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6月 11 2013

神の心

今日は、檀家制度の話を書こうと思ったのですが、やめておきます。というのも昨日何か起きたようだからです。

また、何か起きましたか?(昨夜もそうでしたが、今日の雰囲気も何か違います。明らかに何か起きていますね)

だとしたら、次々に現象が現れ始めました。やはりもう心を変えようとしないと危ないでしょう。(もう怒っている場合ではないと思いますが…)

私に嫌がらせをしている人は(これだけ立て続けに異常なことが起きているのですから)おかしなことが起きると分かっていてやってるんですよね。(ちょっとその神経が分かりませんが?)自分がどれだけ怒ろうと面白くなかろうと、神が起こす現象に怒ってそのような態度を続けていて、それで事が収まると思いますか?

私にいくら怒ったところで、私自身が何も起きていないのですから、私が反省しようがないのではないですか?おかしなことが何も起きていないのに、一体私の何を反省しろというのでしょうか?(むしろ奇跡が起きているのに、そのどこを反省しろというのでしょうか?)

おかしなことが起きているのは、私に嫌がらせしている人たちなのです。(それが事実でしょう、違いますか?)では、おかしなことが起きている人たちが、反省しなければ事は収まらないのではないでしょうか。(それ以外考えようがないのですが、他に何か考えがありますか?)

分かりませんね、それをどれだけいっても、この辺りの人たち理解しようとしないのです。お前が悪いの一点張りなのです。

まさか、私の祈りが悪いとでもいうのではありませんよね、これも何度もいっていますが、私はその人を「正しくお導きください」と祈っているだけです。呪っているわけではないのです。その祈りがなぜいけないのでしょうか?(前々回エリシャのことを書きましたが、あのエリシャも聖書の記述は呪いの言葉をはいたように書かれていますが、それは間違いだと思います。〔「列王記」はエリシャ自身が書いたものではありませんからね〕そんな呪いなど人にかければ、それが自分にも返ってきて、自分もその呪いでやられてしまいます。あれは、その子供たちを叱りつけるように祈ったから、それが言い伝えられて、そのように書かれたのでしょう。エリシャも私同様、その子たちを正しくお導きくださいと祈ったはずです)

もし私がその人たちを祈らなければ、その人たちは後々もっとひどい目に遭うのです。

そのような祈りを私がしなければ、その人たちはそれ以上の悪を犯すことになるからです。私が祈っているので、その人たちはまだその程度のことですんでいるのです。(肉体に何が起きても、その人の心を観ないと、その人が救われているかどうかは分からないのです)

それだけではありません。もし私が、私にどのようなことをする人がいても、それを許していたら、もしかすると“南海トラフ大地震”それが起きる可能性が高いのです。(その可能性が大きいですね。ちょうど皆さんの心にも、その南海トラフ大地震が描かれていますし)私に好きなことをさせていればです。それだけ預言者に悪いことをするということは、大きな罪なのです。

どちらがよろしいですか?それをいってくだされば、私はよい方をしますが、そこはどうなのでしょう。

私に嫌がらせする人を許し、何を私がされてもそれに耐え、一切祈りなどせず、知らない顔をしていろと多くの人がいわれるなら、私はそうします。(そのようなメールをたくさんください、そんなメールが届くようなら、私はその意見に従います)そのかわり天の怒りが爆発し、それこそ、あの、ちょっと異常ではないか?と思えるほどの被害想定と同じような状況の、南海トラフ大地震が起きるかもしませんが、それでもよろしいですか?(これ、まったく嘘だと思われますか?これだけのことが起きていて)

私がいっていることが嘘だと思う人がいられましたら、どうぞたくさんのメールをください。そのメールの意見に私は従うことにします。(これ以上嫌われてもいけませんので)

