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9月 26 2013

この異常現象を収めることができるのは誰か

どうしたんでしょう昨日は。ずいぶん嫌がらせが少なかったように感じました。(いつもの半分くらいですか)

まさか、このブログを読んでビビッたとか(それはないですね)このブログを読んで反省されたとか(それはもっとないですね)では、どうされたのでしょう?きっとたまたまですね、たまたま。

ハハ冗談はともかく、一昨日に引き続き昨日も、思っていたほど嫌がらせをする人がいなかったですね。私はもっと人のことなど知るか、という無責任な態度を取る人が多いと思ったんですが、少々意外でした。(昨日嫌がらせした人カッコ悪いです)

少しは神を畏れる人が出てきたんでしょうか?そうであるなら、まだ救われる道があるかもしれません。(そう願うしかありません。そういう人が出てこなければ、救われる道などないのですから)

さて、ではどうするのかということです。全国的に異常現象は起きていますが取りあえず名古屋です。この名古屋に起きている異常現象(もちろんこの異常なサイレンです)を収めないと、名古屋でそんな異常なことが起きていて、何で全国で起きている異常現象を収めることができるのか、という話になりますからね。(それに昨日、もっと恐ろしい現象が起きるかも知れないという予告もありましたし…こういう予告は勘弁してほしいものです)

ですから、このような異常現象を収める気があるか、ないか、とういうことです。

こういう異常現象など名古屋に住む誰もが、収まってほしいと思っているに違いありませんが、しかし、ではどうやってそれを収めるのかということです。

名古屋の河村市長にでも頼みますか?大村知事はどうでしょう?それとも高名な大学教授の方がよいのかもしれませんね。

どうですか、このような方々に頼めば、名古屋に起きている異常現象も収まると思われますがいかがでしょうか?

無理でしょうね、いくらそのような偉い方々が出てこられても、この名古屋で起きている異常現象は収まらないということは、皆さん誰もがもうよく知っています。(専門分野が違いますからね)

では、宗教の大先生に出張っていただきましょうか?神、仏といわれる偉大な方はたくさんいます。そのような方々にやっていただきましょう。この名古屋だけでも有名な宗教団体に入っていられる方はごまんといます。どなたか、その偉大な方をご紹介願えないでしょうか?(あるいは、その教えを勉強しているご本人でも結構ですが)

それも無理でしょうね、この名古屋で起きている異常現象は一年以上も続いています。できる人がいるのであれば、もうとっくにされているでしょうから。(何でそんな何もできない宗教を信じているのか不思議で仕方ありませんが)

ではどうされますか?

このように考えるのであれば、今のこの名古屋の異常な状況を、救えることができるのは私しかいないように思いますが、そこはどうなのでしょう。

現在の神だ、仏だといっている人たちは、そういっているだけで、この名古屋で起きている異常現象はもちろんのこと、全国で起きている異常現象の一つも抑えることができないのです。それは日本の惨状を知るのであれば、よく分かるはずです。では、このようにいっている人たちは、神でも仏でもないのでしょう。もし、その人たちが本物の神仏であるなら、このような異常現象を収めることなど造作もないことだからです。

それができないというのであれば、それは偽物であり、その人はただの詐欺師であるということです。(そういうことになりますよね。それを信じている人たちを騙していたということになりますので、当然、そのような人たちからお金も取っていただろうし。そうであるならそれは完全な詐欺です)

しかし私はどうでしょう。このブログを書くのを邪魔している者たち(それは法の流布を邪魔している者たち)に次々に異常な現象が起き、そればかりか嫌がらせする人たちにも同じようにそれが起こり、なおかつ祈って様々な奇跡が起きています。それを私は一部の人たちだけでなく、多くの人たちに証明しているのです。

他の口だけの、神だ仏だといっている人たちとは明らかに違っているのではありませんか。(それに私は、そのような人たちに異論があるようなら、いつでもいってくださいと公言もしています。いつでも祈りの勝負をしますといっているのです)

それをもう多くの人は知っているはずです。だから、私が昨日のようなブログを書けば、多くの人の態度が変わるのです。ここに書いたことが起きるかもしれないと、多くの人が思うからです。

これまで、ここに書いたことの多くが実際に起きたのです。多くの人がそう思うのも無理もない話しですが、では、そのような者にいつまで逆らい続けるのですか?それをしているから、恐ろしい現象が起きていると、そのことももう多くの人が知っているはずです。

では、この名古屋で起きている異常現象を収めることができるのは、この私しかいないということも分かるはずです。

多くの人がそれを分かっていて、いつまで無視を、そうして嫌がらせを続けるのですか?

