにブシュブシュやっていく人のほとんどは、私のお陰で自分の考えを変えた人なのです。(唯物無神論から唯心有神論にです)そうして私のブログを読んで、いろいろなことを知った人もいるのです。

そういう人たちが、自分の心が救われたことなど一切無視して、私の顔を見れば「コノヤロー」と嫌がらせをしていくのです。

いろいろなことを教えてもらい自分の心まで救ってもらいながら、そんなことをする、そのような心と行いが災いを呼んでいるというのに、そのような自分たちの悪い部分は一切無視して、多くの人は悪いことを全部私に押し付けて「悪いことが起きるのはすべてあいつのせい」と私を目の敵にして嫌がらせをしていくのです。

やっていることが、あまりに稚拙なのではないでしょうか。

この辺りの人もそれは同じなのです。散々私のブログを読んで、いろいろなことを知ったのに、そのことに一つも感謝しようとせず、悪いことを全部私に押し付け、私に嫌がらせをするのです。

こんなことをしていてよいことが起きるでしょうか?(逆にこれでよいことが起きたら変でしょう)

自分たちに、悪いことが起きて当たり前のようなことをしているにもかかわらず、その起きてくる悪いことを全部私のせいにしているのですから、これだけ都合のいい話もないわけです。

これでは私一人が悪者になるのも仕方がない話でしょう、本当にいいもいったりです。(私が歩いていて向こうから来る人を見ると、私の顔を見て、凄くいやな顔をしたり〔それもこれみよがしにです〕ムッとしたりする人が多いんですが、自分たちの悪いことはすべて無視して、悪いことは全部私のせいにしているんですから、それは私を見れば悪魔のように思い、そういう顔をされる人も多いでしょう〔苦笑〕)

しかし、多くの人が絶対に知っておかなければいけないことがあるのです。それが釈尊がいわれた「善因善果 悪因悪果」ということです。

自分に悪いところがなければ、自分に悪いことが起きることはありません。それが神理なのです。私がどれだけ祈ろうが、自分たちが本当に悪いことをしていなければ、自分たちに悪いことが起きるわけがないのです。

自分たちに悪いところがあるから、自分たちに悪いことが起きてくるのであり、そのような(悪いと思える)現象は、その反省を促すための現象であって、そのような現象が現れてきた時には自分にどこか悪いところがなかったか反省しないといけないのです。(決して私のせいで悪いことが起きるわけではないということです)

今名古屋で起きている現象を知るのであれば(いろいろなサイレン)このようなことが起きている、その原因は、私にあるのではなく、私以外の人にあるということです。

名古屋の人は私に誰一人感謝していないのです。(名古屋の人から布施をしてもらっていないのがそのよい証拠です)この世に生まれ、これ以上ないというくらいの幸運を(法を知ったこと)この名古屋に生まれた人は私から与えられているにもかかわらずです。(現在進行形です。私はまだこのように法を説き続けているからです)

それほどの幸運を与えてくれている私に一切感謝せず(いろいろな誤解があるにせよです)怒りの心を持って嫌がらせをし続けているんですから、これ以上の悪の行為はないわけです。

これもまた現在進行形で、昨日のバスやトラックの運転手の態度や(減ったとはいえ)歩いている途中に私に嫌がらせをしていく人もいるし、今日は今日で、朝からすでにこのブログを書くのを邪魔している者はいる、嫌がらせしている者はいるで誰一人私によいことをする人がいないのです。

これでは名古屋に、恐ろしい現象が現れるのも無理のない話なのではないでしょうか。(これ以上ないという悪いことを、名古屋の人たちはずっとし続けているからです)

正味の話を書くなら、本当の神の教えが出ている時は無視してはいけないのです。本当の教えが出ていると知ったら、すべての人はその教えを勉強し、流布の手伝いをしないといけないのです。

本当の神の教えは、この世に出ているすべての人を救うからです。(もっというならあの世の人も救います。あの世の人もこの世の人も、すべての人や動物やありとあらゆるものを救うのが本当の神の教えです)

