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4月 29 2013

脳死移植

少し前のブログに、臓器移植はいけないと書いて、それこそ脳死移植などもってのほかと書いたことがありますが、なぜ脳死移植はもってのほかなのか書いておきましょう。

脳死(何らかの原因〔病気や事故〕で脳機能だけ停止し、人工呼吸器で呼吸ができ心臓も動いている状態)している人はまだ生きているからです。

ただ意識がないだけで死んでいないのですから、それでは生きている人間から臓器を取っているようなものです。それはもってのほかでしょう。

つまり脳死状態は、魂がまだ体から離れていないのです。

脳死移植はそれを無理やり離してしまうのですから(臓器を取ってしまえば完全に死にますからね、その脳死状態の人は)それは脳死した人はかないませんし、ヘタすれば、その臓器をもらった人に憑いてしまいます。(自分の体の臓器を勝手に取ったということで恨んでです)

そうなると、臓器をとられた人も、その臓器をもらった人も地獄です。結局両方が不幸になるということになるのです。

それに臓器移植をしても成功することは稀です。(移植した後、その移植した臓器が原因で病気をする人が多いはずです)これはなぜでしょうか?

その人の体に合うか合わないか、ということをいわれていますが、それは違います。体に合うか合わないかではなく、意識が合うか合わないかなのです。そのような人の臓器の一つ一つにもそれぞれ意識があるからです。

人で考えるならば、臓器移植とは日本に住んでいて、いきなり一人だけ他国に行かされるようなものなのです。その無理やり他国に行かされた人は、その国でうまくやれるでしょうか?うまくやれる人もいればうまくやれない人もいるでしょう。いきなり環境が変わるのですから、うまくやれない人の方が多いのではないでしょうか。だから移植された臓器は拒絶反応を起こすことが多いのです。臓器同士の意識が合わないからです。(比較的、親子や兄弟など身内の臓器移植に成功例が多いのは、身内の意識が似通っているからです。だから臓器同士の拒絶反応が少ないのです)

このようなことも含めて、どちらにしても臓器移植はよいことではないのです。

人は神から自分の身体を与えられています。その神から与えられた自分の身体を、勝手に他の人に与えてしまってはいけないのです。(その身体は、あくまで自分が神から借りているだけで、自分のものではないからです。借りているものを勝手にまた貸ししていいわけありません)どのような身体で生まれようと、そのいただいた身体に感謝して、一生を終えることが自分の最低限の使命であり、その神からいただいた身体に、不平不満をいうことは許されないのです。そのような身体に生まれたのも、自分自身で決めて神から借り受けたものだからです。(だから、自分の身体がどれだけ不自由であっても、その身体で一生を過ごさないといけないし〔あまり生きることができなくてもです〕その身体を勝手に他の人に与えてもいけないのです。今回の肉体修行は、神から与えられたその身体で始めて、その身体で終わると自分で決めているからです。自分の身体は一つであり、今生はその身体だけで一生を終えると決めているからです。誰もがです。人に身体を与える、あるいは人から身体をもらう、などという選択肢は入っていないのです)

だから臓器移植はいけませんが、しかし、では先ほど書いたような脳死の状態で、それでは何時死ぬか分からないその人を、ずっと家族は面倒を見ないといけないのか、家族の経済的負担も大きくなり、家族がダメになっても、その脳死状態の人が完全に死ぬまで、家族は面倒を見るのかという人もありますが、基本的にはそうです。

それはそうでしょう、家族なのですから、その家族を身内が面倒を見るのは当たり前のことです。だから家族が最後まで面倒を見ないといけないのです。

そういう家族の負担が大きいので、安楽死などの案も出ていますが、この安楽死も、この世的に見て安らかに逝ったように見えるだけで、実際は先に書いたような脳死移植と同じで、脳死している人の身体から、無理やり魂を離してしまうことにかわりはありません。だから当然してはいけませんね、安楽死など。