この異常現象を収めることができるのは私しかいないのです。そうして、この異常現象をいつまでも放置しているのであれば、もっと恐ろしい現象が現れてきます。(昨日書いたことです。このまま誰も反省しないのなら天はやるでしょうね、名古屋中に起きていることを一ヶ所で起こせばすむことです。それほど難しいことでもないでしょう。一人、二人の愚かな人のために、その周りの多くの人も犠牲になるのです。その愚かな人を放置していたという罪でです)

名古屋で起きている異常現象を収めるか、それとも、もっと恐ろしい現象を現されるのかは、今このブログを読んでいる人たちにかかっています。

これだけのことが起きていて、それでもまだ私のいうことを無視しますか。

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9月 25 2013

次々に起きる恐ろしい出来事

昨日のようなブログを書けば、この近所の人よほど後ろめたいのか、私が帰ってくると大騒ぎです。自分たちが、私に嫌がらせしたという自覚のある人が多いのでしょう。自分の罪を認めたくないのか、自分のせいで多くの人が不幸になっている、ということを認めたくないのか知りませんが、もう「悪いのはお前」という態度がありありです。

もしかしたら、これまで私のせいにしていたことが、自分たちのせいになるかもしれないのです。もうそのような人たちも必死ですね。(反省のはの字もありません。まさに責任転嫁の権化です)しかし、どれだけ怒ってみても、そのように怒っている人は何も事実を知らないのです。では何が真実なのか自分たちでは判断できないということになります。では、自分たちが悪かったと認めるしかないでしょう。それが真実なのですから。

だいたい私から、そのような人たちに嫌がらせなどしたことないのです。(誰か私から、積極的に嫌がらせを受けたという人いたら名乗り出てください。確認しますから)すべて、先に嫌がらせをしてきたのはそちらなのです。相手がやってくるから、それをそのまま好き放題やらせていては、その人のためにならないと思うから、私はやり返しているだけで(倍返しです……もういいですかこの言い方)何もしない人に私から何かしたことなど一度もありません。(ただ、このような状況です。私が勝手に勘違いしてやってしまった、ということはあるかもしれませんが)

私に祈られたり、何かいわれたりされた人は、何か先に私にされなかったでしょうか?そのような人は百人が百人、先に私に嫌がらせしているのです。だから私は、そのような失礼な態度に対しやり返したに過ぎません。私の悪口をいう人は、多分自分が先にやったことをいわないか、その自覚がないのでしょう。

だいたい私は人に嫌がらせするという意味が分かりません。よく知ってる人間で、よほど気に食わないという人になら、そういうこともするかもしれませんが、よく知らない人にそんなことする人の気が知れません。(何が事実か分からないでしょう)

それをこの辺りの人、平気でやっているんですからそれはよくないでしょうね。(特にこのような時代になればです)

昨日のようなブログを書けば、多分怒る人がたくさん出てくるだろうと思い、予想して書きましたがその通りでした。(ただ自分の予想とは少しずれていましたが。というのも、私が思うほどは多くなかったですね、怒る人。この辺りは集中しているようですが)

しかし、何であんなブログを書いたのか、もちろん理由があります。

その理由を書けば、また怒る人たくさん出てくるんでしょうが、仕方ありませんね、心に浮かんできたことなのですから。怒る人が多くても書くしかないでしょう。

前の会社も相変わらずガンガンやっていますが、何か前の会社の連中も、一人また一人と人がいなくなっているように感じますが、そこはどうなのでしょうか?前の会社だけではないでしょう。この辺りこれだけ救急車のサイレンが聞こえるのです。(この辺りだけでなく名古屋中でですか)この辺りの人誰もがいつそうなるか分からないのです。ずいぶん恐ろしいことが起きていると思いますが、皆さんどう思われているのでしょうか?(何かホラー映画みたいですが、現実に起きていることですからね、リアルです)