しかし私は、神を冒涜し続けている多くの人たちを、実際は救っているのです。

別に神を冒涜している人たちは、この辺りの人たちだけではありません。

それは天気を見れば明らかです。

先月今月のカラカラ天気。その異常渇水が続いていると思っていたら、六月なのにもう台風が日本に迫ってきて、その影響で昨日辺りから各地で雨になり、台風で梅雨前線が刺激され(おまけに高気圧が台風の行く手を阻んで、異常に進むスピードも遅くなって)今度は大雨の被害を心配しなければいけなくなりました。

異常渇水の被害が一転して大雨の被害に変わるのです。これほど極端な天気があるでしょうか。

神の心は(釈尊がいわれた)中道です。ちょうどいい晴れの日が続いて、ちょうどいい雨が降るのが一番人間にとっては幸せなのです。それがこれほど極端な天気になれば、当然私たち人間が一番困るのです。

この神の心とは正反対の天気に、神の心が現わされています。

このような極端な天気にされるのは、多くの人が神を冒涜し神の心から離れているからです。だから、その多くの人の間違った心を天気が現しているのです。

私の周りに次々に起きる異常な出来事、そうしてこのような天気、もういい加減気づかなければいけないのではないでしょうか。自分たちの間違いに。(それも大きなです)そして神の心に。

いつまでも責任転嫁し気づかないふりをしていれば、このような異常現象はいつまでも続きます。

何度でもいいます。

神の運動を手伝ってください。

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6月 10 2013

信仰とは

昨夜も、たくさんの皆さんが私の帰り道に待っていてくださり、ありがとうございました。ずいぶん嫌がらせのようなことを、あちこちでされましたが、今日はお体大丈夫ですか?

そのような人たちは、もう七大天使に逆らうと決められたようですのでお体が心配です。健康診断などマメにされた方がよいのではないでしょうか。お気をつけください。(これではまた今週も、いろいろ起きるのではないかと心配です。神に従順になられる方っていないのでしょうか?)

最近の私のこの辺りでの人気は、AKBをも凌ぐのではないかと思われます。(笑)この辺り一帯の人、それこそ小さな子から年老いた人まで皆私のことを知っているのですから。

しかし、よく考えれば、これほどのチャンスはありませんね(法の流布のです。小さな子供から、年寄りにまですべての人に伝わるのですから)正しいことを書けるだけ書いておきましょう。

普通はあまり極端なことを書くと、多くの人は「そんなバカな」とまったく聞こうとしなくなりますが、これだけ評判が広がればそれもなくなりますね、信じがたいことも、聞く耳だけは持つようになるでしょう。(すぐそのことを信じなくても疑問くらい持つようになるはずです。それが大きいのです)

そこで、最大のタブーでもある“信仰”のことなども、これから書いておかないといけないと思っています。(一番大事なことですからね)

これまでの信仰がいかに間違いか、それを少しずつ書いていきたいと思います。お年寄りの皆さん楽しみにしていてください。

よくお年寄りには、そんな本当のことをいわなくても、今信じている信仰を、そのままさせておけばいいではないか、もうあまり先もないのだし、などという人がいますが、こういうことがすでに間違いなのです。年寄りは先がないといいますが、それはあくまで今生の肉体だけの話です。人は死んでも意識(霊体)は残り、また輪廻転生して生まれ変わるわけですから、それこそ、死ぬ寸前の人にも間違いは間違い、正しいことは正しいと教えた方がいいのです。

先々勉強は続くのです。この世で真実を知ることは(その人の心の成長を思えば)本当に大きな出来事なのです。

ですから、明日死ぬかもしれないお年寄りに「あなたのやっている信仰は間違いです」ということは(それが正しければ)一見残酷そうに見えますが、実は非常によいことをしているということになるのです。

はっきりいっておきますが、これまで皆さんがやってきた信仰は間違いです。これはしっかりいっておきます。(火に油ですね、ますます年寄りを含む皆に嫌われます。仕方ありません、それが皆さんのためなのですから)

