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6月 06 2013

異常気象

梅雨に入っているはずなのに、全然雨降りませんね。まだ当分まとまった雨は期待できないとのことですが、どうなっているのでしょう?(本当に梅雨に入っているんでしょうね)

それに、今月は雨が多いと気象庁いってませんでした?(アララ、またはずしますか)雨が多いどころか、今月も記録的少雨になったらシャレになりません。何せ、この雨が少ない状態は先月から続いているからです。

統計を取り始めて(五月として)最低の少雨だったところが、先月は何ヶ所もあったようですが、特に西日本の雨不足は深刻なようです。(この異常気象を、三十年に一度の異常気象とか何とか、テレビでいってる人いましたが、つい二、三年前に百年に一度の異常気象があったばかりです。それが今度は三十年に一度とは、いくらなんでも視聴者バカにしています。あまりそのようないい加減なことは、テレビでいわない方がいいのではないでしょうか)

偏西風が弱いの強いの気象庁はいっていますが、もうこのブログを読んでる人はお分かりですよね、それはあくまで表面的理由に過ぎないということが。

どうされますか?皆さんのせいで日本中が困ることになりますが、それでもよろしいんですか?日本中どころではありませんね、その偏西風が弱いせいで世界中が異常な気温、渇水、大雨で困っていますが、それも関係ありませんか?(いやいや恐ろしいまでの無関心ぶりです)

また、この辺り何か起きたんですかね?ここ二、三日雰囲気がおかしいのですが…(昨夜は「熱田まつり」でしたので、そのせいで人がたくさん出ていると思ったのですが、どうも動きのおかしな人が何人もいましたし、今日も何か雰囲気違いますし)

これだけ神に対し不誠実ではね、何が起きてもおかしくはないでしょう。

昨日は小学生から、もう杖を突いて明日にでも死にそうなジイさんにまで、嫌がらせみたいなことされましたが、大丈夫でしょうか?そんなことしていて。自分たちが悪いとは、これっぽっちも思っていないようです。

昨日、私の横を自転車で通ったジイさんが、ずいぶん大きな声で「次々に事件を起こして何をいっとるか」とかいっていきましたが、あれ私にいったんでしょうか?もし私にいっているとしたら、もうギャグに近いくらいの勘違いですね。

別に私が何か事件を起こしているわけじゃないでしょう。私がそんなに事件を起こしていたら、とっくに捕まっています。(何せヘリにまで見張られていますので)何か事件が起きてるとしたら、それは天が起こすのですから、皆さんが反省された方がいいのではないでしょうか。

どうも、そこらへんの道理がいつまでたっても分からないようです。(唯物無神論もここまでくると洗脳に近いですね)

皆さんが毎日飲んでる水も、毎日吸っている空気も、皆神がただで与えてくださっているのです。太陽の光がなければ、私たちは一時も生きていられませんが、それも神がただで与えくださっています。

そんな神に感謝しなくてよいのでしょうか?

現在の皆さんは、その全知全能の神を神と思わず、自分のことばかりやっているのです。だからいけないと私はいっているのです。少しは神のことも思い、神の運動をしなければいけないといっているだけなのです。

それを頑なに拒んでいるのは多くの人々ではないですか。そんな「神を無視していてはよいこと起きませんよ」と私は警告しているだけなのに、その皆さんが神を無視しているせいで、いろいろ起きてきたことを、全部私のせいにして、それではよけいに悪いことが起きるというのも、当然のことではないでしょうか。

そのような(神を神と思わないために起きている)現象が、この辺りに次々に現れているようですが、それに怒り、私にどれだけ嫌がらせしても同じです。その心を反省しなければ、恐ろしい現象は止まらないからです。

自分のことばかりやっているのではなく、少しは神のことも思い、神のために行動しなければいけないのです。それが神の子の人間としての当然の義務だからです。

本当の神の教えが出現しているのは、現在では日本だけなのです。ですから、当然その教えは日本人一人一人が勉強し、世界に伝えていかなければいけないのに、多くの人がそれと分かっていて、その教えを勉強しようとしません。これは大変な罪なのです。

