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4月 23 2010

園頭広周師②

園頭先生が鹿児島商業に入学され、しばらくたったある日のこと、役所に行って戸籍謄本をもらってくるよういわれます。役所に行き渡された戸籍謄本を一目見た園頭先生は、頭をハンマーで殴られたようなショックを受けます。

それは、渡された戸籍謄本の中に園頭先生が「私生子」と書かれてあり、私生子を二本の棒で消し「庶子」と書かれてあったからです。それに園頭先生の生年月日は、大正七年二月二十日であるのに父と母の結婚入籍は、大正十二年になっていました。

今まで何の疑いもなく、自分の親だと信じてきた父母が本当の自分の父母ではなかった。それを知ったときの園頭先生の驚きと悲しみは、いかばかりであったでしょう。このことがあってから、園頭先生は自分の父や母に甘えられなくなっていき、ほしいものがあってもよほどのことがない限り「買ってほしい」といわなくなり、遠慮深い性格になっていきます。この遠慮深い性格が、高橋先生と出会われてからも続き、それが高橋先生が後継者をはっきり指名できない事態へとつながっていくのです。

この「私生子」という問題は、園頭先生のご両親は恋愛結婚だったのですが、その結婚を父方の母親が許しませんでした。それで仕方がないので園頭先生が生まれると、母の私生子になって母方の戸籍に入れられたのですが、園頭先生が小学校に入る頃になり、やっと父の母親も結婚を認め、そのためご両親が結婚されたのが、園頭先生の生まれた後になっているのでした。

園頭先生は自分の父母が本当の父母と分かり安堵されたのですが、この事件は園頭先生の人間形成に大きく影響することになります。園頭先生が弱い者の味方になり、なんとかそのような人を幸せにしたいと思うようになった性格も、非常に遠慮深い性格も、私生子という弱者に置かれたことによるものでした。

園頭先生は戸籍謄本の事件があってから、一層「人間はどこから来てどこへ行くのか」という疑問が深くなっていきます。そんな時一家の大黒柱である園頭先生の父が病気になり入院することになりました。このとき園頭先生は十四歳でした。

十四歳の園頭先生は、八人兄弟の長男であったため、父が死んでしまったらどうしようと、ついつい最悪のケースを考えてしまうのでした。そんな追いつめられた園頭先生の気持ちが神仏を求めることになります。

園頭先生は現在の境地を何とか救ってもらおうと、浄土真宗のお寺に行き、事情を話し救いを求めましたが、その坊さんの答えは無情なものでした。

「おなたのお父さんの病気は因縁です。全ては因縁ですから全てありがたくいただかなければならないのです。人間はこの世では救われません。人間は苦しむために生まれてきたのです。だからこの世を娑婆(しゃば・苦の世界)というのです。どんなことをしてもこの世では救われないことになっています。だからこそ後生の一大事を願ってお念仏(南無阿弥陀仏)を唱えるのです。そこに親鸞上人様のお慈悲があるのです」

と答える坊さんに園頭先生は、

「お坊さん、私はこの世で幸福があるほうがいいのです。もし、父が死ぬことになったら、とても七人の弟や妹たちを育てていくことはできません。この世で救われる方法はないのですか」

と質問されましたが、その答えは空しいものでした。

「残念ながらそういう方法はない。この世は苦しむためにあるのです。だから死んだら極楽へいけるよう一生懸命念仏を唱えなさい」

このように答えられる坊さんに園頭先生は落胆されます。

余命いくばくもない老人ならまだしも、これから何十年も生きていかなければならない若者にとって、人生は苦の連続でこの世では救われない、あの世で救われるために念仏を上げろというのでは、あまりに酷な教えといわざるを得ませんでした。

その一方で、この坊さんは霊はないといわれるのです。霊がないのならどうやってあの世で救われるのか。なぜ、霊がないのに念仏を上げ先祖供養をするのか。何もないところに祈っても意味がないし、そんな何もないものに念仏を上げ、お布施をもらっている坊さんとは詐欺師なのか。

こんな矛盾に満ちたことを平気でいっている坊さんにあきれ、十四歳の子供でも感じる疑問を、他の大人たちは感じないのか、園頭先生は不思議でなりませんでした。

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4月 22 2010

園頭広周師①

園頭広周先生著「現代の釈尊 高橋信次師」より抜粋します。

<高橋先生から電話がありまして、こういう所に園頭(そのがしら)という人がおられる。この方は私にとっては非常に大事な人であるから、電話などでいってはいけません。一人で行ってもいけません。誰かと二人で行って、私がぜひ会いたいといったと伝えてくださいということでした。高橋先生は三月十三日、GLA関西本部で講演されます」

