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7月 09 2017

年寄りの無理解

参りましたね。パソコンが壊れちゃいましたよ。(だから予備の安物のパソコンでこのブログを書いています)

新しいパソコンを買ってから三年ほどでしょうか。その間、ほとんど毎日使っていたんですから、そりゃ壊れるのでしょうが、とりあえずすぐに直す予定はありません。(もちろん金欠でです)

また、ヒヤヒヤの毎日が続きますね。(このパソコンは安物ですから、いつ壊れるか分からないからです)

とはいえ、とてもすぐに布施などしてもらえる状況でもありませんしね。本当に不便です。法を理解する人があまりに少なくてです。

昨日でもまあ、歩いているとブシュブシュよくやってきますしね。(トラック連中などです)嫌がらせをしてくる人もまだまだ多い。

どれだけ辻説法しても、この辺りの人たちは法のことを理解しようとしないというのですからどうしようもありませんね。

「これは難しいな」と思いながら堀川に行くと不思議なことに掘川沿いは誰も歩いていませんでした。

あそこは散歩コースで、昨日は土曜日の午後で天気もいいのに(少々暑かったんですが)いつもは大勢いるはずの人が誰もいない、またまた世にも奇妙な物語のようでした。(それは堀川だけではなくいつもはたくさん子供がいる、家の近くの公園もそうでした。昨日は不思議なことに誰もいなかったのです)

たまたまでもないでしょう。最近はここですれ違う人も少なかったし、前に書いたことがありますが、このコースを日課のように散歩していたオバちゃんたちも(あのたくさん水面に上がってきた小魚を目撃したオバちゃんたちです)最近は全然あわなくなりました。(少し前までは私がここを歩いていると必ずあいましたから。歩く時間が同じだったのでしょう)

何か知りませんが、いつも同じ時間にあっていた人たちが段々へって行くのです。

歩く場所を変えたのでしょうか?それとも年を取った人が多いから病気か何かにでもなったのでしょうか?

しかし、そのような人たちはみな私の顔を見れば嫌がらせをしていた人たちばかりでした。

そういう人たちの顔を段々見なくなっているのです。(少々寂しい話ですが)

その堀川の帰りのことです。歩いているとある家からガンとか、ゴンとか音がしてきました。その家は私のブログを読んでいるオバちゃんがいる家でした。

「まだ、そんなことしているのか」と話しかけながらその家に向かい説法をしていると、その反対側の家からもオジちゃんが出てきました。

その人もまた私のブログを読んでいますが、その人も新聞を取るふりをしながらガチャガチャ音を立てて私の説法をじゃましています。

こういう人は家の近所にもまだいますが、この人たちはみないい年をした年寄りばかりなのです。(皆、六十、七十を過ぎた人たちばかりです)

そういう人たちが、私のブログを読んでいるにもかかわらず、少しも感謝しようとせずに嫌がらせを続けているというのですから、本当に呆れてしまいますが、しかし、そのような年寄りがいつまで元気でいられるのかは疑問ですね。

このような人たちは、もうそれほど長くはないのではないかと思えて仕方がないからです。(縁起が悪くて申し訳ありませんが)

実際にそういう年寄りを一人、二人と見なくなってきているからです。(先ほどの堀川であっていたオバちゃんたちもそうですが。ずいぶん嫌がらせをされましたから)

しかし、それも仕方がないことでしょう。もちろんそれは年が年だから何があってもおかしくはないという意味ではなく、態度が明らかに間違っているからです。

そうではないですか?心を救われている者に嫌がらせをしているのです。そういう態度が正しいわけがありませんし、そういう間違った態度をし続けているのです。

そういう大間違いをしている年寄りは、すぐにでもあの世に引き上げられても別に不思議でもなんでもないからです。

むしろそういう悪いことも起きるだろうとしか思えないからです。(因果応報です)

しかし、年寄りは普通なら分別もよくついて信心深くなるはずですが、この辺りの年寄りはどうやら逆の人が多いようです。

神仏の力を現している私に(鳥が騒いでいるのをきいて外にわざわざ出てくる年よりも多いですから)嫌がらせをしてくるのです。

では、神の力など屁とも思っていない年寄りが多いということになります。そのような鳥や魚が寄ってくる愛ある奇跡は神の力以外の何ものでもないからです。

その奇跡を(毎日のように)現している私に平気で嫌がらせをしてくる、それでは神に嫌がらせをしているのと同じことになります。(そういう分別がつかないようです。それでは子供と同じです)