そこで昨日心に浮かんできたことを書いておきます。それは現在一人また一人というペースで、人がいなくなっているようですが(名古屋全体を見ればとてもそうとは思えませんが)これがゴソッと減るそうです。(ちょっと内容怖すぎるんですけど…最近怖いですよね、私のブログ。仕方ありません、天からの指示です)

それは会社単位の話なのか、それともマンションなのかアパートなのか知りません。会社やマンションという話なら、人がゴソッと減るといっても数人程度の規模なのでしょうが、これがこの辺りとか、名古屋などという単位なら数十なのか、数百なのか、それとも数千、数万なのかまるで分かりません。

どういう単位か分かりませんが、このままいくなら、今のように一人一人などというペースではなく、人がゴソッと減るようなことが起きるそうです。

マ、マァ、そっ、そんな大きな事が起きるわけでもないでしょう。ただの脅しなのかもしれないし。(ただ、ここに書いたこと起きてることが多いものですから、それが少し不安ですが…)た、多分大丈夫だと思います。(さすがにこれは私も書きづらいですね。書こうかどうしようか迷ったんですが、心に浮かんできたこと書かないと、こちらが叱られます。取りあえず書いておきました)

しかし、現在の日本に異常現象が起きていることは事実です。そのような状況になっているのに、一切自分の心を変えようとせず、責任転嫁を続けていてはどちらにしてもいいこと起きないでしょう。もう心を変えた方がいいと思います。(というか変えないといけないでしょう)

昨日も書きましたが、悪いことばかり起きている人のいうことを聞くより(そのような人は、必ず神の心に反することをしているのですから)悪いことが起きない人のいうことを聞いた方がいいと思います。(その人は神の心に反していないのですから)その方がよい方向に行くのです。(悪いことばかり起きている人が、それでは多くの人を、よい方向に導くことができるのでしょうか?できるわけありません。自分さえもよい方向に導けないのですから)

今日でも前の会社の連中など、おかまいなしに、このブログを書くのを邪魔しているのです。どれだけそれが多くの人の迷惑になるといってもです。そんなこと少しも考えないのです。人のことなど関係ないからです。(こういう行いが、そのような人たちの心を現しています)こういうことをし続ければ自分たちも不幸になる、そのような現象が次々に現れ、それが分かっていても直さないのです。

そういうまだ幼い心の持ち主だからです。だから、人のアラばかりが気になり、人の迷惑など一切考えず、どれだけでかい音を立てても、平気で八つ当たりしているのです。人のことも考えなければ、自分の責任も認めないからです。(まともな人なら、もう少し周りの人のことも考え遠慮するはずですが、もう遠慮なしです。周りのことなど考えられないのです。ただしこれは心が問題なだけではないでしょう。神に逆らっている、その恐怖がそれをさせているという部分もあるのでしょうが、それがもしあるなら問答無用です。即座にそのような心を直さなければ、もっと恐ろしい現象がこの会社には現れます)

特別この会社の人たちだけではありません。この辺りの多くの人がそうです。(昨日の態度がそれを物語っています)しかし、もうそんな小さな自分のせいになるか、ならないか、などということにこだわっている場合ではないでしょう。恐ろしい現象が次々に起きているのです。その番がいつ自分に回ってくるのか分からないのです。

そのような時に、今のままでいいと思う方がどうかしています。もう変わらなければいけない、そう思うのが当たり前の思い方でしょう。

このブログを信じていただける方は、私にご協力ください。それが自分を救うだけでなく、多くの人の救いにも繋がるからです。(毎日不安に過ごす人生の一体何が楽しいのですか?神に目を向ければその不安はなくなるのです)