せっかくですから、少しだけ今の信仰のおかしい部分を書いておきましょう。(それこそ明日死ぬかもしれない人がいるかもしれませんから。一分一秒でも無駄にできません)

例えば、坊さん連中はよく「先祖供養をしなさい」とか「先祖にお経を上げると功徳になります」とかいいますが、そういっていながら「霊」の存在は認めていないのです。

おかしいと思いませんか。霊が存在しないのなら、一体何に対してお経を上げ、先祖供養をするのでしょうか?何もないところに祈っても意味がないのではないでしょうか?(先祖の霊にお経を上げ供養するというのなら、まだ話も分かりますが)

こういうおかしなことを平気で坊さん連中はいっているのです。それは現在の日本の仏教はただの葬式仏教、観光仏教でしかないからです。つまり、本当の仏教(お釈迦様の教え)ではないのです。

いかにそのような信仰が間違いか、これから、詳しく書いていくことにします。

何せ多くのお年寄りが私のことを知ってくれたのです。(いやよくお年寄りにも嫌がらせされますから)せっかくですから、そのような人たちの一番興味があること(信仰)を主に、これからこのブログを書いていきたいと思っています。先ほどもいいましたが、そのような人たちはもうあまり先がありません。(あくまでこの世の肉体の、という意味です)先にそのような人たちに最低限伝えておかなければいけないことは、伝えておかなければいけないからです。(若い人たちはまだ時間があります。これからいくらでも正しいことは自分で勉強できます。しかし、年寄りはそうもいきませんから)

したがって、若い人たちには、これから少しの間あまり面白くないブログになるかもしれませんが、それはご了承ください。

これまで信じてきた信仰がいかに間違いか、事実を知ると、それがショックで、それこそお年寄りの寿命がさらに縮むかもしれませんが、そんなこの世の寿命より、正しいことを知ることの方がよほど大事なことです。寿命が縮もうが血圧が上がろうが、本当の正しい教えとは何かをよく知ってください。

それが、真にその人のためになるからです。

追伸…昨日の未明に、愛知県で五人の死傷者が出た車の事故がありましたが、心霊スポットに肝試しをしに行く途中の事故だったそうです。(こんなことしようとするから、いいこと起きません)その事故を起こした運転手が、名古屋市中川区の人とかいっていましたが、まさか、私に嫌がらせした人ではないですよね。それはないと思いますが、近くの人がこういう事故を起こすとドキッとしますね、下手すればまた私のせいになりますからね。(何せ、そこらじゅうの人に知られてますから、私)

私のせいにされてもいけませんので断っておきますが、こういう事故が起きるのはやはり自分の責任です。心が神の方に向いているなら、このような事故は起きないからです。ですから、心を神に向ける(それはすなわち法を知る)ということは、どのような面から見ても大事なことなのです。

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6月 09 2013

預言者に対する態度

また何か起きましたか?(何か昨日から雰囲気おかしいですね)今日は日曜日ですので、今いちよく分かりませんが、私の勘違いでなければ、この辺り、毎週おかしなことが起きているのではないでしょうか。

もしそうなら、かなり危ない状況ですね。やはりくどいくらいいわないと、唯物無神論を信じている人々には、それがどれだけ危ない行為か、ご理解いただけないようです。(それに噂にならないところでも何か起きているようです。私に嫌がらせする人、あちこちにたくさん〔最近また急増しましたから〕いますからね、どこの誰かさっぱり分かりません)

旧約聖書に書かれた「列王記」に次のような記述があります。

<エリシャはそこからべテルに上った。彼が道を上って行くと、町から小さい子供たちが出てきて、彼をあざけり「はげ頭、上って行け」「はげ頭、上って行け」といった。

エリシャが振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうち四十二人を引き裂いた。>

この聖書に書かれた記述は事実です。このようなことが実際に起きたのです。

子供といえども、預言者を冒涜するとこのようなことになるのです。

では、皆さんはどうでしょうか?この引き裂かれた子供たちと、同じようなことを私にしているのではないでしょうか。

もし、私が本物の預言者であるなら、そんなことを続けていれば、これに近いことが起こりますし、また、これに近いことが何度も起きているなら、私は本物の預言者ということになります。