来てくださったのは、当時のGLA関西本部事務局長中村勇氏夫妻であった。GLA関西本部というのは、霊友会の分派であった瑞法会(ずいほうかい)が、教団を挙げて帰依(きえ)してGLA関西本部となっていたのであった。

当日、私は少し早目に行って待っていた。「お手紙差上げました園頭です」と挨拶すると、高橋先生は随行(ずいこう)の人に顔を向けて、「園頭さん、あなたが私の所に来るということは、僕は五年前から東京の人たちに予言していたのです。ね、そうでしたね」といわれた。随行の人は「そうでした」とうなずいていた。

五年前というと昭和四十三年で私はまだ「生長の家」本部にいた頃である。しかし、すでに「生長の家」をやめる腹は決めていたが、ただやめる時を選ぼうと思っていた時であった。

やめて高橋先生の下に来るということはすでに目の見えない世界で決まっていたのだ。過去・現在・未来のすべてがわかるというこの先生について、これからもっと多くのことを学びたいと、よき師にめぐり会えたことを喜んだ。

「園頭さん、あなたは宇宙即我を体験したことがありますね」

それまで誰に話しても理解してくれなかった昭和十五年六月の中支の第一線陣地で体験したことを、高橋先生はすでに知っておられた。

私がどういう体験をし、「生長の家」でどのようなことをして来たか、私が話したわけではないのにすでにすべてを知っておられた。>

高橋先生の弟子の中で、高橋先生がわざわざ二人も人をやって、「ぜひ会いたい」と託(ことづ)けされたのは、この園頭先生以外ではいません。高橋先生の弟子の中でも、やはり別格であったということが、このような高橋先生の態度でも分かります。しかし、それが分かっていたのは、高橋先生お一人であったということが、後の悲劇へとつながっていくのですが……。

園頭先生は、大正七年鹿児島に生まれられます。

園頭先生は十歳の頃からある疑問を持つようになります。それは「人は何のために生まれてきたのか」ということです。

近所の大人たちに聞いたのですが「生まれてきた以上死ぬわけにはいかないし、なぜだろうね」というような要領を得ない答えばかりで、十歳の子供でも考える人生の意義を、しっかり考えもしない大人が多いことが、園頭先生には不思議でならなかったそうです。

園頭先生は、小学校を卒業するとき「学術優等」の賞状をもらい、鹿児島商業にトップの成績で入学します。園頭先生は当時から大変な勉強家で、授業の合間の休み時間でさえ無駄話などせず、勉強していたといいます。そればかりか学校の行き帰りも本を読みながら歩いてたそうで、この当時、園頭先生は「本ばかり読んでいる子」として有名でした。

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4月 21 2010

高橋信次師の後継者①

昭和五十一年六月二十五日、四十八才という若さで高橋先生は昇天されます。ご著書に書かれてあるとおりのご生涯でした。

高橋先生は愛と慈悲の塊の方ではありましたが、だからといって、あちらもいいですよ、こちらもいいですよ、となんでも許していたわけではなく、間違ってやっているところは間違っている、とはっきりいわれる方でした。

しかし、弟子の指導方法については、ああしなさい、こうしなさいと口やかましくいわれる方ではありませんでした。弟子が間違ったことをやっていても、それをすぐ「それは間違いだからやめなさい」とやめさせるのではなく、弟子本人がそれに気づくまで、ジッと見守っていられる方でした。それに対して「そういうことは間違いだからしてはいけない」とはっきりいわれたのがキリストで、同じ法を説かれてもキリストは「私の説く福音を信じなさい」とはっきりいわれたのに対し、高橋先生は「私の言うことでもすぐ信じてはいけません。疑問を持ってそれを追求し、これは正しいと自分が理解したところで、はじめて信じなさい」といわれていました。同じブッダ(宇宙創造の神と一体となり、その神の意志を誤ることなく伝える力をもたれた方)と呼ばれる方でも、法の伝え方は少し違っているようです。

では高橋先生とキリストでは、どちらが弟子に対して厳しかったのでしょうか?

