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3月 21 2014

菩薩

昨日は首都高速で火事があり(今年は本当に、このような主要な場所での火事が多いですね。そのせいで多くの人が大混乱です)今日は今日で、北日本など大荒れの天気になる予報が出ています。

法の流布を急がないと、このような災いばかり起こされます。このような現象が起きるたびに「法の流布を急がねばならない」と改めて思います。

それには、昨日書いた菩薩界から出てきた菩薩たちが自分の使命を悟り、法の流布に立ち上がってもらわないといけませんが、これがなかなか名乗り出る(私に協力する)人が出てきません。

菩薩とは、どのような方をいうのか、少し具体的に書いてみましょう。

高橋先生や園頭先生の身近なところで例をあげますと(高橋先生の弟子だった人には、たくさんの菩薩たちがいましたが)高橋先生の奥さんと園頭先生の奥さんは菩薩界の方です。

高橋先生の奥さんの過去世は、あの弥勒菩薩として有名なマイトレイヤーであり、園頭先生の奥さんは良妻賢母の誉れが高かった(インド当時はシャリー・プトラーの母であった)シャリーです。

このお二人のうち、私は園頭先生の奥さん(シャリーであった方です)とは、二~三度直接お話させていただいたことがあります。

園頭先生の奥さんは、やはり過去世で有名だった方だけあり、いろいろなことをご存知でずいぶん頭のいい方だなという印象がありました。(ただ人柄は、どこにでもいる田舎のお母さんという感じで、まったく偉ぶった感じのない人でした。正法会の会長の奥さんという感じではとてもありませんでしたが、元々園頭先生の奥さんは、そのような普通の方であったようです)

高橋先生の奥さんは(本やビデオで観たくらいで)あまり知りませんが、お二人とも両先生に尽くされ法の流布を手伝われました。

しかし、このお二人を比べると、一人の方は成功でしょうが、もう一人の方は失敗でしょう。それくらい今生の修行で差が出たのです。

あまり詳しくは書きませんが、園頭先生の奥さんは、今生の修行に合格し、高橋先生の奥さんは、今生の修行に失敗したということです。(その理由を簡単にいえば、園頭先生の奥さんは園頭先生が元気な時も、病気になられた時も、そうして亡くなられた後も、心を変えられることはありませんでしたが、高橋先生の奥さんは、高橋先生が亡くなられると、大きく心変わりされたということです)

この方々は、法の流布を手伝われ、両先生によく尽くされたにもかかわらず、それでも今生の修行を成功された方と失敗された方に分かれるのです。それだけ菩薩の修行はきびしくむつかしいということです。

それなのに、菩薩界から出てきて、まったく法の流布を手伝おうとしない菩薩が、もしいたとしたら、そのような菩薩は今生に生まれてきた意味があるのでしょうか?

法の流布を手伝っても、それでも失敗する菩薩がいくらでもいるのです。(高橋先生の弟子の菩薩たちはほとんど失敗しました。高橋先生に「本当にボサッとしています」といわれていたくらいですから)では、その法の流布さえしようとしない菩薩がもしいたとしたら、その菩薩は百パーセント今生の修行は失敗ということになります。

それでは、今生に生まれてきた意味もないでしょう、そんな菩薩ならいない方がましです。

ということで、菩薩界から生まれてきて、いつまでも自分の本当の使命に気づこうとしない菩薩がいてもいけませんので、そのような菩薩たちを祈ろうと思います。(もちろん喚起を促す意味でです)

菩薩たちが、本当の使命を果たしてくれなければ法は拡がりません。法が拡がらなければ、各地で起きる異常現象は収まりません。異常現象が収まらなければ、多くの人に災いが降りかかるのです。

すでに、そのような災いで生命や財産をなくした人は数知れず、それも現在生まれている菩薩が、いつまでもボサッとしていたことに原因があるのです。

そのような責任も含めて「神よ、今生まれている菩薩たちに、様々な現象を現し正しい道にお導きください」と祈ろうと思います。

名古屋で起きていることに、ピンと来る他の地域の人も少ないでしょう。私の周りに次々に現象が起きている、と書いても、それが実感できる人たちはこの辺りの人たちくらいで、他地域の人たちなど、下手すれば私が嘘を書いている(または、かなり大袈裟に書いている)と思われている人も多いでしょう。

