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3月 16 2014

重大なお知らせ

胸襟を開いて待っているというのに誰も来ません。一体どうなっているのでしょうか?

どこかの運転手の顔を見ていると、引きつっているような顔をした人もいるようですが、それは私の勘違いでしょうか?

それにしても法の流布に、これだけ手間をくうとは本当に予想外のことでした。

私は、このブログで法を書き出せば、この法の価値が分かる人が何ヶ月もすれば、あちこちから出てきて、もう少し順調に法が拡がっていくものとばかり思っていたものですから、これだけ多くの人が無関心を装うなど考えてもいませんでした。

無関心というより、ある意味、多くの人に関心は寄せられているように思われますが(そこも予想外でした。これだけ多くの人から、これだけ嫌がらせを受けるとは思いませんでした)協力する人がほとんど出てこないとはどういうことでしょう。

ほとんどの人が、非協力的なばかりに日本は大変なことになっています。(特に名古屋はひどいのですが)

これだけの現象が現れていて、それでもまだ、この法の価値が分からないんでしょうか?

実は昨夜あることが心に浮かんできました。その浮かんできたこととは『もう名古屋を離れろ』ということでした。

さすがに私も「エッ」と思いました。いよいよ名古屋が潰されるのか?と思ったからです。

どういう意味かと思っていたら、今日は眠りが浅く(昨夜酒を飲んだにもかかわらずです。こういうことも珍しいですね。酒を飲んだ時はよく眠れることが多いですから)三時半頃に目が覚めてしまい、それから寝られませんでした。

布団の中でいろいろ考えていて、フッとあることに気づきました。それが昨日の三月十五日という日付だったのです。

昨日の三月十五日は、私がブログを再開してから、ちょうど四年が過ぎた日でした。(2010年の三月十六日から、このブログを再開しましたから、昨日で丸四年ということになります)

四年が過ぎて、それでもこの法の価値が分かる人がほとんど出てこないのです。それも天がこれほどの現象を次々に現しているにもかかわらずです。

「アレッ?これはやばいのではないか」と思って、布団から体を起こして合掌し祈り始めました。

そうしたら、いろいろなことが私の心に浮かんできたのです。

『お前が無理だと思うならもうやめてもよい』『お前は名古屋から離れろ』『この前の地震はその前兆』などです。

どうも、その浮かんできた思いを総合すると次のような意味になるようです。

<もう、法の流布を再開して四年が過ぎた。これだけお前が法を世に発信し続け、そうしてそれに合わせ天より現象を現しても、この者たちは一向に気づこうとしない。お前が無理だと思うなら、もうここでやめてもよい。(本当は天上界は三年をメドにしていたようです。すでにそれから一年が経過しています)

それはお前が判断しろ。そうして、お前が無理だと判断したら、お前は名古屋を離れろ、大きな地震を起こす。この前起きた地震はその前兆である。>

といったところでしょうか。

ということは、私が諦めた時点で、南海トラフ級の大地震を天は起こす気でいるのではないか、と思えました。(だって、一昨日の未明に起きた地震は、西は九州、鹿児島から東は静岡まで、西日本から東海一帯にかけて影響があったほどの広範囲の地震だったのです。あまりに南海トラフでいわれている地震の範囲と似すぎていませんか?)

一昨日の地震、気象庁は南海トラフとは関係ない、といっていましたが、もしかすると、関係大有りかもしれないのです。

あの広範囲で、一昨日の倍の強さの地震が起きたら、もう南海トラフ級といっても過言ではありません。それを起こされるかもしれないのです。

と、このようなことを今日の朝悟りました。

この悟りが、まったくの間違いだと思いますか?

このブログを再開し四年が過ぎたのは事実であるし、最近の私は、もう毎日のように、このブログを書いているというのも事実であるし(世に法を発信し続けています)このブログに書いていることが起きたということも事実であるし(そんなこと何度もあります)このブログを読んでいる人が、法の価値に一向に気づこうとしないというのも事実です。

後は私が「もう無理です」と天に報告すれば、その後に南海トラフ級の地震が起きるかどうかは、いずれ分かることだと思います。

しかし、ここに書いたことは何回も起きているのです。この地震だけ起こらないとは、思いにくいのですがそこはどうなんでしょうか?