すべてを救うのが本当の神の教えなのですから(それはそうでしょう、この世界のすべてを創造されたのが神なのですから、その神が教えていられることはすべてを救うのが当たり前です)すべての人がかかわらないといけない神の教えの流布の邪魔をし、その教えを説いている者に嫌がらせをしているのです。

一体どれだけこの辺りの人は大きな罪をつくっているんでしょうか。(その罪の重さを考えるなら、今名古屋で起きていることはまだまだ軽い出来事なのではないでしょうか。こういうところにも神の愛の深さが感じられます。人間が知らずに犯す罪を、そのままその人間に当てはめたら、おそらく生きていられる人はいないでしょう。それほど多くの罪をすでに私たち人間は知らずにつくっているからです。人の多くの罪をすでに神は許していられるのです)

私を知ったことで多くのことを知った(これまで信じていなかったことを信じた)人も多いでしょう。

このブログを書くことで多くのことも知ったはずです。

そうして多くの現象も現れたはずです。本当の神の教えとはこのようなもの(教えだけでなく、それを証明するような現象も同時に現れる)と理解できたのは、このブログがあって、その証明のような現象が現れたからですし、そのような現象を通し、このブログに書いてあることを信じたから、多くの人の心が変わり(唯物無神論から唯心有神論にです)その多くの人の心が変ったことで、一応日本の滅亡は回避されたのです。(とりあえずではありますが)

このブログが本当の神の教えである、という現象は現在も続いています。(ここに書いたことを証明するかのような現象が、現在においても次々に起きています)

本当の神の教えほど貴重なものはこの世にありません。そのこの世で(もっといえばあの世も含めてです)一番貴重な教えを毎日のように聞けるのです。これ以上ありがたい話があるのでしょうか。

何でこれ以上ないという幸運なことに巡り合っていて、それに感謝することが出来ないんですか?

そうして、なんでそんな幸運を与えてくれた人に、報恩の行為の一つも出来ないのでしょうか?

私からすれば、このブログを読んでる多くの人や名古屋の人の考えがまったく分かりません。

それは私だけではないでしょう。神も、そうして皆さんの縁につながるあの世の人々も、今私にかかわっている多くの人の心と行いがまるで分からないのではないでしょうか。

それほど今の皆さんがやっている行為は、神の心からかけ離れた行為であるということです。

これほど貴重なことを聞いているのです。それにふさわしい行為はされるべきでしょう。

0コメント

6月 30 2014

何度もいいますが

最近の関東の不安定な天気は異常ですね。昨日の東京でもゲリラ豪雨が凄かったではないですか。

東京は先週も異常な量のヒョウが降ったり、連日のゲリラ雷雨にゲリラ豪雨です。梅雨にこのような天気になるのも珍しいそうですが、しかし、珍しいのは珍しいのでしょうが、その珍しさの度を越していますね。

東京など、ここ二~三週間の間に、急にこのような異常に不安定な天気となったのですが、これもやはり温暖化の影響でしょうか?それともエルニーニョの影響ですか?それともたまたまなっているだけなのでしょうか?

どれも違います。もう東京の皆さんは十分それをご承知のはずですが、それでもまだこのブログに書いてあることを無視されますか?

天の命を無視したり、逆らったりしてはいけないのであり、多くの人がそういう態度を取り続けているため、このような現象を起されるのです。

私が祈ったからこうなったと、何でもかんでも私のせいにしている人がいますが、その前に、ここに書いていることを無視したり、逆らったりしているのは、このブログを読んでいる皆さん方の方ではないですか。なぜそこをスルーして私が祈るのが悪いというのでしょうか?

