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10月 10 2017

大事なお知らせ

何か十月だというのに異常な暑さですね。もうそのような異常さに慣れてしまった自分が怖いのですが、どこかの会社は相変わらず異常なことが起き続けているようです。(今日も朝一から電話がかかってきて大変お怒りです)

それで、このままでは異常現象が止まらないということでちょっとお知らせしておきますが、これからはもう嫌がらせをして来た人はずっと祈ることにします。

もちろん毎日のようにです。(異常なことが毎日起きているどこかの会社のようにです)

そこはご了解ください。もうすべての人にそれくらいしないと、いつまでたっても(この悲惨な状況が)変わらないと思うからです。

この辺りは多くの人が私のブログを読んでいるのに(ほんと多いですよ。私のブログを読んでいる人がです。年寄りから子供まで読んでいます)誰一人布施してくれないのです。

いっている意味が分かりますか?

強調していいますが、この辺り、どれくらい多くの人が私のブログを読んで心が救われているのか分からないほどなのに、一人として布施してくれないのです。それにもかかわらず、嫌がらせをして来る人はたくさんいるのです。

そうして、そういうひどい態度を皆が皆とっていながらいつまでたっても誰も反省しないのです。もう何年にも渡ってです。

このような態度はあまりといえばあまりの態度なのであり、こういう態度を続けていれば、そういう態度を取っている人たち全員が不幸になるのです。(それが一番問題なんじゃないですか?法を知らされて不幸になっているのでは話しにならないからです)

よく考えてみればです。この辺り多くの人に災いが現われているのは、そんなひどい態度を多くの人が取り続けているからです。

だから、悪いことばかり起きるのです。そんな不遜な態度を平気で取っているのなら、悪いことが起きるのが当たり前のことだからです。

やっていることがあまりに常識外れであるのです。(分かりませんか?これだけ人の道から外れた〔心を救われた恩を嫌がらせという仇で返す〕行いもないと思いますが)

しかし、それをどれだけいってもこの辺りの人たちは、自分たちが悪いことをしているという自覚を持たないようで、それがこれほど多くの人に災いが起きている何よりの原因であるのです。

そうであるなら、もうそのような無反省な人たちを、毎日徹底的に祈り災いを起せるだけ起こしてやろうと思うのです。

そこまでしないと、このような人たちはもう何年たっても、自分たちが自ら災いの原因をつくっているということに気づかないからです。

いつまでたっても、その災いの原因を私のせいにし続けるからです。(昨日も書きましたように無明な人がこの辺りは多いようですから)

そういう(連続の)祈りを私は会社相手にはしていますが個人にしたことはありません。

個人にまで(そんな集中した祈りを)してしまってはあまりに危ないだろうと思ってです。

しかし、その禁じ手をあえて使おうと思います。何度もいいますが、それくらいしないとこの辺りの人たちは全然気づこうとしないからです。(自分が悪いことにです)

私が、毎日祈るくらい危ないことはないということを知っている人は(会社は)この辺り多いと思います。(どこかの会社を筆頭にです。何社かそういうところがあるからです。あまりに何度も嫌がらせを繰り返している連中にはもう続けて祈るといってあるからです。そうして続けて祈ったところは必ず様子が変わるのです。〔メチャメチャ怒り出したり、メチャメチャ引いたりです。前にガンガン音を立てて怒っていると書いた連中は、みな続けて祈っているところばかりです〕)

その続けて祈るということをもう個人にまで広げてやることにします。それくらいしないと誰も心を変えようとしないからです。(それでも変えるかどうかは分かりませんが)

それに、このまま心を変えないようでは(法を伝えてもらっている人を憎んで嫌がらせをしているままでは)そのような人たちが不幸になるのはもちろんのこと、そのまま(の心で)死ぬのなら、その人は確実に地獄に堕ちるのです。

それでは結局本人のためにならないし、それでは、こちらも何のために法を伝えているのか意味が分からなくなります。(こちらは幸せになってもらいたいと思って伝えているのに、それが不幸になる人が続出するようでは法を伝える意味がありません)

では、法など伝えなければいいだろうと思う人もいるかもしれませんが、とんでもありません。この日本に生まれてきた人はみな法を伝えると(世界にです)約束して生まれてきている人たちばかりなのです。

だから日本に生まれた人が、その使命を果たさないのであればもっと大きな不幸が日本に現われるのです。(日本が滅ぼされるようなです。もし日本に生まれた人々がその使命を果たさなければ必ずそうなるのです。どのような順序がつくかは分かりませんが。〔その順序は南海トラフのような超巨大地震かもしれませんし北朝鮮の水爆かもしれません〕)