そこはどうなのでしょう。(私は何が起きてるのか知りませんので、判断しようがありませんが)

多くの人は預言者の怖さを知らないのです。ですから、恐ろしいことが何度起きても、その意味が分からないのです。これも唯物無神論の弊害ですが、もう、その思想の間違いを理解しなければいけないのではないでしょうか。

本当は年のいった人が、おかしなことが二、三度起きれば、そのような者に手を出してはいけないと、諌めなければいけないのですが、年のいった人もそれが分からないのです。(年老いた人が積極的にやってきますからね。私に嫌がらせを)末法の信仰しかしていないからです。だから起きている意味が分からないのです。(末法の信仰とは、つまり間違った信仰しかしていないという意味です。間違った信仰しかしていないので、預言者の存在が分からず、自分たちが悪いからこんなことが起きているとは、絶対に思わないのです。だから起きた現象に対し怒ることしかできないのです。対処の仕方が分からないからです)

しかし昔は、おかしな天気が続けば、これは私たちの行いが悪いのでこんな天気が続くのだ、だから、自分たちの行いを直そうと、その町の長老などが、そのような反省を町の者たちに必ず促したものですが(それは天気だけではなく、人に対しても同じでした。そのような人にそんなことをしてはいけないと、すぐ理解できたのです)現在はそのような人もいません。

だから、私の存在が分からないのです。

しかし、もう何度も奇跡が起きているのです。いくらなんでも人に頼らずとも自分で判断できるはずです。

天上界の最上階に釈尊、キリスト、モーゼといわれる方々がいられます。(その頂点に“エル・ランティー”といわれる方がいられますが)その次に位置する方々が七大天使(ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ラグエル、サリエル、ウリエル、パニュエル)といわれる方々です。

その七大天使の天使長であるミカエルは、エリヤ、マルティン・ルターという名で、この世に現れ法を説かれたことがあります。

私も七大天使の一人として、今、この日本に肉体を持ち法を説いています。

決して、そのような者に嫌がらせなどしてはいけないのです。

(本当は、こういうことは自分でいうべきことではありませんが、しかし、周りにそれを分かる人がいられず、黙っていれば、今、私の周りの人のように罪を犯す人がドンドン増えるのです。だから断っておきました。これ以降、私に嫌がらせする人は、私が七大天使と分かっていて、そのようなことをするのですから、それ相応の覚悟を持ってされた方がいいでしょう。もちろんその罪はこの世だけでは終わりません。あの世まで持ち越されます。どちらにしても大変な責任を取らされることになるのです。逆に協力すれば大変な恩恵を得られます…だから私は「私に協力した方がいいですよ」といっているのです)

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6月 08 2013

心と天候

それにしても、どれだけ頼んでも皆さん動こうとされません。また、日照りが続いても私のせいにしないでくださいね。(どう考えても、神のことをいつまでたっても考えようとしない、皆さんのせいですもんね。神に対する不敬罪です、重いですよこの罪は)

昨日は名古屋も雷が凄かったんですが、まだ当分は晴れの日が続くようです。

これはまだ梅雨には入っていませんね、今月は例年より雨が多いとか何とか気象庁はいっていましたが、その梅雨のような天気になるのは、来週の後半辺りから(十四日)といわれています。(それも分かりませんけどね、この調子では)ということは例年より(例年なら六月十日前後ですよね)梅雨が遅くなるので、今年の六月は雨が多いという予報も、はずれる確率が高そうです。