キリストももちろん愛と慈悲の塊の方ではありましたが、その反面、気性の激しいところもあり、間違ったことをしている人や弟子に対しても、厳しく意見を言われる方でした。悪魔を憑けた人などがキリストに何か言いようものなら「黙れ、この人から出て行け」と、一喝されました。

キリストの弟子たちは、間違ったことをすればキリストに注意を受けるので、善悪の判断は早く正しくできました。それに対し、高橋先生の弟子たちは悪いこと(といっても、何か物を盗んだり、人を傷つけたりするような誰が見ても分かるような悪いことでは、もちろんありません)をしていても、高橋先生は注意されないのです。せいぜい夢の中で試すくらいのもので「あなたこういうところがいけないから、こうしなさい」と直接言われるわけではないのです。みな自分の判断に任されています。

一見高橋先生の弟子は放任主義で楽そうに見えます。キリストの弟子は間違ったことをすれば、キリストに注意されるので、厳しそうに思えます。

しかし、実際は違うのです。高橋先生の弟子たちのほうが、キリストの弟子たちに比べ、断然厳しい修行をしているのです。それは“何もいわない”ということが、それを如実に物語っています。

何もいわないということは、全部自分の判断に任されます。仮に、夢の中で注意され、その悪い部分を直そうが直すまいが、何もいわれなかったら、人は自分の悪い部分を直すでしょうか?率先して直すという人もいますが、もともと自分の悪いところは、自分が悪いと意識してしている人はあまりいません。

たとえば、すごくケチな人がいて、あなたそれだけケチで、自分だけお金をださないと和を乱すので、もう少し気前よくお金をだしなさい、といっても、ケチといわれた人は、そんなに気前よくお金をだして、生活できなくなったらどうするのか、などと思い、ケチが悪いことだとは思いません。

すごくケチな人にケチが悪いこと、といっても気づかないのです。

この人に何もいわなかったら、この人は自分が極端にケチでそれは悪いことである、と果たして気づくのでしょうか?まず気づかないでしょう。しかし、高橋先生の下で勉強し、悟りを得るということは、自分の悪いところを一つ一つ反省し、悪かったところを善に変えていくことにより、悟りの境地に至るという道なのです。悪いところが分からないと反省もできませんし、悟りの境地に至ることもできません。この極端にケチの人が悟りに至るには、この極端にケチなことがいけないと気づき、それを自分で直す以外悟る方法はないのです。

だとしたらこの人は悟れるのでしょうか?何もいわれないということですので、自分がケチと自覚するだけでも、よほどの時間が必要でしょう。キリストの弟子ならキリストに「極端なケチはいけない」と言われれば、キリストに言われたのですから、本人もこれはいけないと気づくでしょうが、何もいわれないのですから、周りの普通の人たちと見比べて自分がケチであると自覚するだけでも、大変な時間が必要でしょう。そして、その人がケチを悪と認めて反省するためには、そのケチと認めてから、また時間が必要です。だとしたら、この人は何時になったら悟れるのでしょうか?

つまり、何もいわれないということは、いわれる人の何倍も何十倍も悟るのに時間がかかる、厳しい修行であるということなのです。

この高橋先生の修行の厳しさを、自覚する人が高橋先生の弟子の中にはあまりいませんでした。高橋先生に何もいわれていないのだから、今のままでいいんだ、そう思っている弟子が多かったのです。

こういうこともあり、高橋先生ははっきり後継者を(高橋先生が亡くなられた後、高橋先生の後継者は娘の桂子氏であると高橋先生が言われた、といったGLAの講師がいましたが、これは、この講師がついたうそとすぐばれます)指名されずに昇天されたと思われていますが、実際は違います。

高橋先生は、ちゃんとご自分の後継者を指名されておりました。ただし、遠まわしにではありますが。

では、その後継者とは一体誰なのか?

それは、園頭広周先生のことを書いてから、しっかり書き残しておきたいと思っています。

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4月 20 2010

高橋信次師⑥

高橋信次先生は不思議な力をもたれた方ではありましたが、それだけで偉大な方と決めつけるのは早計でしょう。なぜなら悪魔も不思議な力(もちろん高橋先生ほどの力はありませんが)を持ち、予言らしきこともするからです。しかし、神の使いが持つ力が神通力なら、悪魔のそれは魔力といったところでしょうか。結局悪魔は、どれほど不思議な力をみせようと人を不幸にしていきます。