「お前のいうことなど聞けるか」ですか。しかし、それほど無知な発言もないと思います。何度もいいますが、私がこのようなブログを書き、祈っているからこの程度で済んでいるのです。その意味をもう一度説明しておきましょう。(もう何度も説明していますが、どれだけその説明を証明するような現象が現れても理解できないようなので)

私がいるからこの程度で済んでいるということは、次のようなことからでもそれが分かります。

やるやらないは別にしても、唯物無神論であった日本で、神の心に気づいた人がたくさんいるのです。では、何で多くの人が神の心に気づいたんでしょうか?(名古屋の多くの人が、唯物無神論から唯心有神論に変わったのがそのよい証拠です)

それだけ多くの人が神を信じ、あの世を信じ、人の輪廻転生を信じるように心が変ったのは、私がいたお陰です。(それは認めざるを得ませんよね)当然天も、その多くの人の意識が変わったということは評価しています。

何度もいいますが、だからこの程度で済んでいるのです。これだけ多くの人の心が変っていなければ、とっくに南海トラフは起きています。ゲリラ豪雨がいけないの梅雨の大雨がいけないのいいますが、そうはいっても日本が滅びることが一番いけないことでしょう。

私がこのブログを書き、祈らなければ日本は確実にそうなって(南海トラフが起きて)いました。私がブログを書いて祈り現象を現したから、多くの人の意識が変ったのです。もし、多くの人の意識が変っていなければ、今頃は確実に日本は滅ぼされていたのです。

それを考えるなら、皆さん私にもう少し感謝されてはいかがでしょうか。私がいなかったらとっくに日本は滅ぼされていたからです。ギリギリのところで私は日本を救ったからです。

勝手につくるなといわれそうですが、日本で高橋先生が法を説かれ、そうして園頭先生が法を説かれました。しかし、如来が続けて二人も法を説かれたにもかかわらず、それでもほとんどの日本の人々は、その如来の存在に気づかなかったのです。これは多分、世界の宗教史上でも初の出来事だったのではないでしょうか。(如来が二人も続けて法を説かれたにもかかわらず、それをほとんどの人が気づかなかったなど前代未聞でしょう。これほどの〔バカな〕事件は歴史上ありません。他の国では考えられないくらい、神に対する不遜な行為を〔神から使わされた使者を二人も続けて無視したのです。ありえないほど神に対し不遜な行為です〕日本の人々は平気でやったのです)

これほどの大罪を、すでに日本の人々は犯しているにもかかわらず、自分たちは何も悪いことをしていないなど、いっていることのバカの度が過ぎています。

信じられないバカげた行為を日本の人々はしているからです。(日本の人々は唯物無神論であったため、その行為の罪の重さが分からないのです)では私が「日本は滅ぼされていた」といっても決して言い過ぎではないのではないでしょうか。

過去に如来が自分の国に生まれ、そのことに気づかなかった国民はいません。釈尊、キリスト、モーゼ、あるいはゼウスと、インドの人であろうと、イスラエルの人であろうと、エジプトの人であろうと、ギリシャの人であろうと、どこの国の人でも、如来が生まれたことにその国の人々は気がつき、多くの人々にそれを伝えたから、その如来の教えも後世、世界に伝わることが出来たのです。

そうして世界に伝わった如来の教えのお陰で、その教えを知った多くの人々が救われたのです。多くの人を救う力が如来の教えにはあるからです。

だから、如来が自分の国に生まれたことをその国の人が知らないなどということは、どれほど大きな罪になるか分からないのです。(その如来に救われる人、そうして後世、如来の教えが世界に伝わることで救われる人の数を考えれば、その如来の教えで救われる人は天文学的な数字となります。如来を世に伝えようとしないということは、その教えも伝わらないということになり、それだけ多くの人を救うことが出来ないということになりますので、それがどれほどの罪となるかお分かりいただけると思います)

私は何度もいっています。日本の人々はすでに大きな罪を犯していると。そうして私がいたからまだ日本はこの程度で済んでいるのだと。

それが嘘ではないということは、今書いたことを知るなら分かることですし、数々起きる現象を見てもそれが証明できます。どれだけひどい目に遭っても、日本の人々が文句をいえる筋合いでもなければ、怒る資格もないのです。それほど大きな罪をすでに日本の人々は負っているからです。

ただそれに気づいていないだけです。

日本の人たちは、自分たちが如来に気づかなかったばかりに(自分たちはもちろんですが)世界中の多くの人たちが救われる機会を逸してしまったという、信じられないバカげた行為をすでに行っているのです。