そうであるなら、そうではないということを証明しないといけません。

それには、何もしようとしない菩薩たちを通し、それを証明するのが一番いいでしょう。(それだけ何もしようとしない菩薩たちは罪をつくっているということです)

菩薩たちが、いつまでもこの世だけの栄耀栄華に浸っていられては、皆が困るのです。(私など収入もほとんどなく、皆に嫌がらせをされていても、それでも法の流布を行っているというのにです。私がこのような状況なのも、その菩薩たちがボサッとしているからです)

そのような菩薩たちの目を覚まさせる意味でも、菩薩たちへの祈りを始めようと思います。どういうことになるか見ていましょう。

(大丈夫です。このブログを見ている人でも、そうは、そんな菩薩界のような高い世界から、生まれてきている人などいないと思いますので、私が祈ってもそれほどの害はないでしょう。少しくらい入るかもしれませんが、そのような人は、どうしたらいいか自分で考えることです。菩薩の修行はそれだけきびしのです)

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3月 20 2014

菩薩界から生まれてきている人たち

どうしたんでしょう、よほどのことが起きているんでしょうか?前の会社など私が横を通っただけで、もう尋常じゃない騒ぎ方です。(何人もの人が物を投げつけたり、でかい音を立てたりで)いくら何でもやりすぎでしょう。(そうかと思うと急に静かになったり)

本当に情緒不安定の人が何人もいるようです。何が起きているのか知りませんが、そのような態度を続けていても、その現象は止まりません。その現象を止める唯一の手段は反省し詫びられることしかありません。

もし続けて、恐ろしい現象が起きているようなら、反省を急がれた方がいいでしょう。そうしないと、取り返しがつかないことになりかねないからです。

昨日の話しの続きになりますが、この世に出てきた以上、すべてのことは自分で判断し、自分で行わないと自分の点数になりません。自分の点数にならなければ、自分の心は成長しないのです。

私のことを少し書いてみましょう。

私は祖母が亡くなることにより人生とはなにか?死とはなにか?ということに疑問を持つようになりました。そうして、いろいろな本を読みあさるうちに高橋先生の本と出会い(これが私と法との出会いです。二十五、六歳の時ではなかったでしょうか)その後、園頭先生とお出会いしたのです。

園頭先生の元(正法会)十年間法の勉強をし、そうして園頭先生が倒れられ亡くなられた後も、法の勉強を続け、そうしてある時、この法を説いて生活しようと決めます。(多分この時も心の内から、そのような思いが次々に上がってきていたと思います。心の内なる声は、正法会にいた時から聞こえていましたので)

しかし、一度それに失敗し(正確にいえば、現在もまだ成功している状況ではありませんが)そうして、これからどうしようと思っている時に、不思議な夢を観て(その夢は前に書きましたので、ここで詳しく書きません)私が高橋先生、園頭先生の後を継ぐことになったことを知ります。

そうして四十日の断食をすることになり、その後、家で細々と法の流布を始めることになります。そうしたら、私が祈ると次々に現象(奇跡)が現れ始めたのです。

今のように、祈ると次々に現象が現れ始めたこの状況を見ますと、自分の人生は、ほとんど自分で決めてここまで来ましたが、やってきたことに間違いはなかった、と改めて思います。

きつい状況ではありますが、しかし、それも私が自分で決めてきた使命であるなら、そのような状況になるのも、また致し方なく、自分の判断でここまで来て、その判断が間違っていたのであれば、これほどの現象が現れることはなかったのであるし、これだけ天から協力を得ているのです。

この現象が証拠となり、唯一私が高橋先生、園頭先生が説かれた法(神理)を受け継ぎ説いているのであり、そうであるなら、何があっても、自分が高橋先生、園頭先生のご意志を継ぐという強い気持ちを持ってやっていくのであれば、天の協力は与えられ続け、次々に奇跡が現れるということになり、その法の流布が私の生涯の仕事である、ということになります。

その考えに間違いがないと思われるように、現在においても、奇跡の現象は続いています。

私は前に、しばらくするとこの日本に菩薩界が出現することになります、と書いたことがあります。(高橋先生の予言です)