神の使いと悪魔を見分ける方法は、正しい法を説いているかどうかということと、あとは、その人の人格、人柄です。金や物に異常に執着が強かったり、色情が強く短気で人のいうことを全く聞かない、などの偏った性格の人は、やはり、神の使いと言うよりも、悪魔に憑かれた哀れな人とみて間違いないでしょう。その人が、どれだけ不思議な力を持っていようとも、そんな人の言うことを、まともに聞いては不幸になるだけです。しかし、現代は少し不思議なことをやると、もうそれだけで、その人を崇め奉り、神のように思ってしまう人も多いようですが、不思議な力を使える人が、必ずしも正しい人とは限らないのです。よくよく見極めなければならないのです。

では、高橋信次先生はどのようなお人柄の人だったのでしょうか? そのお人柄がよく分かるのが園頭先生の本に書かれた次の部分です。

園頭広周先生著「現代の釈尊 高橋信次師とともに」より抜粋します。

<講演が終わると「園頭さん、宮崎から来られたあの人たちも一緒に生駒の三鶴山荘に今夜泊まってください。僕はまだ個人指導があるのであなたたちは先に行ってゆっくりしていてください」といわれたので先に行って待っていた。

夕方六時近くになって先生が帰って来られたというので急いで玄関へ出迎えた。

「只今でした。あ、どうしてあなたたちは早く風呂に入って浴衣に着替えなかったんですか」それは全く予想外の言葉であった。私たちはこれから教えをいただこうという弟子である。師より先に風呂に入って浴衣にくつろぐということは常識に反するし、弟子たるものの取るべき態度ではない。だから服装を正して、師を迎えることは同然であると。当たり前のことだとして出迎えたのであったのに、高橋先生はそのようにいわれる。そうして、「僕はもう一人個人指導する人があるので先に風呂に入ってくつろいでください」といわれた。これまで私の知っている教祖という人で、弟子に対して自分より先にくつろげといった人はなかった。高橋先生の心の広さに驚くと同時に感激し、これ以上、かたくなに自分の考えを守ることは却って礼を失すると思われたので、私たちは早く風呂に入ってくつろいだ。

元「生長の家」信者であったその人は、「こういうことは『生長の家』では考えられないことですね」といわれた。自分の権威を守るためには、平気で部下の人間性を踏みにじるという人が多いのに、高橋先生の飾らない態度に心を打たれた>

園頭先生は「生長の家」の大幹部であった方でした。宗教の世界でも、表面上は愛や慈悲の心を説く人は多いのですが、一歩裏に廻れば陰口を言い合い、足の引っ張り合いをしているところも多いのです。園頭先生は、そんな宗教界に長年身をおき、裏側をよくご存知でした。

そのような人たちをたくさん見てきた園頭先生は、初めて高橋先生にお会いしたとき、あまりに飾らない高橋先生の態度が、異様に見えたといいます。高橋先生の謙虚な態度が、当たり前といえば当たり前なのですが、どこの世界でも少しえらくなると、とたんに態度が変わったり、教えを請いに来た人や初対面の人に、自分を権威づかせるためか、横柄な態度をとる人はいます。そういう態度はとらなくても、心では自分のほうが上と、すぐ慢心する人もいます。自分の地位が上がれば上がるほど、そのような人は増えると思います。

しかし、高橋信次先生は多くの人の上に立ち、人が驚くほどの不思議な力を持たれていたにもかかわらず、人の何倍も謙虚で気も使われる方でありました。

GLAでは、月に何度か泊りがけで研修会を行っておりました。その研修会で、高橋先生が講演されるということで、研修会に来た大勢の人が大広間に集まっていました。大広間の入口は閉めてありましたが、その向こうには多くの人のスリッパが脱ぎ散らかしてあります。まだ高橋先生の講演が始まる前で、他の人の体験談が話されているときでした。一人遅れて講演会場に入った人が、脱ぎ散らかっているスリッパを、一人で汗をかきながら整頓している人がいるのを見ました。よくよくその人を見ると、それが高橋先生で、高橋先生は研修会など行かれると、脱ぎ捨てられているスリッパを、よく一人で整頓していられたそうです。

またこんな話も伝わっています。初めて研修会に参加された人が、トイレに行くと一人でトイレ掃除をしている人がいました。研修会場の従業員かとその人は思われ「ご苦労様です」と、声をかけられると「皆さんが気持ちのよいようにと思いましてね」と、そのトイレ掃除をしていた人が答えました。その後、高橋先生の講演が始まると、先ほどのトイレ掃除をしていた人が、高橋先生であったと分かり驚いたそうです。