世界各国が異常気象に見舞われているのも、地球温暖化の原因ではなく、この日本から本当の神の教えを世界に伝えようとしないからです。(このブログを読んでいる人が何もしようとしないからです。私のことを知っている人が何もしないからです。つまり、日本は元より世界中で起きている異常気象は、私に嫌がらせしている人たちのせいということになります)

この辺りだけではなく、日本中(世界中)に異常現象が起きています。この異常現象を収めるには、この神の教えを多くの人が勉強し世に伝える、それしかないのです。

その自覚がある人は、一人でも立ち上がられるべきではないでしょうか。

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6月 05 2013

公邸の幽霊

あまり夫婦の性やらなにやら書いていると、最近はセクハラとか何とかいわれかねません。セクハラブログといわれてもいけませんので、ソロソロ話題をかえましょう。(まったくおかしな世の中です)

昨日の中日新聞に「首相公邸の幽霊」の話が書いてありました。

もう数十年も前から、総理大臣の公邸には幽霊が出るという噂があり、誰もいないのに人がいる気配や靴音が聞こえた、という証言も多数あるとのことです。

多くの証言者がいるのです、出るんでしょうね、首相公邸には幽霊が。

二・二六事件の幽霊だとか何とかいわれていますが、もう多くの地獄霊があの公邸には集まっているのでしょう。戦争で亡くなった人や二・二六事件や五・一五事件で亡くなり、成仏できていない霊などが集まっているのだと思います。

このように成仏できていない霊(天上界にいけず、まだ地獄で苦しんでいる霊のことです)は、この世にいた時の意識に引きずられます。そうであればこのような迷える霊が、日本の最高権力者の下に行くのは必然でしょう。

安倍総理は、総理公邸を使用していないとのことですが、それは正解でしょうね。そんなところに寝泊りしていたら、いつ地獄霊に憑かれるか分かったものではなく、危なくて仕方ないからです。(よほど心がしっかりしていれば別ですが、それでも総理大臣などずいぶん激務です。身体が疲れてストレスをためていったら、安倍総理といえども間違いなくどこかで憑かれるでしょうね)

お祓いをしたらという話もありますが、公邸にいる霊は一体や二体ではないでしょう。とても全部祓うのは無理です。一時は静かになっても、しばらくすればまた騒ぎ出すでしょう。

こういう霊を祓うには、よほどしっかりした人が祈り、そこにいる霊にいって聞かせ、間違いを悟らせねばいけません。一日や二日では無理です。それこそ半年、一年公邸に行って祈らないといけませんので、とても祓うのは無理でしょう。総理や総理の身近にいる人が、それをやって心行(高橋先生が書かれた宇宙の神理です)を上げれば、半年、一年もすれば、公邸にいる地獄霊も皆天上界に帰ることができますが、皆さん忙しいので、それも現実には難しいでしょう。したがって、首相公邸の幽霊を全部祓うのは無理ということになります。

マァ、首相公邸はあまり使わない方がいいと思います。触らぬ神に祟りなしです。

アメリカのホワイトハウスにも、幽霊が出るという噂があるそうですが、先ほどもいいましたが、地獄に堕ちている霊は、この世の意識に引きずられます。どうしても国の最高権力者の下には行きたがりますので、そのような場所には地獄霊は集まってくるでしょう。(自分が苦しくて助けてほしければ、一番力のある人を頼りますよね、この世では。だから、そのような人の住んでいるところに集まるのですが、しかし、あの世に帰れば如来や菩薩を頼った方がよほど救われるのです)

ですから、そのような場所に幽霊(地獄霊)が出るのは必然であるということです。

しかし、こういうニュースが新聞に書かれるのはよいことです。必ず最後に大学教授やら出てきて、幽霊を否定するコメントを入れるのは余分ですが、それはまだ科学が神や霊など認めていない(検知できない)ので仕方がない話でしょう。(科学で神や霊など検知できるのは、まだ、だいぶ先になりそうですが)