私が嘘をついていないということは、次々に起きる現象が証明しています。私のいうことを否定する人や逆らう人には次々に現象が現われているのです。(私自身にも奇跡が現れていますし)

では、どれだけ現実離れのした話であろうと信じてもらうしかありません。その現われている奇跡が私が嘘をついていない何よりの証拠であるからです。

だから今以上に災いを現し、そのような現象を通してもっと反省を促そうと思うのです。そうしないと今のままではもう多くの人が不幸になるからです。(自分の本当の使命に気づかぬままです)

ということで、これ以降、嫌がらせをしてきた人たちにはもう毎日、徹底的にその人を祈ることにしますので、これから私に嫌がらせをして来る人たちは、そこは覚悟してやってください。

その後、これまでの比ではないくらいの災いが現われるかもしれないからです。(ハッタリではないですよ。何度もいいますが、毎日祈っている会社にきいてみてください。何が起きているのか分かるからです)

そうして、もし、そのようなことが起きてきたら(これまでの比でないくらい数多くの災いが起きてきたら)その時は、自分たちの行いを反省し、私に布施してください。

布施してくれた人を祈ることはしないからです。

そうしないと私は、その人がどうなっても祈り続けます。(癌になろうが死のうがです。こちらはその祈った人がどうなっているのか分からないからです。だから仮にその人が癌になっても祈り続けるだろうし〔そうなったらどうなりますかね。体中に癌が転移したりして〕死んでも祈り続けます。私の祈りは〔そこらの坊さんと違って〕あの世まで届きます。地獄でよけい苦しまなくてはいけなくなるのです)

とにかく私に詫びを入れ布施してくれない限りは、そのような(私に嫌がらせをしてきた)人たちの祈りはやめません。

そこはご了承ください。いつまでも自分たちの行いを反省しない自分たちが悪いからです。(そんなに一変に一人一人を祈れないだろうと思うかもしれませんが、そこは大丈夫です。この人を毎日祈ると決めてそう祈っておけば、その祈る人を天はすべて知っています。あとは私が続けて祈る人たちを毎日まとめて祈るだけで、その人たち一人一人を祈っていることになるのです。とにかく私は祈りさえすれば後はすべて天がしてくれるのです。それはバスやトラックの運転手も同じです。顔が分かろうが分かるまいが関係ないのです。あの人を毎日祈ると天に祈った時点で〔天はすべてその人のことが分かりますので〕その人は私に毎日祈られることになるのです。どうですか。嬉しいでしょう。私に毎日祈られるんですから。〔苦笑〕)

どちらにしても今のままでは、法を伝えた人たちも不幸になりますし、伝えている私も不幸になります。(まったく布施が入ってこず苦しい生活を続けていますから。〔家がぼろいので部屋の電気まで切れてしまい暗い中、このブログを書いています〕このままではどちらにしても法が説けなくなります)

だからどこかでこのようなこと(危ない祈り)もやるしかないのです。今のままでは誰も心も行いもかえようとしないからです。

それでは誰も幸せにならないからです。

私が毎日祈るということがどれだけ危ないことなのか?それはこの辺りで何社かそういう祈りをしているところがありますのできいてみてください。(私的にはかなり危ないことだと思っていますが)

どちらにしても、今のままでは(誰も本当の使命を気づかないままでは)異常現象が次々に起こり(十月にこの暑さもかなり異常ですから)まだこれからどれだけ多くの人が不幸になるのか分からないのです。

その不幸にならない方法がここにあるのに、それを誰も(何年たってもごく一部の人しか)しようとしません。

そうであるならもう強制的にやらせるしかないのです。強制的にでもやらせない限り、日本の人たちは目を覚まそうとはしないからです。

とりあえず、私に対する嫌がらせと、このブログをただで見ていることはやめていただけませんか?