先ほど書いたことが、ただの脅しで終わることを願ってやみません。

それには多くの人が神の心に目覚めなければいけないのです。

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9月 24 2013

誰のいうことを聞くべきか

ですから、今起きている恐ろしい現象の原因を、少し詳しく分析するのであれば次のようになります。

この近所で起きている不幸な現象は、私の周りで私に対し嫌がらせを始めた人が原因であり、名古屋中で起きているサイレンはバスや電車、トラックの運転手が嫌がらせを始めたことが原因であり、全国的に起きている現象は、やはりもう全国の人が私のことを知っているにもかかわらず、いつまでたっても法の勉強をせず、協力もしようとしないことが原因であるということです。

そうではないと否定する人など、何一つ奇跡を起こせないのです。口だけなのです。なぜそんな人のいうことを信じるのですか?

私は、私に対し嫌がらせなどしている人に次々不幸が襲い、そうして様々な奇跡も起きています。なぜ、そのような者のいうことを信じないのでしょう?まったく不思議でなりません。(普通は、悪いことが起きない方のいうことを信じるはずですが、この辺りの人、悪いことが起きている人のいうことを信じるのですね。常識的に考えれば逆ですよね。だって、悪いことが起きている人のいうことを聞いていたら、悪いことが起きるでしょう)

悪いことが起きている人たちは、その起きている原因などまるで分からないのです。分からないのに、自分たちの責任になるのが嫌で、自分たちに都合のいいことしかいわないのです。(まったく個人のことしか考えない責任逃れです。その証拠にこのような人たちは、自分が悪いと認めたことなどないのではないでしょうか)しかし、そんな人たちのいうことを聞いていれば(その人たちは悪いことが起きる本当の原因を知らないんですから)よけいに不幸になります。不幸が起きていない者のいうことを聞くべきでしょう。

何度もいいますが、その人たちは何の奇跡も起こせないのです。そのような人たちは平気で周りの人たちに迷惑をかけ、いい加減なことをいって、自分ばかりか人まで不幸にしている人たちなのです。

奇跡を起こす者と多くの人まで不幸にする者、一体どれだけの差があることでしょう。(天と地以上の差ですね)人を不幸にする者のいうことを聞いているばかりに、多くの人々が不幸になるのです。

何度も書きましたが、私は祈りで、末期癌の人の癌が小さくなり、痛みもなくなったという奇跡を起こしたことがあります。

この奇跡が起きた時のことを少し考えてみてください。この奇跡が起きたのは、私に寄付をしてくれていた方のお母様に起きたのです。この意味お分かりでしょうか?

この奇跡は、寄付をしてくれていたご本人に起きたわけではなく、その方の母親に起きたということです。ということは、この神の運動に協力してくだされば、その協力してくださるご本人だけでなく、その周りの人にまで奇跡が起きるということになります。

それが事実なのです。私に嫌がらせなどすれば、その周りの人まで不幸になります。(現実にこの辺りの人、数人が始めた私への嫌がらせのせいで、この辺りの多くの人が不幸になりました。そういう、明かに悪いこと〔それも重大なです〕をしている人を止めなかった、という連帯責任です。名古屋市の市バスの運転手が私に嫌がらせを始めたのです。当然名古屋中に不幸が襲います)

逆によいことをすれば、その周りの人にも奇跡が起きるのです。(そういう神の運動に、協力できるような心にその人を育てた、ということでです。これも、その方に縁の深い方の多くに神の慈悲が与えられるのです)

神の使いによいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、その本人のみならず、周りの人の多くに与えられるということです。(十倍返しです……取りあえずこの言葉一度は入れておかないと)

このようなことを知るのであれば、もうお分かりいただけるはずです。誰のいうことを聞けばいいのか。

不幸になっている人のいうことなど聞いていれば、当然のことですが、その人は不幸になります。(当然その行いをまねしても同じです。そのような現象が続々と現れています)考えてみてください、そんな人のいうことなど聞いていれば、いつ自分がそのような不幸に見舞われるのか、不安で仕方がないのではないですか?ではもう、その時点で不幸です。

しかし、私のいうことを聞くのであれば、仮に不幸がその人を襲ったとしても、まだ奇跡が起きるかもしれないという希望があるのです。ではもう、その時点で幸福です。(これもまた天と地以上に気持ちの差があります)

仮にその人が一生不幸に遭わなくても、いつその不幸が襲うのか、と不安一杯の心で一生を過ごしたのであれば、その人は幸せな人生を歩んだといえるのでしょうか?