私の気持ちとしましては、とりあえず、今すぐ「もう無理です」というつもりはありません。

ありませんが、それもいつ気が変わるか分かりません。それはもう、天がメドとした三年が過ぎているということもありますし、私の周りの人々が、一向に態度を変えようとしないということもありますし、このブログを読んでいる全国の人々も、少しも協力しようとしない、ということもあります。(賛助会員がわずか数人では話になりません)

今日のこのブログ、信じる信じないは読んでいる人の自由ですが、このようなことを知らされた、その報告だけはしておきます。

それでも誰も動こうとはされませんか?

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3月 15 2014

科学への信用

しかし、昨日の未明に起きた、広範囲にわたる地震でも(あれだけ広範囲に起きたにもかかわらず)その地震が起きる前は、地震学者は地震の地の字もいいませんでした。(相変わらずです)

予知の予の字もないのです。何度もいいますが、こういう研究を続けていて何か意味があるんでしょうか?(地震予知の研究なんて口だけではないですか)

地震が起きてから、この地震は南海トラフとは関係ない、とか何とかいっているだけでしょう。この程度の発言では話にならないと思うんですが、そこはどうなんでしょうか?(地震予知はどうなっているのか?と誰も突っ込みません。何で皆さん何もいわないんですか?何でもないことはボロカスいうのに〔笑〕)

現在騒がれているSTAP細胞の論文でも「ずさん」と認めた理化学研究所のチェック体制は「ずさん」ではないのでしょうか?

この理化学研究所は、日本一科学の権威があるところらしいではないですか。

その日本で、一番権威のある科学の研究所のチェックが、これだけお粗末では(おかしいところが論文のコピーから写真からすいぶんあるようですが)科学の信用も地に落ちるというものではないのでしょうか。

だって、このSTAP細胞の論文は世界的に注目を集めたから、これだけのずさんさが分かったのであり、もし、それだけ注目を集めなければ、この論文がおかしいと分かるのは、もっと先になっていたかもしれないのです。(下手すれば、おかしいと分からなかったかもしれませんし)

では、この理化学研究所のチェックを通った論文でも、このSTAP論文のような、おかしな論文はまだ他にもあるのではないか、と当然ではありますが疑われます。

このSTAP論文はただの氷山の一角なのではないですか?他の論文も、もう一度チェックしなおした方がいいのではないでしょうか。(どれくらい膨大な量か知りませんが)

どちらにしても、ことはもう、このSTAP論文だけにとどまらないのではないでしょうか?これだけ騒がれては。(それこそ理化学研究所の信用問題になります)

いってはいけませんが、科学といっても人がやっているのです。科学技術の向上は認めても、それですべて完璧ということではなく、それはその部分の技術が高いだけであり、他の部分が(例えば、今回のようなチェック体制が)高いかどうかは分からないのです。

科学が一事が万事、完璧ではないのであり、遅れている部分、足らない部分は当然あるのです。

では、地震学はどうなのでしょう。地震予知を研究してどれくらいになるのでしょうか?もう百年ほどにはなるのでしょうが(明治のはじめ頃かららしいですから)まるで出来ません。

それなのに、これまでどうりのやり方をいつまでもしていては、進歩がないということになりますし、まったく無駄かもしれません。(これまで通りのやり方では、地震予知はできないかもしれないからです)

どちらにしても、あれほどの(東日本)大震災を予知らしい予知ができなかったのです。もうその時点でアウトではないのでしょうか。(あれほどの大震災を予知できないのに、まだ、同じようなことを続けさせているなど、なんと皆さん寛大なのでしょう…ならいいんですがそうではないでしょう。まだ、科学を神格化している人がたくさんいるということです。だから、地震学のお粗末さが分からないのです)

それでもまだ、今のような地震予知の研究を続けられるのですか?

何度もいいますが、物質部分だけ調べていても、なぜ地震が起きるのかは永遠に分かりません。そこに住む人々の心を調べないといけないのです。

今回の(この一番科学的権威がある)理化学研究所の権威の失墜となるような出来事は、これまでの科学の権威の失墜にもつながるのではないでしょうか。

これだけ科学の信用がなくなるようなことが起きているのです。そうであるなら、物質科学だけを信用するのではなく、精神、非物質の科学(これが法ですが)を少し信用してみてはどうでしょうか。

科学が絶対正しいという時代はすでに終わりました。(このような事件がそれを象徴しています)