それが出来ないというのであれば、その出来ないすべての人に現象が現われるよう、徹底的に祈ることにします。

もう時は来ています。

多くの人が目覚め立ち上がってくれることを願ってやみません。

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10月 09 2017

無明(無知)

今日は(祝日で)休みにもかかわらず朝からガンガン音を立てて怒っているところがあります。(どこかの会社の横の会社でしょうね。おかしな爺さんいますから。〔苦笑〕)

昨日書いたブログの当て付けでしょうか?そういうことをしているから悪いことが起きるのです。

いつまで悪いことを人のせいにしているのでしょう。何回もいっているでしょう。この世は法則通りのことしか起きないのであるとです。

自分たちが悪いことをしているから自分たちに悪いことが起きているのであり、私はよいことをしているからよいこと(奇跡)が起きているのです。

自分たちに起きている悪いことを、どれだけ私のせいにされても状況は変りません。(むしろ悪くなる一方です。実際そうなっているでしょうが)

単に日ごろからしている自分たちの行いが自分たちに返ってきているだけなのです。それ以上でも、それ以下でもありません。

いつまでも悪いことを人のせいにしているのではなく、いい加減、それを理解されてはどうでしょうか。(もう何度もいっているのですから)

どれだけいっても分からない、理解できない人を無明(むみょう)な人というのですが(無明とは単に無知という意味なだけなんですけどね。〔苦笑〕)釈尊は一切の苦しみの根元は、その無明にあると説かれたのです。

その無明な人を釈尊は次の四つの言葉で現されました。

一、苦しみとはどんなものであるのかを知らない。

二、苦しみがどうして起こるのかを知らない。

三、苦しみをなくすことが出来るということを知らない。

四、苦しみをなくす方法を知らない。

以上のような人を釈尊は無明な人といわれたのですが、まさにこの辺りの人たちにピッタリ当てはまる言葉ではないでしょうか。

この辺りの人たちは(特にどこかの会社など典型ですが)苦しみがどんなものであるのかを知らないのです。(一)

だからどれだけ仲間が癌になっても、悪いこと(法の流布のじゃま)をやめようとしないのです。

それが苦しみと分からないからです。

そして、どれだけそれは自分たちの行いが悪いせいでそうなっているといっても、それを認めようとはしないのです。

その苦しみがどうして起こるのかを知ろうとしないからです。(二)

そうして、どれだけ悪いことをしてはいけないといっても、その悪いことをやめようとはしないのです。

苦しみをなくすことが出来るということを知らないからです。(三)

だから平気で悪いことをし続けるのです。

苦しみをなくす方法を知らないからです。(四)

釈尊がいわれた無明とは、まさにこの辺りの人たちをいっているのではないかと思えてなりません。

だからこの辺りの人たちは苦しみが続くのです。自分たちが無明であると自覚しないからです。(別に私は、すべてのことにおいて無明であるといっているわけではありません。こと神のことに関しては無明であるといっているのです)

釈尊はこの無明が苦しみの根元であるといわれ、その無明をなくせば(つまり知らないことを知れば)迷いもなくなると説かれたのです。

では、そうされてはどうですか?この辺りのすべての人はひどい苦しみの淵に沈んでいるからです。

それが分からないだけなのです。

この辺りの人たちは苦しみも、その苦しみが起きる原因も、その苦しみをなくすことも、その苦しみをなくす方法も、何も理解していないからです。

だから自分たちが苦しみの淵に沈んでいることさえも理解していないのです。知るべきことを知る努力をしようとしないからです。(知るべきことを知らないと、自分たちが不幸であることさえ分からないのです。不幸が普通であると思ってしまうのです。〔これだけ周りに災いが起きていてもです〕本当に哀れです。無明な人たちは不幸さえ分からないからです)

無明をなくす努力をされませんか。(もう少し私のいうことをききなさいということです)

そうすれば迷い(災い)もなくなるからです。

自分がどれだけ正しいことをしていると思っていても起きてくることが悪いことなら、それは悪いことをしているのです。

そのような原因、結果、作用反作用の法則は確実に存在しているからです。

その法則を理解するのであれば、自分たちの行いを正すことが自分たちが幸せになる道であると分かるのです。

知らないことを知る努力をしないことには苦しみから抜け出ることは出来ないのです。(その苦しみさえよく分かっていないようですが、この辺りの人たちは本当に苦しい世界〔地獄〕にいるのです)

法を知ることだけが、その苦しみから抜け出せる唯一の方法なのです。

知るべきことを知る努力をされませんか。そうすれば、その苦しみから(苦境の世界から)逃れることが出来るからです。

追伸…来年放送の大河ドラマ「西郷どん」の出演者の(不倫問題などの)ドタバタが続いているそうですね。(昨日のその大河ドラマの「女城主 直虎」も面白かったんですが、ちょっと最後の草履〔ぞうり〕を投げて揃えるシーンは「ハァ?」と思ってしまいました。〔笑〕)

残念ですね。来年の大河は私が尊敬する西郷さんだということで楽しみにしていたのですが、そんな問題がたくさん出てくるとちょっと引きますよね。(ほんとドン引きです)