高橋先生はこのようなことを、これみよがしにされたわけではなく、自然に、そうするのが当たり前のようにやられていたそうです。ある人は研修会の風呂場で「背中流しましょうか」と声をかけられ、その声をかけた人が高橋先生で、その人は恐縮しながら背中を流してもらったそうです。いつも高橋先生は研修会が終わった後、帰っていかれる研修会の参加者の人たちを、人が見てないところで合掌しながら見送られていました。

まさに高橋信次先生は、愛と慈悲の塊のような方でありました。「実るほど頭の下がる稲穂かな」よくこの言葉を高橋先生は、講演会場でいっていられましたが、それを自ら実践し体現されていたのが高橋信次先生でした。

しかし、高橋先生が、あまりに謙虚で気さくに誰とでも話されたため、勘違いする弟子も出てくることになります。

それが後の悲劇へとつながっていくことになったのです。

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4月 19 2010

高橋信次師⑤

高橋先生はいくつか予言もされています。

高橋先生は「共産主義も資本主義もともに唯物論である」と言われていました。

「現在、世界の国で正法があるのは日本だけです。だから日本の国をダメにしようという国があるならば、その国の国内に問題が起こり、日本には手をつけられなくなります。アメリカは没落します。そしてソ連は崩壊し、共産圏には食料飢饉が起こります」

高橋先生がこのような予言をされたのは、昭和五十年頃のことでした。この当時アメリカ、ソ連の二大国は、一方は資本主義の代表国であり、もう一方は共産主義の代表国として、その権勢をほしいままにしていたときでした。そんなときにこのような予言をされたのですから、多くの人がアメリカの没落やソ連の崩壊など信じませんでした、というより考えられなかったのです。

しかし、高橋先生の予言から三十年以上たった現在、アメリカの没落は今の時点では分かりませんが、ソ連という国はなくなっています。共産主義国家は一九八九年のベルリンの壁崩壊以来、次々と崩壊していき自由主義へと変わっていきました。その中でも最大にして最強の国であった、ソ連の崩壊は多くの人を驚かせました。ソ連は日本の敵国として極東に軍隊を配置し、日本への領空侵犯を繰り返していました。ところがソ連国内での食糧難と少数民族の氾濫が次々と起こりだし、日本のことなどかまっていられなくなり、そうしてソ連は崩壊したのです。

まさに高橋信次先生の予言どうりでした。

アメリカの没落はもう少し先にならないと分かりませんが、アメリカは一度没落しますが、また再興し、その時ある方がアメリカに出世され、そこで世界で初めての世界政府ができることになります。

共産国の食糧難は北朝鮮などを見ても明らかで、いずれこのような国も崩壊していくでしょう。この北朝鮮や中国など、日本への領海侵犯を繰り返し、領土にまでも手を出してきていますが、この日本をダメにしようという国は自国内に問題が起こり、日本のことにかまっていられなくなります。高橋先生が言われたとおり、この二国にも国内に多くの問題が起こっており、日本のことなどかまっていられない状態です。しかし、日本が守られるのも、高橋先生の説かれた法が残っている間だけであり、もし日本に高橋先生の説かれた法が、なくなるようなことにでもなれば、今度は日本が崩壊することになるのです。

また高橋先生は、こんな予言も残されています。今、アイスランドの火山が噴火し大騒ぎになっていますが、

「富士山が噴火します。今、身延側の大沢崩れの崩壊が激しいのは、あそこの地表の土砂層を薄くして、噴火しやすいようにするためで、あそこからあふれ出した溶岩が、大石寺をつぶします。そうなって初めて日本人は、本当の宗教とは何かを考え始めるのです。」

大沢崩れの崩落は現在も続いています。このあいだも大沢崩れが崩壊したと新聞に出ていました。静岡県庁が崩落をとめる工事をしていますが、無駄なことです。いずれ高橋先生の予言は実現し、そのときになって初めて、多くの人が現在の宗教に疑問を持ち、正しい教えとは何かを考え始めるのです。

現在ある宗教は多くの間違いを犯しています。前にブログに書いた性の問題や、祈りや布施についてもそうですが、根本的に間違っている部分があるのです。何が間違っているのかは、いずれまた書くことにしますが、高橋信次先生の予言の実現は、もう間近に迫っています。法というものを知らないと、知らず知らずのうちに不幸の道に進んでいきます。

ブッダの法を知るということは大事なことなのです。よくよく心しなければなりません。

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