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6月 28 2011

次々に起きる異常現象

前回、災いは段々激しさを増していると書きましたが、本当にそうですね、少し前までは毎月毎月、観測史上最高やら最低やら出ていると書いていたのですが、最近は毎月どころか毎日出ています。

あの震度五の余震が起きてから(その日も長野が大雨になったのですが)その翌日は秋田で一日の雨量が観測史上最大を記録したところがいくつも出ました。そればかりではなく埼玉県の熊谷市では最高気温が39.8度を記録、六月としては二十年ぶりに最高気温が更新されました。その翌日は愛知県の岡崎市と岐阜県の多治見市でやはり六月の気温としては観測史上最高を記録し、その翌日は大分県の佐伯市で大雨になり時間雨量が観測史上最大を記録し、昨日はまた九州、四国に大雨が降りました。今日も東北や北陸は大雨になりそうとの予報がでていますが当然そうなるでしょう。

いよいよ来たか、という感じでもうあまり日本は先がないように思いますが、まだ、目先のことの方が大事なのでしょうか?

私と最初に縁があった、あるプロ野球選手は今年はちっとも調子が上がらず(二割前後の打率のようですが)現在も相変わらず調子がよくないようですが、まだ、分からないのでしょうか?

私に一言の挨拶もなしです。やはり今まで自分の力で打っていると思っていたようです。今、自分が一番やらなければならないことがまるで分かっていません。私は前に、これからは法に縁があるのに何もしない人は、その人個人に気づきが与えられると書きましたが、そのような現象が現れているとまったく気づかないのです。(そういえばゴルフの石川遼君も今年は今一ですがどうしたのでしょうか?)

まったく、どいつもこいつもという感じですが、どれだけ私がここでいっても理解しないようです。

しかし、ここに書いた通りの現象が次々に出ています。こんな分かりやすい現象を天が現しているにもかかわらず、誰も法を理解しようとしないのですから、もう滅びるしかありませんね。

これだけ毎日のように異常現象が出始めているのです。もうかなりやばい状況に現在の日本はなっている、ということはお分かりいただけると思います。(私がこれだけ書いているのです。少なくとも私のブログを読んでいる人は分かっていられると思いますが…)

何度もいいますが、やるべきことをやらないと天は日本を潰します。このような状況になってもまだ私の言うことを信じませんか?このままでは、これからまだ多くの災いが起き多くの人が死ぬのです。私が言う“法”を信じ行じないと天はもう日本を許さないのです。

その事実は原発一つとってみても分かります。

(全国各地の汚泥から放射能が検出されていますので)高濃度の放射能がどれだけ拡がっているかさっぱり分かりませんし、汚染水の循環システムが仮にうまく作動したとしても、福島に大雨が降ればいずれにしても汚染水はあふれるのです。現在の日本は観測史上最大の雨があちこちで普通に降っています。その大雨が今の状況ではいつ福島に降ってもおかしくはないのです。その大雨で汚染水があふれ出せば、日本は世界中から非難を浴びます。しかし、どれだけ非難を浴びようとどうすることもできません。(肝心の燃料棒を冷温停止できないのですから)

私たちは高濃度の放射能をすでに浴びているかもしれませんし、汚染水があふれ出せば、どのような経路で、私たちの体の中に高濃度の放射能が入ってくるかも分からないのです。

今のままでも十分日本は終わっているのです。先の心配ばかりして原発を止めろとがなっている人たちもいますが、原発事故だけ見ても、先が現在の日本にあるようには私は思えませんが…何かトンチンカンなことを言っていると感じませんか?

それに日本の被害は大震災や原発だけではありません、先月の五月からあちこちに大雨が降り出し(それまではカラカラ天気だったのですが)五月の末にはいきなりもう梅雨に入るわ台風はくるわで大騒ぎ、今月に入って皆が節電、節電と言い出したら、途端に暑くなって六月としての最高気温を次々に更新し、そればかりか相変わらず大雨は続き九州、四国、東北地方に大きな被害をもたらしています。

日本が先に進もうとすればするほど、ことごとくうまくいかず悪いことばかり起きてくるのです。何かおかしくないですか?

原発の問題でもそうですが、収束が全然進みません。それどころか汚染水の循環システムがどうやってもうまくいかないのです。

この汚染水の循環システムですが、奇妙なことが続いていますが気づいていられますか?