だから私はこの辺りの年寄りは分別もつかず全然信心深くもないといっているのです。

私の評判が悪かろうがよかろうが、年寄りであるなら自分たちの長い経験があるのです。(この世でのです)では(その経験を活かして)その人が正しいか正しくないかは自分自身で判断すればいいのに、人の噂を鵜呑みにして人の顔を見れば嫌がらせ、そうしてそれだけ嫌っている者が書いているブログだけは読んでいるという、トンチンカンなことを平気で続けているのです。

そういうトンチンカンな態度をとっているのは、別に年寄りだけではありませんが、しかし、年寄りであるなら、せめて自分のこれまでの経験を活かした正しい態度を取ってほしいものです。

そのような皆の(若い人たちの)手本となるのが、年寄りの人たちであるはずであるからです。

昨日行った堀川でも、声をかけていたら多くの小魚たちが水面に上がってきてバシャバシャ騒いで可愛いものでした。鳥たちもよく騒ぎ私の周りを飛び回っていました。

私は毎日のようにこのような愛ある奇跡が現れています。

その私が本当にそんな悪者なのですか?

せめて年寄りの人たちは(もっと自分の経験を活かし)正しい判断をしていただきたいと思っています。(間違ったことをしている者にこんな奇跡が起きますか?)

そうでなければ自分たちが長く生きてきた意味がないからです。

(ふと気がつけば、今日は朝からずいぶん静かです。〔前のマンションが全然バシバシやってきません。どうしたのでしょう?〕そういえば昨日の帰りも、いつもならあうはずのどこかの運送会社の運転手の皆さんと全然あいませんでした。〔土曜日の堀川の帰りにはいつもはあちこちにいるはずなのにです。そうして嫌がらせをしていく人もいます〕なんで昨日は一人も会わなかったのでしょう?そうして先ほども書きましたが、いつもは子供がたくさんいるはずの家の近くの公園に昨日は誰もいなかったのです。そうして、家の近くに帰ってくればくるほど静かだったのです。〔いつもとは反対です〕何かここ数日で雰囲気がドンドン変わっていっている気がしますが…気のせいですか?早めにそのことに気づかれ〔何でこれほど雰囲気が変わってきているのかということにです〕よいことをした方がいいのではないでしょうか、私にです。状況はドンドン変わっていっているからです)

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7月 08 2017

疑問

それにしても九州北部豪雨は甚大な被害が出ていますね。

まだその被害もしっかり把握できていない状況のようですが、九州はまだこれから雨が続くとのこと、これ以上の被害が出ないことを祈るばかりですね。(福岡など園頭先生がおられたらあれほどの被害は出なかったと思いますが…)

しかし、その祈りも今のような状況ではあまりきかれそうもありません。(あまりに多くの人が神から遠いからです)それが返す返すも残念です。

今回の豪雨など、また「温暖化の影響で」と判で押したようにテレビなどではいうのでしょうが、これだけ起きる現象が激しくなっているのに、それを温暖化の一言でかたずけるのはどうなのでしょう。

もう少し疑問を持たれてはどうですか。何でもかんでも温暖化に結びつけるのも無理があるように思えるからです。

最近起きて来る現象は、そのような雨風が激しくなっているだけではないのです。

地震はもちろんですが(昨日も福島で震度4の地震がありましたが、この程度の地震ばかりでなく震度6や7以上の地震も最近は頻繁に起きています)この前の新潟の大規模火災(糸魚川市)や東北(岩手、宮城、福島など)での大規模な連続山火事など、あまりに運が悪いと思えるようなことが次々に起きているのです。

普通であるなら、何年か何十年かに一度、起きるかどうかという不幸な現象が、最近は次から次に起きているのです。

これは明らかにおかしなことなのではないでしょうか。(新潟や東北の火事など考えてみてください。あんな大きな火事が次から次に起きるものでしょうか?それに今回の九州豪雨にしても異常なほどの雨の降り方です。それに震度7の地震が連続して起きた熊本地震や東日本大震災などこれもまた異常な地震の起き方なのです。〔東日本大震災など千年に一度といわれているくらいですから〕とにかく最近は異常に悪いことが次々に起きているのです)

これをただの偶然というのではあまりに不自然なのではないでしょうか。偶然とは思えないほどの異常さで悪いことが続いているからです。

まだ分かりませんか?