菩薩界から出てきた人たちは、この法を知ると即座にこの教えが正しいと分かります。そうして、自らこの教えを実践すると次々に奇跡が起きるのです。

菩薩界の人たちはすでに過去世で法を学んでいます。(その人たちにその実感はありませんが)もう法の実践の仕方を知っていますので、そのような魂の人たちが法を実践すると、普通の人(菩薩界以下の魂の持ち主)以上に奇跡を起こすことができるのです。

その菩薩界の人たちは、自ら悟り名乗り出ることになっています。

その悟り名乗り出るということは、自ら法と出会い、自らこの法が正しいと理解して、それを実践し、次々に奇跡を起こして、私の元に来ることになっているという意味なのです。(法の指導者に協力するということです。それが菩薩の本当の使命だからです。現在の法の指導者は私です。だから、菩薩界から出てきた人は、皆私に協力しないといけないのです)

この日本を、菩薩界にするために生まれてきている人たちは、すでに肉体を持っていると思います。

例えばウナッシーさんでも、私が説いている法が正しいとすぐに分かり、それをすぐに実践されました。すると次々に奇跡が起き、現在においても自分の心がみるみる変わっていくのが分かり、それによって周りの人々の状況も変わってきているようです。

この方が、菩薩界から出てきた人かどうかはまだ分かりませんが、この方が法を知ることにより、次々に奇跡が起きたのは事実です。こういう現象が現れている以上、この方は、それなりの法の流布の使命があることだけは確かなようです。

だからといって、ウナッシーさんは決して無理をなさらず、今のペースで法の実践を続けていかれるなら、その自分の努力に応じ、また自分の心の広さに応じて、奇跡が現れてきます。今は、法の実践を地道に続ける、それが大事でしょう。そうすれば、その起きる奇跡の度合いにより、自分がどの辺りの心の持ち主かは、いずれご自身で悟られることになるからです。

そうして、この法を知ることにより、次々に奇跡が起きた、という人は、まだ他にもいるはずです。そのような人たちも、法の流布の使命を持って生まれた人たちであり、その人たちもウナッシーさん同様、やはり法を自分で勉強し、私の元にくることになっています。(そのような約束をして生まれてきている人たちなのです)

菩薩界から生まれてきている人たちは、どのような業種に生まれても、そこで法と出会い、その場所で悟って名乗り出る(私〔法の指導者〕に協力する)順序をもらって、この現象界に生まれているのです。

したがって、その約束を果たさなければ、その菩薩はまったく自分の使命を果たしたことにならないのです。その自分の本当の使命を悟るのも自分の判断(自力)であるなら、名乗り出るのも自分の判断です。

すべてのことにおいて、自分が一人で判断し、自分が一人で行うのです。しかし、菩薩界から生まれてきた人は、それをするために生まれてきているのであり、それを行うことがどれほど難しい境遇に生まれていようと、それをしなければ自分の本当の使命は果たせません。

菩薩は、どのような境遇であろうと、自分の使命を果たさなければいけないのです。(それが菩薩として自分が決めてきた使命であるからです)

現在、多くの菩薩たちが日本に生まれ、その使命を果たす時が来ているにもかかわらず、ほとんどの菩薩たちが、その使命を果たそうとしません。

それでは、このような異常現象を次々に日本に起こされるのも、仕方がない話でしょう。菩薩の使命はそれほど重いからです。

菩薩が菩薩としての使命を果たさなければ、日本に起きている異常現象は収まりません。

この異常現象を収めるには、菩薩が菩薩としての使命に目覚める、もうそれしかないのです。

追伸…今回のブログに書いた菩薩たち、すなわち心の高い人たちでないと、この法の価値も、それを説いている私の価値も分からないのです。現在はその菩薩たち(心の高い人たち)が後ろに下がり、心の低い人たち(まだ高い境地にまで心が到達していない人たち)が前面に出ています。だから、私に平気で嫌がらせが出来るのです。(心が低いから、私の価値が分からないのです)

その私に、嫌がらせを繰り返しているため、現在の名古屋は大変恐ろしい現象が現れています。

しかし、この嫌がらせをやめさせないと、この名古屋の恐ろしい現象は収まりません。今私に平気で嫌がらせをしている人たちは、まだ心が低い人たちなのです。

私を悪く思わない、という人たちも名古屋にはいるはずです。(そういう人たちは比較的心が高い人たちで、その人たちの中に菩薩界から出てきた人もいます)そのような人たちが立ち上がって、心が低い人たちが行っている愚かな行為をやめさせないと、名古屋に起きている異常現象は収まりません。