気づいている人はあまり多くないのかもしれませんが、もう何度か循環冷却を始めるたびに、少しするとどこかに不具合が見つかり停止しています。しかもその不具合が閉めてはいけないバルブを閉めていたりとか、つけるホースをつけ間違えていたりとか、なにか少し気をつければ分かりそうなものが多く、何でこんな時にそんな初歩的ミスをするの?といった理由が多いのです。不思議ではありませんか、こんな大事な場面でそんな初歩的ミスが続くのわ?

今回などはもっと奇妙です。今回の循環システムが停止した理由は原子炉に水を送るホースが途中で抜けていたことなのですが、事前の試験送水では問題なく水を流していたホースが、実際に汚染水を流し出した途端に途中で抜けて、そのほとんどの水が(すでに浄化はされていたようですが)外に流れ出してしまったのです。

奇妙だと思いませんか、試験送水ではまったく問題なかったホースが、肝心の冷却を始めようとした途端抜けてしまうということわ。

何か目に見えない不思議な力が邪魔しているとしか、私には思えないのですが…私のブログを読んでいる皆さんはどのように感じられますか?

なぜ、こんなことが起きるのか?それを書く前に、ここ一週間近くの間に私の周りで一体何が起きたのか、それを先に書きたいと思います。

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6月 26 2011

脱原発と気づかなければならないこと

前回、ここに書いたことにあまり異論を唱えると天が怒ります、と書いたら、いやはやすごい天気になりました。あの震度五の大きな余震が起きた日に、長野に大雨が降って、上高地に通じる県道と国道が大規模な土砂崩れにあい、上高地に千二百人が足止めをくらいました。その翌日(天が怒りますというブログを書いた日ですが)は今度は東北が大雨になり秋田や山形では大きな被害がでました。(秋田の何箇所かでこの日一日の雨量が観測史上最大になったとか)

そればかりか、梅雨前線がかかっていない関東から以西は、六月としては異常な猛暑となり、埼玉県の熊谷市では最高気温が39.8度となって、なんと二十年ぶりに六月の最高気温を更新する事態となりました。中部地方など昨日も愛知県岡崎市で35.2度、岐阜県多治見市で35.4度の最高気温となり、ともに六月としては観測史上最高を記録したのです。(おかげさまで名古屋も暑かったです…一体誰のせいでしょう?)

おかしなものです、皆が脱原発を支持し節電に心がけている年に限って(観測を始めて百十三年間で一度もない異常な暑さとなった)去年以上の暑さを、すでに六月の時点で記録しているのです。(ずいぶんおかしな現象がでていますが脱原発は本当に正しいのでしょうか?)

先日、中日新聞に女川原発の記事が載っていました。

私も自分のブログに女川原発のことを書いていて、ちょうど女川原発のことが気になっていたので、ナイスタイミングでした。(笑)

もちろん記事の内容は私の意見とは正反対で脱原発です。(どの新聞もそうでしょう、そのような世相ですから)

この記事によりますと、女川原発もやはりあの三月十一日、福島原発と同じように地震と巨大津波に襲われたと書いてあります。地元の町や集落は壊滅状態で女川原発はかろうじて深刻な事故は免れたそうです。

東北電力は「安全性の確保の仕組みが有効に機能し、安全に停止することができた」といっているのですが、中日新聞はそれは幸運にすぎないと書いています。その理由をいくつか書いていますが、いずれにせよ女川原発は、想定以上の津波が襲ったにもかかわらず深刻な事故にはならなかったのです。そのすぐ後の四月七日にも、すぐ近くを震源とする大きな余震に女川は見舞われたのですが、その時も少々の火災はあったにせよやはり大きな事故にはなりませんでした。(こんな近くを震源とする大きな余震まであって大きな事故になっていない、これも幸運なのでしょうか?)

この福島と女川の差は何でしょう?運がよかったからだけなのでしょうか?

それで十分です。運がよかった…ということはこの世の物質科学では説明できないことです。

では、逆にお聞きしたいのですが、どれだけ完璧なものをつくろうと事故を起こすときは起こします。これはどのようなわけなのでしょうか?