何でそんなことが起きているのでしょうか?きっと西郷さん(園頭先生)も怒っていられるのではないでしょうか。

法の流布に誰も協力しようとしないからです。(苦笑)

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10月 08 2017

恩は恩で返す

しかしまあ、あちこちで皆さんずいぶん怒っているようですね。(ほんと段々怒っている人が増えます)

昨日でもあるところを通るともうガンガンやってくるのです。

あんまりうるさかったので祈ったりなんかしていたんですが、その嫌がらせを全然やめようとしません。(相当怒っています)

それで私が「お前ら、俺のブログを散々見ているくせに感謝もせずに、嫌がらせしかしないくせに悪いことが起きると俺のせいなのか。じゃあ、お前らのそういう態度は間違っていないのか」というと、急に静かになりました。

小さな音でかすかに音を立てているようです。(ガンガンガンガンがカンカンカンカンになりました。〔苦笑〕)

「お前ら俺に神のことや心のことを散々教えてもらっていながら、まったく感謝せず嫌がらせしかしていないんだぞ。そんな態度では俺が祈ろうが祈るまいが遅かれ早かれ癌になるだろ。何で自分たちのそういう態度を無視して悪いことをみんな俺のせいにしてんだよ」と続けていうと、先ほどまでの勢いはどこへやら、もう嫌がらせをしているのかしていないのか分からないほどでした。

この連中はこの程度のものなのです。

自分たちの行いはまったく棚に上げ、悪いことが起きたことだけを問題にして、それを全部私のせいにして「皆お前が悪い」と怒っているのです。

本当に勝手なものです。ここで散々自分たちの行いを振り返れと書いているにもかかわらず(その連中もこのブログは読んでいるくせに)まったくそれはせずにいて、自分たちに起きた悪いことだけを私のせいにして私を見かけると烈火のごとく怒る。

本当に自分本位です。周りのことが(正確にいえば自分のことが)まるで見えていません。

では、自分たちは間違ったことをしていないのでしょうか?

とんでもありません。間違いも間違い、その怒っている人たちは大間違いをしているのです。だから、それだけ悪いことが起きているのです。

その自分たちの(行いの)間違いはまったく考えず、人のことばかりいっている、この辺りはそのような人たちばかりのです。

だから、災いが止まらないのです。

だいたいこの辺りの人たちは、みな私のブログを読んでいながら(そのことは一切いおうとせず)平気で私に嫌がらせをしていた人たちばかりなのです。

結局それは自分の行いは考えずに、人のことばかりいっているということになりますから、この辺りの人たちは、そういう人ばかりといってもさほど間違ってはいないわけです。

そうでない人もいるのであれば(自分の行いをしっかり考え、そうして私のやっていることもしっかり考える)私に感謝して布施する人もいると思うからです。

しかし、そういう人が一人もいない、それは即ち自分の行いはまったく考えようとせず、人の悪いところばかりいっている、そういう自分本位な人ばかりであるといっても過言ではないのです。

では、そういう人たちが一体どういう末路を辿るのか?

そのような自分本位の典型が固まっている、どこかの会社の連中を例にとって書いてみましょう。

この連中は、私がちょくちょくここに書いているように、私が書いているブログ(パソコン)の音がうるさいと烈火のごとく怒り嫌がらせをして来るわけです。

でかい音を立て続け、少なくとも私がこのパソコンの前に座っている間は、この連中がその嫌がらせをやめることはありません。(誰か彼かは何か音を立ててきます。〔大小、様々なです〕)つまり私がパソコンの前に座ると静かな時間を与えようとせず、ずっと嫌がらせをし続けているわけです。(ほんと苛酷な環境です)

そういう(悪い)ことをこの連中は、もう何年にも渡りし続けているのですが、しかし、私にでかい音を立て続け嫌がらせをし続けているということは、その嫌がらせをしている音は、私だけではなく、この近所の人たちにもきこえているということになります。

この連中が何か音を立てるのなら、その音は嫌でも多くの人の耳に届くからです。

では、この連中が私に嫌がらせをしているということは、それは同時に、私の周りの人たちにまで嫌がらせをしているということになるのであり、つまりそれは多くの人に不幸を与えているということになるのです。

では、その多くの人に与えている不幸はどこに行くのでしょうか?