時代が変わったということがです。

だから(この辺りだけではなくです…この辺りの皆さん、ここは強調しておきますが)日本全体に不幸が続いているのです。(日本全体にです。もっというなら世界全体にですが)

時代が変わったにもかかわらず、心と行いを変えようとしない人たちばかりであるからです。

末法の世から正法の世に時代が変わったのなら、心を変えないと、その変えない心がまともに世に現れてきます。(正法の世とはそういう時代です)

だから悪いことが次々に起きているのです。心を悪いままにして表面上だけ善人のふりをしている人が多いからです。

そういう偽善者が多いから悪いことがこれだけ増えているのです。その偽善の心が現象として現れてくる時代になったからです。(私は心から善人だといえる人がいますか?いないはずです。なぜなら本当に心からの善人であるなら周りに奇跡が現れて来ないといけないからです。そういう時代になっているからです)

だから、心からよくならないといけないと私は何度もいっているのです。

真の善人にならなければ、これからはもうよいことが起きて来ないからです。(この辺りの人たちは真の善人だといえる人がいるのですか?そういう人であるなら不幸は起きません。偽善者だから悪いことが起きているのです。そうして偽善者であるから、その悪いことをみな人のせいに出来るのです)

今日の中日新聞に、九州豪雨で小さな男児を抱く妊婦と祖母の遺体が見つかったと書かれてありました。

そうして、その遺体が運ばれている様子を見ていたある女性が「神も仏もないのか」とつぶやいていたとも書かれてありましたが、そうではないのです。

神、仏がないのではなく、本当の神仏を知らないからこのような不幸になるのです。

神、仏は存在し、その本物の神仏を知っているのなら(その本物の神仏の教えに従っているのなら)こんな不幸になることはないのです。

偽の神、仏しか知らないから不幸になるのであり、それは偽の神仏しか知らなかった自分が悪いのです。

だから、そのような不幸な目に遭っているのです。

だから、このような不幸なことが頻繁に起き出すともう神も仏もないと思うのです。

その自分たちが信じていた神仏は偽物であったからです。

きつい言い方になりますが、これが現実なのです。偽の神など信じているから不幸になるのです。

本当の神は、小さいからとか、妊婦だからとか、年寄りだからとか、そういう言い訳は一切きかないからです。

間違った心でいる人には、間違った現象をそのまま現すからです。

そのような法則を神はつくられているということです。その法則からは誰も逃れることは出来ないのです。

だから私は「この教えを早く知らないといけない」といっているのだし(その神がつくられた法則が正しく分かるのは、この正法神理しかないからです)子供も年寄りもないといっているのです。

正しいことを知らないままでいると、実際にこのような悲惨なことが誰にでも起きるからです。

そうして、このようなことが起きると、本当は本物の神仏を知らなかった自分が悪いのに、あろうことか(自分が悪いのを棚に上げ)その神仏を怨むなどという、大きな罪まで、その人たちはつくりかねないからです。

これまでのような責任転嫁も(温暖化だ何だというです)間違った信仰も、もう通用しない、そのような世の中にすでになっています。

それにいつまでも気づかず、これまで通りの行いをし続けるのであれば、その人は(遅かれ早かれ)不幸になるのです。

今いわれていることを、ただそのまま信じているだけではなく、もう少し疑問を持ってはどうですか?

その疑問から、真実が分かってくるということは往々にしてあるからです。

(どこかの会社の人たちも自分たちが悪いことをしている間は、自分たちに悪いことは起き続けます。〔何か、私がいった通りのことが起き始めているようですが…大丈夫ですか?〕反省してください。あなたたちが救われる道はそれ以外にないからです)

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7月 06 2017

アショカ王

アショカ王という方をご存知でしょうか。(日本では「阿育王」とか「無憂王」と書きます)

この方はマウリア王朝第三代の王子であり、インド亜大陸全域を統一された方です。

このアショカ王のことは園頭先生の正法誌に書かれてありますので、先生の正法誌を参考に少しこの方のことを書いてみましょう。

いまから二千二百年ほど前(だから釈尊が亡くなられて三百年ほどたった頃です)インド史上はじめて統一国家が形成されます。

それがマウリア王朝です。

その二代目の王の二男であったアショカは生まれつき粗野で器量もよくありませんでした。

父王は落着いて思慮深い長男のスシーマを次の王にと考えていましたが、戦いに強かったアショカを支持する勢力と慎重なスシーマを支持する勢力は、どちらが王の座につくかで遂に戦いとなるのです。