それは運が悪かったといわれるでしょう。

まだ、お分かりになりませんか?この世のどんな完璧なものでも運が悪ければ事故が起き、運がよければ事故が起きないのです。ということは、その運ということがより重要になってくるのではないでしょうか?その運をずいぶんあやふやなものと多くの人は捉えていますが、その運とは何でしょう?そんなあやふやなものを、事故が起きた時と起きなかった時の理由に使うなど、ずいぶんいい加減な話ですね。

しかし、それは本当の運の意味を知らないのです。多くの人は運という意味を何も理解せず使っているのです。

運とは、それが天の作用なのです。簡単にいえば女川は天に守られ、福島は天に守られなかった。それが女川と福島の違いなのです。では、何で福島は天に守られなかったのか、ということを知らないといけないのです。

今回の福島の原発事故は、原子力の安全性や危険性を教えるために起きたわけではないのです。福島の原発事故は、なぜ、これだけ深刻な状況に陥っているのか、その本質を理解しないといけないのです。

今の脱原発は、ただ原子力は危険だ、安全性が証明されない、という原子力の危険性ばかりを強調して言われ、原子力の恩恵を認めようとしません。そのような偏った見方をして脱原発などいってはいけないから、天が今のような現象を起こしているのです。

何度もいいますが、神から与えられているエネルギーを差別してはいけないのです。皆、正しく感謝して使えば必ず私たちに益をもたらしてくれるのです。

今の脱原発の理論は間違った考えで進めてられているのです。(原発を全部止めても節電すれば電力は足りるという人もいますが、ギリギリの電力では経済にせよ科学にせよ発展していかないでしょう、病院などもっと心配ですし、やはりエネルギーは少々余裕があった方がいいのではないでしょうか)

今のまま日本が脱原発を進めて、原発をすべて止めてしまっては半年一年先に日本は大変困ることになるのです。そのことを天はすでに知っていますので、今のように節電している時に限って、いつもの年より以上に気温を上げて、その間違いに気づかせようとしているのです。(今、日本で脱原発をいう人は半年一年先の日本がどのようになるか分かる人がいるのでしょうか?)

でなければ何で節電、節電といわれているときに限って、こんな猛烈な猛暑になるのでしょうか?(これも偶然ですか?だとしたらずいぶんタイミングのいい偶然です)

よいことをしているのになぜ悪いことが起きてくるのか?本当によいことをしていて悪いことが起きてくるというなら、ずいぶん神は意地が悪いですね、神はそんな意地の悪い存在なのでしょうか?残念ではありますが、そんな意地の悪い神などいません、神は慈悲と愛の塊の存在なのです。その慈悲と愛に多くの人は気づいていないのです。現在の多くの人々は、悪いことをしているから悪いことが起きてくるのです。

多くの人の脱原発の考えが間違っているのです。だから天は、こんな考えで脱原発などやっていては日本は立ち行かなくなることを知っているため、わざと節電をあざ笑うかのように異常な暑さをもたらして、警告しているのです。

今、脱原発を言っている人たちは間違っているのです。それを大自然から学ばなければならないのです。

私は自分の意見をここに書いているのではありません、天の心を書いているのですが、何度それをいっても理解してくれず(私のブログを見ているある人に)テレビで皮肉まで言われる始末です。現在の私は天の心をここに書いているのです。ということは天とはツウツウということになります。皮肉を言われれば(私はそれほどまだ人間ができていませんので)カッとします。一瞬でもカッとなればそれが即座に天に通じてしまいます。一変に現象が出てしまいました。

それがあの大きな余震から始まった、大雨、異常な猛暑ということです。(私に皮肉を言った人は)もうそれを理解していただいていると思いますが、まだ、理解できないのでしょうか?わたしは前に、聖書に出てくるエリシャのことを書いたことがあります。本物の神の使いをバカにすれば子供といえども殺されてしまいます。とりあえず私も本物です。あまり本物に皮肉など言わない方がいいと思います。(大勢の人が迷惑しますので)

私に協力してくれる人がちっとも現れませんが、それでいいのでしょうか?天は私に多くの人が協力してくれるまで災いを続けます。その災いは段々激しさを増しています。

誰も法の流布に協力しようとしなければ確実に日本は滅ぶのです。

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6月 24 2011

不思議な現象②

いつもと様子の違うすずめが、ピィーピィー鳴いて飛び去って行った後、しばらくすると遠くの木々がザワザワしだしました。

「ンッ」と思って、その少し遠くにあるザワザワしだした木々を見ていると、何か小さな米粒のような生き物がたくさんピィーピィー、チュンチュン鳴いて木々の間を飛び跳ねています。「何だあれ?」と思い、その木々を見ていると、その米粒のような生き物が木々を渡ってこちらに来ます。よく見るとその米粒のような生き物は皆すずめでした。