今日も愚かな行為を続け、自分で自分の首を絞めている人たちがいます。(このような人たちでは、正しい判断が出来ないのです。感情的にしか物事を見れないからです)もう名古屋にいる心の高い人たちが立ち上がるしか、この恐ろしい現象を収める手立てはないのです。

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3月 19 2014

自分の判断

昨日は各地、春の嵐が吹き荒れたようで風の強いところがずいぶん多かったようです。

名古屋は風はそうでもなかったのですが、PM2.5の注意喚起が出されたようです。

名古屋は、そのPM2.5も心配ですが、何か変ですね、あちこちでいろいろ奇妙なことが起きはじめたのではないでしょうか?(特に、どこかの会社の連中キレてるのがいるようですが)

何が起きているのか知りませんが、すべては自己責任です。人のせいにしていては、いつまでたっても恐ろしい現象は止まりません。自分たちがどうすれば災いが起きなくなるのか?それは自分たちで判断するしかないのです。

その自分で判断するということで、あることを思いだしました。その話を少し書いてみましょう。

それは私が正法会にいた頃の話です。

「園頭先生はすばらしい」「正法はすばらしい」と、園頭先生と法に出会えたことを喜び、正法会で勉強していた人たちでも、辞めていく人はたくさんいました。(理由はいろいろです。悪魔に憑かれてしまった人もいれば、園頭先生より自分の方が正しいといって辞めていかれた人もありました。園頭先生がおかしくなったといって、辞めていかれる人もいました)

せっかく法と出会っても、その法を一生勉強し続けるということは、なかなか難しいことなのです。

そうしてある時、一人の女の人が園頭先生の前にこられ「いろいろお世話になりました。今日で正法会を辞めさせていただきます」と挨拶されました。園頭先生は、その女の人を寂しそうに見られ「そうか」と一言いわれただけで、それ以上、止めようとはしませんでした。

しかし、その女の人は、実は過去世で園頭先生と非常に縁の深い方であったのです。(そのことを、その女の人は知らなかったのですが)

それを知っていたある方が「あの方は過去世で、園頭先生と非常に縁が深かった人だったはずです。なぜ、それをあの人にいって引き止めなかったんですか?」と園頭先生に聞かれたそうです。

すると園頭先生は「それをいってはだめなんだ」といわれたそうです。それをいってしまうと、その人の判断が鈍ってしまうからだそうです。

つまり、過去世でどれだけ縁が深かろうが、今世は今世で一から心の修行をするのであり、その心の修行とは、すべてのことにおいて自分で判断するのが心の修行なのであり、その自分の判断を迷わせるようなこといってはならないのです。

だから園頭先生は、その方が自分と縁が深かろうが浅かろうが、そういうことに関係なく、会員の方とは皆同じように接し、同じような態度しか取られなかったのです。

正法会を続けるのもその人の判断ですし、辞めるのもその人の判断です。自分でした正しい判断だけが、自分の点数になるのであり、間違った判断をするなら、その人に点数はつきません。

それは自身で判断することであり、人がいったから仕方なくそうした、では、それが正しいことであったとしても、その人の点数にはならないのです。

ですから、園頭先生は誰であろうと(それは間違いだと知りつつも)正法会を辞めたいという人には自由に辞めてもらいましたし、辞めてもまた入りたいといえば、それも許されたのです。(そういう人は少なかったですけどね)

会を続けるのも自由なら、辞めるのも自由、また入るのも自由と、すべて、会員の個人個人の判断に任されていたのです。(園頭先生は、正法会を辞めるのは〔それは法を捨てることになりますので〕間違いだと分かっていましたが、それも会員個人の判断にゆだねられたのです。それが心の修行だからです)

園頭先生は、皆に同じような態度で接していられましたので、辞めた人の中で、昔から会員だった方や、より以上に園頭先生に協力された方からは「私たちはあれだけ園頭先生のために尽くしたのに、会を辞める時、少しも止めてくれなかった。だから園頭先生は冷たい」などという人もありましたが、何をくだらないことをいっているのでしょう。

そんなことは泣き言以外の何ものでもなく、そのようなことを含めて、すべて自分で正しい判断をしなければ、自分の点数にはならないのです。自分で間違った判断をしておいて、それを園頭先生のせいにしているようでは、自分の心は成長しません。