もうそれは何度も書いていますが、全部自分たちに返ってきます。

しかもそれだけ多くの人に何年にも渡り不幸を与え続けているのですから、では、その多くの人に与えた不幸は一体どれくらいの量(量という単位なんですかね。ちょっとそこは分かりませんが)になるのか分からないほどなのです。(この連中は大きな音を立てる時もあれば小さな音を立てる時もあり、朝早くからやっている時もあれば夜遅くにやる時もあります。〔急にでかい音を立てますから〕だから、その不幸の量は誰にどれだけ与えているのか分からないくらいなのです)

では、次々にこの連中が癌になるのも仕方のない話ですし、その数が数百人という話もまんざら嘘ではないということになります。

この連中は、それくらいの数の人くらいには(大きな)不幸を与えているからです。

大きな音を(小さな音も含めて)立て続けてです。

それだけの不幸を人に与えているのですから、その与えた不幸は必ず自分たちに返ってきます。

つまり因果応報ということです。

この連中は、自分たちがした通りのことが、自分たちに返ってきているだけであるのです。

善因善果、悪因悪果、その法則通りのことが起きているに過ぎないのです。

それにもかかわらず、この連中は、それを(自分たちがつくった罪を)みな私のせいにして怒りまくっているのですから、それではまた新たな罪をつくってしまうことになります。(自分の罪を人にかぶせるという、責任転嫁の罪です)

それで自分たちの罪がドンドン膨(ふく)れ上がり(日本の赤字国債と同じですね。〔苦笑〕)もう次から次に罪が返ってきている(癌になっている)という状況になっているのです。

しかし、これは神の呪いでもなければ、私が祈ってこの連中を癌にしているわけでもなく、ただ単に法則が作用しているに過ぎないのです。

自分たちがつくった罪が自分たちに返ってきているだけであるからです。

この辺りで起きている災いはこれとまったく同じなのです。この辺りの多くの人は、自分たちが心を救われていることを隠して私に嫌がらせをし続けていたのです。

当然その(恩を仇で返している)罪は大きいにもかかわらず、その自分たちの罪を一切認めようとせず、あまつさえその罪まで私にかぶせて怒って嫌がらせをし続けているのです。

これでは罪のダブルパンチであり、こういうことをし続けていては自分の罪はさらに重くなります。

だから、この辺り大人から子供まで癌になっているのです。それだけの罪を大人から子供までが自分でつくっているからです。

多くの人が恩を仇で返しているから、恐ろしい現象が止まらないのです。

では、何をすればその恐ろしい現象が止まるのかはすぐに分かるはずです。

何も難しく考えなくてもいいのです。恩を仇で返しているのがいけないのなら、恩は恩で返せばいいのです。

そうすれば恐ろしい現象は収まるからです。

では、そうしてください。

この辺りの人たちは大人から子供まで私のブログを読み(または噂をきいて)心が救われているのですから、そのことに対し(その恩に対し)子供は(小、中、高生くらいまでは)私の顔を見たら頭を下げるか、こんにちわくらいいって感謝の心を現せばいいのだし、大人は感謝の心で報恩の行為をすればいいのだし、そういう行いをするのであれば、恐ろしい現象は段々収まっていきます。

それが恩を恩で返すということであるからです。

それを誰もしようとしないから(恩を仇で返し続けているから)恐ろしい現象が起き続けているだけなのであり、その自分の行いを少し変えれば、この現象はすぐに止まるのです。

単にこの現象は法則通りのことが起きているに過ぎないからです。

だから不幸を起したくないのであれば、恩は恩で返す、その(人として)当たり前のことをすればよいだけの話なのです。

それをいつまでもしようとしないというのは自由なのですが、しかし、法則は誰にでも公平に作用します。(えこひいきはありません。どこかの政治家のようなです。〔苦笑〕)

その法則をいつまでも理解しようとしなければ自分が不幸になるだけなのです。

それでも頑なに「お前が悪い」を通すのですか?

それはあまりに愚かな行為なのです。それでは必ず不幸になるからです。

(必ずです。法則は必ず作用するからです)

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10月 07 2017

天上界と地獄界

昨日は(昨日のブログに書いたような)心の狭い人が何人かいたようですが(やたら怒って私に嫌がらせしてきた人〔苦笑〕)この辺りで起きている災いの原因は、そのような心の狭さからくる私に対する嫌がらせなんですから、そのような狭い心を早く直して、自分が悪かったと反省して、私に感謝の心で布施してください。

それ以外で救われる道はないからです。(マァ、心の狭い人はこの辺りの人たちだけではなさそうですが。〔苦笑〕保育園さえ〔園児たちの声がうるさいなどといって〕つくれなくなる世の中です。〔昔はこんな話きいたことありませんでしたけどね〕心の狭い人が日本中で増えている証拠でしょう。だから日本中で異常現象が増えているのです)