しかし、その数が尋常ではありません。ものすごい数なのです。

「ゲッ、まさかあれここに来るわけじゃないよな」と思っていると、そのすずめの集団が私が座っているベンチの前の木で止まったのです。「うそ」と思っていると、その木に止まっていたすずめが二~三羽私の前に下りました。

それを合図に、その木に止まっていたすずめたちがパタパタ私の周りに下りはじめたのです。(十や二十ではありません、百羽近くいたのではないでしょうか)アッという間に私の周りはすずめで埋まってしまいました。それにしてもすごい数です。

周りで餌をついばむすずめや砂浴びを始めるすずめ、ケンカしているすずめもいてピーピー、チュンチュンにぎやかなことです。私の座っているベンチに乗ってくるすずめもいます。私の前にいるすずめ五~六羽が私の方を見て飛び跳ねています。そのすずめに向かい「お前ら、何考えてんねん」(なぜか関西弁で)と思わず文句を言ってしまいました。(笑)

私の周り一面すずめだらけです。(さすがにこれだけのすずめが集まると気持ち悪いです)一体何が起きているのか私にはよく分かりませんでした。鳥に餌をやっている人をよくこの公園では見かけますが、そんな人でも鳩やすずめがせいぜい二~三十羽も集まればいいところです。それが、私の周りにすずめだけが百羽近く集まっているのです。異様といえば異様でしょう。不思議といえば不思議です。

「何で餌をやるわけでもないのにこんなにすずめが集まるんだ?」私には不思議でなりませんでした。こんなことが一度や二度あったということではありません。何度もあったのです。ある時など、私の周りに多くのすずめたちが集まっていたそばを小さな女の子が通りました。その女の子が私の周りにいるすずめたちを見て「ワァー、ここすずめがすごくたくさんいる」といって、こちらに駆け出してきたからたまりません。

それに驚いたすずめたちがいっせいに飛び上がったのです。いくらすずめとはいえ百羽もいるのです。すごいほこりです。私は思わず「チョ、オイ」とすずめたちに突っ込んでしまいました。(笑)

なぜか分かりませんが、最近の私にはこのようなことも起こり、釈尊が説法をされると、そこに住む鳥や動物もよってきて聞き入っていた、ということを言われますが、そのようなこともあったんだろうなと、自分の体験を通してそれを知ることができ、ブッダの法が世に現れるときは同じようなことが起きるのだなと実感させられます。

すずめのような小さな鳥たちは、その人が持つ雰囲気や心には特に敏感でしょう。おかしな雰囲気を持つ人や、心がゆがんでいる人には決して近づかないでしょう。(餌を与えているわけでもないのですから)ある程度は丸く豊かな心にならないと近づいてこないと思います。その臆病なすずめたちが私には平気で近づいてくるのです。というよりも喜んでよってくるのです。このような現象を見ても自分がやっていること(書いていること)に間違いはないな、と思えるのです。

間違っていることを書いていて心が丸く豊かに成長するわけがありません。天の心を正確に表わしているから、ブログを書いているだけでも心が成長していき、心が丸く豊かになってきたから、今まで近づいてこなかった小鳥たちも平気で近づいてくるようになったのです。

ここに書いたことが現象化したり、多くのすずめたちがよって来るなど、まるで聖書や仏典に書かれてあることが、そのまま私の周りで起きているようで不思議でなりません。

私の周りでは(まだいくつも不思議だなと思えることが起きているのですが、あまりそんなことばかり書いても現実離れしてしまいますので……もうすでに現実離れしているのでしょうか?)法の正しさを証明せしめるような出来事がたくさん起きています。

やはり私がここに書いている法は、多くの人に知ってもらった方がいいし、勉強すべきものであると、いろいろ自分に起きている体験を通しても確信することができます。

何度も同じことを書きますが、一人でも多くの方がここに書いている法を勉強され、そのような体験を自分自身で知っていただきたいと思っています。

キリストは「神の合わせたもうものは、人これを離すべからず」といわれています。キリストが言われている「神の合わせたもうもの」とは縁のことを言われているのです。縁とは人が定めるものではなく神が定めたものなのです。