最近の気象庁は、少し先の予報はよくはずしているように感じますが、そこはどうなのでしょう。

先の予報を気象庁がはずしているというより、やはり、これまでの動きとは違う動きを気象がしている、といった方がいいかもしませんね。

もう、時代が変わっています。人々の心がまともに天候に現れる時代になっているのですから、それも仕方がない話でしょう。

たしかに気象は、ある程度周期で動くのは事実でしょう。(そうではなく、昨日まではいい天気で、今日になったらいきなり大嵐になるとか、昨日は気温三十度もあったのに、今日は0度にしかならない、などという天候が続くなら、とてもまともな生活などできませんからね…どちらかといえば熱帯地方はそうですが、ですから、そのような場所に預言者は生まれないのです。そのような場所では法が伝わりにくいからです)

それはそうでしょうが、しかし、この天候は人の心というものが大きくかかわってきます。それによって動かされているということを知るべきでしょう。(つまり周期だけで、動いているのではないということです)

したがって、それが顕著に現れる時代となったのですから、もうこれまでのような表面上のことだけ調べていても、当たらなくなるのは必然ということになります。

地震学者がそこに住む人の心を調べようとしないのです。では、気象庁で全国の意識調査を実施されたらどうでしょうか。

そうして、異常気象が起きた地域と、起きていない地域で、どれだけ意識に違いがあるのか調べられるのです。何かそのような人の意識と、そこに起きる異常気象の関連が分かるかもしれません。やってみる価値はあるように思いますがいかがでしょうか。

とにかくもう二十一世紀となっています。世紀が変わったんですから、気象庁も予報のデーターの出し方を、もう少し手を広げてみてもよいのではないでしょうか。

二十一世紀は心の世紀といわれます。では、心を調べられてはいかがでしょうか?

これまで分からなかったことが、分かるようになるかもしれません。

追伸…今日はAKBの総選挙ですね。去年までは全然知りませんでしたが(そんなことテレビでやってることも知りませんでした)今年は少しは観ようかとも思っています。(この年になると、そういうのずっと観てるのはつらいのです)

なんなら私が誰が一位になるか予言しておきましょうか?何せ私は預言者ですからね。(誰もそれを認めないのですが…預言者を敬おうとせず、平気で失礼なことしてきますからね、多くの人が。それでおかしなこと起きてれば世話ありません)

というのは冗談ですが(〔笑〕無理ですね、メンバー五、六人しか知らないので…申し訳ない、全員覚えるのとても無理です)ずいぶん話題のようですので、皆さんには頑張っていただきたいと思っています。

しかし、この総選挙で一位になりたいといっているメンバーは多いと思いますが、残念ですね、一位になりたければ私に聞きにくればよかったのに。(何せ私は預言者です。それくらいのこと知っています)

来年一位になりたければ、私に聞きにくることです。そうしたら教えてあげますよ、一位になる方法を。(笑)どちらにしても、もう二十一世紀になり心の世紀となりました。では、心をきれいにしなければいけないのではないでしょうか。

より多くの人たちから票を得たいのであれば、どれだけ愛を出せるか。これからはその愛を出す量で、総選挙などの順位も決まってくるのではないかと思えます。

そのような人たちは、人に愛を与える、それが仕事なのですから。

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6月 07 2013

善因善果、悪因悪果

水不足は関東の方でも深刻なようです。(埼玉などでダムの水が、これまでで最低になったところもあるようですし)

一週間くらい後には高気圧も強くなり、梅雨前線が上がってきて雨も降り出す予報は出ていますが、それも分かりませんね、最近気象庁はよく予報をはずしますから。

どちらにしても、このまま一週間、十日先にしか雨が降らなければ、軒並み農家はやられてしまいます。少しでも早く雨は降った方がいいでしょう。

しかし、こればかりはどうにもなりません……かね?