アショカは強力な諜報機関を持って、一人の諜報者も逃がさず殺して、兄スシーマの軍を破り王位につきます。

そうして「国王はただ一人なのだ」といって、自分の王位に不満を持つ者を次々に殺していくのです。

戦に強かったアショカは武力を持って、次々に敵を倒し、大きく勢力を広げますが、その勢力をどれだけ誇ってみても、なぜか自分の心は晴れませんでした。

国中に張り巡らされた諜報機関によって、不穏な動きは小さいうちに抑えるので、表立って反乱はありませんでしたが、そのうちに暴虐と恐れによって民衆の心はアショカ王から離れていきます。

そのようなアショカ王の暴虐にあいそをつかして、副王となっていた弟のテイッサは兄のアショカと口論したあげく「人間とはいかに生きるべきか」を求めて、当時広がっていた仏門に帰依してしまいます。

そんな弟の諫言(かんげん)にもきく耳を持たず、アショカは今度はインドの大統一をさらに拡大しようと、歩兵六十万、騎兵三万、象兵九千頭の大軍を持って、インドの東南、ベンガル湾に面した今のオリッサ地方にあったカリンガ国を攻めます。

その戦いでの戦場の残虐さは想像を絶しました。

殺さなければ殺される。戦いは来る日も来る日も続き、流された血は乾き切った大地に吸い取られ、灼熱の太陽に照らされ、たちまちのうちにどす黒く乾きます。

そのような悲惨な戦いの後、ついにカリンガ国は降伏したのです。

味方も敵も無数の死者を出し、その戦いの後を襲った飢餓と悪疫、戦いに勝っても残るものは何もありませんでした。

延々十五万の捕虜も、それを引きつれているわが将士も五体満足な者は一人もいません。

まさにそれは地獄の光景であったのです。

目に見えざる民衆の怨嗟(えんさ)の声が怒涛の如くアショカの耳を襲い、思わず耳を覆ったアショカはいつか弟のテイッサからきいた仏陀(釈尊)のことを思いだします。

「すべてを懺悔して仏のみ教えを仰ごう」

そう思ったアショカは弟テイッサの師マム・サムダラミッター長老のもとへ急ぎます。

そうして仏法に帰依したアショカは軍隊を解散して戦争放棄を宣言します。

これが世界の歴史上はじめての戦争放棄宣言なのです。

その後、アショカは釈尊の跡を慕ってそこに塔を建てます。

ルンピニー、ブッダガヤ、サルナート、クシナガラと回り、人類を救うために生まれて来られた釈尊の慈悲の心を慕い、釈尊の十大弟子で智慧第一といわれた舎利弗の塔も建て、その傍(かたわ)らに法を拡めるためナーランダ大学をつくります。

そうして仏教で国の統一を図るのです。

現在、インドに仏跡がはっきり残っているのは皆、このアショカ王のお蔭なのです。

釈尊が亡くなられてのち仏教興隆に力を尽くした徳高き王が、このアショカという方なのです。

今日はなぜアショカ王のことを書いたのかといえばです。

ボンボン平気でミサイルを日本近海まで撃ち込んでくる、どこかの国の王に(委員長でしたっけ?)少しはアショカ王を見習ってもらえないかと思ってです。

少しでも参考にしていただければ幸いです。

(世界の歴史上、はじめて戦争放棄の宣言をされたのがアショカ王なのですが、日本の昭和天皇も同じように戦争放棄の宣言をされました。〔大東亜戦争の時にです〕何かこのお二方は不思議な縁を感じますね)

追伸…福岡、大分、島根など凄まじい雨になっているようですね。

九州など今日もまだ大変な雨が降る予報が出ています。本当に心配ですね。(テレビのニュースなど見ると凄い光景がいろいろ流れてきますから)

またあの雲が一直線に連なる線状降水帯が原因のようですが、何かもう竜が大暴れしているような感じですね。

皆さん方の心がけがあまりに悪いからです。

そのあまりに心がけが悪い人たちの中に現れた人が出たようです。心臓への現象がです。

昨日、シーンとなったり、バシバシやられたりして教えてもらいました。(ネェ、どこかの会社やマンションの皆さん。さすがに皆さん方は特に心がけが悪いようですから出るのも早いです)