怒れば怒るだけ自分が危なくなります。(もうどこかの会社など危なすぎですから。〔汗〕それなのに今日も頑張っています。ほんと罰当たりです)怒っている暇があるなら反省してください。そうしないとこの辺りの人たちはいつ癌になるのか分からないからです。(本当に危いです。この辺りは、いつ天罰を食らってもおかしくはない罰当たりな態度を平気で取っている人が多いからです。〔どこかの会社だけではなくです〕)

態度を変えないのなら起きている現象はドンドン広がっていきます。脅しではありません。本当にそうなるからそうなるといっているのです。

昨日怒っていた人が今日癌になるかもしれないのです。

かもではなく実際なっているではないですか。それは私などより、怒っている人たちの方がよほど分かっているはずです。

この現象がそう簡単に止まるわけがないのです。

これだけ起きているのであれば、まだこれからいくらでも起きるのです。それが現実なのです。

もう現実としっかり向き合ってはどうでしょう。いつまでもその恐ろしい現象を私のせいにして怒ったふりをしていたところで、そのような恐ろしい現実が目の前にあるのです。

実際はもう恐ろしくて仕方がないのではないですか。すでに、そのような人たちがいる場所は地獄界と化しているからです。

同じ場所にいても、私と私の周りの人たちとではいる場所が違うのです。

それに気づかないのでしょうか。私以外のほとんどの人たちはすでに地獄にいるのです。だから皆、怒りと恐れが生じてくるのです。

地獄界とは、そのような世界であるからです。(怒りと恐ればかりの世界)

そうして、そのような世界は自分の心がつくるからです。

自分たちが住んでいる場所に、私のように次々に奇跡が起きる天上界をつくるのも、周りの人たちのように次々に癌が現れる地獄界をつくるのも、みな自分の心次第であるということです。

同じ場所に住んでいても、実は住む世界は人によってまったく違っているのです。それに多くの人たちは気づいていないだけなのです。(人によってはお金持ちも貧乏もあるのですから、その環境によって人の心の持ち方は変わってきます。しかし、金持ちでもうつの人もいれば貧乏でもそれをまったく気にしない人もいます。その人の心により自分が住んでいる世界は地獄界にも天上界にもなるということです)

この辺りの人たちはもっとよく現実を見てください。自分が癌になれば最後は痛み止めの薬などきかないくらいの痛みの中、苦しんで死ななければならないのです。

そうして、その苦しみは死んだ後まで続きます。はっきりいいまして癌は死んだ後が苦しいのです。生きている間の痛みなどたいしたことはないのです。(痛みの期間も短いでしょう。最後の方だけですから)

癌で死ぬのなら、その後、地獄での癌の痛みの苦しみはそれはそれは長く続きます。(人によっては何十年も何百年もです。特にこの辺りで私に嫌がらせをし続けた人、長いです。〔苦笑〕)

そういう時に助けてくれるのが神(菩薩や諸天善神〔しょてんぜんじん〕)なのですが(地獄に仏とはまさにこのことです)この辺りの人たちは、その菩薩や諸天善神に逆らったまま死んでいくわけです。(この法に逆らうとは菩薩や諸天善神に逆らっているのと同じですから)

では、残念ではありますが、そういう人たちを菩薩や諸天善神は助けてくれません。自分一人で自分の間違いを悟るまで〔何で自分は癌で死ななければいけなかったのか〕その地獄で癌の痛みと戦い続けなければいけなくなるのです。

そうなると(正しく導いてくれる霊がいないわけですから)その間違いを悟るのにそれはそれは時間がかかります。

だから特にこの辺りの人たちは(法に逆らっている人たちは)生きているいま現在だけではなく、死んだ後も苦しみが長く続き地獄にいる時間も長くなるということです。

法に逆らっているということは、それだけ大きな損をするのです。(生きている間はもちろんですが死んだ後もです)

それでも法に従うことはしようとはしないのですか?

いつまでも自分の罪を認めず、私に罪を擦り付け私を目の敵にするのでしょうか?