そのような方々が、辞める時に引き止めなかったのも、そのような会員一人一人の心の成長を促す(自分で正しい判断をしろという)園頭先生の慈悲の行為だったのです。

昔から会員であった方や、普通の会員以上に園頭先生に協力された方なら、それこそ普通の会員以上に、園頭先生のお気持ちはよく分かっていなければいけません。では、会を辞めるという選択肢はなかったはずです。

その間違った選択を自分たちがしておいて、それをいくら園頭先生のせいにしても、自分たちの判断が間違っていたのであり、それは自分たちの責任です。だから自分たちが悪いのであって、甘ったれたことをいわれても困るのです。

このように法を勉強していても、甘ったれた判断をする人はいます。では、法を勉強していない人など、そんな甘ったれた判断をしている人はたくさんいるでしょう。

自分たちに、悪いことが起きているのを人のせいにしていても、それは甘ったれた(間違った)判断でしかありません。

自分たちが悪い(間違った)ことをしているから、自分たちに悪いことが起きるのです。その悪いことを自ら反省し、よいことをしなければ、自分によいことが起きてくることはありません。

それもすべて自分自身で判断するのですが、この法を勉強するのも自分の判断ですし、しないのも自分の判断です。悪いことを人のせいにするのも自分の判断ですし、何が起きても“我冠せず”という態度を続けるのも自分の判断です。

しかし、自分でした正しい判断だけが、自分の点数になります。

そうして正しい判断をしていれば奇跡が、間違った判断をしていれば災いが起きてきます。(これが、自分の判断は正しいか間違いかの唯一の判断材料です)

日本にこれだけ災いが起きているのです。正しい判断をしている人が、あまりに少ないといわざるを得ません。

間違った判断をしているのであれば、当然ではありますが自分の心は成長しません。ということは、残念ではありますが今生は、心の修行の落第者が非常に多いということです。

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3月 18 2014

善因善果 悪因悪果

昨日は久しぶりに金山に行ったんですが、思ったより静かでしたね。

というのも、私の家の近辺の人は、ずいぶん感情的に怒っている人が多いからです。(何を怒っているのか知りませんが、私が近くを通ると、ガンガンやってくる会社などたくさんあります)

それから思うと、昨日の金山は電車もバスもずいぶん静かでした。(もっとガンガンやられるかと思ったものですから)

何か必要以上に起きているのか、いないのか、それとも反省した人が多いのか(これはないかもしれませんが)分かりませんが、とにかく名古屋の人たちは極端に態度が変わる人が多いようです。(大丈夫ですか、情緒不安定の人が多そうですが?)

何が起きているかは知りませんが(何せ、多くの人が怒っているだけで口をきいてくれませんので)悪いことが起きているなら、その起きている人が何か悪いことをしているから、悪いことが起きているのであり、何度も説明しているとおり、それが私のせいではありません。

悪いことが起きている人たちは、何か悪いことをしているのではないでしょうか?(自分が悪いと気づいていないだけで)昨日も説明しているように、日本の人たちは、すでに大変な悪いことをしているからです。

日本の人たちは、如来が日本に出世されたにもかかわらず、その如来が誰か知ろうともせず、その如来の教えを勉強しようともしないのです。自分たちが、この時代に日本に生まれた最大の果たすべき使命を放棄しているのです。

これ以上の悪いことがあるでしょうか?

世界の宗教史上、ありえないことが現在の日本で起きているのです。

それが、如来がその国に生まれたにもかかわらず、その国の人たちが、如来の存在を知ろうともしなければ、その教えを勉強しようともしなかった、という神も子の人間としてありえない行為です。

もしこのまま、如来と如来の教えを誰も勉強しようとせず、如来と如来の教えが消えてしまうようなら、日本は、世界の宗教史上初の信じられないほどの汚点を残すことになるのです。

それほど大変なことを、現在の日本の人々はしているのですが、その自覚があまりにありません。この自覚のなさも前代未聞です。(いかに神から心が離れてしまったか、ということでしょう)というより、もうそういうレベルの話ではありません。絶対にしてはいけないことを日本の人々は平気でやっているのです。天の怒りはいかばかりでしょう。