その縁があって、私のブログを見ている人たちは、今生、神の引き合わせによって法を知ることになったのです。その縁を大切にしていただきたいと思っています。

法を勉強したい、法を拡げることに協力したいと思われる方はぜひご連絡ください(賛助会員となってくださり、名前をスポンサーのページに載せていただくだけでも、私のブログの真実度が増します。一人でも多くの方がぜひご協力お願いします)それが自分自身を救い、ひいては日本をも救うことになるからです。

(昨日岩手沖で、震度五弱のずいぶん大きな余震があったようです。最近の余震は震度三程度でしたが急にどうしたのでしょうか?〔幸い今回は原発に影響がなかったようです。あくまで今回は、ですけど〕皆さんが脱原発に向かい節電などして頑張っているのに、この大きな余震はどういう訳でしょう?何か多くの皆さんが間違いでも犯しているのでしょうか?何度も言いますが、このブログには天の心を書いています。あまりここに書いたことに異論を唱えると当然天は怒りますよね)

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6月 22 2011

不思議な現象①

九州は大変な雨になっているようです。宮崎、鹿児島では場所によっては降り始めからの雨量が千五百ミリを超える所もでているとか(当然観測史上最大でしょう)去年も異常気象といわれ同じ宮崎、鹿児島で千ミリを超える雨量の所もありましたが、今年はまだ梅雨の半ば(もう九州など例年の二倍の雨が降っているそうですが)でこの雨量ですから、これからまだどれくらいの雨が降るか分かりません。同じ異常気象が起きているとはいえ今年は去年などとは桁が違っているようです。(どう考えても異常気象のレベル超えてます。まだ私にご協力願えませんか?)

相変わらずおかしな現象も続いています。先日、名古屋の中川運河や堀川でも多くの魚が死んでいるのが見つかったのですが、金沢市の浅野川でも一万匹以上の鮎が大量死していたとのこと、まったくおかしな現象ばかりが起きています。(原因不明だそうですが)

おかしな現象といえば、私の周りでも不思議な現象がいろいろ起きています。

最近、自分自身も少し心が変わってきたと感じているのですが、私に起きていることも不思議だなと思えることが多いのです。

このブログに書くことが妙に現象化しているようにも感じますし、一番不思議だなと思うことは、このブログを書いていることです。書いていることが不思議?というのもおかしな表現ですが、実は私、ここ一ヶ月くらい前から、ブログの内容などほとんど考えていません。

自分で考えるのではなく、ブログの内容が勝手に心に浮かんでくるのです。それを私はできるだけ分かりやすくこのブログに書いているだけなのです。前からそのようなきらいはありましたが、最近はそれが特に顕著になってきました。

そればかりか、私が書いている最中に、自分の心から出てきた思いで自分も気づくということもあり、一体これ誰が書いているんだ、と思うこともよくあります。後で自分のブログを読み返してみると、アレ、この箇所誰が書いたんだろうと思えるところもあり、このブログ、私が書いているのか、それとも他の人が書いているのか分からなくなる時もあり、よく不思議だなと自分でも思っているのです。(何かおかしないい方ですね)

例えば前回、なんでこの時期原発の話題なんだ(しかも世相から考えれば真逆の意見です)と、自分の頭では「今、原発でこの内容はやばいでしょ」と思うのですが、心からはそれしか出てきません。仕方がないので書きましたが、今考えると、停止中の原発の運転再開を原発立地県の知事たちが皆反対しています。このままの流れで原発を次々に止めてしまったら、日本は後々大変なことになるということを、天はすでに知っていますので、私に原発の問題を書かせたのだなと分かるのです。(福島の問題があるので、知事の立場では反対するしかないということも分かりますが、このままでは後々日本は大変なことになります。〔天もそう教えています〕福島だけを見ていてはいけないのです。福島と女川両方見て答えを出さないと間違ってしまうのです。もし知事たちが判断を誤れば私たち一般家庭はともかく、病院や企業は大変なことになります。くれぐれも冷静な判断をしていただきたいと思っています)

とこんな感じで、今なぜこの話題と思っても、ああやっぱりあの時このことを書いていた方がよかったのだな、と後で分かる時もあり本当に不思議です。(何度不思議といえば気が済むのでしょう。というよりも天の導きに感謝しています)

ところが、このような状況になり始めた一ヶ月ほど前から、実はもう一つ私の周りで不思議なことが起こり始めたのです。

その不思議なこととは、私は(午前中はブログを書いていますが)午後から暇になるので公園など行って時間を潰しています。(何しろ仕事がないものですから、たまに問い合わせの電話がかかってくるくらいです)