しかし、霊などは実際に存在するのであるし(キリストも釈尊も霊の存在は認めていられるのですから)霊の存在は多くの人が(まだ科学で検知できなくても)知っておかないといけないのです。それを頭から否定してしまうと、危ない場所(霊域の悪い場所)でも平気で行ってしまうからです。(本当にこういう場所は危ないのです)

報道する側も、いくら科学で認められていないからとはいえ、霊を完全否定するような報道の仕方は、これからはやめられたらどうでしょうか。(何度もいいますが、釈尊やキリストは霊の存在を認められているのですから)完全に肯定はしないまでも、このようなおかしな現象がありますが、霊の作用かどうかは分からない、程度にしていただけると、霊の存在を信じる人もたくさん出てくるのではないかと思われます。

おかしな霊は存在し、それが災いをなすこともある、ということを多くの人が知れば、危険を事前に回避できる人も増えるでしょう。

二十一世紀は心の世紀といわれます。二十世紀と同じような報道をしていては、最近よくいわれる時代錯誤ではないでしょうか。

報道の仕方も二十世紀(末法の世)と二十一世紀(正法の世)では変わって当然だと思います。時代が変わっているのですから。

釈尊やキリストがいわれていた霊は存在するかもしれない、そのような報道が、多くの人を救うのです。

追伸…あのヘリ何とかなりませんかね。どこにいても飛んできます。(ということは肉眼では見えないところにいて、ずっと私を見張っているということですか?)

アレいくらかかってるんでしょうか?一日百万としても一年で三億六千万もかかるということになります。(毎日のように飛んできますからね)もう二、三年前からですよね、ということは十億くらいはゆうにかかっているということになります。(皆さんすごい税金の無駄使いしています)

その金があれば、私事務所でも何でもつくって、そこでやりますので、そんな無駄使いしなくてすむでしょう。何とかなりませんかね、何回もいいますが、その金寄付の方にまわせないんでしょうか?その方が世の中も静まり(一応天も納得すると思いますよ、私が本格的に法の流布を始めればね)法の拡がるのも早いでしょう。

でないと、よけいなことをする人が多いので、おかしな現象ばかり起きて、私の評判がドンドン悪くなります。(すでに手遅れかもしれませんが)

全然皆協力してくれないのです。(平気でこのブログただ見してますから)ぜひ、ぜひ、寄付の方よろしくお願いします。

(普通こういうこと書いていると頭おかしいと思われますが、実際起きてるから仕方ありません)

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6月 04 2013

女をなぜおかみさんというか、夫婦円満の大事さ

昨日、ずいぶん読みのいい子がいると追伸に書きましたが、読みというより、昔は「オイ」と旦那さんがいっただけで、タバコが出てきたり、お茶が出てきたり、夫の気持ちがすぐ分かる奥さんがよくいたものですが、最近はどうなのでしょうか?(最近は旦那さんがそんないいかたしたら「オイで分かるわけない」と大喧嘩になるのが関の山ですかね〔笑〕)

夫に「オイ」といわれただけで夫が何をほしがっているか、それが分かる妻にならなければ、前回私が書いたキリストがいわれる妻にはほど遠いでしょう。(何か私のいってることって、すでにもう無理難題のレベルなのでしょうか?……それもずいぶん寂しい話です)またそのような妻にならなければ、夫婦円満にはならないということです。

結婚した女性を、よく“おかみさん”といいますが、これはなぜだかお分かりですか?