そのような不安な人生を歩んでいる人たちが今たくさんいるのです。

一部の間違ったことをいう人たちの意見を、そのまま聞いているからです。その人たちのせいで多くの人たちが、毎日のように不安にさいなまれているのです。(毎日救急車のサイレンが鳴り響いていますから。今日も前の会社の連中、一生懸命邪魔していますが少し迫力ありません。やはり何か起きたようです。しかし、それでも嫌がらせをやめないのです。こういうことがどれだけ多くの人の迷惑になるのか、こういうでかい音を立てて多くの人に迷惑をかけている、その言動ですでに分かります。こういう人たちが多くの人を不幸にしているのです)

そのような不安な人生を、法を知ろうとしなければこれからも続けなければいけないのです。

誰のいうことを信じればいいのか、法を知ることの重要さが、少しはお分かりいただけるでしょうか。

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9月 23 2013

続、偏った見方

昨日の話しをもう少し詳しく書きますが、電車やバスあるいはトラックの運転手でもそうです。私はこの人たちに、嫌がらせなど一度もしたことがないのです。それなのにこの人たちは、ある時からいきなり私に嫌がらせを始めたのです。(何度エアーを吹かされたか分かりません)

その結果何が起きてきたのか?

もう名古屋中の人が知っています。救急車のサイレンが毎日鳴り響くようになったのです。(つまり毎日何十人もの急病人が出始めた、ということです)すると、なんとこの現象まで私のせいにされたのです。

私が、嫌がらせをした(原因をつくった)わけでも、祈ったわけでもないことを全部私のせいにされたのです。

そのようなことを平気でしているものですから、この運転手の中からも、やはり不幸になる人が現れたのでしょう。だから私が祈ると急に怒り出したり、顔を引きつらせたりする人がいたのです。このような人たちの態度がよく変わるというのは、何か起きている証拠でしょう。

しかし、それも全部私のせいにされたのです。

このようなやり方で、自分たちの原因でそうなったことや他の人たちが原因をつくったことまで、何でもかんでも悪いことが起きれば私のせいです。どの人も何一つ自分の責任は認めようとしないのです。これでは私の評判も悪くなるはずです。

そういうすべて責任転嫁して、悪いことはすべて私のせいにされて流されているのが、現在の私の噂なのです。それは皆いいこと思わないはずです。起きている悪いことのすべては私のせいということになるのですから。

しかし、おかしいと思いませんか?普通はそれほど悪い奴に嫌がらせするなら(それはその人に、それ以上悪を犯させてはならないという思いで、そんなことをする人もいるはずですから)もっとよいことが起きてきても不思議はありませんが、一向に奇跡が起きません。それどころか、その悪い奴に嫌がらせすればするほど、そのようなことをした人たちに悪いことが起きるのです。

これはどう考えてもおかしいのではないでしょうか?なぜこんなことになるのでしょう?

何度もいいますが、そのような現象が真実を物語っているのです。私のことを悪くいっている噂が間違いなのであって、そういう噂は、自分本位な自分の責任を一切認めようとしない、責任転嫁ばかりしている人が流している、いい加減なものでしかないのであって、それをそのまま信じ、一緒になって私に嫌がらせをやっている人が悪いのです。だから、そのようなことをしている人に悪いことが起きるのです。(だから、そんな噂を疑問一つ持たず信じてはならないということです)

それは智慧を出して自分で考えれば分かるはずです。なぜ、私に嫌がらせばかりしている人に次々に悪いことが起きて、そんな悪い原因ばかりつくっている者に何も起きないのでしょうか?このような現象を少し見ただけでも、何が真実か分かります。

つまり、私のブログに書かれたことが真実である、ということです。

他の人がいっている、私に対する悪い噂は、どれも自分本位に何も真実が分からないままに、自分たちに都合がいいように勝手に想像してしゃべっている、いい加減なものにしか過ぎないということです。