これからは、科学も疑いの目で観て、本当に正しいと分かった時に、はじめて信じればいいのであって、盲目的に信じてはならないのです。しかし、科学が失墜した時、では何を信じればいいのか?ということになります。

なぜ今、この法が出現したのか?この法の出現の意味がよく分かります。

まさに「時を得て」ということでしょう。

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3月 14 2014

反省するか、しないか

昨日は、全国的に強風と大雨で大荒れの天気となりました。各地で記録的大雨になったのですが、その中でも屋久島など観測史上最多の雨が降り、土砂崩れまで起きて、孤立した修学旅行の生徒たちまでいたようです。

そればかりか今日の夜中(午前二時頃)には、愛媛を中心とした広範囲の強い地震があり(震度五)名古屋も結構ゆれました。(名古屋は震度三ほどでしたが)

今日も北日本など大荒れの予報が出ていますが、大雪の次は強風に大雨ですか、それに地震まで起きて、まったくいつまでこのような(最悪の)状況が続くのでしょうか。

もう、早くやれよ、といいたくなりますが(こっちまで災難の巻き添えくらいますからね)この辺りも、次々に恐ろしい現象が現れ始めたところもあるようですし、この状況を知るのであれば、もう神の教えを勉強するしかないと思うのですが、それでも無視されるんですかね、このブログを読んでいる人たちは。

やるやらないは自由だろう、といくらいわれても、この状況を見れば分かります。自由ではないということが。(これだけ災いが立て続けに起きているんですから)

このような状況が、もう何年も続いているのです。実際は自由ではなく、やらなければいけないと思うんですが、いい加減そういう発想出てきませんかね?

出てこないかもしれませんね。どこやらの会社など、恐ろしい現象が次々に出ているようですが、怒っているだけですからね。決して反省しようとはしないのです。

しかし、その会社は反省しないのであれば、今起きている現象は止まりません。その恐ろしい現象は、次々に現れることになります。(どこかの運転手も同じでしょうが)

名古屋のサイレンはずいぶん減りました。(一日十回聞くか聞かないかくらいですね、最近は)それなのに、私の周りでは怒っている人が増えているのです。なぜでしょうか?

何か恐ろしい現象が始まったような気がしてなりません。名古屋の人たちは、一刻も早く反省された方がよろしいのではないでしょうか。(といっても、よけい怒る人ばかりなんですが)

何度も呼びかけていますが、もし、詫びたい人がいるなら連絡ください。(メールで結構ですから)私も共にその人の許しを神にこいます。

そうしなければ、いつかその人にも現れるでしょう、その起きている恐ろしい現象がです。

脅すわけではありませんが、恐ろしい現象は現れていると思いますよ。天がそのようにいったのであるし、それに皆さん役者ではありません。必ず態度に出るのです。

詫びられるなら、早くした方がいいでしょう。そうしないと、あちこちから、その現象が現れ始めるかもしれないからです。

福島などは、その病気の人が増えれば、それは原発の放射能の影響だ、といえばいいのでしょうが、この辺りでその病気の人が増えたら、それは一体何の影響なんでしょうか?

放射能はまったく関係ありません。では、何の影響なんでしょう?

少なくとも、それが私の影響ということはないと思います。(私が変な薬ばら撒いているわけではありませんし)しかし、何かの影響を受けているから、恐ろしい病気が流行り始めているのでしょうし、その何かとは何か?ということです。

しかし、私のいうことに素直にしたがっている人には、次々に奇跡が起き、知らぬまに性格まで変わっている(もちろん良い方にです)ということまで起きています。

奇跡と災い、起きていることがあまりに差があるのではないでしょうか。

反発ばかりするのではなく(子供ではないのですから)少しは素直に聞かれたらどうでしょう。そうしなければもはや救われません。(自分たちで何をやっても、もうその現象は収まりません。私と共に神に詫びるしかないのです)

一刻も早く連絡ください。私はいつでも(総理ではありませんが)胸襟を開いてお待ちしています。

(全国的にだけでなく、この辺り、次々に何か起きはじめたようで、それで今回、このようなブログを書きました。もし、頻繁に恐ろしい病気が現れ始めたところがあるなら、すぐにでも詫びられた方がいいでしょう。そうしないと、どれだけの人に、その恐ろしい現象が現れるか分からないからです。もう怒っている場合ではないと思います。人のことより自分のことです。自分は反省する〔そのような人が増えれば、その影響で、頑なな人も心を変えることになるからです〕と思える人は、すぐにでも連絡ください。そうしないと手遅れになってもいけないからです)