それは男にとって女は神様だからです。だから女を“おかみさん”(お神さん)というのです。

神はこの世界を「陰」と「陽」とにつくられ、そうして男と女とにつくられました。その男と女と一つに結ばれることにより、子孫を繁栄させるようにつくられたのです。

この神の原理(神理)は陰電気と陽電気に現れています。

陰電気と陽電気が交流(結ぶ)することにより、光となり熱となり動力となって(電気エネルギーは他の様々なエネルギーに変換できるのです)我々の生活に役立っています。これが陰電気が陰電気のままで、陽電気が陽電気のままであって交流しなかったら、何の役にも立たないのです。

人も同じで、男は男で、女は女で別々で、結ばれることがなければ人類は滅びるわけで、結ばれるのが神理なのですから、結ばれるのであれば、中途半端な結ばれ方をするのではなく、しっかり結ばれることがよいのであり正しいのです。(中途半端な結ばれ方をすれば、すぐほどけてしまいますからね)

だから、中途半端な結ばれ方をしている夫婦は、形の上では夫婦であっても、お互いに心の中には不信感があり、それが自分たちの生活や子供たちに障害となって現れてくるのです。

だから私は、妻は夫の心をすぐ理解できるくらい、家族の心の中まで知っていなければならない(それが神理ですから)と思い、最初にそのようなことを書いたのです。(夫だけではなく、子供の心の中まで知っているなら、子供が自殺を考えるくらい悩んでいれば、すぐに分かるわけです。したがって子供の自殺も防げるわけです)

それだけ妻が夫の心を理解しているなら、当然夫婦円満でしょうし、夫婦円満ということは神理を実践しているということになるのです。

夫婦円満であるということは(すなわち神理を実践しているということは)神の生命が男となって女に還流され、また女となって男に還流され、その男女の気が円満に交流されることをいうのであり、神の生命が円満に交流されているなら、夫婦も子供も皆、健康で幸福であるということになるのです。(つまり奇跡的なことも起きるということになるのです)

夫婦円満であるということは、陰陽、すなわち男と女に分かれた神の生命が、元の一つの神の生命に帰ることなのです。それはすなわち元気が出るということで(元気とは神の大元の気という意味です)だから男は女に十分触れることによって、また元気を取り戻すのです。(疲れた時に、特に男が女をほしがるのはそのような理由からです)

ですから性行為をただの「エロ」と思うのではなく、夫婦円満のためには欠かせない神聖な行為であるということを、特に女性は理解しないといけないのです。(だから、昨日も書きましたが、妻の身体を支配する権を持つ者は夫なのですから、夫が求めてきたら絶対に断ってはならないのです。そんなことをすれば、神のエネルギーを止めてしまうことになり、夫のやる気まで失わせるということです。夫婦の性行為はいやらしいことでもなんでもなく、非常に重要なことなのです)

はじめの話に戻りますが、女をなぜおかみさん(お神さん)というのか、それは神の生命は、女を通し男に与えられることになっているからです。だから女を「おかみさん」「お神さん」というのです。

ですから私は、結婚したら専業主婦の方がいいというのです。女が家にいれば、家に帰れば必ず「神」がいるのです。だから女がいる家に帰れば(それが母であれ妻であれ)心が安らぎ身体の疲れも取れるのです。(神の気が循環するからです)

家庭の事情もあり、そういう家庭ばかりは無理でしょうが、女が家にいるのは、夫にとっても子供にとってもすべての面でプラスとなります。(だから家にずっといると息が詰まるなどといって、外に働きにいきたがる奥さんがいますが、そんな理由で働くというなら論外ですね)

家庭に女性がいる大事さをもっと知ってください。

追伸…今月八日はAKB48の総選挙ですね。(私だってそれくらい知っています。何か知らないけど今日から何かするんですよね?)マァ、それはそれとして、どうでしょう、AKBだけでこのような(解散?)総選挙をするだけではなしに、芸能界全般で総選挙をやったら。アイドルなどから五十人から百人くらい選抜して、オープントーナメント形式で総選挙をするのです。(もちろん対称は世界中にいるファンです。世界中にいますよね、アイドルの子たちのファンて)ずいぶん話題になると思いますよ…アレ?かなり無理な話でした?(スイマセン、中身全然知らないのに、いろいろ気を使い無理して突っ込んでしまいました。女性のことを書いてたものですから〔涙〕)