それでもまだ頑張って嫌がらせを続けているという(今日もやっています)その勇気には感服しますが(そういうのを匹夫の勇というのですが)そのような態度がますます災いを現すのです。

本当に神に頭を下げようとする謙虚な人はいません。すべてお前が悪いという傲慢な人たちばかりです。

これではここらで起きている災いも増えることはあっても止まることはないでしょう。

このような災いも、今現在九州で降っている大雨もすぐにでも止めることは出来るのです。

このブログを読んでいる人たちの心と行いが変わればです。

しかし、いつまでもそれをしようとしなければ、前から書いていますように日本にドンドン悪いことが起きてきます。(本当にそうなっていますが……これでまた地震でも起きたら大変です)

もう責任転嫁はやめたらどうでしょう。(悪いことを人のせいにしたり、温暖化のせいなどにしたりするのはです)

そうして神を信じいい加減、私に協力してもらえませんか。私に心を救われた人も大勢いるようであるからです。(この辺りの人たちはそれを認めようとはしませんが…〔しかし、このブログを毎回読んでいるのがその何よりの証拠でしょう。これだけ気に食わない奴のブログなど心が救われるか何かなければ読むはずがないからです〕だからよけい悪いことが起きるのです。感謝すべきところをちゃんと感謝しないからです)

法に協力する人が増えれば増えるだけ、災いは減り、幸せになる人が増えていきます。

何度もいいますが(分かってくれる人が出て来るまで何度でもいいます)多くの人が心を入れ替え行いを変える以外で、救われる道はないのです。

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7月 04 2017

傲慢不遜な態度

将棋の藤井四段が負けましたね。三十連勝ならずですか…マァ、しかし、連勝はどこかで止まるのです。

この後の方がよほど大事でしょう。また話題をつくってもらいたいものです。(新記録をつくったのですから、それだけでも十分凄いです)

その藤井四段が負けた日に自民党が都議選で大敗を喫しました。こちらの方がよほど深刻ですね。

議席数を大幅に減らし、過去最低だった議席をも(三十八議席)大幅に下回る最低の議席数しか取れなかったというのですから(二十三議席かなんかでしょう。ひどいものです)本当に歴史的な大敗です。

しかも、その大敗した原因がです。

一強といわれた安倍総理の神通力が、いつのまにか逆に働いて、安倍総理が一凶状態となり、そうして自民党側に次々に災いが現れ(加計、森友問題、パワハラ問題、自衛隊発言問題などなど)勝手に都知事勢力側に票がドンドン流れて行ったというのですから不思議なものでした。(だって今回の歴史的大敗はほとんど自民党のオウンゴールでしょう。都知事側などこれといって気を引くような政策などなかったんですから。豊洲問題も築地とどっちつかずだし、オリンピックだってそうです。そんなに都知事は目を引くような政策など打ちだしていません。しかし、そんな相手に自民党は異常な負け方をしたのです)

こういうことになるのです。神がソッポを向くとです。

テレビなど見てもそうですが、今回これほどのひどい負け方を自民党がするとは誰も予想していなかったのです。

誰も予想できない結果が現れる。これが神の力なのです。

私が神がソッポを向いたと書いてからでしょう。安倍政権の凋落(ちょうらく)が始まったのはです。(そのことはもう何度もこのブログに書いていますが)

残念ではありますが、神がソッポを向いている政権ではもうどれだけやれるか分かりません。

もし、この政権を立て直したいのであれば、神の心に従うことです。それ以外ではもう立ち直る道はないからです。(頭のいい人たちがどれだけ考えても現状回復は無理でしょう。神の力には誰も逆らうことが出来ないからです)

公の気持ちから私の気持ちに変わってしまうと(傲慢不遜な心が出てしまうと)もはやいいことは起きなくなります。

高い位置にいる人たちは高い気持ちを忘れてはならないのです。その気持ちを忘れてしまうと神はソッポを向くからです。

そのような神からソッポを向かれている人たちがこの辺りにもたくさんおります。

大丈夫ですか?誰一人布施してくれなくてです。(マァ、予想通りといえば予想通りなんですが)