では、何時死ぬか分からない脳死状態の人を、完全に死ぬまで家族が面倒を見なければいけないということか、といわれれば「それはそうです」と答えるしかありませんが、このような脳死状態、あるいは植物状態(植物状態とは自力で呼吸ができ心臓も動いているが、意識だけがない状態)の人を、安らかに自然に逝かせる方法はあります。(法を知っている人なら、皆知ってると思いますよ)

しかし、それは今日の話の目的とは違いますのでここには書きません。(その方法が知りたいのでしたら、座談会にでも参加してください。その時に聞かれればお話します。座談会は五月十一、二十一日にあります。詳しいことは四月二十三日の“お知らせ”のブログをお読みください)

とにかく臓器移植などやってはならないのです。

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4月 28 2013

正しい歴史認識

昨日は安倍総理たちの車が、ちょっとした追突事故を起こしたそうですが、大事に至らなくてよかったです。今、安倍総理に倒れられるわけにはいきませんからね。安倍総理には頑張っていただきたいと思っています。

しかし、何時までも中国や韓国の外交政策に付き合っていても、進歩はありません。いい加減私たち日本人は、日本弱体化政策である“ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム”の洗脳から脱して、中国、韓国の外交政策などには、のらないようにしなければいけないでしょう。(そのための憲法改正はやはり必要だと思います)

例えばこの憲法改正でもそうですが、少し何かしようとすれば戦争になる、と考えるのは洗脳されているからなのです。

考えてみてください、大東亜戦争のような、あれだけ大規模な戦争が起きて、日本一国だけが悪いなど普通は考えられないのですが、それを日本の多くの人々は、日本一国だけが悪いと考えてしまっているのですから、これはもう洗脳以外の何物でもありません。

多くの人は、大東亜戦争が起きる大きな要因となった、西洋の東洋に対する植民地政策など考えもしません。(だからあの戦争は、大東亜解放のための大東亜戦争というのです)洗脳されるということは、まったくもって恐ろしいことなのです。(これが廬溝橋事件とか何とかにすりかえられているんですから怖いです。そんな小さな問題ではなく、もっと大きく考えないといけないのではないでしょうか。西洋の東洋に対する侵略、元々の原因はこれです)

だいたい原爆を落とされた方が“過ちは繰り返しません”といっているのですから、明らかに変です。(普通は落とした方がそういうはずですが、まったく逆です。有り得ない考え方ですね)

現在に至るも世界中で戦争は起きています。そうであるならば正しい見方、考え方をしなければ、それこそ同じ過ちを繰り返すのではないでしょうか。ただペコペコ謝っていればよい、それでは何も解決しないのです。(卑屈な態度を取り続けていて、何か物事が解決するでしょうか?)

中国や韓国から、戦争の問題を持ち出されるたびに、いつまでもこちらが弱気になり詫びて譲歩するなど続けていては、中国、韓国のためにもならないのです。そのような外交政策など一刻も早くやめさせなければいけないのです。

それには、一人でも多くの日本の国民が洗脳からさめ、日本は悪い国ではなかったと堂々と胸を張ることです。(実際にそうなのですから。正しい歴史は、やはりこの安倍政権で明らかにされることになるでしょう)そのような国民一人一人の考えが、大きく国を動かすことにもなるのです。

逆らえば戦争になる、このような有り得ない洗脳から早く脱し、どうしたら戦争はなくなるのか、それを世界中の人々と、堂々と議論できるようにならないといけないのです。

それには、一人一人が正しい歴史認識に立って、日本は日本の立場で、ものをいうことが大事なことであるということです。

追伸…二、三日前に中日新聞に“汚染水スピード浄化”という見出しで、汚染された水を浄化する新技術を開発した会社のことが紹介されていました。

少し前に私は、原発の汚染水を何とかする方法がある、と書いて、それっきりにしていましたが、あまり意味深なことを書いて、そのままにしておいてまた嫌がらせされてもいけません。(どっちみちされる時はされるんですけどね、嫌がらせは)