私は名古屋の国際会議場がある白鳥公園によく行くのですが、ここはずいぶん広い公園で、緑もたくさんありボーと座っているには最適です(笑)。その公園には鳩やらすずめやらたくさんいるのですが、何ヶ月か前からその公園にいるすずめが一~二羽私の近くによってきて、私の周りでピョンピョン跳ね回り、私の顔をジッと見ているのです。

私はそこにいる鳥たちに餌をやったことなどありません。(鳩やすずめは害虫を食べてくれるので餌などやってはいけません)餌をやるわけでもないのに、何度もその公園に行っていると顔を覚えるようで、そのすずめたちは私になついているようでした。

そのすずめに「元気か」とか「オイオイ」とか声をかけると体をブルブル震わせたり、私の周りを跳ね回ったりして喜んでいるのがよく分かります。すずめとはいえかわいらしいものだなとも思い、その公園に行くのが楽しみになったのです。

ところが、この一ヶ月前くらいからでしょうか、たまたまその日は別の公園に行ってベンチで座っていたのですが、すると、私の前にまたすずめが二~三羽下りてきて、私の顔をジッと見ていたり、私の周りをピョンピョン跳ね回ったりしています。

一時間ほどその公園にいましたが、その公園にいるあいだ中、そのすずめたちは私の周りに入れ代わり立ち代わり飛んできて私から離れようとはしませんでした。誰かあそこですずめに餌付けでもしていて、その人と私をあのすずめたち間違えているのかな、とも思って、最近のすずめは人懐こいねとも思っていたのですが…それから数日して、また私は別の公園に行ったのですが、するとまた私の前にすずめが一~二羽下りてきました。そのすずめたちも、やはり私の周りを飛び跳ねて私から離れようとしないのです。

さすがにこんなことが三度も続くと「アレ、何か変だな」と思えてきました。「何でこんなにすずめが寄ってくる?」私は不思議でしたが、実は私がよく行く白鳥公園ではもっとすごいことが起きていました。

最近よくすずめが寄ってくるな(といっても行く公園、行く公園ですずめが寄ってくるわけではありません。三~四の公園でだけですが)と思い始めた一ヶ月くらい前からでしょうか、私が白鳥公園に行くと何かすずめが騒がしいのです。たくさんのすずめがよく私の周りを飛び回っていました。何か騒がしいなと思いつつ白鳥公園に行っていたのですが、ある日のことです。

その日はずいぶん天気のいい日でしたが、その日私がベンチに座ると、しばらくすると一羽のすずめが近くに飛んできました。また、いつものすずめかなと思い「オゥ」とそのすずめに声をかけました。ところがその日は何かいつもと様子が違います。私の近くに飛んできて私の顔を見ていたそのすずめは、ピィーピィー騒ぎながらすぐどこかに飛んで行ってしまいました。「何だ、冷やかしかよ」と思っていると、少しすると急に遠くの木々がザワザワしだしました。

「ンッ」と思ってその木々の方を見ていた私は「ゲッ」と思ったのです。

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6月 20 2011

科学的根拠②

福島も宮城も同じように原発があり同じような被害を受けました。(宮城の女川原発の方が私ははるかに強い衝撃を受けていると思いますが、女川はそればかりではなく、その後もすぐ近くを震源とする大きな余震までありました)ところが、福島はあのようにひどい原発事故が起きたのに、宮城の女川原発は少々の事故はありましたが、すぐその事故も収束しほとんど被害らしい被害はなかったのです。

福島の原発被害を考えるなら、(受けた衝撃は女川の方がはるかに強かったはずですから)女川は福島以上にひどい状態になっていてもおかしくはないはずですが、福島原発だけが今のようなひどい状況に陥っています。

なぜ、これほどの違いが出たのでしょうか?