しかし、今回ばかりはやばいと思いますが、分かりました。それならそれで結構です。ただ最後の祈りは昨夜からしています。

このブログをただで見ようが、私に嫌がらせをしながら見ようが、それはご自由ですが、しかし、そのような見方をしているどこの誰に何が起きても、自分の心(と行い)が悪かったということでそれはご了解ください。

私は最後の祈りをしますともう何度も断っているからです。(怒っていたオジちゃんやオバちゃん、コロッといっても知らねえからな。心臓が苦しくなってきたら気をつけてください。現象が現れるかもしれないからです)

現在の日本のほとんどの人たちは、神を認めようとせず神などまったく恐れず罰など当たらないと思っています。(マァ、神を認めていないんですから、それはそうなんでしょうが)

どちらにしても、そういう考えは間違っているので変えてもらわねばいけません。

では、罰が当たるのも、そういう人たちにとってはよい勉強ということになります。

神の存在も、その神の恐ろしさも、ひどい天罰が当たれば当たるだけ理解出来るということになるからです。(しかし、少なくともこの辺りの人たちはそれが理解出来ませんかね。私のいった通りのことが起きているでしょう。〔今のままでは癌になる人がたくさん出るといったら本当に癌になる人が増えているんですから〕それでも神の存在を誰も理解しようとしない。本当に先は長そうです)

しかし、やらないといけないのです。そのような(神を認める)心の人が増えてこないと日本はいずれどこかで滅ぼされるからです。(これは嘘でも冗談でもないんですけどね。私がいった通りのことが次々に起きているということで、その事実が分かりませんか?)

それにこちらはもうギリギリのところまで待ったのです。

それでも分からない(法を説いている者に協力しない)というのですから(むしろこの辺りはじゃましている人たちばかりです)もうどれだけ危ない祈りでもして、恐ろしい現象を現さないと分からないということになります。

そうであるなら、何としてでも多くの人に目を覚ましてもらい(自分たちがしていることの罪の重さを自覚してもらい)自分たちの大きな罪を反省してもらうしかないということになります。

では、全力で最後の祈りをするしかありませんね。

そうしてもっともっと天罰が当たらないと誰も自分の傲慢不遜な罪が(もちろん神に対してです)分からないからです。(何度もいいますが、この辺りの人たちは分かりませんかね。その恐ろしさがです。私が今のままでは癌になる人がたくさん出るといったら、本当にこの辺りで癌になる人が増えているのです。〔そうですよね、どこかの会社の皆さん〕では、私が最後の祈りなどすれば、今度はその癌にプラスして心筋こうそくか何かまで現れ出すのです。〔今の癌にプラスですよ。もっと増えるのです。恐ろしい病気がです。これ以上、不治の病が現れだしたら大変なことになりますよ〕私のいう通りのことが起きているんだから、いい加減、私のいうことをきいて反省してはどうでしょう。そうしないともっと大きな不幸がこの辺りで起きて来るからです)

途中で気が変わったり、神の恐ろしさが分かった人がいるようなら布施でもしてください。(分からなければいいです。こちらも布施を諦めて餓死します。〔苦笑〕)

もし、そのような人が増えて来るようなら私も最後の祈りはやめることにするからです。

それまではこちらは必死で祈りたいと思います。祈って現象を現さない限り、多くの人は神の存在を認めないからです。(もう背水の陣で祈ります。餓死か法が拡がるかの瀬戸際ですから。しかし、私が祈って何も起きないと思いますか?私が祈って何も起きなかったことなど一度もないのです。何度祈り、何度現象を現せば分かるのでしょう)

しかし、神を敵に回せばどれだけ恐ろしことを起こされるか分からないのです。

早く今のような傲慢不遜な心は反省し、神を思い、この法の大事さを理解してください。

それが分かるまでは日本にはいいことが起きないからです。

(それが分からないと日本の人たちは自分たちの大きな使命に気づかないからです。いつまでも神を認めず法を無視している、本当に日本には罰当たりな人が多いようです。だから罰が当たるのです)

追伸…昨日テレビである女優さんのブログが話題になっていました。

それでその女優さんのブログを読んでみたのですが、あれは完全に地獄霊にやられていますね。(耳にメッセージがきこえて来ただのなんだの書いていましたから。また書いてあることも何か支離滅裂で、ひどく地獄霊に憑かれた人の特徴が出ています)

あのような方は、この法をしっかり心に刻んで心を入れ替えないとその地獄霊は離れません。

これから大変でしょうね。(自分だけではそう簡単に心を入れ替えることは出来ないからです。そうするとその地獄霊は離れないからです)

しかし、心が地獄に向くと誰もあのような地獄霊に憑かれてしまいます。

ずいぶんこの辺りも、そのような地獄霊に憑かれている人がいるようです。(この辺りの多くの人に教えてあげましたから。地獄霊が憑いていることをです)

この法をよく勉強し、心を入れ替えてはどうですか?