誰も法の勉強をしようとされませんが、このままほっておいて汚染水があふれ出してもいけません。天から何を教えられたか書いておきましょう。

天から教えられたこととはこのことです。(この中日新聞に紹介された会社かどうかは知りませんが)日本の国内で、汚染水を浄化(または分離)できるところがあるようです。

その会社に汚染水を浄化(または分離)させ処理すればよいとのことです。

本当はそれに祈りが加われば完璧ですが(七大天使の中に浄化の能力に秀でた大天使がいられますので)誰も法の勉強をしないのに、祈ることまで私がやることもないでしょう。

汚染水がきれいになるなら、別に海に流しても問題ないのではないでしょうか。一応このことだけは伝えておきます。

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4月 27 2013

遠交近攻(えんこうきんこう)

昨日は、列島が大荒れの天気になったようでヒョウまで降ったそうですね、去年の今頃を思いだします。去年のような天気(異常な集中豪雨や異常なカミナリ、ヒョウまで降って、最強の竜巻まで起きました)はご勘弁願いたいものです。

そのような天気に負けないくらい、日本外交も大荒れのようですね。北朝鮮の問題だけでなく、中国、韓国、ロシアと問題はたくさんありますが、それにしても安倍総理の思慮深さには感服いたします。伝説の軍師、諸葛孔明をも凌ぐのではないかと思えます。

…別に皮肉をいっているわけではありません。本気でそう思うからそう書いているだけです。

そうではないですか、今、安倍総理がされている、このような二重三重の外交政策などそうは思いつかないからです。

靖国問題でずいぶん国内は騒がしいのですが、総理もいわれているように、命をかけて国を守られた英霊を参拝するのに、他国から四の五のいわれる筋合いはありません。(誰が参拝しようとです)そんなものは明らかに内政干渉であり、そんな国のいうことなど聞く必要はないのです。

それに中国、韓国も本気でそんなこといっている訳ではありません。よく考えてみてください。日本は大東亜戦争で、アジアの国々に迷惑をかけたといわれますが、しかし、その戦死者が祭られている靖国神社を総理や閣僚などが参拝して、文句をいう国などアジアで中国と韓国しかないのです。(北朝鮮はともかく)

日本が大東亜戦争で、アジアの国々に迷惑をかけたのなら、他のアジアの国々の人も、国会議員が靖国神社を参拝したら文句をいわなければいけないのに、文句をいうのは決まって中国と韓国なのです。他の国はいわないのです。なぜでしょうか?

どの国の人であろうと、自分の国を守って戦死した人たちに祈りを捧げている人に、そんなことをするなという国はありません。これは中国、韓国の人たちも同じでしょう。では、なぜ、日本にだけ中国と韓国は文句をいうのでしょうか?簡単な話です。これは中国と韓国の外交政策だからです。しかも日本限定のです。

日本限定の外交政策だから、中国と韓国は日本にだけは、戦死者を祭っている靖国神社に総理や閣僚がいくと、文句をいって外交問題にしているのです。

だから、そのような外交政策をとっていなかった時(中国はA級戦犯合祀の時は何もいわなかったですし、韓国は廬武鉉政権以前)は靖国に誰が行こうが中国、韓国は文句をいわなかったのです。

対日本の外交政策として、靖国参拝を決めたから、靖国神社に総理や閣僚が参拝すると外交問題にして中、韓は文句をいっているのです。(だからアジアであの二国だけが靖国に参拝すると文句をいい出すのです)

その中国、韓国のただの日本限定の外交政策を、それとはっきりいってしまうと、また外交がもつれてしまうので、安倍総理はそれをはっきりいわず、外交政策で何とかしようと今のような少々強気な態度をとっていられるのです。

今、日本が中国、韓国と揉めて一番困る国はどこでしょうか?

アメリカでしょうか?それとも中国、韓国でしょうか?それとも日本でしょうか?