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6月 03 2013

夫婦のあり方

キリストは夫婦のあり方を次のようにもいわれています。

「妻たる者よ、その夫に服(したが)へ、これ主にある者のなすべき事なり。

夫たる者よ、その妻を愛せよ、苦(にが)きをもて之をあしらふな」(コロサイ書)

妻が夫に従うことは、キリストを信じ、キリストに従う者と同じで、キリストは神を敬うことを教え、そうして神の道を教えられたのですから、妻が夫に従うということは、それがそのまま神を信じ、神の道を行うということであり、神の心を表すことになるのです。

夫もまた、妻を愛することが、そのまま神を信じ神を愛することになるのです。特に夫は、妻の心を悩ませたり、苦しみを与えたりしないようにしなければならないのです。

そうして、次のようにもいわれています。

「夫はその分を妻に尽くし、妻もまた夫に然(しか)すべし。妻は己の実を支配する権をもたず、これをもつ者は夫なり。

かくの如く、夫も己が身を支配する権をもたず、之をもつものは妻なり」(コリント前書)

夫は、夫のなすべき分を尽くすということが、同時に妻を愛するということになるのであり、妻はまた、妻の与えられた役割を十分に果たすことが、夫を愛することになるのです。

夫が夫の役割を放棄することは、それが妻を愛さないということになり、妻が妻の役割を十分に果たさないことは、夫を愛していないということになるのです。妻は妻らしくあることであり、夫は夫らしくあることが、同時に神を愛するということになるのです。

「妻は己の身を支配する権をもたず、これをもつ者は夫なり」

ということは、妻は、妻自身の身体を自分のものだと思い、夫を無視して自分の気ままにふるまってはならないのであり、妻の身体をどのように支配し動かすか、その権利をもっているのは夫なのですから、妻は自分の身体を動かす時に、夫の心にそうように、夫の心を満足させるように動かさなければならないのです。妻自身の行動が、夫の心を苦しめるようであってはならないのです。

このようにキリストはいわれているわけですが、キリストの言葉を実践していられるご夫婦は、現在の日本に一体どれくらいいるのでしょうか?

よその家庭のことなど分かりませんので、どれくらいいるかは知りませんが、男女平等、同権などといっていては、このようなキリストの教えは百年たっても理解できないでしょう。ですから、そんなことをいう人が多ければ多いほど、キリストの教えのような夫婦は少ないのではないかと思われます。

妻が夫に従うということは、キリストの弟子たちがキリストに従うのと同じで、それは神の道を行うことであり、夫は妻を、妻は夫を愛することが、同時に神を愛することであり、夫は夫としての、妻は妻としての、役割を果たせとキリストはいわれているのです。そうして夫婦になれば、自分の身体は自分の身体であって、自分の身体ではないのですから、妻は夫を無視し、勝手気ままにふるまうなともいわれているのです。(もちろんこれは夫も同様ですが)

残念ですがキリストは、男女平等、同権などとは一言もいわれておりません。

世の中多くの家庭があり、それぞれ家庭内の事情があるのですから、妻が専業主婦でないといけないとか、絶対妻が主婦業をしなければいけないとかはいいませんが、一番大事なことは、家庭では、夫を一として夫に従えるかということです。これを無視して、妻が先に立ってあれこれ夫に指示を出すと、その家庭はもめるということです。まず夫を一としなければいけない、そこから家庭の調和は始まります。

キリストの教えに従うか、それとも昨今いわれる自由、平等、男女平等、同権という思想に従うかは(そうなると誰が主か分かりません。必然的に家庭内はまとまらないということになります)自分たちの勝手ですが、ただ、キリストの教えはもう二千年も言い伝えられています。

それが正しい教えだから二千年も言い伝えられているのではないでしょうか。(それとも高だかここ数十年の思想が正しいと思われますか?)