いつまでも地獄霊に憑かれていると、先々は先ほどの女優さんのように少しおかしくなるか、心臓がやられるかのどちらかであるからです。

そうして、地獄霊に憑かれたまま死んだその後には、その地獄霊がいる地獄が待っているからです。

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7月 02 2017

昨日怒っていた皆様へ

昨日は笑ってしまいましたね。(笑)一昨日行った庄内川側とはまったく違っていたからです。

何が違っていたのかといえば、オジちゃんたちやオバちゃんたちの態度がです。

昨日は堀川に行ってきたんですが、その帰りのことです。

もうあちこちの家からオジちゃん、オバちゃんが出てきて怒っています。

でしょうね。そうじゃないとおかしいですよね。あんなブログを書いたのですから。(大事なお知らせ)

庄内川の辺りの人たちは一体何だったんでしょう。(多少は愛のある人が多いのかもしれません。こちらの事情など考えてです)しかし、こうじゃないといけません。こうでないとこちらもギャーギャーいえないからです。(笑)

ここのオジちゃんも、この家のオバちゃんも、私のブログを見ていたのかという感じです。

もうそういう人たちに片っ端から「オジちゃん、オバちゃん、ブログ代払って」とか「なんだなんだ、散々人のブログを読んで心が救われているくせに少しのブログ代くらい払えないのか」とか「こちらの都合は一切関係なしか、本当に愛がないな」とか、いいたい放題いってやりました。(笑)

ところがです。普通であるなら、そういうことをいわれたら、下を向くかいやらしそうな顔をするはずですが、この人たちはそういうことを散々いっても、いやらしがるどころか怒っている人がほとんどだというのですから呆れます。

本当に昨日怒っていた人たちは感謝の心もなければ愛の心もない、怒りの心しかないようです。(私が祈って自分たちに何か起きたらどうするのかというです。人のことより自分のことしか頭にないようです)

この人たちは長年、私のブログを黙って見ていたのです。(黙ってどころか私に嫌がらせをしたことがある人たちばかりでした)その私のブログを読み、心が救われたこともあったでしょう。知らないことを知ったということもあったでしょう。

では、少しくらいの感謝の心があっても不思議ではありませんし、私はブログの中で「少しで結構です。布施してください」ということを何度も書いているのですから「少しの布施くらいしてやるか」くらいは思ってもいいはずです。(いい家に住んでいる人もいましたから。私のぼろい家とはえらい違いです)

しかし、そういう考えなど一切持とうとせず、平気でブログを何年にもわたり読んでいたにもかかわらず、そのことを指摘されても、少しも悪いとも気まずいとも思わず、自分に何か起きたらどうするのかと、自分のことばかり考え怒っているというのですから、いやはやなんという面の皮の厚さでしょう。

これくらい自分本位な人たちも珍しいですね。(子供並の心です。こういう低レベルの人がよく私のブログを見ていますね。ちょっと驚きです)

こういう人たちにはまともに出るでしょうね。私が最後の祈りをすればです。

この人たちがなぜこれまで残されていたのか、いま分かりました。

この最後の祈りをするためです。この祈りを成就するためこの人たちはこの世に残されているのです。

そうでなければとっくに何か起きています。この人たちはもう何度も私に嫌がらせをしている人たちばかりであるからです。(しかもブログを見ていながら、まったく感謝も布施もしないという不遜な態度まで取っているのですから)

これだけ罪深い人たちもないのですから(ご本人たちはまるっきりそれに気づいていないようですが)普通であればこういう人たちに何も起きないわけがないのです。

しかし、これまで何も起きなかったのは、この最後の祈りをした時にこのような人たちに一斉に現象を現すためであったのです。

そのようなことが起きれば、この人たちの周りにいる人たちの多くはこのブログに対する態度を改めるからです。(さすがに怖いでしょう。それだけ多くの人に一変に災いが現れたらです)