どうにもならないことはないと思いますが、皆さん方(私のことを知ってる人たち)が心を変えていただかねば、どうにもならないでしょうね。

最近、私のことを知った人がずいぶん多いのですが、どうですかそのような人たち、日本のため一肌脱ぐ人はいませんか?(それほど大げさな話ではないのですが)

最近、私のことを知った人たちにいっておきますが、このブログを前から見ている人たちってひどい人が多いのです。だって、このままでは大雨になりますとか、台風が直撃しますとか、私がどれだけいっても、皆平然とそれを見ていて何もしようとしなかったのです。(そういうことが一度や二度ではありません。何度もあったのです)

ひどいでしょう。そればかりか、そのような人たちの中で、そのようなことを(大雨が降ったり、台風が直撃し被害が出たりしたことを)全部私のせいにして、私に嫌がらせしている人もいるのです。(さらにひどい人たちでしょう)

そのような人たち、それが私のせいと本気で思っているなら、私のいうことを聞けば、そういうことは起きなかった、とは考えないのでしょうか?自分たちが、私のいうことを聞かなかったために、そのような惨事になったとは誰も考えないのでしょうか?そのようなことが起きたのが私のせいと、もし本気で考えている人がいるなら、ずいぶん一方的な考えしかしない人が多いということになります。

どちらにしても、そのような惨事が私のせいか、それとも私のいうことを聞かなかった人たちのせいなのかは、いずれ一人一人がいやでも知ることになります。(遅くとも死ねば分かります)

しかし、釈尊がいわれた“善因善果、悪因悪果”という言葉があります。

当然この言葉の意味は皆さんご存知だと思いますが(よいことをすればよいことが、悪いことをすれば悪いことが、自分に返ってくるという意味です)もちろんこの言葉は神理です。

この言葉を知るならば、そのようなことを全部私のせいにして、私に嫌がらせしている人たちに、不幸な現象が続けて起きているということを、悪いことを皆私のせいにしている皆さんはどのように考えるのでしょうか?

マァ、この話はいいでしょう、どこまでいっても平行線でしかないからです。

それよりも現状を何とかしないといけません。

私はニュースなど観ていて、困っている人がいると本当に心が痛み、何とかできるのであれば、何とかしてあげたいとよく思うのですが、最近私を知った人たちはどう思われますか?(前から、このブログを読んでる人たちはダメですね。皆、人がどうなろうと関係ないという人たちばかりですからね)

もし、最近私を知った人たちに、心の優しい人がいたら、ぜひ私にご協力ください。もしかしたら雨が早く降り出すかもしれません。お気持ちだけで結構です。ご寄付ください。

私に協力してくだされば、早く雨を降らせることができるといっているのです。

最近私を知った人たちは、それをまったく信じないわけではありませんよね。(どういう噂になっているかだいたい想像できますし)そのような噂が嘘か本当かお試しください。仮にその噂が嘘だとしても、お気持ちだけ寄付してくださいといっているだけなのです。損をしてもしれたものでしょう。(百万も二百万も寄付してくれる人がいれば別ですが)

もし雨が早く降らなかったら、騙されたと思って諦めてください。バカだアホだ、あいつは詐欺師だといってくだされば結構です。雨が降らなくて私が何をいわれようが、私は全然かまいません。(それは自分が悪いんですから)そんな小さなことより、雨が少しでも早く降れば多くの人が助かるのです。私が少々恥をかくよりそちらの方がよほど重要です。自分が恥をかくことを恐れ、できるかもしれないことをやらずにいるより、やって失敗した方がよほどましです。

私のことを信じてくださる方がいたら、ぜひご協力ください。(このようなことは何度もやっていますので…ほとんど成功していますが)

このようなことも含めてですが、よいことをすればよいことが(自分の心が正しければ奇跡も起きるということです)悪いことをすれば悪いことが、自分に返ってきます。

自分が悪いことをしていて、自分に悪いことが起きたのを、人のせいにしていても決してよいことは起きてきません。(そのような心では、よい運命にはならないということです)

善因善果、悪因悪果は神理なのです。(私に協力するのは、もちろんよいことです。それも大変なです。逆に悪いことをするのは悪いことです。それも大変なです)

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