今、時代は大きく変わり始めているのです。

それなのに小さな心の人が、自分の責任を少しも認めず、全部人のせいにして適当にしゃべったことを、そのまま信じていては絶対に幸せにはなれないのです。(現実にそんな人が次々に不幸になっています)

もう、このような(神の心が次々に現れる)時代になれば、小さな心は捨て、できるだけ大きな発想を持って、それを実践していかないと生き残れないのです。小さな心の人は、その時代が変わっているということが、まるで分からないのです。だから、これまでどおりのことを続け次々に不幸になっているのです。

これまでのような発想でいては、もう生き残れないということは、この辺りだけではなく、次々に日本中で起きている異常現象でお分かりいただけるはずです。

そのような異常現象が起きているのを見ても、小さな心の人はそれも皆私のせい、あるいはただの温暖化のせいとしか思わないのでしょうが(すべて責任転嫁です)そうではありません。個人の力だけで、あるいは温暖化のせいだけで、これほどの現象が集中して、次々に日本に現れてくるなどありえないのです。

時代が変わっているからです。だから、未だそれを理解しない心の人が日本には多いため、このような異常現象が次々に現されているのです。

私は何度もこのブログに書いてきました。多くの人が心を変えないとこの現象は収まらないと。

それこそが真実なのです。時代が大きく変わっているのであれば、その新しい時代に即した心に多くの人がならないと、異常現象は収まらないのです。

せっかく、私のブログからパラダイムシフトが始まったのです。では、人の噂などに左右されず、もう少しこのブログを信じられてはいかがでしょうか。

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9月 22 2013

偏った見方

何かこの辺り、雰囲気がかなり変なんですが(険悪な人多そうなんですけど)一~二日前によほど何かあったんですかね。しかし(毎度のことですが)一方的に私を悪者にするのもどうなんでしょう。では、何かあった人は何も悪くなかったんでしょうか?

皆そうなのです。一方的なのです。この辺りに何か起きると必ず私が悪者なのです。では、その悪いことが起きた人は私に何もしなかったんでしょうか?

例えば、奈良の大仏や鎌倉の大仏に、落書きばかりしていた人がいたとします。(実際は、そんなことする人がいたら捕まるんでしょうが)その人はいくら注意しても、そのような行動をやめようとはしませんでした。

長い間、そのようなことをやり続けていたら、その人に悪いことが起こりました。

さて、これは大仏に落書きしていた人が悪いのでしょうか?それとも大仏が悪いのでしょうか?

このように書けば分かりやすいと思います。これで大仏が悪いと思う人はまずいないでしょう。ほとんどの人が「そんなことばかりしているから罰が当たった」と、そんな大仏に落書きばかりしていた人が悪いと思われるでしょう。

今この辺りで、私にかかわり不幸に遭った人はこれと同じことをしているのです。

そうではないでしょうか?私が何もしていない人たちをいきなり祈って、そうしてその人に何か不幸が起きたというなら、それは私が悪いでしょう。しかし、私にかかわって不幸になったという人たちは、百人が百人、私に嫌がらせのような態度を取り続けている人たちばかりなのです。そういう人たちが不幸になっているのです。

今回、何か起きたのではないか、と思われる人もそうです。(多分前の会社の人だと思いますので、その人たちだと仮定して書きます)

その人たちは、私がブログを書くのを毎日のように邪魔しているのです。(それももう何年にもわたってです)その邪魔の仕方がまた凄いのです。それこそ町中に響くほどのでかい音を立てる時もあるのです。(少し前まで、そのようなことを夜中の十二時頃でもやっていました。さすがにそれは私が苦情をいいましたのでやめましたが)そのようなことをしている人たちは、私のみならず、多くの人たちに迷惑をかけているのです。そのような非常識なことを、この人たちはやり続けているのです。

このような人たちを、私が祈り何か起きたらからとはいえ、それで私が百パーセント悪いといえるのでしょうか?

この人たちも悪いと誰も思わないのでしょうか?