これほどの大罪を犯していながら、自分たちは何も悪くないだの、悪いのは全部お前だの、いっていることが全然おかしいのであって、あまりにトンチンカンなのです。

自分たちが悪くなければ、これほどの現象を天が与えるはずがないからです。(しかも何度もです)

今日も神の心を何も理解しようとしない輩は、このブログを書くのを必死に邪魔しています。このような者たちは何が起きても、自分たちがどれほど愚かな行為を続けているか、絶対に理解しようとせず、また認めようともしないでしょう。(責任転嫁ばかりしてです)

では、そのような人たちは滅びるしかないということになります。

私は何度も呼びかけています。少しで結構です。寄付してくださいと。そうして少しでいいからご協力くださいと。(しかし、それはそういっているだけで、実はもうかなり危ない状況であり、少しどころか、たくさん寄付してもらい、たくさん協力していただかなければいけない状況であるのですが、そういったら絶対やらないから、軽めにいっているだけです。しかし、それでもやろうとしないのです。自分たちの罪の大きさを誰も全然理解していないようです)

何度もいいますが、これが最後のチャンスです。もし、このチャンスを逃せば(私が潰れてしまえば)日本は確実に潰されます。

それだけの罪をすでに日本に生まれている人たちはつくっているからです。(日本が潰れるだけでは足りなくらいの罪をつくっています。それは各個人で、未来にその責任は各自で負うのです)

いつまで、自分たちの罪に耳をふさぎ、見ないようにしているのですか?そのような態度を取り続けたところで、自分たちの罪が消えるわけではないのです。

すでに日本に生まれている人たちは(如来にまったく気づかなかったという)大罪を犯しています。

一刻も早く、その罪を償(つぐな)ってください。そうしなければその罪は来世、来々世に渡って続くことになるからです。

人をどうこういうよりもまず自分がやることです。そうしなければ何も進まないからです。

2 コメント

6月 29 2014

起きて当たり前の罰

前の会社がやっているのといないのとでは全然違いますね。こう考えるなら、本当に前の会社は罪をつくり続けています。(しかもずいぶん重いです)

そういうことをやってはいけない、という現象が現れ続けているのに、それに逆らい、一生懸命このブログを書く邪魔をし、ブログを書いていない時でも少しでも私に嫌がらせしようと必死です。

そういう愚かな行いをすることで、どれだけ恐ろしい現象を自分たちに現されているのか、いつまでたっても分からないのです。(悪いことはすべて私のせいですから)哀れというしかありませんね。(マッ、特別それは前の会社だけではありませんが)

この辺りの人も、これだけ神や天上界や人の道などのいろいろなことを教えられ、そうして、これだけいろいろな現象を体験されているのに「いろいろ教えてくださりありがとうございます」と謙虚に、私にいわれた人など一人もいないんですから、それはいい現象が起こるわけがありません。(誰も私に感謝していないんですから、無理といえば無理なんですが)

そういう自分たちの態度は少しも改めようとせず、悪いことが起きればそれをすべて私のせいにしています。

あまりに都合がいい話なのではないでしょうか。

だいたい、私に嫌がらせなどしなかった時は、そんな現象は現れていなかったのです。この名古屋に響くサイレンでも、バスやトラックの連中が私に嫌がらせを始めてから始まったことです。なのになぜそれが私のせいになるんでしょうか?

昨日でも、ちょっと広い道を歩いていればバスやトラックが「ブシュブシュ」やっていきました。(私はただ歩いていただけです。そのようなバスやトラックに嫌がらせなど一度もしたことがないのにです)

そのバスやトラックの運転手は私のブログを読んでいる人もいて、私のブログからいろいろ自分たちが知らなかったことを、散々教えてもらったはずなのに、それに少しも感謝しないで、人の顔を見ればそういう嫌がらせを一方的に続けているのです。

これでは罰が当たらない方がおかしいのではないでしょうか。

こういう、自分たちが行っている悪の行為を一切無視し、自分のことを棚にあげて「お前だけが悪い」と私の悪口をあちこちでいいまわり、そうして私の顔を見れば嫌がらせです。

これだけ悪い行いを実践していては、それはいいこと起きません。(当たり前です)そうして、自分たちの態度があまりにも悪いため起されている天の気づきの現象を、それさえも私のせいにして、散々私に嫌がらせをし続けているのですから、それではもっと恐ろしい現象も現れてきます。

こういう(自分たちの心と行いが悪いために起されている)起きて当たり前の現象を、なぜ自分たちが悪いから起きていると気づかないのでしょうか?