どこも違います。一番困る国は北朝鮮なのです。

そうではないですか、北朝鮮は相手をしてくれる国があるから、強気に振舞っていられるのです。逆にどこも相手にしなかったら、困るのは北朝鮮なのです。(だって、北朝鮮の状況など、明日にでも食糧やエネルギーが不足し出すかもしれないのです。ほっておかれるのが一番北朝鮮は困るのです)

安倍総理がいくら「北朝鮮は嘘ばかりつく国だから、まともに相手をしてはいけない」といっても、アメリカはじめ中国、韓国は北朝鮮のいうことを聞いてしまうのです。それぞれの国の事情があるからです。しかし、北朝鮮はまともに相手をしてはいけないのです。逆に相手をせず兵糧攻めにした方がいいのです。

そのようなことも考えるのであれば、今、中国、韓国と揉めるのは対北朝鮮外交を考えればよいことなのです。中国、韓国が日本を相手にしていれば、北朝鮮外交がおざなりになるからです。(それに今はアメリカもテロの問題で北朝鮮を相手にしている暇はありません)

安倍総理はそのような北朝鮮外交と中国、韓国の日本向け外交を正すため、今強気の姿勢を崩さず対中国、韓国の外交を続けていられるのです。あまり強気では戦争になるという心配をする人もありますが、なりませんね今は。それこそ北朝鮮が足かせになるからです。

北朝鮮は中国のいうことさえ聞いていないのです。今中国が日本と戦争を起こせば、北朝鮮が何をするか分かりません。当然アメリカも黙っていないでしょう。今の状況では中国が日本に向けて戦争など起こせるはずがないのです。

それが分かっているため中国は、必要以上に尖閣にちょっかいをかけてくるのです。(何とか脅しだけで日本を引かせたいのです。だから尖閣を「核心的利益」などといって脅しているのです)

それに安倍外交をかなり中国は嫌がっています。明日から安倍総理がロシアに行くということも、かなり影響しているでしょう。

だからなおのこと安倍総理が、中国、韓国に折れるわけにはいかないのです。もし中国、韓国に折れてしまえば、そのような対中、韓の外交だけでなく、ロシアとの外交もうまくいかなくなるからです。(それはそうでしょう、中国、韓国に折れていてロシアとまともに外交交渉ができますか?できるわけありません)

韓国はもちろんのこと、中国も尖閣に必要以上にちょっかいをかけることが、今できる精一杯のことなのです。(とにかく北朝鮮がネックです、どの国にとってもです)だとしたら、明日からの安倍総理のロシア訪問は、必要以上に大事な交渉となるでしょう。(北方領土の問題だけでなく、尖閣、竹島、対中、韓、北朝鮮に至るまで影響を及ぼします)

ロシアとはより親密になることを心がけるべきだと思います。

まさに遠交近攻ですね、それをされているのが、現在の安倍総理だと思います。

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4月 26 2013

この世の修行の難しさ

昨夜テレビのニュースで、お腹の中の子の病気や障害が分かる(病気や障害がすべて分かるという訳ではありませんが)新出生前診断のことをやっていました。

最近は医学が発達したものですから、何でもかんでもよく分かるようになりましたが、もちろんこんなことはやりすぎです。この出生前診断で、お腹の中の子の病気や障害が分かったから、お腹の子供をおろした人がいますが、いくら生まれてくる前だからとはいえ、こんなことをすればその人は人殺しということになります。

ここまで医学がやってしまってはいけないのです。生命倫理の観点から、様々な意見が出て混乱を招くのは当然でしょう、やってはいけないことまでやってしまっているのですから。

先にお腹の子の障害などが分かり、それで自分の子供をおろしてしまっては、自分の親としての使命を果たせなくなるだけでなく、その障害を持って生まれて、この世の修行をしようとしていた子の使命まで奪ってしまうことになるのです。これではこの世の修行にならないのです。

そのような子を産むには産むだけの理由(前に少し書いたことがありますが)が親にはあるのですから、どれだけこの世で、その子を産んで育てるのに苦労をしようと、それはそのような苦労をすることにより、その親も子も心が成長するわけですから、その親子はそのような体験をしないといけないのです。

それをさけてしまっては、まったくこの世の修行にならないのです。

本当に困ったものです。このような出生前診断など禁止すればいいのですが、そうもいかないでしょう。そうであるならば、せめてこのブログを読んでいる女性の皆さんは、これから子供を産むことがあるのでしたら、こんなことはやらないことです。結婚して子供ができれば、天の授かりものとして、妊娠したことを素直に喜んで「生まれてくる子は男の子かな、それとも女の子かな」と子供ができたことに感謝して、楽しみに待てばいいのです。