だから、そのような(超がつくほど)自分本位な人たちはまだ残されているのですが、そのような人たちにいっておきます。

昨日、わざわざ私の帰りを待っていて嫌がらせをした人たちは、私が最後の祈りをするならば、必ず何か自分の体に現象が現れるでしょう。

だから自分たちに何か起きたくないのであれば、少なくともあなたたちはこれまでの行いを反省し、ブログ代くらい払うべきです。

それを払うだけの罪と価値を、あなたたちはすでにつくりもらっているからです。

もし、それを無視するならば、今度こそ本当にあなたたちには現象が現れます。

それをはっきりここに書いておきます。

マァ、いうだけ無駄かもしれませんが(それだけ業が強い人たちですから)しかし、そのままでいて急に何か起きてもいけません。(心の準備も必要でしょう)

やり残したことがあるなら、やっておいた方がいいでしょう。もうやれなくなるかもしれないからです。

神の心を教えてくれた者にまったく感謝せず、怒りばかり持っていればそういうことになるのです。出来るものなら反省してほしいものです。

しかし、それも本人次第であるということです。

このような人たちがまだ他にもいるようですが、そういう人たちも同じなのです。(どこかのマンションの連中も今日もバシバシやっていますから。この連中も〔もちろんどこかの会社などもその最たる人たちですが〕怒りばかり持ってまったく反省しない人たちなのです)

私が最後の祈りをするのなら、遅かれ早かれどこかで現象は現れます。(そのような心は大いに間違っているからです)もう時間も限られています。

早く反省されることを望むばかりです。

その最後の祈りは月曜日の夜から始めることにします。(だから明日の夜からです)

しかし、もし、多くの人から布施をもらうことが出来たのなら(月曜の夜までにです)この祈りはしないことにしますが(マァ、それもいうだけ無駄かもしれませんが)まだ私のいうことを皆が無視し、一人も布施する人がいないということであるなら、月曜の夜から毎日その最後の祈りはしたいと思っています。(もちろん今現在すでに布施をしてくれている人たちは数に入りません)

昨日の深夜から今日の未明にかけ、北海道と熊本で震度5の地震が相次ぎました。

このクラスの地震が起きる時は、天が怒っている時ですと先週書いたのですが(先週の日曜日の朝にも長野で震度5の地震がありましたから)今週もまたそのクラスの地震が起きたのです。

ということは、天は相当怒っているということになります。(しかも今回は二回連続ですから)

こういう現象が次々に起きるということでも、神の存在が明らかなのはもうお分かりいただけると思います。(これ以外の現象も特にこの辺りは数えきれないくらい起きていますから)

これ以上、神を怒らせるなら、今度は震度5クラスではすみません。(だからこれ以上、私のいうことを無視すれば今度はそれ以上の地震が起きるということです)

もう傲慢不遜な態度はおやめください。(神の心を無視するようなです)

そうしないと日本にどれだけ悪いことが起きるか分からないからです。

追伸…ブログを再開して七年、その間、この法の大事さを訴え続けてきましたが(そうして様々な現象も現してきたつもりですが)未だ協力してくれる人は少なく、ほとんど布施も集まりません。(嫌がらせは数多くいただきましたが。〔苦笑〕)

これでは法を説き続けることは遅かれ早かれ出来なくなります。

それがどれだけいけないことなのか、どれだけ書いても、どれだけ現象が現れても分からないということであるなら、もはややるしかありません。

では、最後の祈りをするしかないということになります。

マァ、大丈夫でしょう。

少々祈ったところで、私に何かかにか協力している人たちにそれほどひどい現象が現れるとは思えないし、多くの人にそんなに一変に現象が現れるとも思えないからです。(というか、実際は分からないんですけどね。地震まで〔震度5クラスの〕起き出しましたからね)

どちらにしてもこちらは命懸けなのですから、どうしても法のために動いてもらえないということであれば、こちらは命を懸けてでも動かすしかないということになります。

しかし、よく考えてみてください。

たかだか、布施をくれるか、くれないか、それだけの問題なのです。

何でこの程度の問題に命まで懸けないといけないのか、そこは本当に疑問ですね。(苦笑)

しかし、法の流布を行うか、行わないかという問題は、それほど大きな意味があるということです。

法の問題をあまり軽くは見ない方がよいと思います。

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