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3月 13 2014

如来の念の強さ

昨日、ウナッシーさんからいただいたコメントで、あることを思い出しました。今回はその話を書きたいと思います。

昨日ウナッシーさんから、私に意識を向けられると、その日一日気分がいい、というコメントをいただきましたが、実は、如来といわれる方々の念は非常に強く、少し意識を向けられただけで不思議なことが起きることがあります。その如来の念の強さが分かる出来事を書いておきましょう。

園頭先生から次のような話を聞いたことがあります。

園頭先生の家には庭があり、その庭には、たくさん木や花が植えてあったそうですが、その中の一本の植木が(それほど大きな木ではなかったそうです)庭を歩く時にちょっと邪魔だったそうです。

それで園頭先生が、ある時その木に向かって「この木邪魔だな」と思われたそうです。

すると翌日、その木が枯れていたそうです。

その急に枯れた木を見て、園頭先生の奥さんが「あなた、またこの木を見て邪魔だと思ったでしょう」といわれ、園頭先生を怒られたそうですが、このようなことが園頭先生の家ではよくあったそうです。(園頭先生が「この木邪魔だな」とか「この花はもういらないな」と思うと、すぐにその木や花が枯れてしまったそうです)

このようなことは、如来の念の強さがよく分かる出来事のように思えますが、どうでしょうか?

木や花を見て「邪魔だな」と思っただけで、その木や花が枯れてしまうなど、本当にこんなことが起きるのか?と疑われる人もいるかもしれませんが、しかし、このようなこと、特別園頭先生だけに起きたことではありません。

如来といわれる方々には同じようなことが起きているのです。

聖書に次のようなことが書かれています。

「マタイによる福音書」から抜粋します。

<朝早く都に帰る時、イエスは空腹をおぼえられた。そして道のかたわらに一本のいちじくの木があるのを見て、そこに行かれたが、ただ葉のほかは何も見当たらなかった。そこでその木にむかって「今から後いつまでも、おまえに実がならないように」と言われた。すると、いちじくの木はたちまち枯れた。弟子たちはこれを見て驚いて言った「いちじくがどうして、こうすぐに枯れたのでしょう」>

このような記述が聖書にもあるのです。

キリストが、イチジクの木に向かって「今から後いつまでも、おまえに実がならないように」といわれたとたん、その木が枯れたのです。

つまり、如来が出す念はそれほど強いということであり、その如来によい意識をもたれないと、よいことも起きてこないということになります。

私はそれほどでもありませんが、しかし、ウナッシーさんがそのように感じられるのであれば、私の念も多少は強いのかもしれませんね。

どちらにしても、人に悪く思われるよりは、よく思われた方がいいでしょう。すべての人は(目には見えませんが)そのような念を発しているからです。

人が、そのような念に影響を受けることは、多々あるからです。

まして、如来や神の使いといわれる人たちに悪く思われるなど最悪です。名古屋の人たちによいことが起きない理由も、そこにあるのではないでしょうか。

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3月 12 2014

いつまでも神に逆らう恐ろしさ

昨日は、さすがに東日本大震災の関連のニュースが多く、神妙なことを話したり(ブログなどに)書いたりしている人も多かったのですが、しかし、誰も心からそう思っていない、それが口だけだったり、書いているだけだったりする人が多いということは、現在の日本を知るのであれば分かるはずです。(そういうことを話したり、書いたりしている人に、あまりケチをつけてもいけませんが、本音を書かないと実際世の中よくなりません。どうせ私は嫌われていますので、嫌われついでに本当のことをちゃんと書いておきます)

もし、心からそのように思っている人が多ければ、現在の日本にこれだけの異常現象は起きません。心から、東日本大震災が不幸な出来事であった、二度とこのようなこと起きてほしくない、と思っている人が少ないから、日本はその後も(昨日書きましたような)異常な現象を次々に起こされるのです。

東日本大震災が、不幸な出来事であり、もう二度とこのようなこと起きてほしくないと、本気で思うのであれば、なぜ誰もこの教えを勉強しようとしないのですか?このブログを読んでいて、そうして神妙なことをいったり、書いたりしている人は何人も(何十人も)いたはずです。

しかし、その誰一人、この教えを勉強し拡げようとはしないのです。それはなぜですか?