それが自然で一番いいのです。

最近は医学に関しても、あまりに不自然なことをしすぎています。いろいろいいたいことはありますが、あまりいってしまっても、まだ多くの人は法を理解していません。すると当然反発されます。あまり反発の心を強くもたれてしまうと、それが正しいことだと後で分かっても、なかなか受け入れるのに時間がかかります。やはり、時間をかけていわなければいけないことは、時間をかけないといけないのです。

もう一つだけ医学に関していっておきますが、臓器移植など今盛んにいわれます。この臓器移植など本当はしてはいけないのです。(このように書けば多くの人は反発します。だから時間をかないといけないのですが)

この臓器移植は、この世からだけしか見ていないからです。

「このような体では長く生きられない」「このような体ではかわいそう」と、この世の寿命を延ばすこととか、こういう体ではこの子がこの世を生きていくうえで不自由だから、というこの世から見た理由だけで、そのように多くの人がいっているのです。

しかし、そのような体でその子が生まれてくるには、生まれてくるだけの理由があるのです。(親の問題や自分の問題)

人は皆百歳まで生きれば幸せで、五歳や十歳で死ぬのは不幸と多くの人は思いますが、一概にそれはいえないのです。いくら百歳まで生きても、ずっと寝たきりであるならば、その人は幸せな人生であったといえるのでしょうか?

現在の人は、何でもかんでも長く生きればそれが幸せと思っている人も多いのですが、それはあくまでこの世だけの意見であり、人はこの世に生まれてくる時、様々なこの世での修行方法を選んで生まれてきているのです。

ある人は、どんなことがあっても百まで生きる、と決めて生まれてきた人もいれば(こういう人は百まで寝たきりで生活していても、それは自分の使命を果たしたことになります)ある人は十歳までこの世で修行し、あとはあの世に帰り、あの世で修行すると決めてきた人もいます。また、自分の親があまりに生活が不調和であれば、それに気づかせるため自分は早く死のうと決めてきた人もあるのです。(そのような人たちは、早く死ぬことで自分の使命を果たすことになります)

障害を持って生まれてきた子が、仮に十歳で死ぬことになっても、それはその子の使命(どうしても助けられない障害を持って生まれてきた子はですが)を果たすことになり、その十歳で死ななければならない子に、臓器移植などして、この世の寿命を延ばせば、逆にその子の修行の妨げとなるのです。(ちょっと考えてみてください、人の臓器を移植してまでこの世で生きるということになりますと、人の体を犠牲にして自分が生きるということになります。倫理上でも少しそれはおかしいのではないでしょうか)

人の臓器を自分に移植してまで、この世で生きていてはいけないのです。(まして脳死移植などもってのほかです。またその理由は書きます)

人はいろいろな修行の方法を決めてこの世に生まれてきます。この世に長くいることも勉強なら、あの世に早く帰ることも勉強なのです。

どれだけ苦労しても、この世でやらなければいけないことはやらなければいけないし、また、どれだけこの世で、その人と一緒にいたいと思っても、早く別れなければいけないなら、早く別れなければいけないのです。

この世の修行はそんなに簡単でも単純でもありません。非常に複雑で難解なのです。だから心の修行になるのです。

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4月 25 2013

心の勉強の大切さ

先に、科学者の説はすぐ変わるから、科学者の説をそのまま信じていてはいけない、ということを書きましたが、これは実際にそうで、例えば宇宙が何時できたのか?という説でもそうですが、現在は(宇宙はビッグバン〔大爆発〕から始まったという)「ビッグバン宇宙論」がいわれていますが、ほんの数十年前までは(宇宙は永遠で変化しないという)「定常宇宙論」がいわれていました。

わずか七、八十年前までは、この大宇宙は、最初から今のような状態で存在していて、永遠に変わらないといわれていたのです。

それが現在は、宇宙は百五十億年ほど前にビッグバンより始まった、といわれるようになり、宇宙は現在に至るまで膨張を続け、ビッグバンが起きる前の大宇宙は、時間も空間もエネルギーも物質もなにもない「無」であったといわれているのです。