昨日もいいましたが、いろいろなことを教えられて一つも感謝しないのです。それどころか、そのいろいろ教えてくれた人に嫌がらせを一方的にしているのです。(何度もいいますが、私はそのような人たちに一度も嫌がらせをしたことがありません)

一体悪いのはどちらの方なのでしょうか。

子供でも分かりそうな簡単な問題なのですが、この辺りの人は、大人から子供までそれが分からないのです。というか正解者がいないのです。(すべての人が不正解です。だって私が悪いと皆が思っているのですから)まったく持って不思議な話です。なぜ、こんな簡単な問題に正解できないんでしょうか。

しかし、正解者が出てくるまでこの現象は続きます。多くの人が自分が悪いと気づいて、態度を改めてもらうしか、この名古屋で起きている恐ろしい現象を止める手立てはないからです。(だって私は悪くないんですから、私がいくら皆さんに謝ってもこの現象は止まりません。逆に皆さんが私に謝るなら、この現象は止まりますが)

反省されてはいかがでしょうか。

昨日も、普段歩かないところを歩いたのですが、私のことを知らない人はいないようでした。公園の横を通ると、そこで遊んでいる子供などが一斉に私の方を見ます。(すずめが騒ぐのですぐに分かるのでしょう。普段歩かないところを歩くとよけい見られますね)

このように考えますと、一体名古屋でどれくらいの人が私を知っているのか分かりませんが、少なくとも半分くらいの人は、私のことを知っているのでないかと想像できます。

名古屋の人口の半分といえば、約百万の人が私のことを知っているということになります。ということは、すでにその百万の人たちは、考えが唯物無神論から唯心有神論に変わっているということになり、その人たちの心はかなり救われたということになります。

このブログを書いて、人に嫌がらせをされるだけで百万の人の心を救えるのなら、それはそれで良しとしなければいけないのかもしれませんが(というか、まさに海老で鯛を釣るの典型ですね)しかし、そのように心を救われた人は、救ってくれた人に感謝の心で報恩の行為は当然しなければならないのです。

その報恩の行為をしてくだされば、より多くの人の心を救えることになります。(当然私が、その報恩の行為をしてくださったもので、より多くの人にこの教えを知らせるからです)

名古屋だけではありませんが、少しでも心を救われたと思われる人が、少しの報恩の行為をしてくださるだけで、より多くの人の心を救えることになるのです。

では、それをしようとしない人の罪もまた、どれだけ大きいかお分かりいただけるのではないでしょうか。

今日、このブログを書いている最中だけでも、今度は前のマンションの連中が、例の網戸をバシバシ開け閉めして、ブログを書くのを邪魔しています。しかし、そういうことをしているマンションの人たちも、皆このブログのことを知っていて、このブログによって心が救われた人たちばかりなのです。(それはそうです。このマンションの人で、まだ唯物無神論を信じている人など一人もいないでしょうから)

自分の心が救われているのに、それに感謝しないばかりか、そのブログを書くことに少しの協力もせず邪魔しているのですから、そのような人たちによいことが起きてくるわけがないのではないでしょうか。(常に自分のことしか考えていないんでしょうか?なんと小さな考えでしょう。結局そのような小さな考えが自分自身を不幸にしているのです)

そうして起きてくる悪いことをすべて私のせいにしていますが、自分たちが悪いから自分たちに悪いことが起きるのです。

悪いことをすべて人のせいにしている、その間違いに気がつき、そうして行いを変えてくださるだけで、より多くの人の心を救うことが出来ます。

自分たちのことばかりいっているのではなく、少しはそのような人のことも考えてはいかがですか?

そのような行為こそ菩薩行であり、自分をも救うことになるからです。

0コメント

« Prev - Next »


あなたは人目の訪問者です。