しかし、そんな愚かな行いはないのです。(特にお年寄りは時間がありませんが大丈夫ですか?本当に私に逆らい続けていてです)

自分が悪かったと素直に認め、この法に従うなら、この世で奇跡が起きるだけではなく、あの世に帰ってからも、そのような菩薩や諸天善神が正しく導いてくださり、すぐに反省が出来て天上界に上がることが出来るのです。(嘘ではありません。この世で起きている奇跡もそういう方々の協力があってはじめて起きることであり、この世で奇跡が起きているということは、すでにこの世でもそのような菩薩や諸天善神が導いてくれている何よりの証拠なのであり、そのような方々は、生きている時だけではなくちゃんと死ぬ時も導いてくださるのです)

もちろん、あの世での生活も地獄界と天上界では雲泥の差です。天上界は、それはそれは楽しいところであるそうです。(高橋先生のお話)

そうして高い世界(菩薩、如来クラス)に行けば行くほど心が調和され、その楽しさ(心の安らぎ)は増していくということです。

この世で法に逆らい続け、どれだけ神社仏閣に行きお参りしたところで、また有名なパワースポットに行きパワー(?)をもらったところで、それで天上界に行けるわけではありません。(いいましたよね、私。そういうところに行っても何の効果もないと)

天上界に行ける方法は、この法を実践し、そのような菩薩や諸天善神に導いてもらうしかないのです。

しかし、いま現在は(特にこの辺りの人たちなど)その菩薩や諸天善神に導かれている人はいなくて、ほとんどの人が悪魔に導かれているのです。(その自覚のある人、多いと思います。〔苦笑〕)

それでは黙っていても地獄行きです。(悪魔もちゃんと死ぬ時に憑いていた人たちを導いてくれるからです。本当に有難迷惑です。〔苦笑〕)

自分の罪を認めず、今の態度を変えずにいるのなら生きているいま現在も地獄であり、死んでからも地獄に堕ちていかないといけなくなるのです。

いつまで自分の罪を認めず法に逆らい続けるのですか?

そのような態度を続ければ続けるだけ地獄にいる期間は長くなるのです。

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10月 06 2017

原因は一つ

どこかの会社もお怒りですが(今日も朝から凄い音を立てているのがいます。ほんとバカです)しかし、そこらじゅうで怒っていますね。(マァ、場所にもよるんでしょうが)

昨日など、あちこちに怒り心頭という人がいました。しかも大人から子供までです。

最近は子供などもう頭を下げてきたり「こんにちわ」と挨拶して来る子もちょくちょくいるのですが、歩く場所でずいぶん違うものです。

どことはいいませんが、あの辺り相当程度が悪いです。見ていますか、昨日歩いた地域の人たち。(苦笑)また悪いことが起きていませんか?(どんな会話でしょう。〔苦笑〕)

どれだけ私を白い眼で見て嫌がらせをしたところで、それだけ悪いことが起きているということは、それだけ自分たちが悪いことをしているから、それだけの悪いことが起きているのです。

私のせいではありません。自分たちのせいなのです。いつになったらそれが分かるのでしょうか。(昨日書いた国の借金問題ではありませんが、理解しない人は本当に理解しません)

その怒っている人たちはすべてです。すべて私のブログを読み心が救われているのです。(本当の神の教えを伝えてもらって心が救われないわけがないからです)それにもかかわらず少しの感謝もせず、嫌がらせを繰り返しているのです。

そのような行いが正しい行いなのでしょうか?どこをどうとっても間違っているのではないですか。(そんなこと子供でも分かりそうですが…)

そのような(間違った)行いをしている限り、その災いは止まることはありません。

その災いを止めてほしいのなら(といっても人が止めるわけではありませんが)そのような行いを反省し、心を救われた私に感謝し、報恩の行為をしてください。

そうすれば、その災いはすぐにでも止まるからです。

何がどれだけ起こっているのか知りませんが、本当の神の教えを伝えてもらったのならです。感謝して報恩の行為をするのが当たり前のことなのです。

ところが、そういう当たり前のことをまったくしようとせず、嫌がらせを繰り返しているようでは罰が当たるのも(これもまた)当たり前のことなのです。(それだけ恩を仇で返す、不遜な行為もないからです)

そこをよく理解して、自分たちの心と行いを変えない限りは、その起きている災いは止まらないのです。

その災いは、自分たちの行いが自分たちに返ってきているだけであるからです。(もう何回これを書いたでしょう。他の地域の皆さんは申し訳ありませんが我慢して読んでください。何度も同じことを書くのは、それだけこの辺り不幸になっている人が多いからです。といういより、その不幸になる人が〔怒っている人が〕増えているからです)

本当に何度同じことを書けば分かるんですか?私が人を病気になどしているのなら、私はもうとっくに病気になり死んでいるのです。

ずいぶん多くの人を病気にしているんでしょう。私は。それが自分に返ってきてです。

因果応報です。

しかし、私はピンピンしています。(いたって健康です)そうして不幸どころか奇跡が起きているのです。(昨日も堀川に行ったらたくさん魚が跳ねて水面近くを泳いでもいました。声をかけると大喜びしていました。人とえらい違いです。〔笑〕)

怒っている人たちとはずいぶん起きていることが違うのですが、なぜでしょうか?