この人たちばかりではありません。私にかかわり不幸になったという人は、すべての人がそうなのです。それこそ皆回りのことなど考えず、私が近くを通るとでかい音を立てて平気でいたり、私は何もしていないのに一方的に嫌がらせしてきたり、そのような人たちばかりなのです。

なぜ、その人たちがそのようなことをするのか?私のブログを読み(こういうことをするほとんどの人は私のブログを読んでいます)怒る人もいるでしょうし、妬み、ひがみの思いからそういうことをする人もいるでしょう。そのような個人的な小さな考えから、そのような悪いことを長い間続け、そうして不幸なことが起きたという人ばかりなのです。

それに対し、では、私がそのような人たちに何か嫌がらせをしたのか、といえば、私はその人たちにも、また誰に対しても嫌がらせなどしたことありません。それどころか、そのような心ではいけないと思い「このような人たちを正しくお導きください」と神にまで祈っているのです。

そのような私の態度の一体どこがいけないというのでしょうか?もし「お前が祈るからいけない」というのであれば、その祈りをせず多くの人に好き放題やらせておくなら、日本に何が起きてくるか分かりません。(それこそ南海トラフ大地震のような大災害が起きるかもしれないのです)それでもいいといわれるのでしょうか?

多くの人は、その起きた結果ばかり見て、それまでの過程をまるで見ないのです。それこそ一方的に、片方の人たちばかりに不幸なことが起きるものですから、その起きていない方が悪いと単純に思っているだけなのです。

しかし、そのような結果こそ、真実を物語っているのではないでしょうか。一方的に、片方の人たちばかりに悪い結果が出ているというのであれば、それは片方の人たちが、全面的に悪いからそのような結果が現れているのであり、もう片方が何も悪くないから、その者には悪い結果が現れてこないのではないでしょうか。

そうでなければ、起きてることの辻褄が合わないでしょう。天が一方に全面的に味方するなどありえません。天は常に公平なのです。それは釈尊やキリストにおいても同じなのです。あのような方々に天が味方しているように見えるのは、その方々の心が人よりきれいで高いから、そのように見えるのであって、もし、その心が曇ってしまえば、釈尊やキリストといえども天は味方しません。

その心が曇れば、釈尊やキリストもただの人となってしまうのです。しかし、悟られてからの釈尊やキリストは、生涯正しい法を説き偉大な力を現し続けたのです。それは「釈尊やキリストだったからそうなのだ」というのではなく、あの方々のお心が生涯変わりなくきれいで高かったから、あのような偉大な力を生涯発揮できたのです。

その人の心と行いがすべてであり、それを観て天は判断するのです。

私にかかわり、不幸になった人たちはどうなのでしょう。釈尊やキリスト並とはいいませんが、悪いことをしていなかったのでしょうか?まったく逆です。このような人たちは悪いことをし続けたのです。だから、悪いことが起きたのです。その起きていることとは人が起こしているわけではないからです。すべて天が起こしていることだからです。

私は再三「このブログを書くのを邪魔してはいけない」「私に嫌がらせなどしてはいけない」「このブログを読むのであれば、お気持ちだけ結構ですから寄付してください」といい続けてきました。しかし、この不幸になっている人たちは、そのどれも聞かなかったのです。まったく聞く耳を持とうとしなかったのです。

それどころか、こういうことを私が書けば、それに逆らい、よけいにやってはいけないということをやったのです。

そういうことをした人たちが、まるで悪くないとは一体どれだけ偏った見方なのでしょうか。

多くの人は、その不幸が起きるまでの過程を知らないのです。

「入会しないと罰が当たる」と強引な勧誘をして、問題になっている宗教団体がありますが、このような偽の教えはともかく、本物の教えに逆らってばかりいると、本当にそのような現象が現れるのです。

だから私は、そういうことが起きてもいけないと思い、何度も警告し、現在もそれをし続けているのです。

しかし、多くの人はそれを真剣に聞こうとしません。その結果、現在の日本は不幸な現象が続出しているのです。

いつまで人のせいにしているつもりですか?どれだけ人のせいしようと、悪いことをしなければ、その人に悪いことは起きません。その人たちに悪いことが起きるのは、その人たちが悪い原因を自らつくっているからです。

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