そんな神の子の人間が、絶対にやっていけないことを「やってはいけない」と私は注意しているだけなのに(そんなことをしている人たちに、当然天は次々に現象を現します。当然です、その人たちは、最大の罪を犯そうとしているのですから)それを逆恨みし、この辺りの人たちは私に嫌がらせを続けているのです。(それもずっとです。年寄りから小さな子供までです)

世界初の、信じられないような汚点を残すかもしれない行為を注意している者に、嫌がらせをしているのです。ということは、そのような最大の罪を犯しているにもかかわらず、その最大の罪に輪をかけるような大罪を、その人たちは行っているということになります。

そうなると最大最凶の罪を、その人たちは犯しているということになり、そうであるなら、それはそれは恐ろしい現象が現れて来てもおかしくはありません。それだけ計り知れない大きな罪を、その人たちは犯しているからです。

そうであるなら、今私の周りで起きているであろう恐ろしい現象、それが起きている原因は、私にあるのでしょうか、それとも私に嫌がらせをしている人たちにあるのでしょうか?

善因善果、悪因悪果は神理です。

神理とは正しい法則をいうのであり、この法則とは絶対に例外のない、必ず、こうするとこうなるという正しい順序をいっているのです。(例えば、酸素と水素を化合すると水になります。これは誰がやってもそうなるのです。同じことを心の暗い人がやったら火になって燃えた、などということはありません。こうしたら必ずこうなる。これが法則です)

悪いことが起き続けている人たちは、それでもまだそれを私のせいにされるのですか?自分が反省しようとは思わないのでしょうか?

次々に、恐ろしい現象が現れているところもあるようですが、ことはもうそのような自分たちだけの話ではなくなっているのです。

日本の多くの人々が、いつまでたっても自分の本当の使命を果たそうとしないからです。

何度もいいますが、皆さん本当の自分の使命に早く気がつき、早くその使命を果たしてください。

そうしないと日本は元より、世界中の異常現象は止まりません。

如来と同時代に同じ国に生まれるなど、そのような人々は生まれる前に、如来の法を勉強し、それを多くの人々に伝えてまいりますと、どれほど強く神と約束してきたか知れない人たちばかりなのです。

その人たちの熱意と過去の縁によって、神は如来と共に、この日本に生まれることを許されたのであり、その人たちは、その神との約束を果たそうとしなければ、どのような大きな罪を負うか分からないのです。(神との最大の約束を反故にするからです)

だから私は、いつまでもこの世のことだけにうつつを抜かしていてはいけない、といっているのです。

現在日本に出ている多くの人たちは、自分の栄耀栄華を望んでいるだけで、如来のことなどうわの空です。しかし如来と共に同じ国に生まれた人たちはそれではいけないのです。

必ず、如来を知って、その教えを多くの人たちに伝えてこなければいけないのです。

その最大の使命を誰も果たそうとしないのです。これ以上大きな悪の罪はないのではないでしょうか。

現在の日本に次々に異常現象が起きている、その原因は、そのように多くの人が大きな悪の原因をつくっているからです。(名古屋もまたしかりです)

悪の原因を取り除かなければ、悪いことは起こり続けます。

善因善果、悪因悪果は神理だからです。

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3月 17 2014

如来の教えを伝えることの重大さ

それにしても、このブログを再開して五年目に入りましたか、本当に早いです。(私はまだ一、二年しか経っていない感覚ですが)それで皆さんの態度はまったく変わらずですか。ちょっと信じられませんね。

その信じられないという意味を、少し詳しく書いておきましょう。

昨日、ウナッシーさんのコメントに対する答えにも書きましたが、日本の人々は、最低限の使命さえ果たしていないのです。

その国に如来が生まれられたら、その国の人は、その方が本物の如来と自覚し、その如来の教えを学び、その教えを世界に伝える、それが如来と共に生まれた人の最低限の使命なのです。(そのような約束を生まれる前にしてきているから、如来と同じ時代に同じ国に生まれることが出来たのです)

それは、釈尊が出世されたインドや、キリストが出世されたイスラエルの人々を知ってもらえれば、お分かりいただけると思います。

釈尊やキリストの弟子たち、またその如来と同じ国に生まれた人たちが、如来の存在をより多くの人に伝えることにより、釈尊やキリストという偉大な人物や、その教えや奇跡が世界に伝わることになったのです。

もし、釈尊やキリストの弟子たちや、如来と同じ国に生まれた人たちが、釈尊やキリストや、そのような偉大な方々が起こされた奇跡や教えを、一切口外しなかったらどうなるでしょう。

釈尊やキリストが生まれた国の人々が、誰も釈尊やキリストのことを口にしなければ、現在のように世界中の多くの人が、釈尊やキリストの存在を知ることはなかったでしょうし、その起こされた奇跡や教えもほとんどの人が知らなかったでしょう。

そのようなことになれば一体世界はどうなっていたでしょうか?