追伸…それにしても、意味深なはずしかたしたり、バチバチ当てにきたり、まったくいい読みしてます。(九割がた当てられてます)見た目そんな風に見えないのにねぇ…これだから女は怖い。(笑)

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6月 02 2013

夫婦別姓

そういえば、この前ニュースでもやっていましたが、夫婦別姓の裁判をやっていたようですね。(「夫婦別姓を認めない民法規定は憲法違反」と訴えた裁判でしたが、原告の敗訴に終わりました)

この夫婦別姓はよく議論に上るのですが、しかしこれは議論するまでもないでしょう。前にも書きましたが、夫婦別姓がいいのか悪いのかなど、すでにキリストが教えていられるからです。

キリストは次のようにいわれています。

「開闢(かいびゃく)の初めより『人を男と女につくりたまえり』『かかるゆえに人はその父母を離れて、二人のもの一体となるべし』さればはや二人にはあらず、一体なり。これゆえに神の合わせたもうもの、人これ離すべからず」

キリストは、人類が生まれた時から、神は人を男と女とにつくられた。しかし、その男と女が縁あって出会い夫婦となるなら、それはもう別々の男と女ではなく、一体なのである。そのような不思議な縁(それがすなわち神の合わせたもうもの)により出会い夫婦一体となったのなら、自分たちの都合などで勝手に別れてはならない、と教えていられるのです。

キリストが夫婦は一体と教えていられるのに、姓が別々では一体となりえません。したがって夫婦別姓は明らかにおかしいということになります。

キリストは愛を説かれました。姓が別々では仕事がしにくいだの、何かの時に面倒だの、あまりにも夫(または妻)に愛のない発言なのではないでしょうか。その程度のことより、愛する人と夫婦となって、同じ姓になれた喜びの方がはるかに勝るはずですし、また、どんな困難なことがあろうと、縁があって夫婦となったのですから、二人で乗り越えていかなければ、愛ある夫婦とはいえないのではないでしょうか。

それが、そんな小さなことで悩む方がおかしいですし、夫(または妻)との愛があるのであれば、その程度のことまったく苦にならず乗り越えていけるはずです。

最近の世論調査では「同じ姓を名乗るべき」と「婚姻前の姓を名乗るようにしてもかまわない」が拮抗し、若い人にいくほど夫婦別姓を、肯定的に捉えている傾向があるそうですが、それは教育を押しつけなどといい、自由平等、男女同権などを教え続けた共産主義(日教組)教育の弊害なのです。

そのような教育を受け続けていたため、若い人たちは夫婦の価値、夫婦の愛が分からなくなっているのです。(だから最近は簡単に離婚するのです)

共産主義教育に愛などありません。そこには自由、平等、同権などという居心地のいい言葉に隠された闘争しかないのです。(各自が自由、平等、同権をいいあったら、その人たちはまとまるでしょうか?絶対にまとまりません。そのような場所は、自分の主張だけしあう闘争の場としかならないのです。民主党がいい例です)

共産主義者は常に闘争に明け暮れるのです。そこには愛も調和もないのです。自由、平等、同権を各自がいっていては、絶対調和しないからです。だから私は、共産主義はもっとも神の心から遠い思想であるといっているのです。(神の思想は愛、慈悲、調和だからです)

このような問題は民主主義うんぬんの話ではないのです。何が正しく何が正しくないのか、それをしっかり分からないといけないのです。

世界がやっているから日本もそうしないといけない、ではありません。世界がやっているよいことはマネをすればよいですが、よくないことまでマネする必要はないのです。(むしろ夫婦別姓など勧めている、キリスト教国家に「キリストの教えをもっとよく勉強しろ」といってやればいいのです。〔笑〕)

私たちが参考にしなければいけないのは、キリストの言葉であり、釈尊の言葉なのです。(それが神の心だからです。すなわち一番正しいことだからです)決して世界ではありません。

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