このブログを前から読んでいる人で、まだこの教えが信用できませんか?私が口だけで、この教えを勉強したところで、奇跡が起きて異常現象が収まるなど、ありえないと思っている人が多いのでしょうか?

自分で何一つ試そうとせず、そのように思うのは、ずいぶん自己中心的な考えだと思います。しかし、ずっとこのブログを読み続けている人で、ここに書いたことが嘘だと思う人の方が少ないのではないでしょうか。

ということは、このブログを見ていながら、昨日神妙なことをいっていた人たちは、東日本大震災がどうのということより(この神の運動に協力して)自分の名とか、評判とか、そういうものに傷がついて落ちるのがいやなのです。

災害よりも自分のこと、つまり、そのような、自身の保身しか考えていない人たちばかりだから、口だけだといっているのです。

本気で、あのような大震災を起こしたくないと考えるのであれば、この教えを勉強し拡げようとするはずです。(そうすることで、そのよう異常現象は起きなくなるという証明を、私はすでに何度もしていますから)

しかし、それを誰一人しようとしないのですから、まさに口だけです。大震災後、これだけ異常現象が続くのも道理でしょう。

そういう口だけの人たちに、何を書いてもなかなか心まで届かないでしょうが、それでも書き、今起きていることを伝えておかなければいけません。

そのような刺激を与え続ければ、この世の保身ばかりに囚われた頑な人たちも、いつかはその頑なな心が解け、神の心に目覚めることになるからです。

ですから私は、祈りながら書くことしか出来ませんが、どうやら現在の名古屋は、次々に神の業が現れだしているようです。

昨日書いたような、もっと恐ろしいことが名古屋に起き始めていませんか?

昨日のバスの運転手の態度、ずいぶんおかしかったのですが(人の顔を見て必要以上に驚く人、必要以上に怒る人、ずいぶん態度が極端でしたが)それは私の気のせいでしょうか?

マァ、どこかの会社の人たちもそうですが、何か起きていると、必ず人は態度に表れます。隠そうと思っても隠し切れないのです。(まして人数が多いとです。誰か彼かいつもと違う態度を取ります)

昨日のニュースで、福島の子供の三十三人が甲状腺癌になっていた、といっていましたが、それが放射能の影響かどうかは分からないとのことでした。

福島は分からなくても、ここらで、そのような病気になる人が増えてきたのなら、それは放射能の影響ではないでしょう。(それは誰でも分かると思います)

もし、そんな病気があちこちで出だしたら(完全に態度が変わってしまった会社もありますし…よほど出ているのでないかと心配になります)反省し、詫びられることですね。(最初は神に、そうして私にもです)

そうしないと、その病気ドンドン拡がることになります。(症状が出たら、それで終わりです。悪いこといいません。急がれた方がいいでしょう。反省されるなら、私もその人と一緒に神に許しをこいます。そうしないと許されないですよ。〔それくらいしても許されるかどうか微妙なのに〕それくらい悪いことをこの辺りの多くの人はしているからです)

何度も書きましたが、そういう体験を私はしています。ここは私のいうこと素直に聞かれた方がいいのではないでしょうか。(どれだけ嫌でもです。命にかかわることなのですから)

それにしても、神に逆らい続けているということは(その自覚があろうがなかろうが)本当に恐ろしいことです。

どれだけ恐ろしい現象を現されるか知れないからです。

これほどの現象が現されているのです。いい加減反省されてはどうでしょうか。

追伸…新たな万能細胞として騒がれた「STAP細胞」の論文が問題になっているようですが、その真意は分かりませんが、どちらにしても、このような再生医療とか、クローン技術とかにはあまり力を入れない方がいいと思います。

前にも書きましたが、移植などは本当はしてはいけないのです。不自由な体で生まれてきた人は、その体で、この世の勉強をしてくると決めてきた人たちなのです。それをこの世で不便だからと、勝手になおしてしまったら、その人のこの世での勉強をする意味がなくなってしまいます。

それにクローン技術などは、人を対象にしては、人の尊厳にもかかわってくるのだし、そんなに簡単につくればいいという問題でもないでしょう。

再生医療はけがをした人だけにするとか、クローン技術は植物や動物に限るとか、そのように限定的にした方がいいと思います。

あまりにやりすぎてしまっては、いけないものも多々あります。

人の細胞や人自体を、勝手につくり出すなどの神の領域に、人が立ち入ってはならないのです。

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