これを物質面からだけ見ているとさっぱり分かりませんが、精神面を見ると、その県民の皆さんの心までは分かりませんが、少なくとも県の知事の心には大きな違いがあるのが分かります。

福島県知事は、元参議院議員で無所属であったとはいえ社民や民主の推薦を受けていました。一方宮城の知事は元宮城の県議で自民党に所属していました。

ということは福島県知事は(私が前に書きましたように)やはり共産主義の心を、大なり小なり持っているのではないでしょうか。それに比べて宮城県知事は元自民党の県議です。自民党に所属していたから共産主義者ではないとは言いませんが、私はこの宮城の知事は共産主義思想を持っていなかったと思います。

その心の差が出たのです。

園頭先生は「共産国だから原発が爆発したのだ」とソ連のチェルノブイリ事故のときに話していられました。

共産思想は神を認めません。そればかりではなく共産主義は自由平等を宣言し、元々ある秩序を破壊し人の役割をなくします。(実際は独裁者が支配するのですから不自由で不平等なのですが)ことごとく神の心に反しているのです。

このような心を持ち続けていると大きな気づき(災い)が与えられます。それが原発事故という形で現れたのです。

福島の原子力があれだけ暴れているのです。私は県知事だけでなく、その県民も共産主義思想を持っている方が比較的多いのではないかと思われます。ですからあのような原発事故で苦しめられているのです。(放射能の被害だけでなく風評被害まで)

これは私の憶測で書いているのではっきりしたことはいえませんが、一度機会があれば福島の原発被害で非難している人たちに、精神面のアンケートをとったらどうでしょうか?(別に福島の人たちだけに限りませんが)きっと何か分かると思います。

もし、私がここに書いたような福島県の人々は、共産主義者が多いと言うことになれば、その心を直せば原発事故など起きなかったわけだし、原発もそれほど危険でないと分かります。(それに現在起きている原発事故の対処にしても、心のあり方で大きく結果が変わってくるのです)

この一点だけでは分かりませんが、今までまるで問題にされていなかった多くの人の心の部分を、いろいろ多方面から調べてみると、必ず、その場所に何でそのような大きな災害が起きたのか分かってきます。ぜひ、そのようなデータをとって調べていただけたらと切に思います。

私はいろいろな災害が起きる根拠を物質科学より精神科学(現在言われている精神科学は自然科学とか哲学を言われているようですが、私の言う精神科学とは法のことであり、ブッダの法こそ正真正銘の精神科学であると思います)の方に比重をおいた方がはるかに正確なことが分かると思います。

その精神科学(ブッダの法)的にいうのであれば、原発がそれほど危険であるとは私は思えません。女川原発は福島以上の大きな地震に何度も耐え、津波の被害にもあったにもかかわらず、大きな事故には繋がっていないのです。それほど原発が危険なものであるならば、女川は(福島以上の衝撃を受けているのですから)福島以上にひどい状態になっていなければなりません。しかし、女川はまったくそのようにはなっていないのです。

なぜ、このように同じような災害に見舞われたにもかかわらず、結果に違いが出たのでしょうか?この世に現れる現象には必ず何か意味があります。その起こされた現象を通して天の心を知らないといけないのです。

私たちは福島と女川を見比べてそれを理解しなければならないのです。神がつくられたものに危険なものなどないのです。神の心と同じ平和に利用されているのであれば、どれだけ巨大なエネルギーであろうと、すべて人に協力してくれるのであり、その心さえ間違わなければ、私たちはもっともっと便利で快適な生活をこの世で送ることができるのです。

この現象を通して理解しなければならないことは、神が私たちに与えてくれるエネルギーはどれも同じである、ということです。その危険性だけを見て差別してはならないということです。

現在の世界的に高まっている脱原発を思う多くの人の心はどこにあるのでしょうか?ただ原発は危険だ、危ない、だから廃止しろという安全性重視の心ばかりがあるのではないでしょうか。安全性はたしかに大事な話です。しかし、原子力にせよ、火力にせよ、太陽光にせよ、すべて神からいただいているエネルギーにはかわりありません。今まで受けた原子力の恩恵に感謝の心も持たず、そのような危険な部分だけ捉えて原子力を忌み嫌い原子力を廃止しろ、という見方は間違っているのではないでしょうか。まず、神が与えてくださったエネルギーに対し感謝する、原子力に感謝する、という思いが先なのではないでしょうか。

日本も福島の事故だけを見て、原子力は危険であるということだけで、原発を廃止する方向に持っていけば、必ず後で大きなしっぺ返しを受けることになります。

そうではなく、まず原発に感謝して、そうして別なエネルギーも考えていこうということであるならば、必ずしも間違っているとはいえないでしょう。(もちろん原発の利権や電気の利権の問題などまったく別の話です)

何をするにせよ心のあり方を間違えれば不幸な道に進むことになります。

神の心、天の心がどこにあるのか、それを知ることがもっとも大事なことであるといえましょう。

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