科学者の説はこんなに簡単にひっくり返るのです。しかも百八十度近くです。(だって、宇宙は最初から今のような世界であったという説が、いきなり大爆発が起きて、時間やら空間やら物質やらが急に現れた、という説に変わるのです、驚天動地ですね)

そうして現在の多くの人がこの「ビッグバン宇宙論」をそのまま信じていますが、いきなり大爆発が起きて、そこから急に、時間や空間やエネルギーや物質が現れると思いますか?(私はこの説もそれほど長くいわれないと思いますが…)

どちらにしても科学者の説に絶対はないということです。

それに引き換え、釈尊やキリストの教えはもう数千年も言い伝えられ、現在においてもその教えは正しいとされ、多くの人が感化されています。

本当に正しいものとは、このようなものをいうのです。

つまり聖者(悟られた人)のいわれることこそ、本当に正しいものであり、それ以外の人のいうことは、正しいこともいえば、正しくないこともいっているということです。それは、どれだけこの世での勉強をしている人でもです。(どんなに有名な科学者や大学の教授であろうと、という意味です)

それは、この世の勉強をどれだけしていても、心の勉強をしていないからです。(もちろん心の勉強だけして、この世の勉強をしていない人もダメですけどね)この世の勉強だけしていても真の正しいことは分かりません。(先の科学者たちがいう宇宙論ではありませんが、この世でいっていることは正しいものもあれば、正しくないものもあり、それをごちゃまぜで覚えてしまうからです)

真の正しさが分かるにはやはり心の勉強は欠かせないのです。

本当の正しことが分かるには、天からの教えは欠かせないからです。それが一番秀でている方々が釈尊であり、キリストであるのです。(悟りを開いてこの世の成り立ちを自身で悟られ、天からの通信を常に受けていられる方々であり、神の力を自在に操る能力をもたれた方々)

だから、心の勉強は絶対にしないといけないのであり、それをしないで一生を終えるのであれば、この世に生まれた意味がなくなるのです。(この世のことだけしか理解せずに一生を終えることになるからです。ということは、この世の正しいか正しくないか分からないようなものしか学ばなかった、ということになるからです)

ですから、心の勉強をしていない人は、知だけに偏るか(科学だけを盲信するか)または、自分だけの世界にいて自分の考えがすべてであり、それ以外の考えを認めない偏狭者のようになるかのどちらかであり、これでは心は広がっていかないのです。

心の勉強をしていないと、本当の愛と慈悲の心が分からないのです。だから、人に嫌がらせや人が嫌がることでも平気でできるのです。また、人を傷つけ殺してしまうこともできます。自分の心に本当の愛と慈悲がないからです。自分のことしか考えないからです。人の気持ちがあまり分からないのです。

また愛の心があったとしても持ってる愛が、心が偏ってしまっているため偏愛でしかないのです。そうすると、自分の気に入った人には愛を出すが、気に入らない人には怒りしか出さない、ということになるのです。所詮は偏った愛でしかないからです。それは本当の愛ではないのです。

本当の愛とはキリストがいわれた「汝の敵を愛し、責めに憎む者のために祈れ」というものです。少し自分が気に食わなければ嫌がらせしてもいい、などというケチなものではないのです。(これなども自分に甘いだけの自分を愛しているだけの偏愛です)

本当の愛はそれこそ、相手であろうと自分であろうとその命さえかけて、相手の心の向上を願うのです。嫌がらせだの怪我をするだの命を落とすだの、そのようなことではありません。そのようなものをすべて凌駕して、それでも相手の心の向上を願うのが真の愛なのです。(愛しさも厳しさも両方備えているものが本当の愛なのです。本当に人を救うとは肉体を救うことではなく、心を救うことだからです)

このような、真の正しさ、本当の愛と慈悲というものは、心の勉強をしないと分からないのです。(この世の勉強だけでは、こんなことまで教えてくれないからです)

より深いことまで分かるのが心の勉強です。だから、心の勉強は大切なのです。

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