そういう人たちとはやっていることが違うからです。(それもまったくです)だから、違うことが返ってきているのです。(私はよいことしかしていないからです。だから奇跡が次々に起きるのです)

これもまた因果応報なのです。

何度もいいますが(ほんといい加減にしてもらえないですか)私と皆さんで起きていることが違うのは、やっていることが違うからです。

それだけの理由なのです。

この世は自分がしていることが自分に返ってくるのであり、そのような法則(原因結果、作用反作用の法則)はどこであっても、また誰であろうと必ず発生するのです。

神がそのような世界につくられているからです。

だから自分の行いを反省してくださいと私はくどいくらいいっているのです。それ以外、自分に起きている悪いことを止める方法はないからです。

その起きている悪いことをどれだけ私のせいにして怒っていたところで、そんな責任転嫁をしているだけではよけい悪いことが起きて来るのです。それでは自分の罪を増やしているだけであるからです。(だから返ってくる災いも大きくなるのです)

本当に何度もいっていますが、そのような怒っている人たちは私に感謝して布施してください。

それ以外、その災いを止める方法はないからです。

これ以外ないんです。その災いを止める方法はです。私に心を救われているのに、それを感謝しないことが怒っている人たちに災いが起きている原因であるからです。

原因はこれだけなのです。それ以外のことが原因ではないのです。

原因はこれ一つなのですから、では、その原因(心を救われた私に感謝せず嫌がらせをしている)さえ取り除けば、その災いは止まることになります。

その原因を取り除く方法が、私に感謝し布施することなのです。

実にシンプルで分かりやすいのではないでしょうか。今この辺りのそこらじゅうで起きている災いを止める方法が私に感謝して布施すればよいだけの話なのですから。

こんなことすぐにでも(また誰にでも)出来ます。まさにシンプルイズベストですね。(笑)

難しい話ではないのです。簡単な話なのです。それを勝手に難しくしているのは、その怒っている(災いが起きている)人たちなのです。

あれもこれもすべて私のせいにしているからです。だから私に腹が立って仕方がないのです。自分たちの罪を全部私に擦り付けているからです。

しかし、それは間違いであるのですから、少なくともそれだけは(自分の間違いだけは)認めないといけないのです。

それを認めない限り、私のような大悪人に頭など下げられるか、それなら死んだ方がまし、ということになってしまうからです。

しかし、そんな大悪人に鳥や魚が寄ってくるような愛ある奇跡は起きないのです。

口ではなく起きている現象がどちらが正しいのかを教えているのです。それなにの意地でも自分たちの間違いを認めようとしないのでは、あまりに心が狭いのではないでしょうか。

また人としての道に外れているのではないでしょうか。(このブログは子供たちも見ているのですが…大人たちは恥ずかしくないのですか?そういう態度を取り続けていてです)

あとは災いが起きている人たちが自分たちの間違いを認めるだけなのです。それさえ出来れば私に頭を下げることも出来るのであり、それが出来れば感謝することも布施することも出来るはずです。

私は自分が間違っているのに自分を正しいと認めろなどとも、法外な布施の金額を要求しているわけでもないからです。(そういう人の道から外れたことをしているわけではありませんが…)

私が正しいからそれを認めてくださいといっているだけであり、布施はいくらでも結構ですといっているだけであるからです。

そのどこが間違いだというのでしょうか?

もう小さな子供たちはそれを(自分が悪いと)認める子が(たくさんとはいいませんが)出てきています。

あとは大人たちなのです。大人たちがそれを認めなければ多くの子供たちも認めようとはしません。

大人たちが模範を示さなければ、多くの子供たちまで災いが起きるのです。その起きている災いは(自分たちの行いの間違いによる)天罰であるからです。

私に感謝することが出来るか、出来ないかで、その災いを止めることが出来るか、出来ないかも決まってきます。

私のいった通りのことがもう何度も起きているのです。(何でいった通りのことが起きているのに、それをきこうともしないのですか?いった通りのことが起きているということは、その人のいっていることが正しいということなのにです)

私に心が救われているのも事実なら、私に奇跡が起きているのも事実です。そうして、この辺りの人たちに災いが起きているのもまた事実なのです。

その災いを止めようとは思わないのですか?(自分だけではなく子供たちのためにもです)

もし、止めたいのであれば、正しいことを(私のいったことを)行ってください。

そうすればその災いはすぐにでも止まるからです。(そうすれば多くの人が救われるからです)

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