世界の多くの人が、釈尊やキリストが起こされた奇跡や教えを知らなければ、それこそ世界の人々が本当の神の存在も理解せず、奇跡も分からず、愛や慈悲の心さえ否定して、今以上のひどい世の中になっていたということです。

釈尊やキリストの教えや奇跡が世界に伝わったから、世界中の人々が、その教えや奇跡を信じて救われる人も出てきているのであり、それを知らなかったら、釈尊やキリストの教えで救われた人は、いまだに救いを求めてさ迷っていたということになり、もし、釈尊やキリストの教えが世界に伝わっていなければ、世界の混迷は今以上に深く広くなっていたのです。

現在の世界を見るならば、まだまだ混迷した世の中ではありますが、それでも釈尊やキリストの教えがあるから、この程度で収まっているのであり、また、そのような偉大な教えがあるからこそ、この先の人類もまだ救われていく可能性があるのです。

如来の存在や、その教えが世界に伝わっていなければ、現在の世界は悪魔が支配した、暗黒の世となっていたかもしれないのです。だからこそ、如来が生まれた国の人々は、最低限、その如来の存在は自覚し、その教えを知らないといけないといっているのです。

そうしなければ、如来の存在も如来の教えも世界に伝わらないからです。

釈尊やキリストの教えがあるからいいではないか、と思う人もいるかもしれませんが、如来がその時代に出世されるのは、その時代に合った法を説くために生まれるのであり、釈尊やキリストの数千年前の教えだけでは、その時代のすべての人が救われるわけではありません。(それに数千年前の教えが、そのまま正確に伝わっているわけでもないでしょうし)

だから、その時代、その時代に合わせた教えを説くため、如来は時代を経てまた出世されるのであり、より多くの人を救うために、如来は時をおいて肉体を持たれるのです。

このようなことを考えますと、その時代に如来と共に同じ国に生まれた人たちは、大変な使命を持っているのであり、もし、その使命を果たそうとしなければ、世界が大変なことになるということです。

そう考えるのであれば、現在の日本に毎日のように異常現象が起きていること、そうして、世界中で異常気象が起きて、内乱などの混迷が深まっていることの意味が、お分かりいただけると思います。

今日本を始めとして、世界中で起きている異常な現象や混乱は、すべて、日本の人たちが使命を果たそうとしないことに原因があるのです。

そうではないですか?この法を知るのであれば、異常気象の収め方も分かるはずですし(人の心で異常気象はどうとでもなります)法は神の心である愛と調和を基本とするのですから、そこに争い(戦争)という文字はありません。

今現在世界にどういう教えが伝わっているのでしょうか?

それは自由平等です。(何度も説明していますとおり、この教えでは調和するわけありません)それに、異常気象は自然現象なのだからどうすることも出来ない、という科学をそのまま信じた唯物論です。

これでは世界の人々は救われません。異常気象は止まらないし、争いしか起きないのです。

しかし、この世界の混迷も法が伝わりさえすれば、すべて丸く収まるのです。異常気象は収まり、戦争はなくなり、奇跡が起きる世の中に変えることが出来るのです。

このように考えるのであれば、日本を始めとした世界の混迷は、一にも二にも、この法が日本に出現したにもかかわらず、その教えを学ぼうとせず伝えようともしない、日本の人々が原因といえるのではないでしょうか。

私が早く法を勉強しないといけないと、何度も繰り返しているのは、日本のためだけではありません。世界のためにいっているのです。

法を理解することの重大さを、このブログを読んでいる人たちは、あまりに軽く考えすぎているのです。

今の世界の混迷は、このブログを見ている人が何もしようとしないからなっているのであり、日本を始めとした世界の混乱は、この法さえ拡がれば収まるということです。

このブログを読んでいる人たちは、法に縁があるから読んでいるのであり、その縁の重大さの自覚があまりにないのです。

日本に次々に異常現象が起きるのも、道理ではないでしょうか。

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